エホバの証人の世界本部と主要な事務所 ― 写真と絵
エホバの証人の世界本部と主要な事務所 ― 写真と絵
エホバの証人の世界本部
[352,353ページの図版]
エホバの証人の世界的な活動は,1909年以来,米国ニューヨーク市ブルックリンからの指示のもとに行なわれてきた。1980年以来,本部の事務所はこれらの建物に置かれている
[352ページの図版]
ニューヨーク州パタソンにあるものみの塔教育センター(1992年の時点で建設中)
[353ページの図版]
世界本部で奉仕する数千人の人々の宿舎の一部
[354ページの図版]
ブルックリンのかつてのホテルを幾つか改装し,さらに1,476人の自発奉仕者の宿舎とした
[354ページの図版]
ニューヨーク州ウォールキルのベテル家族の宿舎
[354,355ページの図版]
これらの工場(ニューヨーク市ブルックリン)では,世界中に配布するため,180の言語で聖書や本やブロシュアーが生産されている
[356ページの図版]
ブルックリンのこの工場で聖書関係のカセットが毎年大量に生産されており,発送の仕事もここで調整されている。毎年1万5,000㌧以上の聖書文書や他の物品が世界中に発送されている
[356ページの図版]
ニューヨーク州ウォールキルの近くにあるものみの塔農場のこの工場では,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が14の言語で毎年幾億冊も印刷されている
エホバの証人と彼らが用いている法人団体は,世界各地に事務所と印刷工場を持っています。以下のページには,それらの施設のすべてではないものの,かなりの数の写真が載っています。1992年に新しい建物を建設していた所に関しては,完成予想図を載せました。数字は1992年現在のものです。
北アメリカと西インド諸島
アラスカ
[357ページの図版]
協会の支部事務所を訪問する人々は温かい歓迎を受けます。エホバの証人は,時として気温が零下50度まで下がるこのアラスカでも,ほかの場所と同様に家から家の伝道を行なっています。
[357ページの図版]
遠く離れた区域に王国をふれ告げる人々を運ぶために使う飛行機
バハマ
[357ページの図版]
ものみの塔の出版物は1901年にはすでにバハマに入っていました。ここで定期的な証言が最初に行なわれたのは1926年です。現在この事務所が監督しているバハマ諸島では,それ以来,優に460万冊を上回る聖書文書が配布されてきました。
バルバドス
[358ページの図版]
バルバドスにはキリスト教を自任する宗教団体が140以上あります。エホバの証人は1905年以来,バルバドスの人々が聖書に書かれている事柄を自分で調べるための援助を行なってきました。
ベリーズ
[358ページの図版]
ベリーズの国民の約半数は田舎の地域に住んでいます。エホバの証人は内陸部の幾つかの村に音信を伝えるため,毎年,リュックサックを背負い,かばんを持って徒歩で旅行します。
コスタリカ
[358ページの図版]
協会がコスタリカに初めて支部事務所を設立したのは1944年です。1950年代以降,真の崇拝に加わるコスタリカ人は1万数千人にまで増えてきました。
ドミニカ共和国
[359ページの図版]
ここでは早くも1932年に,ものみの塔の文書が配布されていました。しかし,関心のある人々を個人的に教える活動が始まったのは,左の写真に写っている宣教者たちがやって来た1945年のことです。近年では,エホバの証人との聖書研究を強く望む人々が数万という数に上っており,こうした支部施設が必要になりました。
エルサルバドル
[359ページの図版]
ここでは1916年に幾らかの証言が行なわれました。しかし,エルサルバドルの少なくとも一人の人がキリスト教の水の浸礼を受ける段階に初めて達したのは1945年のことでした(右の写真)。それ以来この国では,さらに2万人ほどの人々がエホバの僕になりました。
グアドループ
[359ページの図版]
この支部事務所が管轄する区域の人口に対する伝道者の比率は世界で最も高い部類に入ります。グアドループの多くの人は良いたよりを感謝して受け入れています。
カナダ
[360,361ページの図版]
カナダの協会の事務所は,世界で2番目に大きな国で行なわれる良いたよりの伝道を監督しています。優に10万人を超える王国宣明者たちがこの国で忙しく働いています。
管理棟(重なっている写真は現在の支部の建物群)
[360ページの図版]
北西部の区域
[360ページの図版]
ブリティッシュコロンビア州の林業従事者の集落
[360ページの図版]
アルバータ州の牧場
[361ページの図版]
フランス語圏のケベック州
[361ページの図版]
沿海の州
グアテマラ
[360ページの図版]
