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回復されたパラダイス!

回復されたパラダイス!

第28

回復されたパラダイス!

イザヤ 35:1-10

1 多くの宗教が,パラダイスでの命という希望を差し伸べているのはなぜですか。

「パラダイスへの郷愁は,人間につきまとう郷愁の中でも強い部類に入る。あらゆる郷愁の中で最も強く,最も執ようなものかもしれない。パラダイスを慕う気持ちは何らかの形であらゆるレベルの宗教生活のうちに認められる」。「宗教百科事典」(英語)はそう述べています。そうした郷愁は全く自然なものです。聖書によれば,人間の命はパラダイスで,つまり病気も死もない美しい園で始まったからです。(創世記 2:8-15)世界の多くの宗教が,多少の違いこそあれ,パラダイスでの将来の命という希望を差し伸べているのも,意外なことではありません。

2 将来のパラダイスに関する真の希望をどこに見いだせますか。

2 聖書は多くの箇所で,将来のパラダイスに関する真の希望を述べています。(イザヤ 51:3)例えば,イザヤ 35章に記録されている預言は,荒野の地域が庭園のような場所や実り豊かな野に変えられる様子を描写しています。盲人は視力を得,口のきけなかった人は話し,耳の聞こえなかった人は聞こえるようになります。約束されたそのパラダイスにおいては,悲嘆も溜め息もありません。つまり,もはや死さえないのです。何と素晴らしい約束でしょう。こうした表現はどのように理解すべきでしょうか。今日のわたしたちに希望を差し伸べているのですか。イザヤ 35章を調べるなら,そうした質問に対する答えが得られます。

荒廃した地は歓ぶ

3 イザヤの預言によると,地はどんな変化を遂げますか。

3 回復されたパラダイスに関する霊感によるイザヤの預言は,次のような言葉をもって始まります。「荒野と水のない地域とは歓喜し,砂漠平原は喜びに満ち,サフランのように花を咲かせる。それは必ず花を咲かせ,喜びと喜びの叫び声とをもって真実に喜びあふれる。レバノンの栄光,カルメルとシャロンの光輝が必ずそれに与えられる。エホバの栄光,わたしたちの神の光輝を見る者たちがいるであろう」。―イザヤ 35:1,2

4 ユダヤ人の故国はいつ,どのように,荒野に似た様相を呈するようになりますか。

4 イザヤがこの言葉を書いたのは西暦前732年ごろです。それから125年ほど後,バビロニア人がエルサレムを滅ぼし,ユダの民は流刑に処され,その故国は人の住まない荒廃した状態で放置されます。(列王第二 25:8-11,21-26)こうして,不忠実になるならイスラエルの民は流刑に処されるというエホバの警告どおりになります。(申命記 28:15,36,37。列王第一 9:6-8)ヘブライ民族が異国に捕囚になると,十分にかんがいされていた畑や果樹園は,手入れされないまま70年間放置され,荒野のようになります。―イザヤ 64:10。エレミヤ 4:23-27; 9:10-12

5 (イ)どのようにしてその地はパラダイスのような状態に回復されますか。(ロ)どんな意味で,民は『エホバの栄光を見る』ことになりますか。

5 しかし,イザヤの預言は,その地が永久に荒廃したままにはならないと予告しています。紛れもないパラダイスへと回復されるのです。「レバノンの栄光」や「カルメルとシャロンの光輝」が与えられます。 * どのようにでしょうか。ユダヤ人は流刑から帰還すると,再び自分たちの畑を耕し,かんがいすることができ,その地はかつての豊かな実りを取り戻します。その点で,すべての誉れはエホバのものです。神のご意志によって,また神の支えや祝福があればこそ,ユダヤ人はそうしたパラダイスのような状態を楽しむようになるのです。民は,その地の驚くべき変化のうちにエホバのみ手の働きを認める時,「エホバの栄光,[彼らの]神の光輝」を見ることができます。

6 イザヤの言葉はどんな重要な成就を見ますか。

6 とはいえ,回復されたイスラエルの地において,イザヤの言葉はもっと重要な成就を見ます。霊的な意味で,イスラエルは長年の間,乾いた砂漠のような状態にありました。流刑者たちがバビロンにいた間,清い崇拝は厳しく制限されていました。神殿も祭壇も,組織された祭司職もなかったのです。犠牲をささげる日課は途絶えていました。ところが今,イザヤは逆の事柄を預言しています。ゼルバベル,エズラ,ネヘミヤといった人々の指導のもと,イスラエル全12部族の代表者たちがエルサレムに帰還して神殿を再建し,妨げられることなくエホバを崇拝します。(エズラ 2:1,2)まさに霊的なパラダイスです!

