エホバの証人が特定の祝日を祝わないのはなぜですか
エホバの証 人 は特 定 の祝 日 を祝 うかどうか,どのように決 めていますか
エホバの
エホバの
その
祝 日 は非 聖 書 的 な教 えに基 づいていないか聖 書 の原 則 : 「『彼 らの中 から出 て,離 れよ』と,エホバは言 われる。『そして汚 れた物 に触 れるのをやめよ』」。(コリント第 二 6:15-17)汚 れた教 え,つまり聖 書 に反 する教 えから完 全 に離 れるため,エホバの証 人 は次 のような特 色 を持 つ祝 日 を祝 いません。異 教 の神 々 の教 えや崇 拝 を起 源 とする祝 日 。イエスはこう言 いました。「あなたの神 エホバをあなたは崇 拝 しなければならず,この方 だけに神 聖 な奉 仕 をささげなければならない」。(マタイ 4:10)エホバの証 人 はその命 令 に従 い,クリスマス,イースター,メーデー b などを祝 いません。それらはエホバ神 ではなく異 教 の神 々 の崇 拝 を起 源 としているからです。また,次 のような祝 いにも参 加 しません。クワンザ。この
名 称 は「『初 物 』を意 味 するスワヒリ語 のマトゥンダ・ヤ・クワンザから来 ており,この祝 日 が,アフリカ史 最 初 期 の収 穫 の祝 いに由 来 することを示 唆 している」。(「黒 人 研 究 百 科 事 典 」[英 語 ])クワンザを宗 教 とは無 関 係 な祝 日 と見 る人 もいますが,「アフリカ宗 教 百 科 事 典 」(英 語 )はクワンザを,初 物 が「神 々 や先 祖 に感 謝 して捧 げられる」アフリカの祭 りに相 当 するとしています。また,「アフリカン・アメリカン的 な祝 日 であるクワンザには,先 祖 から与 えられた命 の祝 福 に対 する感 謝 が反 映 されている」とも述 べています。中 秋 節 。これは「月 の女 神 をあがめる祭 り」です。(「世 界 の祝 日 ・祭 り・記 念 日 辞 典 」[英 語 ])この祝 日 には,「女 神 の前 で女 性 たちが身 をかがめること(中 国 のいわゆる叩 頭 [こうとう]の礼 )に関 係 した」儀 式 が含 まれます。(「世 界 の宗 教 信 条 と慣 行 に関 する総 合 百 科 事 典 」[英 語 ])ナウルーズ(ノウルーズ)。「この
祭 りの起 源 には,ゾロアスター教 が関 係 している。これは古 代 のゾロアスター教 の暦 で,最 も神 聖 な日 の一 つとされている。……ゾロアスター教 の伝 統 によれば,寒 冷 期 に冬 の神 によって地 下 に追 いやられた[ラピースウィン]として知 られる正 午 の神 が,ノウルーズの日 の正 午 に祝 いと共 に迎 えられる」。(国 際 連 合 教 育 科 学 文 化 機 関 )シャベヤルダー。「ペルシャの
秘 密 の歴 史 におけるスーフィズム」(英 語 )という本 によると,冬 至 を祝 うこの祝 日 は,光 の神 である「ミトラの崇 拝 と明 らかに関 連 して」います。ローマやギリシャの太 陽 神 の崇 拝 とのつながりも指 摘 されています。 c感 謝 祭 。クワンザ同 様 この祝 日 も,多 くの神 々 をたたえる古 代 の収 穫 の祝 いから来 ています。時 たつうちに,「この古 代 の民 衆 の伝 統 はキリスト教 会 のものとして吸 収 され」ました。(「敬 虔 なる大 冒 険 最 初 の感 謝 祭 の巡 礼 者 と神 話 」[英 語 ])
