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神ご自身の神聖な言葉を印刷し,配布する

神ご自身の神聖な言葉を印刷し,配布する

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神ご自身の神聖な言葉を印刷し,配布する

エホバの証人は何十年も前から,世界本部の主要な工場群の外壁に一つの標語を掲げてきました。それは,「神のみ言葉聖書を毎日読みましょう」と,すべての人に勧める標語です。

エホバの証人自身も,神の言葉を勤勉に研究しています。彼らは霊感による聖書の原文の正確な意味を確かめようとして,これまで幾年にもわたり,数十種類の聖書翻訳を活用してきました。エホバの証人各自は,毎日聖書を読む個人的な計画を立てるように勧められています。会衆の集会では,神の言葉の項目別の研究のほかに,聖書そのものを読んで討議することも少しずつ行なっています。その目的は,自分たちの考えを裏づける聖句を探し出すことではありません。彼らは聖書が神ご自身の霊感による言葉であることを認めています。聖書が戒めや訓育の源であることをよく知っており,自分たちの考え方や振る舞いを聖書の言葉に合わせるよう真剣に努力しています。―テモテ第二 3:16,17。テサロニケ第一 2:13と比較してください。

エホバの証人は,聖書が神ご自身の神聖な言葉であることを確信しているので,また聖書に含まれている栄光ある良いたよりを知っているので,聖書の出版と配布も熱心に行なっています。

聖書を出版する協会

聖書研究者たちが出版活動のために使っていた法人団体の名称に,聖書という言葉そのものが正式に含まれるようになったのは,1896年のことでした。その時,シオンのものみの塔冊子協会が,法的に,ものみの塔聖書冊子協会として知られるようになったのです。 * 協会はすぐに聖書の印刷製本を行なうようになったわけではありませんが,詳細な計画を立て,価値ある付録をつけてから,民間の会社に印刷と製本を依頼するようにして,聖書を積極的に出版しました。

1896年の前でさえ,協会は聖書の配布に力を入れていました。営利のためではなく読者へのサービスとして,入手可能な各種の聖書翻訳に注意を向け,手ごろな価格で手に入れるために大量に購入してから,時には表示価格のわずか35%の額で提供しました。その中には,持ち運びに便利で使いやすい様々な版の「ジェームズ王欽定訳」や,“教師用聖書”(用語索引,地図,欄外参照などの参考資料のついた「ジェームズ王欽定訳」),ギリシャ語に英語の行間訳をつけた「エンファティック・ダイアグロット訳」,ヘブライ語本文と英語本文を並べたリーサー訳,古代シリア語から訳したマードック訳,原語で神のみ名が出ている箇所に注目させる欄外参照や,ヘブライ語とギリシャ語の本文に表われている他の貴重な細かい情報が載っている「ニューベリー・バイブル」,最も完全な形で残っている古代の三つのギリシャ語聖書写本(シナイ写本,バチカン写本,アレクサンドリア写本)に見られる異文を示す脚注がついたティッシェンドルフの「新約聖書」,古代写本の異文だけでなく著名な学者による聖句の様々な翻訳を脚注で示した集注版聖書,ヤングの字義訳などが挙げられます。協会はさらに,「クルーデンの用語索引」や,原語のヘブライ語とギリシャ語の言葉に関する解説を載せたヤングの「分析用語索引」などの参考書も出しました。エホバの証人はその後何年もの間,世界中の他の聖書協会から,どんな言語の聖書であれ手に入るものを大量に入手して配布することを頻繁に行なっていました。

現存する証拠によれば,協会は早くも1890年に,英国の聖書翻訳者ジョセフ・B・ロザハムの手による,「新約聖書の批評強意的新訳」の第2版に協会の名称を入れた特別印刷版の計画を進めました。その翻訳を選んだのはなぜでしょうか。それが字義訳であるという点,より正確なギリシャ語本文を確立するために行なわれた研究を十分に生かそうとしている点,さらにはギリシャ語本文の中で特に強調されている言葉や表現を見分けるための翻訳者の工夫が読者の役に立っていた点などが挙げられます。

