研究記事29

「私が弱い時,私には力がある」

「私が弱い時,私には力がある」

「私は,弱いところ,侮辱,窮乏,迫害,困難を,キリストのために喜びます」。コリント第二 12:10

60番の歌 神はあなたを強い者としてくださる

を学ぶか *

1. パウロはどんなことを率直に認めていますか。

使徒パウロは,自分が弱いと感じる場合があることを率直に認めています。体が「衰えていく」こと,正しいことをしようと苦闘していること,自分の願い通りの方法でエホバが祈りに答えてくださるとは限らないことを認めています。(コリ二 4:16; 12:7‐9。ロマ 7:21‐23)反対者たちから弱々しいと思われていることも認めていました。 * しかし,人からけなされても,自分に弱さがあっても,自分には価値がないとは考えませんでした。(コリ二 10:10‐12,17,18

2. コリント第二 12章9,10節によると,パウロはどんな点を学びましたか。

2 パウロは大切な点を学びました。自分が弱いと感じるときにも強くなれる,という点です。(コリ二 12:9)エホバはパウロに,「人が弱い時にこそ,私の力は完全に発揮される」と言いました。エホバがパウロに必要な力を与え,弱い部分を補う,という意味です。(コリ二 12:10)ではまず,反対者たちに侮辱されても心を乱す必要がないのはなぜかを考えましょう。

「侮辱」を喜ぶ

3. 侮辱を喜べるのはなぜですか。

3 侮辱されてうれしい人はいません。敵対者に侮辱されてひどく心を乱されるなら落胆してしまいます。(格 24:10)では,侮辱されるときにどう考えるとよいですか。パウロのように「侮辱」を喜ぶことができます。(コリ二 12:10)なぜですか。侮辱され反対されることは,イエスの真の弟子であるしるしだからです。(ペテ一 4:14)イエスは弟子たちが迫害に遭うと言いました。(ヨハ 15:18‐20)その通りのことが1世紀に起きました。当時,クリスチャンはギリシャ文化の影響を受けた人たちから無知で弱い人と見られていました。ユダヤ人からは,使徒のペテロやヨハネと同様,「教育のない普通の人」と見られていました。(使徒 4:13)クリスチャンが弱い存在と見られていたのは,政治に関わることがなく,軍務に就かず,社会の役に立たないと考えられていたからです。

4. 初期のクリスチャンたちは,反対者たちに見下されて活動をやめてしまいましたか。

4 初期のクリスチャンたちは,反対者たちに見下されて活動をやめてしまいましたか。いいえ。ペテロとヨハネは,イエスの教えを広め,イエスの弟子であるゆえに迫害されることを栄誉と見なしました。(使徒 4:18‐21; 5:27‐29,40‐42)恥じる理由はありませんでした。1世紀の謙遜なクリスチャンたちは結果的に,反対者たちよりもはるかに人々のためになることをしたからです。例えば,イエスに従う人たちが書いた聖書は,無数の人々の役に立ち,希望を与えてきました。その人たちが広めてきた神の王国は,今存在しているだけでなく,間もなく全人類を統治します。(マタ 24:14)クリスチャンを迫害したローマ帝国はすでに崩壊していますが,イエスに従った人たちは今天で王として治めています。一方,当時の反対者たちはもう生きていません。仮に復活するとしても,神の王国の統治に従うことになります。その王国は,自分たちが憎んでいたクリスチャンたちが広めていたものです。(啓 5:10

5. ヨハネ 15章19節によれば,エホバの証人が見下されるのはなぜですか。

5 私たちエホバの証人は,時折見下され,無知で弱い人としてあざけられることがあります。周囲の人たちと同じ態度を取らないからです。私たちは,謙遜,温厚,従順であるように努めています。世の人たちは,高慢,傲慢,反抗的な人になびきます。さらに,私たちは政治に関わることはなく,どんな国の軍務に就くこともしません。世に形作られないようにしているので,劣った存在と見なされます。ヨハネ 15:19を読む。ロマ 12:2

6. エホバは私たちを用いてどんなことを行っていますか。

6 私たちが世でどう思われているとしても,エホバは私たちを用いて壮大なことを行っています。かつてない規模での伝道活動を推し進めています。エホバに仕える人たちは,世界で最も多くの言語に翻訳され,最も広く頒布されている雑誌を生産しています。聖書を使って,幾百万もの人たちが充実した生活を送れるよう助けています。エホバの力なしにはできないことです。一見弱い人たちから成る集団を用いて驚くべき事柄を行っているのはエホバです。では,私たち一人一人についてはどうですか。エホバは個人にも力を与えてくださいますか。力を頂くために何をする必要がありますか。パウロから学べる3つの点を考えましょう。