迷 信 や幸 運 の神 への信 仰 に基 づく祝 日 。聖 書 では,「幸 運 の神 のために食 卓 を整 える者 」は「エホバを捨 てる者 」に含 められています。(イザヤ 65:11)ですから,エホバの証 人 は次 に挙 げるような祝 日 を祝 いません。イワン・クパーラ。「ベラルーシのすべて」と
題 する本 (英 語 )は,「民 間 伝 承 によると,[イワン・クパーラの日 ]には,勇 気 と幸 運 を得 させる魔 力 が自 然 界 から放 出 される」と述 べています。もともとは夏 至 を祝 う異 教 の祝 日 でしたが,「現 代 ロシア文 化 百 科 事 典 」(英 語 )によると,「キリスト教 が受 け入 れられた後 ,この日 は教 会 の祝 日 [バプテストのヨハネをまつる「聖 人 の日 」]と混 ぜ合 わされ」ました。旧 正 月 の祝 い(中 国 や韓 国 の新 年 の祝 い)。「一 年 のこの時 期 ,家 族 ,友 人 ,親 族 の主 な関 心 事 は,幸 運 を確 保 し,神 々 や霊 たちに敬 意 を払 い,新 年 の福 を祈 ること」です。(「月 餅 と腹 をすかせた鬼 たち中 国 の祝 祭 」[英 語 ])韓 国 でも正 月 には,「先 祖 を拝 み,悪 霊 を払 って新 年 の幸 運 を得 ,新 年 を占 い」ます。(「世 界 の新 年 の祝 い百 科 事 典 」[英 語 ])
霊 魂 不 滅 の教 えに基 づく祝 日 。聖 書 は,魂 は死 ぬとはっきり述 べています。(エゼキエル 18:4)ですから,エホバの証 人 は次 に挙 げるような祝 日 を祝 いません。霊 魂 不 滅 の教 えを広 める祝 日 だからです。万 霊 節 (諸 死 者 の記 念 日 )。「新 カトリック百 科 事 典 」(英 語 )によれば,これは「亡 くなった信 徒 を記 念 する」日 です。「中 世 を通 じて,煉 獄 にある魂 がこの日 に,鬼 火 ,魔 女 ,ヒキガエルなどになって現 われるという信 条 は一 般 的 だった。生 前 に自 分 たちを苦 しめた者 たちに現 われるのである」。清 明 節 ,および「腹 をすかせた鬼 たちの祭 り」(中 元 節 )。この2つの祭 りは先 祖 をあがめるために行 なわれます。「世 界 の儀 式 出 産 祝 いから葬 式 まで」と題 する本 (英 語 )によると,清 明 節 には,「死 者 が飢 えたり喉 が渇 いたりお金 に困 ったりしないよう,飲 食 物 や紙 のお金 が燃 やされ」ます。その本 はさらにこう述 べています。「この鬼 月 の間 ずっと,とりわけ満 月 の夜 には,死 者 と生 者 の関 係 が強 まる[と参 加 者 は信 じている]。よって,死 者 をなだめ先 祖 をうやまうための準 備 が重 要 になる」。秋 夕 (チュソク)。「コリアンの伝 統 その宗 教 ・社 会 ・倫 理 」という本 (英 語 )によると,この祭 りには「死 者 の魂 に食 べ物 やぶどう酒 をささげる」ことが含 まれます。その捧 げ物 は「死 後 も魂 が生 き続 けるという信 仰 」を反 映 しています。
オカルトがからんだ
祝 日 。聖 書 はこう言 っています。「占 いに頼 る者 ,魔 術 を行 なう者 ,吉 凶 の兆 しを求 める者 ,呪 術 を行 なう者 ,また,まじないで他 の人 を縛 る者 ,霊 媒 に相 談 する者 ,出 来 事 の職 業 的 予 告 者 ,死 者 に問 い尋 ねる者 ……はエホバにとって忌 むべきものであ[る]」。(申 命 記 18:10-12)占 星 術 などのオカルトと全 くかかわらないようにするため,エホバの証 人 はハロウィーンをはじめ,次 のような祝 日 を祝 いません。シンハラ
