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イエス・キリスト,忠実な証人

イエス・キリスト,忠実な証人

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イエス・キリスト,忠実な証人

連綿と続くキリスト教以前の証人たちが約4,000年にわたって証言を提出してきたものの,神の主権と神の僕たちの忠誠に関する論争は解決からはほど遠い状態にありました。今や,約束の王なる「胤」であるメシアが地上に登場する時が到来しました。―創世記 3:15

エホバはこの割り当てのために,幾億もの霊の子たち全員の中からだれをお選びになりましたか。彼らはすべて,エデンでの出来事を目撃していましたから,提起された宇宙論争について知っていたに違いありません。しかし,エホバのみ名を清めてエホバの主権を立証するために仕えることを一番強く願っていたのはだれでしょうか。試みのもとで神の主権に忠誠を保つ者はいないというサタンの挑戦に対して,最も決定的な答えを提出できるのはだれでしょうか。エホバが選ばれたのは,ご自分の初子,独り子であられるイエスでした。―ヨハネ 3:16。コロサイ 1:15

この割り当てはイエスが他のだれよりも長くみ父と共に暮らしてきた天の住まいを離れることを意味しましたが,イエスは熱心かつ謙遜にその割り当てを受け入れました。(ヨハネ 8:23,58。フィリピ 2:5-8)どんな動機でそうされたのでしょうか。それはエホバに対する深い愛と,エホバのみ名からすべての非難がぬぐい去られるのを見たいという熱烈な願いでした。(ヨハネ 14:31)さらにイエスは人類に対する愛ゆえに行動されました。(箴言 8:30,31。ヨハネ 15:13と比較してください。)西暦前2年の初秋,イエスは聖霊によって地上に誕生することができました。エホバは聖霊を用いて,イエスの生命を天からユダヤ人の処女マリアの胎内に移されたのです。(マタイ 1:18。ルカ 1:26-38)このようにして,イエスはイスラエル国民の一員として生まれました。―ガラテア 4:4

イエスは自分がエホバの証人になる必要を,ほかのどんなイスラエル人よりも深く認識しておられました。なぜそう言えますか。イエスは,エホバが預言者イザヤを通して「あなた方はわたしの証人である」と言われた国民の一員でした。(イザヤ 43:10)それに加えて,西暦29年にイエスがヨルダン川でバプテスマを受けた際,エホバは聖霊をもってイエスに油をそそがれました。(マタイ 3:16)こうしてイエスは,後に自ら証言されたように,『エホバの側の善意の年をふれ告げる』権威を授けられました。―イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-19

イエスは割り当てを忠実に果たし,かつて地上に存在した最も偉大なエホバの証人となられました。それで,イエスの死の際,イエスのそばに立っていた使徒ヨハネは,まさに的確にイエスを「忠実な証人」と呼んでいます。(啓示 1:5)また啓示 3章14節では,栄光を受けたイエスがご自分のことを「アーメンなる者」,「忠実で真実な証人」と呼んでおられます。この「忠実な証人」はどんな証言を提出なさったのでしょうか。

「真理について証しする」

イエスはローマ総督ピラトの審理を受けた時,「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」と言われました。(ヨハネ 18:37)イエスはどんな真理について証しされたのでしょうか。それは神の真理,エホバのとこしえの目的に関する啓示でした。―ヨハネ 18:33-36

しかし,イエスはこの真理についてどのように証しされたのでしょうか。「証しする」に相当するギリシャ語動詞には,「宣明する,確証する,好意的に証言する,よく言う,是認する」という意味もあります。古代ギリシャのパピルス文書では,この動詞の別の形(マルテュロー)が一般に商取引などの署名の後に用いられています。ですから,イエスは宣教によって神の真理を確証しなければならなかったのです。そのためには,その真理を他の人に宣明する,もしくは宣べ伝えることが確かに必要でした。とはいえ,語ることだけでなく,ずっと多くの事柄が求められました。

わたしは真理です』とイエスは言われました。(ヨハネ 14:6)確かに,イエスは神の真理を実現するような生き方をされました。王国とそのメシアなる支配者に関する神の目的は預言の中にはっきりと示されていました。イエスは最終的に犠牲の死に至る地上での全生涯によって,ご自分に関して預言されていたすべての事柄を成就されました。こうしてイエスはエホバの預言的な言葉の真理を確証し,保証されたのです。そのため使徒パウロはこう言うことができました。「神の約束がどんなに多くても,それは彼によって,はい,となったからです。それゆえにも,わたしたちによる栄光のため,彼を通して,神に『アーメン』[「そうなるように」または「確かに」を意味する]が唱えられるのです」。(コリント第二 1:20)そうです,イエスこそ神の約束が成就をみる方なのです。―啓示 3:14

