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第​12​章

「築き上げるのに良い」事柄を語る

「築き上げるのに良い」事柄を語る

『腐っ​た​ことば​を​あなた方​の​口​から​出さ​ない​よう​に​し​なさい。むしろ,どんな​こと​に​せよ​築き上げる​の​に​良い​ことば​を​出し​なさい』。―エフェソス 4:29

1‐3 (イ)エホバ​は​どんな​賜物​を​与え​て​ください​まし​た​か。それ​は​どの​よう​に​誤用​さ​れる​こと​が​あり​ます​か。(ロ)神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,言葉​と​いう​賜物​を​どの​よう​に​用いる​必要​が​あり​ます​か。

愛する​人​に​贈り物​を​し​た​と​し​ましょ​う。相手​が​それ​を​故意​に​誤用​し​たら,あなた​は​どう​感じ​ます​か。例えば,車​を​プレゼント​し​まし​た​が,相手​が​乱暴​な​運転​を​し​て​他​の​人​に​けが​を​させ​まし​た。その​こと​を​知っ​たら,あなた​は​がっかり​する​の​で​は​ない​でしょ​う​か。

2 エホバ​は「あらゆる​良い​賜物,また​あらゆる​完全​な​贈り物」の​与え主​で​あり,理解​できる​言葉​を​話す​能力​も​エホバ​から​の​賜物​です。(ヤコブ 1:17)動物​に​は​ない​この​賜物​ゆえ​に,人間​は​考え​だけ​で​なく​気持ち​を​も​伝える​こと​が​でき​ます。と​は​いえ,車​と​同様,言葉​と​いう​賜物​も​誤用​さ​れる​こと​が​あり​ます。言葉​が​乱暴​に​使わ​れ​て​痛み​や​悲しみ​を​生じ​させる​時,エホバ​は​本当​に​がっかり​なさる​に​違いあり​ませ​ん。

3 神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,言葉​と​いう​賜物​を​与え主​の​意図​どおり​に​用いる​必要​が​あり​ます。エホバ​は,ご自分​が​どんな​言葉​を​喜ぶ​か​を​明らか​に​し​て​おら​れ​ます。み言葉​に​こう​あり​ます。「腐っ​た​ことば​を​あなた方​の​口​から​出さ​ない​よう​に​し​なさい。むしろ,必要​に​応じ,どんな​こと​に​せよ​築き上げる​の​に​良い​ことば​を​出し​て,聞く​人​たち​に​恵み​と​なる​よう​に​し​なさい」。(エフェソス 4:29)では,言葉​に​いつも​気​を​つける​必要​が​ある​の​は​なぜか,どんな​言葉​を​避ける​べき​か,どう​すれ​ば「築き上げる​の​に​良い」言葉​を​発する​こと​が​できる​か,に​つい​て​考え​て​ゆき​ましょ​う。

言葉​に​気​を​つける​必要​が​ある​の​は​なぜか

4,5 箴言​の​幾つ​か​の​聖句​は​言葉​の​力​を​どの​よう​に​描写​し​て​い​ます​か。

4 言葉​に​気​を​つける​べき​重要​な​理由​が​あり​ます。その​一つ​は,言葉​に​は​力​が​ある​と​いう​こと​です。箴言 15​章​4​節​に​は​こう​記さ​れ​て​い​ます。「舌​の​穏やか​さ​は​命​の​木​で​あり,その​ゆがみ​は​霊​を​打ち砕く」。水​が​しおれ​た​木​を​生き返ら​せる​よう​に,優しい​舌​の​発する​穏やか​な​言葉​は,それ​を​聞く​人​の​霊​を​さわやか​に​し​ます。逆​に,曲がっ​た​舌​の​発する​ねじくれ​た​言葉​は,他​の​人​の​霊​を​砕き​ます。わたしたち​の​語る​言葉​に​は​力​が​あり,傷つける​こと​も​いやす​こと​も​できる​の​です。―箴言 18:21

