研究記事8

試練に遭っても喜びを失わない

試練に遭っても喜びを失わない

「私の兄弟たち,さまざまな試練に遭う時,それを喜ばしいことと考えましょう」。ヤコブ 1:2

75番の歌 わたしたちの喜びの理由

を学ぶか *

1‐2. マタイ 5章11節によると,私たちは試練に遭ってもどう感じることができますか。

イエスは弟子たちが幸せになると約束しましたが,試練に遭うとも言いました。(マタ 10:22,23。ルカ 6:20‐23)私たちはキリストの弟子であることに喜びを感じますが,大変なことが起こる場合もあります。家族から反対されたり,政府から迫害されたり,同僚やクラスメートから悪いことをするように圧力をかけられたりすることを考えると,不安になるかもしれません。

2 普通,迫害されて喜ぶ人はいません。しかし聖書は,喜ぶようにと言っています。例えばイエスの弟子ヤコブは,試練に遭う時に参ってしまうのではなく,それを喜ばしいことと考えるよう勧めました。(ヤコ 1:2,12)イエスも,迫害されても幸福だと言っています。マタイ 5:11を読む。)試練に遭っても,どうすれば喜びを失わずに済むでしょうか。ヤコブが初期クリスチャンたちに書いた手紙の幾つかの点から,多くのことを学べます。まず,当時のクリスチャンがどんな問題にぶつかったか考えましょう。

1世紀のクリスチャンはどんな試練に遭ったか

3. ヤコブがイエスの弟子になって間もなく,どんなことが起きましたか。

3 イエスの異父兄弟ヤコブが弟子になって間もなく,エルサレムにいたクリスチャンたちは反対を受けるようになりました。(使徒 1:14; 5:17,18)ステファノが殺されると,多くのクリスチャンがエルサレムから逃げ,「ユダヤとサマリアの全域に散らされ」ました。キプロスやアンティオキアまで行った人たちもいました。(使徒 7:58–8:1; 11:19)クリスチャンたちはとても大変な経験をしたことでしょう。それでも,行った先々で熱心に良い知らせを伝え,ローマ帝国全域に幾つもの会衆ができました。(ペテ一 1:1)しかし,もっと大変なことが待ち受けていました。

4. 初期クリスチャンたちは,ほかにどんな試練に遭いましたか。

4 初期クリスチャンたちは,さまざまな試練に遭いました。例えば西暦50年ごろ,ローマ皇帝クラウディウスが全てのユダヤ人に,ローマから出ていくよう命じました。それで,クリスチャンになったユダヤ人たちは,家を捨ててどこかに移住しなければなりませんでした。(使徒 18:1‐3)西暦61年ごろ,使徒パウロは,仲間のクリスチャンが人々の前で非難されたり,捕らわれたり,持ち物を奪われたりしたと書きました。(ヘブ 10:32‐34)また,貧困や病気という問題もありました。(ロマ 15:26。フィリ 2:25‐27

5. これからどんな点を考えますか。

5 ヤコブは,西暦62年より前に手紙を書いた時,兄弟姉妹がどんな試練に遭っているかよく知っていました。エホバに導かれてクリスチャンたちに手紙を書き,試練に遭っても喜びを失わないためのアドバイスを与えました。ヤコブの手紙を調べて次の点を考えましょう。ヤコブはどんな喜びについて書いていましたか。どんなものによってその喜びが奪われることがありますか。どんな試練に遭っても喜びを失わないために,知恵と信仰と勇気はどのように役立つでしょうか。

クリスチャンの喜びの理由

ランプの中で燃え続ける火のように,エホバが与えてくださる深い喜びはクリスチャンの心の中で燃え続ける。(6節を参照。)

6. ルカ 6章22,23節によると,クリスチャンが試練に遭っても喜べるのはどうしてですか。

6 病気だったり,貧しかったり,家族と考え方が違ったりすると幸せになれない,と思う人たちもいます。しかし,ヤコブが手紙に書いた喜びは,状況に左右されるものではありません。神の聖なる力が生み出すものです。(ガラ 5:22)クリスチャンが深い喜びや幸せを感じるのは,自分がイエスの手本に倣っていて,エホバに喜ばれていることを知っているからです。ルカ 6:22,23を読む。コロ 1:10,11)そのような喜びは,ランプの中で燃える火のように,クリスチャンの心の中で燃え続けます。病気になったり貧しくなったりしても,消えそうにはなりません。家族やほかの人たちからばかにされたり反対されたりしても,消えません。反対する人たちがその火を消そうとしても,ますます燃え上がります。信仰のゆえに試練に遭うのは,私たちがまさしくキリストの弟子であることの証拠です。(マタ 10:22; 24:9。ヨハ 15:20)だからこそ,ヤコブはこう書きました。「私の兄弟たち,さまざまな試練に遭う時,それを喜ばしいことと考えましょう」。(ヤコ 1:2

