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宗教

宗教

定義: 崇拝の方式。それには,個人的な,あるいは組織によって唱道される宗教的態度,信条および慣行で成り立つ制度も含まれます。普通,宗教には神もしくは多数の神々に対する信仰が関係しています。また,人間,物体,欲望あるいは力が崇拝の対象として扱われる場合もあります。宗教は大抵,自然に関する人間の研究に基づいていますが,啓示された宗教もあります。真の宗教もあれば,偽りの宗教もあります。

宗教がこんなに多いのはなぜですか

最近作成された一覧表によれば,主要な宗教は10,分派はおよそ1万あるという結論が出されています。そのうち,6,000ほどの分派はアフリカに,1,200ほどがアメリカに,そしてその他の国に幾百もの分派があります。

数多くの要因が新しい宗教集団の発達を助長してきました。中には,様々な宗教がすべて宗教的な真理を提示する種々の異なった道を代表していると言う人たちがいます。しかし,その教えや慣行を聖書と比較すると,むしろ,宗教が多種多様なのは,人々が神に聴き従う代わりに,人間の追随者となってきたためであることが分かります。人々が共通して奉じていながら,聖書とは異なる教えは大方,古代バビロンに由来していることは注目に値します。(「大いなるバビロン」の見出しの113,114ページの項参照。)

このような宗教的混乱の扇動者はだれですか。聖書は悪魔サタンの正体を「この事物の体制の神」として明らかに示しています。(コリント第二 4:4)聖書は,「諸国民が犠牲としてささげるものは,悪霊に犠牲としてささげるのであって,神にささげるのではない」と,わたしたちに警告しています。(コリント第一 10:20)ですから,天地の創造者であられる,まことの神を自分が本当に崇拝しており,自分の行なっている崇拝がその方に喜ばれるものであることを確かめるのは,何と肝要なことなのでしょう。

宗教はすべて神に受け入れられますか

裁き人 10:6,7: 「イスラエルの子らは再びエホバの目に悪を行ないはじめ,もろもろのバアル,アシュトレテの像,シリアの神々,シドンの神々,モアブの神々,アンモンの子らの神々,フィリスティア人の神々に仕えるようになった。こうして彼らはエホバから離れてこれに仕えなかった。ここにおいてエホバの怒りはイスラエルに対して燃え(た)」。(もし,ある人が天地の創造者であられる,まことの神以外の何らかのもの,あるいは何らかの人格的存在を崇拝するなら,明らかにその人の崇拝の方式は神に受け入れられるものではありません。)

マルコ 7:6,7: 「イエスは彼ら[ユダヤ人のパリサイ人や書士たち]に言われた,『イザヤはあなた方偽善者たちについて適切に預言しました。こう書いてあります。「この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。彼らは,教理として人間の命令を教えるからである」』」。(あるグループの人々がだれを崇拝していると唱えようとも,もしそれらの人が霊感によって記された神の言葉の代わりに人間の教理を固守するなら,その崇拝は無益です。)

ローマ 10:2,3: 「わたしは,彼らが神に対する熱心さを抱いていることを証しするのです。しかし,それは正確な知識によるものではありません。彼らは神の義を知らないで,自分たち自身の義を確立しようと努めたために,神の義に服さなかったからです」。(人々は書き記された神の言葉を持っているかもしれませんが,正しく教えられていないために,み言葉に収められている正確な知識に欠けています。神のために熱心であると思ってはいても,神の要求しておられる事柄を行なってはいないかもしれません。そのような人々の行なう崇拝は,神に喜ばれないのではないでしょうか。)

どの宗教にも良い点があるというのは本当ですか

確かに大抵の宗教は,うそをついたり盗んだりなどしてはいけないと教えています。しかし,それで十分でしょうか。自分のもらった飲み物の大半は間違いなく水だと人から言われたとしても,毒の入ったコップ1杯の水を喜んで飲めるでしょうか。

