研究記事13

宣教で思いやりを示しましょう

宣教で思いやりを示しましょう

「イエスは……彼らを哀れに思われた。……そして,彼らに多くのことを教え始められた」。マルコ 6:34

96番の歌 ふさわしい人たちを捜し出しなさい

を学ぶか *

1. イエスはどんな方ですか。説明してください。

イエスは不完全な人間が経験する問題を理解してくださる方です。そのことを考えると心温まる思いがします。イエスは地上にいた時,「歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣き」ました。(ロマ 12:15)例えば,70人の弟子たちが伝道活動で成果を収め,喜びながら戻ってきた時には,「聖霊により喜びにあふれ」ました。(ルカ 10:17‐21)また,ラザロを亡くした家族や友人が悲しんでいる様子を見た時には,「霊においてうめき,また苦しみを覚え」ました。(ヨハ 11:33

2. イエスが人々に思いやりを示せたのはなぜですか。

2 完全なイエスが,不完全な人間に対してこれほどの思いやりや同情心を示せたのはなぜでしょうか。何よりも,人々を愛していたからです。前の記事で学んだように,イエスは人間に「親愛の情」を抱いていました。(箴 8:31)それで,人々の考え方をよく知ろうとしました。使徒ヨハネによると,イエスは「人の内に何があるかを……知っておられ」ました。(ヨハ 2:25)イエスは人々に優しい気持ちを抱いていました。人々もイエスの愛を感じ,王国のメッセージを受け入れました。わたしたちも,イエスと同じような優しい気持ちを抱くなら,宣教でもっと多くを成し遂げることができます。(テモ二 4:5

3‐4. (ア)思いやりがあれば,宣教をどう見るようになりますか。(イ)この記事ではどんなことを学びますか。

3 使徒パウロは,伝道する義務が自分にあることを知っていました。わたしたちもそう考えています。(コリ一 9:16)しかし,思いやりがあれば,宣教を単なる義務と見ることはありません。人々を気遣い,助けたいと思うので,伝道するようになります。また,「受けるより与えるほうが幸福」です。(使徒 20:35)人々を助けたいという気持ちが強ければ強いほど,宣教は楽しくなります。

4 この記事では,宣教でどのように思いやりを示せるかを学びます。まず,イエスが人々にどんな気持ちを抱いていたかを考えます。そして,イエスの手本に倣う4つの方法を取り上げます。(ペテ一 2:21

イエスは宣教で思いやりを示した

イエスは人々を気遣っていたので,慰めとなるメッセージを伝えた。(5‐6節を参照。)

5‐6. (ア)イエスはだれに思いやりを示しましたか。(イ)イザヤ 61章1,2節で予告されていたように,イエスが人々を哀れに思ったのはなぜですか。

5 イエスが思いやりを示した1つの例を考えましょう。ある時,イエスと弟子たちは良い知らせを伝えるのに忙しく,「食事をする暇も」ありませんでした。それでイエスは弟子たちに,「自分たちだけで寂しい場所」に行き,「少し休[む]」よう勧めました。しかし,行こうとした所に大勢の人たちが先回りしていました。イエスはそこに着いて人々を見た時,どうしたでしょうか。こう記されています。「彼らを哀れに思われた。 * 彼らが羊飼いのいない羊のようであったからである。そして,彼らに多くのことを教え始められた」。(マル 6:30‐34

6 イエスが人々を哀れに思ったのはなぜでしょうか。彼らが「羊飼いのいない羊のようであった」からです。その中には,貧しくて,家族を養うために長時間働いていた人や,愛する家族を亡くした人がいたかもしれません。もしそうなら,イエスは彼らの気持ちを理解できたはずです。前の記事で学んだように,イエスもそのような問題を経験したからです。人々を気遣っていたので,慰めとなるメッセージを伝えたいと思いました。イザヤ 61:1,2を読む。)

7. どのようにイエスに倣えますか。

7 イエスから何を学べますか。わたしたちの周りにも「羊飼いのいない羊のよう」な人がたくさんいます。そうした人たちは多くの問題を抱えています。わたしたちは彼らが必要とする,神の王国についてのメッセージを持っています。(啓 14:6)それで,主人であるイエスに倣い,良い知らせを伝えます。わたしたちも「立場の低い者や貧しい者をふびんに思[って]」います。(詩 72:13)人々を気遣っているので,助けたいと思います。

