研究記事9

イエスに倣ってほかの人の必要を優先する

イエスに倣ってほかの人の必要を優先する

「受けるより与える方が幸福である」。使徒 20:35

84番の歌 「わたしはそう望みます」

を学ぶか *

1. エホバに仕える人たちは,どんな立派なことを行っていますか。

 聖書には,神の民がイエスの指導の下でエホバに仕えるために「喜んで自分を差し出す」ということが預言されていました。(詩 110:3)現代,まさにその通りになっています。毎年,エホバに熱心に仕える人たちが膨大な時間を使って伝道活動に励んでいます。自分から進んで,費用も自己負担で行っているのです。また,物質面や感情面や信仰面で仲間の兄弟姉妹を助けるために多くのことを行っています。長老や援助奉仕者は,集会の話を準備したり牧羊を行ったりするために多くの時間を使っています。どんな動機でこうしたことを行っているのでしょうか。それは,エホバへの愛と隣人への愛です。(マタ 22:37‐39

2. ローマ 15章1‐3節にある通り,イエスはどんな手本を残しましたか。

2 イエスは,自分よりもほかの人の必要を優先する点で素晴らしい手本を残しました。私たちは,この手本に倣うために一生懸命努力しています。ローマ 15:1‐3を読む。)そのように努力するなら,必ず良い結果になります。イエスは,「受けるより与える方が幸福である」と言いました。(使徒 20:35

3. この記事では,どんなことを考えますか。

3 この記事では,イエスが人を助けるためにどんな犠牲を払ったか,また,私たちがその手本にどのように倣えるかについて考えます。さらに,人の助けになりたいという気持ちを強めるために何ができるかも取り上げます。

イエスの手本に倣う

群衆がやって来た時,イエスは疲れていたにもかかわらず,どんなことを行ったか。(4節を参照。)

4. イエスはどのようにして自分よりもほかの人の必要を優先しましたか。

4 イエスは疲れていた時にも人を助けた。イエスがカペルナウムの近くと思われる山の中腹にいた時,大勢の人たちがイエスのもとにやって来ました。この時,イエスはどのように反応したでしょうか。イエスは一晩中祈った後だったので,とても疲れていたに違いありません。それでも,イエスは群衆を見て,貧しい人たちや病気の人たちのことをかわいそうに思いました。それでイエスは,彼らを癒やしただけでなく,心を動かす素晴らしい話をしました。それは,今では山上の垂訓として知られています。(ルカ 6:12‐20

私たちは,ほかの人の必要を優先したイエスの手本にどのように倣えるか。(5節を参照。)

5. 家族の頭は,疲れている時にもどのようにイエスの手本に倣っていますか。

5 の頭もイエスに倣っている。次のような場面を考えてみましょう。一日中働いて疲れ切った父親が,家に帰ってきます。今晩の家族の崇拝は休みたい,という気持ちになりますが,力を求めてエホバに祈ります。エホバは祈りに答えてくださり,いつものように家族の崇拝を行うことができます。こうした様子を見て,子供たちはとても大切なことを学びます。親がエホバへの崇拝を何よりも優先しているということです。

6. イエスが自分の時間を惜しみなく与えたどんな例がありますか。

6 イエスは自の時を惜しみなく与えた。イエスは,友達であるバプテスマを施す人ヨハネが処刑されたことを聞いた時,どう感じたでしょうか。深く悲しんだに違いありません。聖書には,「[ヨハネが殺されたこと]を聞いたイエスは,独りになるために,そこから舟で静かな場所に向かった」とあります。(マタ 14:10‐13)私たちは親しい人を亡くすと,独りになりたいと思うことがあるものです。それで,イエスが独りになりたいという気持ちになったのも理解できます。しかし,イエスが願った通りにはなりませんでした。イエスが行こうとしていた静かな場所に,非常に大勢の人たちが先に着いていたからです。イエスはどう反応したでしょうか。人々が神からの慰めを必要としていることを見て取り,「かわいそうに思」いました。そして,すぐに助けの手を差し伸べました。少しではなく,「多くのことを教え始めた」のです。(マル 6:31‐34。ルカ 9:10,11

