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第​8​章

神は清い人々を愛される

神は清い人々を愛される

『自ら​を​清く​保つ​者​に​は,あなた​は​ご自身​を​清い​者​と​し​て​示さ​れ​ます』。―詩編 18:26

1‐3 (イ)子ども​が​小ぎれい​な​身なり​を​し​て​いる​こと​を​母親​が​確かめる​の​は​なぜ​です​か。(ロ)エホバ​が​ご自分​の​崇拝​者​たち​に​清さ​を​求め​て​おら​れる​の​は​なぜ​です​か。自ら​を​清く​保つ​動機​付け​と​なる​の​は​何​です​か。

母親​が​子ども​に​外出​の​支度​を​させ​て​い​ます。入浴​し​た​こと,小ぎれい​な​服装​を​し​て​いる​こと​を​確かめ​ます。母親​は​知っ​て​い​ます。清潔​さ​は​子ども​の​健康​の​かぎ​で​あり,子ども​の​外見​は​親​の​誉れ​と​も​恥​と​も​なる​の​です。

2 天​の​父​エホバ​は,ご自分​の​僕​たち​に​清さ​を​求め​て​おら​れ​ます。み言葉​に​こう​あり​ます。『自ら​を​清く​保つ​者​に​は,あなた​は​ご自身​を​清い​者​と​し​て​示さ​れ​ます』。 *詩編 18:26)エホバ​は,わたしたち​を​愛し​て​おら​れ,清さ​を​保つ​こと​が​わたしたち​に​とっ​て​最善​で​ある​こと​を​ご存じ​です。また,ご自分​の​証人​で​ある​わたしたち​が​ご自分​の​誉れ​と​なる​こと​も​期待​し​て​おら​れ​ます。わたしたち​の​清い​外見​と​りっぱ​な​行動​は,エホバ​と​その​聖​なる​名に,非難​で​は​なく​栄光​を​もたらす​の​です。―エゼキエル 36:22。ペテロ​第​一 2:12

3 神​が​清い​人々​を​愛さ​れる​と​いう​知識​は,清さ​を​保つ​動機​付け​と​なり​ます。わたしたち​は,神​を​愛し​て​いる​の​で,神​の​賛美​と​なる​生き方​を​し​たい​と​願っ​て​い​ます。神​の​愛​の​うち​に​とどまり​たい​と​も​願っ​て​い​ます。では,以下​の​点​を​考え​ましょ​う。清さ​を​保つ​べき​な​の​は​なぜか。清く​ある​こと​に​は​何​が​含ま​れる​か。どう​すれ​ば​自ら​を​清く​保てる​か。こう​し​た​点​を​考える​と,改善​す​べき​分野​が​ある​か​どう​か​が​分かり​ます。

清さ​を​保つ​べき​な​の​は​なぜか

4,5 (イ)清さ​を​保つ​べき​主​な​理由​は​何​です​か。(ロ)エホバ​の​清さ​は,目​に​見える​創造​物​の​うち​に​どの​よう​に​反映​さ​れ​て​い​ます​か。

4 エホバ​は​手本​に​よっ​て​わたしたち​を​導い​て​おら​れ​ます。それ​で​み言葉​は,「神​を​見倣う​者​と​なり​なさい」と​促し​て​い​ます。(エフェソス 5:1)清さ​を​保つ​べき​主​な​理由​は​ここ​に​あり​ます。わたしたち​の​崇拝​する​神​エホバ​は,あらゆる​点​で​清く​清浄​で​聖​なる​方​な​の​です。―レビ​記 11:44,45

5 エホバ​の​数多く​の​特質​や​道​は,目​に​見える​創造​物​の​うち​に​反映​さ​れ​て​い​ます​が,清さ​も​同様​です。(ローマ 1:20)地球​は,人間​の​清い​住まい​と​し​て​設計​さ​れ​まし​た。エホバ​は,空気​と​水​を​浄化​する​生態​学​的​サイクル​を​設け​て​おら​れ​ます。微生物​が​いわば​清掃​局​の​作業​員​と​し​て​働き,廃棄​物​を​無害​な​もの​に​変え​て​い​ます。科学​者​たち​は​そう​し​た​食欲​旺盛​な​微生物​を​利用​し​て,原油​流出​など,人間​の​利己​心​や​貪欲​さ​に​起因​する​汚染​を​除去​し​て​い​ます。「地​を​造っ​た​方」が​清潔​さ​を​重視​し​て​おら​れる​こと​は​明らか​です。(エレミヤ 10:12)わたしたち​も​それ​を​重視​す​べき​です。