1902年には,ホルマン行別対訳聖書の特別印刷版が,ものみの塔協会の手配によって作られました。その欄外の広い余白には,様々な聖句がものみの塔の出版物のどこで説明されているかを示す資料が印刷してあり,多くの項目と共に聖句の引照や協会の出版物の有用な参照箇所を挙げた索引も付いていました。この聖書は二つの翻訳の表現を載せており,両者に何らかの違いがある場合は「欽定訳」を上に,「改正訳」を下に記しています。また,読者に原語の言葉の様々な意味を知らせるための膨大な用語索引も収録していました。

その同じ年,ものみの塔協会は,“The Emphatic Diaglott”(「エンファティック・ダイアグロット訳」)の印刷版を入手しました。それには,J・J・グリースバッハのクリスチャン・ギリシャ語聖書のギリシャ語本文(1796-1806年版)に当てられた英語の行間訳と共に,米国イリノイ州ジュニーバに居を構えていた英国生まれのベンジャミン・ウィルソンによる本文の翻訳も付いています。その印刷版と独占出版権は買い取られた後に,協会に無料で譲渡されました。それまで在庫していた分が出た後は,協会がさらに生産する手はずを整え,増産分は1903年に入手できるようになりました。

4年後の1907年には,「ジェームズ王欽定訳」の聖書研究者版が出版されました。これには付録として「ベレア人聖書教師便覧」が付いていました。また,聖書の各所から取られた聖句の短い解説や,さらに詳しい説明を載せたものみの塔出版物の参照箇所も載っています。約1年後には,付録をいっそう充実させた版が出ました。

これらの聖書は,値段を下げるために一度に5,000冊から1万冊の単位で印刷業者と製本業者に注文しました。協会は,できるだけ多くの人が様々な聖書翻訳や関係する研究資料を手軽に入手できるようにしたいと思っていました。

その後1926年に,ものみの塔協会は聖書の出版にかかわる大きな一歩を踏み出しました。

独自の印刷機で聖書を印刷する

ものみの塔聖書冊子協会が独自の工場で聖書の印刷製本を行なうようになったのは,最初に聖書の出版を手がけるようになってから36年後のことでした。そのようにして生産された最初の聖書は,「エンファティック・ダイアグロット訳」です。協会はすでに24年前からその印刷版を持っていました。その聖書は,ブルックリンのコンコード通りにある協会の工場の平台印刷機で1926年12月に印刷されました。現在まで,その聖書の生産数は42万7,924冊に上ります。

16年後,第二次世界大戦のさなかに,協会は聖書全巻の印刷に着手しました。その目的で1942年には,米国ペンシルバニア州フィラデルフィアのA・J・ホルマン社から,欄外参照付きの「ジェームズ王欽定訳」の印刷版を購入しました。この聖書全巻の英訳は,ラテン語ウルガタ訳からの翻訳ではなく,初期の翻訳と原語のヘブライ語,アラム語,ギリシャ語を比較できる学者たちによる翻訳でした。150人余りのエホバの僕たちが協力して慎重に作り上げた用語索引もそれに追加されました。これは特に,エホバの証人が野外宣教ですぐに適切な聖句を見つけることによって,「霊の剣」である聖書を効果的に使い,宗教上の偽りを切り捨て,暴露するための参考資料として企画されました。(エフェソス 6:17)どこに住む人でも安く手に入れることができるようにするため,この聖書は巻取紙輪転機で印刷されました。これは,他の聖書印刷業者がまだ試みたことのない仕事でした。1992年の時点で,この聖書は合計185万8,368冊生産されました。

エホバの証人が願っていたのは,聖書を,つまり本そのものを人々の手に渡すことだけではありません。エホバの証人は,聖書の神聖な著者エホバ神の固有のみ名と目的を人々に知らせることに貢献したいと思っていました。1901年の「アメリカ標準訳」という英訳聖書は,翻訳者たちが使った原本に神のみ名が出ている6,870余りの箇所で神のみ名を使っていました。ものみの塔協会は1944年に,何か月にもわたる交渉の末,ニューヨークのトマス・ネルソン・アンド・サンズ社から入手した印刷版と活字によってこの聖書のための捨て版のセットを作る権利を買い取りました。その後48年間で,103万9,482冊が生産されました。

米国マサチューセッツ州バラードベールのスティーブン・バイイングトンも,神のみ名をふさわしく扱った現代英語の聖書翻訳を行ないました。ものみの塔協会は1951年に彼の未発行の原稿を入手し,1961年にはその独占出版権を得ました。その全巻の翻訳を印刷したのは1972年でした。それから1992年まで,26万2,573冊が生産されてきました。

