第7章

家の中に反抗者がいますか

家の中に反抗者がいますか

1,2 (イ)ユダヤ人の宗教指導者たちの不忠実さを際立たせるため,イエスはどんな例えを話されましたか。(ロ)イエスの例えから,思春期の子供についてどんなことを学べますか。

 イエスは亡くなる数日前,ユダヤ人の宗教指導者のグループに次のような考えさせる質問をなさいました。「あなた方はどう考えますか。ある人に二人の子供がいました。彼は一番目の者のところに行って,『子供よ,今日,ぶどう園に行って働きなさい』と言いました。この者は答えて,『行きます,父上』と言いましたが,出かけて行きませんでした。二番目の者に近づいて,彼は同じことを言いました。この者は答えて,『行きません』と言いました。後ほど彼は後悔して出かけて行きました。この二人のうち,どちらが父の意志を行ないましたか」。ユダヤ人の指導者たちは,「後の者です」と答えました。―マタイ 21:28-31

2 イエスはここで,ユダヤ人の指導者たちの不忠実さを際立たせておられました。彼らは一番目の息子のようです。神のご意志を行なうと約束しておきながら,その約束を守らなかったのです。しかし,親の立場にある多くの人は,イエスが家庭生活をよく理解した上でこの例えを話されたことに気づきます。イエスがたいへん的確に示しておられるように,若い人の考えていることはなかなか分からなかったり,行動の予測もつきにくかったりする場合が多いものです。若い人は思春期には数々の問題を起こすとしても,そうした時を経て,責任感のある,立派な大人に成長してゆきます。十代の反抗という問題を検討するに当たり,このことを念頭に置いておきましょう。

反抗者とはどんな人か

3 自分の子は反抗者だと親が性急に決めつけるべきでないのはなぜですか。

3 時々,あからさまに親に反抗する十代の子供について耳にすることがおありでしょう。もしかしたら,手に負えそうもない十代の子供を抱えている家庭を個人的にご存じかもしれません。しかし,子供が本当に反抗者かどうかを見極めるのは必ずしも容易ではありません。さらに,ある子供は反抗するのに,別の子は,同じ家庭で育ったとしても反抗しないのはなぜかを理解するのが難しい場合もあります。自分の子の一人があからさまな反抗者になりそうな気がするとき,親はどうすべきでしょうか。この質問に答えるためには,まず反抗者とはどういう人かについて取り上げなければなりません。

4-6 (イ)反抗者とはどんな人のことですか。(ロ)十代の子供が時々不従順を示すとき,親はどんなことを思いに留めておくべきですか。

4 簡単に言うと,反抗者とは,故意に,また一貫して自分より上位の権威に逆らったり,抵抗して権威を侮ったりする人のことです。もちろん,『愚かさが子供の心の中にあります』。(箴言 22:15)ですから子供はだれでも,ある時期,親の権威や他の権威に抵抗するものです。身体的にも感情的にも成長を遂げる,いわゆる思春期には,特にそういう傾向が見られます。どんな人でも生活に変化が生じればストレスを感じますが,思春期は変化の連続です。十代の息子さんや娘さんは,子供の段階を卒業して大人への道に足を踏み入れようとしているところです。そのため,思春期に折り合いの悪くなる親子もいます。多くの場合,親は本能的にその思春期の変化にブレーキをかけようとし,十代の子供たちはそのスピードを上げたいと考えます。

5 十代の反抗者は,親の定める価値規準に背を向けます。しかし,何回か不従順な行ないをしたからといって,反抗者になるわけではないことを忘れないでください。さらに,霊的な事柄に関して言えば,最初はほとんど,あるいは全く聖書の真理に関心を示さない子供もいるかもしれません。しかし,その子たちが反抗者というわけではないでしょう。親として,性急にお子さんに反抗者のレッテルを貼ってはなりません。

6 親の権威に反抗するのは,思春期を迎えた若者たちに共通した特色なのでしょうか。決してそうではありません。それどころか,証拠の示すところによれば,思春期にかたくなに反抗するのは,十代の若者のうちのごく少数にすぎないようです。それでも,強情に終始反抗する子供についてはどうですか。何がそうした反抗をかき立てるのでしょうか。