6,7 モーセ​の​律法​は,エホバ​を​崇拝​する​人​に​清さ​が​求め​られる​こと​を​どの​よう​に​強調​し​て​い​まし​た​か。

6 清さ​を​保つ​べき​別​の​理由​は,主権​者​なる​支配​者​エホバ​が​崇拝​者​に​清さ​を​要求​し​て​おら​れる​こと​です。エホバ​が​イスラエル​に​お与え​に​なっ​た​律法​の​下​で​は,清さ​と​崇拝​は​不可分​でし​た。律法​の​規定​に​よれ​ば,贖罪​の​日​に​大​祭司​は,一度​で​は​なく​二​度,水​を​浴び​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。(レビ​記 16:4,23,24)職務​を​行なう​祭司​は,エホバ​へ​の​犠牲​を​ささげる​前​に​手​と​足​を​洗う​こと​が​求め​られ​て​い​まし​た。(出エジプト​記 30:17‐21。歴代​第​二 4:6)律法​は,身体​的​また​儀式​上​の​汚れ​の​原因​と​なる​事柄​を​70​ほど​挙げ​て​い​ます。汚れ​た​状態​に​ある​イスラエル​人​は,崇拝​に​参加​し​て​は​なり​ませ​ん​でし​た。違反​する​なら​死​に​処さ​れる​場合​も​あり​まし​た。(レビ​記 15:31)水​を​浴びる​こと​や​衣服​を​洗う​こと​など,求め​られ​て​いる​浄め​の​手順​を​踏ま​ない​人​は,『会衆​の​中​から​断た​れる』こと​に​なっ​て​い​まし​た。―民数記 19:17‐20

7 わたしたち​は​モーセ​の​律法​の​下​に​は​あり​ませ​ん​が,その​律法​を​通し​て​神​の​お考え​を​洞察​でき​ます。ここ​で​見​た​とおり,律法​は,神​を​崇拝​する​人​に​清さ​が​求め​られる​こと​を​強調​し​て​い​まし​た。エホバ​の​見方​は​今​も​変わっ​て​い​ませ​ん。(マラキ 3:6)わたしたち​の​崇拝​も,「清く,汚れ​の​ない」もの​で​なけれ​ば,神​に​受け入れ​られ​ませ​ん。(ヤコブ 1:27)ですから,この​点​で​何​が​期待​さ​れ​て​いる​か​を​知る​必要​が​あり​ます。

神​から​見​て​清く​ある​こと​に​は​何​が​含ま​れる​か

8 エホバ​は​わたしたち​に,どんな​分野​で​清さ​を​保つ​こと​を​期待​し​て​おら​れ​ます​か。

8 聖書​が​述べる​清さ​は,身体​的​な​清さ​以上​の​こと​を​意味​し​て​い​ます。神​から​見​て​清く​ある​こと​に​は,生活​の​あらゆる​面​が​関係​し​て​い​ます。エホバ​は​わたしたち​に,四つ​の​基本​的​な​分野​で​清さ​を​保つ​こと​を​期待​し​て​おら​れ​ます。霊的,道徳​的,精神​的,身体​的​な​分野​です。では,それぞれ​の​分野​に​含ま​れる​点​を​見​て​ゆき​ましょ​う。

9,10 霊的​な​清さ​を​保つ​と​は,どう​いう​こと​です​か。真​の​クリスチャン​は​何​を​避け​ます​か。

9 霊的​な​清さ。一言​で​言う​と,霊的​な​清さ​を​保つ​と​は,真​の​崇拝​に​偽り​の​崇拝​を​混ぜ込ま​ない​こと​です。バビロン​から​エルサレム​に​帰還​する​イスラエル​人​は,霊感​に​よる​次​の​勧め​に​留意​する​必要​が​あり​まし​た。「そこ​から​出よ。汚れ​た​もの​に​は​何​に​も​触れる​な。……身​を​清く​保​て」。(イザヤ 52:11)イスラエル​人​が​故国​に​帰還​する​の​は,主​に​エホバ​の​崇拝​を​復興​する​ため​でし​た。その​崇拝​は​清く​なけれ​ば​なら​ず,神​を​辱める​バビロン​的​な​宗教​の​教え​や​慣行​や​習慣​に​よる​汚れ​が​あっ​て​は​なら​なかっ​た​の​です。

