研究記事47

あなたは進んで自分を正しますか

あなたは進んで自分を正しますか

「最後に,兄弟たち,これからも喜び,正され……てください」。コリント第二 13:11

65番の歌 「これが道である」

を学ぶか *

1. マタイ 7章13,14節によると,私たちはどんな旅をしていると言えますか。

私たちは皆,旅をしています。目的地は,愛情深いエホバが治める新しい世界です。私たちは命に至る道を歩もうと毎日努力しています。しかし,イエスが言った通り,この道は狭められていて,歩むのが難しいこともあります。マタイ 7:13,14を読む。)私たちは完全ではないので,この道からそれてしまう傾向があります。(ガラ 6:1

2. この記事では,どんな点を考えますか。(「 謙遜であることは自分を正すのに役立つ」も参照。)

2 命に至る狭い道を歩み続けたいと思うなら,自分の考え方や態度や行動を進んで正す必要があります。使徒パウロはコリントのクリスチャンに,これからも自分を正すよう勧めました。(コリ二 13:11)このアドバイスは私たちにも当てはまります。この記事では,次の点を考えます。聖書は,私たちが自分を正すのにどのように役立ちますか。クリスチャンとして十分に成長した仲間は,私たちが命に至る道を歩み続けられるよう,どのように助けてくれますか。どんな場合に,エホバの組織からの指示に従うのが難しく思えるかもしれませんか。謙遜であることは,エホバに仕える喜びを失わずに自分を正していく上でどのように役立ちますか。

神の言葉によって自分を正す

3. 神の言葉はどのように役立ちますか。

3 自分の考え方や感じ方を調べるのは,簡単なことではありません。心は信用できず,正しい方向に導いてくれるとは限りません。(エレ 17:9)私たちは,心に欺かれて「間違った考え方をして」しまうことがよくあります。(ヤコ 1:22)ですから,神の言葉を使って自分自身を調べる必要があります。神の言葉は,私たちの心の奥底にある「考えや願い」を明らかにします。(ヘブ 4:12,13)レントゲン装置を使うと物の内側が見えるように,聖書を使うと私たちの内面を見ることができます。しかし,聖書の教えや,教え導く役割を与えられている兄弟たちからのアドバイスを当てはめるには,謙遜でなければなりません。

4. サウル王が謙遜さを失ってしまったことは,どんなことから分かりますか。

4 謙遜であることの大切さについて,サウル王の例から考えてみましょう。サウルは誇りの気持ちが強くなって,自分の考え方や行動を正す必要があることを認めようとしませんでした。(詩 36:1,2。ハバ 2:4)次のようなことがありました。サウルは,アマレク人を打ち破った後どうすべきかについて,エホバから明確な指示を与えられていましたが,その通りにしませんでした。預言者サムエルにそのことを指摘されても,サウルは自分の間違いを認めませんでした。それどころか,指示に従わなかったのは大したことではないと考え,責任を部下たちに押し付けて,自分を正当化しようとしました。(サム一 15:13‐24)サウルは以前にも,同じようにしたことがありました。(サム一 13:10‐14)残念なことに,心が傲慢になっていたのです。サウルは考え方を正さなかったので,エホバから戒められ,退けられてしまいました。

5. サウルのようにならないために,どんなことができますか。

5 サウルのようにならないために,次のように考えるのは良いことです。「聖書のアドバイスを読んでも,これは自分には当てはまらないと考えることが多いだろうか。従わなくても大したことではないと思うだろうか。責任をほかの人に押し付けることがあるだろうか」。1つでも心当たりがあるなら,考え方や態度を正す必要があります。そうしないと,心が傲慢になり,エホバから退けられてエホバの友でいることはできなくなってしまいます。(ヤコ 4:6

6. ダビデはサウルとどのように対照的でしたか。

6 サウル王と対照的だったのは,その後を継いだダビデです。ダビデは「エホバの律法」を愛する人でした。(詩 1:1‐3)エホバが謙遜な人を救い,傲慢な人に敵対する,ということを知っていました。(サム二 22:28)それで,神の律法によって自分の考え方を正しました。こう書いています。「私は,助言してくださったエホバを賛美する。夜,自分の奥底の考えによって正される」。(詩 16:7

の言

私たちが正しい道からそれそうになる時,神の言葉はそのことに気付かせてくれる。謙遜であれば,神の言葉によって自分の間違った考え方を正すことができる。(7節を参照。)

