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創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!

創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!

第8章

創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!

雷鳴がとどろき,稲妻がひらめく中,シナイ半島のひときわ高い山の前に,およそ300万の人々が立ちました。シナイ山は雲に包まれ,地は震動します。このような忘れ難い情景の中で,モーセは,古代イスラエルの民を,天地の創造者との正式な関係に導き入れました。―出エジプト記 19章。イザヤ 45:18

しかしなぜ宇宙の創造者は,ただ一つの国民,しかも比較的に小さな国民に対して,ご自身を啓示しようとされたのでしょうか。モーセは次の洞察を与えています。『エホバがあなた方を愛し,あなた方の父祖たちに誓ったその誓いのことばを守られたがためである』― 申命記 7:6-8

このような記述は,聖書が,宇宙や地上生物の起源に関することだけでなく,それをはるかに超えた多くの情報を収めたものであることを示しています。聖書は,人間に対する,創造者の過去,現在,そして将来の取り計らいについて多くのことを述べています。聖書は,世界で最も多く研究された書物,最も広く頒布された本であり,教育を重んじるすべての人がその内容に通じているべきものです。聖書にはどんなことが記されているのかを概観しましょう。一般に旧約聖書と呼ばれている部分にまず注目しましょう。そうすることによって,宇宙の創造者,また聖書の著者である方の性格について,貴重な洞察を得ることもできます。

本書の第6章,「古代の創造の記録 ― 信頼できますか」の中で,聖書の創造の記録には,わたしたちの起源である,いちばん初めの先祖について,他からは得られない情報が含まれていることを学びました。聖書のこの最初の本には,ほかにも多くの事柄が含まれています。例えばどんなことでしょうか。

ギリシャや他の土地の神話には,神々や半神半人の者たちが人間とかかわりを持った時代のことが述べられています。また人類学者は,太古の時代に洪水があって人類の大半がぬぐい去られた,という伝説が世界じゅうに残っていることを述べています。そのような神話そのものは退けてしまっても差し支えないでしょう。ですが,創世記の書だけが,後代のそのような神話や伝説に反映されている歴史の背景的事実を明らかにしていることをご存じだったでしょうか。―創世記 6,7章 *

創世記の中では,多くの人間男女についても読むことができます。それは,どのような人物だったかをはっきり知ることのできる現実の人々であり,創造者の存在を知って,そのご意志を念頭に置いて生きた人たちでした。わたしたちは,モーセが「父祖たち」と述べた,アブラハム,イサク,ヤコブなどの人々について知るのが良いでしょう。創造者はアブラハムをよく知って,「わたしの友」と呼びました。(イザヤ 41:8。創世記 18:18,19)なぜでしたか。エホバはそれまでに,アブラハムが信仰の人であるのをよく見て,そのことに確信を持っていたのです。(ヘブライ 11:8-10,17-19。ヤコブ 2:23)アブラハムの経験した事柄は,神が人間にとって近づきやすい方であることを示しています。エホバの力と能力は畏敬すべきものですが,神は決してただの非人格的な力ではなく,単なる物事の原因でもありません。現実の存在者であり,わたしたち人間は,この方に対して敬意のこもった関係を築いて,永続する益を受けることができます。

エホバはアブラハムに対し,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と約束されました。(創世記 22:18)これは,到来する「胤」に関してアダムの時代になされた約束に基づいており,それを敷衍するものでした。(創世記 3:15)そうです,エホバがアブラハムに告げた事柄は,その者,つまり「胤」がやがて登場して,すべての人に祝福を差し伸べるという希望を堅いものにしました。あなたは,この点が聖書全体を貫く中心的な主題であり,聖書が人間の種々さまざまな文書をただ集めたものではないことの裏付けであることに気づかれるでしょう。聖書のこの主題をとらえていれば,神が古代に一つの国民を用いた理由を理解できるはずです。それは,すべての国の人々に祝福を得させることを最終的に目ざしていたのです。―詩編 147:19,20

イスラエルとの関係でエホバがこのような目標を持っておられたことは,『神が不公平な方ではない』ことを示しています。(使徒 10:34。ガラテア 3:14)さらに,神がもっぱらアブラハムの子孫を扱っておられた時代にも,他の国の人々がやって来て同じようにエホバに仕えようとするなら,喜んで迎え入れられました。(列王第一 8:41-43)そして,これから先のところで見るとおり,神の公平さはきわめて行き届いたものであり,今日のわたしたちすべては,国家また人種的背景がどうあろうとも,神を知って,神に喜ばれる者となることができます。

創造者が何世紀にもわたって関係を持たれた国民の歴史から多くのことを学べます。その歴史を三つの部分に分けましょう。各部を考察するにあたって,いかにエホバが,「彼はならせる」というご自身の名のとおりに行動されたか,また現実に生存した人々の扱い方にその性格がいかに表われているかに注目なさってください。

