研究記事20

宣教に対して積極的な見方を保ちましょう

宣教に対して積極的な見方を保ちましょう

「種をまき,……手を休めてはならない」。伝道の書 11:6

96番の歌 ふさわしい人たちを捜し出しなさい

を学ぶか *

イエスが天に上った後,イエスの弟子たちがエルサレムや他の場所で熱心に伝道している。(1節を参照。)

1. イエスは弟子たちのためにどんな手本を残しましたか。それは弟子たちにどんな影響を与えましたか。(表紙の絵を参照。)

イエスは,地上で宣教を行っていた間,ずっと積極的な見方を保ちました。そして,弟子たちにも同じ見方を保ってほしいと思っていました。(ヨハ 4:35,36)弟子たちは,イエスが一緒にいた間は熱心に伝道を行っていました。(ルカ 10:1,5‐11,17)しかし,イエスが逮捕されて殺されると,伝道する意欲を一時的に失ってしまいました。(ヨハ 16:32)イエスは復活後,伝道を一生懸命行うよう弟子たちを励ましました。それで,イエスが天に昇った後,弟子たちは非常に熱心に伝道を行いました。敵たちが次のように言ったほどです。「あなたたちはエルサレム中で教えを広め……ている」。(使徒 5:28

2. エホバは宣教活動をどのように祝福してきましたか。

2 1世紀のクリスチャンの宣教活動はイエスの指導の下に行われ,エホバに祝福されました。その結果,人数が増加しました。例えば,西暦33年のペンテコステの日には,約3000人がバプテスマを受けました。(使徒 2:41)そして弟子の数はその後も劇的に増えていきました。(使徒 6:7)しかしイエスは,終わりの時代には一層多くの人が良い知らせを受け入れることを予告しました。(ヨハ 14:12。使徒 1:8

3‐4. ある人たちが宣教活動に難しさを感じているのはなぜですか。この記事ではどんなことを考えますか。

3 私たちは皆,宣教に対して積極的な見方を保つよう努力しています。そうするのが簡単な地域もあります。聖書を学びたいと思っている人が非常に多いからです。中には,聖書を教えてもらうために順番待ちをしなければならない人もいます。一方,別の地域では,宣教活動に難しさを感じている伝道者もいます。人々が家にほとんどいなかったり,家にいても聖書に関心を示さなかったりするからです。

4 こうした地域で伝道しているなら,この記事の提案が役に立つでしょう。まず,伝道でもっと多くの人に会うために兄弟姉妹がどんなことを行っているかを取り上げます。そして,人々が聞いてくれるかどうかに関わりなく,積極的な見方を保てるのはなぜかについても考えます。

人になかなか会えない場合

5. 多くのエホバの証人はどんな状況に直面していますか。

5 多くのエホバの証人が,家を訪問しても人に会うのはますます難しくなっている,と感じています。例えば,ハイセキュリティーのマンションや住宅地が多い地域があります。そうした所では,門や入り口に管理人や警備員がいて,住んでいる人の許可がなければ中に入ることができません。また,別の地域では,家を自由に訪問することはできますが,ほとんどの家が留守です。人があまり住んでいない田舎の地域もあります。そういう所では,1軒の家を訪問するために長い距離を移動しても,行ってみたら留守だった,ということもあります。このように,なかなか人に会えないとしても,諦めるべきではありません。どうすれば,こうした問題を乗り越えて,もっと多くの人と話すことができるでしょうか。

6. 宣教活動は漁とどのように似ていますか。

6 イエスは,宣教活動を魚を取ることに例えました。(マル 1:17)漁師は,魚が取れない日が続いても諦めたりしません。状況に合わせて,時間や場所や漁の仕方を変えます。私たちも宣教を行う時,同じようにすることができます。どんなことができるか,具体的に考えてみましょう。

留守がとても多い区域で伝道する場合は,人々に伝えるために時間や場所や方法を変えてみる。(7‐10節を参照。) *

7. 訪問する時間を変えてみるとよいのはなぜですか。

7 する時を変えてみる。人々が家にいそうな時間帯に訪問するなら,もっと多くの人に会えるでしょう。留守であるということは,誰かがいつかは帰ってくる,ということです。多くの兄弟姉妹は,午後や夕方に伝道しています。その時間帯の方がもっと多くの人に会えるからです。家の人もリラックスしているので,良い会話ができるかもしれません。また,長老のデービッド兄弟の取り組みもヒントになるかもしれません。兄弟は,ある区域を1,2時間奉仕した後,一緒に伝道している人と,その区域の留守宅をもう一度訪問しています。こう言っています。「もう一度訪問すると,かなりの人に会えるので驚いています」。 *

留守がとても多い区域で伝道する場合は,人々に伝えるために時間を変えてみる。(7‐8節を参照。)

