2014 エホバの証人の年鑑
シエラレオネとギニアでの活動の様子や,世界各地から寄せられた励みとなる経験をお読みください。
2014年の年句
2014年の年句は,マタイ 6章10節の「あなたの王国が来ますように」です。
統治体からの手紙
統治体からの信仰を強める温かい手紙をお読みください。
前進を続ける組織
世界本部をニューヨーク市から移転する計画をエホバは確かに導いてくださっています。
JW.ORG ―「あらゆる国民に対する証し」
「あらゆる国民」に王国の良いたよりを宣べ伝えるため,ウェブサイトが公開されています。
「ものみの塔 オンライン・ライブラリー」の反響
便利な聖書調査ツールへの感謝の手紙が寄せられています。
アニメが純真な心をとらえる
ビデオを見る世界中の子どもや家族がどんな良いことを学んでいるか,お読みください。
興味をそそる歴史展示
エホバの証人の歴史とキリスト教の歩みを取り上げた新しい展示について,どうぞお読みください。
法律上の動き
国によっては,エホバの証人は信教の自由をめぐる法律上の問題に直面しています。12の国からの報告をお読みください。
世界各地からの報告
エホバの証人はふさわしい崇拝の場所を建て,集い合うために大きな努力を払っています。
支部の献堂
喜ばしい国際的な集まりの様子についてお読みください。
アフリカ
アフリカの人たちが聖書の真理に喜んで耳を傾け,生活を変化させています。アルコール依存症で1日60本のたばこを吸っていた人がどう変わったか,お読みください。
南北アメリカ
人々に愛と親切を示し,反対の中でも聖書の真理を伝えることが,どのように良い実を結んでいるか,お読みください。T
アジアと中東
伝道活動のたゆみない努力が実を結んでいます。見ることも聞くことも話すこともできない人がどのように援助を受け,神の気遣いを感じるようになったか,お読みください。
ヨーロッパ
誤った情報により偏見が生まれることがあります。トーク番組によってエホバの証人に対する偏見がどのように除かれたか,お読みください。
オセアニア
ニュージーランドのクライストチャーチで,ある人は手紙を書いて聖書の真理を伝えています。“神様からの手紙”と呼ばれているのはなぜでしょうか。
シエラレオネとギニアの概要
シエラレオネとギニアの人々,宗教,言語などについてご紹介します。
1915‐1947年 初期の活動(第1部)
1915年,バプテスマを受けたエホバの僕が初めてフリータウンに到着しました。多くの人が聖書に関心を持ちました。
1915‐1947年 初期の活動(第2部)
聖職者たちは神の民を沈黙させようと策を弄しましたが,エホバは「彼らにその害悪を返」されました。
1915‐1947年 初期の活動(第3部)
フリータウン会衆は「ひたすらみ言葉のことに携わる」ようになりました。
「1年もしないうちに死んでしまうよ」
ザキアス・マーティンはクリスチャンの集会に出席するため,8キロの山道を週に2回上り下りしました。ザキアスが聖書の真理を見つけたと確信したのはなぜでしょうか。
“バイブル”・ブラウンと呼ばれた人
ウィリアム・R・ブラウンはカリブ海諸島や西アフリカで広く伝道しました。人の得られる最高の特権を得ていると感じていました。
1945‐1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第1部)
伝道活動は大きく拡大しようとしていました。増加に弾みを付けるため,宣教者たちが派遣されました。
人気を集めた上映会
1956年,シエラレオネのフリータウンで,「躍進する新しい世の社会」という映画が上映されました。どれほどの人が見に来たでしょうか。
1945‐1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第2部)
エホバの証人はシエラレオネとギニアで,結婚を誉れあるものとする人たちとして知られています。
1945‐1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第3部)
ポロの政治家たちが議会に,エホバの証人の活動を禁じる法案を提出したのはなぜでしょうか。
秘密結社
西アフリカで広く見られる秘密結社はどんな活動をしているでしょうか。
1945‐1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第4部)
聖書について学ぶのを助けるため,会衆で識字クラスが開かれました。多くの人が字を読めるようになり,翻訳の必要が大きくなりました。
大会バッジが“パスポート”に
ギニアでの大会に行く代表者たちは,パスポートがなくても国境を通してもらえました。どうしてでしょうか。
エホバがわたしを抱き上げてくださいました
ポリオでまひを患うジェイ・キャンベルは,会衆の聖書研究に出席したいと思い,「木のブロックを使えば,歩いて行けます」と言いました。どうなったでしょうか。
1991‐2001年 「苦悩の溶鉱炉」― イザ 48:10(第1部)
エホバの証人は戦争中も,仲間や他の人たちに聖書からの慰めの言葉を伝え,物資を届けました。強さと勇気を示せたのはどうしてでしょうか。
1991‐2001年 「苦悩の溶鉱炉」― イザ 48:10(第2部)
エホバの証人は紛争のさなかでも,たゆみなく教え,良いたよりを宣明し続けました。
少年兵が正規開拓者に
ある少年兵はエホバの証人の集会に行き,そこで受けた温かい歓迎が心に残りました。生き方を変えるきっかけになったのは何でしょうか。
兵士から危害を受けずに済みました
1991年に内戦が勃発し,ペンデンブで殺戮や混乱が生じる中,幾人かのエホバの証人はどのようにして死を免れたでしょうか。
「ものみの塔の人」
内戦中,仲間のために,フリータウンからギニアのコナクリに通信物や物資を運んだエホバの証人がいます。どのようにして運んだのでしょうか。
ダイヤモンドに勝るもの
ダイヤモンド鉱山で働いていたタンバ・ジョサイアはエホバの証人になりました。今ではダイヤモンドより価値あるものを見つけたと感じています。どうしてでしょうか。
2002‐2013年 近年の進展(第1部)
内戦後,会衆が幾つも設立され,王国会館が建ち,エホバの証人の少ない地域に特別開拓者が派遣されました。
2002‐2013年 近年の進展(第2部)
この2つの国のエホバの証人は,今後もより多くの人が良いたよりにこたえ応じると確信しています。
エホバに仕えることを心に決めていました
住んでいたコインドゥが反政府軍に占領された時,フィリップ・テンベは妻と共に命からがら逃げました。エホバに仕えることを心に決めていた二人は,難民キャンプで生活しながら5つの王国会館の建設に携わりました。
シエラレオネが大好きになりました
シンディー・マッキンタイアは1992年からアフリカで宣教者として奉仕しています。シエラレオネでの伝道の魅力は何でしょうか。
百年前の年 ― 1914
聖書研究者たちがふれ告げてきた年である1914年がついに訪れました。