5 箴言​に​は,言葉​の​力​を​強烈​に​描写​し​た​次​の​よう​な​聖句​も​あり​ます。「剣​で​突き刺す​か​の​よう​に​無​思慮​に​話す​者​が​いる」。(箴言 12:18)慌て​て​無​思慮​な​言葉​を​出す​と,感情​に​深い​傷​を​負わ​せ,人間​関係​を​破壊​する​おそれ​が​あり​ます。言葉​の​剣​で​心​を​ぐさっ​と​刺さ​れ​た​こと​が​あり​ます​か。同じ​聖句​は​良い​面​も​取り上げ,「賢い​者​たち​の​舌​は​人​を​いやす」と​述べ​て​い​ます。敬虔​な​知恵​を​発揮​する​人​の​思慮深い​言葉​は,心​の​痛み​を​和らげ,人間​関係​を​修復​する​こと​が​でき​ます。あなた​も,親切​な​言葉​の​いやし​の​力​を​経験​し​た​こと​が​あり​ませ​ん​か。(箴言 16:24)語る​言葉​に​は​力​が​ある​の​ですから,ぜひとも,人​を​傷つける​の​で​は​なく​いやす​ため​に​言葉​を​用い​たい​もの​です。

穏やか​な​言葉​は​人​を​さわやか​に​する

6 舌​を​制御​する​こと​が​まさに​闘い​で​ある​の​は​なぜ​です​か。

6 どれ​ほど​努力​し​て​も,舌​を​完全​に​制御​する​こと​は​でき​ませ​ん。それで,言葉​に​いつも​気​を​つける​べき​第​二​の​理由​は,罪​と​不​完全​さ​ゆえに​人間​に​は​舌​を​誤用​する​傾向​が​ある,と​いう​点​です。言葉​は​心​から​出る​もの​で​あり,『人​の​心​の​傾向​は​悪い』の​です。(創世記 8:21。ルカ 6:45)ですから,舌​に​くつわ​を​かける​こと​は​まさに​闘い​です。(ヤコブ 3:2‐4)舌​を​完璧​に​制御​する​こと​は​でき​ませ​ん​が,舌​の​用い方​を​改善​する​努力​を​続ける​こと​は​でき​ます。川上​に​向かっ​て​泳ぐ​人​が​流れ​と​戦い​続け​なけれ​ば​なら​ない​の​と​同じ​よう​に,舌​を​誤用​する​罪深い​性向​と​戦い​続け​なけれ​ば​なり​ませ​ん。

7,8 言葉​に​関し​て​エホバ​から​言い開き​を​求め​られ​ます​が,それ​は​どの​程度​に​まで​及び​ます​か。

7 言葉​に​気​を​つける​べき​第​三​の​理由​は,言葉​に​関し​て​エホバ​から​言い開き​を​求め​られる,と​いう​点​です。舌​の​用い方​は,仲間​の​人間​と​の​関係​だけ​で​なく,エホバ​の​み前​に​おける​立場​に​も​影響​する​の​です。ヤコブ 1​章​26​節​に​は​こう​あり​ます。「自分​で​は​正しい​方式​に​従う​崇拝​者​で​ある​と​思っ​て​い​て​も,自分​の​舌​に​くつわ​を​かけ​ず,自ら​の​心​を​欺い​て​いる​人​が​いれ​ば,その​人​の​崇拝​の​方式​は​無益​です」。 * 前​の​章​で​見​た​よう​に,言葉遣い​は​崇拝​と​無​関係​で​は​あり​ませ​ん。舌​に​くつわ​を​かけ​ず,毒​の​ある​有害​な​言葉​を​吐く​なら,その​人​の​クリスチャン​と​し​て​の​業​すべて​は​神​から​見​て​無​価値​な​もの​と​なり​かね​ませ​ん。そう​考える​と,身​が​引き締まる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。―ヤコブ 3:8‐10

8 この​よう​に,言葉​と​いう​賜物​を​誤用​し​ない​よう​気​を​つける​こと​に​は​強力​な​理由​が​あり​ます。では,真​の​クリスチャン​が​決して​使っ​て​は​なら​ない​言葉​を​取り上げ​ましょ​う。その​後,築き上げる​健全​な​言葉​に​つい​て​考え​ます。