8. 伝道の書 11章6節からすると,私たちは宣教に対してどんな見方をするべきですか。

8 ですから,諦めてはいけません。主題聖句には,私たちが持つべき見方が示されています。の書 11:6を読む。)先ほどのデービッド兄弟も諦めませんでした。兄弟は,何度訪問しても留守だった家でようやく1人の男性に会えました。その男性は,聖書について話し合うことに関心を示し,こう言いました。「ここに住んで8年になりますが,訪問してきたエホバの証人とこうして話すのは初めてです」。デービッド兄弟はこう言います。「留守でなかなか会えなかった人に会えると,私たちの話を聞いてくれることがよくあります」。

留守がとても多い区域で伝道する場合は,人々に伝えるために場所を変えてみる。(9節を参照。)

9. 家を訪問してもなかなか会えない人に会うために,兄弟姉妹はどんなことをしていますか。

9 を変えてみる。家を訪問してもなかなか会えない人に会うために,場所を変えて伝道している人たちもいます。例えば,1軒ずつ訪問できない集合住宅に住んでいる人に会う上で,街路伝道や文書カートを使った伝道が効果的であることが分かっています。直接会って話すことができるからです。また,多くの伝道者の観察によると,人々は公園や市場やビジネス街にいる時の方が,気軽に会話をしたり,出版物を受け取ったりするようです。ボリビアで巡回監督をしているフローラン兄弟はこう言います。「午後1時から3時の間に,市場や商店街に行くようにしています。その時間帯であれば,店の人もあまり忙しくしていないからです。たいてい良い話し合いができ,聖書研究が始まることもあります」。

留守がとても多い区域で伝道する場合は,人々に伝えるために方法を変えてみる。(10節を参照。)

10. ほかにもどんな方法で良い知らせを伝えることができますか。

10 を変えてみる。何度訪問しても留守で,いろいろな時間に行っても会えない場合は,どんなことができるでしょうか。カタリーナ姉妹はこう言います。「どうしても会えない人には手紙を書き,実際に会えたら話したかったことを伝えるようにしています」。何が学べますか。宣教を行う時には,区域の全ての人にメッセージを伝えるためにいろいろな方法を試してみるべきだ,ということです。

人々が関心を示さない場合

11. 私たちが伝えるメッセージに関心を示さない人がいるのはなぜですか。

11 ある人たちは私たちが伝えるメッセージに関心を示しません。神や聖書について知る必要はないと思っている人や,世の中にあまりにも苦しみが多いので,神を信じられないという人がいます。宗教指導者が聖書に従っていると言いながら,多くの悪いことを行っているので,聖書を退ける人もいます。また,仕事や家族や自分の問題のことで頭がいっぱいになり,聖書が役立つということについて考える余裕がない人もいます。私たちが伝えるメッセージの価値を人々が認めない場合,どのように喜びを保てるでしょうか。

12. 宣教を行う時,フィリピ 2章4節の言葉をどのように当てはめることができますか。

12 いを示す。初めは関心がなくても,伝道者の心からの気遣いを感じて良い知らせに耳を傾けるようになった人は大勢います。フィリピ 2:4を読む。)前に出てきたデービッド兄弟はこう言っています。「関心がありません,と言われた時は,聖書や出版物をしまって,『もしよかったら理由を教えていただけませんか』と尋ねます」。気遣いは人に伝わるものです。家の人は,私たちが伝えた内容ははっきり覚えていなくても,その時の印象は覚えていることでしょう。ですから,話を聞いてもらえないとしても,相手を気遣っていることを態度や表情で示すことはできます。

13. どうすれば,伝える内容を家の人の必要に合わせることができますか。

13 伝える内容を家の人の必要や関心に合わせることによっても気遣いを示せます。例えば,子供がいることが分かったらどうでしょうか。子供がいる人は,子育てや家族生活に役立つ聖書のアドバイスに関心があるかもしれません。ドアに幾つも鍵が付いている場合はどうですか。世界に見られる犯罪や不安がなくなることについて話すことができるでしょう。そうすれば,家の人は喜ぶかもしれません。いずれにしても,聖書のアドバイスが役に立つということを相手が理解できるように助けてください。先ほどのカタリーナ姉妹はこう言っています。「聖書の真理が自分にとってどれほど役立ってきたかをよく考えるようにしています」。そうすることで,姉妹は確信を持って語ることができ,その確信は人々に伝わっています。

14. 格言 27章17節からすると,一緒に伝道する人とどのように助け合うことができますか。

14 に助けてもらう。1世紀,パウロはテモテに,伝道して教える方法を伝え,その方法を使って仲間を助けるよう励ましました。(コリ一 4:17)私たちもテモテのように,会衆の経験ある兄弟姉妹から学ぶことができます。 27:17を読む。)ショーン兄弟の手本を考えてみましょう。兄弟は,ほとんどの人たちが自分の宗教に満足している田舎の地域で開拓奉仕をしていたことがありました。どのようにして喜びを保ったのでしょうか。こう述べています。「できるだけ誰かと一緒に奉仕するようにしました。次の家に行くまでの時間を使って,教える技術を磨き合いました。例えば,家の人とのやりとりを振り返り,また同じような人に会ったらどのように答えられるかを話し合いました」。