グアテマラの公用語はスペイン語ですが,ここでは複雑なインディオの諸言語を話す人々もいます。協会の事務所は,神の王国について聞く機会がすべての人に開かれるよう努力しています。
ハイチ
[361ページの図版]
ハイチのエホバの証人はしばしば困難な状況に見舞われますが,それでもエホバに仕えることから大きな喜びを得ています。
ホンジュラス
[362ページの図版]
1916年以来,この国の住民に聖書を教える活動のために費やされた時間は,優に2,300万時間を超えています。人々が自分で神の言葉を勉強できるように,エホバの証人が(左の写真のように)人々に読み書きを教えなければならない場合もあります。
ジャマイカ
[362ページの図版]
ジャマイカでは,天の王国の相続人になる見込みのある人々が集められていた期間にエホバの献身的な僕になった人が幾百人もいました。1935年以来,さらに幾千人もの人々が王国の音信を宣べ伝える活動に加わってきました。そうした人々の霊的な必要を顧みるために,この支部事務所が現在建設されています。
リーワード諸島(アンティグア)
[362ページの図版]
現在この事務所が管轄しているリーワード諸島では,早くも1914年に良いたよりが宣べ伝えられていました。それ以来,この地域の人々は「命の水を価なくして受けなさい」という招待を繰り返し受けています。―啓示 22:17。
メキシコ
[363ページの図版]
メキシコのエホバの証人が建設している聖書教育の新しい中心施設
[363ページの図版]
1992年に使用していた事務所
[363ページの図版]
ここで発行される聖書文書は,メキシコやスペイン語圏の他の近隣諸国にいる41万人以上の熱心なエホバの証人の必要を賄っている
[363ページの図版]
1986年から1992年までの間,世界中でエホバの証人が司会していた家庭聖書研究の優に10%以上は,メキシコで行なわれていた。しかも,その多くは家族ぐるみの研究だった
[363ページのグラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
メキシコの聖書研究
500,000
250,000
1950 1960 1970 1980 1992
マルティニーク島
[364ページの図版]
ここでは,早くも1946年に真理の種がまかれました。しかし,1954年にフランスから来たザビア・ノルとサラ・ノル(右の写真)は定住し,関心のある人々を見つけて援助することができました。1992年の時点で,3,200人余りの人がこの二人と共に王国の音信をふれ告げる活動に加わっていました。
オランダ領アンティル諸島(クラサオ)
[364ページの図版]
この支部事務所の区域で23人の宣教者が奉仕してきました。1946年にやって来た最初のグループの中の二人(下の写真)は,1992年の時点でも依然として働いていました。
ニカラグア
[364ページの図版]
宣教者がやって来た1945年から,ニカラグアのエホバの証人は増え始めました。1992年の時点で,その数は9,700人を超えていました。現在エホバの証人から聖書を学びたいと思っている人の数は,地元の証人たちの数を大幅に上回っています。
パナマ
[365ページの図版]
19世紀末以来,パナマの人々はとこしえの命に関する神のご要求を学ぶための援助を受けてきました。
プエルトリコ
[365ページの図版]
1930年以来,プエルトリコでは8,300万冊以上の聖書文書が配布され,関心のある人々をさらに援助するために2,500万件の再訪問が行なわれてきました。ここで行なわれている翻訳の仕事は,スペイン語を話す全世界の約3億5,000万人の人々に聖書文書を提供するのに貢献しています。
トリニダード
[365ページの図版]
トリニダードでは早くも1912年に,良いたよりが熱心にふれ告げられていました。ギレアデ学校で訓練を受けたこの3人をはじめ,この活動に全時間を費やしてきたエホバの証人は少なくありません。
南アメリカ
アルゼンチン
[366ページの図版]
一人の王国宣明者がこの国に最初に派遣されたのは1924年のことです。後に,ギレアデで訓練を受けた宣教者たちがかなりの援助を与えました。1948年に妻と共にやって来たチャールズ・アイゼンハワー(左の写真)もその一人です。1992年の時点で,アルゼンチンの9万6,000人以上のエホバの証人の全般的な監督と聖書文書の供給は,これらの施設で行なわれていました。チリの4万4,000人余りの証人たちの必要を賄う文書も,ここから発送されていました。
ボリビア
[367ページの図版]
ボリビア人は1924年以来王国の音信を聞いてきました。幾万人もの人々が聖書文書を感謝して受け取り,定期的な家庭聖書研究から益を得ています。
チリ