打ち壊す​言葉

9,10 (イ)今​の​世​の​中​で​は,どんな​言葉​が​日常​的​に​使わ​れる​よう​に​なっ​て​い​ます​か。(ロ)卑わい​な​言葉​を​退ける​必要​が​ある​の​は​なぜ​です​か。(脚注​も​ご覧​ください。)

9 卑わい​な​言葉。悪態​や​冒とく​など​の​卑わい​な​言葉​は,今​の​世​の​中​で​は​日常​的​に​使わ​れ​て​い​ます。多く​の​人​は,言い​たい​こと​を​強調​する​ため​や​語彙​の​不足​を​補う​ため​に,汚い​言葉​を​随所​に​挟み​ます。コメディアン​は​しばしば,性​に​関する​下品​な​言葉​で​人​を​笑わ​せ​ます。しかし,卑わい​な​言葉​は​笑い事​など​で​は​あり​ませ​ん。2,000​年​ほど​前​に,霊感​を​受け​た​使徒​パウロ​は,「卑わい​な​ことば」を​捨て去る​よう​に​と​コロサイ​の​会衆​に​助言​し​まし​た。(コロサイ 3:8)エフェソス​の​会衆​に​あて​た​手紙​の​中​で​も,「卑わい​な​冗談」を,真​の​クリスチャン​の​間​で​は『口​に​上る​こと​さえ​あっ​て​は​なら​ない』事柄​に​含め​て​い​ます。―エフェソス 5:3,4

10 卑わい​な​言葉​は​エホバ​に​とっ​て​不快​な​もの​です。エホバ​を​愛する​人​に​とっ​て​も​不快​です。わたしたち​は​エホバ​へ​の​愛​ゆえ​に,卑わい​な​言葉​を​退け​ます。パウロ​は「肉​の​業」の​一つ​と​し​て「汚れ」を​挙げ​て​おり,それ​に​は​不潔​な​言葉​も​含ま​れ​ます。(ガラテア 5:19‐21)事​は​重大​です。繰り返し​助言​さ​れ​て​も​悔い改め​ず,甚だ​しく​不​道徳​で​下劣​な​腐敗​し​た​事柄​を​示唆​あるいは​助長​する​言葉​を​習慣​的​に​使う​人​は,会衆​から​排斥​され​かね​ない​の​です。 *

11,12 (イ)うわさ​話​と​は​何​です​か。どんな​場合​に,有害​な​もの​と​なり​ます​か。(ロ)エホバ​の​崇拝​者​が​中傷​的​な​話​を​避ける​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

11 有害​な​うわさ​話,中傷。うわさ​話​は,人​や​人​の​生活​に​関する​たわいない​話​です。うわさ​話​は​すべて​悪い​の​でしょ​う​か。積極​的​な​事​や​有用​な​事​を​伝える​無害​な​話​で​あれ​ば,悪く​は​あり​ませ​ん。例えば,だれ​それ​が​バプテスマ​を​受け​た​と​か,だれ​それ​が​励まし​を​必要​と​し​て​いる​と​か​いっ​た​話​です。1​世紀​の​クリスチャン​は​互い​の​福祉​に​深い​関心​を​抱い​て​おり,仲間​の​信者​に​関する​ふさわしい​情報​を​伝え​合い​まし​た。(エフェソス 6:21,22。コロサイ 4:8,9)と​は​いえ,事実​を​ゆがめ​たり​私的​な​事柄​を​明らか​に​し​たり​する​なら,うわさ​話​は​有害​な​もの​に​なり​かね​ませ​ん。さらに​重大​な​こと​に,うわさ​話​は​中傷​に​発展​する​場合​が​あり,中傷​は​必ず​害​を​もたらし​ます。中傷​と​は,「偽り​の​非難……を​述べ​て,他​の​人​の​名誉​を​傷つけ,評判​を​損なう​こと」です。例えば,パリサイ​人​は,イエス​の​信用​を​落とそ​う​と​し​て​悪意​の​ある​中傷​を​用い​まし​た。(マタイ 9:32‐34; 12:22‐24)中傷​は​しばしば​口論​の​原因​と​なり​ます。―箴言 26:20