反抗の原因

7 サタンの作り出している環境は,どのように子供の反抗を促すことがありますか。

7 反抗のおもな原因はサタンの影響を受けた世の環境です。『全世界は邪悪な者の配下にあります』。(ヨハネ第一 5:19)クリスチャンは,サタンの支配する世が作り上げてきた,有害な文化と闘わなければなりません。(ヨハネ 17:15)今日,その文化の大部分は,以前よりも下品で危険になり,以前よりも悪影響に満ちています。(テモテ第二 3:1-5,13)親が教育し,警告を与え,守ってあげないなら,年若い子供は容易に「不従順の子らのうちにいま働いている霊」に打ち負かされてしまうおそれがあります。(エフェソス 2:2)このことに関係しているのは仲間の圧力です。聖書は,「愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」と述べています。(箴言 13:20)同様に,この世の霊に染まっている人たちと付き合っている人は,恐らくその霊の影響を受けることでしょう。若い人たちに,神が定められた原則に対する従順が最善の生き方の土台であることを認識させるためには,絶えず助けが必要です。―イザヤ 48:17,18

8 子供の反抗を引き起こす要因としては,どんなことが考えられますか。

8 反抗の別の原因は,家庭環境かもしれません。例えば,親がアルコール依存症だったり,麻薬常用者だったり,配偶者に暴力を振るったりしているなら,十代の子供の人生観はゆがんでしまうことがあります。比較的平穏な家庭でも,子供が,親は自分に全く関心を示してくれないと感じると,いきなり反抗の始まることがあります。とはいえ,十代の反抗を引き起こすのは,必ずしも外部からの影響だけではありません。中には,神が定められた原則を当てはめ,周囲の世から十分に保護してくれる親がいながら,親の定める価値規準に背を向ける子供もいます。なぜでしょうか。恐らく,わたしたちの問題を作り出している別の原因のためでしょう。それは,人間の不完全さです。パウロは,「一人の人[アダム]を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」と述べました。(ローマ 5:12)アダムは利己的な反逆者で,自分の子孫すべてに劣悪な遺産を残しました。一部の若者は自分たちの先祖がしたように反抗の道を選んでいるにすぎないのです。

自由放任のエリと制限を加えすぎたレハベアム

9 子育てにおけるどんな両極端が,子供の反抗を引き起こすかもしれませんか。

9 子育てに関する親の側の平衡の欠けた見方も,十代の反抗を引き起こしてきた要素です。(コロサイ 3:21)子供に厳しい制限を加えたり懲らしめたりする真面目な親もいれば,自由放任主義で,経験の浅い思春期の子供を保護するはずの指針を与えない親もいます。この両極端の間で平衡を取るのは必ずしも容易ではありません。また,子供の必要とする事柄はそれぞれ異なります。ある子供にはほかの子供より余計に気を配る必要があるかもしれません。それでも,制限を加えること,自由放任いずれの場合にも,極端に走ることがいかに危険かということは,聖書中の二つの例を見るとよく分かります。

10 恐らく忠実な大祭司だったと思われるエリが,親としては失格だったのはなぜですか。

10 古代イスラエルの大祭司エリは,父親の立場にありました。40年にわたって仕えたエリは,神の律法に精通していたに違いありません。恐らくエリは,祭司としての通常の務めをたいへん忠実に果たしていたことでしょう。息子のホフニとピネハスに神の律法を教える面でも完璧だったかもしれません。しかし,エリは息子たちに甘すぎました。ホフニとピネハスは,現役の祭司でしたが,自分の食欲と不道徳な欲情を満たすことにしか関心のない「どうしようもない者たち」でした。それにもかかわらずエリは,息子たちが聖なる場所で恥さらしな行ないをしたときも,息子たちにその務めを辞めさせる勇気はなく,ただ弱々しく叱責しただけでした。エリはその自由放任主義により,神よりも息子たちを尊びました。その結果,息子たちはエホバの清い崇拝に反逆し,エリの家全体が災いを被りました。―サムエル第一 2:12-17,22-25,29; 3:13,14; 4:11-22

11 親はエリの間違った例からどんなことを学べますか。

11 こうしたことが起きたとき,エリの子供たちはすでに大人になっていました。しかしこの歴史上の出来事は,懲らしめを差し控えることの危険性を強力に示しています。(箴言 29:21と比較してください。)ある親たちは,愛情と自由放任を取り違え,明確で首尾一貫した,道理にかなった規則を設けてそれを実際に当てはめることをしません。神の定められた原則が犯されても,愛ある懲らしめを与えることを怠るのです。そういう自由放任が原因で,子供たちは親の権威にも,あるいは他のどんな権威にも注意を払わなくなってしまうかもしれません。―伝道の書 8:11と比較してください。