試練は鋼の剣を鍛えるのに使われる炎のようなもの。そう言えるのはなぜか。(7節を参照。) *

7‐8. 試練に遭うと,信仰はどうなりますか。

7 ヤコブは,クリスチャンが厳しい試練に遭っても喜べる別の理由も挙げています。「信仰の質が試されると,忍耐力が身に付く」と書いています。(ヤコ 1:3)試練は,鋼の剣を鍛えるのに使われる炎のようなものです。炎で熱して打った剣を冷やすと,鋼は強くなります。同じように,私たちが試練を忍耐すると,信仰が強くなります。それで,ヤコブはこう書きました。「忍耐するのをやめないでください。忍耐がその役割を果たす時,皆さんは完全になり,全ての点で健全な……人になります」。(ヤコ 1:4)試練によって信仰が強くなることが分かると,喜んで忍耐できます。

8 ヤコブは手紙の中で,私たちが喜びを失う原因になり得るものについても書いています。どんな問題が生じることがあるでしょうか。どうすれば乗り越えられるでしょうか。

喜びを奪いかねない問題を乗り越える

9. 知恵が必要なのはどうしてですか。

9 : どうしたらいいか分からない。試練に遭った時には,良い決定をしたいと思うことでしょう。エホバに喜ばれることを行い,兄弟姉妹のためになり,エホバに忠実に仕え続けるためです。良い決定ができるよう,エホバに助けを求めたいと思います。(エレ 10:23)何を行い,反対する人たちに何を言うべきかを知るには,知恵が必要です。どうしたらいいか分からないと,無力感に襲われ,喜びを失ってしまうかもしれません。

10. ヤコブ 1章5節によると,知恵を得るために何をする必要がありますか。

10 : エホバに祈って知を求める。喜んで試練を忍耐するには,まずエホバに祈り,良い決定ができるように知恵を求める必要があります。ヤコブ 1:5を読む。)エホバがなかなか祈りに答えてくれないと感じる場合,どうしたらいいでしょうか。ヤコブは,神に「求め続けてください」と言っています。私たちが知恵を求め続けても,エホバはいら立ったり怒ったりしません。試練を忍耐するための知恵を「惜しみなく与えて」くださいます。(詩 25:12,13)私たちが試練に遭っていることを知っていて,感情移入し,助けたいと思っています。そう考えると喜びが湧いてきます。では,エホバはどのように知恵を与えてくださるのでしょうか。

11. 知恵を得るために,ほかにどんなことをする必要がありますか。

11 エホバはご自分の言葉を通して知恵を与えてくださいます。(格 2:6)その知恵を得るには,聖書と聖書に基づく出版物を学ばなければなりません。でも,知識を蓄えるだけでは不十分です。エホバのアドバイスに従うことによって,学んだ知恵を生活の中で生かす必要があります。ヤコブは,「神の言葉を実践する人になってください。聞くだけの人になってはなりません」と書いています。(ヤコ 1:22)神の助言の通りにするなら,私たちは平和を求めるようになり,分別があって憐れみ深い人になれます。(ヤコ 3:17)そういう人は喜びを失うことなく,試練に立ち向かえます。

12. 聖書をよく知ることが大切なのはどうしてですか。

12 神の言葉は鏡のような働きをし,自分の直すべきところに気付かせてくれます。(ヤコ 1:23‐25)例えば,神の言葉を学んで,気が短いところを直す必要があることに気付くかもしれません。誰かや何かのせいで腹を立てそうになっても,エホバの助けによって温和でいることができます。温和な人は,いろいろな問題とうまく向き合えます。落ち着いて考えて,良い決定ができます。(ヤコ 3:13)聖書をよく知ることは本当に大切です。

13. 聖書に出てくる人たちの例を調べるとよいのはどうしてですか。

13 何かをしてしまってから,それが間違いだったと分かることがあります。失敗から学ぶのはつらいことです。知恵を得るもっと良い方法は,他の人の成功や失敗から学ぶことです。それでヤコブは,聖書に出てくるアブラハム,ラハブ,ヨブ,エリヤの例について考えるように勧めています。(ヤコ 2:21‐26; 5:10,11,17,18)その人たちはエホバに仕え続け,喜びを奪いかねない試練を忍耐することができました。私たちもエホバの助けによって同じように忍耐できる,ということが分かります。

