研究記事31

あなたはエホバを待ち続けますか

あなたはエホバを待ち続けますか

「私は……辛抱強く待つ」。ミカ 7:7

24番の歌 報いを見つめなさい!

を学ぶか *

1‐2. この記事ではどんなことを考えますか。

本当に必要な物が入った荷物が期待していた日に届かなかったら,どんな気持ちになりますか。がっかりするのではありませんか。まさに格言 13章12節にある通りです。「期待がなかなか実現しないと落ち込む」。しかし,期待していた日に届かなかったのにはもっともな理由があることを知ったなら,どうでしょうか。辛抱強く待ち続けることができるでしょう。

2 この記事では,「辛抱強く待」ち続ける上で役に立つ聖書の原則に注目します。(ミカ 7:7)また,エホバが行動してくださるのを辛抱強く待たなければならない2つの状況についても考えます。そして,エホバを待ち続ける人にどんな祝福が約束されているかを取り上げます。

聖書の原則から辛抱について学ぶ

3. 格言 13章11節の原則から何を学べますか。

3 格言 13章11節には,辛抱の大切さについてこう述べられています。「手っ取り早く得た財産は減っていき,しずつためる人の財産は増えていく」。この言葉から何を学べますか。物事を一つ一つ,辛抱強く行っていくのは賢いことだ,ということです。

4. 格言 4章18節の原則から何を学べますか。

4 格言 4章18節には,「正しい人たちの道は夜明けの光のようだ。真昼になるまで明るさを増していく」とあります。この聖句は,エホバがご自分に仕える人たちに対して,ご自分の目的を徐々に明らかにしていくことを示しています。しかし,さらに広い意味では,クリスチャンがエホバとの関係において成長していく様子にも当てはまります。その成長には時間がかかります。一生懸命に学んで,聖書や組織からのアドバイスを当てはめるなら,キリストのような人格を徐々に身に着けることができます。神についてもっとよく知ることもできます。イエスはこの点を示すために,1つの例え話をしました。

植物が少しずつ成長するように,王国のメッセージを受け入れた人も神との関係において少しずつ成長する。(5節を参照。)

5. イエスはどんな例えを使って,人が徐々に成長することを示しましたか。

5 イエスは,私たちが伝える王国のメッセージを小さな種に例え,それが誠実な人たちの心の中で徐々に成長することを説明しました。こう述べています。「種は芽を出し,丈が高くなります。どのようにしてかを[種をまく]人は知りません。地面はひとりでに,最初は茎,次に穂,最後に熟した穂の中身というように,次第に実を生じさせていきます」。(マル 4:27,28)イエスは何を言いたかったのでしょうか。植物が少しずつ成長するように,王国のメッセージを受け入れた人も神との関係において少しずつ成長する,ということです。例えば,聖書を誠実に学んでいる人は,エホバに引き寄せられるにつれてさまざまな良い変化を遂げていきます。(エフェ 4:22‐24)それでも,この小さな種を成長させるのはエホバです。(コリ一 3:7

6‐7. エホバが地球を造った方法からどんなことを学べますか。

6 エホバは,何をするにしても辛抱強さを示し,成し遂げるのに必要な時間を取ります。エホバがそうするのは,ご自分の名前の栄光のため,また他の者たちのためです。一例として,エホバが人間を住ませるために地球を徐々に整えたことを考えてみましょう。

7 聖書によると,エホバは地球を創造する際,大地の「寸法」を定め,「受け台」を埋め,「隅石」を据えました。(ヨブ 38:5,6)そして,自分が造ったものを時間を取って振り返ることさえしました。(創 1:10,12)エホバがさまざまなものを徐々に創造していくのを見て,天使たちはどう感じたでしょうか。感動したに違いありません。それで「称賛の叫び声」を上げ始めました。(ヨブ 38:7)どんなことを学べますか。エホバは,さまざまなものを創造するためにとても長い時間をかけました。そして,自分が丁寧に造った全てのものを見て,「非常に良かった」と言いました。(創 1:31

8. 次にどんなことを考えますか。

8 ここまで考えてきた例から分かる通り,聖書には,辛抱が必要であることを示す原則がたくさんあります。次に,エホバを待ち続けなければならない2つの状況について考えましょう。

どんな時にエホバを待つ必要があるか

9. エホバを待たなければならないどんな状況がありますか。

9 りに対する答えがなかなか与えられないように感じる時試練に立ち向かうための力や,弱さを克服するための助けを祈り求めても,エホバがなかなか答えてくれないように感じることがあるかもしれません。エホバが全ての祈りにすぐに答えるわけでないのはなぜでしょうか。