しかし一方,別の分野でも事態の進展が見られました。

「新世界訳」を出版する

1946年10月初め,当時のものみの塔協会の会長ネイサン・H・ノアは,協会がクリスチャン・ギリシャ語聖書の新しい翻訳を出版することを初めて提案しました。実際の翻訳作業が始まったのは1947年12月2日でした。本文全体が,霊によって油そそがれたクリスチャンだけで構成される翻訳委員会全体によって慎重に検討されました。その後,1949年9月3日,ノア兄弟は協会のニューヨーク法人とペンシルバニア法人の理事会の合同会議を開きました。兄弟はその席で,新世界訳聖書翻訳委員会がクリスチャン・ギリシャ語聖書の現代語訳を完成させ,出版権を協会に譲渡したことを発表しました。 * これは,原語のギリシャ語からの新しい翻訳でした。

別の翻訳を出すことが本当に必要だったのでしょうか。当時すでに,聖書全巻は190の言語で出版されており,少なくとも部分訳はほかに928の言語や方言で出ていました。エホバの証人はこれまでいろいろな時期に,そうした翻訳のほとんどを使ってきました。しかし,その大半はキリスト教世界の諸宗派の僧職者や宣教師による翻訳であり,多かれ少なかれ,異教の哲学や,それらの宗教団体が過去から受け継いできた非聖書的な伝統,さらには高等批評の偏った見方などに影響されているというのが実情です。また,より古く,より信頼できる聖書写本も手に入るようになっていました。1世紀のギリシャ語も,考古学上の発見によってさらにはっきり理解できるようになりました。さらには,翻訳が行なわれた言語も年月の経過と共に変わってゆきます。

エホバの証人が望んでいたのは,最新の学問の成果を具体的に取り入れた翻訳でした。それは,キリスト教世界の信条や伝統に影響されない翻訳であり,原文に書かれている事柄を忠実に示すことによって,神の真理に関する知識を絶えず増し加えるための基盤になり得る字義的な翻訳であり,現代の読者にとって明快で分かりやすい翻訳でした。1950年に発表された「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」は ― 少なくともギリシャ語聖書の部分に関しては ― その必要にかなっていました。エホバの証人がそれを使い始めた時,多くの人は感激しました。使われている現代語が読みやすいということだけでなく,霊感による神の言葉の意味がいっそうはっきり理解できることにも気づいたからです。

この翻訳の際立った特色の一つは,神のみ名,神の固有のみ名エホバをクリスチャン・ギリシャ語聖書の237か所に復元していることです。これは,み名を復元した最初の翻訳ではありません。 * しかし,マタイから啓示の書までの本文の中で一貫してみ名を復元した聖書はそれが最初かもしれません。この問題に関する前書きの長い説明は,そのような措置の確かな根拠を示しています。

その後,ヘブライ語聖書が英訳され,1953年から5巻に分けて徐々に発表されました。クリスチャン・ギリシャ語聖書の場合と同じく,原文にある事柄をできるだけ字義的に伝えることに注意が向けられました。訳語を統一すること,動詞に表わされている行動や状態を正確に伝えること,現代の読者がすぐに理解できる分かりやすい言葉を使うことなどに特別な注意が払われました。ヘブライ語本文に四文字語<テトラグラマトン>が出て来る箇所はすべて,他の多くの翻訳がよく行なっているようにほかの語で置き換えたりするのではなく,むしろ神の固有のみ名として適切に訳出されました。注意深い読者は,それらの分冊に載っている付録の記事や脚注を見て,使われている訳語の根拠を調べることができました。

1960年3月13日,新世界訳聖書翻訳委員会は,第5巻の分の聖書本文の最終的な読み直しを終えました。クリスチャン・ギリシャ語聖書の実際の翻訳が始まってから,12年3か月と11日後のことです。数か月後,ヘブライ語聖書のその最後の巻の印刷が仕上がり,発表後に配布されました。

翻訳委員会は,そのプロジェクトの終了後も解散せずに仕事を続けました。翻訳全体の総合的な見直しが行なわれました。その後ものみの塔協会は1961年に,「新世界訳聖書」全体を1巻にまとめた改訂版を出版しました。その聖書は,経済事情にかかわりなくだれでも神の言葉を1冊入手できるようにするため,わずか1(米)㌦で配布用に供されました。