[367ページの図版]
ものみの塔の文書は,1919年にはすでにチリに入っていました。この事務所が監督している伝道活動は現在,風の吹き荒れる南部の羊牧場から北部の辺ぴなところにある鉱山の集落まで,アンデス山脈から沿岸地方まで広まっています。
エクアドル
[367ページの図版]
エクアドルで良いたよりを宣べ伝える活動に大きく貢献したのは,必要の大きな所で奉仕するために故国を後にした870人以上のエホバの証人(例えば写真の二人)です。この支部は現在,エホバを熱心に賛美する2万2,000人余りの人々を援助しています。
ブラジル
[368,369ページの図版]
協会の支部事務所,印刷工場,ベテル・ホームをこの大きさに拡張する工事が行なわれていた1992年,ブラジルのエホバの証人は33万5,000人を超え,年に2万7,000人余りの弟子がバプテスマを受けました。この印刷工場は,ボリビア,パラグアイ,ウルグアイで配布するための文書も供給しています。
[369ページの図版]
1990年にサンパウロで開かれたエホバの証人の国際大会に使われた二つの大きなスタジアム。さらに100以上の大会を開く予定も組まれた
[369ページのグラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
ブラジルの王国宣明者
300,000
200,000
100,000
1950 1960 1970 1980 1992
ガイアナ
[368ページの図版]
協会は1914年からガイアナに支部事務所を構えています。エホバの証人は内陸の奥地まで出かけて行き,良いたよりを聞く機会がすべての人に与えられるよう努めてきました。国の人口は今でも100万人以下ですが,ガイアナのエホバの証人は宣べ伝えて教える活動に1,000万時間以上を費やしてきました。
パラグアイ
[369ページの図版]
パラグアイでは,1920年代の半ばにすでに良いたよりの伝道が行なわれていました。1946年以来,ギレアデで訓練を受けた112人の宣教者が証言を行なうのを手伝ってきました。ほかにも,現地のスペイン語とグアラニー語以外の言語を話す人々に音信を伝えるため,様々な国から自発的にやって来た証人たちがいます。
ドイツから
韓国から
日本から
コロンビア
[370,371ページの地図/図版]
早くも1915年には,コロンビアにいた関心のある男性にものみの塔の出版物が1冊郵送されました。1992年現在,これらの施設で印刷された聖書文書は,コロンビア,エクアドル,パナマ,ペルー,ベネズエラにいる18万4,000人余りの福音宣明者の必要にこたえるために発送されていました。
[地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
コロンビア
ペルー
エクアドル
パナマ
ベネズエラ
ペルー
[370ページの図版]
ペルーでは早くも1924年に,ここを訪問した聖書研究者によって聖書文書が配布されました。最初の会衆がここで設立されたのは21年後のことでした。現在ペルーには,神の王国を活発にふれ告げる人々が4万3,000人余りいます。
[370ページの図版]
アンデスの高地で宣べ伝える開拓者
スリナム
[371ページの図版]
1903年ごろ,最初の研究グループがここで作られました。現在,密林地帯,各地区,都市など,国内各地の諸会衆を監督するために,こうした支部施設が必要になっています。
ウルグアイ
[372ページの図版]
1945年以来,ウルグアイでは80人余りの宣教者が王国をふれ告げる活動に貢献してきました。この写真の人たちは1950年代からウルグアイで奉仕しています。1992年の時点で,8,600人余りの地元の証人たちが彼らと共に奉仕していました。
ベネズエラ
[372ページの図版]
ベネズエラでは,1920年代の半ばにものみの塔の文書が幾らか配布されました。10年後に,米国から母と娘でコンビを組んだ開拓者がやって来て,ベネズエラで熱心な伝道を始め,首都を繰り返し回ったり,国内各地の幾つもの町に出かけて行ったりしました。現在ベネズエラには,6万人余りの活発な証人たちがいます。
[372ページの図版]
1988年の特別大会に7万4,600人が集まったバレンシアの闘牛場
ヨーロッパと地中海地方
オーストリア
[373ページの図版]
オーストリアでは早くも1890年代に,良いたよりから益を受ける機会を得た人たちがいました。1920年代以降,この国のエホバの賛美者の数は,ゆるやかではあっても着実に増加してきました。
[373ページの図版]
オーストリアの各地にある王国会館で,270余りの会衆が集会を開いている
ベルギー
[373ページの図版]
