第​13​章

神を不快にさせる祝祭

神を不快にさせる祝祭

「何​が​主​に​受け入れ​られる​の​か​を​絶え​ず​確かめ​なさい」。―エフェソス 5:10

1 エホバ​は​どんな​人​たち​を​ご自分​に​引き寄せ​て​ください​ます​か。その​よう​な​人​たち​が​霊的​な​面​で​常​に​警戒​し​て​い​なけれ​ば​なら​ない​の​は​なぜ​です​か。

イエス​は​こう​言わ​れ​まし​た。『真​の​崇拝​者​は​霊​と​真理​を​もっ​て​父​を​崇拝​し​ます。実際,父​は,ご自分​を​その​よう​に​崇拝​する​者​たち​を​求め​て​おら​れる​の​です』。(ヨハネ 4:23)エホバ​は,その​よう​な​人​たち​を​見いだす​と,ご自分​と​み子​に​引き寄せ​て​ください​ます。あなた​も​その​一​人​です。(ヨハネ 6:44)それ​は​何​と​いう​誉れ​でしょ​う。と​は​いえ,聖書​の​真理​を​愛する​人​は,「何​が​主​に​受け入れ​られる​の​か​を​絶え​ず​確かめ」なけれ​ば​なり​ませ​ん。サタン​は​欺き​の​名手​だ​から​です。―エフェソス 5:10。啓示 12:9

2 真​の​宗教​と​偽り​の​宗教​を​融合​さ​せ​よう​と​する​人​を​エホバ​が​どう​みなさ​れる​か,説明​し​て​ください。

2 イスラエル​人​は​シナイ​山​の​近く​で,神​を​作っ​て​ほしい​と​アロン​に​頼み​まし​た。その​時​に​どんな​こと​が​生じ​た​か​考え​て​み​ましょ​う。アロン​は,頼み​を​聞き入れ​て​金​の​子牛​を​作り,それ​が​エホバ​を​表わす​もの​で​ある​か​の​よう​に,「明日,エホバ​へ​の​祭り​が​ある」と​言い​まし​た。こう​し​た​真​の​宗教​と​偽り​の​宗教​の​融合​を​エホバ​は​見過ごさ​れ​た​でしょ​う​か。いいえ,偶像​を​礼拝​し​た​およそ​3,000​人​を​死​に​処さ​れ​まし​た。(出エジプト​記 32:1‐6,10,28)どんな​教訓​が​得​られ​ます​か。自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保ち​たい​なら,『汚れ​た​もの​に​は​何​に​も​触れ​て​は』なら​ず,真理​を​いかなる​腐敗​から​も​油断​なく​守ら​なけれ​ば​なり​ませ​ん。―イザヤ 52:11。エゼキエル 44:23。ガラテア 5:9

3,4 一般​的​な​習慣​や​祝祭​を​調べる​とき,聖書​の​原則​に​細心​の​注意​を​払う​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

3 背教​に​対する​抑制​力​と​なっ​て​い​た​使徒​たち​が​死ん​だ​後,残念​な​こと​に,真理​を​愛さ​ない​名前​だけ​の​クリスチャン​たち​が​異教​の​習慣​や​祝祭​や“聖​なる”日​を​取り込み,それら​を​キリスト​教​の​もの​と​唱える​よう​に​なり​まし​た。(テサロニケ​第​二 2:7,10)そう​し​た​祝祭​の​幾つ​か​を​これ​から​考え​ます。その​際,それら​が​神​の​霊​で​は​なく​世​の​霊​を​どの​よう​に​反映​し​て​いる​か,と​いう​点​に​注目​し​て​ください。世​の​祝祭​に​は​たいてい,共通​の​特色​が​あり​ます。肉​の​欲望​を​そそり,「大いなる​バビロン」の​顕著​な​特徴​で​ある​偽り​の​宗教​信条​と​心霊​術​を​助長​する​の​です。 *啓示 18:2‐4,23)さらに,多く​の​一般​的​な​習慣​の​元​と​なっ​た​嫌悪​す​べき​異教​の​慣行​を​エホバ​は​目​の​当たり​に​され​た,と​いう​こと​も​念頭​に​置い​て​ください。今日​の​そう​し​た​祝祭​も​エホバ​に​とっ​て​忌む​べき​もの​で​ある​に​違いあり​ませ​ん。わたしたち​に​とっ​て,エホバ​の​見方​が​最も​重要​な​の​で​は​ない​でしょ​う​か。―ヨハネ​第​二 6,7