2年後には,研究者用の特別版が出版されました。これは,本文に関するおびただしい数の貴重な脚注や前書きや付録の説明と共に,改訂前の元の分冊をすべて1冊にまとめたものです。この特別版には,貴重な相互参照も残されていました。その相互参照は,類義語,類似の考えや出来事,人物の経歴に関する情報,地理に関する詳細,預言の成就,聖書の他の箇所からの直接引用や他の箇所への直接引用などに読者の注意を向けています。

1961年の合本版が出版されて以来,さらに四つの改訂最新版が発行されました。中でも一番新しいのは1984年版です。その年には,広範に及ぶ付録,12万5,000の欄外参照,理解を深める1万1,400の脚注,用語索引などのついた大文字版が出版されました。この版のそうした特色は,正確を期するために様々な聖句に関してある特定の訳し方をしなければならない理由や,聖句の正確な訳し方が幾通りかあり得る場合などを研究者が理解するための助けになります。また相互参照も,聖書の各書が相互に調和していることを知るための助けになります。

新世界訳聖書翻訳委員会の誠実な努力の一環として,神の言葉を愛する人々がクリスチャン・ギリシャ語聖書のコイネー(共通ギリシャ語)の原文の内容に親しめるようにするため,同委員会は“The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriptures”(「ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳」)を作りました。ものみの塔協会はまず1969年にこれを出版し,1985年に改訂しました。これには,B・F・ウェストコットとF・J・A・ホートが編集した「ギリシャ語原語による新約聖書」が含まれています。ページの右側には「新世界訳」の本文(1984年改訂最新版)が載っています。しかしそれだけではなく,ギリシャ語本文の行間には,もう一つの翻訳,つまり,ギリシャ語が実際に述べている事柄を各語の基本的な意味と文法的な形に応じて訳した極めて字義的な逐語訳が出ています。そのため,ギリシャ語が読めない研究者でさえ,ギリシャ語の原文に実際に書かれている事柄を理解することができます。

「新世界訳」に関するこの仕事は,英語が読める読者にしか役立たないのでしょうか。各地のものみの塔の宣教者たちは,個人用の神の言葉を切望している人々に聖書を配布したくても,地元の言語の聖書を十分な数だけ入手するのは難しいと感じていました。世界の幾つかの場所では,他の聖書協会が印刷した聖書を最もよく配布していたのがそれらの宣教者たちであるというケースも珍しくありません。しかし,そのような聖書協会を代表する宗教関係者は,必ずしもそれを好ましく思っていませんでした。また,それらの聖書の中にはあまり質の良くない翻訳もありました。

他の言語への翻訳

「新世界訳」全体が1冊にまとまった形で最初に出た年,つまり1961年には,英語本文をオランダ語,フランス語,ドイツ語,イタリア語,ポルトガル語,スペイン語といった,広く使われている他の六つの言語に翻訳するため,熟練した翻訳者たちが集められました。ヘブライ語やギリシャ語と照らし合わせながら,英語からさらに別の言語に翻訳することが可能だったのは,英訳そのものが字義訳だったからです。翻訳者たちは,新世界訳聖書翻訳委員会と連携しながら,ニューヨーク市ブルックリンの協会本部で国際的な委員会として働きました。1963年には,その六つの言語すべてによるクリスチャン・ギリシャ語聖書が印刷され,発表されました。

1992年の時点で,「新世界訳聖書」全体は,チェコ語,デンマーク語,オランダ語,英語,フランス語,ドイツ語,イタリア語,日本語,ポルトガル語,スロバキア語,スペイン語,スウェーデン語の12の言語で入手できました。クリスチャン・ギリシャ語聖書については,ほかにも二つの言語の版が出ていました。これはつまり,世界人口の4分の1強に当たる約14億人が母国語でこの翻訳を読むことができたということです。また,「ものみの塔」誌にその翻訳からの抜粋がある場合は,他の97の言語にも訳されるので,さらに多くの人がその益を得ていました。もっとも,その97の言語で読んでいる人たちは,自分たちの言語で「新世界訳」の全体が出ることを切望していました。1992年の時点では,そのうちの16の言語でその翻訳を出版し,クリスチャン・ギリシャ語聖書しかなかった二つの言語のヘブライ語聖書を完成させる計画がすでに始まっていました。

