研究記事45

聖なる力は私たちをどのように助けますか

聖なる力は私たちをどのように助けますか

「力を与えてくださる方のおかげで,私は強くなり,どんなことも乗り越えられます」。フィリピ 4:13

71番の歌 聖霊 ― 神からの贈り物

を学ぶか *

1‐2. (ア)私たちがその日その日をやっていけるのはなぜですか。(イ)この記事ではどんなことを考えますか。

「自分の力だけではとても耐えられませんでした」。あなたも何かの試練に遭った後,そう感じたことがありますか。多くの人が同じような経験をしています。重い病気になった時や,愛する家族を亡くした時のことを振り返って,そう思うことがあるかもしれません。その日その日をやってこれたのはエホバが「普通を超えた力」を与えてくださったからだ,ということが分かるのです。(コリ二 4:7‐9

2 今の悪い世界に影響されないためにも聖なる力に頼る必要があります。(ヨハ一 5:19)「邪悪な天使の勢力」と戦う必要もあります。(エフェ 6:12)こうした影響力に立ち向かうため,聖なる力がどのように助けになるか,2つの点を考えましょう。聖なる力を十分に受けるために何ができるかも考えます。

聖なる力によって強くなる

3. エホバの聖なる力が与えられると,どんなことができますか。

3 エホバの聖なる力が与えられると,試練に遭っても務めを果たすことができます。使徒パウロは,多くの試練の中でエホバに仕えることができたのは「キリストの力」に頼ったからだと感じました。(コリ二 12:9)第2回宣教旅行の際,伝道に多くの時間を充てるだけでなく,仕事もしました。コリントでは,天幕作りを職業にしていたアクラとプリスキラの家に泊まりました。職業が同じだったパウロは,しばらく2人と一緒に働きました。(使徒 18:1‐4)聖なる力によって強くされたので,仕事をしながら伝道も十分にできました。

4. コリント第二 12章7節後半から9節によれば,パウロはどんな状況にありましたか。

4 コリント第 12:7後‐9を読む。「体に1つのとげを刺され[た]」と語ったパウロは,何を言おうとしていたのでしょうか。とげが刺さる痛みは,とてもつらいものです。パウロは,何かの試練をとてもつらく思っていました。自分の試練を「サタンの使い」と呼び,「いつも平手打ちをして」(「打ちたたいて」,脚注)くると言っています。サタンや邪悪な天使が,あたかも体にとげを刺すかのように,直接試練を引き起こしたわけではないようです。しかし,パウロに「とげ」が刺さっているのを見た邪悪な天使たちが,とげを押し込むかのようにパウロを一層苦しめていたのかもしれません。パウロはどうしましたか。

5. エホバはパウロの祈りにどのように答えましたか。

5 パウロは初め,「とげ」がなくなることを望んでいました。「私は,このとげがなくなるようにしていただきたいと3度主[エホバ]に懇願しました」と言っています。しかし,祈ったのに体のとげはなくなりませんでした。では,祈りは聞かれなかったのでしょうか。そうではありません。エホバは祈りに答えました。問題を取り除くのではなく,耐える力をパウロに与えました。「人が弱い時にこそ,私の力は完全に発揮されるのである」という言葉の通りです。(コリ二 12:8,9)パウロはエホバの助けによって喜びと心の平和を持ち続けることができました。(フィリ 4:4‐7

6. (ア)エホバはどのように祈りに答えてくださいますか。(イ)引照聖句のどんな言葉が力になりますか。

6 パウロのように,試練を取り除いてくださいとエホバに訴えたことがありますか。真剣に祈っているのに問題がなくならないことや,問題が悪化することさえあります。そのようなとき,エホバに愛されていないと感じますか。パウロの経験を思い出してください。パウロの祈りに答えたエホバは,あなたの祈りにも必ず答えてくださいます。問題を取り除くことはないかもしれませんが,聖なる力により,試練を忍耐するのに必要な力を与えてくださいます。(詩 61:3,4)私たちは「倒され[る]」ことがあるとしても,エホバに見捨てられることはありません。(コリ二 4:8,9。フィリ 4:13

聖なる力を受けてエホバに仕え続ける

7‐8. (ア)聖なる力は何に似ていますか。(イ)ペテロは聖なる力の働きをどのように描写しましたか。

7 聖なる力は,さらにどんな点で私たちを助けますか。海が荒れていても,追い風に乗るなら船を進めることができます。同じように,追い風ともいえる聖なる力を受けるなら,嵐のような試練に遭ってもエホバに仕え続け,エホバが約束した新しい世界に入れます。