第一部 ― 創造者の支配を受けた国民

アブラハムの子孫はエジプトで奴隷になりました。やがて神はモーセを起こし,西暦前1513年,モーセがその民を自由へと導き出しました。イスラエルが一つの国民となった時には,神がその支配者でした。しかし,西暦前1117年,民は人間の王を求めました。

どのような経緯で,イスラエルはモーセと共にシナイ山ろくに来たのでしょうか。聖書の創世記はその背景を伝えています。それよりもずっと前,ヤコブ(イスラエルとも呼ばれた)がエジプトの北東に住んでいた時,当時知られていた世界の全域に及ぶ飢きんが起きました。家族を心配したヤコブはエジプトに食糧を求めました。そこには穀物が豊富に蓄えられていました。ヤコブにとって意外にも,エジプトの食糧管理官となっていたのは,自分の息子のヨセフでした。その息子は何年も前に死んだものと思っていたのです。ヤコブとその家族はエジプトに移り,勧められてその地にとどまることになりました。(創世記 45:25–46:5; 47:5-12)しかし,ヨセフの死後,新しいファラオがヤコブの子孫を強制労働に徴用して,『粘土モルタルやれんがを扱う厳しい奴隷労働をもって彼らの生活をつらいものにしていき』ました。(出エジプト記 1:8-14)この時期についての鮮明な記述,および他の多くの事柄は,聖書の二番目の書である出エジプト記の中でお読みになることができます。

イスラエル人は幾十年にもわたって虐待を忍びました。「助けを求めるその叫びが終始まことの神のもとに上った」と記されています。エホバに目を向けたのは賢明なことでした。エホバはアブラハムの子孫に関心を持ち,将来すべての人々に祝福を得させるというご自分の目的を遂行することを思い定めておられました。エホバは『イスラエルのうめきを聞き,それに意を留められ』ました。これは,創造者が,虐げられて苦悩する人々に同情を抱かれることを示しています。(出エジプト記 2:23-25)神はモーセを選んで,イスラエル人を奴隷状態から救出させようとしました。しかし,モーセとその兄アロンがエジプトのファラオのもとに来て,奴隷にされたその民を去らせてくれるようにと求めた時,ファラオは不敵にも,「エホバが何者だというので,わたしはその声に従ってイスラエルを去らせなければいけないのか」という言葉で応じました。―出エジプト記 5:2

当時最大の軍事強国の支配者からのものだったにせよ,宇宙の創造者がこのような挑戦的態度にひるむとでも思われますか。神はファラオとエジプト人を一連の災厄で打ち,ついに十番目の災厄の後,ファラオは,イスラエル人を解放することに同意しました。(出エジプト記 12:29-32)こうしてアブラハムの子孫は,エホバを現実の存在者,時が来れば自由を得させてくださる方として知るようになりました。そうです,エホバはその名前のとおり,ご自分の約束を劇的なかたちで果たす方となられました。(出エジプト記 6:3)しかし,ファラオもイスラエル人も共に,その名についてはさらに多くを学ぶことになっていました。

それが起きたのは,ファラオが間もなく心変わりをしたためでした。ファラオは軍隊を率い,去って行く奴隷の集団を猛追し,紅海のほとりでこれに追いつきました。イスラエル人は,海とエジプトの軍隊との間にはさまれました。その時点でエホバは介入し,紅海のただ中を通る道を開きました。ファラオはそれを,神の無敵の力の表明として認めるべきでした。しかしそうはせず,向こう見ずにも軍を率いてイスラエル人の後を追い,軍隊もろともおぼれ死ぬ結果になりました。神は海を元の状態に戻したのです。出エジプト記の記述は,神がこうした偉業をどのような方法で成し遂げられたかを細かには述べていません。わたしたちはこれをまさしく奇跡と呼ぶことができます。起きた事そのものも,その時間的要素も,人間の制御するところを超えていたからです。しかし,宇宙を造り,そのすべての法則を定めた方にとって,そのような行為は決して不可能ではなかったはずです。―出エジプト記 14:1-31

この出来事は,エホバが救い主であり,その名前のとおりに行動する方であることをイスラエル人の前に実証しましたし,今日のわたしたちにもその点を際立たせるはずです。しかしわたしたちは,この記述から,神の物事の行ない方についてさらに多くのことを見きわめるべきです。例えば神は,圧制的な国に対して公正を執行し,約束の胤が出る民に対しては愛ある親切を示されました。この後のほうの視点で言えば,出エジプト記から読み取れる事柄は,明らかに単なる古代史ではありません。それは,すべての人に祝福を得させようとする神の目的と関連があるのです。