4 真​の​クリスチャン​で​ある​わたしたち​は,エホバ​に​喜ば​れ​ない​祝祭​が​ある​こと​を​知っ​て​い​ます。と​は​いえ,そう​し​た​祝祭​と​は​全く​かかわり​を​持た​ない​よう​に​し​よう,と​心​に​しっかり​決め​て​おく​こと​が​必要​です。そう​し​た​祝祭​を​エホバ​が​不快​に​思わ​れる​理由​を​再​確認​する​と,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​の​に​妨げ​と​なり​かね​ない​もの​は​すべて​避け​よう,と​の​決意​が​強まる​でしょ​う。

クリスマス ― 元​を​たどれ​ば​太陽​崇拝

5 イエス​は​12​月​25​日​に​生ま​れ​た​の​で​は​ない,と​断言​できる​の​は​なぜ​です​か。

5 聖書​は,イエス​の​誕生​日​の​祝い​に​関し​て​何​も​述べ​て​い​ませ​ん。実​の​ところ,イエス​の誕生​の​正確​な​日付​は​分かり​ませ​ん。と​は​いえ,その​地域​で​冬​の​寒さ​が​厳しい​12​月​25​日​に​生ま​れ​た​の​で​ない​こと​は​確か​です。 * 例えば,イエス​が​生ま​れ​た​時​に「羊飼い​たち​が​戸外​に​住ん​で」羊​の​群れ​の​世話​を​し​て​い​た,と​ルカ​は​記録​し​て​い​ます。(ルカ 2:8‐11)一​年​を​通じ​て「戸外​に​住ん​で」い​た​の​なら,わざわざ​それ​に​言及​する​こと​は​なかっ​た​でしょ​う。冬​の​ベツレヘム​で​は,冷たい​雨​や​雪​が​降る​の​で​羊​の​群れ​は​屋根​の​下​で​過ごし​まし​た。羊飼い​も『戸外​に​住む』こと​は​なかっ​た​でしょ​う。さらに,ヨセフ​と​マリア​が​ベツレヘム​へ​行っ​た​の​は,カエサル​・​アウグスツス​が​人口​調査​の​命令​を​出し​た​から​です。(ルカ 2:1‐7)ローマ​に​よる​支配​を​毛嫌い​する​民​に​先祖​の​都市​まで​冬​の​さなか​に​旅​を​する​よう​カエサル​が​命じ​た​と​は,とても​考え​られ​ませ​ん。

6,7 (イ)クリスマス​の​習慣​の​多く​は,どこ​に​起源​が​あり​ます​か。(ロ)クリスマス​の​贈り物​と​クリスチャン​の​贈り物​は​どんな​点​で​対照​的​です​か。

6 クリスマス​の​起源​は,聖書​で​は​なく,古代​の​異教​の​祭り​に​あり​ます。例えば,農耕​神​サトゥルヌス​の​ため​の​祝祭​で​ある​ローマ​の​サトゥルナリア​祭​が​そう​です。また,ミトラ​神​の​信奉​者​たち​は​現代​の​12​月​25​日​に​当たる​日​に「無敵​の​太陽​の​誕生​日」を​祝っ​た​と​新​カトリック​百科​事典(英語)は​述べ​て​い​ます。「クリスマス​は​ローマ​で​太陽​崇拝​が​特に​優勢​で​あっ​た​時期​に」,つまり​キリスト​の​死​から​300​年​ほど​後​に​始まり​まし​た。

真​の​クリスチャン​は​愛​の​気持ち​から​贈り物​を​する

7 異教​徒​たち​は,祝祭​の​時​に​贈り物​を​交換​し,宴​を​開き​まし​た。それ​が​クリスマス​に​受け継が​れ​まし​た。と​は​いえ,今日​で​も​そう​です​が,当時​の​クリスマス​の​贈り物​の​多く​は​コリント​第​二 9​章​7​節​の​精神​に​沿っ​た​もの​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。その​聖句​は​こう​述べ​て​い​ます。「各自​いやいや​ながら​で​も,強い​られ​て​で​も​なく,ただ​その​心​に​決め​た​とおり​に​行ない​なさい。神​は​快く​与える​人​を​愛さ​れる​の​です」。真​の​クリスチャン​は​愛​の​気持ち​から​贈り物​を​し​ます。日付​に​縛ら​れる​こと​も,お返し​を​期待​する​こと​も​あり​ませ​ん。(ルカ 14:12‐14。使徒 20:35)そして,クリスマス​の​せわしなさ​から​自由​に​され​て​いる​こと​や,その​時期​に​背負い込みかね​ない​金銭​的​な​重い​くびき​から​解放​さ​れ​て​いる​こと​を,うれしく​思っ​て​い​ます。―マタイ 11:28‐30。ヨハネ 8:32