族 とタミル族 の新 年 の祝 い。「この行 事 に関 係 した伝 統 儀 式 には……占 星 術 で縁 起 がよいとされる時 期 に特 定 の活 動 を行 なうことが含 まれる」。(「スリランカ百 科 事 典 」[英 語 ])ソンクラーン。このアジアの
祭 りの名 前 は,「“移 動 ”あるいは“変 化 ”を意 味 するサンスクリット語 ……から来 ており,[この祭 りでは]太 陽 が黄 道 十 二 星 座 の牡 羊 座 に移 動 したことを記 念 」します。(「食 物 ・祭 り・信 仰 世 界 の宗 教 の食 文 化 百 科 事 典 」[英 語 ])
イエスの
犠 牲 によって終 わった,モーセの律 法 に由 来 した祝 い。「キリストは律 法 の終 わりであ[る]」と聖 書 は述 べています。(ローマ 10:4)モーセの律 法 は古 代 イスラエルに与 えられたものとはいえ,クリスチャンはその原 則 から学 ぶことができます。しかし,律 法 で規 定 されていた祭 り,特 に,メシアの到 来 を示 唆 していた祭 りは祝 いません。メシアは到 来 したからです。聖 書 は,「それらの事 は来 たるべきものの影 であって,その実 体 はキリストに属 している」と言 っています。(コロサイ 2:17)メシアがすでに到 来 し祭 りは役 目 を終 えたこと,また幾 つかの祭 りが非 聖 書 的 な習 慣 を取 り入 れていることを考 え,エホバの証 人 は次 に挙 げるような祭 りを祝 いません。ハヌッカ(ハヌカ)。これは,エルサレムにあるユダヤ
教 の神 殿 の再 献 納 を記 念 する祭 りです。とはいえ聖 書 は,イエスが,「手 で造 ったのではない,すなわち,この創 造 界 のものではない,より偉 大 で,より完 全 な天 幕 [神 殿 ]」の大 祭 司 になったことを示 しています。(ヘブライ 9:11)クリスチャンにとってその霊 的 神 殿 が,エルサレムの目 に見 える神 殿 に取 って代 わりました。ロシュ・ハシャナー。これは,ユダヤ
暦 の元 日 に行 なわれる祝 いです。古 代 この祭 りでは,神 に特 別 な犠 牲 がささげられました。(民 数 記 29:1-6)しかしイエス・キリストがメシアとして「犠 牲 と供 え物 とを絶 え」させたので,そうした犠 牲 は神 にとって無 意 味 なものになりました。(ダニエル 9:26,27)
その
祝 日 は信 仰 合 同 を促 すか聖 書 の原 則 : 「忠 実 な人 が不 信 者 とどんな分 を共 に持 つのでしょうか。神 の神 殿 と偶 像 にどんな一 致 があるでしょうか」。(コリント第 二 6:15-17)エホバの
証 人 は隣 人 と平 和 な関 係 を築 き,他 の人 の信 仰 の自 由 を尊 重 しますが,信 仰 合 同 を促 す次 のような祝 いには参 加 しません。信 条 の違 う人 たちが一 緒 に集 まる宗 教 行 事 。神 は異 教 徒 が住 む土 地 にご自 分 の民 を導 いた時 ,こう言 いました。「あなたは彼 らまた彼 らの神 々 と契 約 を結 んではならない。……あなたが彼 らの神 々 に仕 えることになれば,それはあなたにとってわなとなるであろう」。(出 エジプト記 23:32,33)ですから,エホバの証 人 は次 のような祝 いには参 加 しません。ロイクラトン。タイの