コリント第二 11:14,15: 「サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させてい(ま)す。したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません」。(ここでわたしたちは,サタンに由来するものがすべて醜悪に見えるわけではないことに注意するよう促されています。サタンが人類を欺くのに用いてきた主要な方法の一つは,あらゆる種類の偽りの宗教で,サタンはそのうちの幾つかの宗教を義にかなったものであるかのように見せかけています。)

テモテ第二 3:2,5: 「人々は……敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者とな(りま)す。こうした人々からは離れなさい」。(そのような人が神を愛していると上辺だけで唱えようと,あなたが崇拝を共にしている人々が,もし神の言葉を自分の生活に誠実に当てはめないなら,聖書はそのような人々との交わりを絶つことを勧めています。)

親の宗教を捨てるのは正しいことですか

もし,親がわたしたちに教えてくれた事柄が本当に聖書からのものであれば,わたしたちはそれを固守すべきです。たとえ,親の宗教的な慣行や信条が神の言葉と調和していないことが分かっても,親はわたしたちの敬意を受けるに値します。しかし,もし,親のある特定の習慣が健康を損ない,命を縮める恐れがあることを知ったなら,どうでしょうか。あなたは親に見倣い,またそうすることを子供に勧めますか。それとも,自分が学んだ事柄を敬意をこめて親と分かち合うでしょうか。同様に,聖書の真理に関する知識も責任をもたらします。もしできれば,わたしたちは自分が学ぶ事柄を家族の成員と分かち合うべきでしょう。わたしたちは決定をしなければなりません。つまり,わたしたちは本当に神を愛しますか。神のみ子に本当に従いたいと思いますか。それには,真の崇拝を実践するため,親の宗教を捨てることが必要になるかもしれません。親に対する専心の思いが,神とキリストに対する愛よりも大きくなるのを許すのは,確かにふさわしいことではありません。イエスはこう言われました。「わたしに対するより父や母に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません。また,わたしに対するより息子や娘に対して愛情を抱く者はわたしにふさわしくありません」― マタイ 10:37

ヨシュア 24:14: 「それで今,エホバを恐れ,とがなく,真実をもってこの方に仕えなさい。あなた方の父祖たちが川の向こうで,またエジプトで仕えた神々を除き去り,エホバに仕えなさい」。(これは彼らの父祖たちの宗教を改めることを意味したのではありませんか。エホバに受け入れられる仕方で仕えるためには,彼らはそのような宗教で用いられていた,いかなる像をも取り除いて,そのようなものに対する一切の欲望を心からぬぐい去らなければなりませんでした。)

ペテロ第一 1:18,19: 「あなた方も知っているように,あなた方が父祖伝来のむなしい行状から救い出されたのは,朽ちるもの,つまり銀や金によるのではないからです。それは,きずも汚点もない子羊の血のような貴重な血,すなわちキリストの血によるのです」。(それで,初期のクリスチャンは,とこしえの命を自分たちに決して与えることのできない,彼らの父祖たちの伝承から離れました。キリストの犠牲に対する感謝の念に動かされたそれらクリスチャンは,神を敬わなかったために生活の真の意味を見失って,実りのない生活をする原因となっていたものをことごとく取り除きました。わたしたちも同様の態度を抱くべきではありませんか。)

聖書によれば信仰合同はどのようにみなされていますか

イエスは,義にかなっているように見せかけながら神を敬わなかった宗教指導者たちを,どのようにご覧になりましたか。「イエスは彼らに言われた,『もし神があなた方の父であるならば,あなた方はわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから出てここにいるからです。そしてわたしは決して自分の考えで来ているのではありません。その方がわたしを遣わされたのです。……あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,偽りの父だからです。他方,わたしは真理を告げるので,あなた方はわたしのことばを信じません。……あなた方が聴かないのはこのため,つまり,神からの者ではないからです」― ヨハネ 8:42-47

神の非としておられる慣行を自ら行なったり,大目に見たりする人たちを神の僕たちが宗教上の兄弟関係の中に迎え入れるとしたなら,神とその義の規準に対する忠誠を証明することになるでしょうか。「兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ,そのような人とは共に食事をすることさえしないように。……淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです」。(コリント第一 5:11; 6:9,10)「だれでも世の友になろうとする人は,自分を神の敵としているのです」。(ヤコブ 4:4)「エホバを愛する者たちよ,悪を憎め。神はご自分の忠節な者たちの魂を守っておられ(る)」― 詩編 97:10

