汚染された地にある霊的なパラダイス
8章
汚染された地にある霊的なパラダイス
1,2 地球の汚染を少なくしようとする人間の努力はどの程度成功していますか。
この地上には今なお,小規模な地的パラダイスのような場所が幾か所かあります。しかし,その存続は脅かされています。過去20年間,全人類の自然環境の汚染に関する科学的研究が真剣に
考慮されてきました。そして,土地や水や空気の汚染を少なくしようとする努力が払われてきましたが,汚染の作用は依然持続し,増大しています。2 ある生態学的計画は非現実的なもの,あるいは経済的に問題にならない計画であることが分かりました。選定された地域の自然の美観や健全さを保存するためのさまざまの企画は,エネルギー危機のために生じた必要に道を譲らねばならなくなりました。地球全体は魚や鳥,陸生動物や人間の住みかとしてはますます危険な所となってきました。人間の生活の仕方や地球の誤った管理の仕方のために,この惑星上の生きとし生けるすべての被造物の存続が,環境汚染だけによっても脅かされているのです。
3 自然環境は汚染されているにもかかわらず,どんなパラダイスは,いつ以来広げられていますか。
3 一方,霊的なパラダイスは全地にわたる破滅をきたすこうした汚染の影響を受けることなく繁栄し,なお一層広がっています。それが拡張されてゆくにつれ,霊的な事柄に関心を持つさらに多くの人びとがそれを享受し,一層幸福な生活を送るようになっています。それらの人びとは汚染のない地上のパラダイスで永遠に生きる希望をさえ抱いています。無論,地的な自然のパラダイスはなお将来の事柄です。さもなければ,現在なされている人間の自然環境の汚染が続くのは許されないでしょう。人間の最初のパラダイスの住みかをこの地に回復することは,人間自身の能力や知恵の及ばない事柄です。しかし,第一次世界大戦後の最初の平和な年以来,霊的なパラダイスがこの地上に設けられてきました。確かにこれは,クリスチャンの使徒パウロが一世紀当時のギリシャ,コリントの会衆に宛てた第二の手紙の中で書いたパラダイスのことです。
4 このパラダイスについて使徒パウロはコリントのクリスチャンに宛てた第二の手紙の中で何と述べていますか。
4 一世紀の半ば近くの西暦55年ごろ,その手紙を書いたパウロは,仲間の信者のその会衆にこう言いました。「わたしは誇らねばなりません。なるほどそれは有益なことではありません。でもわたしは,主の超自然の幻と啓示のことに移ります。わたしはキリストコリント第二 12:1-5。
と結ばれたひとりの人を知っています。その人は十四年前に ― それが体においてであったかどうかわたしは知りません。体を出てであったかどうかも知りません。神が知っておられます ― そのようなものとして第三の天に連れ去られました。そうです,わたしはそのような人を知っています ― それが体においてであったか体を離れてであったか,わたしは知りません。神が知っておられます ― パラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできないことばを聞いたのです。そのような人についてわたしは誇ります。しかし自分自身については……誇りません」―5 (イ)パウロが言及している「キリストと結ばれたひとりの人」とはだれですか。(ロ)このことからすれば,「そのような人についてわたしは誇ります。しかし自分自身については…誇りません」と語った彼の言葉は何を意味しましたか。(ハ)そのような経験をした時の自分の状態について彼はなぜ,「それが体においてであったかどうかわたしは知りません。体を出てであったかどうかも知りません」と述べましたか。
5 使徒パウロはここで,だれかほかの人ではなく,自分自身のことを語っています。とは言え,神の特別の恵みを得た人として前述の特異な経験をした時の自分のことを述べています。大いに恵まれ,当然誇り得る立場に置かれた人としての自分について述べたのです。しかし,神からのそのようなまれな特権のない普通の人間としての彼自身のことは当然誇れるものではありません。彼の経験はあまりにも現実的なものだったので,あたかも肉体のままでその場にいるかのようでした。もっとも,彼は肉体のまま地上にとどまっていました。彼が経験したのは恍惚状態で,彼が聞いたのはそうした恍惚状態にあった時に聞いた事柄でした。もしその経験がコリント会衆に第二の手紙を送る14年前に起きたのであれば,西暦47ないし48年ごろバルナバを伴って行なった最初の宣教旅行より前の西暦41年ごろ起きたことになります。使徒パウロは彼の聞いた事柄が自分の知っているヘブライ語あるいはギリシャ語,もしくは人間の知っている言語には翻訳できない何らかの異質的な言語で話されたかについては明確に述べていません。
6 彼は「第三の天」に言及していますが,このことは何を示していますか。
エフェソス 2:6)それで,「第三の天」に連れて行かれたとは,霊的にパウロが仲間のクリスチャンの霊的な立場以上に高く引き上げられたことを意味しています。そのために,かつて得たことのないような洞察を得ました。このことは彼の話し方また書き方からも証明されます。
6 第三の天に連れ去られた際,パウロは急に引き上げられて時の流れを下り,次々に続く一連の第三の天に連れて行かれたのではありません。彼は急に引き上げられ,垂直方向に運ばれたのです。三あるいは第三という数は聖書では強さ,もしくは強調の徴として用いられているので,「第三の天」は彼の高められた高さ,つまり高められた質を示すものです。天から下って来て,また霊の天に帰ったイエス・キリストは目に見えない天的な事物を知っておられますが,パウロはそのような意味で霊者たちの天の事物を知るようになったのではありません。比喩的に言って,彼は地上で仲間のクリスチャンと共に『キリスト・イエスとの結びつきにおいて天の場所に』既に座していたのです。(7,8 (イ)パウロが言及している「パラダイス」はなぜ,啓示 2章7節で指摘されているものと同じではありませんか。(ロ)パウロが連れ去られて行ったあの「パラダイス」はどうして「エデンの園」ではありませんでしたか。