15. 宣教を行う上で祈りが欠かせないのはなぜですか。

15 けを求めてエホバに祈る。宣教に参加する時は,毎回,導きを求めてエホバに祈りましょう。強力な聖なる力の助けがなければ,私たちは何も成し遂げることができません。(詩 127:1。ルカ 11:13)エホバに助けを求める時には具体的に祈りましょう。例えば,正しい態度を持っていて,喜んで話を聞いてくれる人に会えるようにしてください,と祈ることができます。そのように祈ったなら,会う人全てに伝道するよう努力しましょう。

16. 宣教を行う上で個人研究が重要なのはなぜですか。

16 を取って個を行う。聖書には,「神の善い意志,喜ばしい完全な意志を見極める」ように,とあります。(ロマ 12:2)神について知れば知るほど,宣教でいっそう確信を込めて語れるようになります。前に出てきたカタリーナ姉妹はこう言います。「少し前のことですが,聖書の基本的な教えに関する自分の信仰を強める必要があることに気付きました。それで,創造者がいること,聖書が本当に神の言葉であること,現代にも神が用いている組織があることについて証拠を詳しく調べました」。姉妹は個人研究を行うことによって信仰が強まり,宣教の喜びも大きくなりました。

宣教に対して積極的な見方を保つべきなのはなぜか

17. イエスが宣教に対して積極的な見方を保てたのはなぜですか。

17 イエスは,自分の伝えるメッセージに関心を示さない人がいても,積極的な見方を保ち,伝道を続けました。どうしてそうできたのでしょうか。人々がどれほど真理を必要としているかを知っていたからです。それで,王国について知ることができるよう,できるだけ多くの人を助けたいと思ったのです。またイエスは,初めは関心がなくてもやがて聞くようになる人がいることも知っていました。イエスの家族の場合もそうでした。イエスが宣教を行った3年半の間,イエスの弟たちは誰一人,弟子になりませんでした。(ヨハ 7:5)しかし,イエスの復活後にクリスチャンになりました。(使徒 1:14

18. 私たちが伝道を続けるのはなぜですか。

18 誰がやがてエホバに仕えるようになるかは,私たちには分かりません。真理を学ぶようになるまでにどれほど時間がかかるかは,人それぞれです。私たちが伝えるメッセージに耳を傾けない人も,私たちが立派な行動をし,積極的な態度を示しているのを見て,やがて「神をたたえる」ようになるかもしれません。(ペテ一 2:12

19. コリント第一 3章6,7節から,宣教についてどんなことを学べますか。

19 私たちは植えて水を注ぎますが,成長させるのは神だということを忘れないようにしましょう。コリント第 3:6,7を読む。)エチオピアで奉仕しているゲタフン兄弟はこう言います。「20年以上にわたって,私が住んでいる地域でエホバの証人は私しかいませんでした。しかし,今では14人の伝道者がいます。そのうち13人がバプテスマを受けていて,その中には私の妻と3人の子供たちもいます。集会には平均すると32人が出席しています」。ゲタフン兄弟は,エホバが誠実な人たちを引き寄せてくれることを信じて伝道を続けて,本当に良かった,と思っています。(ヨハ 6:44

20. どんな意味で私たちは救助隊に似ていますか。

20 エホバは全ての人を貴重なものと見ています。そして私たちに素晴らしい奉仕の機会を与えてくださっています。この体制が終わる前に,あらゆる国の人々を集めるためにイエスと共に働くという機会です。(ハガ 2:7)宣教活動は人命救助に例えることができます。私たちは,沈んでいく船に乗っている人たちを助ける救助隊のようです。助かる人はわずかかもしれませんが,救助隊の一人一人が大切な役割を果たしています。宣教活動についても同じことが言えます。サタンの体制からどれほどの人が救出されるかは分かりません。しかし,エホバはそうした人たちを助けるために私たちを用いることができます。ボリビアに住むアンドレアス兄弟はこう言います。「1人の人が聖書の真理を学んでバプテスマを受けるのは,みんなの努力の結果なんです」。私たちも宣教に対して同じような積極的な見方を保ちましょう。そうすれば,エホバは私たちを祝福してくださり,宣教から大きな喜びを味わうことができるでしょう。

47番の歌 良いたよりを宣明しなさい

^ 5節 宣教の際に,多くの人が家にいなかったり関心を示さなかったりしても,積極的な見方を保つにはどうしたらよいでしょうか。この記事では,役立つ提案が取り上げられます。

^ 7節 この記事の提案に沿って宣教を行う場合も,関係するデータ保護法に従う必要があります。

^ 60節 や挿(上から下へ): 1組の夫婦が留守の多い区域で伝道している。1軒目の人は仕事,2軒目の人は病院,3軒目の人は買い物に出掛けている。夫婦は,同じ日の夜にもう一度訪問して1軒目の人に会えている。2軒目の人には,病院の近くで公共エリア伝道を行っている時に話すことができている。3軒目の人には電話で伝えている。