どのように思いやりを示せるか

一人一人が何を必要としているかを考える。(8‐9節を参照。)

8. 宣教で思いやりを示す1番目の方法は何ですか。例えで説明してください。

8 伝道する際,どのように思いやりを示せるでしょうか。相手の身になって考え,自分がしてほしいと思うような接し方をすることによってです。 *マタ 7:12)具体的にどんなことができますか。4つの方法を考えましょう。第一に,一人一人が何を必としているかを考えることです。良い知らせを伝えることは,医師が行なう治療に似ています。良い医師は,一人一人の患者が何を必要としているかを考えます。患者の容体や症状を尋ね,よく耳を傾けます。思いついた治療をすぐに始めるのではなく,患者の状態を観察してから適切な治療を行ないます。わたしたちも,宣教で会うすべての人に同じ話をしようとするのではなく,個々の人の状況や見方に合わせた話をするべきです。

9. どうすれば,宣教で会う人について知ることができますか。

9 わたしたちは宣教で会う人がどんな状況にあり,どんなことを信じ,なぜそう信じているかをすべて知っているわけではありません。(箴 18:13)ですから,上手に質問し,相手の考えを知るようにしましょう。(箴 20:5)文化圏にもよりますが,失礼でなければ,仕事,家族,生い立ち,考え方について尋ねてください。話を聞くことができたら,その人に良い知らせが必要なのはなぜかも分かります。それが分かったなら,イエスに倣って思いやりを示し,その人が必要としている事柄を伝えましょう。(コリント第一 9:19‐23と比較。)

相手がどんな生活を送っているかを想像する。(10‐11節を参照。)

10‐11. 思いやりを示す2番目の方法は何ですか。コリント第二 4章7,8節からどんなことが分かりますか。どんな例がありますか。

10 第二に,がどんな生を送っているかを想することです。その人の状況はある程度推測できるでしょう。わたしたちも不完全で,様々な問題にぶつかるからです。(コリ一 10:13)この事物の体制で生活していくのは大変なことです。わたしたちは,エホバの助けがあるからこそ何とか生活しています。コリント第 4:7,8を読む。)エホバとの友情を持たない人はもっと大変です。わたしたちもイエスのように,そのような人たちのことを気の毒に思い,「より良いことについての良いたより」を伝えたいという気持ちになります。(イザ 52:7

11 セルゲイという兄弟について考えましょう。セルゲイは真理を学ぶ前,とても内気で,人と話すのが苦手でした。やがて聖書を学び始めました。こう言っています。「聖書研究を通して,クリスチャンには自分の信仰を他の人々に伝える義務がある,ということを学びました。……しかし正直なところ,『そんなこと,自分には絶対できない』と思いました」。でも,セルゲイは真理を知らない人たちのことを考え,エホバを知らずに生きていくのは大変だろうと思いました。「学んでいる新しい事柄から,深い幸福感と心の平安を味わっていたので,こうした真理を他の人々も学ぶ必要がある,ということも分かっていました」。それで,そのような人たちを助けたいという気持ちが強まり,伝道する勇気を持てるようになりました。こう述べています。「自分でも驚いたことに,聖書について他の人に話すことで自信を持てるようになり,新たに信じた事柄が自分の心の中にしっかりとどまるようにもなりました」。 *

真理を受け入れるのに時間がかかる人もいる。(12‐13節を参照。)

12‐13. 宣教で教える際に辛抱強さを示す必要があるのはなぜですか。例えで説明してください。

12 第三に,える際に辛さを示ことです。聖書の教えは,わたしたちにはなじみ深くても,相手には全く新しいことに思えるかもしれません。多くの人は,自分が信じている事柄に強い愛着を持っています。自分の宗教的な信条は家族や地域社会の中でうまくやっていくために欠かせない,と考えているかもしれません。どうすればそのような人を助けられるでしょうか。

13 例えで考えましょう。老朽化した橋を架け替える必要が生じた場合は大抵,古い橋を使いながら,新しい橋を作ります。そして,新しい橋が使えるようになってから,古い橋を取り壊します。同じように,聖書を学んでいる人が,大切にしている“古い”考えを捨てるためには,まず“新しい”真理,つまり当初はなじみのなかった聖書の教えを素晴らしいと感じる必要があります。そうして初めて,以前の考えを捨てることができます。そう感じられるよう助けるには,時間がかかります。(ロマ 12:2