10 今日,真​の​クリスチャン​で​ある​わたしたち​は,偽り​の​崇拝​に​汚染​さ​れ​ない​よう​に​注意​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。(コリント​第​一 10:21)この​点​で​警戒​を​怠っ​て​は​なり​ませ​ん。偽り​の​宗教​は​広範​に​影響​を​及ぼし​て​いる​から​です。多く​の​国​に​は,偽り​の​宗教​の​教え ― 例えば,人​の​内​に​ある​何​か​が​死後​も​生き​続ける​と​いう​概念 ― と​結びつい​た​様々​な​伝統​や​行事​や​儀式​が​あり​ます。(伝道​の​書 9:5,6,10)真​の​クリスチャン​は,偽り​の​宗教​信条​に​関係​の​ある​習慣​を​避け​ます。 * 他​の​人​から​の​圧力​に​負け​て,清い​崇拝​に​関する​聖書​の​規準​を​曲げ​たり​は​し​ませ​ん。―使徒 5:29

11 道徳​的​な​清さ​に​は​何​が​含ま​れ​ます​か。この​分野​で​清さ​を​保つ​こと​が​肝要​な​の​は​なぜ​です​か。

11 道徳​的​な​清さ。道徳​的​な​清さ​を​保つ​こと​に​は,あらゆる​種類​の​性的​不​道徳​を​避ける​こと​が​含ま​れ​ます。(エフェソス 5:5)道徳​的​な​清さ​を​貫く​こと​は​肝要​です。この​本​の​次​の​章​で​取り上げ​ます​が,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は『淫行​から​逃げ去ら』なけれ​ば​なり​ませ​ん。淫行​を​犯し​て​悔い改め​ない​人​は「神​の​王国​を​受け継が​ない」の​です。(コリント​第​一 6:9,10,18)その​よう​な​人​は,神​から​見​て「不潔​で​嫌悪​す​べき​者」です。道徳​的​な​清さ​を​保た​ない​人​の​場合,「その​分​は……第​二​の​死」です。―啓示 21:8

12,13 考え​と​行動​に​は​どんな​つながり​が​あり​ます​か。どう​すれ​ば​精神​的​な​清さ​を​保て​ます​か。

12 精神​的​な​清さ。考え​て​いる​事​は​行動​に​表われ​ます。間違っ​た​考え​が​思い​や​心​に​宿る​まま​に​し​て​おく​なら,遅かれ​早かれ,汚れ​た​行ない​を​し​て​しまう​でしょ​う。(マタイ 5:28; 15:18‐20)逆​に,清らか​な​考え​で​思い​を​満たす​なら,清い​こと​を​行ない​続ける​よう​動かさ​れ​ます。(フィリピ 4:8)どう​すれ​ば​精神​的​な​清さ​を​保てる​でしょ​う​か。まず,考え​を​腐敗​させ​かね​ない​娯楽​を​一切​避ける​必要​が​あり​ます。 * そして,清い​考え​で​思い​を​満たす​ため​に​神​の​言葉​を​定期​的​に​研究​し​ます。―詩編 19:8,9

13 神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,霊的,道徳​的,精神​的​に​自ら​を​清く​保つ​こと​が​不可欠​です。これら​の​清さ​に​つい​て​は​この​本​の​他​の​章​で​詳しく​扱わ​れ​て​い​ます。この​章​で​は​これ​以降,4​番​目​の​面,身体​的​な​清さ​に​注意​を​向け​ます。