この聖書の出版が協会独自の工場で自発奉仕者たちによって行なわれるようになって以来,聖書を最低限の額で提供することが可能になりました。1972年に,オーストリアのあるエホバの証人がドイツ語の「新世界訳」を製本業者に見せ,どのくらいの額になると思うかと尋ねたところ,その業者は,提示寄付額が自分の言った額のわずか10分の1だったことを知って驚きました。

この翻訳の強力な影響を示す実例が幾つかあります。フランスのカトリック教会は,平信徒が聖書を持つことを何百年も前から禁止していました。すでに出回っていたカトリックの翻訳はかなり高価だったので,それを持っている家庭はほとんどありませんでした。1963年に,フランス語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が発表され,次いで1974年には聖書全体が発表されました。1992年の時点では,両方合わせて合計243万7,711冊の「新世界訳」がフランスでの配布用に発送されていました。その同じ期間に,フランスのエホバの証人の数は488%増え,合計11万9,674人に達しました。

イタリアも同じような状況でした。人々は長い間,聖書を持つことを禁じられていました。「新世界訳」のイタリア語版が発表されてから1992年までの間に,359万7,220冊が配布されました。しかも,そのほとんどは聖書全巻でした。人々は,神の言葉に書かれている事柄を自分で調べたいと思いました。興味深いことに,その同じ期間にイタリアのエホバの証人の数は急増し,7,801人から19万4,013人になりました。

「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」のポルトガル語版が出た時,ブラジルには3万118人,ポルトガルには1,798人のエホバの証人がいたにすぎません。その後1992年までの間に,その2か国の個人や会衆に発送されたポルトガル語版のクリスチャン・ギリシャ語聖書は合計21万3,438冊,聖書全巻は415万3,738冊に上りました。どんな結果になったでしょうか。ブラジルではエホバの活発な賛美者が11倍以上に増え,ポルトガルでは22倍になりました。聖書を持ったことのなかった幾万人もの人々が喜んで聖書を受け取ったほか,理解できる言葉を使っている聖書を持てたことに感謝する人々もいました。「新世界訳聖書 ― 参照資料付き」がブラジルで入手できるようになった時,報道機関は,それが国内で入手できる最も充実した(つまり,相互参照と脚注が他の聖書よりも多い)聖書であることを指摘しました。また,最初の印刷数は,国内のほとんどの聖書より10倍は多いとも述べました。

「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」のスペイン語版も1963年に発表され,その後1967年には聖書全巻が発表されました。クリスチャン・ギリシャ語聖書が52万7,451冊発行された後,1992年までにスペイン語の聖書全体は合計1,744万5,782冊発行されました。これは,スペイン語を話す人々が住む国々でエホバの賛美者の数が著しく増加した一因になりました。例えば,1963年から1992年にかけて,エホバの証人が宣教を行なっていたスペイン語圏の国々では,証人たちの数が8万2,106人から94万2,551人に増えました。ほかにもアメリカでは,1992年に,スペイン語を話すエホバの証人が13万224人いました。

「新世界訳」が熱烈な反響を呼んだのは,キリスト教世界の領域だけではありません。日本語版が出版された最初の年に,日本の支部事務所は50万冊の注文を受けました。

1992年の時点では,「新世界訳聖書」全体を12の言語で入手することができましたが,その印刷数は7,010万5,258冊に達していました。ほかにも,その部分訳は881万9,080冊印刷されていました。

いろいろなタイプの聖書ができる

1977年に始まったものみの塔協会の業務のコンピューター化は,出版活動の他の分野の場合と同じく聖書の生産にも役立ってきました。翻訳者たちはそれによって,翻訳の一貫性を高めることができました。また,様々なタイプの聖書を印刷することも容易になりました。

聖書の全文をコンピューターに入力する作業が終わると,電算写植機を使って本文を様々な大きさや形で印字することがさほど難しくなくなりました。まず1981年には,用語索引や他の有用な付録が付いた英語の普通版が出ました。これは,ものみの塔協会が巻取紙オフセット印刷機で印刷した最初の版です。コンピューターに保存されている本文に改訂が施された後,英語の大文字版が1984年に発表されました。これには,研究に役立つ貴重な特色が数多く含まれています。その同じ改訂版の英語の普通版もその年に出ました。それには相互参照と用語索引が付いていますが,脚注はありません。また,付録はより深い研究のためというよりは野外宣教用のものでした。さらに,非常に小さなポケット版を望んでいた人たちのためには,英語のポケット版が1987年に出版されました。これらの版はみな,他の言語でもすぐに出版されました。

