内容へ

目次へ

第10章

「神に倣って」力を使う

「神に倣って」力を使う

1. かんぜんにんげんはよくどんなわなにおちいりますか。

 ちからにはかならずとっていいほどわながひそんでいる」。19せいじんべたこのことは,ちからようされることがおおいというじつちゅういています。ざんねんなことに,かんぜんにんげんはよくそのわなにおちいります。れきつうじて,「ひとひとはいし,ひとがいおよぼして」きました。(でんどうしょ 8:9あいのないかたちからるわれ,おおくのひとくるしんできました。

2-3. (ア)エホバのちから使つかかたにんげんとどうちがいますか。(イ)にんげんにはどんなちからがありますか。そのちからをどのように使つかうべきですか。

2 いっぽうげんちからつエホバかみは,けっしてそのちからようしません。これまでのしょうかんがえたとおり,エホバはそうぞうするちからかいするちからするちからかいふくさせるちからを,ぶんもくてき沿って,いつでもあいあらわしながら使つかいます。エホバのちから使つかかたについてかんがえると,わたしたちはエホバにけられます。そして,「かみならって」ちから使つかいたいというちになります。(エフェソス 5:1)では,かよわにんげんであるわたしたちにはどんなちからがあるのでしょうか。

3 わたしたちがよくっているように,にんげんは「かみものとして」そうぞうされました。(そうせい 1:26,27)そのため,すこしとはいえちからがあります。たとえば,たいりょくごとたすのうりょくけんりょくひとへのえいきょうりょくりょくなどです。へんさくしゃいているとおり,エホバはわたしたちの「いのちみなもと」です。(へん 36:9)ですから,わたしたちがちからはどれも,エホバからあたえられたものだとえます。それで,エホバによろこんでもらえるようにちから使つかいたいとおもいます。どうすればそうできるでしょうか。

かぎあい

4-5. (ア)ちからただしく使つかうためのかぎなんですか。かみはどんなほんしめしていますか。(イ)あいがあれば,どのようにちからただしく使つかえますか。

4 ちからただしく使つかうためのかぎは,あいです。そのことがかみほんからよくかります。だい1しょうかんがえたように,かみの4つのおもせいしつちからこうせいあいです。そのなかもっとじゅうようなのはどれでしたか。あいです。ヨハネだいいち 4しょう8せつに「かみあい」とあるとおり,あいかみほんしつであり,かみおこなうことすべてにあらわれています。ですから,かみはいつもあいもとづいてちから使つかい,それはかみあいするひとたちのためになります。

5 わたしたちもあいあらわして,ちからただしく使つかいたいものです。せいしょによるとあいは「しんせつ」で,「ぶんのことばかりかんがえ」ません。(コリントだいいち 13:4,5)ですからあいがあれば,ぶんまもするひとたちにたいして,きびしくてつめたいたいったりすることはないはずです。あいそんちょうし,ぶんのことよりもあいがどんなちでなにひつようとしているかをかんがえます。(フィリピ 2:3,4

6-7. (ア)かみへのおそれとはどういうものですか。かみへのおそれがあればちからようけられるのはどうしてですか。(イ)かみおそれるひとかみあいしているということを,どんなたとえでせつめいできますか。

6 あいかみへのおそれともかんけいがあります。かみへのおそれがあれば,ちからようけられます。かくげん 16しょう6せつには,「エホバへのおそれによって,ひとあくからとおざかる」とかれています。かみおそれるひとは,ぶんまもするひとたちにひどいことをしたりはしません。ひとたいするたいこうどうについてかみせきにんわれることをっているからです。(ネヘミヤ 5:1-7,15)でも,たんけっおそれるということではありません。「おそれ」とやくされているげんおおくのあいふかけいけいちをあらわしています。せいしょなかで,おそれがかみへのあいむすけられているのはそのためです。(しんめい 10:12,13かみおそれるひとは,かみほんとうあいしているので,かみよろこばれないことはぜったいにしたくないとかんがえます。