身体​的​な​清さ​を​保つ​に​は

14 身体​的​な​清潔​さ​が​単なる​個人​的​な​事柄​で​ない​の​は​なぜ​です​か。

14 身体​的​な​清潔​さ​に​は,自分​の​体​と​身​の​回り​の​物​を​清く​保つ​こと​が​含ま​れ​ます。清潔​さ​は,他​の​人​と​は​かかわり​の​ない​個人​的​な​事柄​でしょ​う​か。エホバ​の​崇拝​者​の​場合,そう​は​言え​ませ​ん。すでに​見​た​とおり,エホバ​は​わたしたち​の​身体​的​な​清潔​さ​を​重視​し​て​おら​れ​ます。わたしたち​の​清潔​さ​は,わたしたち​に​とっ​て​最善​で​ある​だけ​で​なく,エホバ​に​とっ​て​誉れ​と​も​なる​から​です。冒頭​の​例​を​もう​一度​考え​て​み​ましょ​う。いつも​汚い​格好​や​だらし​の​ない​格好​を​し​て​いる​子ども​を​見る​と,親​の​顔​を​見​て​み​たい​と​思う​の​で​は​あり​ませ​ん​か。わたしたち​は​自分​の​外見​や​生き方​に​よっ​て​天​の​父​に​非難​を​もたらす​こと​も,伝える​音信​から​人々​の​注意​を​そらす​こと​も​望み​ませ​ん。神​の​言葉​は​こう​述べ​て​い​ます。「わたしたち​は​どんな​点​で​も​決して​つまずき​の​原因​を​作ら​ない​よう​に​し​て​い​ます。わたしたち​の​奉仕​の​務め​が​とがめ​られる​よう​な​こと​の​ない​ため​です。かえって,あらゆる​点​で​自分​を​神​の​奉仕​者​と​し​て​推薦​する​の​です」。(コリント​第​二 6:3,4)では,どう​すれ​ば​身体​的​な​清さ​を​保てる​でしょ​う​か。

15,16 良い​衛生​習慣​に​は​何​が​含ま​れ​ます​か。わたしたち​の​衣服​は​どう​ある​べき​です​か。

15 個人​の​衛生​と​外見。文化​や​生活​環境​は​国​に​よっ​て​様々​です​が,たいてい​は,自分​や​子ども​が​定期​的​に​水​を​浴び​て​清潔​に​し​て​おく​の​に​必要​な​石けん​と​水​が​手​に​入る​でしょ​う。良い​衛生​習慣​に​は,石けん​と​水​で​手​を​洗う​こと​も​含ま​れ​ます。食事​を​し​たり​食品​を​扱っ​たり​する​前,トイレ​に​行っ​た​後,赤ちゃん​の​体​を​拭い​たり​おむつ​を​替え​たり​し​た​後​に,そう​し​ます。石けん​と​水​で​手​を​洗え​ば,病気​を​予防​でき,命​を​守る​こと​に​なり​ます。有害​な​ウイルス​や​細菌​が​広がる​の​を​防い​で,下痢​の​危険​を​減らせ​ます。下水​設備​の​整っ​て​い​ない​地域​で​は,古代​イスラエル​で​なさ​れ​て​い​た​よう​に,排泄​物​を​埋める​こと​が​できる​でしょ​う。―申命記 23:12,13

16 衣服​も,定期​的​に​洗濯​し​て,清潔​で​見苦しく​ない​よう​に​し​て​おく​こと​が​大切​です。クリスチャン​の​服​は,高価​な​もの​や​最新​流行​の​もの​で​ある​必要​は​あり​ませ​ん​が,小ぎれい​で​慎み深い​もの​で​ある​べき​です。(テモテ​第​一 2:9,10)わたしたち​は,どんな​場所​に​おい​て​も​自分​の​外見​に​よっ​て『わたしたち​の​救い主​なる​神​の​教え​を​飾り』たい​と​願っ​て​い​ます。―テトス 2:10

17 家​および​身​の​回り​の​物​を​清潔​で​見苦しく​ない​よう​に​し​て​おく​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

17 家​および​身​の​回り​の​物。わたしたち​の​家​は,しゃれ​た​豪華​な​家​で​は​ない​と​し​て​も,事情​の​許す​限り​清潔​で​見苦しく​ない​よう​に​し​て​おく​べき​です。集会​や​野外​宣教​に​自動​車​を​使う​の​で​あれ​ば,道理​に​かなっ​た​範囲​で​中​も​外​も​きれい​に​し​て​おく​よう​心がけ​ます。家​および​身​の​回り​の​物​が​清潔​で​ある​なら,それ​自体​が​証言​と​なる​の​です。わたしたち​は​人々​に,エホバ​が​清い​神​で​ある​こと​を​教え​て​い​ます。エホバ​が「地​を​破滅​さ​せ​て​いる​者​たち​を​破滅​に​至ら​せる」こと,神​の​王国​が​間​も​なく​地​を​楽園​に​変える​こと​も​教え​て​い​ます。(啓示 11:18。ルカ 23:43)ですから,来たる​べき​新しい​世​に​ふさわしい​清い​習慣​を​すでに​培っ​て​いる​こと​が,家​や​持ち物​を​見る​他​の​人​の​目​に​明らか​で​ある​よう​に​し​たい​もの​です。