8 占星​術​者​たち​は​イエス​に​誕生​祝い​の​贈り物​を​し​まし​た​か。説明​し​て​ください。

8 占星​術​者​たち​が​イエス​に​誕生​祝い​の​贈り物​を​し​た​で​は​ない​か,と​異議​を​唱える​人​も​い​ます。しかし,その​よう​な​事実​は​あり​ませ​ん。占星​術​者​たち​が​贈り物​を​し​た​の​は,注目​に​値する​人物​へ​の​表敬​の​しるし​に​すぎ​ず,聖書​時代​の​普通​の​習慣​でし​た。(列王​第​一 10:1,2,10,13。マタイ 2:2,11)そもそも​占星​術​者​たち​は​イエス​が​生ま​れ​た​晩​に​やっ​て​来​た​の​で​は​あり​ませ​ん。彼ら​が​来​た​時,イエス​は​飼い葉​おけ​の​中​の​赤子​で​は​なく,生後​何​か月​も​たっ​た​子ども​と​し​て​家​の​中​に​い​た​の​です。

誕生​日​に​つい​て​の​聖書​の​見方

9 誕生​日​の​祝い​に​関し​て,聖書​の​記録​の​どんな​点​が​注目​に​値し​ます​か。

9 子ども​の​誕生​は​いつ​の​時代​で​も​大きな​喜び​の​いわれ​と​なり​ます​が,聖書​に​は​神​の​僕​の​誕生​日​の​祝い​に​関する​記述​は​一つ​も​あり​ませ​ん。(詩編 127:3)単なる​記録​漏れ​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。エジプト​の​ファラオ​および​ヘロデ​・​アンテパス​と​いう​二​人​の​人物​の​誕生​日​の​祝い​に​関する​記録​が​あり​ます。(創世記 40:20‐22。マルコ 6:21‐29)と​は​いえ,どちら​も​好ましく​ない​もの​と​し​て​述べ​られ​て​い​ます。特に,ヘロデ​の​祝い​の​時​に​は,バプテスマ​を​施す​人​ヨハネ​が​打ち首​に​され​まし​た。

10,11 初期​クリスチャン​は​誕生​日​の​祝い​に​つい​て​どう​考え​まし​た​か。なぜ​です​か。

10 「初期​クリスチャン​は​いかなる​人​の​誕生​日​を​祝う​こと​を​も​異教​の​習慣​と​みなし​た」と​ワールドブック​百科​事典(英語)は​述べ​て​い​ます。古代​ギリシャ​人​は,人​に​は​それぞれ​守護​霊​が​い​て,その​霊​が​誕生​に​立ち会い,その​後​も​その​人​を​見守る,と​信じ​て​い​まし​た。その​霊​は「その​人​と​同じ​誕生​日​を​持つ​神​と​神秘​的​な​結び付き​を​持つ​と​され​て​い​た」と,「誕生​日​に​関する​伝承」(英語)と​いう​本​は​述べ​て​い​ます。さらに​誕生​日​は,ずっ​と​昔​から​占星​術​や​ホロスコープ​と​の​密接​な​つながり​が​あり​まし​た。

11 昔​の​神​の​僕​たち​は​誕生​日​の​習慣​を,異教​的​また​心霊​術​的​な​起源​の​ゆえに​退け​まし​た。それ​だけ​で​なく,原則​に​基づく​考え方​の​ゆえ​に​も​退け​た​こと​でしょ​う。どうして​そう​言え​ます​か。それら​謙遜​で​慎み深い​男女​は,自分​が​生ま​れ​た​事​を,祝う​ほど​重要​な​事柄​と​は​考え​ませ​ん​でし​た。 *ミカ 6:8。ルカ 9:48)むしろ,命​と​いう​貴重​な​賜物​を​与え​て​くださっ​た​エホバ​に​感謝​し,その​方​に​栄光​を​帰し​まし​た。 *詩編 8:3,4; 36:9。啓示 4:11