コリント第二 6:14-17: 「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。さらに,キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。そして,神の神殿と偶像にどんな一致があるでしょうか。……『「それゆえ,彼らの中から出て,離れよ」と,エホバは言われる。「そして汚れた物に触れるのをやめよ」』。『「そうすればわたしはあなた方を迎えよう」』」。

啓示 18:4,5: 「わたしは天から出る別の声がこう言うのを聞いた。『わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである』」。(詳しくは,主要な見出し,「大いなるバビロン」の項参照。)

 組織された宗教に属するのは必要なことですか

大抵の宗教組織は悪い実を生み出してきました。種々の集団が組織化されるということが悪いのではありません。しかし,偽りの教えに基づくだけでなく,純粋の霊的な指導を与える代わりに,大半が儀式から成っている崇拝の方式を助長してきた集団は少なくありません。そのような崇拝の方式は利己的な目的で人々の生活を支配するために誤用されてきました。そのような組織は寄付金を集めることに腐心しており,霊的価値を重視する代わりに,礼拝のための家を飾り立てたりします。それらの組織の会員は多くの場合,偽善的な生活をしています。義を愛する人たちは明らかに,そのような組織に所属したいとは考えません。しかし,真の宗教はそのような崇拝の方式のすべてとは対照的に,人をさわやかにさせるものです。とはいえ,聖書の要求を満たすには,真の宗教も組織されなければなりません。

ヘブライ 10:24,25: 「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い,ある人々が習慣にしているように,集まり合うことをやめたりせず,むしろ互いに励まし合い,その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」。(聖書に基づくこの命令を遂行するには,わたしたちが定常的に出席できる,クリスチャンの集会がなければなりません。そのような取り決めによって,わたしたちは単に自分のことだけを考えるのではなく,他の人に対して愛を表わすよう励まされます。)

コリント第一 1:10: 「さて,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなた方に勧めます。あなた方すべての語るところは一致しているべきです。あなた方の間に分裂があってはなりません。かえって,同じ思い,また同じ考え方でしっかりと結ばれていなさい」。(もし,個人個人が一緒に集まって,霊的に養う同じプログラムの益を受け,そのような教えを用意する代理機関を尊重しないとしたなら,このような一致は決して達成されないでしょう。また,ヨハネ 17:20,21も参照。)

ペテロ第一 2:17: 「仲間の兄弟全体を愛し(なさい)」。(この交わりには,ある特定の個人の家で崇拝を行なうために一緒に集まる人たちだけが含まれているのですか。決してそうではありません。ガラテア 2章8,9節とコリント第一 16章19節が示すように,それは一つの国際的な兄弟関係なのです。)

マタイ 24:14: 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(その良いたよりについて聞く機会をすべての国の民に与えるためには,宣べ伝える業は適切な監督が行なわれる秩序だった仕方で遂行されなければなりません。世界の至る所にいる人々が神と自分たちの仲間の人間に対する愛に動かされて,この業を行なうためにその努力を結集させてきました。)

また,主要な見出し,「組織」の項も参照。

 本当に大切なのは仲間の人間を愛することですか

そのことには疑問の余地がありません。そのような愛は大切です。(ローマ 13:8-10)しかし,クリスチャンであることには,単に自分の隣人に対して親切であるというだけでなく,それ以上の事柄が関係しています。イエスはご自分の真の弟子たちが互いに対する,つまり仲間の信者に対する愛によって顕著な仕方で見分けられると言われました。(ヨハネ 13:35)このことの重要性は聖書の中で繰り返し強調されています。(ガラテア 6:10。ペテロ第一 4:8。ヨハネ第一 3:14,16,17)しかし,イエスは,神のおきてに対するわたしたちの従順によって示される,神ご自身に対するわたしたちの愛のほうがさらに重要であることを示されました。(マタイ 22:35-38。ヨハネ第一 5:3)そのような愛を証明するには,神の言葉を研究し,生活に当てはめ,また崇拝を行なうために神に仕える仲間の僕たちと共に集まり合わなければなりません。