約束の地へ

エジプトを出たあと,モーセとその民は砂漠地帯を通ってシナイ山へと進みました。そこで起きた事柄は,そののち幾世紀にもわたり,この国民に対する神の扱いを方向づけるものとなりました。神は法を与えました。もちろん,その幾十億年も前から,創造者は宇宙の物質を統御する数々の法則をすでに定めておられ,それは今でも作用しています。しかしシナイ山で,神はモーセを通して,ひとつの国民を治める法を与えたのです。神がこのとき行なわれたこと,また神が与えた律法典については,出エジプト記と,それに続く三つの書,レビ記民数記申命記の中で読むことができます。学者たちは,モーセがヨブ記も記したものと考えています。ヨブ記の重要な内容については,本書の第10章で取り上げます。

今日でも,世界の非常に多くの人が十戒について知り,それに従って生きようとしています。それは,この一式の律法典の中心をなす道徳上の命令です。しかしその法典には,卓越したものとして称賛される定めがほかにも数多く含まれています。当然ながら,多くの規定は当時のイスラエル人の生活にかかわるものでした。例えば,衛生,清潔,疾病などに関する規則です。もともと古代の民を対象として述べられたものですが,それらの規則は,人間の研究者たちがようやく前世紀ごろになって発見したような科学的事実に関する知識を反映しています。(レビ記 13:46,52; 15:4-13。民数記 19:11-20。申命記 23:12,13)次の点を考えてください。古代イスラエルに与えられた法が,同時代の諸国民の知っていたところをはるかに超える知識と知恵を反映していたのはどうしてでしょうか。それらの法は創造者を源としていた,という点に納得のゆく答えがあります。

それらの法は,それぞれの家族の系譜を保たせると共に,約束された胤の出現までの間イスラエル人が遵守すべき宗教上の務めを明記していました。神の求めた事柄はすべて行なうと同意したことによって,民はその律法にそって生きるべき責任を負いました。(申命記 27:26; 30:17-20)確かに,民はその律法を完全には守れませんでした。しかし,その事自体にも,益となる面がありました。後代に法律の専門研究者であった人は,その律法が『違犯を明らかにし,約束のなされた胤が到来する時にまで及ぶ』ものであったと説明しています。(ガラテア 3:19,24)ですから,その律法典はイスラエルを他と分かたれた民とし,約束の胤つまりメシアの必要を銘記させて,それを迎え入れる用意をさせました。

イスラエル人はシナイ山のふもとに集まり,神の律法典に従って生きることに同意しました。こうして民は,聖書が契約と呼ぶもの,つまり一種の協定のもとに置かれました。この契約は神とその国民との間で結ばれたものです。その民は進んで契約に入りましたが,うなじのこわさを幾度も示しました。例えば,金の子牛をこしらえて,それを自分たちの神の表象であるとしました。これを行なうのは罪でした。偶像崇拝はあからさまに十戒に反していたからです。(出エジプト記 20:4-6)さらに彼らは,備えられた物資に不平を述べ,神の任命した指導者(モーセ)に背き,偶像を拝む異国の女性たちとの不道徳な関係に身をゆだねました。しかし,モーセの時代から遠く離れたわたしたちにとって,これらの事にどんな興味があるのでしょうか。

これも単なる古代の歴史ではありません。感謝に欠けたイスラエルの行動と神の側の対応についての聖書の記述は,神が真に気づかいをされる方であることを示しています。聖書は,イスラエル人が「繰り返し」エホバを試し,エホバに「痛みを覚え」させ,「痛みを与えた」と記しています。(詩編 78:40,41)ですから,創造者には感情があり,人間の行なう事柄に気づかいを持たれるという点をはっきり理解できます。

わたしたちの観点からすれば,神はイスラエルの悪行ゆえに契約を終了させ,自分の約束を果たすため別の国民を選ぶのではないかとも思えるかもしれません。しかし,そうはされませんでした。甚だしい悪行者に処罰を科しつつも,全体的にはその気まぐれな国民に憐れみをかけました。そうです,神は,忠実な友であったアブラハムに対する約束を忠節に守られました。

ほどなくしてイスラエルはカナンに近づきました。それは,聖書が約束の地と呼んでいる所です。そこには,勢力のある幾つもの民が,道徳的に堕落した習俗につかって暮らしていました。創造者はそれらの民に干渉することなく,それまで400年の経過を許されました。しかし今,正当なこととして,その地を古代のイスラエルに引き渡そうとされました。(創世記 15:16。この本の132,133ページの「ねたむ神 ― どのような意味で?」もご覧ください。)そのための準備として,モーセは12人の斥候をその地に遣わしました。そのうちの10人は,エホバの救いの力に対する信仰の不足を表わしました。その人たちの行なった報告は,民に影響して神に対してつぶやかせ,エジプトに戻ろうとする陰謀にまでなりました。そのため神は,その民が40年のあいだ荒野をさまようことになると宣告しました。―民数記 14:1-4,26-34