ベルギーは世界の交差点のようになっています。ここにいる多種多様な人々の必要を顧みるため,この支部は100以上の言語の聖書文書を配布しています。
イギリス
[374ページの図版]
イギリスにいる12万5,000人余りのエホバの証人の活動は,この支部事務所の監督のもとに行なわれています。イギリス出身のエホバの証人は,他のヨーロッパ諸国,アフリカ,南アメリカ,オーストラリア,東洋,海洋の島々などに王国の音信を広める務めも果たしてきました。
国際聖書研究者協会ハウス
ものみの塔ハウス
[374ページの図版]
ここでは,英語,マルタ語,グジャラティー語,スワヒリ語の聖書文書を印刷している
[374ページの図版]
奉仕部門はイギリスの1,300余りの会衆を世話している
[374ページの図版]
イングランド,スコットランド,ウェールズ,アイルランド,マルタの全土だけでなく,アフリカやカリブ海の国々にも文書を発送している
フランス
[375ページの図版]
フランス語を話す人々のために世界中で印刷されているものみの塔のすべての出版物の翻訳と写真組版は,フランス支部で行なっています。(フランス語を話す人は1億2,000万人を超えています。)ここでは,幾つかの言語の文書を定期的に印刷し,ヨーロッパ,アフリカ,中東,インド洋,太平洋の国々に発送しています。
ルビエの印刷工場/事務所
翻訳
写真組版
[375ページの図版]
ブーローニュ・ビヤンクールの事務所/宿舎
[375ページの図版]
ベテル家族を収容するためのアンカルビルの宿舎
ドイツ
[376,377ページの図版]
ナチ時代にはドイツのエホバの証人を根絶するための容赦ない働きかけがありましたが,エホバの証人は信仰を捨てませんでした。1946年以降は,聖書の真理を国内の至る所に広める活動に6億4,600万時間以上を費やしてきました。
ゼルターズ/タウヌスの拡張された施設
[376ページの図版]
ゼルターズ/タウヌスにあるこの支部は,聖書文書をドイツ語に翻訳する作業のほかに,40以上の言語で印刷を行なっている
[377ページの図版]
ここで生産する大量の文書は,20余りの国に定期的に発送されている。雑誌は多くの言語で印刷され,30以上の国に発送される
[377ページの図版]
協会所有のトラックを使ってドイツ全国に文書を届ける
キプロス
[376ページの図版]
イエス・キリストの死後ほどなくして,良いたよりはキプロスの人々にも宣べ伝えられました。(使徒 4:32-37; 11:19; 13:1-12)現代になってその伝道は再開され,この支部事務所の指導のもとに今でも徹底的な証言が行なわれています。
デンマーク
[377ページの図版]
デンマークでは,1890年代から大規模な証言が行なわれています。ここでは,デンマーク語だけでなく,フェロー語,グリーンランド語,アイスランド語の聖書文書も印刷しています。
空から見た支部(挿入写真は玄関)
イタリア
[378,379ページの図版]
イタリア語の聖書文書の翻訳と印刷はここで行なわれています。この支部は,特にイタリアと他の近隣諸国で使う書籍を印刷・製本しています。
ローマ近郊にある支部施設のいろいろな眺め
[379ページの図版]
非常に大勢の人々が,聖書に実際に書いてある事柄を知って,エホバの証人の集まりに出席するようになった
[379ページの図版]
イタリアのエホバの証人は,ローマ・カトリック教会から絶えず敵視されてきたが,その中で1946年以来,近所の人を個人的に訪ねて聖書について話し合う活動に5億5,000万時間以上を費やしてきた。その結果,現在イタリアにはエホバの崇拝者として活動している人たちが19万4,000人もいる
フィンランド
[378ページの図版]
聖書の真理がスウェーデンからフィンランドに伝わったのは1906年のことです。それ以来,真理は全国の津々浦々に,北極圏の奥にまでも達しています。世界中どこでも必要な場所で奉仕するために,フィンランドからギレアデ学校に行って訓練を受けた人は幾十人もいます。必要の大きな国で奉仕するために自ら移住した人たちもいます。
アイスランド
[379ページの図版]
26万人ほどしか住民のいないアイスランドで,人々が命を選ぶための助けとして162万冊余りの聖書文書が配布されました。現在,260人余りがまことの神エホバに仕えています。
[379ページの図版]
1929年から1953年まで開拓奉仕を行なったギオルグ・リンダル。そのほとんどの期間,エホバの証人は国内に彼一人しかいなかった
ギリシャ
[380ページの図版]
使徒パウロは,ギリシャで最初に良いたよりを宣明した人々の一人でした。(使徒 16:9-14; 17:15; 18:1; 20:2)ギリシャ正教会は長年にわたってエホバの証人を激しく迫害してきましたが,現在この国にはエホバの忠実な僕たちが2万4,000人以上います。この写真に写っている支部はアテネの北65㌔ほどの所にあります。