神と個人的な関係を持つことは本当に重要な事柄ですか

それは確かに重要な事柄です。ただ形式的に礼拝に出席したからといって,それに取って代わるものとはなり得ません。しかし,注意する必要があります。それはどうしてですか。1世紀にも,自分では神との良い関係を持っていると思っていたのに,ひどく考え違いをしていたことをイエスから示された人々がいました。(ヨハネ 8:41-44)一見,信仰の点では熱心で,明らかに神との良い関係を持っていると自分では考えていたものの,神の是認を得るには実際に何が求められているかを理解していなかった人々について,使徒パウロも書いています。―ローマ 10:2-4

もし,わたしたちが神のおきてを余り重要でないものとして扱ったとしたなら,わたしたちは神との個人的な良い関係を持つことができるでしょうか。そのおきての一つによれば,わたしたちは仲間の信者と共に定期的に集まらなければなりません。―ヘブライ 10:24,25

 聖書を個人的に読みさえすれば,それで十分ですか

確かに多くの人は聖書を個人的に読むことによって沢山の事柄を学べます。もし,その動機が神とその目的に関する真理について学ぶことであれば,そのような人たちのしている事は大いにほめるべき事柄です。(使徒 17:11)しかし,正直に言って,わたしたちは助けを受けずに聖書全体の意味を本当に十分把握できるでしょうか。聖書は,顕著な地位に就いていながら,聖書預言を理解するのに助けが必要なことを謙遜に認めた,ある男の人について述べています。その助けはクリスチャン会衆の一成員から与えられました。―使徒 8:26-38。使徒 6:1-6; 8:5-17でフィリポに言及している他の箇所と比較。

もちろん,聖書を読んでも,それを自分の生活に当てはめないなら,ほとんど役に立ちません。もし聖書を信じて,それに基づいて行動するなら,その人は会衆の定期的な集会で神の僕たちと交わるようになります。(ヘブライ 10:24,25)その人はまた,「良いたより」を他の人々と分かち合う業に神の僕たちと共に加わるようになります。―コリント第一 9:16。マルコ 13:10。マタイ 28:19,20

  どの宗教組織が正しいかはどうすれば分かりますか

(1)その教えは何に基づいていますか。それは神から出ていますか。それとも,大半は人間から出ていますか。(テモテ第二 3:16。マルコ 7:7)例えば,こう尋ねられます: 神は三位一体であると聖書のどこで教えられていますか。人間の魂は不滅であると聖書のどこに述べられていますか。

(2)その宗教組織が神のみ名を知らせているかどうかを考慮してください。イエスは神への祈りの中でこう言われました。「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名を明らかにしました」。(ヨハネ 17:6)また,次のように言明されました。「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」。(マタイ 4:10)あなたの宗教は,『あなたが崇拝しなければならないのはエホバです』と教えてきましたか。あなたはそのみ名によって明らかに示されている人格的存在としての神を,つまりその方の目的や働きや特質を知るようになり,確信を抱いてその方に近づくことができると感じるようになりましたか。

(3)イエス・キリストに対する真の信仰が実証されていますか。このことには,イエスの人間としての命の犠牲の価値と,イエスが今日,天の王として占めておられる地位とに対する認識が,関係しています。(ヨハネ 3:36。詩編 2:6-8)そのような認識は,イエスに従うことにより,つまりイエスがその追随者たちに割り当てられた業に個人的に,また熱心にあずかることによって示されます。真の宗教には,業を伴うそのような信仰が見られます。―ヤコブ 2:26