この裁断によって何がなされたでしょうか。モーセは死ぬ前,エホバがイスラエルの子らを謙遜にならせた年月のことを忘れないようにと,民に訓戒しました。モーセはこう述べました。「あなたが自分の心でよく知るとおり,あなたの神エホバは,人が自分の子を正すようにしてあなたを正しておられたのである」。(申命記 8:1-5)民が侮辱的な行動を取ったにもかかわらず,エホバはずっとその民を支え,民がエホバに依存していることを現実に示されました。例えば,民が生き延びられたのは,エホバがその国民にマナを供給されたからでした。それは,蜜いりの菓子のような味のする食べ物でした。確かに彼らは荒野での経験から多くを学ぶべきでした。それは,憐れみ深いその神に従い,神に依り頼むことの大切さを十分示したはずです。―出エジプト記 16:13-16,31; 34:6,7

モーセの死後,神はヨシュアを任じてイスラエルの指導に当たらせました。この勇敢で忠節な男子がその国民をカナンに導き入れ,土地の平定に取りかかりました。ヨシュアは31人の王を撃ち破り,約束の地の大半を配下に収めました。この躍動の歴史は,ヨシュア記でお読みになることができます。

人間の王がいない時代の統治

荒野にとどまっていた間,そして約束の地に入って間もない時期,その国民はモーセを,次いでヨシュアを指導者としていました。イスラエルの民に人間の王は必要ではありませんでした。エホバが民の主権者だったからです。神は,任命を受けた年長者たちが都市の城門のところで法的な事件を審理する取り決めを設けました。それら年長者たちが秩序を保ち,民を霊的に助けました。(申命記 16:18; 21:18-20ルツ記は,そのような年長者たちが,申命記 25章7節から9節の律法にしたがって,法的な事件をどのように扱ったかについて,興味あふれる一面をのぞかせてくれます。

多年にわたり,その国民は何度も神に背き,カナン人の神々に走ってはしばしば神の不興を招きました。それでも,民が窮境に陥ってエホバに助けを叫び求めると,神は彼らについて思い返されました。イスラエルを自由にならせるため,裁き人を起こしてその先頭に立たせ,圧迫する近隣の民から救出させました。裁き人の書(士師記)は,これら勇気ある裁き人のうち12人について,その功業を生き生きと描いています。―裁き人 2:11-19。ネヘミヤ 9:27

記録はこう述べています。「そのころイスラエルに王はいなかった。自分の目に正しく見えるところを各自が行なっていたのである」。(裁き人 21:25)その国民には,律法に明示された規範がありました。ですから,年長者たちの助けや祭司たちからの諭しを受けつつ『自分の目に正しく見えるところを行ない』,それによって着実に歩んでゆくための基礎がありました。また,その律法典には,幕屋つまり移動式の神殿に関する規定があり,そこで各種の犠牲がささげられていました。それが真の崇拝の中心となり,その時期の国民を一つに結び合わせていました。

第二部 ― 王たちのもとでの繁栄

サムエルがイスラエルの裁き人であった時,民は人間の王を求めました。初めの3人の王,サウル,ダビデ,ソロモンは,それぞれ40年ずつ,西暦前1117年から997年まで統治しました。イスラエルは富と栄光の絶頂に達し,創造者は,やがて来る約束の胤の,王としての統治に備える重要な段階を踏まれました。

裁き人また預言者として,サムエルはイスラエルの霊的な福祉をよく顧みましたが,息子たちはそうではありませんでした。やがて民はサムエルに,「どうか今,諸国民すべてのように,私たちを裁く王を私たちのために立ててください」と要求しました。エホバは,その要求が何を意味するかをサムエルに説明して,「民……の声に聴き従いなさい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けたからである」と言われました。エホバは,こうした進展の悲しむべき結末を予見しておられました。(サムエル第一 8:1-9)それでも,民の要求に応じて,サウルという名の慎みある人物をイスラエルの王として指名しました。当初は前途有望に見えたのですが,サウルは王になると,気ままな傾向を表わして神の命令を踏み越えました。神の預言者は,王権がエホバの意向に添う人に与えられることを告げました。この事は,創造者が心からの従順をどれほど重視されるかをわたしたちに銘記させるはずです。―サムエル第一 15:22,23

イスラエルの次の王となることになったダビデは,ユダ部族に属する一家族の最年少の息子でした。この思いもよらない人選について,神はサムエルに,「人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見る」と告げました。(サムエル第一 16:7)創造者が,外見ではなく,人の内面をご覧になるというのは励みとなる点ではないでしょうか。しかし,サウルは別の考え方をしていました。エホバがダビデを将来の王として選んだ時から,サウルは強迫観念に取り付かれ,ダビデを亡き者にしようとする思いに駆り立てられました。エホバはそれを許さず,サウルとその息子たちはついに,フィリスティア人と呼ばれた好戦的な民との戦闘で死にました。