12 権威を行使する上で,レハベアムはどんな間違いを犯しましたか。

12 権威を行使する際のもう一方の極端な例は,レハベアムです。この人はイスラエル統一王国の最後の王でしたが,良い王ではありませんでした。レハベアムが相続した土地に住む人々は,彼の父ソロモンから課された重荷のために不満を抱いていました。レハベアムは理解を示しましたか。いいえ,示しませんでした。代表者が圧制的な施策を幾らか取り除いてくれるよう願い出たとき,レハベアムは年長の助言者たちの賢明な進言に注意を払わず,民のくびきをさらに重くするよう命じました。その尊大な態度は北の十部族の反逆を引き起こし,王国は二つに分裂しました。―列王第一 12:1-21。歴代第二 10:19

13 どうすれば親はレハベアムと同じ間違いを犯さずにすみますか。

13 親の立場にある人々は,レハベアムに関する聖書の記述から幾つかの大切な教訓を学べます。親は,祈りのうちに『エホバを尋ね求め』,子育ての方法を聖書の原則に照らして吟味する必要があります。(詩編 105:4伝道の書 7章7節は,「単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあ(る)」と述べています。考え抜かれた上での制限は,思春期の子供たちを危害から守る一方,成長の余地も与えます。しかし,子供が適度の自立心や自信を育むのを阻まれるほど,厳格で規則ずくめの環境の中で暮らすのは望ましくありません。親が,適度な自由と,はっきりと分かるしっかりした制限との間の平衡を取るよう懸命に努力するなら,十代の子供のほとんどは,それほど反抗したいとは思わなくなるでしょう。

反抗は,基本的な必要を満たせば未然に防げる

十代の問題を克服するよう親が子供を助けるなら,恐らく子供はさらにしっかりとした大人に成長する

14,15 親は子供の成長をどう見るべきですか。

14 親は,年若い子供が幼児期から大人へと身体的に成長するのを見て喜びを感じる反面,自分に頼っていた子供が思春期にしかるべき自立心を示し始めると,戸惑いを覚えるかもしれません。この過渡期に,十代のお子さんが多少強情になり,協力的でなくなることがあっても驚くには及びません。親の立場にあるクリスチャンの目標は,円熟してしっかりとした,責任感のあるクリスチャンを育てることであるということを忘れないでください。―コリント第一 13:11; エフェソス 4:13,14と比較してください。

15 難しいことかもしれませんが,思春期の子供がもっと自分のしたいようにさせてほしいと言うとき,それをいつもはねつけてしまうような習慣は断ち切らなければなりません。子供は一人の人間として健全な成長を遂げる必要があります。実際,ある十代の若者たちは比較的若くして,非常に大人びた見方をするようになります。例えば,聖書は年若いヨシヤ王について,「彼はまだ[15歳ぐらいの]少年であったが……ダビデの神を求め始めた」と述べています。この傑出した十代の若者が責任感のある人であったことは明らかです。―歴代第二 34:1-3

16 子供たちは,より大きな責任を与えられるとき,どんなことを認めるべきですか。

16 しかし,自由には責任が伴います。ですから,大人になりかけているお子さんには,自分が下した決定や自分の行動の結果を幾らか体験させましょう。「何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」という原則は,大人だけでなく十代の若者にも当てはまるのです。(ガラテア 6:7)子供たちは永遠に親の保護のもとにいられるわけではありません。しかし,絶対に容認できないことをお子さんがしたがる場合はどうですか。責任感のある親なら,当然「ノー」と言うべきです。また,その理由を説明するにしても,決してそのノーを,イエス,と言い換えてはなりません。(マタイ 5:37と比較してください。)とはいえ,穏やかに,分別を働かせて「ノー」と言うように心がけてください。「温和な答えは激しい怒りを遠ざけ(る)」からです。―箴言 15:1

17 親は十代の子供のどんな必要を満たすべきですか。

17 若い人は必ずしもすぐに制限や規則に同意するわけではありません。それでも,一貫した懲らしめが与えられるという安心感を抱いていることが必要です。その時々の親の気分でしょっちゅう規則が変わるとすれば,子供はいらいらします。それに加えて,臆病,内気,自信のなさに対処するための励ましや助けが必要に応じて与えられれば,十代の子供はさらにしっかりとした大人に成長することでしょう。十代の子供はまた,親に信頼されるようになると,それをうれしく思うものです。―イザヤ 35:3,4; ルカ 16:10; 19:17と比較してください。