神のみ名について証しする

イエスは追随者たちに,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように[または「神聖なものとみなされますように; 聖なるものとして扱われますように」]」と祈ることを教えました。(マタイ 6:9,脚注)また地上での生涯の最後の晩,イエスは天の父への祈りの中でこう言われました。「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名を明らかにしました。彼らはあなたのものでしたが,わたしに与えてくださったのであり,彼らはあなたのみ言葉を守り行ないました。そしてわたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」。(ヨハネ 17:6,26)実際のところ,これはイエスが地に来られた主要な目的でした。では,イエスが神のみ名を知らせることには何が含まれていたのでしょうか。

イエスの追随者たちは既に神のみ名を知っており,それを用いていました。会堂で利用できるヘブライ語聖書の巻き物にある神のみ名を見たり読んだりしたのです。また,セプトゥアギンタ訳 ― 彼らが教えたり書いたりする際に用いたヘブライ語聖書のギリシャ語訳 ― にある神のみ名も見たり読んだりしました。彼らが神のみ名を知っていたのであれば,イエスはどんな意味で彼らにみ名を明らかにした,あるいは知らせたのでしょうか。

聖書時代には,名前は単なるラベルではありませんでした。J・H・セアの新約聖書希英辞典は,「新約[聖書]における神のみ名は,様々な特質すべてを表わすのに用いられている。神の崇拝者にとって,それらの特質すべてはみ名の中に包含されており,神はそれらの特質すべてによってご自身を人間に知らせるのである」と述べています。イエスはみ名を用いることだけでなく,み名の背後にある人格的存在 ― その方の目的,活動,特質 ― を明らかにすることによっても神のみ名を知らせました。イエスは『父に対してその懐の位置にいた』方として,他のだれにもできないような仕方でみ父について説明できました。(ヨハネ 1:18)その上,イエスはみ父をまさに完全に反映しておられたので,イエスの弟子たちはみ子のうちに父を『見る』ことができました。(ヨハネ 14:9)イエスは言葉と行ないによって神のみ名について証しされたのです。

イエスは神の王国について証言された

「忠実な証人」であったイエスは,神の王国をふれ告げる人として傑出しておられました。イエスは力を込めて,「わたしは……神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」と言われました。(ルカ 4:43)イエスは徒歩で何百キロも旅行し,パレスチナ全域でその天の王国をふれ告げました。耳を傾ける人々がいれば,湖畔や山腹,都市や村々,会堂や神殿,市場や人々の家など,どこでも宣べ伝えられました。しかしイエスは,自分が網羅できる区域と自分が証言できる人々の数には限界があることをご存じでした。(ヨハネ 14:12と比較してください。)それで,イエスは世界的な畑を網羅することを念頭に置き,弟子たちを王国宣明者となるよう訓練して送り出されました。―マタイ 10:5-7; 13:38。ルカ 10:1,8,9

イエスは勤勉で熱心な証人であり,脇道へそれてしまうことを善しとされませんでした。人々の必要に個人的な関心を示されましたが,短期的な救済をもたらす活動に没頭して,人々に彼らの問題の永続的な解決策である神の王国を指し示すという神から与えられた割り当てをおろそかにすることはありませんでした。ある時,イエスが約5,000人の男性(女性と子供を含めると恐らく優に1万人を超える)に奇跡的に食物を与えた後のこと,ユダヤ人の一団がイエスをとらえて地的な王にしようとしました。イエスはどうされましたか。「再び山の中にただ独りで退かれ」ました。(ヨハネ 6:1-15。ルカ 19:11,12; 使徒 1:6-9と比較してください。)イエスは数多くのいやしの奇跡を行なわれましたが,おもに奇跡を行なう人として知られていたのではなく,むしろ信者からも不信者からも「師」と認められていました。―マタイ 8:19; 9:11; 12:38; 19:16; 22:16,24,36。ヨハネ 3:2

イエスが行なうことのできた最も重要な業は,明らかに,神の王国について証しすることでした。神の王国とは何か,その王国は神の目的をどのように果たすのかをあらゆる人が知ることはエホバのご意志です。その王国は,エホバがご自分のみ名からすべての非難をぬぐい去り,み名を神聖なものとするための手段であるため,エホバの心にとって非常に大切なものです。イエスはそのことをご存じだったので,その王国をご自分の伝道の主題とされました。(マタイ 4:17)王国宣明の業に心を込めてあずかることにより,イエスはエホバの正当な主権を擁護されたのです。