7 彼が「パラダイス」に連れ去られたことについて言えば,それはここで「第三の天」と結びつけられています。これはある霊的なものを示唆します。しかし,これはパウロが連れ去られて行ったパラダイスが,栄光を受けたイエス・キリストが小アジア,エフェソスの会衆に送った音信の中で指摘されているものであるという意味ではありません。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう」。(啓示 2:7)この「神のパラダイス」は,血肉では入ることができず,肉眼では見ることのできない,目に見えない霊の天にある比喩的なものです。(コリント第一 15:50)また,使徒ヨハネは目に見えない霊の天にある事物の象徴を見,それについて啓示 4章で述べていますが,そのような仕方で使徒パウロがそう した象徴を見たことを暗示するものは何もありません。それで,使徒パウロが「神のパラダイス」に連れ去られて,その「命の木」を見たとはまず考えられません。
8 最初の地的なパラダイスつまり「エデンの園」に関する限り,そのようなパラダイスについては被造物である人間にとって神秘的な事は何もありません。それは何ら人間の経験を超えたものではありませんし,またそれが神のメシアの王国のもとで地上に回復されることは聖書預言に従って多年理解されてきました。(創世 3:8-24)従って,使徒パウロはそれについて学び,また知るために「主の超自然の幻と啓示」を受けるには及ばなかったでしょう。―コリント第二 12:1。
9,10 (イ)使徒パウロに与えられた幻は,いつ存在する,どんなパラダイスに関するものでしたか。(ロ)パウロが聞いた「口に出すことのできないことば」は何に関係していましたか。そのような言葉を語ることは,何を意味していましたか。
9 とは言え,聖書はもう一つのパラダイスを預言的に描写し,ユダヤ人のバビロン流刑後のユダの地にその歴史的な原型を与えることさえしています。そのパラダイスこそ,使徒パウロが「第三の天」に,つまり超自然的な幻の中で「パラダイス」に連れて行かれた後の19世紀後の現代の霊的なパラダイスです。パウロがあの現実的な経験の中で聞いた事柄,つまり「人が話すことを許されず,口に出すことのできないことば」とは,当時なお将来のことであったこの霊的なパラダイスに関するものでした。キリストの真の弟子たちのこの祝福された状態は,「事物の体制の終結」の際のキリストの「臨在」つまりパルーシアの期間に存在することになっていました。―マタイ 24:3。
10 パウロは霊感を受けて,「わたしたちの主イエス・キリストの臨在」前にクリスチャン会衆に臨もうとしていた「背教」を予告しました。しかし,彼が人間としてこの霊的なパラダイスについて,つまり「口に出すことのできないことば」で述べられるのを聞いた事について語るのは不法なことではありませんでした。そうするのは,この霊的なパラダイスと関係のある聖書預言を解釈することを意味しました。―テサロニケ第二 2:1-3。コリント第二 12:1-4。
霊的なパラダイスへの「神聖さの道」
11 (イ)イエス・キリストの「臨在」はいつ始まりましたか。(ロ)その時,イエス・キリストは古代のどんな支配者のようになりましたか。それはどんな意味においてですか。
11 ものみの塔聖書冊子協会の以前の出版物の中では,神のメシアの王国が目に見えない天で誕生した1914年における異邦人の時の終わりに「わたしたちの主イエス・キリストの臨在」が始まったことが聖書的に証明されてきました。(啓示 12:1-10)その時,新たに即位したイエス・キリストは,バビロン帝国の征服者で,捕らわれていたユダヤ人とその忠節な非ユダヤ人の仲間たちの解放者であった,神の昔の油そそがれた「僕」,クロス大王のようになりました。その役割を現代的な仕方で演じたイエス・キリストは,西暦1914年から1918年にわたった第一次世界大戦中,大いなるバビロンとその世俗的な情夫たちによって捕らわれていた,ご自分の忠実な追随者たちを解放しました。そして,偽りの宗教のあの世界帝国の力を砕くことにより,西暦1919年に霊的なイスラエル人の残りの者の回復をもたらされたのです。このことは当時の全宗教界を仰天させ,悔しがらせました。―啓示 11:7-13。
12 霊的なパラダイスに関して,ここでどんな疑問が起きますか。
12 この本の読者の多くが,霊的なイスラエルのエホバの油そそがれた残りの者はどうして,またどのようにして西暦1919年以降初めて霊的なパラダイスに入ったのだろうかと尋ねるのももっともなことです。彼らは西暦1914年の第一次世界大戦の勃発前から地上の霊的なパラダイスに入っていませんでしたか。彼らは,例えば,西暦1879年7月に「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌が発行されて以来,神の恵みを受けた,そのような祝福された霊的状態を享受していませんでしたか。第一次世界大戦前もある期間生きていて,当時霊的なイスラエルの残りの者の一部となっていた,わたしたち年老いた者は,こうした問いに否! と答えることができます。どんな根拠に基づいてですか。
13 1919年以前,地上の神の僕たちが考えていた唯一のパラダイスとは何でしたか。
13 ところで,地上の霊的なイスラエルの残りの者のための霊的パラダイスルカ 23:39-43)コリント第二 12章4節で使徒パウロが言及したパラダイスさえ,そのようなパラダイスつまり『回復された地』であると理解されていたのです。―1897年発行の「ハルマゲドンの戦い」と題する本の648ページの2節をご覧ください。
というような事は聞いたことがありませんでした。考えられていた将来の唯一のパラダイスは文字通り物質界のパラダイスで,イエス・キリストの千年統治期間中に惑星であるこの地球に回復され,「きょうあなたに真実に言いますが,あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」と言われた,刑柱につけられた同情心のある悪人が復活させられて入るパラダイスでした。(14 (イ)当時,パラダイスに関して古代のイスラエル国民に適用された預言は,どのように理解されていましたか。(ロ)それで,当時,それらの預言のどんな適用は見分けられていませんでしたか。