祭 り。祭 りの間 ,「人 々 は木 の葉 で入 れ物 を作 り,ろうそくか線 香 を立 てて水 に浮 かべる。木 の葉 の舟 は不 幸 を運 び去 ると言 われる。この祭 りは仏 陀 (ぶつだ)の聖 なる足 跡 をあがめるためのものである」。(「仏 教 百 科 事 典 」[英 語 ])悔 い改 めの日 。パプアニューギニアの「ザ・ナショナル」紙 (英 語 )で,同 国 の政 府 関 係 者 は,この行 事 の参 加 者 は「キリスト教 の基 本 的 な教 えに同 意 している」と語 り,この日 は「我 が国 のキリスト教 的 信 念 の土 台 になっている」と語 りました。ウェーサーカ。「
仏 教 の聖 なる日 の中 で最 も神 聖 な日 。仏 陀 の生 誕 ,その悟 り,その死 ,涅 槃 (ねはん)を祝 う」。(「世 界 の祝 日 ・祭 り・記 念 日 辞 典 」)
聖 書 が教 えていない宗 教 的 伝 統 に基 づく祝 い。イエスは宗 教 指 導 者 たちに,「あなた方 は,自 分 たちの伝 統 のゆえに神 の言 葉 を無 にしています」と述 べました。そして,彼 らの崇 拝 は「人 間 の命 令 を教 理 として教 え」ているので価 値 がない,とも語 りました。(マタイ 15:6,9)エホバの証 人 はこの警 告 を真 剣 に受 け止 めているため,祝 わない宗 教 的 祝 祭 は少 なくありません。エピファニー(
公 現 祭 ,三 賢 王 礼 拝 の日 ,テムカト,またはロス・レイエス・マーゴス)。占 星 術 者 たちがイエスに会 いに来 たこと,あるいはイエスのバプテスマを記 念 する祝 い。この祭 りは,「川 の神 々 をあがめる,春 に行 なわれる異 教 の祭 りをキリスト教 化 したもの」です。(「クリスマス百 科 事 典 」[英 語 ])関 連 した祭 りであるテムカトはこの「伝 統 に深 く根 ざして」います。(「古 代 世 界 における社 会 ・文 化 百 科 事 典 」[英 語 ])聖 母 被 昇 天 祭 。この祭 りは,イエスの母 マリアが肉 体 を着 けて昇 天 したという信 仰 と関 係 があります。「宗 教 と社 会 ファンダメンタリズム百 科 事 典 」(英 語 )は,「この教 えは初 期 のクリスチャンの間 では知 られておらず,聖 書 にも出 てこない」と述 べています。無 原 罪 懐 胎 の祝 日 。「[マリアの]無 原 罪 の懐 胎 ということは,聖 書 の中 では明 確 には教 えられていない……。これは教 会 が生 み出 した教 えである」。(「新 カトリック百 科 事 典 」)四 旬 節 。「新 カトリック百 科 事 典 」によると,ざんげと断 食 を特 色 とするこの期 間 は,聖 書 が書 き終 えられてから200年 以 上 たった「4世 紀 に」定 着 しました。同 百 科 事 典 は四 旬 節 の初 日 について,こう述 べています。「信 者 が『灰 の水 曜 日 』に灰 をつける習 慣 は,1091年 のベネベンタム宗 教 会 議 以 降 ,普 及 した」。メスカル(またはマスカル)。「
中 世 の社 会 と文 化 百 科 事 典 」[英 語 ]によると,エチオピアのこの行 事 は,「大 きな火 をたいて周 囲 で踊 りながら,真 実 の十 字 架 (キリストがはりつけにされた十 字 架 )を見 つけたこと」を祝 う祭 りです。しかし,エホバの証 人 は十 字 架 を崇 拝 に用 いません。
その
祝 日 は特 定 の人 物 や組 織 ,国 家 の象 徴 をあがめていないか聖 書 の原 則 : 「エホバはこのように言 われた。『地 の人 に依 り頼 み,しかも肉 を自 分 の腕 とし,その心 がエホバからそれて行 く強 健 な者 はのろわれる』」。(エレミヤ 17:5)エホバの
