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神と契約を結んだ国民

神と契約を結んだ国民

9章

神と契約を結んだ国民

1 今日の諸国民はあまりにも唯物主義に傾きすぎているため,だれとの間で条約機構を組織することはできませんか。

国際問題の場合,相互防衛,平和的関係,文化交流その他の考慮すべき問題のために,ある国家が別の国家と条約を結ぶのは慣例となっています。政治上の幾つかの国家が,今日の北大西洋条約機構(NATO),ワルシャワ条約機構(あるいはワルシャワ協定),または東南アジア条約機構(SEATO)のような条約機構に加入する場合もあります。しかし今日,どんな政治上の国家あるいは国民が神との契約に入っていますか。現代の諸国民はあまりにも唯物主義に傾きすぎて,目に見えない天の実在者を一方の条約当事者とする条約機構を組織できるものではありません。

2 わたしたちは,神と契約を結んだある国民に関するどんな疑問に対する答えを得たいと考えていますか。

2 しかし昔は,天のいと高き神と契約を結んだ現実の生きた国民が地上にいました。その契約は地上の当事者と天の当事者,つまり見える当事者と見えない当事者との間で結ばれたのです。契約にはすべて明確な目的があります。地上の一国民と天の生ける唯一真の神との間で結ばれたその歴史的な契約の目的は何でしたか。一見不釣り合いに見えるその契約は,どのようにして結ばれたのでしょうか。ここではこうした疑問に対する答えを得たいと考えています。

3 そのような契約の条項,仲介者,必要条件および成立の時を定めるべき正当な方はだれでしたか。

3 いと高き神は全知全能の方ですから,その方こそ,不完全で罪深い人々で成る一国民と結ばれたそのような契約を提案もしくは提出する正当な方でした。そのような事情のもとでは,神が契約の目的を述べ,契約の条項を指示し,ご自分と人間との間に立つ仲介者を任命するのは適切なことでした。また,神が契約を継続させる必要条件を述べ,そうした契約もしくは協定を成立させる時を選定することになりました。神がずっと前に事前に定められたその時は,西暦前十六世紀でした。

4 犠牲を介してアブラハムと正式の契約を結んだ時,神はアブラハムの胤のためにどんな期間を予告されましたか。

4 神は,やがて国家的な契約に加わることになっていたその国民全体の父祖と,犠牲を介して正式の契約を結んでおられました。神が犠牲を介してご自身とのその正式の契約にアブラハムを入れられたのは,サレムの王で,いと高き神の祭司だったメルキゼデクが,戦いで勝利を得たアブラハムに祝福の言葉を言い渡した後のことでした。神の約束がアブラハムの子孫の上に成就するとの強力な保証をアブラハムに与えた後,神は彼にこう仰せになりました。「あなたはこの事をしかと知りなさい。あなたの胤は,自分たちのものでない土地で外人居留者となり,彼らはその人々に仕えねばならず,その人々は彼らを四百年の間苦しめるであろう。しかし,彼らの仕えるその国民を,わたしは裁き,その後,彼らは多くの所有物を携えて出て行くであろう。あなた自身は,平安のうちにあなたの父祖たちのもとに行き,あなたは十分高齢になって葬られるであろう。しかし,彼らは四代目にここに戻って来る。それはアモリ人の咎がまだ満ちてはいないからである」― 創世 15:13-16,新。

5 アブラハムの胤が約束の地に住む前に経過することになっていた長い時期は,何が起きることを考慮に入れたものでしたか。

5 こうして,アブラハムの生来の胤がその地を引き継ぐことは,四百年以上延期されました。その長い期間は,アブラハムの選ばれた生来の胤が,大勢の成員でなる一民族となり,異教の「咎」の点で悪化の一途をたどったカナンの地の住民アモリ人に取って代わるに足るほど殖えることを考慮に入れたものでした。アブラハムの生来の胤は,カナンの地とは全く異なる土地で非常に大きな民族になったのですが,それでも神はカナンの地を彼らのために別にしておかれました。そして,ついには約束の地の住民の「咎」ははなはだしくなり,それら住民はその地から一掃されるに値するほどになったのです。さて,エホバは正式の契約を結んで,機が熟ししだいその地域をアブラハムの生来の胤に与えるということを保証されました。

「その日,エホバはアブラムと契約を結んでこう仰せられた。『わたしはあなたの胤に,この地を与える。エジプトの川から,大きな川,ユーフラテス川まで。ケニ人,ケナズ人,カデモニ人,ヒッタイト人,ペリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガシ人,エブス人を』」― 創世 15:18-21,新。