12 エホバ​は,言葉​と​いう​賜物​を​用い​て​他​の​人​の​名誉​を​傷つけ​たり​分裂​を​生じ​させ​たり​する​人​を​大目​に​見る​こと​は​なさい​ませ​ん。「兄弟​の​間​に​口論​を」生じ​させる​者​を​憎ま​れ​ます。(箴言 6:16‐19)「中傷​する​者」と​訳さ​れる​ギリシャ​語​ディアボロス​は,サタン​の​呼び名​と​し​て​も​使わ​れ​て​い​ます。サタン​は「悪魔」で​あり,神​を​中傷​する​よこしま​な​者​です。(啓示 12:9,10)わたしたち​は,語る​事柄​に​よっ​て“悪魔”に​なっ​て​しまう​こと​は​何​と​し​て​も​避け​たい​と​思い​ます。「口論」や「分裂」と​いっ​た​肉​の​業​を​引き起こす​中傷​的​な​話​が​会衆​内​に​占める​場​は​あり​ませ​ん。(ガラテア 5:19‐21)ですから,だれ​か​に​関し​て​聞い​た​ニュース​を​伝える​前​に,こう​自問​し​ましょ​う。『これ​は​真実​だろ​う​か。これ​を​伝える​の​は​親切​な​こと​だろ​う​か。この​情報​を​知らせる​の​は​必要​あるいは​賢明​な​こと​だろ​う​か』。―テサロニケ​第​一 4:11

13,14 (イ)ののしり​の​ことば​は,相手​に​どんな​影響​を​及ぼし​ます​か。(ロ)ののしり​と​は​何​です​か。ののしる​人​は​自分​を​危険​な​立場​に​置く​こと​に​なる,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

13 ののしり​の​ことば。すでに​述べ​た​とおり,言葉​に​は​人​を​傷つける​力​が​あり​ます。もとより,だれ​も​が​時おり​不​完全​さ​ゆえ​に,後悔​する​よう​な​事​を​言っ​て​しまい​ます。と​は​いえ​聖書​は,クリスチャン​家庭​や​会衆​に​絶対​に​あっ​て​は​なら​ない​種類​の​言葉​に​つい​て​警告​し​て​い​ます。パウロ​は​クリスチャン​に​こう​訓戒​し​て​い​ます。「すべて​悪意​の​ある​苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしり​の​ことば​を……あなた方​から​除き去り​なさい」。(エフェソス 4:31)「ののしり​の​ことば」と​いう​部分​は​別​の​翻訳​で​は,「よこしま​な​言葉」,「有害​な​言葉」,「侮辱​的​な​言葉」など​と​訳さ​れ​て​い​ます。ののしり​の​ことば​に​は,下劣​な​悪口​や​痛烈​な​批判​も​含ま​れ​ます。そう​し​た​ことば​は​他​の​人​の​尊厳​を​はぎ取り,自分​は​無​価値​だ​と​いう​気持ち​に​させ​ます。疑う​こと​を​知ら​ない​子ども​の​繊細​な​心​は​特に,ののしり​の​ことば​の​破壊​的​な​影響​を​受け​やすい​でしょ​う。―コロサイ 3:21

14 聖書​は,極めて​強い​言い方​で,ののしり​を​非​と​し​て​い​ます。ののしり​と​は,侮辱​的​な,軽蔑​的​な,あるいは​口汚い​言葉​で​人​を​けなす​こと​です。習慣​的​に​その​よう​な​話し方​を​する​人​は,自分​を​危険​な​立場​に​置く​こと​に​なり​ます。ののしる​人​は,改善​する​よう​幾​度​も​援助​を​与え​られ​て​も​こたえ応じ​ない​なら,会衆​から​除か​れ​かね​ない​の​です。改め​ない​なら,王国​の​祝福​も​得​られ​ない​か​も​しれ​ませ​ん。(コリント​第​一 5:11‐13; 6:9,10)ですから,不​健全,不​真実,不​親切​な​言葉​を​使う​習慣​の​ある​人​は,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​こと​は​決して​でき​ませ​ん。その​よう​な​言葉​は​打ち壊す​もの​な​の​です。