7. 謙遜な人は,どのように行動しますか。

7 謙遜であれば,神の言葉によって間違った考え方を正すことができ,間違ったことをせずに済みます。神の言葉は,私たちにこう語り掛けています。「これが道である。この道を歩みなさい」。私たちが正しい道から右や左にそれそうになる時,そのことに気付かせてくれるのです。(イザ 30:21)エホバの声に耳を傾けることは,多くの面で私たちのためになります。(イザ 48:17)例えば,誰かに間違いを指摘されて恥ずかしい思いをする,ということを避けられます。また,エホバが私たちを子供のようにかわいがってくれていることを実感して,エホバをいっそう身近に感じることができます。(ヘブ 12:7

8. ヤコブ 1章22‐25節からすると,どうすれば聖書を鏡のように使うことができますか。

8 神の言葉 聖書は鏡のような働きをします。ヤコブ 1:22‐25を読む。)私たちは毎朝出掛ける前にたいてい鏡を見ます。そうすれば,人に見られる前に,身だしなみを整えることができます。同じように,毎日聖書を読むなら,自分の考え方や態度をどのように正すべきかが分かります。多くの人は,毎朝出掛ける前に日々の聖句を読むと良い,と感じています。読んだことを一日中思い巡らし,聖書のアドバイスをどのように当てはめられるかを考えることができるからです。それに加えて,私たちは聖書を毎日読んで黙想することを習慣にする必要があります。これは基本的なことに思えるかもしれませんが,命に至る狭い道を歩み続けるために欠かせないことなのです。

仲間の言葉に耳を傾ける

のクリスチャン

クリスチャンとして十分に成長した仲間が親切に指摘してくれることもある。そういう時,仲間が勇気を持って話してくれたことに感謝するだろうか。(9節を参照。)

9. どんな場合に,仲間から正されることがあるかもしれませんか。

9 あなたは,命に至る道からそれかけたことがありますか。(詩 73:2,3)その時,クリスチャンとして十分に成長した仲間が勇気を持って話してくれたかもしれません。あなたはそのアドバイスに耳を傾けて当てはめましたか。もしそうしたのであれば,それは立派なことです。仲間が正してくれたことにきっと感謝していることでしょう。(格 1:5

10. 仲間から正された時は,どうすると良いと思いますか。

10 聖書には,「忠実な友は傷を負わせ[る]」とあります。(格 27:6)どういう意味でしょうか。例えで考えてみましょう。あなたは交通量の多い道を渡ろうとしています。しかし,携帯電話に気を取られて,左右をよく見ずに道を渡り始めてしまいます。その時,友達があなたの腕をつかんで歩道に引き戻してくれます。とても強くつかまれたのであざができてしまいましたが,おかげで車にひかれずに済みました。つかまれた所が何日か痛むとしても,その友達に文句を言ったりはしないでしょう。助けてくれたことを感謝するはずです。同じように,自分の言葉や行動が神の正しい基準に沿っていないと仲間から指摘されると,最初は傷つくかもしれません。しかし,腹を立てたり文句を言ったりしてはなりません。それは愚かなことです。(伝 7:9)仲間が勇気を持って話してくれたことに感謝しましょう。

11. 仲間からのせっかくの良いアドバイスを退けてしまう原因には何がありますか。

11 親切な仲間からせっかく良いアドバイスをもらっても,それを退けてしまう原因には何がありますか。誇りの気持ちです。誇りの気持ちがある人は,「自分たちが聞きたい話をしてもらう」ことを好み,「真理に耳を傾けなくなり」ます。(テモ二 4:3,4)自信過剰になって,自分にはアドバイスなど必要ないと考えます。しかし,使徒パウロはこう書いています。「本当は何者でもないのに,自分は大した者だと考える人は,間違った見方をしています」。(ガラ 6:3)また,ソロモン王もこう述べています。「年を取っているのに愚かで警告を受け入れない王よりも,貧しくても賢い子供の方がよい」。(伝 4:13

12. ガラテア 2章11‐14節にある使徒ペテロの例から何を学べますか。

12 使徒ペテロの例を考えてみましょう。ペテロはみんなの前でパウロから正されました。ガラテア 2:11‐14を読む。)あんな所であんな言い方をしなくても,と腹を立ててもおかしくありませんでした。でも,ペテロは賢い判断をしました。アドバイスを受け入れ,パウロを恨んだりはしませんでした。それどころか,後にパウロのことを「愛する兄弟」と呼んでいます。(ペテ二 3:15

13. アドバイスをする時には,どんなことに気を付ける必要がありますか。

13 仲間にアドバイスをしなければならないと感じる時には,どんなことに気を付ける必要がありますか。仲間に話す前に,こう考えましょう。「私は『正しさにあまりにこだわって』いないだろうか」。(伝 7:16)正しさにあまりにこだわると,エホバの基準ではなく自分の基準で人を判断してしまい,厳しい見方をしがちです。慎重に考えた上で,それでも話す必要があると思うなら,どうしますか。問題点をはっきり伝え,質問を使って相手の気持ちを引き出してください。相手の気持ちや考え方が分かると,間違いに気付くよう助けやすくなります。聖書に基づいて話すようにしましょう。あなたが行うべきなのは,仲間を批判することではなく,エホバの気持ちを理解できるように助けることだからです。(ロマ 14:10)神の言葉の知恵に従い,アドバイスをする時には,イエスのように思いやりを示しましょう。(格 3:5。マタ 12:20)私たちが人に思いやりを示すなら,エホバも私たちに思いやりを示してくださるからです。(ヤコ 2:13