また,特別な必要のある人々を助けることにも注意が向けられました。見ることはできても,非常に大きな文字が必要な人々を助けるために,英語の「新世界訳」全体を4巻に分けた大文字版が1985年に出版されました。やがてその同じ版は,ドイツ語,フランス語,スペイン語,日本語でも印刷されました。その前の1983年には,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」の英語の中級点字版が4巻一組で出ました。それから5年もしないうちに,「新世界訳」全体の英語の点字版が18巻一組で生産されるようになりました。

聖書の内容を録音したものを聴ければ助かるという人もいないでしょうか。確かにいます。それで,ものみの塔協会はその生産にも着手しました。最初のカセットテープは「ヨハネによる良いたより」の英語版で,1978年に発表されました。やがて,英語の「新世界訳」全体を録音した75本のカセットが出ました。小さな仕事として始まったものが,しばらくすると一大プロジェクトに急成長していました。1992年までには,14の言語で「新世界訳」の全体または一部のカセットが入手できました。当初は,民間の会社に仕事を依頼していた支部もありました。ものみの塔協会は1992年までに,そのようなカセットを独自の設備で3,100万本以上生産しました。

聖書のカセットがもたらす益とその使い方は,当初の予想をはるかに超えたものになりました。世界のどこでも,人々はカセットプレーヤーを使っていました。読むことができなくても,そのおかげで神の神聖な言葉から個人的に益を受けるようになった人は少なくありません。女性であれば,家事をしながらカセットに耳を傾けることもできました。車で通勤する時にテープデッキでカセットを聴く男性もいました。個々のエホバの証人は,神の言葉を定期的に聴き,聖書の固有名詞の発音や聖句の読み方に注目することによって,教える能力を高めることができました。

1992年の時点では,様々な版の「新世界訳」が,南北アメリカ,ヨーロッパ,東洋にある協会の印刷機で印刷されていました。それまでに生産され,配布用に供された数は合計7,892万4,338冊になりました。ブルックリンだけでも,3台の巨大な巻取紙高速オフセット印刷機がおもに聖書の生産に使われていました。合計すると,それらの印刷機は1時間に7,900冊相当の聖書を生産する能力があります。時には,残業態勢で操業しなければならないこともありました。

しかし,エホバの証人が人々に勧めているのは聖書だけではありません。聖書は本棚に飾られるだけで終わってしまう場合もあります。聖書に関心のある人がいるなら ― エホバの証人から聖書を受け取っても受け取らなくても ― 証人たちは無料の家庭聖書研究も勧めます。そのような研究はいつまでも行なわれるわけではありません。学んだ事柄をしっかりと心に収め,バプテスマを受けたエホバの証人になり,次いで他の人を教えることに加わる研究生もいます。何か月たっても,学んだ事柄を当てはめる面でそれなりの進歩が見られないなら,そのような研究は大抵,純粋な関心を持つ他の人々のために打ち切られます。1992年の時点で,エホバの証人は個人や家庭を対象に,普通は週に1度のペースで行なう無料の聖書研究を427万8,127件行なっていました。

こうしてエホバの証人は,他のどんな団体とも比較にならないような仕方で聖書の出版と配布を行ない,神の神聖な言葉を教えています。

[脚注]

^ 7節 「ものみの塔」誌(英文),1892年7月15日号(210ページ)から分かるとおり,ものみの塔聖書冊子協会という名称は,法的な登録が行なわれる前からすでに何年も使われていました。1890年に発行された「古神学」シリーズのパンフレットは,発行者を「塔聖書冊子協会」としています。

^ 22節 この翻訳の出版権は,翻訳者たちの名前を絶対に公表しないようにという要請と共に,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会に委譲されました。翻訳者たちは,すべての誉れが霊感によるみ言葉の神聖な著者であられるエホバ神に帰されることを望んでいました。

^ 25節 クリスチャン・ギリシャ語聖書に神のみ名を復元した翻訳は,それ以前のヘブライ語訳,ドイツ語訳,英語訳の中にもあります。宣教師の翻訳の中にはそうした翻訳が少なくありません。

[609ページの囲み記事]