14 また,西暦前6世紀の昔,イスラエル国民の上に縮図的成就を見た聖書預言は,割礼を受けた生来のユダヤ人がパレスチナの地に再び集められることによって彼らの上に現代の最終的成就を見るものと期待されていました。(例えば,エゼキエル書 36章22-36節に関する,1892年の「ものみの塔」誌63ページをご覧ください。),あるいは,古代イスラエルの上に縮図的に成就した預言は,悪魔サタンが縛られて底なき坑に幽閉された後,キリストの千年統治期間中に主要な完全な成就を見るものと考えられていました。(例えば,イザヤ書 35章を取り上げてみてください。)それで,霊的なイスラエルの残りの者の上に起きた現代における成就は完全に見落とされ,はっきりと理解されず,見分けられませんでした。丁度,キリスト教世界の諸教会が今日までそのような状態にあるのと同様でした。事実,エホバのクリスチャン証人は1932年に至るまで,肉のユダヤ人がパレスチナに復帰し,ユダヤ人国家を確立することによって神の預言が成就するものと考えていたのです。
15 1914年,またその後は1918年に関して残りの者はどんな期待をいだいていましたか。
15 その上,霊的なイスラエルの残りの者は1876年以来何十年もの間,1914年の秋における異邦人の時の終わりを待ち望んでいました。ルカ 21:24。ダニエル 4:16,23,25,32)第一次世界大戦中に禁令や迫害のもとで被った彼らの辛い経験は,その状態から第一次大戦後解放されることになっていたバビロンへの流刑とはみなされませんでした。世界的な証言の仕事をするために地上でエホバの恵みを十分に受ける立場に回復されることを期待してはいなかったのです。
彼らは神のメシアの王国がその時までには天で完全に樹立され,またその時,霊的なイスラエルの残りの者は天の王国でイエス・キリストと共に栄光を受けるものと期待していました。聖書の理解はすべて,そのような方向にゆがめられ,もしくはそうした考え方に合わせられていました。そして,第一次世界大戦のさなかに1914年が終わり,霊的なイスラエルの残りの者は自分たちがなおこの地上にいることに気づいた時,今度は異邦人の時が終わってから三年半後の1918年に栄光を受けるのではなかろうかと考える傾向がありました。(16 1919年以降の事態のどんな進展を残りの者はその年以前に予見しませんでしたか。
16 このような訳で,1919年に解放される以前,霊的なイスラエルの残りの者は霊的なパラダイスのことなど全然自覚しませんでした。その年以来地上の最果ての場所に至るまで推し進められてきたそうした仕事など考えたことさえありませんでした! それまでの聖書研究によっては,エホバがご自分のために名を上げる時が来たことを依然悟っていませんでした。(イザヤ 63:14。エレミヤ 32:20。サムエル後 7:23)自分たちが,神ご自身のみ名を地のはるか隅々にまで知らせ,樹立された神のメシアによる王国をキリスト教世界内外の諸国民すべてに発表するために用いられる者であることに気付きませんでした。(マタイ 24:14)自分たちが目撃することになる聖書預言の驚くべき成就や,聖書に関して自分たちの得られる理会が増大し続けることなど予知していませんでした。あらゆる国の民の中から来る,羊のような「大群衆」を,神の恵みにあずかる自分たちの祝福された状態に集めるため自分たちが用いられようとは予想しませんでした。―啓示 7:9-17。
17 (イ)それで,残りの者は霊的なパラダイスの中にいるという意識を西暦1919年以前に持っていましたか。(ロ)しかし今や,彼らはイザヤ書 35章のどんな成就を認識していますか。
イザヤ書 35章の預言が1919年以来自分たちの上にいかにすばらしい仕方で成就してきたかを認識することができます。あの輝かしい預言の中で描かれているように,彼らは人間が地を汚染しているにもかかわらず,『神聖さの街道』を通ってやって来て,霊的なパラダイスに入ったのです。
17 霊的なパラダイスの中にいるという意識は,解放と回復がもたらされたあの年 ― 西暦1919年に霊的なイスラエルの残りの者のうちにみなぎった訳ではありません。しかし,この事物の体制の「終わりの時」のこの末期の今日,彼らはパラダイスにかかわる預言がよみがえる
18 どんな対照的な事柄のためにイザヤ書 35章の預言の美しさは増し加えられていますか。
18 イザヤ書 35章の預言はそれ自体美しい預言ですが,決して終わることのない極端な荒廃と荒野に関する厳粛な預言のすぐ後に述べられているだけに,その美しさは大いに増し加えられています。その陰気な状態は,イスラエル人の兄弟国である,あるふとどきな国民に対する神からの報復の表われとして生ずることになっていました。その国民とは,族長ヤコブあるいはイスラエルの年長の双子の兄弟エサウの子孫でした。エサウは一杯の赤いシチューのために長子相続権をヤコブに売ったため,エドム(「赤い」という意)というあだ名を受けましたが,この名はその子孫の国民につきまといました。(創世 25:30)古代のエドムの地は死海とアカバ湾の間の地で,アラバをまたいでいました。―イザヤ 34:5-17。
19,20 (イ)イザヤ書 35章1,2節では,だれの土地が一変することが予告されていますか。何がそのことを示していますか。(ロ)この預言はだれの上にその最初の成就を見ましたか。
19 イザヤ書 35章は詩的な美しさをもって次のように始まっていますが,この章の中では全く異なった荒野のことが指摘されています。「荒野と水のない地域は歓喜し,砂漠の平野は喜び,サフランのように花咲く。必ずそれは花咲き,本当に楽しみと喜ばしい叫び をもって喜ぶ。レバノンの栄光がそれに与えられねばならない。カルメルやシャロンの輝きも。そこにはエホバの栄光,わたしたちの神の輝きを見る者たちがいる」― イザヤ 35:1,2,新。
