1 神は神秘である ― 本当ですか
1 神は神秘である ― 本当ですか
一般に信じられている事柄: 「神のみ業は神秘に包まれている」。
「神はご自分を啓示されたとはいえ,名状しがたい神秘としてとどまられます。『もし,あなたが神を理解できたとしたら,それはもはや神ではないでしょう』」。―「カトリック教会のカテキズム」,日本カトリック司教協議会教理委員会訳・監修,75ページ。
聖書の教え: イエスは,「唯一まことの神……についての知識を取り入れる」人は祝福を受ける,と述べました。(ヨハネ 17:3)もし神が神秘だとしたら,神についての知識を取り入れることなどできません。しかし神は,ご自分を隠すどころか,すべての人に知らせたいと思っておられるのです。―エレミヤ 31:34。
もちろん,人間は神のすべてを知ることなどできません。神のお考えや道は人間の考えや道より高いからです。―伝道の書 3:11。イザヤ 55:8,9。
真実を知ることの益: もし神がなぞめいた神秘的な存在だとしたら,神を知ろうと努力しても無駄でしょう。しかし神は,わたしたちが神を理解できるようにしてくださっているだけでなく,神の親しい友となれるようにもしてくださっています。神は忠実な人アブラハムを「わたしの友」と呼び,イスラエルのダビデ王も,「エホバとの親密さは神を恐れる者たちのもの」と書いています。―イザヤ 41:8。詩編 25:14。
神の親密な友になれるとは信じられないかもしれませんが,使徒 17章27節にも,「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」と書かれています。神は聖書を通して,神をよく知るのに必要な情報を人間に与えておられるからです。 *
神は,エホバというご自身の名を教えてくださっています。(イザヤ 42:8)また,人間とのやり取りを記録させて,わたしたちが神エホバを知ることができるようにされました。さらに,わたしたちに対する感情も明らかにしておられます。神は「憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる」方なのです。(出エジプト記 34:6)わたしたちの行動は神の感情に影響を及ぼします。例えば,古代のイスラエル国民は反逆して神に「痛みを覚えさせ」ましたが,賢明にも神に従う人は神に喜びをもたらします。―詩編 78:40。箴言 27:11。
[脚注]
^ 7節 神について聖書が教えている事柄に関して詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第1章をご覧ください。
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もし神が神秘的な三位一体だとしたら,どうして実際に神を知ることができるだろうか
[4ページの図版のクレジット]
The Trinity c.1500, Flemish School, (16th century) / H. Shickman Gallery, New York, USA / The Bridgeman Art Library International