霊に燃える

7,8 ユダヤ人流刑者が積極的な態度を取らなければならないのはなぜですか。イザヤの言葉はどのように励ましとなりますか。

7 イザヤ 35章の言葉には喜びの響きがあります。イザヤは,悔い改めた国民の明るい将来を宣言しています。しかも,確信と楽観的な見方を抱いて語っています。それから2世紀後,流刑の身のユダヤ人は,回復を目前に控え,同様な確信と楽観的な見方を持たなければなりません。エホバはイザヤを通して預言的に語り,ユダヤ人にこう説き勧めます。「あなた方は弱い手を強くし,よろけるひざをしっかりさせよ。心に思い煩いのある者たちに言え,『強くあれ。恐れてはならない。見よ,あなた方の神はまさに復しゅうをもって,神は実に返報をもって来られる。神ご自身が来て,あなた方を救ってくださる』と」。―イザヤ 35:3,4

8 長い間にわたった流刑が終わり,行動の時が来ました。バビロンに対するエホバの復しゅうの道具であるペルシャのキュロス王は,エルサレムでエホバの崇拝を復興するようにとの布告を出しています。(歴代第二 36:22,23)バビロンからエルサレムまでの危険な旅をするために,幾千ものヘブライ人家族を組織しなければなりません。エルサレムに到着したなら,適当な生活設備を建設し,神殿と都を再建するという記念碑的事業の準備をしなければなりません。バビロンにいるユダヤ人の中には,こうしたことすべてに圧倒される人もいるかもしれません。しかし,今は弱くなったり心配したりすべき時ではありません。ユダヤ人は互いに強め合い,エホバに確信を置くべきです。エホバは,彼らを救うと保証しておられます。

9 帰還するユダヤ人には,どんな素晴らしい約束が差し伸べられていますか。

9 バビロン捕囚から解放される人々には,歓ぶべき十分の理由があります。エルサレムに帰還すると,そこには素晴らしい将来が待ち受けているからです。イザヤはこう予告します。「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」。―イザヤ 35:5,6前半

10,11 帰還するユダヤ人に関して,イザヤの言葉には霊的な意味があるに違いないと言えるのはなぜですか。その言葉は何を示していますか。

10 明らかに,エホバはご自分の民の霊的な状態を念頭に置いておられます。民は,以前の背教のゆえに70年間の流刑という処罰を受けてきました。とはいえエホバは,懲らしめを与える際,民の目や耳や足や口を不自由にして苦しめたりはされませんでした。ですから,イスラエル国民を回復させるために身体的な障害をいやす必要はありません。エホバは,失われたもの,つまり霊的な健康を回復させるのです。

11 悔い改めたユダヤ人は,霊的な感覚を取り戻すという点でいやされます。霊的な感覚とは,霊的な視力,およびエホバの言葉を聞いたり話したり,それに従ったりする能力のことです。彼らはエホバから離れないことの必要性を意識します。立派な行ないにより,喜びにあふれて神を賛美し,「叫びを上げ」ます。『足のなえていた者』はエホバの崇拝において熱心かつ精力的になります。比喩的な意味で『雄鹿のように登って行く』のです。

エホバはご自分の民をさわやかにされる

12 エホバはイスラエルの地を祝福して,どれほどの水をお与えになりますか。

12 水のないパラダイスなどというものは考えられません。エデンにあった最初のパラダイスには豊富な水がありました。(創世記 2:10-14)イスラエルに与えられた土地も,「水のあふれる奔流の谷,また……わき出る泉や水の深みのある地」でした。(申命記 8:7)それで,適切にもイザヤは,気分をさわやかにする次のような約束を述べます。「荒野に水が,砂漠平原に奔流が噴き出るからである。そして,熱で渇き切った地は葦の茂る池となり,渇いた地は水の泉となるからである。ジャッカルの住まい,その休み場には,葦やパピルスの植物と共に青草があるであろう」。イザヤ 35:6後半,7イスラエル人が再びその地を世話するようになると,かつてジャッカルが歩き回っていた荒廃した場所には緑の草木が繁茂するでしょう。ほこりっぽい乾いた地面は,パピルスその他,水辺の葦の生育に適した「湿地」に変わります。―ヨブ 8:11