7 おさなどもちちおやかんけいたとえてみましょう。どもは,おとうさんのあたたかいあいじょうかんじています。どうに,おとうさんにどんなことをたいされているかもかっていて,わるいことをすればおこられるということをっています。だからといって,いつもおとうさんをおそれてびくびくしたりはしません。おとうさんのことがだいきです。おとうさんがよろこんでくれることをしたいとおもっています。かみへのおそれは,そのようなちです。わたしたちはてんのおとうさんエホバをあいしているので,エホバをかなしませるようなことはしたくありません。(そうせい 6:6)エホバによろこんでもらいたいとおもっています。(かくげん 27:11)そのためにちからただしく使つかいたいとおもうのです。では,どうすればそうできるか,さらにかんがえてみましょう。

ていない

8. (ア)おっとはどんなけんあたえられていますか。どうすべきですか。(イ)おっとつまたいせつにしていることをどのようにしめせますか。

8 ていないではどうでしょうか。エフェソス 5しょう23せつによると,おっとは「つまかしら」としてリーダーシップをけんかみからあたえられています。では,どうすべきでしょうか。せいしょなかおっとは,「しきもとづいてつまらし……よりせんさいうつわ[である]つまたいせつにしましょう」とすすめられています。(ペテロだいいち 3:7)「たいせつ」とやくされているギリシャには「ひょう」とか「けい」というもあり,「おくもの」や「ちょう」とやくされていることもあります。(使 28:10。ペテロだいいち 2:7つまたいせつにするおっとは,けっしてつまぼうりょくるったり,はじをかかせたり,つまけいしたりはしません。つまぶんにはがないとかんじるようなことがないようにします。つまたかひょうし,けいはらいます。2人ふたりだけのときひとまえでも,つまぶんにとってだいそんざいであることをげんどうしめします。(かくげん 31:28)そのようなおっとつまからあいされうやまわれるだけでなく,かみよろこばれます。

ぶんちからただしく使つかおっとつまは,たがいにあいけいしめ

9. (ア)つまにはどんなやくわりがありますか。(イ)どんなことをしきしていれば,おっとをサポートするためにちからくせますか。そうするとどんないことがありますか。

9 つまにもていないたいせつやくわりがあります。せいしょてくる,かみしたがじょせいたちは,かしらであるおっとうやまいつつ,おっといことをおこなえるようにささえたり,ちがったはんだんをしないようにたすけたりしました。(そうせい 21:9-12; 27:46–28:2つまおっとよりあたまかいてんはやいとか,おっとにできないことができるということもあるでしょう。それでも,つまおっとを「ふかうやま」い,「しゅしたがうのとおなじようにおっとしたが」うべきです。(エフェソス 5:22,33)いつもかみよろこんでもらいたいとおもっていれば,つまおっとくだしたりしゅどうけんにぎろうとしたりせず,おっとをサポートするためにちからくせるでしょう。そのような「ほんとうかしこじょせい」は,おっとによくきょうりょくしてていきずき,かみともへいかんけいでいられます。(かくげん 14:1

10. (ア)おやにはかみからあたえられたどんなけんがありますか。(イ)「どう」ということにはどんながありますか。おやどもをどのようにどうするひつようがありますか。(きゃくちゅうさんしょう。)

10 おやにも,かみからあたえられたけんがあります。せいしょはこうすすめています。「ちちおやは,どもをいらたせないようにし,エホバがのぞどうじょげんによってそだててください」。(エフェソス 6:4)ここで「どう」とやくされていることには,しつける,くんれんする,おしえる,といったがあります。どもどうひつようとしていて,してはいけないことなどをはっきりおしえてもらえるとあんしんします。せいしょによると,おやどもあいじょうぶかどうするひつようがあります。(かくげん 13:24)ですから,「らしめ」をあたえるあいも,どもからだこころきずつけてはなりません。 aかくげん 22:15; 29:15あいかんじられないきびしいどうをするおやは,ぶんたちのけんただしく使つかっておらず,どもらくたんさせかねません。(コロサイ 3:21ぎゃくに,バランスのれたどうをするなら,どもぶんおやあいされたいされているのをかんじます。