「築き上げる​の​に​良い」言葉

15 「築き上げる​の​に​良い」の​は​どんな​言葉​です​か。

15 どう​すれ​ば,言葉​と​いう​賜物​を​与え主​の​意図​どおり​に​使える​でしょ​う​か。「どんな​こと​に​せよ​築き上げる​の​に​良い​ことば」を​語る​よう​神​の​言葉​が​勧め​て​いる​こと​を​思い出し​て​ください。(エフェソス 4:29)人​を​築き上げ,励まし,強める​言葉​を​わたしたち​が​語る​時,エホバ​は​喜ば​れ​ます。その​よう​な​言葉​を​語る​に​は,考える​こと​が​必要​です。聖書​は,従う​べき​規則​を​定め​て​は​おら​ず,認可​さ​れ​た「健全​な​ことば」の​リスト​も​載せ​て​い​ませ​ん。(テトス 2:8)「築き上げる​の​に​良い」言葉​を​発する​に​は,築き上げる​言葉​の​特徴​で​ある​三つ​の​簡潔​かつ​重要​な​要素​を​銘記​し​て​おく​と​よい​でしょ​う。健全,真実,親切​と​いう​要素​です。これら​を​念頭​に​置い​て,築き上げる​言葉​の​具体​例​を​見​て​ゆき​ましょ​う。―「 わたし​の​言葉​は​人​を​築き上げ​て​いる​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

16,17 (イ)他​の​人​を​褒める​べき​な​の​は​なぜ​です​か。(ロ)会衆​で​は,また​家庭​で​は,人​を​褒める​どんな​機会​が​あり​ます​か。

16 誠実​な​褒め言葉。エホバ​も​イエス​も,褒め言葉​や​是認​の​言葉​を​述べる​必要​性​を​認め​て​おら​れ​ます。(マタイ 3:17; 25:19‐23。ヨハネ 1:47)クリスチャン​で​ある​わたしたち​も,他​の​人​に​純粋​な​褒め言葉​を​述べる​の​は​よい​こと​です。なぜ​でしょ​う​か。「時宜​に​かなっ​た​言葉​は,ああ,何​と​良い​もの​で​あろ​う」と​箴言 15​章​23​節​に​あり​ます。こう​自問​し​て​み​て​ください。『わたし​は​心​から​の​褒め言葉​を​受け​たら​どう​感じる​だろ​う​か。心​温まる​思い​が​し,元気​が​出る​の​で​は​ない​だろ​う​か』。誠実​な​褒め言葉​を​受ける​と,相手​が​目​を​留め​て​気遣っ​て​くれ​て​いる​こと​が​分かり,自分​も​努力​し​た​甲斐​が​あっ​た​と​感じ​ます。そして,自信​が​つき,次​は​もっと​頑張ろ​う​と​いう​意欲​が​湧い​て​き​ます。褒め言葉​を​受け​て​ありがたく​思う​の​で​あれ​ば,あなた​も​できる​限り​褒め言葉​を​与える​べき​で​は​ない​でしょ​う​か。―マタイ 7:12