10. エホバが祈りに答えてくれるのを辛抱強く待つ必要があるのはなぜですか。

10 エホバは私たちの祈りを注意深く聞いています。(詩 65:2)そして,私たちの誠実な祈りを信仰の表れと見ています。(ヘブ 11:6)さらにエホバは,私たちが祈りに調和した行動をしてエホバに喜ばれたいとどれほど願っているかを知りたい,と思っています。(ヨハ一 3:22)それで,私たちは悪い習慣や弱さを克服しようとする時,辛抱を示し,祈りに沿った努力を続ける必要があるでしょう。イエスも,祈りの答えがすぐに与えられない場合があることを示し,こう言いました。「求め続けなさい。そうすれば与えられます。探し続けなさい。そうすれば見つかります。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。誰でも求めている人は受け,探している人は見つけ,たたいている人には開かれます」。(マタ 7:7,8)このアドバイスに従って「粘り強く祈」るなら,天のお父さんエホバが私たちの祈りを聞き,答えてくださることを確信できます。(コロ 4:2

エホバを待っている間,信仰を持って祈り続ける。(11節を参照。) *

11. 祈りの答えがなかなか与えられないように思える時,どんなことを思いに留めておく必要がありますか。(ヘブライ 4:16

11 祈りの答えがなかなか与えられないように思えても,エホバは私たちに「助けが必要な時に」,つまりちょうど良い時に祈りに答える,と約束しています。ヘブライ 4:16を読む。)ですから,自分の祈りに思ったほど早く答えてもらえないからといって,エホバを責めるべきではありません。例えば,多くの人は長年にわたって,神の王国がこの体制を終わらせるのを見たいと祈ってきました。イエスもそう祈るよう教えました。(マタ 6:10)しかし,が期待した時に終わりが来なかったからといって,神に対する信仰を弱めてしまうとしたら,それは本当に愚かなことではないでしょうか。(ハバ 2:3。マタ 24:44)エホバを待ち,信仰を持って祈り続けるのは賢明なことです。終わりはまさにちょうど良い時にやって来ます。エホバが「その日と時刻」をすでに定めているからです。その日が来れば,エホバを愛する全ての者にとって,それが最も良いタイミングであることが明らかになるでしょう。(マタ 24:36。ペテ二 3:15

ヨセフから辛抱についてどんなことを学べるか。(12‐14節を参照。)

12. どんな状況では,辛抱するのが特に難しいかもしれませんか。

12 がなかなか正されないように感じる時この世界では,性別や人種や民族や文化や国籍が違うという理由で差別されることがよくあります。また,体や心に障害があるために差別を受けることもあります。エホバに仕える大勢の人たちは,聖書を信じているゆえに不公正な目に遭ってきました。こうした経験をする時には,イエスの次の言葉を覚えておく必要があります。「終わりまで耐え忍んだ人が救われます」。(マタ 24:13)では,会衆の誰かが重大な悪事を犯し,あなたがそのことを知った場合はどうでしょうか。その問題が長老たちに知らされた後は,長老たちに委ね,エホバの方法で扱われるのを辛抱強く待つでしょうか。長老たちはこうした問題をどのように扱いますか。

13. 長老たちはエホバの方法で問題を扱うためにどんなことをしますか。

13 長老たちは会衆で重大な悪事が犯されたことを知ると,エホバの観点で物事を考えることができるように「天からの知恵」を祈り求めます。(ヤコ 3:17)長老たちが目指すのは,「誤った道から戻る」よう罪を犯した人を助けることです。(ヤコ 5:19,20)また長老たちは,会衆を守り,傷ついた人たちを慰めるために,できる限りのことをしたいと思っています。(コリ二 1:3,4)重大な悪事に関する問題を扱う際,長老たちはまず,全ての事実を知る必要があります。そのためには時間がかかるかもしれません。その後,よく祈って考えた上で,聖書に基づく助言を与え,「適度に」矯正します。(エレ 30:11)問題を扱うのを先延ばしにすることはありませんが,急いで決定することもありません。物事が正しく扱われるなら,会衆の人たちは,全ての人にとって最も良い決定が下されたことを理解するでしょう。とはいえ,問題が正しく扱われても,罪を犯された側の人の心の痛みは消えないかもしれません。もしあなたもそのように感じているなら,痛みを和らげるために何ができるでしょうか。

14. 仲間のクリスチャンから傷つけられた場合,聖書のどんな手本から慰めを得ることができますか。

14 あなたは誰かから,それも仲間の兄弟姉妹からひどく傷つけられたことがありますか。聖書には,エホバが不公正を正してくれるのを待った人たちの素晴らしい手本が収められています。例えば,ヨセフは兄たちからひどい仕打ちを受けましたが,そのことについて怒りの気持ちを持ち続けたりはしませんでした。エホバに仕えることから注意をそらされなかったので,エホバは辛抱と忍耐を示したヨセフに豊かな報いを与えました。(創 39:21)やがてヨセフは,自分を傷つけた兄たちを許すことも,エホバが祝福してくださったことを理解することもできるようになりました。(創 45:5)私たちも,ヨセフのようにエホバに近づき,エホバが不公正を正してくださるのを待つなら,慰めを得ることができます。(詩 7:17; 73:28

