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にせの王国の出現

にせの王国の出現

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にせの王国の出現

1 初期に「良いたより」はどの程度繁栄しましたか。

残虐をきわめた迫害に直面しながらも,発足してまだ日の浅いクリスチャン会衆は,繁栄と拡大を続けました。メシアによる神の王国に関する良いたよりの真理は,「世界じゅうで実を結んで増大し」てゆきました。王国宣明者たちが新しい地域に入っていくと反対者たちは,『人の住む地を覆したこれらの者たちがここにまで来ている』と嘆息しました。―コロサイ 1:5,6。使徒 17:6

2 真理が広まるのを阻止するために悪魔はどんな努力をしましたか。しかしなぜ失敗しましたか。

2 しかし,単なる人間が真理の広がるのを阻止しようとしたところで何ができるでしょうか。歴史の伝えるところによると,西暦紀元後最初の3世紀間に,ローマ帝国のカエサルたちは初期クリスチャンたちに対して約10回にわたり迫害の波をもたらしていますが,いずれもむだに終わっています。「堅い信仰」をもってイエスの足跡に従った人々は,「ほえるしし」のような悪魔が彼らの多くを本物のライオンの中に投げ込ませたり,拷問にかけて殺させたりしても,妥協しようとはしませんでした。―ペテロ第一 5:8,9。コリント第一 15:32; テモテ第二 4:17と比較。

3 「完全にそろった,神からのよろい」を着けなければならないのはなぜですか。

3 直接的な迫害である正面攻撃はたいてい失敗に終わっているので,悪魔はもっと巧妙な手段でイエスの追随者たちをわなにかけようとしました。高慢で不道徳な,そして快楽に夢中な世のただ中にイエスの追随者たちは住んでいたので,サタンはこの点を大いに利用して彼らを神への奉仕から引き離そうとしました。彼らは『しっかりと立つ』必要がありました。使徒パウロはエフェソス 6章11-18節でこの言葉を3度繰り返し,彼らが身に着けなければならない「神からの[霊的な]よろい」について詳しく述べています。あなたご自身はこの「完全にそろった,神からのよろい」を身に着けておられますか。この「終わりの日」の試練に耐え抜くためには,どうしてもそれを身に着けていなければなりません。(テモテ第二 3:1-5)1世紀当時のクリスチャンにはそれが必要でした。なぜ特別にそれが必要だったのでしょうか。

4 1世紀にクリスチャンたちは,王国に関するどんな基礎的真理を理解するようになりましたか。

4 彼らの信仰は純粋で素朴な信仰でした。当時,クリスチャンはみな霊で油そそがれた人々で,将来復活して「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る」ことを期待していました。(ペテロ第二 1:11。コリント第一 15:50)彼らは少なくとも西暦96年ごろから,つまり老齢の使徒ヨハネが神の霊感によって啓示を受けたころから,「小さな群れ」としての自分たちの数が14万4,000人になることを理解していました。彼らは天でキリストの仲間の『王また祭司』として1,000年間地を治めます。ヨハネが示されたところによると,14万4,000人の霊的イスラエルが集められた「のち」,「すべての国民と部族と民と国語の中から」来た数えつくすことのできない忠節な男女の「大群衆」の存在が分かるようになります。その人々は一つのクラスとして,地上最後の「大患難」のあとまで生き残り,人間社会の中核となり,王国支配の下で1,000年にわたる祝福を享受します。―ルカ 12:32。啓示 7:4,9-17; 20:1-6; 21:1-5

大規模な背教

5,6 (イ)悪魔がそのころすでによりこうかつな攻撃方法を用いていたことはどの聖句から分かりますか。(ロ)ひと口で言えばそれは何でしたか。

5 では,悪魔はどんなこうかつな攻撃方法を用いたでしょうか。使徒ペテロは昔の不信仰なイスラエルに言及して次のように警告しました。「民の間に偽預言者も現われました。それは,あなたがたの間に偽教師が現われるのと同じです。実にこれらの者は,破壊的な分派をひそかに持ち込み……強欲にもまことらしいことばであなたがたを利用するでしょう」。(ペテロ第二 2:1,3)もっともらしい宗教教理を教えるそれら宗派心の強いにせ教師たちは1世紀の終わりごろにはすでに現われ始めていました。というのは,西暦98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いているからです。「あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり,今でも多くの反キリストが現われています。……彼らはわたしたちから出て行きましたが,彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした」― ヨハネ第一 2:18,19