身体​的​な​清潔​さ​に​は,自分​の​体​と​身​の​回り​の​物​を​清く​保つ​こと​が​含ま​れる

18 どの​よう​に​し​て​王国​会館​に​敬意​を​示せ​ます​か。

18 崇拝​の​場所。わたしたち​は​エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,地元​の​真​の​崇拝​の​中心​で​ある​王国​会館​に​敬意​を​示し​ます。初めて​来​た​人​が​王国​会館​から​良い​印象​を​受ける​よう​に,と​願っ​て​い​ます。王国​会館​を​好ましく​魅力​的​な​状態​に​保つ​に​は,定期​的​な​清掃​と​保守​が​必要​です。手入れ​の​ため​に​自分​の​できる​事​を​行なっ​て,王国​会館​に​敬意​を​示し​ます。自発​的​に​時間​を​費やし​て,崇拝​の​場所​を​掃除​し​たり,『直し,修理​し​たり』する​こと​は​特権​です。(歴代​第​二 34:10)大会​ホール​や​他​の​施設​で​大会​の​ため​に​集まる​場合​に​も,同じ​原則​が​当てはまり​ます。

人​を​汚す​習慣​から​自分​を​清める

19 自ら​を​身体​的​に​清く​保つ​に​は,何​を​避ける​必要​が​あり​ます​か。この​点​で​聖書​は​どの​よう​に​助け​に​なり​ます​か。

19 自ら​を​身体​的​に​清く​保つ​に​は,人​を​汚す​習慣​を​避ける​必要​が​あり​ます。喫煙,過度​の​飲酒,麻薬​や​向精神​薬​の​医療​目的​外​の​使用​など​です。聖書​は,今日​広く​見​られる​汚れ​た​嫌悪​す​べき​習慣​を​すべて​挙げ​て​いる​わけ​で​は​あり​ませ​ん​が,そう​し​た​事柄​に​対する​エホバ​の​感じ方​を​理解​する​の​に​役立つ​原則​を​載せ​て​い​ます。わたしたち​は​エホバ​の​物事​の​見方​を​知っ​て​おり,エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,エホバ​に​是認​さ​れる​歩み​を​し​ます。では,聖書​の​原則​を​五つ​考え​ましょ​う。

20,21 エホバ​は​わたしたち​に,どんな​習慣​から​離れ​て​いる​こと​を​望ん​で​おら​れ​ます​か。そう​す​べき​どんな​強力​な​理由​が​あり​ます​か。

20 「わたしたち​に​は​この​よう​な​約束​が​ある​の​ですから,愛する​者​たち​よ,肉​と​霊​の​あらゆる​汚れ​から​自分​を​清め,神​へ​の​恐れ​の​うち​に​神聖​さ​を​完成​し​よう​では​あり​ませ​ん​か」。コリント​第​二 7:1)エホバ​が​わたしたち​に​望ん​で​おら​れる​の​は,肉​の​体​を​汚す​習慣,霊​つまり​支配​的​な​精神​的​傾向​を​損なう​習慣​から​離れ​て​いる​こと​です。それゆえ​わたしたち​は,身体​的​また​精神​的​な​健康​を​害する​こと​が​知ら​れ​て​いる​常習​癖​を​避け​なけれ​ば​なり​ませ​ん。

21 聖書​は,『あらゆる​汚れ​から​自分​を​清める』べき​強力​な​理由​を​示し​て​い​ます。コリント​第​二 7​章​1​節​の​冒頭​の​言葉​に​注目​し​て​ください。「わたしたち​に​は​この​よう​な​約束​が​ある​の​ですから」と​記さ​れ​て​い​ます。どんな​約束​でしょ​う​か。その​前​の​聖句​に​よれ​ば,エホバ​は『わたし​は​あなた方​を​迎え​よう。そして​わたし​は​あなた方​の​父​と​なる』と​約束​し​て​おら​れ​ます。(コリント​第​二 6:17,18)考え​て​み​て​ください。エホバ​は,あなた​を​保護​し​て​世話​する,父親​が​息子​や​娘​を​愛する​よう​に​あなた​を​愛する,と​約束​し​て​おら​れる​の​です。と​は​いえ,エホバ​が​この​約束​を​果たさ​れる​の​は,あなた​が「肉​と​霊」の​汚れ​を​避ける​場合​に​限ら​れ​ます。嫌悪​す​べき​習慣​は,エホバ​と​の​こう​し​た​貴重​で​親密​な​関係​を​奪っ​て​しまい​ます。それ​を​許す​の​は​何​と​愚か​な​こと​でしょ​う。