20 ここでは,ある土地が一変する,つまりパラダイスのような麗しさを取り戻すことが予告されています。だれの土地のことですか。この章の終わりの節で次のように述べられている者たちの土地です。「そして,エホバによって請け戻された者たちは帰って来て,確かに喜ばしい叫びをもってシオンに来る。そして,定めなき時にまで及ぶ喜びが彼らの頭上に臨む。歓喜と喜びを彼らは得,悲嘆と嘆息は逃げ去らねばならない」。(イザヤ 35:10,新)この預言の最初の成就,つまり古代における成就の場合,シオンつまりエルサレムに帰って来た請け戻された者たちとは,預言者イザヤ自身の民,すなわち古代のユダの地の民でした。イザヤの時代には,油そそがれた王がエルサレムの「エホバの王座」と呼ばれたものの上に依然として座していました。事実,イザヤは四人の歴代の王,ウジヤ,ヨタム,アハズそしてヒゼキヤの治世中預言しました。―イザヤ 1:1。
21,22 (イ)イザヤの時代にユダの地は荒廃した荒野となりましたか。(ロ)その地が荒廃したのはいつでしたか。どれほどの期間にわたりましたか。
21 イザヤの時代にはユダの地は彼の預言の35章で示されている状態に陥ってはいませんでした。アッシリア皇帝セナケリブ王がその地を侵略して多くの都市を征服し,相当の荒廃を引き起こしたのは事実です。この異教徒の侵略者が高慢にもエルサレムを攻略すると脅した時,エホバは奇跡的に彼の面目を失わせて故国に逃げ帰らせました。ユダの地は相当被害を受けましたが,アッシリア人によって住民が根絶されたままにされはしませんでした。それで,以前の住民はやがて流刑に処された地から帰り,再興されたシオンに戻って来ることになりました。
22 また,アッシリア人がユダの地から駆逐された驚嘆すべき出来事のゆえにユダヤ人が経験した「喜び」は「定めなき時にまで及ぶ」ものではありませんでした。なぜですか。なぜなら,次の世紀にエルサレムとその神殿は破壊され,ユダヤ人の王たちが占めた
「エホバの王座」は覆され,ユダの全土は人も家畜も住まない廃墟と化したからです。国外に追放された生存者は,愛する故国がこうして七十年間荒廃した時,異国の地バビロンで大いに嘆き悲しみました。ですから,バビロンに流刑に処された彼らが帰還することこそ,イザヤが予告していた事柄でした。23 (イ)その地が美化されることに関する預言はいつ縮図的成就を見ましたか。(ロ)その預言のより大規模な成就はいつ起こり始めましたか。古代のイスラエルの地と霊的なイスラエルの残りの者の霊的状態とを比べると,どんな類似点がはっきりわかりますか。
23 ユダヤの「荒野」や「水のない地域」や「砂漠」が美化される預言が縮図的成就を見たのは,流刑の身のユダヤ人が西暦前537年にバビロンから帰って来た後のことでした。より大規模な最終的成就,つまり霊的成就は,霊的なイスラエル人の残りの者が神の恵みを受ける立場を追われて大いなるバビロンに流刑に処された状態から西暦1919年に戻って来た後に彼らの上に起きました。最初の世界大戦が起こる前に大いなるバビロンの宗教的・政治的悪影響により苦しめられたほかに,霊的なイスラエル人の霊的状態は,第一次世界大戦によって荒廃した荒野や砂漠のようになりました。同大戦については大いなるバビロンがおもに責任を負っていましたが,霊的なイスラエル人の残りの者に敵して同バビロンはその大戦を利用しました。しかし,全能の神エホバがご自分の崇拝者の残りの者を1919年にバビロン的捕らわれから導き出し始めた時,地上の彼らの霊的状態の何という驚くべき変化が始まったのでしょう。
24 霊的なイスラエルの「地」は第一次世界大戦中,どうして干上がって不毛の状態と化していましたか。
24 第一次世界大戦中,神の祝福や表明された是認の雨がなかったため,自分たちの特権を享受したり,エホバ神に対する自分たちの責務を遂行したりする分野は干上がった不毛の領域と化していました。神は彼らが表わした人間に対するある程度の恐れや,それゆえに彼らに加えられた宗教的束縛を祝福することは決してできませんでした。彼らは世に染まることを許し,とりわけこの世の国際的紛争に対して厳正中立の道を取らなかったため,闘争する世の汚れをある程度受けましたが,神はそのような汚れた状態を祝福できませマタイ 21:43。
んでした。神は,新たに生まれたメシアの王国のために地上で彼らに行なわせようとしていた世界的な証言の仕事よりも,天の王国で栄光を受けるという約束に夢中になっていた彼らを祝福する訳にはゆきませんでした。こうした欠陥のある状態のもとでは彼らは,実を結ぶべき時に臨みながら王国の「実」を生み出すことができませんでした。―25 とは言え,聖書に示されているように,残りの者はどんな変化を遂げることが可能でしたか。
25 とは言え,霊的なイスラエル人の怠慢な残りの者は,自分たちの誤った道に注目させられた時,それを悔い改めることができました。取るべき正しい道を見分けるや否や,彼らは神の意志を行なう点での自分たちの欠点や失敗に注意し,次いで物事を正すことができました。そうしたために,神の不興を買う理由や,時宜にかなった祝福を神が彼らから差し控える理由は除去されることになりました。エホバの選民の回復に関する昔の預言はこう述べていました。『我 彼らおよびわが山の周囲のところどころに福祉を下し 時にしたがひて雨を降らしめん これすなはち福祉の雨なるべし』― エゼキエル 34:26。
26 (イ)それで,霊的なパラダイスが存在するには,その前に何が起きなければなりませんでしたか。(ロ)「レバノンの栄光がそれに与えられねばならない」という約束は,エホバの回復された残りの者の霊的な状態を正しく評価するのにどのように役立ちますか。
26 「荒野」「水のない地域」「砂漠の平野」と化していた,回復された残りの者の状態が何らかの変化を遂げられるようになるには,その前にこのような祝福の雨が降り注がねばなりませんでした。エホバの回復された残りの者の霊的な状態の偉観は今日,預言的な意味で用いられている比喩的な表現によって正しく評価できます。例えば,「レバノンの栄光がそれに与えられねばならない。カルメルやシャロンの輝きも」とあります。(イザヤ 35:1,2,新)その昔のころ,堂々とした常緑樹で覆われていたレバノン山脈のことを考えさえすればよいのです。そのような樹木に関してエホバはご自分の預言者に霊感を与えて言わせました。『レバノンの栄えはなんぢ[シオン]にきたり 松 杉 黄楊はみな共にきたりて我が聖所をか がやかさん われまたわが足をおく所をたふとくすべし』。(イザヤ 60:13)昔のレバノンは大変美しかったので,エホバはそれをエデンの園になぞらえ,レバノンに位置している都市ティルスの王に向かって,『汝 神の園エデンにありき』と言われたほどです。―エゼキエル 28:11-13。
