研究記事14

北からの攻撃

北からの攻撃

「国民が,私の土地に来た」。ヨエル 1:6

116番の歌 光は輝きを増す

を学ぶか *

1. ラッセル兄弟と仲間たちはどんな方法で聖書を研究しましたか。これが良い方法だといえるのはなぜですか。

今から100年以上前,C・T・ラッセル兄弟と仲間たちから成る少人数の聖書研究者たちが会合を開くようになりました。エホバ神,イエス・キリスト,死者の状態,贖いについての聖書の本当の教えを知りたいと思ったのです。研究方法はシンプルなものでした。誰かが疑問点を挙げ,そのテーマに関係のある聖句全てをみんなで調べていく,という方法です。最後に結論を記録します。エホバの祝福により,誠実な聖書研究者たちは聖書の多くの基本的な教えを確認できました。それらの教えを今の私たちも大切に思っています。

2. 聖書の預言を理解しようとする時に,どんなことで間違いが入り込むことがありますか。

2 聖書研究者たちはやがて,ある教理に関する聖書の教えを理解するよりも,聖書の預言の意味を正確に見分ける方が難しいことに気付きました。なぜ難しいのでしょうか。1つとして,預言は多くの場合,実現の途上にあるか,実現した後でなければ十分に理解できないからです。もう1つの点として,預言を正確に理解するには文脈を考えなければなりません。預言の一面に注目してほかの面を考えないなら,間違って解釈してしまうかもしれません。今回,この点を踏まえてヨエル書の預言が再考されました。その預言を振り返り,これまでの理解をなぜ調整する必要があるかを考えましょう。

3‐4. 私たちはこれまでヨエル 2章7‐9節の預言をどのように理解していましたか。

3 ヨエル 2:7‐9を読む。ヨエルはバッタの大発生によってイスラエルの土地が荒らされることを予告しました。ライオンのような歯や顎を持つバッタは,あらゆる草木を食い尽くします。(ヨエ 1:4,6)多年にわたり,この預言はエホバの民による伝道活動の様子を預言的に表すものと考えられてきました。バッタの大群が進むのと同じような勢いで行われる伝道活動です。宗教指導者たちの手中にある「土地」,つまり人々がその活動によって壊滅的な打撃を受ける,と理解していました。 *

4 ヨエル 2章7‐9節だけを読むなら,この説明はもっともに思えるかもしれません。しかし,この預言の文脈も考えると異なった理解に至ります。理解が調整された4つの理由を確かめましょう。

4つの理由

5. ヨエル 2章20節からどんな疑問が生じますか。

5 第一に,大発生したバッタについてエホバが何と述べているかに注目してください。「私はから来る者たち[バッタ]をあなたたちからざけ[る]」。ヨエ 2:20)バッタが,イエスの命令通りに伝道し人々を弟子とするエホバの証人を表すのであれば,なぜエホバによって遠ざけられるのでしょうか。(エゼ 33:7‐9。マタ 28:19,20)エホバが遠ざけるのは,エホバに忠実に仕える人々ではなく,エホバの民に敵対するものであるに違いありません。

6. ヨエル 2章25節からどんな疑問が生じますか。

6 第二に,ヨエル 2章25節を考えましょう。エホバがこう言っています。「群がるバッタ,羽のないバッタ,食い荒らすバッタ,食らい付くバッタ,あなたたちの所に私が送り込んだ大軍が食い尽くした年月を,私はめ合わせる」。バッタの被害をエホバが「埋め合わせる」のです。バッタが王国について伝道する人々を表すのであれば,王国についてのメッセージは被害をもたらすことになってしまいます。でも,そのメッセージは命を救います。心を動かされて悔い改める悪人もいます。(エゼ 33:8,19)伝道は人々のためになるのです。

7. ヨエル 2章28,29節の「その後」という表現に注目する必要があるのはなぜですか。

7 ヨエル 2:28,29を読む。第三に,預言されている出来事の順序を考えましょう。エホバは「その後私は聖なる力を……注ぐ」と言っています。バッタが任務を終えた後です。バッタが王国について伝道する人々だとしたら,伝道が完了したに聖なる力が注がれることになってしまいます。でも実際には,強力な聖なる力が注がれていたので,反対や禁令の中で何十年も伝道を続けることができました。