8 漁師だった使徒ペテロは,船を操ることに慣れていました。そのようなこともあり,聖なる力の働きを描写するのに,船の航行に関連した言葉を使ったのかもしれません。こう書いています。「どの預言も,人間の考えによって語られたのではありません。人が聖なる力に導かれて,神からの言葉を語ったのです」。「導かれて」と訳されているギリシャ語の直訳は,「運ばれて」です。(ペテ二 1:21,脚注)

9. 「運ばれて」と表現したペテロは,どんなイメージを伝えていましたか。

9 「運ばれて」と表現したペテロは,どんなイメージを伝えていたのでしょうか。ルカは「使徒の活動」で,船が風で「流される」ことについて述べた時に同じギリシャ語を使いました。(使徒 27:15)ある聖書学者によれば,聖書筆者たちが聖なる力に「運ばれ[た]」と語ったペテロは,「航海を連想させる比喩」を使っていました。船が風に運ばれて目的地に到達するように,預言者や筆者は神の聖なる力に導かれて務めを果たした,と言っていたのです。同じ学者は,「預言者たちはいわば帆を上げていた」とも言っています。エホバは風ともいえる聖なる力を送り出し,聖書筆者たちは聖なる力に導かれながら聖書を書きました。

ステップ1: エホバが勧めている事柄を定期的に行う。

ステップ2: エホバが勧めている事柄を精いっぱい行う。(11節を参照。) *

10‐11. 聖なる力を受けるための2つのステップは何ですか。

10 エホバが聖なる力を使って聖書を書かせたのは過去の話です。でも今も聖なる力を使ってご自分の民を導いています。では,どうすればエホバの聖なる力を受けることができますか。私たちがすべきことを行うことによってです。

11 船の例えに戻りましょう。追い風に乗るためにすべきことは2つあります。第一に,風が吹く場所に船を出していなければなりません。風の穏やかな港に船を泊めたままでは,追い風に乗れません。第二に,帆を上げ,しっかり張る必要があります。追い風が吹いても,帆で風を捉えなければ船は進みません。私たちがエホバに仕え続けるには,聖なる力の助けがどうしても必要です。聖なる力を受けるためにも,2つのステップを踏む必要があります。第一に,エホバの聖なる力が流れている所に自分の身を置かなければなりません。第二に,帆を上げてしっかり張るように,エホバが勧めている事柄を精いっぱい行う必要があります。(詩 119:32)この2つのステップを踏むなら,聖なる力を受けて前進できます。反対や試練という波を乗り越え,神の新しい世界に到達するまで航海を続けることができます。

12. これからどんなことを考えますか。

12 聖なる力が2つの点でどのように助けになるかを考えました。聖なる力は,試練の時に忠実を保てるよう私たちを強くします。さらに,永遠の命を目指してエホバに仕え続けるための助けとなります。では,聖なる力を十分に受けるために行うべき4つのことを考えましょう。

聖なる力を十分に受けるために何ができるか

13. テモテ第二 3章16,17節によれば,聖書にはどんな効果がありますか。私たちは何をしなければなりませんか。

13 に,聖を学びます。(テモテ第 3:16,17を読む。)「神の聖なる力の導きによって書かれた」という表現は,「神が息を吹き込んだ」という意味のギリシャ語から取られています。神は聖なる力を使い,聖書を書く人の頭にご自分の考えをいわば吹き込みました。ですから,聖書を読んで思い巡らすなら,神の教えが頭と心に働き掛けます。神の教えに従うなら,神の望む生き方ができるようになります。(ヘブ 4:12)聖なる力を十分に受けるには,時間を取って聖書を学び,読んだことを深く考える,ということを習慣にしなければなりません。そうすれば,話し方や行動に聖書の良い影響が表れます。

14. (ア)集会は,あたかも風が吹いている場所のようだといえるのはなぜですか。(イ)どうすれば,いわば帆を広げた状態で集会に出席できますか。

14 に,兄とエホバを崇します。詩 22:22)集会は,あたかも風が吹いている場所のようです。エホバの聖なる力を受けることができる場です。(啓 2:29)集会では,聖なる力を求める祈りが捧げられ,聖書の考えがちりばめられた賛美の歌を歌います。聖なる力によって任命された兄弟たちが,聖書を基に行う話を聞くことができます。姉妹たちが生徒の割り当てを準備し,扱う時にも聖なる力が働きます。集会で聖なる力を十分に受けるには,予習し,コメントできるようにしておく必要があります。そうすれば,いわば帆を広げた状態で出席できます。