14‐15. 疑いの気持ちを持つのが危険なのはどうしてですか。

14 : 疑いの気ち。聖書の中に,よく理解できない箇所がありますか。あるいは,エホバが期待通りに祈りに答えてくれないと感じていますか。そういうことが原因で,疑いの気持ちが生じる場合があります。疑いの気持ちを持っていると,信仰が弱くなり,エホバとの関係が損なわれます。(ヤコ 1:7,8)将来への希望も失ってしまうかもしれません。

15 使徒パウロは,将来への希望をいかりに例えました。(ヘブ 6:19)いかりは,嵐の時に船が流されて座礁するのを防ぎます。しかし,鎖で船としっかりつながっていなければ役に立ちません。さびがいかりの鎖をもろくするように,疑いの気持ちは私たちの信仰を弱くします。疑いの気持ちがある人は,反対されると,エホバが必ず約束を果たすという信仰を失ってしまうかもしれません。信仰を失うと,希望も失ってしまいます。ヤコブが書いているように,疑う人は「風に吹かれて揺れ動く海の波のようです」。(ヤコ 1:6)そういう状態だと,全く喜びを感じられないでしょう。

16. 疑いの気持ちがあるならどうすべきですか。

16 : 疑いの気ちを晴らし,信を強くする。優柔不断であってはなりません。預言者エリヤの時代に,エホバの民は優柔不断になっていました。エリヤは民にこう言いました。「あなたたちはいつまでどっち付かずの態度を取っているのですか。もしエホバが真の神なら,その方に従いなさい。しかし,もしバアルがそうなら,バアルに従いなさい」。(王一 18:21)私たちにも同じことが言えます。エホバが神であり,聖書が神の言葉であり,エホバの証人が神の民であることを,調べて確信する必要があります。(テサ一 5:21)そうすれば疑いの気持ちはなくなり,信仰が強くなるでしょう。なかなか疑いの気持ちが晴れないなら,長老に助けを求めてください。エホバに仕える喜びを失わないように,すぐに行動しなければなりません。

17. 勇気を失うとどうなりますか。

17 : 落の気ち。聖書にはこうあります。「苦難の時に落胆するなら,力が失われる」。(格 24:10)「落胆する」と訳されているヘブライ語には,「勇気を失う」という意味もあります。勇気を失うと,すぐに喜びも失ってしまいます。

18. 「忍耐」という言葉にはどんな意味がありますか。

18 : エホバに頼り,忍するための勇をもらう。試練を忍耐するには,勇気が必要です。(ヤコ 5:11)ヤコブが使った「忍耐」と訳されている言葉には,立っている場所から動かないという意味もあります。兵士が自分の持ち場で勇敢に立ち続け,敵からどんなに激しく攻撃されても一歩も下がらない様子をイメージできるかもしれません。

19. 使徒パウロの手本からどんなことを学べますか。

19 使徒パウロは,勇気と忍耐の素晴らしい手本を残しました。自分は弱いと感じることもありましたが,エホバに頼って必要な力をもらったので,忍耐することができました。(コリ二 12:8‐10。フィリ 4:13)私たちも,エホバの助けを必要としていることを謙遜に認めるなら,力や勇気を与えていただけます。(ヤコ 4:10

神に近づく人は喜びを失わない

20‐21. どんなことを確信できますか。

20 試練はエホバからの罰ではありません。ヤコブはこう書いています。「試練に遭う時,『神から試されている』と言ってはなりません。悪い事柄によって神が試されることはなく,誰かを試すこともないからです」。(ヤコ 1:13)このことを確信すると,愛情深い天の父にいっそう近づきたくなります。(ヤコ 4:8

21 エホバは「変化したりはしません」。(ヤコ 1:17)試練に遭った1世紀のクリスチャンたちを支えたように,現代の私たちも助けてくださいます。エホバに真剣に祈り,知恵と信仰と勇気を持てるように助けを求めましょう。エホバは祈りに答えてくださいます。私たちが喜びを失うことなく試練を忍耐できるように,必ず助けてくださることを確信できます。

24番の歌 報いを見つめなさい!

^ 5節 ヤコブの手紙には,試練に遭った時に役立つアドバイスがたくさん書かれています。この記事では,その幾つかを考えます。大変なことがあっても喜んでエホバに仕え続ける助けになるでしょう。

^ 59節 や挿: ある兄弟が自宅で逮捕され,警察官に連行されていくのを妻と娘が見ている。夫が刑務所にいる間,兄弟姉妹たちが親子の家族の崇拝に参加している。親子は頻繁にエホバに祈り,試練を忍耐するための力を求めている。エホバのおかげで穏やかな気持ちになり,勇気を持てているので,信仰が強くなり,喜んで忍耐することができている。