証 人 は人 々 への愛 を表 わし,ときには祈 ることさえしますが,次 のような行 事 や祝 いには参 加 しません。支 配 者 や著 名 人 をたたえる祝 日 。聖 書 にはこうあります。「あなた方 は自 分 のために,息 がその鼻 孔 にある地 の人 から離 れていよ。どんな根 拠 があってその人 が考 慮 に入 れられるというのか」。(イザヤ 2:22)ですから,エホバの証 人 は国 王 の誕 生 日 などを祝 いません。国 旗 の祝 い。エホバの証 人 は国 旗 の日 を祝 いません。聖 書 は,「自 分 を偶 像 から守 りなさい」と言 っているからです。(ヨハネ第 一 5:21)旗 は偶 像 ではなく,崇 拝 の対 象 とはみなせないという人 もいますが,歴 史 家 カールトン・J・H・ヘーズは,「国 家 主 義 の信 仰 の主 要 な象 徴 ならびに崇 拝 の中 心 的 対 象 物 は国 旗 である」と述 べています。聖 人 をあがめる祝 日 や行 事 。神 を恐 れるある人 が使 徒 ペテロにひれ伏 した時 にどんなことがあったでしょうか。こう書 かれています。「ペテロは彼 の身 を起 こして言 った,『立 ちなさい。私 も人 間 です』」。(使 徒 10:25,26)ペテロも他 の使 徒 たちも,特 別 な栄 誉 を受 けたり崇 拝 されたりするのを拒 んだので,エホバの証 人 は,いわゆる聖 人 をあがめる次 のような行 事 には参 加 しません。万 聖 節 。「すべての聖 人 をあがめる祭 り。……この祭 りの起 源 は特 定 できない」。(「新 カトリック百 科 事 典 」)グアダルーペの
聖 母 祭 。「メキシコの守 護 聖 人 」をあがめる祭 りで,この聖 人 をイエスの母 マリアと見 る人 たちもいます。マリアは1531年 ,奇 跡 的 にこの地 に現 われたと伝 えられています。(「グリーンウッド ラテン文 学 百 科 事 典 」[英 語 ])聖 名 祝 日 。「世 界 の儀 式 出 産 祝 いから葬 式 まで」と題 する本 はこの日 について,「子 どもがバプテスマや堅 信 礼 で付 けられる名 前 の由 来 となった聖 人 の祝 日 」であり,「きわめて宗 教 色 の強 い日 」としています。
政 治 運 動 や社 会 運 動 を支 持 する祝 日 。聖 書 は,「エホバのもとに避 難 することは地 の人 に依 り頼 むことに勝 る」と言 っています。(詩 編 118:8,9)エホバの証 人 は,人 間 が世 界 の諸 問 題 を解 決 できるとは考 えません。そうできるのは神 だけです。その立 場 を示 すため,政 治 運 動 や社 会 運 動 を支 持 する「青 少 年 デー」や「女 性 デー」などには参 加 しません。同 じ理 由 で,「解 放 記 念 日 」やそれに類 似 した祝 日 は祝 いません。神 の王 国 が人 種 差 別 や不 公 平 を解 決 することに希 望 を置 いています。(ローマ 2:11; 8:21)その
祝 日 は特 定 の国 や民 族 を高 めていないか聖 書 の原 則 : 「神 [は]不 公 平 な方 ではなく,どの国 民 でも,神 を恐 れ,義 を行 なう人 は神 に受 け入 れられる」。(使 徒 10:34,35)多 くのエホバの証 人 は母 国 に愛 着 を感 じていますが,国 や民 族 を高 める次 のような祝 日 は祝 いません。軍 隊 をたたえる行 事 。イエスは戦 争 を奨 励 することはなく,むしろ,弟 子 たちに「あなた方 の敵 を愛 しつづけ,あなた方 を迫 害 している者 たちのために祈 りつづけなさい」と教 えました。(マタイ 5:44)ですから,エホバの証 人 は,兵 士 をたたえる次 のような祝 日 を祝 いません。アンザック・デー。「アンザックはオーストラリア・ニュージーランド