12 死ぬ​日​は​誕生​の​日​に​勝る​と​どうして​言え​ます​か。

12 死​に​至る​まで​忠誠​を​保つ​人​は​皆,神​の​記憶​の​中​に​安全​に​守ら​れ,将来​の​命​を​保証​さ​れ​ます。(ヨブ 14:14,15伝道​の​書 7​章​1​節​は​こう​述べ​て​い​ます。「名​は​良い​油​に,死ぬ​日​は​生ま​れる​日​に​勝る」。「名」と​は,忠実​な​奉仕​に​よっ​て​神​の​み前​で​得る​良い​評判​の​こと​です。注目​す​べき​点​と​し​て,クリスチャン​が​記念​する​よう​命じ​られ​て​いる​唯一​の​出来事​は,誕生​で​は​なく​死​に​関する​もの​です。イエス​の​死​に​関する​もの​で​あり,その​方​の​優れ​た「名」は​わたしたち​の​救い​に​不可欠​です。―ルカ 22:17‐20。ヘブライ 1:3,4

イースター ― 仮面​を​付け​た​豊饒​の​儀式

13,14 イースター​の​習慣​の​起源​は​どこ​に​あり​ます​か。

13 イースター​は,キリスト​の​復活​の​祝い​と​し​て​行なわ​れ​て​い​ます​が,実際​に​は​偽り​の​宗教​に​起源​が​あり​ます。イースター​と​いう​名称​自体​が,アングロサクソン​の​夜明け​と​春​の​女神​で​ある​エオストレ(オースタラ)と​つながり​が​あり​ます。イースター​に​は​卵​と​ウサギ​が​付きもの​です​が,どうして​そう​なっ​た​の​でしょ​う​か。卵​は「新た​な​命​と​復活​の​シンボル​と​し​て​前面​に​出さ​れる​よう​に​なっ​た」と​ブリタニカ​百科​事典(英語)は​述べ​て​い​ます。ウサギ​は​昔​から​豊饒​の​シンボル​でし​た。ですから​イースター​は,キリスト​の​復活​の​祝い​と​は​名​ばかり​の,仮面​を​付け​た​豊饒​の​儀式​な​の​です。 *

14 エホバ​は,汚れ​た​豊饒​の​儀式​に​よっ​て​み子​の​復活​を​記念​する​こと​を​容認​な​さる​でしょ​う​か。その​よう​な​こと​は​決して​あり​ませ​ん。(コリント​第​二 6:17,18)実​の​ところ​聖書​は,イエス​の​復活​を​記念​する​こと​自体,命じ​て​も​認め​て​も​い​ませ​ん。ですから,イースター​の​名​の​もと​に​復活​を​記念​する​こと​は,二​重​の​意味​で​不​忠節​な​こと​な​の​です。

ハロウィーン​は​聖​なる​もの​など​で​は​ない

15 ハロウィーン​に​は​どんな​起源​が​あり​ます​か。この​祝い​の​日付​に​関し​て,どんな​点​に​注目​でき​ます​か。

15 万聖節(諸​聖人​の​祝日)の​前夜​祭​と​も​呼ば​れる​ハロウィーン​に​は,魔女​や​小​鬼,そして​グロテスク​な​装飾​や​衣装​が​付きもの​です。10​月​31​日​の​晩​に​行なわ​れる​ハロウィーン​の​由来​を​さかのぼる​と,イギリス​や​アイルランド​の​古代​ケルト​人​に​行き着き​ます。11​月​1​日​に​最も​近い​満月​の​日​に,ケルト​人​は​サムハイン(「夏​の​終わり」を​意味​する)の​祭り​を​祝い​まし​た。彼ら​は,サムハイン​の​時​に​人間​界​と​超​自然​の​世界​と​の​間​の​幕​が​開き,良い​霊​と​悪い​霊​が​地上​を​うろつき回る,と​信じ​て​い​まし​た。死者​の​魂​が​家​に​戻っ​て​来る​と​考え​られ​て​い​た​の​で,家族​は,訪れる​幽霊​を​なだめる​ため​に​食べ物​や​飲み物​を​外​に​置き​まし​た。ですから,現代​の​子ども​たち​は,幽霊​や​魔女​の​格好​で​家々​を​回っ​て,お菓子​を​くれ​ない​と​いたずら​する​ぞ​と​言う​とき,それ​と​は​知ら​ず​に​サムハイン​の​儀式​を​再現​し​て​いる​の​です。