27 『カルメルの輝き』という表現は情景に何を添えるものですか。
27 イザヤが比べ得た他の美しい情景は,「カルメルやシャロンの輝き」のそれでした。カルメルの連山は西方に延びて,末端はハイファの近くでほとんど垂直に地中海に落ち込む印象的な岬となって終わっています。ソロモンの雅歌に出てくる恋人は,愛するシュラミの娘に向かっていみじくも,『なんぢの頭はカルメルのごとし』と言うことができました。(雅 7:5。エレミヤ 46:18と比べてください。)カルメルという名称は「果樹園」あるいは「肥えた土地」を意味しています。エルサレムのウジヤ王の時代のように,この山はぶどう園その他の果樹園で飾られていた時分にはその名称とよく合っていました。―歴代下 26:10。
28 回復された残りの者の霊的な状態が「シャロンの輝き」のようであると聞かされると,何を思い起こしますか。
28 実際,昔は『カルメルの輝き』は広く知られていました。しかし,「シャロンの輝き」についてはどうですか。その名が挙げられると,海港ヨッパ(「美しい」の意)から北方に伸びている,色とりどりの草花の一面に咲き乱れた,海岸沿いの平野の光景がほうふつとして思い浮かべられます。(使徒 9:35)また,「わたしは海岸の平野[もしくはシャロン]のただのサフラン」と語った愛するシュラミの娘の言葉も思い出されます。(雅 2:1,新[欄外])エルサレム聖書はその言葉をこう訳しています。「わたしはシャロンのばら」。新英語聖書は,「わたしはシャロンのアスフォデル」と訳しています。確かに古代のシャロンは独特の「輝き」を持っていました。
29 こうして,預言者イザヤにより,残りの者の回復された状態に関するどんな情景が描かれていましたか。
29 美しい情景をありありと思い浮かべさせるこのすべてに,「荒野と水のない地域は歓喜し,砂漠の平野は喜び,サフランのようにイザヤ 35:1,新)これこそ,霊的なイスラエルの残りの者のかって荒廃した霊的な状態が,エホバの恵みを受けられる立場に回復した後に呈する,一変した外観なのです。
花咲く」という預言者イザヤの記した冒頭の言葉を加えると,「霊感を受けて記された精選された言葉によって実に美しい光景が描き出されます。(30 (イ)この驚くべき変化をもたらした誉れはだれに帰せられますか。(ロ)その預言の成就を見,それゆえに神に栄光を帰しているのはだれですか。
30 様相を一変したこの状態は,だれの驚くべき行為を反映しますか。霊感を受けたイザヤは答えています。「そこにはエホバの栄光,わたしたちの神の輝きを見る者たちがいる」。(イザヤ 35:2,新)最高の審美感を持っておられる創造者なる神のみがこのような事,つまり七十年間荒廃した場所の悲しむべき有様を回復された一国民によって麗しい光景に変えることができました。復帰した古代のイスラエル人はこの預言の縮図的成就を見ました。今日,地球全体を包含する大々的な規模でその預言が成し遂げられるのを見てきたのは,大いなるバビロンへの宗教的捕らわれから地上における自分たちのあるべき霊的状態に回復させられた,クリスチャンであるエホバの崇拝者たちです。失意した古代のバビロニア人の目にとって,彼らが荒廃させたユダの地が美化されるのは喜ばしい光景ではありませんでした。現代の大いなるバビロンの人びとの目にとって,霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者の霊的な状態が美しくされるのはやはり愉快な光景ではありません。
31 「そこには……者たちがいる」という表現は,ほかにどのように解せますか。
31 ところで,「そこには……者たちがいる」という表現は,神の民の荒廃した状態の「荒野と水のない地域……砂漠の平野」のことを指しているとも解せます。これらの場所は大変長く,つまり七十年間も悲しむべき状態にあったため,より良いものをもう一度見られるとは決して期待しませんでした。ところが,その状態が変えられ,レバノンやカルメルやシャロンのそれのような栄光や輝きが与えられることによって,それらの場所は一変された状態のうちに,「エホバの栄光,わたしたちの神の輝き」を見たのです。
32 残りの者は自分たちの一変した状態のうちに,いつから「わたしたちの神の輝き」を見てきましたか。
32 それで,イザヤの預言には,一時的に自分たちの状態が荒廃した神の民のための何という希望の言葉が収められていたのでしょう。西暦1914年から1918年にわたる第一次世界大戦中,荒廃した状態にあった時,霊的なイスラエルの捕らわれた残りの者は,その預言の正しい適用の仕方を悟らなかったので,彼らのためにそこに含まれていた慰めをくみ取りませんでした。しかし今や,それも特に西暦1932年に発行された「立証」と題する本の第二巻でその預言が説明されて以来,彼らは自分たちの一変した状態のうちに「エホバの栄光,わたしたちの神の輝き」を見ています。
流刑後の王国の業に備えて強められる
33 イザヤ書 35章3,4節に記されている勧告の言葉はどうして特に適切なものとなりましたか。
33 希望をかき立てる預言者イザヤの言葉は,苦しめられた神の民にとって信じ難かったでしょう。それらの言葉の成就する定められた時が近づいた時は特にそうだったので,活動に備えて用意をする必要が生じました。従って,今や回復のもたらされる美しい光景の預言的描写を中断して次のような勧告の言葉が述べられるのは大変当を得たことです。「あなたがたは弱い手を強め,よろよろするひざをしっかりさせなさい。心で思い煩っている者たちに言いなさい。『強くあれ。恐れてはならない。見よ,あなたがたの神は復しゅうをもって,神は返報をもって来られる。彼が来て,あなたがたを救われる』」― イザヤ 35:3,4,新。