6 使徒パウロは早くも西暦51年に,聖書に収められている彼の手紙のうちの2番目のものと思われる手紙の中で,「エホバの日」についての偽りの教えに気を付けるよう警告を与えています。「だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされてはなりません。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わされてからでなければ,それは来ないからです」と,彼は書いています。この「不法の人」とはだれのことでしょうか。それは背教した宗教指導者を指しているに違いありません。彼らはクリスチャンと称しながら『神を知らず』,「わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない」点で不法の者です。(テサロニケ第二 1:6-8; 2:1-3)それにしても,クリスチャン会衆内にどうしてそのような背教者のクラスが出現し得たのでしょうか。

7 イエスの追随者の中のある者はどのようにそのわなに掛かりましたか。どんな結果になりましたか。

7 イエス・キリストの使徒たちがまだ生きていた間は,彼らがにせ教理の侵入を抑制する働きをしていましたが,「不法の秘事はすでに作用して」いたのです。それは「サタンの働きによる」もので,2世紀になって表面化しました。イエスはご自分の追随者について,『あなたがたはみな兄弟です』と言われていたにもかかわらず,一部の人々は自分が目立つことを望むようになり,悪魔のわなに掛かりました。彼らは僧職者と平信徒との区別を設けました。使徒パウロが預言していた次のような状態が徐々に生じてきました。「人びとが健全な教えに堪えられなくなり,自分たちの欲望にしたがい,耳をくすぐるような話をしてもらうため,自分たちのために教え手を寄せ集める時期が来るからです。彼らは耳を真理から背け,一方では作り話にそれてゆくでしょう」― テモテ第二 4:3,4。テサロニケ第二 2:6-10。マタイ 23:8

8 (イ)偽りの教理の二つのおもな源は何でしたか。(ロ)キリスト教の腐敗について百科事典はどのように述べていますか。

8 では彼らは何に耳を傾けたでしょうか。古代バビロンの偽りの宗教の発祥地から出た教理や,当時のローマ世界でもてはやされていたギリシャ哲学です。マクリントクとストロングの百科事典には次のような注解が載っています。「福音の簡素さは損なわれて大げさな典礼や儀式が導入され,この世的な栄誉や俸給がキリスト教の教師に与えられるようになり,キリストの王国はこの世の王国へと大きく変えられてしまった」。ブリタニカ百科事典はこれに付け加えて次のように述べています。「実際に異教そのものである,あるいは異教からヒントを得た迷信が数々導入されたことほど,キリスト教を徹底的な腐敗に向かわせたものはないであろう。異教はキリスト教に対抗しても勝てなかったので,キリスト教を腐敗させることに力を入れ,あの手この手でその清さをむしばんでいった」。

9 (イ)人間の魂は不滅であるという教えからどんな共通の信条が出ていますか。(ロ)聖書はそのような教理にどのように反論しますか。

9 その迷信や異教的儀式にはどんなものがあるでしょうか。顕著なものとしてはギリシャの哲学者プラトンの,人間の魂は不滅であるという教えがあります。そのようなことを信じるとするなら,人が死ぬ時魂は至福の天か,清めのための煉獄か,あるいは永久に責め苦の絶えない火の燃える地獄に行かねばならないことになります。それは聖書の詩篇 146篇4節,伝道之書 9章5,10節,マタイ 10章28節,ローマ 6章23節などの聖句を無視した考えです。

カトリック主義の起源

10,11 (イ)ニューマン枢機卿は自分の教会の多くの教えについて何を認めていますか。(ロ)教会の慣行や教えが「異教に起源を持つ」ことを彼が認めている以上,それらのものをほんとうに聖なるものとみなせますか。