結婚​の​集い​を​清く​保つ

16,17 (イ)結婚​を​計画​し​て​いる​クリスチャン​の​カップル​が​聖書​の​原則​に​照らし​て​結婚​式​の​習慣​を​調べる​べき​な​の​は​なぜ​です​か。(ロ)米​を​投げる​習慣​など​に​関し​て,クリスチャン​は​どんな​点​を​考慮​に​入れる​べき​です​か。

16 間​も​なく,『花婿​と​花嫁​の​声​も​二​度​と[大いなる​バビロン]の​うち​で​聞か​れ​なく』なり​ます。(啓示 18:23)なぜ​です​か。大いなる​バビロン​が​消え去る​から​です。そう​なる​理由​の​一つ​は,心霊​術​的​な​行ない​です。心霊​術​的​な​行ない​は,結婚​式​の​日​から​結婚​を​汚し​て​しまい​ます。―マルコ 10:6‐9

17 国​に​よっ​て​習慣​は​様々​です。何​の​問題​も​ない​と​見える​習慣​も,新郎​新婦​や​招待​客​に「幸運」を​もたらす​と​される​バビロン​的​な​慣行​に​由来​し​て​いる​こと​が​あり​ます。(イザヤ 65:11)例えば,米​など​を​投げる​習わし​が​そう​です。この​慣行​の​根底​に​は,食物​は​悪い​霊​を​なだめ​て​新郎​新婦​に​害​を​及ぼさ​ない​よう​に​させる,と​いう​考え​が​ある​よう​です。さらに,ずっ​と​昔​から,米​は​豊饒​や​幸福​や​長寿​と​神秘​的​な​つながり​が​ある​と​され​て​き​まし​た。ですから,神​の​愛​の​うち​に​とどまり​たい​と​願う​人​は​皆,そう​し​た​汚染​さ​れ​た​習慣​を​退け​たい​と​思う​でしょ​う。―コリント​第​二 6:14‐18

18 結婚​式​を​計画​し​て​いる​カップル​も,招待​さ​れ​て​いる​人​たち​も,聖書​の​どんな​原則​を​導き​に​す​べき​です​か。

18 また,エホバ​の​僕​たち​は,結婚​式​や​披露宴​から​クリスチャン​と​し​て​の​品位​を​奪い去っ​たり​一部​の​人​の​良心​を​傷つけ​たり​しかね​ない​この​世的​な​慣行​も​避け​ます。例えば,スピーチ​で​辛辣​な​皮肉​や​性的​な​含み​の​ある​事柄​を​述べ​たり​は​し​ませ​ん。新郎​新婦​や​他​の​人​たち​を​当惑​さ​せる​よう​な​悪ふざけ​や​コメント​も​避け​ます。(箴言 26:18,19。ルカ 6:31; 10:27)また,慎み​を​欠い​て「自分​の​資力​を​見せびらかす」こと​に​なる​絢爛豪華​な​披露宴​は​行ない​ませ​ん。(ヨハネ​第​一 2:16)結婚​式​を​計画​中​で​あれ​ば,その​特別​な​日​が​後悔​で​は​なく​喜び​を​伴う​思い出​の​日​と​なる​こと​を​エホバ​は​望ん​で​おら​れる,と​いう​点​を​決して​忘れ​ない​で​ください。 *

乾杯 ― 宗教​的​な​意味​が​ある?

19,20 ある​世俗​の​文献​は,乾杯​の​起源​に​つい​て​何​と​述べ​て​い​ます​か。この​習慣​が​クリスチャン​に​とっ​て​受け入れ​られ​ない​もの​で​ある​の​は​なぜ​です​か。

19 結婚​式​や​親睦​の​場​で,よく​乾杯​が​行なわ​れ​ます。1995​年​版​の「お酒​と​文化​の​国際​ハンドブック」(英語)に​は​こう​あり​ます。「乾杯​は,……古代​に​おける​犠牲​と​し​て​の​献酒​の​世俗​的​な​名残​な​の​で​あろ​う。その​際,聖​なる​液体​が​神々​に​ささげ​られ​た。……願い事​を,つまり『長寿​を!』あるいは『健康​を!』と​いっ​た​簡潔​な​祈り​を​聞き届け​て​もらう​ため​に​ささげ​られ​た​の​で​ある」。