13 回復された国民にはどんな霊的な水が豊かに与えられますか。

13 しかし,もっと重要なのは真理の霊的な水です。故国へ戻るユダヤ人はその水を豊かに受けるでしょう。エホバはみ言葉を通して知識や励ましや慰めをお与えになります。さらに,忠実な年長者や君たちは「水のない地方における水の流れ」のようになるでしょう。(イザヤ 32:1,2)エズラ,ハガイ,エシュア,ネヘミヤ,ゼカリヤ,ゼルバベルなど,清い崇拝を推し進める人々は,まさにイザヤの預言が成就していることの生きた証拠となります。―エズラ 5:1,2; 7:6,10。ネヘミヤ 12:47

「神聖の道」

14 バビロンとエルサレムの間の旅の様子を説明してください。

14 とはいえ,流刑の身のユダヤ人がそうした物質的また霊的なパラダイスの状態を楽しむには,まずバビロンからエルサレムまでの長くて危険な旅をしなければなりません。直線コースを取れば,約800㌔に及ぶ乾き切った荒れ地を横断しなければなりません。それより楽なコースを取れば,1,600㌔もの旅をしなければなりません。いずれにしても,厳しい自然条件にさらされ,野獣や獣のような人間に出くわす危険を冒しながら,何か月も旅をすることになります。それでも,イザヤの預言を信じる人々は過度に心配したりはしません。なぜでしょうか。

15,16 (イ)エホバは,故国への旅をする忠実なユダヤ人にどんな保護をお与えになりますか。(ロ)別のどんな意味で,エホバはユダヤ人のために安全な街道を備えますか。

15 エホバはイザヤを通してこう約束されます。「そこには必ず街道が,道が生じ,それは“神聖の道”と呼ばれるであろう。清くない者がそこを通って行くことはない。そして,それは道を行く者のためのものであり,愚かな者がそこをうろつくことはない。ライオンもそこにはいない。飽くことを知らない野獣もそこに上って来ることはない。どれもそこには見いだされない。買い戻された者たちは必ずそこを歩く」。イザヤ 35:8,9エホバはご自分の民を取り戻されました! その民は神によって「買い戻された者たち」であり,神は故国への道中の安全を保証しておられます。バビロンからエルサレムまで,盛り土をして柵を設けた,文字どおりの舗装道路があるのでしょうか。そうではありません。しかし,旅をするご自分の民をエホバが確かに保護されるので,民はあたかもそうした街道を歩いているかのようです。―詩編 91:1-16と比較してください。

16 ユダヤ人は霊的な危険からも保護されます。比喩的な街道は「神聖の道」です。神聖な物事に対して不敬な態度を取る人や霊的に汚れた人には,その道を旅する資格がありません。回復された地において,そのような人は必要とされません。是認される人たちは正しい動機を抱いています。国家主義的な誇りの精神を抱いて,あるいは個人的な利益を求めてユダとエルサレムに帰ろうとしているのではありません。霊的な思いを持つユダヤ人は,帰還の主な理由はその地にエホバの清い崇拝を再確立することである,という点をよく理解しています。―エズラ 1:1-3

エホバの民は歓ぶ

17 長い流刑の間,忠実なユダヤ人にとってイザヤの預言はどのように慰めとなりましたか。

17 イザヤ 35章の預言は喜びに満ちた調子で結ばれます。「エホバによって請け戻された者たちが帰って来て,歓呼の声を上げつつ必ずシオンに来るであろう。定めのない時まで続く歓びが彼らの頭の上にあるであろう。彼らは歓喜と歓びを得,悲嘆と溜め息は必ず逃げ去るのである」。イザヤ 35:10流刑中にこの預言に慰めと希望を求めてきた捕囚のユダヤ人は,預言の様々な詳細な点はどのように成就するのだろうと考えたかもしれません。預言の数多くの面を理解してはいなかったことでしょう。しかし,彼らが「帰って来て,……必ずシオンに来る」ことは一点の曇りもなく明らかでした。