ダビデはヘブロン市で王としての支配を開始しました。その後,エルサレムを攻略して,そこに都を移しました。ダビデはイスラエルの領地をさらに拡張し,神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地の境界いっぱいにまで広げました。この時期(ならびに,その後の王たちの歴史)については,聖書の六つの歴史書の中で読むことができます。 * これらの書は,ダビデの生涯が問題のないものではなかったことを示しています。例えば,人間的な欲望に屈して美しいバテ・シバと姦淫を犯し,その罪を覆うためにさらに悪行を重ねました。公正の神として,エホバはダビデの誤りをただ見過ごすことはできませんでした。しかし,ダビデの心からの悔い改めのゆえに,神は律法の刑罰が厳密に適用されることは求めませんでした。それでもダビデは,自分の罪の結果として,家族内に多くの問題をかかえることになりました。

そうした数々の難局を通して,ダビデは神を人格的な存在,つまり実際の感情を持つ方として知るようになりました。ダビデはこう書きました。『エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者の近くにおられます。助けを求めるその叫びを聞いてくださいます』。(詩編 145:18-20)ダビデの誠実さと献身的な態度とは,ダビデの作った幾つもの美しい歌の中にはっきり表現されており,それ詩編のほぼ半分を占めています。この詩集からは,無数の人々が慰めと励みを得てきました。詩編 139編1節から4節で,ダビデがいかに神を身近に感じていたか見てください。「エホバよ,あなたはわたしをくまなく探られました。あなたはわたしを知っておられます。あなたご自身がわたしの座ることも立ち上がることも知るようになり,遠くからわたしの考えを考慮されました。……わたしの舌に言葉が上る前から,ご覧ください,エホバよ,あなたは既にそれをすべてご存じなのです」。

ダビデはとりわけ神の救いの力を感じていました。(詩編 20:6; 28:9; 34:7,9; 37:39)それを体験するたびに,エホバに対するダビデの信頼は厚くなりました。その軌跡は,詩編 30編5節,62編8節,103編9節などに見ることができます。あるいは,詩編 51編をお読みになってください。それは,ダビデがバテ・シバとの罪を戒められた後に書いたものです。わたしたちは自分の思うところをいつでも創造者の前に言い表わすことができるのです。何とさわやかなことではないでしょうか。神が尊大ではなく進んで謙遜に耳を傾けてくださることを確信してよいのです。(詩編 18:35; 69:33; 86:1-8)ダビデはただ体験を通してのみそのような認識を持つようになった訳ではありません。「わたしは……あなたのすべての働きを思い巡らしました。わたしは自ら進んであなたのみ手の業に思いを留めました」と書いています。―詩編 63:6; 143:5

エホバは,永遠の王国のための特別な契約をダビデと結びました。ダビデはその契約の意味を十分には理解していなかったことでしょう。しかし,その後に聖書に記された細かな点からすると,神は約束の胤がダビデの家系から来ることを示しておられたことが分かります。―サムエル第二 7:16

賢王ソロモンと人生の意味

ダビデの子ソロモンは豊かな知恵で知られた人でした。非常に実際的な書物である箴言伝道の書 *を読むことによって,わたしたちもその益にあずかれます。(列王第一 10:23-25)とりわけ伝道の書は,賢王ソロモンと同じように人生の意味を探求する人にとって有益です。王族に生まれ育った最初のイスラエル人の王として,ソロモンには洋々たる前途が開けていました。数々の壮大な建築事業も手がけ,その食卓にはとりどりの食物が美しく並び,音楽を楽しみ,優れた朋友に恵まれました。それでも,ソロモンはこう書いています。「わたし自身,自分の手の行なったすべての業と,成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返って見たが,見よ,すべてはむなし……かった」。(伝道の書 2:3-9,11)これは何を言おうとするものでしたか。

ソロモンはこう記しています。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである」。(伝道の書 12:13,14)この言葉に沿うこととして,ソロモンは壮麗な神殿を建築する7年がかりの事業に携わりました。それは,民が神を崇拝するための場所でした。―列王第一 6章

多年にわたり,ソロモンの治世は平和と豊かさで際立っていました。(列王第一 4:20-25)それでもソロモンの心は,ダビデの場合ほどにエホバに対して全きものではありませんでした。ソロモンは異国の妻を多くめとり,誘われるままに,それら妻たちの神々に心を傾けるようになりました。ついにエホバはこう言われました。『わたしは必ず王国をあなたから裂き取る。わたしの僕ダビデのため,またエルサレムのために,一つの部族を,わたしはあなたの子に与えるであろう』― 列王第一 11:4,11-13

第三部 ― 分かたれた王国

西暦前997年にソロモンが死んだ後,北の十の部族は離反してゆきました。それら十部族はイスラエル王国を構成しましたが,西暦前740年,アッシリア人に征服されました。エルサレムの王たちは残る二つの部族を治めました。このユダ王国は,西暦前607年にバビロニア人がエルサレムを征服して,その住民を捕虜として連れ去るまで存続しました。その後ユダは70年のあいだ荒廃したままでした。