7‐8. 長老たちは会衆の兄弟姉妹を助ける点で,どのようにイエスに倣っていますか。

7 たちもイエスに倣っている。私たちは,長老たちが自分のことを後回しにして私たちを助けてくれていることに心から感謝しています。会衆の兄弟姉妹が知らないところで,長老たちはたくさんのことを行っています。例えば,医療上の緊急事態が発生すると,医療機関連絡委員会の兄弟たちは仲間を助けるためにすぐに駆け付けます。そうしたことが真夜中に生じることも珍しくありません。それでも,そのような長老と家族は,兄弟姉妹を心から気遣っているので,自分よりも仲間のことを優先しています。

8 長老たちの中には,王国会館やその他の施設の建設や,災害救援に参加している人もいます。また,会衆の中では,私たちを教え,励まし,支えるために非常に多くの時間を用いています。長老たちやその家族は,本当に素晴らしい自己犠牲を示しています。エホバが豊かに祝福してくださいますように。とはいえ,長老たちもほかの人たちと同じように,バランスを取る必要があります。会衆のために時間を用いることは大切ですが,家族のことが後回しになってしまってはいけません。

人の助けになりたいという気持ちを強めるには

9. フィリピ 2章4,5節によると,クリスチャンはどんな考え方をする必要がありますか。

9 フィリピ 2:4,5を読む。私たちは全員が長老というわけではありませんが,誰もが自分よりほかの人のことを優先したイエスに倣うことができます。聖書は,イエスが「奴隷のようにな[った]」と述べています。(フィリ 2:7)この言葉からどんな大切な点を学べるでしょうか。立派な奴隷は,いつも主人に喜ばれることを行おうと努力するものです。私たちはエホバの奴隷であり,仲間に仕える者なので,いっそうエホバや仲間の役に立ちたいと思うことでしょう。そうする上でどんなことが助けになるでしょうか。幾つか考えてみましょう。

10. 自分についてどんな点を考えてみることができますか。

10 を分する。次のように考えてみることができます。「私はほかの人を助けるために自分の時間やエネルギーを喜んで使っているだろうか。例えば,介護施設に住んでいる兄弟を訪問したり,集会の時に年配の姉妹を送迎したりするよう頼まれたなら,どう反応するだろうか。大会会場の清掃や王国会館のメンテナンスに,進んで参加しているだろうか」。私たちは献身した時,自分の全てをエホバに捧げました。ですから,私たちが時間やエネルギーを惜しむことなく用いてほかの人を助ける時,エホバは喜んでくださいます。では,この点で自分には改善が必要であることが分かったなら,何ができるでしょうか。

11. 人の助けになりたいという気持ちを強めるために,祈りはどのように助けになりますか。

11 からエホバに祈る。改善すべきところがあることに気付いていても,なかなかやる気が出ない場合はどうしたらよいでしょうか。心からエホバに祈りましょう。自分の本当の気持ちをエホバに打ち明け,「行動するための意欲と力の両方」を与えてくださるようお願いすることができます。(フィリ 2:13

12. 若い兄弟たちはどうすれば会衆の助けになることができますか。

12 若い兄弟たち,エホバに祈って,会衆の兄弟姉妹の助けになりたいという気持ちを強めましょう。国によっては,援助奉仕者は長老よりも数が少なく,年齢層も高くなりつつあります。組織が拡大を続けているので,兄弟姉妹の助けになれる若い兄弟たちがますます必要とされています。自分が必要とされるところがどこであっても,そこで進んで奉仕するなら,幸福になることができます。なぜでしょうか。エホバに喜んでもらうことができ,良い評判を得ることができ,人を助けることから満足感を味わえるからです。

ユダヤのクリスチャンはヨルダン川の向こう側にあるペラという町に逃げた。その町に先に逃げてきていたクリスチャンが,到着したばかりの仲間に食べ物を配っている。(13節を参照。)

13‐14. 兄弟姉妹を助けるために,どんなことができますか。(表紙の絵を参照。)

13 ほかの人の必にいつも気を配る。パウロは,ユダヤに住むクリスチャンにこう勧めました。「善を行うことや,持っている物を分け合うことを忘れてはなりません。神はそのような犠牲をとても喜んでくださいます」。(ヘブ 13:16)これはとても良いアドバイスでした。それらのクリスチャンは,パウロからの手紙を受け取ってから数年後,家や仕事やクリスチャンではない親族を後にして,「山に逃げ始め」なければならなかったからです。(マタ 24:16)その時には,互いに助け合うことが非常に重要でした。持っている物を分け合うようにというパウロのアドバイスに,避難する前から従っていた人たちは,逃げた先での生活に順応しやすかったことでしょう。