18 バビロンでの悲嘆と溜め息の代わりに,回復された地における歓喜と歓びがどのように生じますか。

18 それゆえ,西暦前537年,約5万人の男子(7,000人以上の奴隷を含む)および女性や子供たちは,エホバに対する全き確信を抱いてエルサレムに戻るための4か月の旅をします。(エズラ 2:64,65)それから数か月足らずでエホバの祭壇は再建され,神殿の完全な建て直しの準備が整います。200年前に語られたイザヤの預言が成就します。その国民には,バビロンでの悲嘆と溜め息の代わりに,回復された地における歓喜と歓びが生じます。エホバは約束を果たされました。パラダイスが文字どおりにも霊的な意味でも回復されたのです。

新しい国民の誕生

19 イザヤの預言は西暦前6世紀には限定的な成就を見るにすぎない,と言うべきなのはなぜですか。

19 言うまでもなく,イザヤ 35章の西暦前6世紀における成就は限定的なものです。故国に戻ったユダヤ人が楽しむパラダイスのような状態は永続しません。やがて,偽りの宗教の教えや国家主義が清い崇拝を汚染します。霊的な意味で,ユダヤ人は再び悲嘆や溜め息を経験します。結局,エホバはユダヤ人をご自分の民としては退けます。(マタイ 21:43)ユダヤ人は再び不従順になるゆえに,とこしえに歓ぶことはできません。こうしたことすべてから,イザヤ 35章には,ほかの,もっと大規模な成就のあることが分かります。

20 西暦1世紀に,どんな新しいイスラエルが存在するようになりましたか。

20 エホバの予定の時に,別のイスラエル,つまり霊的なイスラエルが存在するようになりました。(ガラテア 6:16)イエスは地上での宣教期間中に,この新しいイスラエルの誕生のための舞台を整えました。清い崇拝を回復し,またその教えによって,真理の水が再び流れ始めるようにしたのです。イエスは,身体的にも霊的にも,病気の人をいやしました。神の王国の良いたよりがふれ告げられると,歓呼の声が上がりました。死と復活から7週間後,栄光を受けたイエスは,クリスチャン会衆,つまり霊的なイスラエルを設立しました。そのイスラエルを構成しているのは,イエスの流された血で請け戻され,神の霊的な子またイエスの兄弟として生み出され,聖霊によって油そそがれたユダヤ人や他の人々です。―使徒 2:1-4。ローマ 8:16,17。ペテロ第一 1:18,19

21 1世紀のクリスチャン会衆に関して,どんな出来事はイザヤの預言の幾つかの面の成就であると考えられますか。

21 使徒パウロは,霊的なイスラエルの成員にあてた手紙の中でイザヤ 35章3節の言葉に言及し,「垂れ下がった手と弱ったひざをまっすぐにしなさい」と述べました。(ヘブライ 12:12)ですから,イザヤ 35章の言葉は西暦1世紀にも成就していたのです。イエスと弟子たちは文字どおりの意味で,奇跡により盲人に視力を,耳の聞こえない人に聴力を与えました。「足のなえた者」を歩けるようにし,口のきけない人を再び話せるようにもしました。(マタイ 9:32; 11:5。ルカ 10:9)さらに重要な点として,心の正しい人たちは偽りの宗教から逃れ,クリスチャン会衆内の霊的パラダイスを楽しむようになりました。(イザヤ 52:11。コリント第二 6:17)それら逃れた人々は,バビロンから帰還するユダヤ人と同様,積極的で勇敢な霊が不可欠であることを知りました。―ローマ 12:11

22 真理を求める現代の誠実なクリスチャンは,どのようにしてバビロンへの捕らわれの状態に陥りましたか。

22 わたしたちの時代はどうでしょうか。イザヤの預言には別の成就が,つまり今日のクリスチャン会衆に関するもっと全面的な成就があるのでしょうか。そのとおりです。使徒たちの死後,油そそがれた真のクリスチャンの数は大幅に減少し,偽クリスチャンという「雑草」が世界的にはびこりました。(マタイ 13:36-43。使徒 20:30。ペテロ第二 2:1-3)19世紀に,誠実な人々がキリスト教世界とたもとを分かつようになって清い崇拝を求め始めた時でさえ,その人々の理解は依然として非聖書的な教えに染まっていました。1914年にイエスはメシアなる王として即位しましたが,その後すぐ,それら誠実に真理を求める人々にとって,事態は陰うつな様相を呈しました。預言の成就として,諸国民は『彼らと戦って彼らを征服し』,良いたよりを宣べ伝えようとするそれら誠実なクリスチャンの努力は押しつぶされました。事実上,それらクリスチャンはバビロンへの捕らわれの状態に陥りました。―啓示 11:7,8