20 多く​の​人​に​は,乾杯​が​宗教​的​あるいは​迷信​的​な​行為​で​ある​と​いう​意識​は​ない​よう​です。しかし,ワイングラス​を​天​に​向け​て​掲げる​こと​は,“天”つまり​超​人間​的​な​力​に​祝福​を​求める​行為​と​みなせる​でしょ​う。その​よう​な​求め方​は​聖書​が​述べ​て​いる​事柄​と​は​調和​し​ませ​ん。―ヨハネ 14:6; 16:23 *

「エホバ​を​愛する​者​たち​よ,悪​を​憎め」

21 宗教​色​が​ない​と​し​て​も,どんな​祝祭​を​クリスチャン​は​避け​ます​か。なぜ​です​か。

21 今日​の​世​の​規準​は,大いなる​バビロン​の​影響​を​直接​あるいは​間接​に​受け,急速​に​低下​し​て​い​ます。その​一つ​の​表われ​は,マルディ​・​グラ​など,大がかり​な​年​ごと​の​カーニバル​です。そう​し​た​祭り​で​は,みだら​な​ダンス​が​派手​に​行なわ​れ​ます。同性​愛​者​の​ライフスタイル​が​称揚​さ​れる​こと​さえ​あり​ます。「エホバ​を​愛する​者」が​そう​し​た​イベント​に​参加​し​たり,それ​を​見​たり​する​の​は,ふさわしい​こと​でしょ​う​か。悪​を​本当​に​憎ん​で​いる​こと​に​なり​ます​か。(詩編 1:1,2; 97:10)むしろ,次​の​よう​に​祈っ​た​詩編​作者​の​態度​に​倣う​べき​で​は​ない​でしょ​う​か。「無​価値​な​もの​を​見​ない​よう,わたし​の​目​を​過ぎ行か​せ​て​ください」。―詩編 119:37

22 どんな​場合​に​クリスチャン​は,祝祭​に​加わる​か​どう​か​を​自分​の​良心​に​基づい​て​決定​でき​ます​か。

22 クリスチャン​は,この​世的​な​祝祭​が​行なわ​れる​日​に​は,その​祝祭​に​参加​し​て​いる​か​の​よう​な​印象​を​与え​ない​よう​行動​に​気​を​つける​でしょ​う。「食べる​に​し​て​も,飲む​に​し​て​も,あるいは​ほか​の​どんな​こと​を​する​に​し​て​も,すべて​の​事​を​神​の​栄光​の​ため​に​し​なさい」と​パウロ​は​書い​て​い​ます。(コリント​第​一 10:31。「 賢い​決定​を​下す」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。)一方,偽り​の​宗教​に​関連​し​た​意味合い​が​全く​なく,政治​的​また​愛国​的​な​儀式​と​の​かかわり​も​なく,聖書​の​原則​に​反し​て​も​い​ない​習慣​や​祝祭​に​関し​て​は,クリスチャン​は​それ​に​加わる​か​どう​か​を​個人​的​に​決定​する​こと​が​でき​ます。同時​に,他​の​人​の​感情​も​考慮​に​入れ​ます。つまずき​の​原因​と​なら​ない​ため​です。

言葉​と​行ない​で​神​に​栄光​を​帰する

23,24 どう​すれ​ば,エホバ​の​義​の​規準​に​関し​て​良い​証言​が​できる​か​も​しれ​ませ​ん​か。

23 祝祭日​を​家族​や​友人​が​集まる​ため​の​機会​と​考え​て​いる​人​は​少なく​あり​ませ​ん。それで,聖書​に​基づく​わたしたち​の​見方​を​誤解​し​て,愛​が​ない​と​か​極端​だ​と​か​思う​か​も​しれ​ませ​ん。その​よう​な​人​に​は,エホバ​の​証人​が​家族​や​友人​と​の​健全​な​集い​を​大切​に​し​て​いる​こと​を​親切​に​説明​できる​でしょ​う。(箴言 11:25。伝道​の​書 3:12,13。コリント​第​二 9:7)わたしたち​は,愛する​人​たち​と​の​交友​を​一​年​を​通じ​て​楽しみ​ます。しかし,神​と​神​の​義​の​規準​を​愛し​て​いる​ゆえ​に,その​よう​な​幸福​な​ひととき​を​神​の​忌み嫌わ​れる​習慣​で​汚し​たく​は​ない​の​です。―「 真​の​崇拝​は​最大​の​喜び​を​もたらす」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