[380ページの図版]
アテネでの証言
[380ページの図版]
僧職者の率いる反エホバの証人デモの最中に撮った写真,1990年
アイルランド
[380ページの図版]
長年アイルランドでは,聖書の音信に対する反応はゆるやかでした。僧職者の大きな反対もありました。しかし,100年にわたるたゆみない証言の結果,今では豊かな霊的収穫が見られます。
ダブリンの支部事務所
[380ページの図版]
野外奉仕を行なっている二人の経験豊富な開拓者
ポーランド
[381ページの図版]
これらの施設は,10万人を超えるポーランドのエホバの証人を援助するために使われています。1939年から1945年まで,エホバの証人の行なう崇拝は禁止されていたにもかかわらず,証人たちの数は増え,1939年には1,039人だったのが1946年には6,994人になっていました。1950年に再び禁令が出た時,エホバの証人の数は1万8,116人でしたが,1989年に禁令が解除された直後の報告では,9万1,000人余りになっていました。
[381ページの図版]
長年,戸外の森の中で小さな集まりを開いていたが,現在の大会では国内最大級の幾つかのスタジアムが同時に満員になる
ポズナニ(1985年)
ルクセンブルク
[382ページの図版]
ルクセンブルクは,ヨーロッパでも非常に小さい国の一つです。しかし王国の音信は,ここでも約70年前から宣べ伝えられています。特に第二次世界大戦の前は,フランス,ドイツ,スイスから来たエホバの証人が援助しました。
オランダ
[382ページの図版]
3万2,000人を超えるオランダの熱心な証人たちの活動は,エメンにあるこの支部の監督を受けています。これらの施設では,すべての出版物をオランダ語に翻訳する仕事を行なっています。聖書に基づくヨーロッパの言語のビデオの複製の仕事も,かなりの部分をここで行なっています。
ノルウェー
[383ページの図版]
100年前,移住先のアメリカで聖書の真理を学んだ一人のノルウェー人が郷里の町に良いたよりを持ち帰りました。それ以来,エホバの証人はノルウェーの至る所を何度も訪問し,神の王国について人々に話しています。
ポルトガル
[383ページの図版]
この事務所は,4万人を超えるポルトガルのエホバの証人の活動を監督している。また,ポルトガルとの間に強いきずなのあるアフリカ諸国にもかなりの援助をしてきた
政府がバチカンとの政教条約に調印した後の数十年間,警察はエホバの証人を逮捕し,宣教者を追放しました。しかし,残った証人たちはその後も崇拝のために集まり,他の人に宣べ伝え,増えてゆきました。ついに1974年,エホバの証人は法的認可を受けました。
[383ページの図版]
1978年にリスボンで開かれた国際大会
スウェーデン
[383ページの図版]
エホバの証人は,100年以上前からスウェーデンで伝道を行なっています。この10年間だけでも,この活動に3,800万時間以上を費やしました。スウェーデンには現在,スウェーデン語以外の12の言語のいずれかを使う会衆がたくさんあります。
[383ページの図版]
スウェーデンのあらゆる人々を援助するため,ここでは70の言語の出版物が保管されている
スペイン
[384ページの図版]
この支部は,9万2,000人を超えるスペインのエホバの証人を世話しています。また,スペイン語とポルトガル語の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を印刷しています。カトリックの僧職者は国を利用してエホバの証人の活動を阻止しようと執ように働きかけましたが,その中で証人たちは1916年から聖書の真理をスペインの人々に伝えてきました。最終的に法的認可が与えられたのは,スペインのエホバの証人が1万1,000人を数えるようになっていた1970年のことでした。それ以来,エホバの証人の数は約8倍に増えています。
[384ページの図版]
国内各地の王国会館で,現在1,100余りの会衆が自由に集会を開いている
スイス
[384ページの図版]
ものみの塔協会は1903年からスイスに事務所を構えています。この国には,協会のヨーロッパ最古の印刷工場の一つがありました。トゥーンにあるこの支部は長年の間,他の数十か国で使う雑誌を印刷していました。
アフリカ
ベニン
[385ページの図版]
ベニンには,50の方言を話す約60の部族があります。そうした中から幾千人もの人々が以前の宗教との関係を絶った時,呪物崇拝の神官やキリスト教世界の僧職者は激怒しました。しかし,度重なる迫害の波も,この国の真の崇拝の拡大を阻止できませんでした。
[385ページの図版]