11. どもはどうすればぶんちからただしく使つかえますか。

11 どもは,どうすればぶんちからただしく使つかえるでしょうか。かくげん 20しょう29せつには,「わかひとらしさはちから」とあります。わかひとぶんたいりょくのうりょく使つかってできるもっとらしいことは,「だいそうぞうしゃ」につかえることです。(でんどうしょ 12:1)さらにどもは,ぶんこうどうによっておやよろこばせることもあればかなしませることもある,ということをおぼえておくべきです。(かくげん 23:24,25かみおそれるおやしたがい,ただしいかたをするどもは,おやよろこばれます。(エフェソス 6:1)それだけでなく,「しゅにとてもよろこばれます」。(コロサイ 3:20

かいしゅうない

12-13. (ア)かみからけんあたえられているちょうろうたちは,どのようにこうどうするひつようがありますか。(イ)ちょうろうたちがれをだいすべきなのはどうしてですか。

12 エホバは,クリスチャンかいしゅうないかんとくたちがおしみちびくようにしています。(ヘブライ 13:17かみからけんあたえられているちょうろうたちは,れをまもってたすけなければなりません。けっしてきょうだいまいたいしてったりはしません。エホバがかんとくたちになにのぞんでいるかをただしくかいし,かいしゅうないけんそんこうどうするひつようがあります。(ペテロだいいち 5:2,3せいしょなかかんとくたちは,「かみかいしゅうぼくしゃとしてする」ようにとわれています。「そのかいしゅうかみぶんによってった」からです。(使 20:28)そのことをかんがえると,れの一人ひとり一人ひとりやさしくしなければならないことがよくかります。

13 たとえでかんがえてみましょう。したしいゆうじんからたいせつものあずかったとします。そのゆうじんたいきんはらってったものです。あなたはさいしんちゅうはらってそれをだいあつかうのではないでしょうか。おなじように,かみちょうろうたちにとてもたいせつなものをあずけました。それはかいしゅうです。ちょうろうたちはかいしゅうなか一人ひとり一人ひとりひつじのようにするせきにんあたえられています。(ヨハネ 21:16,17)エホバはぶんひつじをとてもだいおもっています。ひとイエス・キリストのちょうというさいこうだいはらってったほどです。けんそんちょうろうたちはそのことをこころめ,エホバのひつじだいします。

したちから

14. したにはどんなちからがありますか。

14 せいしょには,「いのちしたちからはいされる」とかれています。(かくげん 18:21したにはおおきなちからがあって,ひどいことひときずつけてしまうことがあります。あなたも,おもいやりのないことをわれたり,ばかにされたりしたことがあるかもしれません。でも,したにはポジティブなちからもあります。かくげん 12しょう18せつによると,「かしこひとたちのしたひとやす」ことができます。しんせつやさしいことくとげんづけられたり,さわやかなちになったりします。れいかんがえてみましょう。

15-16. したちから使つかってどのようにひとはげませますか。

15 テサロニケだいいち 5しょう14せつでは,「ちしているひとなぐさめのことけ……てください」とすすめられています。エホバにちゅうじつつかえてきたひとでも,ちすることがあります。どうすればたすけになれるでしょうか。そのひとがエホバからたいせつおもわれていることをおもこせるように,たいてきこころからめてください。「こころきずついたひと」や「ちのめされたひと」をエホバがふかづかってあいしていることをしめす,はげみになるせいいっしょみましょう。(へん 34:18ひとなぐさめるためにしたちから使つかうようにするなら,「ちしているひとなぐさめる」おもいやりぶかかみならっていることになります。(コリントだい 7:6

16 したちからじょう使つかえば,げんがないひとはげませます。たとえば,ぞくともだちくしたきょうだいまいがいるでしょうか。づかいやおもいやりがつたわることければ,かなしんでいるひとなぐさめられます。ぶんやくっていないとかんじているねんぱいきょうだいまいがいますか。よくことえらんで,そのひとたちのことをだいおもっていることをつたえましょう。まんせいてきびょうなやまされているひとがいますか。ってはなしたり,でんをしたり,がみやメールをおくったりしてやさしくづかうなら,びょうひとげんるかもしれません。わたしたちがはなのうりょく使つかって「はげましのことべ」るときそのちからあたえたそうぞうしゃはとてもよろこびます。(エフェソス 4:29