10 19世紀のローマ・カトリックの枢機卿,ジョン・ヘンリー・ニューマンは自著「エッセイズ・アンド・スケッチス」の中で,自分の教会の多くの教理の起源を示し,こう述べています。「これは広く認められている現象であるが,一般にキリスト教真理と受け取られているものの大半は,異教の哲学や宗教に,基礎的な形で,あるいは部分的に,見いだされる。例えば,三位一体の教理は洋の東西を問わず存在する。洗い清めの儀式もそうであり,犠牲をささげる儀式もそうである。『神の言葉』の教理はプラトン的であり,託身の教理はインド的である」。そして,「これらの教理は異教にあるからキリスト教のものではない」と主張する批判者に対して枢機卿は,「我々は逆に,『それらはキリスト教の中にあるから異教のものではない』と言いたい」と述べています。しかしそれらは,ローマ・カトリックが誕生する何世紀も前に存在していたバビロニアやギリシャの教理に由来するものです。それに,神の言葉である聖書のどこにも記されていません。

11 異教の教理と儀式を取り入れたことが大規模な背教の原因となったことは,ニューマン枢機卿が自著「キリスト教教理の発展」の中で述べていることによってさらに確証されます。その中で彼はこう書いています。「コンスタンティヌスは新しい宗教[ローマ・カトリック教]を異教徒に奨励するために,彼らが自分たちの宗教で見慣れていた外面の飾りをそれに取り入れた」。次いで枢機卿は,カトリック教会の慣行を数々列挙し,これらは「みな異教に起源を有するが,教会に取り入れられたことによって神聖なものとなった」と述べています。しかし偽りの教理を「神聖なものとする」,つまり聖なるものとすることができるでしょうか。

12,13 (イ)コンスタンティヌスはどんな状況の下で,またどんな動機からローマ・カトリック教に関心を抱きましたか。(ロ)コンスタンティヌスが心からクリスチャンになっていたかどうかは何から分かりますか。

12 ここで枢機卿は,4世紀のローマ皇帝,コンスタンティヌス大帝のことに触れています。コンスタンティヌスの宗教に対する関心はどんなものだったのでしょうか。彼は,西暦312年のローマ侵略から何年か後になって,征服を遂げる前日に燃える十字架の幻と,「これによって征服せよ」という銘句とを見たと語りました。そしてそれを自分の軍旗に記しました。またコンスタンティヌスは,政治目的の推進に支持を得るためであったようですが,“キリスト教”体制と,彼がまだ重視していた異教の信条とを融合させました。

13 ブリタニカ百科事典にはコンスタンティヌスについて次のように述べられています。「その生涯を閉じる前まで異教の迷信を多く守り続けたくらいだから,異教の教えは依然心の中に生きていたに違いない。……コンスタンティヌスは『大帝』と呼ばれたが,それは彼が優れた人物であったためというよりも彼が行なった事柄のためであった。性格をテストされれば,その称号[「大帝」]で呼ばれた古今のすべての皇帝の中でまさに最下位に位置するだろう」。その証拠に,彼は身内の者を幾人も殺害するという卑劣なことを行なっています。彼が持っていた「教皇」という異教の称号は,後日ローマ・カトリック教会の法王の称号となりました。

14 ローマ法王はほんとうに神の王国を代表する者でしたか。なぜそう答えますか。

14 暗国時代と言われた中世を通して,歴代のローマ法王はまるで地上の王のように支配しました。彼らはキリストが天から千年統治を始められるのを待たずに,その時に「王国」が実現するのを望みました。それは彼ら自身が利己的に有利な立場を得るためでした。このことについてブリタニカ百科事典は,「キリスト教の退廃の最初の原因の一つは,キリスト教の神の王国を,聖人たちが文字通り地を継ぐ現世の君主国と解釈しようとしたことにあった」と説明しています。誠実な人々がそのような「キリスト教の退廃」に異議を唱えたのも不思議ではありません。それでも,火あぶりの刑だけで3万人余の命を奪った残虐な異端審問は長期にわたり,いわゆる異端者たちを抑制する役割を果たしました。しかしいつまでも続いたわけではありません。

