特集記事 | 愛する人を亡くしたとき
悲しむ人を慰める
身近な人が愛する人を亡くして悲しんでいる時に,何もできない自分をもどかしく感じたことがありますか。どんな言葉をかけ,何をすればよいか,分からなくて,何も言えず何もできないままになってしまう,ということがあるかもしれません。それでも,わたしたちにできる実際的で有益な事柄があります。
大抵,必要とされるのは,その人のそばにいて,「たいへんでしたね」などの言葉をかけることです。多くの文化圏では,抱きしめたり優しく手を握ったりすることによって気遣いを示せます。相手が話したいと思う場合は,親身になって聞きましょう。一番良いのは,嘆き悲しんでいる人やその家族のために何かしてあげることです。例えば,遺族が望むなら,料理や子どもの世話や葬儀の手配などをすることができます。そうした手助けは,どんな言葉よりも慰めとなります。
やがて遺族に,亡くなった人の良い特質やその人との楽しい思い出について話したいと思うようになるかもしれません。遺族はそのような話を聞いて,ほほえむことさえあるでしょう。例えば,6年前に夫のイアンを亡くしたパムは,こう述べています。「だれかから,夫に関する,
それまで知らなかった良いエピソードを聞くと,幸せな気持ちになります」。様々な研究によれば,最初のうちはかなりの援助を差し伸べる友人たちも,普段の忙しい生活に戻ると,遺族の必要をやがて忘れてしまう,ということです。ですから,友達が死別の悲しみを経験している場合,定期的に連絡を取るようにしましょう。 * そうした気遣いに,遺族の多くは心から感謝することでしょう。
かおりという若い女性の例を考えてみましょう。かおりは,母親を亡くし,その翌年に姉も亡くして,悲しみに打ちのめされました。しかし幸いなことに,長期にわたって愛を示し続けてくれる仲間たちに支えられました。その一人である律子は,かおりよりもずっと年上でしたが,かおりの真の友になろうとしました。かおりはこう述べています。「正直,素直に喜べませんでした。誰にも母の代わりになってほしいとも,なってもらえるとも思わなかったからです。ですが,律子ママのその後のわたしへの接し方によって徐々にそうなっていきました。伝道活動を毎週共に行なってくれたり,クリスチャンの集会に毎回一緒に行ってくれたり,お茶に誘ってくれたり,お料理を届けてくれたりしました。手紙やカードも何度ももらいました。律子ママの積極的な見方から良い影響を受けることができました」。
かおりの母親が亡くなって12年になりますが,現在,かおりは夫と共に多くの時間を福音伝道活動に費やしています。「律子ママは,今でも気遣ってくれます。わたしも,帰省する時には必ず律子ママを訪ねて楽しいひとときを過ごし,互いに励まし合っています」。
継続的な援助から益を受けた別の例は,エホバの証人であるキプロス出身のポーリです。夫のソゾスは親切な人で,クリスチャンの牧者としての模範を示し,孤児ややもめをよく家に招いて楽しい時を過ごしたり食事を共にしたりしていました。(ヤコブ 1:27)しかし残念なことに,53歳の時に脳腫瘍で亡くなりました。ポーリは,「33年連れ添った忠実な夫を失いました」と言います。
葬儀の後,ポーリは,15歳になる末息子ダニエルを連れてカナダに移住し,地元のエホバの証人の会衆と交わるようになりました。当時のことをこう述べています。「新しい会衆の人たちは,わたしたちのことを何も知りませんでした。それでも,近づいて来て,親切な言葉をかけ,実際的な助けを差し伸べてくれました。息子が父親を最も必要としていた時だったので,本当に助かりました。会衆の長老たちもダニエルに深い関心を示してくださいました。特に,ある長老は,仲間との交友やバスケットボールなどを楽しむ時には必ずダニエルを誘ってくださったのです」。この親子は今も幸福に暮らしています。
このように様々な方法によって,嘆き悲しむ人を慰め,実際的な助けを差し伸べることができます。そして聖書も,慰めとなる,素晴らしい将来を約束しています。
^ 6節 故人の亡くなった日をカレンダーに書き込んでおき,忘れずに遺族を慰めるようにしてきた人もいます。その日の前後は特に慰めを必要としているかもしれないからです。