ソロモンが死んだ時,その子レハベアムが権力を執り,民の生活を厳しいものにしました。これは反抗を誘い,十部族は離反して,イスラエル王国となりました。(列王第一 12:1-4,16-20)長年にわたり,この北王国はまことの神には付き従いませんでした。その民は幾たびも金の子牛の偶像の前にひざをかがめ,あるいは他のかたちの偽りの崇拝に陥りました。歴代の王の中には暗殺された者たちもおり,王朝は簒奪者により幾たびも覆されました。エホバは多大の堪忍を働かせ,何度も預言者を遣わして,背教にとどまるならば前途の悲劇を避けられないことをその国民に警告させました。ホセア書アモス書は,おもにこの北王国への音信を伝えた預言者によって書かれました。ついに西暦前740年,神の預言者たちが予告した悲劇はアッシリア人によってもたらされました。

南では,ダビデ王家の19人の王が,西暦前607年まで,相次いでユダを治めました。アサ,エホシャファト,ヒゼキヤ,ヨシヤなどの王たちは,父祖ダビデのような支配を行なって,エホバの恵みを受けました。(列王第一 15:9-11。列王第二 18:1-7; 22:1,2。歴代第二 17:1-6)これらの王の治世に,エホバはその国民に祝福を与えました。「イングリッシュマンズ批判解説聖書百科」(The Englishman's Critical and Expository Bible Cyclopædia)はこう述べています。「ユダにとって大きな安定要素となったのは,神によってそこに設けられた神殿,祭司職,書き記された律法,また唯一まことの神エホバを真の神権的な王として認めていたことであった。……このように律法を守ろうとしたことは……王たちの順当な継承となり,賢明で善良な君主が幾人も出た。……こうしてユダは,人口がもっと多かった北の姉妹国よりも長く続いた」。これら善良な王がいたとはいえ,ダビデの道を歩まなかった王たちの数のほうが上回りました。それでもエホバは物事を動かして,『み名をそこに置くため,神自らのために選んだ都市エルサレムで,その僕ダビデが神の前にいつも一つのともしびを保つ』ことができるようにされました。―列王第一 11:36

滅びに向かう

マナセは真の崇拝から離れたユダの王たちの一人でした。「彼は自分の息子に火の中を通らせ,魔術を行ない,兆しを求め,霊媒や出来事の職業的な予告者たちを任じた。彼はエホバの目に悪いことを大規模に行なって,神を怒らせた」と記されています。(列王第二 21:6,16)マナセ王は民をたぶらかして,「エホバが……滅ぼし尽くされた諸国民よりももっと悪いことを行なわせ」ました。マナセとその民に繰り返し警告を与えた後,創造者は,「人が柄のない鉢をすっかりぬぐ(う)ように,わたしはまさしくエルサレムをぬぐい去る」と言明されました。―歴代第二 33:9,10。列王第二 21:10-13

エホバはひとつの前ぶれとして,アッシリア人がマナセを捕らえ,銅の足かせをかけてとりこにして連れ去るのを許しました。(歴代第二 33:11)流刑の地にあって,マナセは本心に立ち返り,「父祖たちの神のゆえに大いにへりくだ(り)」ました。エホバはどう応じましたか。「[神は]恵みを求めるその願いを聞いて,彼をエルサレムに,その王位に復帰させられた。こうして,マナセはエホバこそまことの神であることを知るようになった」と記されています。マナセ王も,その孫のヨシヤ王も,必要な改革を実行しました。とはいえその国は,道徳および宗教面での大々的な退廃からの恒久的な立ち直りは果たせませんでした。―歴代第二 33:1-20; 34:1–35:25。列王第二 22章

意味深い点として,エホバは熱心な預言者たちを遣わして,そのような状況をご自分がどのように見ているかを宣明させました。 * エレミヤはエホバの言葉をこう伝えました。「あなた方の父祖たちがエジプトの地を出た日から今日に至るまで……わたしはあなた方に預言者であるわたしのすべての僕を遣わしつづけた。毎日早く起きては彼らを遣わした」。しかし,民は神に耳を傾けず,父祖たちにもましてよこしまに行動したのです。(エレミヤ 7:25,26)神は彼らに繰り返し警告を与えました。「その民……に同情を覚えられたから」です。それでも,彼らはこたえ応じようとしませんでした。そのため神は,西暦前607年,バビロニア人がエルサレムを壊滅させ,その地を荒廃させるのを許しました。70年の間,その地は見捨てられたままになりました。―歴代第二 36:15,16。エレミヤ 25:4-11