17 自分​を​訓練​し​て​他​の​人​の​良い​点​を​探し,その​点​を​褒め​ましょ​う。会衆​で​は,よく​準備​さ​れ​た​話​が​集会​で​行なわ​れ​ます。霊的​な​目標​に​向かっ​て​努力​し​て​いる​若者​が​い​ます。高齢​ゆえ​の​制約​が​あっ​て​も​忠実​に​集会​に​出席​し​て​いる​兄弟​姉妹​も​い​ます。誠実​な​褒め言葉​を​かける​なら,その​よう​な​人​たち​は​心​から​うれしく​思い,霊的​に​強め​られる​でしょ​う。家庭​で​は,夫婦​は​互い​に,温か​な​褒め言葉​や​感謝​の​言葉​を​かけ​て​もらう​必要​が​あり​ます。(箴言 31:10,28)子ども​で​あれ​ば,なおさら​です。自分​は​見過ごさ​れ​て​おら​ず​認め​られ​て​いる​と​感じ​て​いる​子ども​は​元気​に​育ち​ます。子ども​に​とっ​て,褒め言葉​と​是認​の​言葉​は,植物​に​とっ​て​の​日光​と​水​の​よう​な​もの​です。親​の​皆さん,お子さん​の​立派​な​特質​や​努力​を​褒める​機会​を​探し​て​ください。その​よう​な​褒め言葉​は,お子さん​の​勇気​と​自信​を​育み,もっと​頑張っ​て​正しい​こと​を​行なっ​て​ゆこ​う​と​いう​意欲​を​与え​ます。

18,19 仲間​の​信者​を​慰める​ため​に,できる​限り​の​こと​を​す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。何​が​でき​ます​か。

18 慰め​の​言葉。エホバ​は「打ちひしが​れ​た​者​たち」を​深く​気遣っ​て​おら​れ​ます。(イザヤ 57:15)み言葉​は,『互い​に​慰める​こと​を​続け​て​ゆき​なさい』,『憂い​に​沈ん​だ​魂​に​慰め​の​ことば​を​かけ​なさい』と​勧め​て​い​ます。(テサロニケ​第​一 5:11,14)わたしたち​は,悲しみ​に​押しひしが​れ​た仲間​の​信者​を​慰める時,その​努力​を​神​が​見過ごさ​ず​に​認め​て​くださっ​て​いる​こと​を​確信​でき​ます。

築き上げる​言葉​を​わたしたち​が​語る​時,エホバ​は​喜ば​れる

19 では,気落ち​し​たり​憂い​に​沈ん​だり​し​て​いる​仲間​の​クリスチャン​を​築き上げる​ため​に,何​を​言っ​たら​よい​でしょ​う​か。問題​を​解決​し​なけれ​ば​なら​ない​と​は​考え​ない​で​ください。多く​の​場合,ちょっと​し​た​言葉​が​一番​助け​に​なり​ます。落胆​し​て​いる​人​が​あなた​の​気遣い​と​思いやり​を​確信​できる​よう​に​し​て​ください。気落ち​し​た​人​と​共​に​声​を​出し​て​祈り​ましょ​う。エホバ​に​懇願​し,「あなた​や​みんな​から​どれ​ほど​愛さ​れ​て​いる​か​が​分かる​よう​助け​て​あげ​て​ください」と​祈れ​ます。(ヤコブ 5:14,15)会衆​の​一員​と​し​て​必要​と​され​尊重​さ​れ​て​いる​こと​を​話し​て​元気づけ​ましょ​う。(コリント​第​一 12:12‐26)励み​と​なる​聖句​を​読ん​で,エホバ​が​その​人​個人​を​真に​気遣っ​て​くださっ​て​いる​こと​を​確信​できる​よう​に​し​て​ください。(詩編 34:18。マタイ 10:29‐31)十分​な​時間​を​取っ​て「良い​言葉」を​伝え,心​から​語る​なら,意気​消沈​し​た​人​は,愛さ​れ​認め​られ​て​いる​と​感じる​に​違いあり​ませ​ん。―箴言 12:25