1990年に開かれた大会
中央アフリカ共和国
[385ページの図版]
早くも1947年には,王国の音信がこの国の人々に伝わるようになりました。別の場所でエホバの証人の集会に何度か出席したことのある人が,学んだ事柄を他の人に伝えていたのです。やがて,研究グループができ,それに参加していた人々はすぐに証言を始めました。エホバを崇拝する人々の数は増えてゆきました。
コートジボワール
[386ページの図版]
1949年,西アフリカのこの国に真の崇拝を伝えることに貢献したのは,ギレアデで訓練を受けた宣教者たちでした。ここで奉仕してきたそのような宣教者は100人を超えます。今では,この支部事務所の管轄地域で真理に飢えている人々を捜し出す活動に,毎年優に100万時間を超える時間が費やされています。
ガーナ
[386,387ページの図版]
ガーナで良いたよりの伝道が始まったのは1924年でした。現在アクラにあるこの事務所は,ガーナの640余りの会衆を監督しています。また,聖書文書をエウェ語,ガー語,トウィ語に翻訳して印刷する仕事も行なっています。
[387ページの図版]
支部事務所に隣接する王国会館での集会
ケニア
[387ページの地図/図版]
1931年に,二人のエホバの証人が南アフリカからやって来て,ケニアで伝道を行ないました。1963年以来,ケニアの協会の事務所は色々な時期に,東アフリカの他の多くの国の福音宣明活動を監督してきました。(下の地図)1973年,1978年,1985年にケニアで開かれた国際大会は,この国で行なわれる証言に貢献しました。
[地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
ケニア
ウガンダ
スーダン
エチオピア
ジブチ
ソマリア
イエメン
セーシェル
タンザニア
ブルンジ
ルワンダ
[387ページの図版]
ナイロビ大会(1978年)
ナイジェリア
[388,389ページの図版]
この国では,1920年代の初めから良いたよりが宣べ伝えられています。ナイジェリアから西アフリカの他の地域に派遣された福音宣明者もいます。ここで印刷される聖書文書は,今でも近隣諸国の必要を賄っています。エホバの証人は,神の言葉の理解を助ける文書を,ナイジェリアだけでも2,800万冊以上人々に手渡してきました。
[388ページの図版]
奉仕部門では,優に16万人を超えるナイジェリアの王国宣明者を監督している
[389ページの図版]
ナイジェリアのカラバル大会(1990年)
リベリア
[388ページの図版]
この国でエホバの証人になった人々は,土地の迷信を捨てた時,一夫多妻をやめた時,誤解している政府関係者たちから迫害された時,戦争が起きて様々な政治集団や部族に取り囲まれた時など,信仰の試みに数多く直面してきました。しかし,真の崇拝は今でもこの国のあらゆる人々を一致させています。
モーリシャス
[389ページの図版]
早くも1933年には,インド洋に浮かぶこの島に,南アフリカから熱心なエホバの証人がやって来ました。現在モーリシャスには,エホバを求めることを隣人に強く勧めているエホバの証人が1,000人以上います。そのような隣人たちも,現在の邪悪な体制が滅ぼされる時に神から好意をもって見ていただけるようにするためです。―ゼパニヤ 2:3。
南アフリカ
[390ページの図版]
ものみの塔協会は80年以上前から南アフリカに支部事務所を構えています。この国出身の熱心な福音宣明者たちは,アフリカの南部や東部の国々に王国の音信を広めることに大きく貢献してきました。かつてこの支部が管轄していた区域(1945年には1万4,674人の王国宣明者がいた)に,今では30万人以上の活発なエホバの証人がいます。
[391ページの図版]
アフリカの16の言語で聖書文書を作るため,110人余りの翻訳者がこの支部の指導のもとで働いている
[391ページの図版]
ここでは,40以上の言語で印刷を行なっている
セネガル
[390ページの図版]
この国のエホバの証人の数は少ないものの,支部事務所はセネガル国内だけでなく,近隣諸国の各都市,各部族,あらゆる宗教の人々が聖書の心温まる音信を聞く機会を得るよう努力してきました。
シエラレオネ
[391ページの図版]
シエラレオネで良いたよりの伝道が始まったのは1915年のことでした。増加がゆるやかにしか進まない時期もありました。しかし,エホバの高い規準を守らない人々が取り除かれ,正しい動機で奉仕していない人々が去って行った時,エホバに忠節な人々は霊的に栄えました。
ザンビア
[392ページの図版]