自分の力に頼ってはならない

7. パウロから学べる1つの点は何ですか。

7 パウロから学べる1つの点は,エホバに仕える時,自分の力や能力に頼ってはならない,ということです。多くの人から見れば,パウロが高慢になり,自分に頼るとしても不思議ではありませんでした。パウロはローマの属州キリキアの首都タルソスで育ちました。タルソスは繁栄した都市であり,学問の中心地でした。パウロは高い教育を受けました。当時のユダヤ人の指導者で,とても尊敬されていたガマリエルという人から教えられました。(使徒 5:34; 22:3)パウロもユダヤ人の社会で影響力を持つようになりました。「多くの同年代の同胞よりもユダヤ教に打ち込[んでいた]」と言っています。(ガラ 1:13,14。使徒 26:4)それでも自分の力に頼ることはありませんでした。

パウロはイエスに従うことを栄誉と考えたので,世の人々からすれば強みにできるものを「多くのごみ」と見なした。(8節を参照。) *

8. フィリピ 3章8節によれば,パウロは手放したものをどう見なしましたか。パウロが「弱いところ」を喜んだのはなぜですか。

8 パウロは,世の人々からすれば強みにできるものを進んで手放しました。そうしたものを「多くのごみ」と見なしました。フィリピ 3:8を読む。)パウロはイエスに従ったために多くの困難を経験しました。自国民から憎まれました。(使徒 23:12‐14)自分と同じローマ市民から打ちたたかれ,牢屋に入れられました。(使徒 16:19‐24,37)自分の不完全さを痛感していました。(ロマ 7:21‐25)反対されたり,自分の弱さを思い知らされたりしても,イエスに従うことをやめず,「弱いところ」を喜びました。なぜですか。弱い時,神の力が働いたことが分かったからです。(コリ二 4:7; 12:10

9. エホバに差し出せるものがないと思うとき,どうしたらよいですか。

9 エホバから力を頂きたいなら,体力,教育,育ち,富によって自分の価値が決まると考えてはなりません。エホバに用いていただくのに,そうした要素が大切なのではありません。エホバに仕える人の中で,「人から見て賢い人,力のある人,高貴な生まれの人は多くありません」。エホバは「世の中の弱いもの」を選んで用います。(コリ一 1:26,27)自分にはエホバに差し出せるものがないと考えてエホバに仕えるのをためらわないでください。エホバの力が自分のうちに働くのを見るチャンス,と考えてください。あなたの信仰に異論が挟まれておじけづきそうなときには,大胆に信仰を弁明できるようエホバに助けを祈り求めてください。(エフェ 6:19,20)重い病気と闘っているなら,エホバにできる限り奉仕できるよう,必要な力を求めて祈ってください。エホバの助けを経験するたびに,あなたの信仰は深まり,あなたは強くなっていくでしょう。

聖書中の手本から学ぶ

10. ヘブライ 11章32‐34節に挙げられているような,エホバに信仰を示した人の例について考えるとよいのはなぜですか。

10 パウロは聖書を熱心に学びました。聖書に記されている事柄をよく知っていましたが,聖書中の人物の手本から教訓を得てもいました。ヘブライ人のクリスチャンに手紙を書いた時,エホバに信仰を示したたくさんの人の例を挙げ,その人たちの手本を思い巡らすよう勧めました。ヘブライ 11:32‐34を読む。)そのうちの1人であるダビデ王について考えてみましょう。ダビデは敵に立ち向かわなければならないだけでなく,以前は友だった人たちから攻撃されました。パウロは,ダビデの生涯について思い巡らすことからどんな励みを得たでしょうか。私たちはどのようにパウロに倣えますか。

ダビデはゴリアテにあざけられた時,状況は不利に思えたが,エホバの力が自分のうちに働くのを見ることができた。(11節を参照。)

11. ダビデが弱く見えたのはなぜですか。(表紙の絵を参照。)

11 体格の良い戦士ゴリアテからすれば,ダビデは弱い若者にすぎませんでした。ゴリアテは,「ダビデを見て,侮[り]」ました。体格,装備,戦いの訓練の点で自分の方がずっと上です。ダビデはといえば,経験のない少年にすぎず,戦場に出るような装備を着けてすらいません。ところが,この弱みは強みになりました。ダビデはエホバの力に頼って敵を倒しました。(サム一 17:41‐45,50

12. ダビデはどんな経験もしましたか。

12 ダビデは,自分は弱くて力がないと感じるような別の経験もしました。ダビデは,エホバが選んだイスラエルの王サウルにひたすら尽くしてきました。サウルは初め,ダビデを高く評価していました。しかし,後にプライドが邪魔をしてダビデを嫉妬するようになりました。ダビデに危害を加え,殺そうとさえしました。(サム一 18:6‐9,29; 19:9‐11

13. ダビデはサウルから不当な仕打ちを受けた時,どうしましたか。

13 ダビデはサウルから不当な仕打ちを受けましたが,エホバの選んだ王に敬意を示し続けました。(サム一 24:6)サウルからされたことでエホバを恨んだりしませんでした。苦しい状況に耐えるための力を求めてエホバに頼りました。(詩 18:1