軍 団 の略 称 」であり,「アンザック・デーは時 たつうちに,戦 没 者 記 念 日 となった」。(「オーストラリア歴 史 辞 典 」[英 語 ])復 員 軍 人 の日 (休 戦 記 念 日 ,リメンバランス・デー,メモリアルデー)。「退 役 軍 人 と戦 没 者 」をたたえる祝 日 です。(「ブリタニカ百 科 事 典 」[英 語 ])
国 の歴 史 や独 立 をたたえる祝 日 。イエスは弟 子 たちについて,こう語 りました。「わたしが世 のものではないのと同 じように,彼 らも世 のものではありません」。(ヨハネ 17:16)エホバの証 人 は国 の歴 史 について意 欲 的 に学 びますが,次 のような行 事 には参 加 しません。オーストラリア・デー。「ワールドマーク
文 化 と生 活 百 科 事 典 」(英 語 )によると,これは,「1788年 に英 国 の兵 士 たちが,旗 を掲 げてオーストラリアを新 たな植 民 地 と宣 言 した日 」を記 念 する祝 日 です。ガイ・フォークス
捕 縛 記 念 日 。「1605年 ,ガイ・フォークス率 いるカトリック教 徒 が国 王 ジェームス1世 と政 府 高 官 の爆 死 を企 てたものの,未 遂 に終 わったことを記 念 する国 民 の祝 日 」。(「英 国 民 間 伝 承 辞 典 」[英 語 ])独 立 記 念 日 。幾 つもの国 で,「年 に1度 ,独 立 国 家 としての始 まりを記 念 する日 」とされています。(「メリアム・ウェブスター大 辞 典 」[英 語 ])
その
祝 日 には節 度 やモラルに欠 けた行 動 がつきものか聖 書 の原 則 : 「過 ぎ去 った時 の間 ,あなた方 は,みだらな行 ない,欲 情 ,過 度 の飲 酒 ,浮 かれ騒 ぎ,飲 みくらべ,無 法 な偶 像 礼 拝 に傾 いていましたが,諸 国 民 の欲 するところを行 なうのはそれで十 分 だからです」。(ペテロ第 一 4:3)エホバの
証 人 はこの原 則 に従 い,飲 み過 ぎやばか騒 ぎが伴 う祝 いを避 けます。エホバの証 人 は友 人 との団 らんを楽 しみますが,飲 むとしてもお酒 はほどほどにするようにしています。次 の聖 書 の原 則 に従 えるよう最 善 を尽 くします。「あなた方 は,食 べるにしても,飲 むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事 を神 の栄 光 のためにしなさい」。(コリント第 一 10:31)ですからエホバの
証 人 は,聖 書 が非 としている慎 みの欠 けた行 動 を促 すカーニバルや,それに類 した祭 りには参 加 しません。ユダヤのプリムの祭 りもその一 つです。この祭 りは西 暦 前 5世 紀 のユダヤ人 の救 出 を記 念 する祭 りとして長 く行 なわれてきましたが,「ユダヤ教 の真 髄 」と題 する本 (英 語 )は,今 や「マルディ・グラつまりカーニバルのユダヤ版 といっても過 言 ではない」と述 べています。この祭 りには,「仮 装 (たいてい女 装 ),奔 放 な振 る舞 い,大 酒 ,ばか騒 ぎがつきもの」です。
エホバの証 人 が特 定 の祝 日 を祝 わないとしても,家 族 を大 切 に思 っていますか
はい,
エホバの証 人 は特 定 の祝 日 を祝 う人 に反 対 しますか
いいえ。エホバの