死に至るまでも忠実な証人

イエスほどエホバとその主権を愛することのできた方はいません。「全創造物の初子」であられるイエスは,天の霊の被造物として,親しい交わりを通してみ父を『十分に知って』おられました。(コロサイ 1:15。マタイ 11:27)イエスは,最初の男女の創造に先立つ計り知れないほど長い期間,神の主権に喜んで服しておられました。(ヨハネ 8:29,58と比較してください。)アダムとエバが神の主権に背を向けた時,イエスは心から不快に思われたに違いありません。それでも,イエスは4,000年ほどの間,天で辛抱強く待っておられました。そしてついに,かつて地上に存在した最も偉大なエホバの証人として,イエスの奉仕する時が到来しました。

イエスは宇宙論争がご自分に直接関係していることを十分心得ておられました。もしかしたら,エホバがイエスの周りに垣を巡らされたかのような観はあったかもしれません。(ヨブ 1:9-11と比較してください。)イエスが天で忠実さと専心を実証しておられたのは確かです。しかし,イエスは地上の人間として,どんな種類の試みのもとでも忠誠を保つでしょうか。敵が優勢を占めていると思われる状況で,サタンに抵抗できるでしょうか。

蛇のような敵対者は時間を無駄にしませんでした。イエスがバプテスマを受けて油そそがれた直後に,サタンはイエスが利己的な態度を示し,自分自身を高め,最終的にはみ父の主権を退けるよう誘惑を仕掛けました。しかしイエスはサタンに向かってはっきりと,「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」と言われ,論争におけるご自分の立場を示されました。アダムとは何と異なっていたのでしょう。―マタイ 4:1-10

イエスが歩むことになっていた道は苦しみと死を意味しており,イエスはそのことをよくご存じでした。(ルカ 12:50。ヘブライ 5:7-9)それにもかかわらず,「人の姿でいた時,彼は自分を低くして,死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になりました」。(フィリピ 2:7,8)こうしてイエスは,サタンからの試みを受けるままにされても神の主権に対する忠誠を保つ者がはたしているかという問題を完全に解決し,サタンがとてつもない偽り者であることを証明なさったのです。しかし,イエスの死はそれよりずっと多くの事柄を成し遂げました。

イエスはまた,苦しみの杭の上での死によって,「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして」お与えになりました。(マタイ 20:28。マルコ 10:45)イエスの完全な人間の命には犠牲としての価値がありました。イエスがご自分の命を犠牲にされたことにより,わたしたちが罪の許しを受けられるようになるだけでなく,神の当初の目的と調和して,楽園となった地上でのとこしえの命を得る機会がわたしたちに開かれます。―ルカ 23:43。使徒 13:38,39。ヘブライ 9:13,14。啓示 21:3,4

エホバは,三日目にイエスを死人の中からよみがえらせることにより,「忠実な証人」としてのイエスに対する愛と是認を示されました。それは,王国に関するイエスの証言が真実であることを確証しました。(使徒 2:31-36; 4:10; 10:36-43; 17:31)イエスは40日のあいだ地の近辺にとどまって何度も使徒たちに現われた後,天に昇られました。―使徒 1:1-3,9

イエスは,神のメシアの王国の設立がずっと遠い将来のものであることを示しておられました。(ルカ 19:11-27)王国の設立は,イエスの「臨在と事物の体制の終結」の始まりを画することにもなっていました。(マタイ 24:3)しかし,イエスの地上の追随者たちはそれらの出来事が生じる時をどのように見分けることができるのでしょうか。イエスは彼らに「しるし」,つまり戦争,地震,食糧不足,疫病,不法の増加を含む多くの証拠から成る複合的なしるしをお与えになりました。さらに,そのしるしの重要な部分として,王国の良いたよりがあらゆる国民に対する証しとして人の住む全地で宣べ伝えられることになっていました。現代,その顕著なしるしのすべての特徴を見ることができ,それらの特徴は,わたしたちが天的な王としてのイエスの臨在の時,および事物の体制の終結の時に生きていることを示しています。 *マタイ 24:3-14

しかし,イエスの追随者についてはどうでしょうか。このイエスの臨在の時期に,多種多様な教会を支持する人々が,自分はキリストに従っていると主張しています。(マタイ 7:22)しかし,聖書は「信仰は一つ」しかないと述べています。(エフェソス 4:5)では,真のクリスチャン会衆,神の是認と指導を受けている会衆をどのように見分けることができますか。1世紀のクリスチャン会衆に関して聖書が述べている事柄を吟味し,今日だれがそれと同じ型に従っているかを調べることによって,見分けることができます。

[脚注]

^ 27節 ものみの塔聖書冊子協会が発行した,「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本の10章「あなたが見た聖書預言の成就」をご覧ください。

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『真理について証しするために生まれた』

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イエスは神の王国をご自分の伝道の主題とされた

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イエス・キリストは,かつて地上に存在した最も偉大なエホバの証人だった

[23ページ,全面図版]