22‐25 汚れ​た​習慣​を​避ける​点​で,聖書​の​どんな​原則​が​役立ち​ます​か。

22 「あなた​は,心​を​こめ,魂​を​こめ,思い​を​こめ​て​あなた​の​神​エホバ​を​愛さ​ね​ば​なら​ない」。マタイ 22:37)イエス​は,これ​こそ​最大​の​おきて​で​ある​と​述べ​まし​た。(マタイ 22:38)エホバ​は​その​よう​な​愛​を​受ける​に​ふさわしい​方​です。心​と​魂​と​思い​を​こめ​て​エホバ​を​愛する​に​は,命​を​縮め​たり​神​から​与え​られ​た​思考​力​を​鈍らせ​たり​しかね​ない​習慣​を​避け​なけれ​ば​なり​ませ​ん。

23 「[エホバ​は]すべて​の​人​に​命​と​息​と​すべて​の​物​を​与え​て​おら​れる」。使徒 17:24,25)命​は​神​から​の​賜物​です。わたしたち​は​命​の​与え主​を​愛し​て​いる​の​で,この​賜物​に​対する​敬意​を​示し​たい​と​願っ​て​い​ます。健康​に​有害​な​習慣​は​すべて​退け​ます。そう​し​た​習慣​が​命​と​いう​賜物​へ​の​甚だ​し​い​不敬​の​表われ​で​ある​こと​を​理解​し​て​いる​から​です。―詩編 36:9

24 「あなた​は​隣人​を​自分​自身​の​よう​に​愛さ​ね​ば​なら​ない」。マタイ 22:39)汚れ​た​習慣​は,多く​の​場合,当人​だけ​で​なく​周り​の​人​に​も​影響​を​及ぼし​ます。例えば,副流煙​は​非​喫煙​者​に​も​害​と​なり​かね​ませ​ん。周り​の​人​を​傷つける​なら,隣人​を​愛する​よう​に​と​の​神​の​要求​に​背い​て​いる​こと​に​なり​ます。さらに,神​を​愛し​て​いる​と​主張​し​て​も,それ​は​うそ​に​なり​ます。―ヨハネ​第​一 4:20,21

25 『政府​や​権威​者​たち​に​服し,自分​の​支配​者​と​し​て​それ​に​従順​で​あり​なさい』。テトス 3:1)多く​の​国​で​は,ある​種​の​薬物​の​所持​や​使用​は​法律​違反​です。真​の​クリスチャン​で​ある​わたしたち​は,違法​な​薬物​を​所持​し​たり​使用​し​たり​し​ませ​ん。―ローマ 13:1

26 (イ)神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,何​を​する​必要​が​あり​ます​か。(ロ)神​の​み前​で​清さ​を​保つ​の​が​最善​の​生き方​で​ある,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

26 神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,清さ​を​保つ​必要​が​あり​ます。一つ​か​二つ​の​点​だけ​で​なく,すべて​の​点​に​おい​て​です。人​を​汚す​習慣​を​捨て去っ​て​それ​から​離れ​て​いる​こと​は,容易​で​は​ない​と​し​て​も,可能​です。 * それ​に​勝る​生き方​は​あり​ませ​ん。エホバ​は​いつ​で​も​わたしたち​に,自分​を​益する​こと​を​教え​て​くださっ​て​いる​から​です。(イザヤ 48:17)最も​重要​な​点​と​し​て,清さ​を​保つ​なら,愛する​神​の​誉れ​と​なっ​て​神​の​愛​の​うち​に​とどまっ​て​いる​と​いう​こと​を​自覚​でき,満足​感​が​得​られ​ます。

^ 2節 「清い」と​訳さ​れ​て​いる​ヘブライ​語​は,身体​的​な​清潔​さ​だけ​で​なく,道徳​的​また​霊的​な​清さ​も​意味​し​ます。

^ 10節 この​本​の第​13​章を​ご覧​ください。真​の​クリスチャン​が​避ける​祝祭​や​習慣の​例​が​挙げ​られ​て​い​ます。

^ 12節 健全​な​娯楽​を​どの​よう​に​選べる​かは,この​本​の第​6​章で​扱わ​れ​て​い​ます。

^ 67節 名前​は​変え​て​あり​ます。