神の行動についてのこの短い考察は,その民に対するエホバの配慮と公正な取り扱いを認識する助けになるはずです。エホバは引きこもってはおられませんでした。さながら無関心でもあるかのように,民の行なう事をただじっと見ているということはされませんでした。民を助けようと積極的に行動されました。イザヤが次のように述べた理由を理解できるはずです。「エホバよ,あなたはわたしたちの父です。……わたしたちは皆,あなたのみ手の業なのです」。(イザヤ 64:8)今日の多くの人々も,創造者を「父」と呼びます。創造者は,愛をこめて関心を払う人間の父親がするようにして物事に対応されるからです。同時に神は,わたしたちを,自分の歩みとその結果に責任を持つべきものとしておられます。

その国民がバビロンで70年にわたる捕囚を経験したのち,エホバ神は,エルサレムを元どおりにするというご自分の預言を果たされました。民は解放され,自分たちの故国に戻ることを許されました。それは,『エルサレムにあったエホバの家を再び建てる』ためでした。(エズラ 1:1-4。イザヤ 44:24–45:7)聖書の幾つもの書 *が,この回復と神殿の再建,またその後の出来事を扱っています。その一つであるダニエル書にはとりわけ興味深いものがあります。約束の胤であるメシアが厳密にいつ登場するかを預言し,また,わたしたちの時代の世界的な物事の展開をも予告していたからです。

神殿はついに再建されましたが,エルサレムは哀れな状況にありました。その城壁や城門は崩れたままでした。そのため神は,例えばネヘミヤを起こして,ユダヤ人を励まし,組織させました。ネヘミヤ記の9章に記された祈りは,イスラエル人に対するエホバの取り計らいをよく要約しています。それはエホバについて,『許すことをなさる神,慈しみ深くて憐れみ深く,怒るのに遅くて愛ある親切に富んでおられる』と述べています。その祈りは,エホバがご自身の完全な公正の規準にしたがって行動されることも示しています。そのを行使して裁きを執行すべきもっともな理由のある時にも,愛をもって公正を和らげようとされます。平衡を取りつつ実に見事なかたちでこれを行なうには知恵が求められます。確かに,イスラエル国民に対する創造者の取り扱い方は,わたしたちを創造者に引き寄せ,そのご意志を行ないたいという動機を抱かせるはずです。

聖書のこの部分(旧約聖書)が終わる時点で見ると,ユダはエルサレムの神殿も含めて復興していたとはいえ,なおも異教の支配下にありました。では,神がダビデと結ばれた,「永久に」支配を行なう「胤」に関する契約はどのようにして果たされるのでしょうか。(詩編 89:3,4; 132:11,12)ユダヤ人は依然,「指導者であるメシア」の登場を待望していました。そのメシアは,神の民を解放して,地上に神権的な(神の支配する)王国を確立してくれるものとみなされました。(ダニエル 9:24,25)しかし,それがエホバの目的でしょうか。もしそうでないとすれば,約束のメシアはどのように救出をもたらすのでしょうか。それは,今日のわたしたちにどのように影響するでしょうか。次の章では,これらの重要な点を考察します。

[脚注]

^ 7節 聖書の各書の名称は太字にして,その書の内容を確かめやすいようにしてあります。

^ 37節 その六つとは,サムエル記第一,サムエル記第二,列王記第一,列王記第二,歴代誌第一,歴代誌第二です。

^ 42節 ソロモンは,身分の低い羊飼いに対する若い女性の忠節を描いた愛の詩である,ソロモンの歌も書きました。

^ 52節 聖書の幾つもの書が,霊感によるそのような預言的音信を収めています。その中には,イザヤ書エレミヤ書哀歌エゼキエル書ヨエル書ミカ書ハバクク書ゼパニヤ書があります。オバデヤ書ヨナ書ナホム書は,神の民に影響する行動を取った周辺諸国民のことを述べています。

^ 54節 それら歴史と預言の書としては,エズラ記ネヘミヤ記エステル記ハガイ書ゼカリヤ書マラキ書があります。

[126,127ページの囲み記事]

奇跡 ― 信じることができますか

「電気や無線を使い,現代の内科および外科医療の数々の発見の恩恵に浴しながら,同時に,霊たちや奇跡を論じる新約聖書の世界を信じることはできない」。ドイツの神学者ルードルフ・ブルトマンのこの言葉は,今日の多くの人の持つ奇跡に対する見方を反映しています。神が紅海を分けたことなど,聖書に記録されている奇跡について,あなたもそのように感じておられるでしょうか。

コンサイス・オックスフォード辞典(The Concise Oxford Dictionary)は,「奇跡」(miracle)を,「何らかの超自然的動因に帰せられる通常とは異なる物事」と定義しています。そうした通常と異なる物事には自然の秩序に逆らうような事柄がかかわっているために,多くの人は奇跡を信じようとしません。しかし,自然の法則に反するように見える事柄も,関係する他の自然の法則に照らして見れば,容易に説明できることがあります。