15. 1人の姉妹が不公正な扱いを辛抱強く忍耐できたのはなぜですか。

15 私たちはヨセフほどのひどい扱いを受けることはないとしても,嫌なことをされると傷つくものです。誰かとの間で問題が生じた場合,その相手がエホバに仕えているかどうかに関わりなく,聖書の原則を当てはめることは私たちのためになります。(フィリ 2:3,4)1人の姉妹の例を考えてみましょう。姉妹は,同僚が姉妹についての根拠のない悪口を広めていることを知って深く傷つきました。でも,行動を起こす前に,イエスの手本について時間を取って考えました。イエスは侮辱されても仕返しをしたりしませんでした。(ペテ一 2:21,23)姉妹は,このことを思いに留めて,されたことを問題にしないことにしました。後になって姉妹は,その同僚が深刻な健康上の問題を抱えていて,かなりのストレスを感じていたということを知りました。それで,姉妹は,その同僚の言葉は本心から出たものではなかったと考えることにしました。姉妹は,嫌なことをされても辛抱強く忍耐し,穏やかな気持ちになれたので,本当に良かったと感じました。

16. 不公正が原因でつらい思いをしているなら,どんなことが慰めとなりますか。(ペテロ第一 3:12

16 不公正などが原因でつらい思いをしているなら,エホバは「心が傷ついた人」に寄り添ってくださるということを忘れないようにしましょう。(詩 34:18)エホバはあなたのことを愛しています。あなたが辛抱し,自分の重荷をエホバに委ねているからです。(詩 55:22)エホバは地上の人全てを裁く方であり,全てのことをご存じです。ペテロ第 3:12を読む。)自分ではどうにもできない問題を経験しているなら,エホバを待ち続けるのは大切なことです。

エホバを待つ人たちが永遠に味わう祝福

17. エホバは,イザヤ 30章18節でどんなことを約束していますか。

17 間もなく天のお父さんエホバは,王国によって私たちを豊かに祝福してくださいます。イザヤ 30章18節にはこうあります。「エホバはあなたたちに情けを掛けようと辛抱強く待っており,憐れみを示そうと立ち上がる。エホバは公正の神だからである。この方を待ち続ける人は皆,幸せだ」。エホバを待ち続ける人たちは,今も,これから来る新しい世界でも,多くの祝福を味わいます。

18. 将来,私たちはどんな祝福を味わうことができますか。

18 神に仕える人たちは,新しい世界に入ると,現在経験しているような問題を忍耐する必要はもうありません。不公正はなくなり,苦痛を感じることはもはやありません。(啓 21:4)必要なものが手に入るだろうかという心配もなくなります。そうしたものは豊かに与えられるからです。(詩 72:16。イザ 54:13)本当に素晴らしいことではないでしょうか。

19. エホバは今,私たちがどんな者になるよう助けてくださっていますか。

19 それまでの間,エホバは私たちがあらゆる悪い習慣を克服し,エホバに喜ばれる性質を身に着けられるように助けてくださいます。そのようにして,神の王国の下で生きるのにふさわしい者となれるように助けてくださるのです。ですから,がっかりしたり諦めたりしてはなりません。本当に素晴らしい将来が待ち受けているのですから,エホバがご自分の目的を成し遂げる時まで辛抱強く待ち続けましょう。

81番の歌 「わたしたちにさらに信仰をお与えください」

^ 5節 「こんな年になるまでこの体制が続くとは思わなかった」。エホバに長年仕えてきた人がこう言うのを聞いたことがありませんか。今はとても大変な時代なので,私たち全ては,エホバがこの邪悪な世界を終わらせる時を本当に楽しみにしています。しかし,辛抱する必要があります。この記事では,辛抱強く待つ上で役に立つ聖書の原則に注目します。また,エホバを辛抱強く待たなければならない2つの状況についても考えます。そして,待ち続ける人にどんな祝福が約束されているかも取り上げます。

^ 56節 や挿: 1人の姉妹は,子供の頃からいつもエホバに祈ってきた。幼い頃に両親から祈り方を教わった。10代の頃,開拓奉仕を始め,自分の奉仕にエホバの祝福を幾度も祈り求めた。何年もたって夫が重い病気になった時,その試練に耐えられるよう力を求めてエホバに祈願した。やもめになった今でも粘り強く祈り,天のお父さんエホバがこれまでと同じように祈りに答えてくれることを信じている。