神の組織からの指示に従う

の組

神の組織は,聖書のアドバイスを当てはめるのに役立つ,出版物やビデオや集会を用意している。統治体は,私たちの活動の仕方に調整を加えることもある。(14節を参照。)

14. 神の組織は私たちのために何を用意していますか。

14 エホバはご自分の組織の地上の部分を用いて,私たちが命に至る道を歩み続けられるよう導いてくださいます。神の組織は,聖書に収められているアドバイスを当てはめるのに役立つ,ビデオや出版物や集会を用意しています。これらは全て,聖書に基づいているので信頼できます。統治体は,伝道活動をどのように行っていくのが一番良いかを決めるに当たって,聖なる力の導きを求めます。それだけでなく,過去に下した決定に調整が必要かどうかにいつも気を配っています。「今の世のありさまは変わっていく」ので,神の組織も状況の変化に対応していく必要があるからです。(コリ一 7:31

15. どんな時に難しさを感じるかもしれませんか。

15 聖書の教えや道徳基準に関する説明が組織から新たに与えられた場合,私たちは進んで受け入れることでしょう。しかし,私たちの生活に影響するような変更が加えられた場合はどうでしょうか。例えば,最近では,崇拝に関連した施設の建設やメンテナンスのために,ますます多くの資金が必要になっています。それで統治体は,王国会館をできるだけ有効に活用するよう指示しています。その結果,会衆の合併や王国会館の売却が行われてきました。こうした工夫によって得られた資金は,王国会館がいっそう必要とされている地域での建設プロジェクトに使われています。自分の住んでいる地域で王国会館の売却や会衆の合併が行われる場合,状況の変化に対応することに難しさを感じるかもしれません。王国会館がこれまでより遠くなるかもしれません。王国会館の建設やメンテナンスを一生懸命行っていた人なら,「なぜ売却されるのだろう。自分の時間や努力は無駄になった」と思うかもしれません。それでも,こうした調整にみんなが協力しています。それは本当に立派なことです。

16. コロサイ 3章23,24節にあるアドバイスは,喜びを保つ上でどのように役立ちますか。

16 私たちはエホバのために働いており,エホバはご自分の組織を導いておられます。このことを忘れないなら,喜びを保つことができます。コロサイ 3:23,24を読む。)ダビデ王は良い手本を残しました。神殿建設のために寄付をした時,こう言いました。「このように自発的な捧げ物をする立場に立たせていただけるとは,私も私の民も何者だというのでしょう。全てのものはあなたから来ていますので,私たちはあなたから頂いたものを捧げたにすぎません」。(代一 29:14)私たちが寄付をする時も,エホバから頂いたものを捧げているにすぎません。それでも,私たちが自分の時間や体力や資産を用いてエホバのために働くなら,エホバはとても喜んでくださいます。(コリ二 9:7

狭い道を歩み続ける

17. 自分の歩みを正す必要に気付いても,がっかりしなくてよいのはなぜですか。

17 命に至る狭い道を歩み続けるには,イエスの歩みにしっかり付いていかなければなりません。(ペテ一 2:21)自分の歩みを正す必要に気付いても,がっかりしないでください。それは,エホバの指示に従いたいと思っていることの表れだからです。エホバは,不完全な私たちにイエスの手本に完璧に倣うよう求めたりはされません。

18. 目的地にたどり着くために,何をする必要がありますか。

18 将来に目を向け,自分の考え方や態度や行動を進んで正していきましょう。(格 4:25。ルカ 9:62)謙遜さを保ち,「これからも喜び,正され」るようにしましょう。(コリ二 13:11)そうすれば,「愛と平和の神が共にいてくださいます」。エホバは,私たちが喜びを持って狭い道を歩み続けられるように,そして新しい世界という目的地にたどり着けるように,助けてくださるのです。

29番の歌 忠誠のうちに歩む

^ 5節 自分の考え方や態度や行動を変えるのは,簡単なことではありません。この記事では,誰もが自分を正す必要があるのはどうしてか,自分を正す時に喜びを保つにはどうすればよいかを考えます。

^ 76節 や挿: 若い兄弟(左)が自分の失敗について打ち明けている。年長の兄弟は静かに耳を傾け,アドバイスが必要かどうか考えている。