14‐15. 地上のパラダイスで永遠に生きる見込みについてほとんど知らない人を,どのように助けることができますか。例を挙げてください。

14 教える際に辛抱強さを示す人は,相手が真理をすぐに理解し,受け入れるとは考えません。むしろ思いやりを示し,理解できるよう時間をかけて助けます。例えば,地上のパラダイスで永遠に生きる見込みについて話すとしましょう。多くの人はこの教えについてほとんど知りません。死ねばすべてが終わると思っている人もいれば,善人は天に行くと信じている人もいます。どのように助けられるでしょうか。

15 ある兄弟は,次のように話を進めます。まず,創世記 1章28節を読みます。それから家の人に,「神様は人々がどこで,どんな暮らしをすることを望んでおられましたか」と尋ねます。ほとんどの人が「地上で幸せに暮らすことです」と答えます。次に,イザヤ 55章11節を読み,「神様の目的が失敗することはありますか」と尋ねます。家の人は大抵,「ありません」と答えます。最後に,詩編 37編10,11節を読み,「人間は将来どんな暮らしをすることになりますか」と尋ねます。兄弟は聖書を使ってこのように話し,神は良い人が地上のパラダイスで永遠に生きることを今も望んでおられる,ということを理解するよう多くの人を助けてきました。

励みとなる手紙を送るなど,ちょっとした親切が良い結果につながる。(16‐17節を参照。)

16‐17. 箴言 3章27節の勧めに従って,どんな方法で思いやりを示せますか。例を挙げてください。

16 第四に,いやりを行で示ことです。例えば,家の人の都合の悪い時に訪問してしまったらどうしますか。おわびして,「またご都合の良い時に伺います」と述べることができます。家の人がちょっとした手伝いを必要としている場合や,病気や高齢のために家から出られず,何かのことで困っている場合はどうしますか。手助けできるかもしれません。 3:27を読む。)

17 ある姉妹のちょっとした親切は良い結果につながりました。姉妹は,子どもを亡くしたある家族を気の毒に思って手紙を書き,慰めとなる聖句を幾つか記しました。その家族はどう感じたでしょうか。母親はこう書いています。「昨日は特に落ち込んでいました。そんな時にお手紙をいただき,本当に慰められました。ありがとうございます。いただいたお手紙がどれほど力になったか,言葉では言い表わせません。昨日は20回以上,読み返したと思います。本当に親切で温かく,励みになる手紙でした。心から感謝いたします」。つらい状況にある人の身になって考え,その人のために自分のできることをするなら,良い結果につながります。

バランスの取れた見方を保つ

18. コリント第一 3章6,7節にあるように,どんなバランスの取れた見方を保つ必要がありますか。

18 宣教で行なえることに対してバランスの取れた見方を保ちましょう。神について学ぶよう人々を助けることはできますが,最も大切な役割を果たしているのはわたしたちではありません。コリント第 3:6,7を読む。)人を引き寄せるのはエホバです。(ヨハ 6:44)そして,良い知らせを受け入れるかどうかは,その人の心の状態にかかっています。(マタ 13:4‐8)これまでで最も優れた教師であるイエスの教えでさえ,ほとんどの人が受け入れませんでした。ですから,多くの人がわたしたちの助けを受け入れようとしなくても,がっかりする必要はありません。

19. 宣教で思いやりを示すなら,どんな良い結果が得られますか。

19 宣教で思いやりを示すなら,良い結果が得られます。伝道がもっと楽しくなります。与えることによって,もっと幸せになれます。「永遠の命のために正しく整えられた」人たちが良い知らせを受け入れやすくなります。(使徒 13:48)ですから,「時に恵まれている限り,すべての人……に対して,良いことを行な[い]」ましょう。(ガラ 6:10)そうすれば,天の父エホバに栄光をもたらすという喜びを味わえるのです。(マタ 5:16

44番の歌 喜びを抱いて収穫に加わる

^ 5節 思いやりを示すと,宣教はもっと楽しくなり,良い結果も得られます。なぜでしょうか。この記事では,イエスの手本に注目し,宣教で会う人に思いやりを示す4つの方法を考えます。

^ 5節 の説: 聖書では,れに思とは,苦しんだり,ひどい扱いを受けたりしている人に優しい気持ちを抱くことを意味する。そのような気持ちを抱く人は,助けるために自分のできることを何でもしたいと思う。

^ 8節 「ものみの塔」2014年5月15日号の「宣教において黄金律に従いなさい」という記事を参照。