15. 伝道する時,どうすれば聖なる力の助けが得られますか。

15 に,伝します。伝道し,教える時に聖書を使うなら,聖なる力の助けが得られます。(ロマ 15:18,19)エホバの聖なる力を十分に受けるには,定期的に伝道し,可能ならいつでも聖書を使う必要があります。「生活と奉仕 集会ワークブック」の話し合いのサンプルを使うことも,人々と良い話をする上で役立つでしょう。

16. 聖なる力を受けるための一番の方法は何ですか。

16 に,エホバに祈ります。マタ 7:7‐11。ルカ 11:13)聖なる力を受けるための一番の方法は,聖なる力を求めてエホバに祈ることです。祈りがエホバに届くのを妨げたり,良い贈り物である聖なる力が与えられるのを妨げたりすることは,誰にもできません。刑務所に入れられても,サタンが邪魔しようとしても,聖なる力は与えられるのです。(ヤコ 1:17)聖なる力を十分に受けられるよう,どのように祈るとよいでしょうか。答えを知るため,「ルカによる福音書」だけに出ている例えを考えてみましょう。 *

粘り強く祈る

17. ルカ 11章5‐9,13節の例えは,祈りについてどんなことを教えていますか。

17 ルカ 11:5‐9,13を読む。この例えは,なる力を求める祈りをどのように捧げるべきかを際立たせています。例えに出てくる人がパンを貸してもらえたのは,「しつこく頼[んだ]」からでした。真夜中でしたが,恐れずに友人に助けを求めました。 * イエスはこの例えを祈りにどのように当てはめましたか。「求め続けなさい。そうすれば与えられます。探し続けなさい。そうすれば見つかります。たたき続けなさい。そうすれば開かれます」と言っています。聖なる力を受けるにはり強く祈らなければならないのです。

18. エホバが聖なる力を与えてくださると確信して祈ることができるのはなぜですか。

18 この例えから,エホバがなぜ聖なる力を与えてくださるかが分かります。例えに出てくる人は,客を温かく迎えたいと思っていました。真夜中に到着した客に何か食べ物を出さなければと思いながらも,何もありませんでした。イエスの言葉によれば,近所の人がパンを貸したのは,しつこく頼まれたからです。イエスは何を教えていたのでしょうか。不完全な人間でも,しつこく頼まれれば助けてくれます。そうであれば,まして親切な父エホバは,粘り強く聖なる力を求める人を助けてくださる,ということです。ですから,聖なる力を与えてくださいという切迫した祈りにエホバは答えてくださる,と確信して祈ることができます。(詩 10:17; 66:19

19. 私たちが忍耐できるのはなぜですか。

19 サタンは私たちを打ち負かそうと躍起になっています。それでも,私たちは忍耐できます。聖なる力が2つの点で助けてくれるからです。第一に,私たちを強くして,試練を乗り越えられるようにしてくれます。第二に,私たちがエホバに仕え続けて,新しい世界に入れるよう助けてくれます。いわば帆を張るなら,聖なる力が追い風となるのです。では,聖なる力を十分に受けることを決意しましょう。

56番の歌 どうかわたしの祈りを聞いてください

^ 5節 この記事では,神の聖なる力が忍耐するための助けになることを学びます。聖なる力を十分に受けるために何ができるかも考えます。

^ 16節 ルカは他の福音書の筆者よりも祈りを際立たせ,イエスが祈りを大切にしていたことを伝えています。(ルカ 3:21; 5:16; 6:12; 9:18,28,29; 18:1; 22:41,44

^ 17節 「生活と奉仕 集会ワークブック」の資料,2018年7月,3ページの「大胆な執ようさ」という注釈を参照。

^ 60節 や挿: ステップ1: 兄弟と姉妹が王国会館にやってくる。集会に出席し,エホバの聖なる力が流れている場所に自分の身を置いている。ステップ2: 2人は予習し,積極的にコメントしている。聖書を学ぶ時,伝道する時,エホバに祈る時にも,同様の取り組み方ができる。