24 エホバ​の​証人​の​中​に​は,質問​し​て​くる​誠実​な​人​に「聖書​は​実際​に​何​を​教え​て​い​ます​か *の​本​の16​章を​用い​て​上手​に​説明​し​て​いる​人​たち​が​い​ます。覚え​て​おき​たい​点​と​し​て,わたしたち​の​目標​は,議論​に​勝つ​こと​で​は​なく​心​を​勝ち得る​こと​です。ですから,敬意​を​示し,温和​な​態度​を​保ち,『あなた​の​発する​ことば​を​常​に​慈しみ​の​ある​もの,塩​で​味つけ​さ​れ​た​もの​と​し​て』ください。―コロサイ 4:6

25,26 子ども​が​信仰​と​エホバ​へ​の​愛​と​に​おい​て​成長​する​よう,親​は​どの​よう​に​助ける​こと​が​でき​ます​か。

25 エホバ​の​僕​で​ある​わたしたち​は​十分​な​情報​を​得​て​い​ます。ある​事柄​を​信じ​て​実践​する​理由​および​他​の​事柄​を​避ける​理由​を​知っ​て​い​ます。(ヘブライ 5:14)ですから​親​の​皆さん,聖書​の​原則​に​基づい​て​推論​する​よう​お子さん​を​教え​ましょ​う。そう​する​こと​に​よっ​て,お子さん​の​信仰​を​築き上げ,信条​に​関し​て​質問​し​て​くる​人​に​聖書​から​答え​られる​よう​助け,エホバ​の​愛​を​確信​さ​せる​こと​が​でき​ます。―イザヤ 48:17,18。ペテロ​第​一 3:15

26 「霊​と​真理​を​もっ​て」神​を​崇拝​する​人​は​皆,非​聖書​的​な​祝祭​を​避ける​だけ​で​なく,生活​の​あらゆる​面​で正直​で​ある​よう​努め​ます。今日​の​多く​の​人​は,正直​で​ある​こと​は​実際​的​で​ない​と​考え​て​い​ます。しかし,次​の​章​で​見る​とおり,神​の​道​は​どんな​場合​で​も​最善​です。

^ 3節 この​祝祭​に​参加​し​て​も​よい​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。エホバ​の​証人​の​発行​し​た「ものみの塔​出版​物​索引」に​は,たくさん​の“聖​なる”日​や​祝祭​が​挙げ​られ​て​い​ます。

^ 5節 聖書​に​基づく​計算​と​一般​の​歴史​に​よる​と,イエス​は​西暦​前​2​年​のユダヤ​暦​エタニム​の​月に​生ま​れ​た​よう​です。これ​は,現代​の​暦​で​は​9​月/10​月​に​当たり​ます。―エホバ​の​証人​の​発行​し​た「聖書​に​対する​洞察」,第​1​巻,184​ページ​を​ご覧​ください。

^ 11節 “聖​なる”日​と​サタン​崇拝」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

^ 11節 律法​契約​に​よれ​ば,出産​し​た​女性​は​罪​の​捧げ物​を​神​に​ささげる​必要​が​あり​まし​た。(レビ​記 12:1‐8)この​法的​な​要求​は,人間​が​子ども​に​罪​を​受け継が​せる​と​いう​事実​を​痛切​に​思い起こさ​せる​もの​で​あり,イスラエル​人​が​子ども​の​誕生​に​関し​て​平衡​の​取れ​た​見方​を​する​助け​に​なり​まし​た。異教​の​誕生​日​の​習慣​を​取り入れる​の​を​思いとどまら​せる​もの​と​も​なっ​た​でしょ​う。―詩編 51:5

^ 13節 エオストレ(エアストレ)は​豊饒​の​女神​で​も​あり​まし​た。「卵​好き​の​ウサギ​を​月​に​飼っ​て​おり,ウサギ​の​頭​を​持つ​もの​と​し​て​描か​れる​こと​も​あっ​た」と,「神話​辞典」(英語)は​述べ​て​い​ます。

^ 18節 「ものみの塔」誌,2006​年​10​月​15​日​号,18‐31​ページ​に​ある,結婚​式​や​親睦​の​集い​に​関する​三つ​の​記事​を​ご覧​ください。

^ 20節 「ものみの塔」誌,2007​年​2​月​15​日​号,30‐31​ページ​を​ご覧​ください。

^ 24節 発行: エホバ​の​証人