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ずっと見張っていましょう

信頼できるのは誰? 聖書から分かること

信頼できるのは誰? 聖書から分かること

 しんらいできるとおもっていたひとがそうでないとかると,ひとびとはがっかりします。おおくのひとつぎのようなひとたちへのしんらいうしなっています。

  •   みんひつようとしていることよりもぶんたちのえきゆうせんするせい

  •   せいかくかたよったほうどうをするメディア。

  •   しゃかいにとってなにさいぜんかをしてこうどうするがくしゃ

  •   かみおしえをまもるよりもせいとうすることにちかられているしゅうきょうどうしゃ

 だれかをしんらいするまえによくかんがえることはたいせつです。せいしょつぎのようにけいこくしています。

  •  にんげんどうしゃたよってはならない。にんげんはだれもあなたをすくうことができない」。(へん 146:3,「グッド・ニュースやく」[えい])

しんらいできるかた

 せいしょだれしんらいできるかをあきらかにしています。それはイエス・キリストです。イエスは2000ねんほどまえきていたたんなるひとではありません。かみはイエスを「おうとして……おさめ」るようにんめいしました。「そのおうこくわりはありません」。(ルカ 1:32,33)そのおうこくとは,てんせいかみおうこくのことです。イエスはおうこくおうとしていまとうしています。(マタイ 6:10