斬新な翻訳

「ヘブライ語聖書 新世界訳」の第1巻が出版された時,英国の聖書批評家アレグザンダー・トムソンはこう書きました。「ヘブライ語聖書の独創的な英訳は極めて少ない。したがって,創世記からルツ記までの[ヘブライ語聖書の]新世界訳の第一部の刊行を大きな喜びを抱いて歓迎するものである。……明らかにこの訳は十分に読みやすいものとなるよう特別の努力が払われている。それが斬新さや独創性に欠けていると言い得る人は一人もいないであろう。その術語は決して以前の種々の訳の術語などに基づいてはいない」― ディファレンシエイター誌,1954年6月号,131ページ。

[610ページの囲み記事/図版]

「直訳的な語の集積」

ネブラスカ大学のトマス・N・ウィンターは,クラシカル・ジャーナル誌に「ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳」の書評を載せ,その中でこう書きました。「これは普通の行間逐語訳ではない。本文の本来の姿が保たれており,その下に出ている英語はギリシャ語の言葉の基本的な意味そのものである。したがって,この本の行間部分は決して翻訳ではない。もっと正確に表現するなら,直訳的な語の集積といったところだろう。ページの右側の細い欄には,こなれた英訳が載っている。……

「本文はブルック・F・ウェストコットとフェントン・J・A・ホートの本文(1881年再版)に基づいているが,匿名の委員会による翻訳は全く現代的であり,終始一貫正確である」― 1974年4-5月号,375,376ページ。

[図版]

1969年版と1985年版

[611ページの囲み記事/図版]

ヘブライ語学者の意見

イスラエルのヘブライ語学者で教授でもあるベンジャミン・ケダル博士は,「新世界訳」について1989年にこう述べました。「ヘブライ語の聖書と翻訳に関連する言語学的研究に際し,私は新世界訳として知られる英訳聖書をしばしば参照しています。そうする度に,この訳は本文のできる限り正確な理解を得ようとする誠実な努力を反映しているという私の考えは繰り返し確証されています。原語を広範にわたって駆使する能力のほどを示す証拠として,この訳はヘブライ語の特定の構造から不必要に逸脱することなく,原語の言葉を理解しやすい形にして別の言語に訳出しています。……言語による陳述はすべて,解釈したり,翻訳したりする際,ある程度の自由が許されるものです。それゆえ,どんな特定の場合でも,言語学的解決方法は論争を招く余地があります。しかし,新世界訳には,本文に含まれていない事柄を読み取ろうとする偏った意図のうかがえるような箇所は見つかったためしがありません」。

[613ページのグラフ]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

「新世界訳」出版後のエホバの証人の増加

フランス

150,000

100,000

50,000

1963 1970 1980 1992

イタリア

150,000

100,000

50,000

1963 1970 1980 1992

ポルトガルとブラジル

300,000

200,000

100,000

1963 1970 1980 1992

スペイン語圏の国々

900,000

600,000

300,000

1963 1970 1980 1992

[604ページの図版]

初期の聖書研究者たちが使っていた幾つかの翻訳

ヤングの字義訳

リーサー訳(ヘブライ語と英語の対訳)

ティッシェンドルフの「新約聖書」(幾つかのギリシャ語写本の異文付き)

マードック訳(シリア語から)

「エンファティック・ダイアグロット訳」(ギリシャ語から英語)

集注版聖書(様々な英訳付き)

「ニューベリー・バイブル」(貴重な欄外の注が付いている)

[605ページの図版]

ロザハムの「新約聖書」,ものみの塔協会のために1890年ごろに印刷された版の序文

[606ページの図版]

ホルマン行別対訳聖書,ものみの塔協会の手配によって1902年に出版された

[606ページの図版]

ものみの塔版「ジェームズ王欽定訳」,特別に作られた用語索引が付いている(1942年)

[607ページの図版]

「アメリカ標準訳」,神のみ名エホバを6,870回余り使っている翻訳,ものみの塔版(1944年)

[607ページの図版]

バイイングトン訳(1972年)

[608ページの図版]

「新世界訳」,最初は英語版が1950年から1960年にかけて6巻の分冊で発表された。後に,研究者用の特別版にまとめられた

コンパクトな合本,1961年発行

研究用の参照資料が付いた大文字版,1984年発行

[612ページの図版]

さらに多くの言語の「新世界訳」が徐々に出るようになった

[614ページの図版]

「新世界訳」の特大文字版

点字版

カセット版

コンピューターディスケット版