プロテスタント主義はどうか

15 (イ)宗教改革は実際にはどんなものになりましたか。(ロ)プロテスタント主義は今日に至るまでどんな点で束縛されていますか。

15 ローマ・カトリックの司祭マルティン・ルターは,1517年10月31日の真昼,ドイツのウィッテンベルクにあった教会の扉に95か条の抗議の提言を打ち付けました。宗教改革は進行していました。しかしそれは純粋のキリスト教教理および神に対する神聖な奉仕への復帰ではなく,おもに政治的なものとなりました。宗教戦争によって領地を拡大しようとする動きもありました。ヨーロッパで行なわれた1618年から1648年にわたる30年戦争がそれでした。この戦争で何百万もの人が命を失いました。国教を定めた国も少なくありません。それらの国は霊魂不滅,地獄の火による責め苦,三位一体,幼児洗礼その他多くのカトリック主義の主要教理を教え続けました。そして今日に至るまで,大規模の背教によるそうした教理につながれたままです。

「大いなるバビロン」

16,17 (イ)エレミヤ記 51章6節は今日のわたしたちにとってどんな意味を持ちますか。(ロ)バビロンの宗教はどのようにして国際的な規模のものになりましたか。

16 偽りの宗教を行なっているのは,クリスチャンと自称する人々に限りません。預言者エレミヤは次のように警告しています。

「バビロンの中から逃れ出よ,各自自分の魂のために逃れ道を備えよ」。(エレミヤ 51:6

この言葉は今日のわたしたちにとっても意味があります。バビロンは,エレミヤの時代にすでにその堕落した宗教儀式と神々の数の多いこととで悪名をはせていました。しかし現代のバビロンは,その規模においては国際的です。どうしてこのような状態が生じたのでしょうか。

17 ノアの日の大洪水のあと,「エホバに敵対する強大な狩人」であったかの邪悪なニムロデが,一つの都市国家と,宗教的なものと思われる,天に届くほどの塔とを建て始めたのはバビロンにおいてでした。エホバは人間の言葉を乱すことによってその計画をくじき,彼らを「地の全面」に散らされました。ところが彼らは偽りの宗教も携えて行きました。世界の宗教のほとんどはその宗教から出ています。―創世 10:8-10; 11:1-9

18 わたしたちはどんなにせの王国から逃げなければなりませんか。そしてどこに逃げますか。

18 前に述べたように,コンスタンティヌスはローマ・カトリック教の基礎を据えたときに,そのような偽りの宗教とキリスト教の教理を融合させました。そしてプロテスタント主義の教理の多くはここから出たものです。世界の“キリスト教”以外の諸宗教も古代バビロンに由来します。にせのキリスト教と非“キリスト教”とがみな一緒になって偽りの宗教の世界帝国を形成しています。それはにせの王国で,使徒ヨハネが「大いなるバビロン……地の王たちの上に[宗教的]王国を持つ大いなる都市」と述べたものです。(啓示 17:5,18)ですからわたしたちは,「自分の魂のために逃れ道を備える」ため,にせものであるバビロン的「王国」から逃げるように,そうです,神の王国に逃げるように,という良い助言を与えられているのです。

[研究用の質問]

[94ページの囲み記事]

サタンは神の王国の僕たちを下記のような方法で攻撃する

● 誤解している親族,政府,宗教家などを通して直接正面攻撃に出,迫害を加える

● 今日の自由放任の社会の中で,不道徳な行ないに誘惑する

● 地位の誇り,富の誇り,人種的誇り,国民的誇りを抱かせようとする

● 神よりも快楽を愛する者にならせ,娯楽に熱中させようとする

● 無神論的,進化論的教義を発達させる

● キリスト教世界の背教したにせの王国によって真のキリスト教を偽り伝える

● にせの教師を起こして真のクリスチャンの間に疑いの種をまき,ひそかに落胆させる

わたしたちは信仰によってサタンの世を征服できる