17. したちから使つかっておこなえるいちばんじゅうようなことはなんですか。それをおこなうべきなのはどうしてですか。

17 したちから使つかっておこなえるいちばんじゅうようなことは,かみおうこくらせをつたえることです。かくげん 3しょう27せつには,「あなたにたすけるちからがあるときに,ぜんおこなうべきあいにそうせずにいてはならない」とかれています。わたしたちには,いのちすくらせをひろめるがあります。エホバからたくされたきんきゅうなメッセージをつたえないわけにはいきません。(コリントだいいち 9:16,22)では,エホバはわたしたちがでんどうをどのていおこなうことをたいしているのでしょうか。

らせをつたえることは,ぶんちから使つかっておこなえるとてもたいせつなこと

ちからくし」てエホバにつかえる

18. エホバはわたしたちにどんなことをたいしていますか。

18 わたしたちはエホバをあいしているので,クリスチャンとしてじゅうぶんでんどうしたいとおもいます。そのてんでエホバがわたしたちにたいしていることは,きょうぐうかんけいなくだれにでもできます。それは,「なにをしていても,ひとのためではなくエホバのためにするように,ぶんすべてをくしておこな」うことです。(コロサイ 3:23)イエスも,いちばんだいなおきてについてかれたとき,こういました。「こころくし,りょくくし,ちからくし,ぶんすべてをくして,あなたのかみエホバをあいさなければならない」。(マルコ 12:30)エホバがのぞんでいるのは,わたしたちがぶんすべてをくしてエホバをあいし,エホバにつかえることです。

19-20. (ア)マルコ 12しょう30せつに「ぶんすべて」とあるのに,「こころ」や「りょく」などもげられているのはどうしてですか。(イ)ぶんすべてをくしてかみつかえるとはどういうことですか。

19 マルコ 12しょう30せつで,「ぶんすべて」をくしてとっているのに,それにふくまれる「こころ」や「りょく」などがべっげられているのはどうしてでしょうか。たとえでかんがえてみましょう。せいしょだいに,ひとぶんしんれいとしてることがありました。いわば,そのひとすべてがしゅじんのものになりました。それでも,れいかならずしもこころくしてしゅじんつかえたり,ぶんたいりょくりょくくしてしゅじんのためにはたらいたりはしなかったかもしれません。(コロサイ 3:22)ですから,イエスがあえて「こころ」や「りょく」などをげたのは,かみほうするときなにしみしてはいけないということをきょう調ちょうするためだったのでしょう。ぶんすべてをくしてかみつかえるとは,ぶんたいりょくりょくなどをさいだいげん使つかってかみほうすることです。

20 ひとはそれぞれきょうぐうのうりょくちがうので,みなおなじようにでんどうおこなえるわけではありません。たとえば,けんこうたいりょくがあるわかひとほうが,としってたいりょくおとろえたひとよりもおおくのかんでんどうできるでしょう。また,がるどくしんひとほうが,ぞくをしなければならないひとよりもおおくのことをおこなえるものです。たいりょくじょうきょうめぐまれていて,たくさんでんどうできるなら,それはうれしいことです。じゅうぶんにやっていないようにおもえるひとたちをはんするようなことは,けっしてしたくありません。(ローマ 14:10-12)それぞれができることをせいいっぱいおこなえるように,はげましいましょう。

21. ぶんちから使つかっておこなえるもっとらしいことはなんですか。

21 エホバは,ちからただしく使つかてんかんぜんほんしめしています。わたしたちはかんぜんですが,できるかぎりエホバにならいたいとおもいます。ぶんまもするひとたちをそんちょうし,やさしくせっしましょう。また,エホバからゆだねられている,いのちすくでんどうかつどうを,ぶんすべてをくしておこないましょう。(ローマ 10:13,14わたしたちがエホバのためにベストをくすとき,エホバはよろこんでくださいます。とてもあいじょうぶかおもいやりがあるかみつかえることこそ,ぶんちから使つかっておこなえるもっとらしいことです。そのためにできることはなんでもしたいとおもうのではないでしょうか。

a らしめの「むち」や「ぼう」とやくされているヘブライは,せいしょだいひつじいがひつじやさしくみちびくのに使つかったぼうやつえをしています。(へん 23:4)ですからおやは,どもきびしくしょばつするのではなく,あいじょうめてみちびくことがたいされています。