34,35 (イ)使徒パウロがその預言を引用した時,強める業はどこで必要としていましたか。(ロ)キリスト教に帰依したそれらのヘブライ人はどんな経験に遭っていましたか。
34 西暦1世紀の昔に早くも使徒パウロはエルサレムのキリスト教に帰依したヘブライ人にあの預言的な勧告の言葉を引用して書き送りました。「ゆえに,垂れ下がった手と弱ったひざをまっすぐにしなさい。そして,あなたがたの足のためにいつもまっすぐな道を作って,なえたところが脱臼したりすることのないように,むしろそこがいやされるようにしなさい」。(ヘブライ 12:12,13)キリスト 教に帰依したそれらヘブライ人は当時,こうした強める業を自分たちの間で行なう必要がありました。彼らはクリスチャンとして,相当の懲らしめとなる経験をしていたのです。パウロはそのことについてこう述べています。
35 「あなたがたは,啓発を受けたのち数々の苦しみのもとで大きな闘いに耐えたさきの日々をいつも思い出しなさい。ある時には,非難にも患難にも,劇場にあるかのようにさらされ,またある時には,そうした経験をしている人びととともに分かち合う者ともなりました。あなたがたは,獄にある人びとに思いやりを示し,また自分の持ち物が略奪されても,喜んでそれに甘んじたのです。自分たちに,さらに勝った,永続する所有物のあることを知っているためでした」― ヘブライ 10:32-34。
36 迫害者の手によるそのような処置はどうして天の父からの懲らしめに似ていますか。どんな目的を考えてのことですか。
36 使徒パウロは迫害者の手によるこうしたひどい処置を,天の父がそのような迫害を許すことによって地上のご自分の子供たちに施す,懲らしめになぞらえています。わたしたちの模範者イエス・キリストさえ,天の父からのこうした懲らしめを受けました。(ヘブライ 12:1-6)パウロはさらに説明し,こう述べています。「あなたがたが忍耐しているのは鍛練のためです。神は子に対するようにしてあなたがたを扱っておられるのです。父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか。すべての者があずかる懲らしめを受けないとすれば,あなたがたは実際には私生児であって,子ではないのです。さらに,わたしたちには自分と同じ肉身の父親がいて,わたしたちに懲らしめを与えても,わたしたちはこれをつねに敬いました。霊的な命の父にはなおのこと服従して生きるべきではないでしょうか。父親は自分に良いと思えるところにしたがって数日の間わたしたちを懲らしめるのが常でしたが,彼は,ご自分の神聖さにわたしたちがあずかれるようにと,わたしたちの益のためにそうしてくださるのです。たしかに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに見えず,むしろつらいことに思えます。しかしのちに は,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」― ヘブライ 12:7-11。
37 では,どうして彼らは互いに強め合うことを励まされましたか。
37 キリスト教に帰依したそれらヘブライ人が受けていた厳しい懲らしめのゆえに,使徒パウロは次にイザヤ書 35章3節を引用し,それを彼らに適用しています。こうして互いに強め合うことにより,懲らしめに耐えることをやめたりせず,神の予定の時に報いにあずかれたでしょう。―ヘブライ 12:12。
38 第一次世界大戦後,油そそがれた残りの者は弱い手を強め,よろよろするひざをしっかりさせることがどうして特に必要でしたか。
38 同様に,現代においても,霊的なイスラエル人の油そそがれた残りの者は,大いなるバビロンとその世俗的な連累者の手による迫害や虐待を耐えることによって,厳しい懲らしめの経験をしました。第一次世界大戦が1918年11月11日に終わり,彼らが当時どれほど続くか知らなかった戦後の時期に入った時,当然のこととして弱い手やよろよろするひざをしっかりさせる必要がありました。西暦33年のペンテコステ以来,クリスチャン会衆の歴史上最大の業が今や処理されようとしていたのです。彼らは二つの意見の間で迷うのではなく,神により正しい方向に導かれているとの確信を抱いて確固とした足取りで大戦後の仕事を始める必要がありました。異邦人の時は西暦1914年に終わりました。メシアによる王国は天で生まれましたし,増大する予告された徴はすべて,その事実を裏付ける証拠を供しました。今や,エホバのメシアによる王国の証人として一致団結して前進すべき時が来たのです。
39,40 (イ)1919年,油そそがれた残りの者はどのようにして,「強くあれ。恐れてはならない」と命じられましたか。(ロ)シーダー・ポイント大会の公開講演の際,恐れのない態度を示すどんな証拠がありましたか。
39 わたしたち年老いた者はよく知っていますが,キリストの王国の共同相続者であるこの残りの者に関してある驚くべき事が,つまり聖書預言に関する当時のわたしたちの理解からすれば全然期待もしなかった事が起きていました。わたしたちは『心で思い煩う』傾向がありました。ところが,わたしたちは本当に,「強くあれ。恐れてはならない」と言われたのです。(イザヤ 35:4,新)この勧告 の言葉は,1919年8月1日および15日号の「ものみの塔」誌に発表された,「恐れなき者は幸いなり」と題する二部の記事の中で力強く伝えられました。その上,1919年9月1日から8日までオハイオ州シーダー・ポイントで開かれた八日間の一般大会は心を鼓舞する経験で,同大会では「恐れなき者は幸いなり」という挑戦的主張が強調されました。
40 第一次世界大戦がなお猛威をふるっていた西暦1918年中に油そそがれた残りの者の開いた四日間の幾つかの地区大会では公開講演は宣伝もされず,行なわれもしませんでしたが,同大会の場合とはかなり異なり,1919年のシーダー・ポイント大会の大きな特色は,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードが行なった「苦悩する人類のための希望」と題する野外公開講演でした。その講演の中で講演者は,当時世界の平和と豊かな生活を確立するために提唱された国際連盟が神の不興を買うものとなることを恐れずに言明しました。同連盟はキリスト教世界の僧職者の主張する「地上における神