18 十代の若者に関してどんな励みとなる事実がありますか。

18 家庭内が平和で,安定しており,愛に満ちていると,子供たちは一般にはつらつとしてきます。そのことを知っていれば,親は気持ちが楽になります。(エフェソス 4:31,32。ヤコブ 3:17,18)もちろん,アルコール依存症や暴力など,有害な影響力の強い家庭にいても,そういうひどい家庭環境をものともせず,立派な大人に成長した若者も少なくありません。ですから,十代のお子さんが安心感を抱き,自分は必ず愛され,注意を払ってもらえると思えるような家庭を作るなら,そうした援助が聖書の原則に調和した,道理にかなった制限や懲らしめを伴う場合でさえ,お子さんはあなたが誇りに思えるような大人に成長するに違いありません。―箴言 27:11と比較してください。

子供が難しい事態に陥ったとき

19 親は少年をその行くべき道にしたがって育て上げるべきですが,子供にもどんな責任がありますか。

19 きちんと親の役目を果たすかどうかで,確かに結果は大きく異なってきます。箴言 22章6節は,「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」と述べています。それでも,良い親がいながら重大な問題に陥ってしまう子供についてはどうですか。そんなことが実際にあるのでしょうか。確かにあります。上記の格言は,子供には親に「聴き従(い)」,親に従う責任があることを強調した他の聖句に照らして理解する必要があります。(箴言 1:8)和やかな家庭を築くには,親子双方が協力して聖書の原則を当てはめなければなりません。親と子が一緒に努力しないなら,難しい問題が生じることになります。

20 思慮を欠いて子供が過ちを犯すとき,親はどんな賢明な取り組み方ができますか。

20 十代の子供が過ちを犯し,面倒な問題を起こした場合,親はどうすべきでしょうか。そういう時こそ,若い人には助けが必要です。親が,経験の浅い若者を相手にしていることを忘れないようにすれば,感情をむき出しにしたくなる気持ちを抑えやすくなります。パウロは会衆内の円熟した人たちに,「たとえ人がそれと知らずに何か誤った歩みをする場合でも,霊的に資格のあるあなた方は,温和な霊をもってそのような人に再調整を施すことに努め……なさい」と助言しました。(ガラテア 6:1)親も,思慮を欠いて間違いを犯す若い人を扱うとき,これと同じ方法に従うことができます。親は,その子の行ないがなぜ間違っていたのか,間違いを繰り返さないためにはどうしたらよいかをはっきりと説明しながらも,悪いのはその子本人ではなく,間違った行為であることを明らかにするべきです。―ユダ 22,23と比較してください。

21 子供が重大な罪を犯したなら,親はクリスチャン会衆の例に倣って,どう対応すべきですか。

21 若い人が非常に重大な非行に走った場合はどうですか。そういう場合,子供には特別の援助や巧みな指導が必要です。会衆の成員が重大な罪を犯したとき,その人は悔い改め,援助を求めて長老たちに近づくよう勧められています。(ヤコブ 5:14-16)その人がひとたび悔い改めたなら,長老たちはその人の霊的な回復を目指して当人と一緒に努力します。家庭内では,過ちを犯した十代の子供を助ける責任は親にあります。もっとも,親はそのことを長老たちと話し合う必要があるかもしれません。どんなものであれ,親は自分の子供のうちのだれかが犯したゆゆしい罪を,決して長老団に隠そうとするべきではありません。

22 自分の子供が重大な間違いを犯したなら,親はエホバに倣ってどんな態度を保つよう心がけますか。

22 自分の子供が重大な問題にかかわっているというのは,大変つらいものです。親は取り乱して,怒りの気持ちから,片意地な子供を脅したくなるかもしれませんが,それは子供を憤慨させるだけでしょう。その子の将来は,その重大な時期にどんな扱いを受けるかで決まってしまうかもしれません。そのことを心に留めてください。また,エホバは,正道からそれたご自分の民が悔い改めさえするなら,いつでも許そうとしておられたことも忘れないようにしましょう。エホバの愛ある言葉を聴いてください。「『さあ,来るがよい。わたしたちの間で事を正そう』と,エホバは言われる。『たとえあなた方の罪が緋のようであっても,それはまさに雪のように白くされ,たとえ紅の布のように赤くても,まさに羊毛のようになる』」。(イザヤ 1:18)親にとって本当にすばらしい模範です。