J・F・ラザフォード兄弟をはじめ天に行く希望を持つ人たちは,今の邪悪な体制を神が滅ぼすというメッセージを大胆に伝えた。(8節を参照。)

8. 啓示 9章1‐11節のバッタは誰を表していますか。(表紙の写真を参照。)

8 9:1‐11を読む。第四の理由です。以前私たちは,ヨエルが預言したバッタの災厄を伝道活動と結び付けていました。「ヨハネへの啓示」の預言に似ているからです。啓示の預言に出てくるバッタの群れは,人間の顔を持ち,頭に「金の冠のような物」をかぶっています。(啓 9:7)この描写は,天に行く希望を持つ人々に当てはまるものと思われます。バッタは,「額に神の証印がない人々」つまり神の敵たちを5カ月間苦しめます。5カ月はバッタの平均的な寿命です。(啓 9:4,5)今の邪悪な体制を神が滅ぼすというメッセージを大胆に伝えるので,今の体制を支持する人々はとても嫌がり,苦しめられていると感じます。

9. ヨエルが見たバッタとヨハネが見たバッタには,どんな大きな違いがありますか。

9 「ヨハネへの啓示」の預言とヨエル書の預言には確かに似ている所があります。でも,大きな違いもあります。ヨエルの預言では,バッタは草木を食い荒らします。(ヨエ 1:4,6,7)ヨハネが見た幻では,バッタは「地上の植物を……損なってはならない」と告げられています。(啓 9:4)ヨエルが見たバッタは北から来ました。(ヨエ 2:20)ヨハネが見たバッタは底知れぬ深みから出てきました。(啓 9:2,3)ヨエルが見たバッタは遠ざけられます。一方,ヨハネが見たバッタは遠ざけられず,務めを完了します。エホバに嫌われてはいません。(「 バッタについての預言 似ているが異なる」という囲みを参照。)

 

10. ある象徴表現が文脈によって異なる意味を持つことを示す,どんな例がありますか。

10 2つの預言には大きな違いがあります。ですから,この2つの預言は無関係です。従って,ヨエルが見た「バッタ」とヨハネが見た「バッタ」は別のものを指しています。聖書では,ある象徴表現が文脈によって異なる意味を持つことがあります。例えば,啓示 5章5節ではイエスが「ユダ族の者であるライオン」と呼ばれ,ペテロ第一 5章8節では悪魔が「ほえるライオン」と呼ばれています。こうした事柄を考え合わせ,ヨエルの預言の意味が再考されました。どんな意味があるのでしょうか。

どんな意味があるか

11. バッタは何を表していますか。ヨエル 1章6節,2章1,8,11節からどんなヒントが得られますか。

11 ヨエルの預言の文脈を調べると,軍隊による攻撃が予告されていたことが分かります。(ヨエ 1:6; 2:1,8,11)エホバは,「大軍」であるバビロニアの兵士たちを用いて不従順なイスラエル人を処罰する,と言いました。(ヨエ 2:25)バビロニアの軍隊が「北から来る者たち」と呼ばれているのは適切です。北方からイスラエルに攻めてきたからです。(ヨエ 2:20)バビロニアの軍隊は,襲来するバッタの大群のようです。ヨエルはこう描写しています。「それぞれ[兵士たち]が自分の進路を行く。……町の中へ突き進み,城壁の上を走る。家々に上り,泥棒のように窓から入り込む」。(ヨエ 2:8,9)様子を思い描くことができますか。あちこちに兵士がいて,どこにも隠れることができません。剣を持つバビロニアの軍隊から誰も逃げることができないのです。

12. バッタについてのヨエルの預言はどのように実現しましたか。

12 バビロニア人(カルデア人)は紀元前607年にエルサレムに攻め込みました。聖書はこう伝えています。「[カルデア人の]王は……若者たちを剣で殺し,若い男女にも老人にも病弱な人にも同情しなかった。神は全てを王の手に渡したのである。真の神の家を焼き払い,エルサレムの城壁を破壊し,防備された塔を全て焼き,な物を全した」。代二 36:17,19)バビロニア人がエルサレムを壊滅させると,人々は,「ここは人も動物もいない荒れ地で,カルデア人の手に渡された」と言います。(エレ 32:43