(4)その宗教組織は主に儀式つまり形式,それとも生き方を重んじていますか。神は単なる形式主義にすぎない宗教を断固として非としておられます。(イザヤ 1:15-17)真の宗教組織は俗受けする傾向に弱々しく従う代わりに,道徳や清い言葉に関する聖書の規準を擁護します。(コリント第一 5:9-13。エフェソス 5:3-5)その成員は生活の中で神の霊の実を反映させます。(ガラテア 5:22,23)ですから,真の崇拝を固守する人たちは,はっきりと見分けられます。なぜなら,それらの人々は集会の場所だけでなく,家族生活でも,世俗の仕事の際にも,学校でも,また娯楽をする時でも,聖書の規準を自分たちの生活に当てはめるよう誠実に努力するからです。

(5)その宗教組織の成員は本当に互いに愛し合っていますか。イエスはこう言われました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)そのような愛は人種的,社会的,国家的境界を越えて人々を引き寄せ,純粋の兄弟関係に引き入れます。この愛はそれほど強力ですから,それらの人々を本当に異なった存在として際立たせます。諸国民が戦争をする場合,武器を取って他の国のクリスチャンの兄弟を殺すのを拒むほどに兄弟たちを愛しているのはだれでしょうか。初期のクリスチャンはそのように愛し合っていました。

(6)その宗教組織は本当に世から離れていますか。イエスは,ご自分の真の追随者は『世のものではない』と言われました。(ヨハネ 15:19)神の是認なさる仕方で神を崇拝するには,わたしたちは自分自身を「世から汚点のない」状態に保たなければなりません。(ヤコブ 1:27)僧職者や他の教会員が政治に関係している教会の人々,あるいは主に物質主義や肉の欲望を中心にして生活を営んでいる人たちに前述の事柄を当てはめることができますか。―ヨハネ第一 2:15-17

(7)その宗教組織の成員は神の王国について証しをする熱心な証人ですか。イエスはこう予告されました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)自分たちの諸問題を解決するため人間の支配に頼るよう人々を励ますのではなく,神の王国を人類の望みとして本当にふれ告げているのはどんな宗教組織ですか。あなたの属する宗教組織は,この活動に加わり,それもイエスがご自分の使徒たちに行なうよう教えられたとおり,家から家に行ってその業を行なうよう,あなたを備えさせてきましたか。―マタイ 10:7,11-13。使徒 5:42; 20:20

エホバの証人は,自分たちの奉ずる宗教だけが唯一の正しい宗教であると信じていますか

「エホバの証人」の項の99,100ページ参照。

ある人々は信仰を持っているのに,どうして他の人々は持っていないのですか

主要な見出し,「信仰」の項参照。

もし,こう言われたなら ―

『宗教には関心がありません』

こう答えられます: 『そうですか。そのようにおっしゃる方によくお会いします。これまでずっとそのように感じてこられましたか』。それから,こう付け加えられます: 『つくづく考えさせられた事が一つあるのですが,それは今日,教会で教えられている重要な教理がほとんどどれも聖書には出ていないということなんです。(99,100ページの「エホバの証人」の項の資料を,特に王国を強調しながら用いる。95,96ページに略述されているように,エホバの証人が信じている事柄を対比させながら述べる。)』

また,16,17ページも参照。

『宗教の世界には偽善が多すぎます』

こう答えられます: 『そうですね。私もそう思います。説教と実生活とを別問題にしている人は少なくありませんね。しかし,聖書についてはどうお考えですか。(詩編 19:7-10)』

『わたしは幸福な生活をしていますし,隣人を公平に取り扱っています。それで宗教はもう十分です』

こう答えられます: 『幸福な生活をしていらっしゃるようですから,生活を楽しんでおられることと思います。……ここの啓示 21章4節で描かれているような状態のもとで生活するのはいかがでしょうか。……そのような生活にあずかるためには何が必要かについてヨハネ 17章3節が述べることに注目してください』。

また, 210ページも参照。

『組織された宗教には興味がありません。大切なのは神との個人的な関係だと思います』

こう答えられます: 『それは興味深いご意見だと思います。これまでずっとそのようにお考えでしたか。……以前,宗教団体に加わったことがございましたか。……(それから, 209-211ページの資料も使える。)』

『わたしは教会で教えられている事柄すべてに同意しているわけではありませんが,教会を変える必要があるとは思いません。むしろ,自分たちの教会の中で改善を図るよう努力したいと思います』