23 親は子供たちの一人が重大な罪を犯したとき,どのように行動すべきですか。どんなことは避けるべきですか。

23 ですから,その片意地な子供が歩みを変えるよう励ますことに努めてください。経験を積んだ親や会衆の長老たちに健全なアドバイスを求めることです。(箴言 11:14)衝動的に行動したり,子供があなたのもとへ戻って来にくくなるようなことを言ったりしたりしないよう努力してください。憤りやつらい気持ちをぶつけるのはやめましょう。(コロサイ 3:8)すぐにあきらめないでください。(コリント第一 13:4,7)悪を憎むとはいえ,子供につらく当たったり,敵意を抱いたりはしないでください。一番重要なこととして,親は立派な模範を示し,神に対する子供たちの信仰が弱らないよう懸命に努力すべきです。

決意の固い反抗者を扱う

24 クリスチャンの家庭にも時々どんな痛ましい状況が生じますか。親はそれにどう対応すべきですか。

24 時には,若者が固く決意した上で反抗し,キリスト教の価値規準を完全にはねつけたことが明らかになる場合もあります。その場合は,注意を向ける方向を変え,ほかの子供たちの家庭生活を守り,立て直すことに集中すべきです。全精力を反抗者に注ぎ込み,ほかの子供たちをないがしろにすることのないよう注意してください。問題を家族のほかの者たちに内緒にしようとするのではなく,妥当な線まで,また元気づけるような方法でその問題について一緒に話し合ってください。―箴言 20:18と比較してください。

25 (イ)子供が決意の固い反抗者になる場合,親はクリスチャン会衆の例に倣って,どのように事を進めなければなりませんか。(ロ)子供の一人が反抗したなら,親はどんなことを心に留めておくべきですか。

25 使徒ヨハネは,会衆内で矯正不能な反抗者となる人について,「[その人を]決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません」と言いました。(ヨハネ第二 10)親は,成年に達した自分の子供が徹底して反抗的になる場合,これと同様の立場を取る必要があると考えるかもしれません。そうするのはつらくて胸の痛むことかもしれませんが,家族のほかの者たちを守るためには時としてどうしても必要です。親は家族を守り,家族に絶えず気を配る必要があります。ですから,行動に関する明確で道理にかなった制限はなくさないでください。ほかの子供たちと話し合ってください。その子たちが学校や会衆内でどうしているかに関心を払いましょう。また,ほかの子供たちには,自分はその反抗的な子供の行動を是認していないものの,その子を憎んではいないことを知らせてください。子供をとがめるというよりも,悪行をとがめるのです。ヤコブは,二人の息子がその残虐な行ないのために家族をのけ者にならせたとき,息子たち自身ではなく,二人の激しい怒りをのろいました。―創世記 34:1-31; 49:5-7

26 子供の一人が反抗するとしても,誠実な親はどんなことから慰めを得られますか。

26 親の皆さんは自分の家族に生じた事柄に対して責任を感じるかもしれません。しかし,エホバの助言に従い,できるだけのことをして祈りのうちに手を尽くしたなら,過度に自分を責める必要はありません。だれも完全な親にはなれないこと,それでも自分は良い親になろうと誠実に努力したことを考えれば慰められます。(使徒 20:26と比較してください。)家庭内にあからさまな反抗者がいれば胸は痛みますが,万一そうした状況になったとしても,神は理解してくださり,ご自分の献身的な僕を決して見捨てたりはなさらないことを確信してください。(詩編 27:10)ですから,ほかの子供たちのために,家庭を安全で霊的な安らぎの場にしておくよう決意してください。

27 反抗的な子供を持つ親は,放とう息子のたとえ話を思いに留め,どんな希望を持つことができますか。

27 さらに,希望を捨てるべきではありません。正しいしつけをするために払った以前の努力が,やがては脇道にそれた子供の心を動かし,健全な考え方を取り戻させるかもしれません。(伝道の書 11:6)たくさんのクリスチャン家族があなたと同じ経験をしてきました。中には,あたかも放とう息子に関するイエスのたとえ話に出てくる父親のように,片意地な子供が戻って来るのを見ることができた家族もいます。(ルカ 15:11-32)あなたにも同じことが起きるかもしれません。