14 兄弟姉妹は助けが必要な時にも,自分からは何も言わないかもしれません。例えば,妻を亡くした兄弟は,食事や家事や交通手段の面で助けを必要とすることがあります。それでも,迷惑を掛けたくないと思って,自分からは何も言わないかもしれません。そういう場合でも,私たちの方から援助を申し出るなら,とても喜んでくれるでしょう。誰かがやってくれるだろうとか,助けが必要ならそう言ってくれるだろう,などと思ってはいけません。「自分だったら,どうしてもらえるとうれしいだろうか」と考えてみましょう。

15. 人の助けになるために,どんなことを意識する必要がありますか。

15 づきやすい人になる。会衆の中には,人を進んで助けている兄弟姉妹がいます。そうした人たちは,頼んだら迷惑だろうか,と思わせたりはしません。とても頼りになります。私たちもそのようになりたいと思っています。40代の長老であるアラン兄弟は,近づきやすい人になりたいと思っています。イエスの手本についてこう述べています。「イエスは忙しい人でしたが,どの年代の人からも慕われていました。人々は気兼ねなくイエスに助けを求めることができました。また,自分のことを本当に気遣ってくれているんだ,と感じることもできました。私も,イエスのようになりたい,近づきやすく親切で思いやりのある人として知られるようになりたい,と心から思っています」。

16. 詩編 119編59,60節の言葉は,イエスの手本にしっかり従う上でどのように助けになりますか。

16 イエスの手本に完璧に倣うことができなくても,がっかりしないでください。(ヤコ 3:2)芸術家を目指している人は,師匠の下で学んでいても,完璧に師匠のまねをできるわけではありません。それでも,自分の失敗から学んだり,できるだけ師匠のまねをしようと努力したりするなら,だんだんと上達していきます。同じように私たちも,聖書から学んだことを当てはめ,自分の弱いところを改善するよう努力していくなら,イエスの手本にいっそうしっかり従っていくことができるでしょう。 119:59,60を読む。)

ほかの人の必要を優先することの良い結果

長老たちは,イエスに倣ってほかの人の必要を優先することにより,若い人たちの手本になれる。(17節を参照。) *

17‐18. ほかの人の必要を優先したイエスの手本に倣うなら,どんな良い結果になりますか。

17 ほかの人の必要を優先する姿勢は,周りの人にも伝染します。長老のティム兄弟はこう言っています。「私たちの会衆には,よく進歩して援助奉仕者に任命された若い兄弟たちがいます。中には非常に若い人たちもいます。そうなっている理由の1つは,ほかの人を進んで助けている立派な手本があるからです。こうした若い兄弟たちは,会衆にとってプラスになっていますし,長老たちにも大きな助けになっています」。

18 現代,多くの人たちは自分中心の考え方をしています。でも,エホバに仕える人たちはそうではありません。私たちは,自分よりもほかの人の必要を優先したイエスの手本に心を動かされ,ぜひその手本に倣いたいと思っています。イエスの手本に完璧に倣うことはできませんが,「しっかり付いて」いくことはできます。(ペテ一 2:21)イエスの手本に倣うようできる限りのことを行うなら,エホバに喜んでいただくことができ,幸せになれるのです。

5番の歌 キリスト ― わたしたちの手本

^ 5節 イエスはいつも自己犠牲を示し,自分ではなくほかの人の必要を優先しました。私たちは,どうすればイエスの手本に倣えるでしょうか。そうするなら,どんな良い結果になりますか。この記事では,こうした点を考えます。

^ 57節 や挿: 若いダン兄弟の父親が入院しているところに,2人の長老たちが見舞いに来ている。ダン兄弟は,愛情深い長老たちの手本を見て,心を動かされている。そして,自分も会衆の兄弟姉妹の必要にいつも気を配るようになっている。若いベン兄弟が,ダン兄弟が親切にしている様子を見ている。ベン兄弟はダン兄弟の手本に励まされて,王国会館の清掃に参加している。