その例として,ニュー・サイエンティスト誌(New Scientist)の伝えたところによると,東京大学の二人の物理学者は,半ば水を満たした水平の管に,きわめて強い磁場をかけました。水は勢いよく管の両端に寄り,真ん中に水のない部分ができました。1994年に発見されたこの現象は,水にわずかながら反磁性的な性質があり,磁石に反発するために起きます。磁場の非常に強いところから弱いところへと水が移動する,この確認された現象は「モーゼ効果」と呼ばれています。ニュー・サイエンティスト誌はこう述べていました。「水を周辺に押しやるのは簡単である。それに見合うだけの磁石があればよい。それがあるなら,どんな事も可能である」。

もちろん,神がイスラエル人のために紅海を分けた際にどんな仕組みが用いられたかについてだれもはっきりとは言えません。しかし創造者は,自然界のすべての法則を細大もらさず知っておられます。自分の創始した法則の一つを用いて別の法則の幾つかの面を容易に制御することがおできになるはずです。その結果は,人間にとっては奇跡に思えることでしょう。関係している法則を十分に把握していない場合にはとりわけそう見えるでしょう。

聖書の中の奇跡について,京都大学の山田 晶名誉教授は次のように述べています。「自分のたずさわっている科学の立場からすれば(あるいは,科学の現状からすれば),そのこと[奇跡]はまだ分らないというのは正しいが,現代の進歩した物理学によれば,とか現代の進歩した聖書学の研究によれば,とかいうことを権威にふりかざして,それは存在しないと断定するのは正しくない。現代の科学もあと10年すれば過去の科学となり,10年前の科学者は本気でこんなことを考えていたなどと笑い話にされることは,科学の進歩が速ければ速いほど起りうることだからである」―「科学時代の神々」。

エホバは,創造者として自然のすべての法則を連携させることができ,その力を働かせて奇跡を行なうことができます。

[132,133ページの囲み記事]

ねたむ神 ― どのような意味で?

「エホバは,その名をねたむといい,ねたむ神だからである」。出エジプト記 34章14節にこのように述べられています。しかし,これはどのような意味でしょうか。

「ねたむ」と訳されているヘブライ語には,「全き専心を要求し,対抗するものをいっさい容認しない」という意味もあります。創造物の益という積極的な意味において,エホバはご自身の名と崇拝に関してねたみのような熱情を抱かれます。(エゼキエル 39:25)み名に表わされていることをそのとおりに行なおうとされるエホバの熱心は,人間に対する神の目的を遂行する力となるのです。

一つの例として,カナンの地に住んでいた民に対する裁きについて考えてください。ひとりの学者は次のような衝撃的な描写をしています。「バアル,アシュトレテ,その他カナン人の神々の崇拝は,甚だしく度を過ごしたお祭り騒ぎであった。彼らの神殿は悪徳の中心地であった。……カナン人は……不道徳行為にふけることにより,またその後,自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行なった」。考古学者たちは,いけにえにされた子供たちの遺骨の入った壺を発見しています。神はアブラハムの時代にカナン人のとがに注目されましたが,400年にわたって辛抱を示し,変化のための時間を十分に与えました。―創世記 15:16

カナン人は自分たちのとがの重大さを意識していましたか。彼らにも人間として良心の機能があったのです。法学者たちは,それが人間にとって道徳心と正義感の普遍的な土台となっていることを認めています。(ローマ 2:12-15)にもかかわらず,カナン人は嫌悪すべき子供の人身御供を続け,低劣をきわめた性の習俗を離れませんでした。

エホバは平衡の取れた公正感覚のうちに,その土地を清めるべきものと見定められました。これは,民族虐殺ではありませんでした。カナン人は,ラハブのように個人としても,またギベオン人の場合などのように集団全体としても,それぞれ自発的に神の高い道徳規準を受け入れて,生き長らえる機会がありました。(ヨシュア 6:25; 9:3-15)ラハブはメシアへと続く王統の系譜上の人となり,ギベオン人の子孫はエホバの神殿で奉仕する特権にあずかりました。―ヨシュア 9:27。エズラ 8:20。マタイ 1:1,5-16

ですから,事実に基づいて全体像をはっきり見ようとするとき,エホバがたたえるべき公正の神であり,忠実な被造物にも益となる良い意味で,ねたみの情を持たれる,ということが理解しやすくなります。

[123ページの図版]

創造者は奴隷にされていた民を自由にして,ご自分の目的の遂行のためにお用いになった

[129ページの写真]

シナイ山で古代イスラエル国民は創造者との契約関係に入った

[130ページの写真]

創造者の比類のない法を守ることによって,その民は約束の地での生活を楽しんだ

[136ページの写真]

エルサレムの城壁の南側,ダビデ王が自分の都とした所を訪ねることができる