この支部事務所は,11万人を超えるアフリカ中南部のエホバの証人の活動を監督しています。ここで協会の最初の事務所が開設されたのは1936年でした。それ以来,ザンビアのエホバの証人は,関心のある人々を引き続き援助するため,1億8,600万件以上の再訪問を行なってきました。また,多くの人に読み方も教えています。そのような人が自分で聖書を勉強し,他の人に聖書について伝えることができるようにするためです。
[392ページの図版]
1992年にザンビアで開かれた一連の大会には28万9,643人が出席した
ジンバブエ
[392ページの図版]
ジンバブエでは,1920年代からエホバの証人が活動しています。その後何年もの間,エホバの証人は文書の発行禁止処分を受けたり,集会を禁じられたりしました。また,宣教者がアフリカ人に宣べ伝えることも認められませんでした。しかし徐々に障害を克服してゆき,今ではこの事務所が2万人以上のエホバの証人を世話しています。
東洋
香港
[393ページの図版]
ものみの塔の出版物はここで中国語に翻訳されています。中国語の様々な方言を話す人々は10億人以上います。香港について言えば,良いたよりの伝道はC・T・ラッセルが1912年に市庁舎で講演した時に始まりました。
インド
[393ページの図版]
この支部は世界の6分の1強の人々に王国の音信を宣明する活動を監督しています。現在この事務所は,18の言語の翻訳と19の言語の印刷を手がけています。その中には,ヒンディー語(3億6,700万人が話している)や,アッサム語,ベンガル語,グジャラティー語,カンナダ語,マラヤラム語,マラーティ語,ネパール語,オーリヤ語,パンジャブ語,タミール語,テルグ語,ウルドゥー語(それぞれ数千万人が話している)などがあります。
[393ページの図版]
マラヤラム語で宣べ伝えるエホバの証人
ネパール語で……
グジャラティー語で……
日本
[394ページの図版]
ほかの場所と同様に,日本のエホバの証人も神の王国を熱心にふれ告げています。1992年だけでも,良いたよりの伝道に8,500万時間以上を費やしました。毎月平均すると,日本のエホバの証人の約45%が開拓奉仕を行なっています。
[394ページの図版]
ここでは,日本語,中国語,フィリピンの諸言語を含め,多くの言語の聖書文書を出版している
[394ページの図版]
地区設計事務所は,様々な国の支部施設の仕事を援助している
[394ページのグラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
日本の開拓者
75,000
50,000
25,000
1975 1980 1985 1992
大韓民国
[395ページの図版]
ここでは,7万人を超える大韓民国のエホバの証人の必要を満たすため,毎年パンフレットのほかに約1,600万冊の聖書文書を生産しています。韓国のエホバの証人の約40%は開拓奉仕を行なっています。
ミャンマー
[395ページの図版]
ものみの塔協会がこの国に支部事務所を開設した1947年当時,国内にはエホバの証人が24人しかいませんでした。現在ミャンマーで活動している2,000人余りのエホバの証人は,都市部の住民だけでなく,田舎に住んでいるもっと多くの人々にも音信を伝えるよう努力しています。
フィリピン
[396ページの図版]
C・T・ラッセルは1912年に,マニラのグランドオペラハウスで「死者はどこにいるか」という主題の講演を行ないました。その時以来,この国のエホバの証人は,フィリピン国内で人の住んでいる約900の島の人々に証言するため,4億8,300万時間以上を費やしてきました。3,200の会衆にいる11万人以上のエホバの証人の全般的な監督は,この支部で行なっています。またここでは,現地の必要を顧みるために八つの言語で印刷が行なわれています。
[396ページの図版]
フィリピンの幾つかの主要な言語グループの証人たち
スリランカ
[397ページの図版]
インドの南にあるセイロン(現在のスリランカ)では,第一次世界大戦の前にも良いたよりが宣べ伝えられていました。研究グループがすぐに作られました。協会は1953年から首都に支部事務所を構え,この国のシンハラ人,タミール人その他の民族に王国の音信を聞く機会を開いてきました。
台湾省
[397ページの図版]
ここでは,1920年代に幾らかの証言が行なわれました。しかし,それがさらに着実なペースで行なわれるようになったのは1950年代になってからです。現在,この地域の拡大する活動の中心地として,これらの新しい支部施設が建設されています。
[397ページの図版]
台北の会衆
タイ
[397ページの図版]
1930年代に,イギリス,ドイツ,オーストラリア,ニュージーランドからエホバの証人の開拓者たちがやって来て,タイ(当時はシャムと呼ばれた)の人々に聖書の真理を伝えました。1963年,1978年,1985年,1991年にこの国で開かれた国際大会には多くの国の代表者たちが出席し,地元のエホバの証人を励ますと共に,王国の音信を広める活動によい刺激を与えました。