こう答えられます: 『お話ししてくださって,ありがとうございます。私たちすべてにとって本当に大切なのは神の是認を受けることだと思いますが,そうお考えになりませんか』。それから,こう付け加えられます: (1)『神はここの啓示 18章4,5節で,考えなければならない重要な事柄を私たちすべてに示しておられます。……私たちはたとえ個人としては間違った事をしなくても,そのような事を行なう組織を支持するなら,共にその責めを負うことになると聖書は示しています。(また,主要な見出し,「大いなるバビロン」の項も参照。)』(2)(また, 211-213ページの資料も使える。)(3)『神は真理を愛する人々を求めておられ,一致した崇拝を行なわせるため,そのような人たちを一緒に集めておられます。(ヨハネ 4:23,24)』

『宗教はすべて良いもので,あなたにはあなたの宗教があり,わたしにはわたしの宗教があります』

こう答えられます: 『あなたはきっと心の広い方だと存じます。しかし,わたしたちはみな神の言葉から得られる導きが必要なことをあなたも認めておられると思います。だからこそ,あなたも宗教をお持ちなのではないでしょうか』。それから,こう付け加えられます: 『聖書はこのマタイ 7章13,14節のイエスの言葉の中で,大変貴重な導きをわたしたちに与えております。(読む。)……どうしてそう言えるのでしょうか』。

また, 205,206ページの資料も参照。

『イエスを信じてさえいれば,どんな教会に所属していようと構わないでしょう』

こう答えられます: 『イエスを信ずるのは肝要な事で,その事には疑問の余地がありません。あなたのおっしゃることは,イエスの教えすべてを受け入れるということですね。クリスチャンと称しながら,実際にはその名の意味するところに従って行動していない人々が少なくないことに,あなたもきっとお気づきのことと思います』。それから,こう付け加えられます: (1)『イエスがここのマタイ 7章21-23節で言っておられる事柄に注目してください』。(2)『神のご意志が何かを知り,その後,喜んでそれを行ないたいと願う人たちにはすばらしい将来があります。(詩編 37:10,11。啓示 21:4)』

『あなたはどうして正しい宗教はただ一つしかないと考えているのですか』

こう答えられます: 『大抵,どの宗教組織にも誠実な人たちが確かにいます。しかし,本当に大切なのは,神の言葉が何と言っているかということです。聖書は幾つの真の信仰に言及していますか。ここのエフェソス 4章4,5節に記されている事柄に注目してください』。それから,こう付け加えられます: (1)『これはほかの聖句の述べる事柄と一致しています。(マタイ 7:13,14,21。ヨハネ 10:16; 17:20,21)』(2)『それで,私たちにとって挑戦となるのは,そのような宗教組織を見分けることです。それには,どうすればよいでしょうか。( 211-213ページの資料も使える。)』(3)(また,「エホバの証人」の見出しの95,96ページの項の資料も参照。)

『わたしはとにかく家で自分の聖書を読んで,理解できるよう神に祈っています』

こう答えられます: 『もう聖書全体をお読みになりましたか』。それから,こう付け加えられます: 『通読を続けてゆかれると,マタイ 28章19,20節で大変興味深い点にお気づきになると思います。……それは重要なことです。と言いますのは,真のクリスチャンとなるには何が関係しているかを理解するよう人々を助けるために,キリストが他の人々をお用いになることが示されているからです。それと一致して,エホバの証人は,毎週人々の家庭を訪問し,聖書について1時間ほど無料で話し合うことをお勧めしています。ほんの数分の時間をいただければ,それをどのように行なえるかをお見せできるのですが』。

また, 211ページも参照。

『宗教は個人的な事柄だと思います』

こう答えられます: 『それは今日,ごく普通の見方ですから,もし皆さんが実際に聖書の音信に関心をお持ちでなければ,私たちは喜んでほかの家に参ります。しかし,お宅に伺いましたのは,こうするようイエスがご自分の追随者に命令されたからですが,このことにお気づきでいらっしゃいますか。……(マタイ 24:14; 28:19,20; 10:40)』