の王国の政治的表現」ではありませんでした。オハイオ州シーダーポイントに集まったあの7,000人の聴衆のうち,1939年9月の第二次世界大戦勃発時まで生き残った人たちは,講演者が真実を語ったことを知りました。僧職者の後援を受けた国際連盟は世界平和の擁護者として失敗したからです。第二次世界大戦は同連盟に致命的打撃を加え,連盟を底知れぬ所に突き落としました。しかし,1914年に天で生まれた真のメシアの王国は引き続き統治を行ない,またエホバのクリスチャン証人により引き続き地上で宣伝されてゆくのです。41 それで,1919年に,エホバの霊的なイスラエルの残りの者については何が起きていたことを証拠は示していますか。
41 ですから,1919年にエホバの霊的なイスラエルの残りの者は自分たちが大いなるバビロンから解放されたことを世界に向かって証明する時が来ました。彼らがエホバの恵みを受ける立場に復帰させられたこと,またエホバが彼らをご自分のクリスチャン証人と呼ばれたことを示す証拠は増大し始めました。一方,大いなるバビロンに対する神の不興を示す証拠も増え始め,ついに天に達するほどに積りました。彼女はたとえ戦時下でも二度と再びエホバのクリスチャン証人を流刑に処して彼らの王国の証言を沈黙させることはできなくなりました。
42 (イ)今や神がだれに対する復しゅうをもって来る時となりましたか。なぜですか。(ロ)この点で,霊的なイスラエルの残りの者はどんな役目を果たしますか。
42 人を強めるイザヤの預言の勧告の言葉は,次のような保証を伴っていました。「見よ,あなたがたの神は復しゅうをもって,神は返報をもって来られる。彼が来て,あなたがたを救われる」。(イザヤ 35:4,新)1919年にオハイオ州シーダー・ポイントで大戦後最初の一般大会が開かれ,また同年公の証言の業が再開されたことは,大いなるバビロンへの恐ろしい捕らわれから霊的なイスラエル人の残りの者をエホバ神が救ってくださったことを示す,目に見える明確な徴でした。ユーフラテス河畔の古代バビロンを通して悪魔サタンからもたらされる偽りの宗教のあの世界帝国に対する復しゅうをもってエホバが今や来る時となりました。これまで西暦何世紀 もの間大いなるバビロンが神の霊的なイスラエル国民に行なった事柄ゆえに今やエホバが同バビロンに対する返報をもって来る時が到来しました。神は今や,ご自分の復しゅうの日と,大いなるバビロンおよびその政治ならびに軍事上の連累者に返報する仕方を宣明させるのに霊的なイスラエルの残りの者をお用いになるのです。―イザヤ 61:1,2。テサロニケ第二 1:6。
宗教上不具にされた者たちを一変させる
43 預言者イザヤは神がご自分の民のために起こす行動のどんな結果を予見しましたか。
43 預言者イザヤはしばらくの間「荒野」や「水のない地域」や「砂漠の平野」のような宗教状態に陥っていたエホバの崇拝者たちに伝えるのを常としていた,人を鼓舞する勧告の言葉に対するどんな反応を予見しましたか。神が来て,彼らを救う一方,同じ時に神が彼らの圧迫者や荒廃者らに復しゅうと返報をもたらす際,救われる彼らにはどんな影響が生ずるでしょう。預言者はこう答えます。「その時,盲人の目は開かれ,耳しいの耳は開けられる。その時,足なえは雄じかのようによじ登り,口のきけない者の舌は喜び叫ぶ。荒野には水が,砂漠の平野には急流がほとばしり出るからだ。暑さで干上がった地は葦の茂る池のように,渇いた地は水の泉のようになる。ジャッカルの住みか,彼らの休み場には,青草が葦やパピルスの水草と共にあるであろう」― イザヤ 35:5-7,新。
44 「盲人の目」が開かれるとはどういう意味ですか。このことは西暦前537年にどのようになされましたか。
44 暗い地下牢からの解放 ― これこそ盲人の目が開かれるということの意味する事柄でした! こうして解放されることにより目が明らかに見えるようにされること,これこそエホバがご自分のメシアなる僕に次のように述べてご予定の時に行なわせようとしておられた業だったのです。「わたしはあなたを保護し続けた。あなたを民のための契約[もしくは誓約]として与えるためで,地を復興させ,荒廃した相続所有物を再所有させ,囚人には,『出よ!』と言い,闇の中にいる者たちには,『姿を現わせ!』と言う」。(イザヤ ,新)それで,西暦前537年,ペルシャ人征服者クロス大王の前に古代バビロンが倒れた後,神は流刑に処されたご自分の民を長年幽閉されていたバビロンから連れ出し,彼らの「相続所有物」つまり彼らの愛する故国で自由の光を見させました。 49:8,9
45 1919年には,「盲人の目」が開かれるどんな事態が起きましたか。
45 同様に,西暦1919年,エホバは大いなるバビロンに幽閉されたため盲目にされた,ご自分の油そそがれた残りの者を連れ出しました。それは彼らの回復された霊的な状態の中で神の恵みの光を彼らに見させるためでした。時がたつにつれて,彼らの目は自分たちの霊的な状態の増し加わる美しさをますます認めるようになりました。
46 彼らの耳はどんな点で『つんぼ』でしたか。しかし,彼らの耳が開かれた結果,どうなりましたか。
46 彼らの霊的な理解の耳について言えば,それは彼らが回復され,また大いなるバビロンから解放された後に携わる世界的な証言の業に関する聖書預言に対してつんぼでした。彼らはそのような預言の正しい意味が説明されるのを聞いたことがありませんでした。今や自分たちの再興された霊的な状態のもとに帰った後,神の組織を通してそれらの預言が説明されるのを聞き,今や成就を見ているそうした預言の意味を理解し始めました。『その日 聾者はこの書のことばをきゝ 盲者の目はくらきより闇よりみることを得べし 謙だるものはエホバによりてその歓喜をまし 人のなかの貧しきものはイスラエルの聖者によりて快楽をうべし』という神の約束は忠実に履行されてきました。(イザヤ 29:18,19)クリスチャンであるエホバの崇拝者たちの耳は今日に至るまで,明らかにされる預言のもたらす音信に対して開けられたままになっています。今や全地で行なわれねばならない王国の業に関して,書き記されたみ言葉から来る神の命令に対して彼らは自分たちの耳を開けられた状態に保っているのです。