13. エレミヤ 16章16,18節はどんなことを述べていますか。

13 ヨエルが預言してから約200年後,エホバはエレミヤに,エルサレムへの攻撃の詳細を予告させました。悪を行うイスラエル人が徹底的に捜され,捕らえられるという予告です。「エホバはこう宣言する。『私は多くの漁師を呼び集め,彼らは人々を捕らえる。その後,私は多くの狩人を呼び集め,彼らは人々を狩り出す。全ての山や丘で,また大岩の裂け目から。私は……彼らの過ちと罪に対して十分に返報する』」。バビロニア人が攻めてくる時,悔い改めないイスラエル人が隠れることのできる場所は,海にも森にもありません。(エレ 16:16,18

復興

14. ヨエル 2章28,29節はいつ実現しましたか。

14 ヨエルは次に,明るいメッセージを伝えています。土地が復興し,作物を実らせるのです。(ヨエ 2:23‐26)その後,ある時点で,神からの知識が豊かに与えられます。エホバは言いました。「私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言[する]。……私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぐ」。(ヨエ 2:28,29)この言葉の通りにエホバの聖なる力が注がれたのは,イスラエル人がバビロンから故国に戻ったすぐ後のことではありません。何百年も後である西暦33年のペンテコステの日のことです。なぜそういえますか。

15. ペテロは使徒 2章16,17節ヨエル 2章28節を引用した時,どの表現を変えましたか。そのことにはどんな意味がありますか。

15 使徒ペテロは神に導かれ,ヨエル 2章28,29節を西暦33年のペンテコステの日に起きた驚くべき出来事に結び付けました。午前9時ごろ,聖なる力が注がれるという奇跡が起き,聖なる力が注がれた人は「神の偉大な働きについて」話し始めました。(使徒 2:11)神に導かれていたペテロは,ヨエルの預言を引用した時,少し異なる表現を用いました。どの表現を変えたのでしょうか。使 2:16,17を読む。)「その後」という前置きの代わりに,「終わりの時に」という表現を使いました。この文脈では,ユダヤ人の体制の終わりの時代を指しています。その時代に,神の聖なる力が「あらゆる人に」注がれました。従って,ヨエルのこの預言が実現するまでに,かなりの年月が経過したことになります。

16. 神の聖なる力が働いて,1世紀に伝道はどれほどの規模で行われましたか。今の時代はどうですか。

16 1世紀に神の聖なる力が注がれてから,伝道は目を見張る規模で行われるようになりました。使徒パウロがコロサイのクリスチャンに手紙を書いた西暦61年ごろには,良い知らせが「天の下の至る所で伝えられ」ている,と語ることができました。(コロ 1:23)パウロの時代に知られていた世界の「至る所」にまで伝えられたのです。今の時代はどうですか。エホバの強力な聖なる力が働いてきたため,伝道はもっと広い範囲で,「地の果てにまで」行われています。(使徒 13:47。「 私は聖なる力を……注ぐ」という囲みを参照。)

 

何が変わったか

17. バッタに関するヨエルの預言は,何について予告していましたか。

17 今回,何が変わりましたか。ヨエル 2章7‐9節の預言を正確に理解できるようになりました。この聖句は,エホバの民による熱心な伝道活動に関する予告ではありません。紀元前607年にエルサレムに攻め込んだバビロニア軍の行動について予告していたのです。

18. 何は変わっていませんか。

18 何は変わっていませんか。エホバの民がどこででも,いろいろな方法を使って良い知らせを伝えていく,という点です。(マタ 24:14)政府が制限を課しても,私たちは伝道する任務を果たします。エホバが祝福してくださっているので,これまで以上に熱心に,勇気を奮って,王国についての良い知らせを伝えます。私たちは謙虚な気持ちで,聖書の預言を正しく理解するための導きをエホバに求めます。エホバはふさわしい時に,「真理を十分に理解できるように導いて」くださいます。(ヨハ 16:13

48番の歌 日ごとにエホバと共に歩む

^ 5節 私たちは多年にわたり,ヨエル 1章と2章の預言は現代の伝道活動を予告するものだと考えてきました。しかし,ヨエルの預言のこの部分について理解を調整する必要があることが分かりました。4つの理由があります。どんな理由でしょうか。

^ 3節 「ものみの塔」2009年4月15日号「創造物に見られるエホバの知恵」という記事の14‐16節を参照。