20,21 助言​を​効果​的​な​もの​と​する​要素​は​何​です​か。

20 効果​的​な​助言。不​完全​な​わたしたち​は​だれしも,時おり​助言​を​受ける​必要​が​あり​ます。聖書​は​こう​述べ​て​い​ます。「助言​に​聴き従い,懲らしめ​を​受け入れよ。それ​は,将来,あなた​が​賢く​なる​ため​で​ある」。(箴言 19:20)助言​を​与える​の​は​長老​だけ​で​は​あり​ませ​ん。親​は​子ども​に​助言​し​ます。(エフェソス 6:4)円熟​し​た​姉妹​が​若い​女性​に​助言​を​差し伸べる​こと​が​必要​な​場合​も​あり​ます。(テトス 2:3‐5)わたしたち​は​他​の​人​を​愛し​て​いる​の​で,打ちひしが​れ​ず​に​受け入れる​こと​の​できる​助言​を​与え​たい​と​願い​ます。どう​すれ​ば​その​よう​な​助言​が​でき​ます​か。助言​の​効果​を​高める​三つ​の​要素​を​考え​ましょ​う。助言​者​の​態度​と​動機,助言​の​基盤,助言​の​与え方​です。

21 効果​的​な​助言​を​する​に​は,まず,助言​者​が​自分​自身​に​目​を​向け​なけれ​ば​なり​ませ​ん。こう​考え​ましょ​う。『自分​は​どんな​場合​に​助言​を​受け入れ​やすい​だろ​う​か』。助言​する​人​が​気遣っ​て​くれ​て​いる,腹立ち​紛れ​に​話し​て​は​い​ない,隠れ​た​動機​を​抱い​て​い​ない,と​いう​こと​が​分かる​場合​でしょ​う。そう​で​あれ​ば,自分​が​助言​する​時​も​同じ​よう​な​態度​と​動機​を​持つ​べき​で​は​あり​ませ​ん​か。また,成果​を​上げる​助言​は,神​の​言葉​に​基づい​て​い​ます。(テモテ​第​二 3:16)聖句​を​引用​する​と​し​て​も​し​ない​と​し​て​も,与える​助言​すべて​は​聖書​を​基盤​と​し​て​いる​べき​です。それゆえ​長老​たち​は,自分​の​見方​を​他​の​人​に​押しつけ​ない​よう​注意​し​ます。聖句​を​ねじ曲げ​て​個人​的​な​見方​に​聖書​の​裏づけ​が​ある​か​の​よう​に​見せかけ​たり​は​し​ませ​ん。また,助言​は​正しい​仕方​で​与える​と​効果​が​高まり​ます。親切​と​いう​塩​を​利か​せ​た​助言​は​受け入れ​やすく,助言​を​受ける​人​は​尊厳​を​保て​ます。―コロサイ 4:6

22 言葉​と​いう​賜物​の​用い方​に​関し​て,あなた​は​どんな​決意​を​抱い​て​い​ます​か。

22 確か​に,言葉​は​神​から​の​貴重​な​賜物​です。わたしたち​は​エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,この​賜物​を​正しく​用い​たい​と​願い​ます。忘れ​ない​で​ください。わたしたち​が​語る​言葉​に​は​力​が​あり​ます。築き上げる​こと​も​打ち壊す​こと​も​できる​の​です。では,与え主​の​意図​どおり,「築き上げる」ため​に​この​賜物​を​用い​て​ゆき​ましょ​う。そうすれば,あなた​の​言葉​は​周り​の​人​に​とっ​て​祝福​と​なり,あなた​が​神​の​愛​の​うち​に​とどまる​助け​に​なる​でしょ​う。

^ 7節 「無益」と​訳さ​れ​て​いる​ギリシャ​語​は,「無駄」あるいは「むなしい」と​も​訳さ​れ​て​い​ます。―コリント​第​一 15:17。ペテロ​第​一 1:18

^ 10節 聖書​中​で​用い​られる​場合,「汚れ」は​意味​の​広い​語​と​し​て​様々​な​罪​を​包含​し​ます。すべて​の​汚れ​に​関し​て​審理​処置​が​必要​と​いう​わけ​で​は​あり​ませ​ん​が,悔い改め​ず​に​甚だ​し​い​汚れ​を​習わし​に​する​人​は​会衆​から​追放​され​かね​ませ​ん。―コリント​第​二 12:21。エフェソス 4:19。「ものみの塔」誌,2006​年​7​月​15​日​号,「読者​から​の​質問」を​ご覧​ください。