[397ページの図版]
1963年の大会
[397ページの図版]
1991年の外国の代表者たち
太平洋の島々
フィジー
[398ページの図版]
フィジーの事務所は1958年に開設されました。この事務所は一時,13の言語により,12か国で行なわれていた王国をふれ告げる活動を監督していました。現在フィジー支部は,人が住んでいるフィジー群島の約100の島に注意を集中しています。
[398ページの図版]
1963年,1969年,1973年,1978年にここで開かれた国際大会は,地元の証人たちが他の国々の人々と親しく知り合う助けになった
グアム
[398ページの図版]
グアムの事務所は,太平洋の約777万平方㌔の範囲に広がる島々で良いたよりを宣べ伝える活動を指導しています。聖書文書を九つの言語に翻訳する仕事も,この事務所の監督を受けています。
[398ページの図版]
巡回監督が島々の間を飛行機で旅行することも珍しくない
[398ページの図版]
地元のエホバの証人は(このミクロネシアの場合のように)区域に出かけるために船を使うことがある
ハワイ
[399ページの図版]
ものみの塔協会は1934年からホノルルに支部事務所を構えています。ハワイ出身者の中には,ハワイ諸島だけでなく,日本,台湾省,グアム,ミクロネシアの島々などでも福音宣明の活動を行なった人たちがいます。
ニューカレドニア
[399ページの図版]
エホバの証人は,宗教上の反対者たちから妨害を受けたにもかかわらず,神の王国に関する音信をニューカレドニアに伝えました。多くの人が感謝して耳を傾けました。1956年には,最初の会衆が設立されました。現在ここには,エホバの賛美者が1,300人以上います。
ニュージーランド
[399ページの図版]
1947年に,ものみの塔協会はニュージーランドに支部事務所を開設し,この国で良いたよりを宣べ伝える活動をきめ細かく監督できるようにしました。
[399ページの図版]
この支部で行なわれている翻訳作業によって,サモア,ラロトンガ,ニウエの住民は霊的な面で定期的に築き上げられています。
[399ページの図版]
翻訳者と校正者は質の高い出版物を作り上げるために協力する
オーストラリア
[400ページの図版]
ものみの塔協会は1904年からオーストラリアに支部事務所を構えています。かつてこの支部は,中国,東南アジア,南太平洋の島々を含め,地表の4分の1近くで行なわれる王国をふれ告げる活動を監督していました。
[400ページの図版]
地区設計事務所は南太平洋と東南アジアの支部の建設を援助している
[400ページの図版]
現在,この支部は25余りの言語の聖書文書を印刷しています。この印刷工場は,南太平洋の八つの支部の管轄地域に住む約7万8,000人のエホバの証人に必要な文書を供給することに貢献しています。
[400ページの地図/図版]
オーストラリア支部から文書を受け取っている国々
[地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
オーストラリア
パプアニューギニア
ニューカレドニア
ソロモン諸島
フィジー
西サモア
タヒチ島
ニュージーランド
パプアニューギニア
[400ページの図版]
この国のエホバの証人には特別な課題があります。人々は約700種類の言語を話すからです。少なくとも他の10か国からエホバの証人がここにやって来て,活動に加わっています。彼らは地元の言語を学ぶために懸命に努力してきました。関心のある人々が,別の言語を話す人々のために翻訳をしています。教えるための助けとして,絵を使うのも効果的です。
ソロモン諸島
[401ページの図版]
国を超えて手紙で行なわれた聖書研究の結果,王国の音信は1950年代の初めまでにソロモン諸島に達していました。聖書の真理は深刻な障害を乗り越えて広まりました。地元の人々による数々の工夫,国際協力,さらにはエホバの豊かな霊によって,この支部事務所と,広々とした大会ホールが建ちました。
タヒチ
[401ページの図版]
エホバの証人は1930年代初めの時点で,タヒチにすでに王国の音信を伝えていました。太平洋の真ん中にあるこの島でも,徹底的な証言が行なわれています。最近の4年間に行なわれた証言だけをとっても,島のすべての男女子供に平均5時間以上話したことになります。
西サモア
[401ページの図版]
西サモアは世界で最も小さな国の一つですが,エホバの証人はここにも支部事務所を構えています。サモア諸島のほかに,アメリカ領サモアを含む近くの島々の活動を世話するため,1992年にはこの施設を建設していました。