23,24 1919年以来,イザヤの言葉はどのように神の民の中で成就してきましたか。

23 しかし,1919年に事態は変化しました。エホバはご自分の民を捕らわれから連れ出されたのです。民は,それまで自分たちの崇拝を腐敗させていた偽りの教えを退けるようになり,その結果,いやしを受け,霊的なパラダイスに入りました。そのパラダイスは今日でも全地で拡大しつづけています。霊的な意味で,盲人は見えるように,耳の聞こえなかった人は聞こえるようになっています。つまり,神の聖霊の働きに十分に注意を払い,エホバから離れないことの必要性を常に意識するようになっているのです。(テサロニケ第一 5:6。テモテ第二 4:5)真のクリスチャンはもはや口のきけない状態にはなく,意欲的に「叫びを上げ」,他の人に聖書の真理を宣明しています。(ローマ 1:15)霊的に弱い,「足のなえた」ような人たちも,今では熱意や喜びを表わしています。『雄鹿のように登って行く』ことができるかのようです。

24 それら回復したクリスチャンは「神聖の道」を歩みます。大いなるバビロンを出て霊的なパラダイスに至るこの「道」は,霊的に清い崇拝者すべてに開かれています。(ペテロ第一 1:13-16)それら崇拝者たちはエホバの保護を頼みとし,真の崇拝の根絶を狙うサタンの動物的な攻撃が成功を収めることはない,という確信を抱くことができます。(ペテロ第一 5:8)不従順な人も,飽くことを知らない野獣のように振る舞うどんな人も,神の神聖の街道を歩む人たちを堕落させることは許されていません。(コリント第一 5:11)そうした保護された環境の中で,エホバに請け戻された人たち,つまり油そそがれた者と「ほかの羊」は,唯一まことの神に仕えることに喜びを見いだします。―ヨハネ 10:16

25 イザヤ 35章は身体的な意味でも成就しますか。説明してください。

25 将来はどうですか。イザヤの預言はいつの日か身体的な意味で成就するのでしょうか。そのとおりです。1世紀にイエスと使徒たちが行なった奇跡的ないやしは,エホバが将来そうしたいやしを大規模に行なおうと欲し,そのための力も有しておられることを実証しました。霊感を受けた詩編は,地上の平和な状態における永遠の命について述べています。(詩編 37:9,11,29)イエスもパラダイスでの命を約束しました。(ルカ 23:43)聖書は,その巻末の書に至るまで,文字どおりのパラダイスの希望を差し伸べています。その時が来ると,盲人,耳の聞こえない人,足のなえた人,口のきけない人は身体的にとこしえにわたっていやされます。悲嘆と溜め息は逃げ去ります。歓びがまさに定めのない時まで,永久に続くのです。―啓示 7:9,16,17; 21:3,4

26 イザヤの言葉は今日のクリスチャンをどのように強めますか。

26 真のクリスチャンは,地上の物理的なパラダイスの回復を心待ちにしつつ,今でも霊的なパラダイスの祝福を享受しています。試練や患難に遭っても楽観的な見方を失いません。エホバに対する揺るぎない確信を抱き,互いに励まし合います。「あなた方は弱い手を強くし,よろけるひざをしっかりさせよ。心に思い煩いのある者たちに言え,『強くあれ。恐れてはならない』」という諭しに留意しているのです。そして,次の預言的な保証の言葉に全き信頼を置いています。「見よ,あなた方の神はまさに復しゅうをもって,神は実に返報をもって来られる。神ご自身が来て,あなた方を救ってくださる」。―イザヤ 35:3,4

[脚注]

^ 5節 聖書は古代レバノンを,うっそうとした森林や堂々たる杉を有する,エデンの園に匹敵するほど実り豊かな土地として描いています。(詩編 29:5; 72:16。エゼキエル 28:11-13)シャロンは水の流れやかしの森林で知られており,カルメルはぶどう園などの果樹園や花の咲き乱れる丘陵地で有名でした。

[研究用の質問]

[370ページ,全面図版]

[375ページの図版]

砂漠のような場所は,水が豊富で,葦やパピルスの植物の茂る場所となる

[378ページの図版]

イエスは,霊的にも身体的にも,病気の人をいやした