14. パウロは,ダビデに似たどんな経験をしましたか。

14 パウロもダビデのような経験をしました。パウロに敵対する人たちは,パウロよりもはるかに強力でした。当時の名の知れた指導者たちに憎まれました。打ちたたかれ牢屋に入れられることもよくありました。ダビデのように,本来は友であるはずの人たちからひどい扱いを受けました。クリスチャン会衆の中にいる人たちから反対されることもありました。(コリ二 12:11。フィリ 3:18)でもパウロは反対に負けませんでした。迫害されても伝道を続けました。仲間の兄弟姉妹に気落ちさせられることがあっても,揺るぎない愛を示し続けました。何よりも,最後までエホバに仕え続けました。(テモ二 4:8)そこまでできたのは,パウロが強かったからではなく,エホバの力に頼ったからです。

私たちの信条について尋ねてくる人に,敬意を込めつつ親切に説明する。(15節を参照。) *

15. 反対されるとき,私たちが目指すのはどんなことですか。そのために何ができますか。

15 クラスメート,職場の同僚,エホバの証人ではない家族から侮辱されたり迫害されたりすることがありますか。会衆の誰かからつらく当たられたことがありますか。そうであれば,ダビデやパウロの手本を思い出しましょう。「善によって悪を征服し」続けることができます。(ロマ 12:21)反対されるとき,私たちはダビデのように文字通り相手を倒すことはしません。でも状況が許すなら,相手がエホバと聖書について理解できるよう助けることにより,悪を征服します。そのために,聖書を使って人々の疑問に答え,つらく当たる人にも敬意を込めつつ親切に接し,敵対する人を含め全ての人に善を行います。(マタ 5:44。ペテ一 3:15‐17

助けを受け入れる

16‐17. パウロはどんなことを忘れませんでしたか。

16 パウロは,イエスに従うようになる前は横柄な若者で,イエスの弟子たちを迫害していました。(使徒 7:58。テモ一 1:13)イエスは事態に介入し,当時サウロとして知られていたパウロが会衆に危害を加えるのをやめさせました。天からパウロに話し掛け,パウロの視力を奪いました。パウロが視力を取り戻すには,まさに自分が迫害していた人々からの助けを受け入れる必要がありました。パウロは謙遜になり,アナニアという弟子の助けを受け入れ,目が見えるようになりました。(使徒 9:3‐9,17,18

17 パウロは後に,クリスチャン会衆の主立った人になりました。でもダマスカスへの道中でイエスから教えられた事柄を忘れることはありませんでした。謙遜であり続け,兄弟姉妹からの助けを進んで受け入れました。兄弟姉妹が「力づけ,助けてくれて」いることを認めています。(コロ 4:10,11

18. 兄弟姉妹からの助けを受け入れるのをためらう場合があるのはなぜですか。

18 パウロから何を学べますか。私たちは集会に行き始めた頃は,喜んで他の人の助けを受け入れていたことでしょう。信仰において未熟で,学ぶべきことがたくさんあると思っていたからです。(コリ一 3:1,2)今はどうですか。エホバに長く仕え,経験を積んでくると,以前ほど素直に他の人からの助けを受け入れていないかもしれません。自分よりも経験の浅い人から助けを差し伸べられる場合は特にそうです。しかし,エホバはしばしば兄弟姉妹を用いて私たちを力づけます。(ロマ 1:11,12)エホバから力を頂きたいと思うなら,そのことを心に留めておく必要があります。

19. パウロがエホバに喜ばれる働きをすることができたのはなぜですか。

19 パウロはクリスチャンになった後,目覚ましい働きをしました。なぜそうできましたか。エホバに喜ばれる働きをするには,体力,教育,富,社会的立場に頼るのではなく,謙遜であり,エホバに頼ることが重要である,ということを知っていたからです。パウロに倣って,(1)エホバに頼り,(2)聖書中の手本から学び,(3)兄弟姉妹からの助けを受け入れましょう。そうすれば,自分がどんなに弱いと感じるとしても,エホバが力を与えてくださいます。

17番の歌 証人たちよ,進め!

^ 5節 この記事ではパウロの手本について考えます。あざけられたり自分が弱いと感じたりするときでも,謙遜であればエホバが力を与えてくださる,ということを学びます。

^ 1節 の説: 自分がと感じる理由はさまざまです。罪を受け継いでいること,貧しいこと,病気であること,教育をあまり受けていないことなどです。敵対者たちが中傷や迫害によって私たちを弱らせようとすることもあります。

^ 57節 や挿: パウロは,以前パリサイ派として生活していた時に持っていたものを手放し,キリストについて伝道するようになった。もしかしたら,聖句箱や,著述家たちが書いた巻物を手放したのかもしれない。

^ 61節 や挿: 兄弟は同僚の誕生日を祝わないかとしきりに誘われている。