47 (イ)残りの者はどんな足なえの状態を経験しましたか。(ロ)予告された通り彼らはどのようにして「雄じかのようによじ登り」ましたか。
47 「足なえ」に関しても霊的な奇跡が起きました。霊的なイスラエルの残りの者は大いなるバビロンにより,また彼女が地の政治・マタイ 24:14)比喩的に言って,それは王国の音信を家から家に宣べ伝えるため,回復された霊的なイスラエル人すべてを組織する一登りの仕事でした。
司法・軍事上の権威者を利用したために足なえにされてしまいました。正に公然と,また完全な信教の自由をもって行き巡る彼らの業はひどく妨げられました。しかし,イザヤを通して神の勧告の言葉が聞かされ,弱い手が強められ,よろめくひざがしっかりとさせられるに至って,答え応ずる霊的イスラエル人は確かな足取りで着実に,しっかりと歩めるよう回復されました。『足なえは雄じかのようによじ登る』と予告されていた通りです。エホバの王国奉仕の点で坂を登るような仕事に精力的に取り組んだのです。『王国のこの良いたよりを,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で』宣べ伝える点で行なわねばならない業に飛びはねるようにして参加したのです。(48 「口のきけない者の舌」は,いつ『叫び』始めましたか。どうしてそうなりましたか。
48 「口のきけない者の舌は喜び叫ぶ」。(イザヤ 35:6,新)このこともやはり,霊的なイスラエルの残りの者が大戦後の時代にそのあるべき霊的状態に回復されたとき成就しました。地上における自分たちの身分が一変するのを見た彼らには,自分たちの救いの神を賛美すべき理由がたくさんありました。自分たちの天の家を引き続き恋い慕うよりもむしろ,地上における自分たちの霊的状態のもとでの生活が一層しがいのあるものであることに気付きました。「荒野には水が,砂漠の平野には急流がほとばしり出る」からです。この地上で神への王国奉仕を行なう生活は,彼らを霊的にさわやかにするものとなったのです。神の霊によって聖書を一層理解できるようにされるにつれ,聖書から命の水が流れ出始め,聖書の預言の意味は一層十分に明らかになり,また胸の躍るほどに人を励ますものとなりました。ゆえにこれは,以前自分たちの直面した霊的荒廃ゆえに舌が「口のきけない」者のそれと化していた,回復されたエホバの崇拝者たちにとって,「喜び叫ぶ」ことを促す理由ではありませんでしたか。本当にその通りでした!
49 イザヤ書 35章7節で予告されていた通り,エホバがその民を祝福する結果,ほかにどんな事が生ずることになりましたか。
イザヤ 35:7,新。
49 霊的なイスラエルの回復された残りの者の上に神が祝福の雨を降り注がせた結果として,イザヤの預言の喜ばしい特色となる事柄がさらに彼らの眼前で比喩的な意味でよみがえりました。「暑さで干上がった地は葦の茂る池のように,渇いた地は水の泉のようになる。ジャッカルの住みか,彼らの休み場には,青草が葦やパピルスの水草と共にあるであろう」―50 (イ)「ジャッカル」のことが指摘されると,何を連想しますか。(ロ)『青草が葦やパピルスの水草と共に』ある様子はどんな変化を示唆していますか。
50 ジャッカルのことが指摘されると,廃墟の光景が思い起こされます。ジャッカルは淋しい荒れ地や砂漠のような所にさえ住む,腐肉を食べる一種の野生の犬です。その存在は乾燥した不毛の地のような所を連想させます。そのような乾燥した状態のままであれば,ジャッカルの住みかや休み場は人間が生活するには望ましくない場所となり,人が住んでいれば,水を,泉を,雨を叫び求め,祈り求めるでしょう。その種の灌漑が施されれば,くぼ地は葦の茂る池となり,そこにはパピルスの水草さえ生え,かつての砂漠の平野も青草のじゅうたんで覆われることになるでしょう。人間も移って来るでしょうし,もはやジャッカルのもの悲しい鳴き声やほえる声が深まる夜の闇に無気味さを添えることはないでしょう。西暦前537年にこのような驚くべき変化が始まったのです。
51,52 (イ)預言のこの部分は,流刑に処されたユダヤ人の故国の場合,どのように成就しましたか。(ロ)同様に,西暦1919年以来,何が起きてきましたか。
51 北方の道から下って来たバビロニア人によりユダ王国の地が荒廃させられる前に,預言者エレミヤはその到来の結果もたらされる事態を予告して言いました。「聞けよ,うわさのあるのを。見よ,北の国から大いなる騒ぎが来る。これはユダの町々を荒らして〔ジャッカル〕の巣とする」。また,彼はエホバの代弁者としてこう言います。「わたしはエルサレムを荒塚とし,〔ジャッカル〕の巣とする。またユダの町々を荒して,住む人もない所とする」。―エレミヤ 10:22; 9:11,口語〔新〕。
52 従って,流刑に処されたユダヤ人がバビロンを去り,人の住まぬ荒れ地として七十年横たわっていた故国に帰って来た時,そこにあったジャッカルの巣,その住みかや休み場は,周囲に葦やパピルスの水草が茂り得る穏やかな池のある,草の茂る所に変えられねばなりませんでした。それで,復帰させられたユダヤ人は荒れ地を征服し,ジャッカルは出て行きました。同様に,比喩的に言って,西暦1919年以降,霊的なイスラエルの解放された残りの者の霊的状態の外観は変化を遂げ始めました。その時以来,彼らの霊的な状態の汚染の原因として発見されたものはみな,除かれて清められました。しかし,世の諸国民は,かつてなかったほどに地球を汚染させています。こうした世界的汚染にもかかわらず,ご覧なさい,霊的なパラダイスはエホバのクリスチャン証人によって,神の祝福のもとで,またそのみ名に誉れを帰すものとして世話されてきました。
[研究用の質問]
[149ページの図版]
1919年,オハイオ州シーダー・ポイントの大会で講演するJ・F・ラザフォード