セクション2
心配事 「あらゆる面で圧迫され」
「私は,結婚して25年後に夫と離婚し,子供たちは真理から離れました。健康上の深刻な問題も幾つか抱えるようになりました。ひどく憂鬱になり,自分の世界が崩れ去ったように感じ,もうこれ以上やっていけないと思いました。集会に行かなくなり,不活発になってしまいました」。ジューン
「普通を超えた力」
私たちは,自分の力だけで心配事に対処することはできません。でも,使徒パウロはこう書いています。「私たちは,あらゆる面で圧迫されながらも,身動きが取れないわけではありません。困惑させられながらも,逃げ道が全くないわけではありません。……倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」。私たちが耐え忍ぶことができるのはなぜですか。全能の神エホバが,「普通を超えた力」を与えてくださるからです。(コリント第二 4:7-9)
思い出してみてください。あなたも「普通を超えた力」を受けていました。励みになる講演や話を聞いて,エホバの揺るぎない愛に対する感謝が深まったのではありませんか。また,他の人に楽園の希望について教えた時,エホバの約束に対する信仰が強くなったのではないでしょうか。私たちは集会に出席したり,自分の信じていることを他の人に語ったりすると,生活上の心配事に押しつぶされずに耐える力が得られ,穏やかな気持ちで,喜んでエホバに仕えていけます。
「エホバが善い神であることを味わい知れ」
でも実際のところ,あなたは一度にいろんな方向へ引っ張られているように感じるかもしれません。例えば,エホバは,私たちが王国を第一にし,クリスチャンの活動を定期的に行うよう望んでいます。(マタイ 6:33。ルカ 13:24)それでも,反対されたり,病弱だったり,家族の問題を抱えたりして,十分にできないことがありますか。あるいは,会衆の活動のための時間や体力が仕事に奪われることがありますか。すべきことが山ほどあり,それをこなす時間も体力もないため,圧倒されるように感じることもあるでしょう。エホバが求めていることは多過ぎる,と思うことさえあるかもしれません。
エホバは思いやりのある方です。できる以上のことを期待したりはしません。また,ストレスを受けた心や体が回復するには時間がかかる,ということも理解しておられます。(詩編 103:13,14)
エホバが預言者エリヤをどのように気遣ったか,考えてみましょう。エリヤがとても落ち込み,恐れて,荒野へ逃げていった時,エホバはエリヤを叱って,任務に戻るよう命じましたか。いいえ,天使を2回遣わし,エリヤを優しく起こし,食べる物を与えました。しかし,その後40日たっても,エリヤは不安を感じて恐れていました。エホバはさらにどのように助けましたか。まず,ご自分がエリヤ列王第一 19:1-19)このようにエホバは,不安で押しつぶされそうだったエリヤに,同情心をもって辛抱強く接しました。エホバは変わっておられません。私たちのことも同じように気遣ってくださいます。
を保護できることを示します。次に,「穏やかで静かな声」で慰めました。最後に,神を忠実に崇拝している人がほかに何千人もいることを明らかにします。エリヤは熱心な預言者としてすぐに活動を再開できました。(エホバのために何ができるか考える時には,現実的な見方をしましょう。今できることを,以前していたことと比べないでください。例えば,数カ月または数年トレーニングを休んでいたランナーは,以前していたのと同じ練習をすぐに再開することはできません。まずは,小さな目標を定めて,体力や持久力を養います。クリスチャンはランナーのようです。明確な目標を持って自分を訓練します。(コリント第一 9:24-27)いま達成できそうな目標を1つ決めてみてはいかがですか。会衆の集会の1つに出席することを目標にできるかもしれません。目標を達成できるようエホバに助けを求めてください。信仰がまた強くなってくると,「エホバが善い神であることを味わい知れ」るでしょう。(詩編 34:8)忘れないでください,エホバへの愛を示すために行うどんなことも,たとえどれほど小さなことに思えても,エホバにとって貴重なのです。(ルカ 21:1-4)
「ずっと待っていた良いきっかけ」
冒頭で紹介したジューンは,エホバからどのように力づけられてそのもとに帰ったでしょうか。こう語っています。「エホバに祈り続け,助けを願い求めました。その後,息子の嫁から,私の住んでいる町で大会が開かれることを聞きました。それで,1日だけ出席することにしました。エホバに仕える人たちとまた共にいることができて,本当に爽やかでした。私にとってはその大会が,ずっと待っていた良いきっかけとなりました。今,私は喜んでエホバに仕え,以前よりずっと充実した毎日を送っています。つくづく思うのは,仲間から離れて自分の力だけでやっていくことはできない,ということです。戻ってくる時間がまだあったことを本当に感謝しています」。