6 国家的な契約は,アブラハムに対する約束を無効にするものとなりましたか。アブラハムの子孫に関してそれはどんな目的に資するものでしたか。

6 アブラハムただ独りと結ばれた神聖な契約とは対照的に,神が考えておられた契約は,選ばれた家系から出て,アブラハムの子孫で成る一つの大きな国民と結ばれることになりました。その国家的な契約は,アブラハムに対する約束に付け加えられることになっていました。その約束は,アブラハムがユーフラテス川の北方を渡り,犠牲を介してアブラハムと結ばれた神の正式の契約に述べられている境界内に含められた地域に入った時,拘束力を持つようになりました。(創世 12:1-7)アブラハムの子孫で成る国民と結ばれた契約は,アブラハムに対する約束を無効にするどころか,その約束に付け加えられたに過ぎませんでした。それは賢明なことでした。というのは,アブラハムの肉身の子孫すべてが,地のもろもろの国民や族すべてを祝福する,アブラハムに対する約束の成就にあずかるにふさわしい者となる訳ではないからです。したがって。付け加えられたその国家的な契約は,神がご自分の天的な「女」の約束の「胤」である真のメシアを遣わして油そそいだ時,そのメシアを受け入れて忠節をつくして従えるよう,ふさわしい人々を備えさせる助け,あるいは手だてとして役だつことになりました。

7 どんな理由のゆえに,神はその四百年が終わる前にアブラハムの子孫と契約を結ぼうとはなさいませんでしたか。

7 神が犠牲を介してこの契約をアブラハムと結ばれて以来,四百年経過するまでは,その付加的な国家的契約は成立しませんでした。なぜなら,アブラハムは当時,うまずめだった妻サラによる子孫を一人ももうけてはいなかったからです。そのうえ,神は,奴隷状態に陥って他国の国民によって苦しめられていたアブラハムの子孫と契約を結びたいとは思われませんでした。それも契約を結ぶには,彼らを苦しめて隷従させていた国民にとって憎むべき忌まわしいものとされる種類の犠牲を必要としたのですから,特にそうでした。(出エジプト 8:25-27)まず最初に神は圧制的なその国民に不利な裁きを下し,ご自分の民を解放して,ご自分との契約を自由に引き受けられるようにした上で,彼らとの契約を設けることを望まれたのです。それは予告された「四百年」の終わりに行なわれることになりました。そういうわけで,エホバ神は油そそがれた者つまりメシアにかかわるご自分の「とこしえの目的」を達成すべく,期間をいろいろ区切っておられることがわかります。

8,9 (イ)イサクが乳離れしたとき,どんな期間が,どのようにして始まりましたか。(ロ)その期間の終わりは,アブラハムの生来の胤に関して何が行なわれる時となりましたか。

8 アブラハムは約束の地に入ってから二十五年後,つまり百歳で,その正妻サラにより,もち論それは神の奇跡によることでしたが,ただ一人の息子の父になりました。それは,まだアブラハムにも,その子イサクにも属していない土地でのことでした。メシアをもたらすことになったその生来の「胤」が苦しみを受け始めたのは,イサクが乳離れした時のことで,それはイサクの異母兄弟である十九歳のイシマエルが,乳離れしたばかりのイサクを無礼にも愚ろうした時のことです。ねたみを示すそのような行為は,神から与えられたアブラハムの相続者イサクの命を脅かすものとなる恐れがありました。―創世 16:11,12

9 時の計算によれば,アブラハムの「胤」が自分たちのものでない土地でこのようにして苦しみ始めたのは,アブラハムが百五歳,イサクが五歳の時で,それは西暦前1913年のことでした。(創世 21:1-9。ガラテア 4:29)したがって,アブラハムの生来の「胤」が苦しんだ「四百年」の期間は西暦前1513年に終わることになりました。それはアブラハムの胤が圧制的な国民の住む土地を去り,自分たちの父祖の土地つまり約束の地に戻り始める年となりました。それは神がアブラハムの「胤」を,拘束力のあるご自分との契約を結んだ国民として約束の地に導き入れるため,彼らと国家的な契約を設ける予定の時でした。四百年の終わりに当たるその時はまた,アブラハムがユーフラテス川を渡って,アブラハムに対する約束が効力を有するようになって以来の四百三十年の終わりに当たりました。―出エジプト 12:40-42。ガラテア 3:17-19

国家的な契約の成立

10 アブラハムの生来の胤はエジプトでどの程度増大しましたか。しかし,ついにはどんな状態に陥りましたか。

10 アブラハムの孫ヤコブがその家の者とともにカナンの地を去って以来,四百年の終わりに至るまで,ヤコブの子孫つまりイスラエルの十二部族は,(今日のようなアラビア人のエジプトではなく)ハム族のエジプトにいました。エホバ神の予告どおり,アブラハムの生来の「胤」は苦しみに遭い,今やその苦しみは増大し,非常に厳しいものとなりました。そのねらいは,神の友アブラハムの民を絶滅させることにあったのです。にもかかわらず,神の約束どおり,彼らは天の星また海辺の砂粒のように,数え切れないほどに増え,ついには兵役に適した『徒歩の強壮な男子六十万人』を召集できました。(出エジプト 12:37,新)いえ,神はご自分の友アブラハムとの契約を忘れてはおられませんでした。また,発表された時間表を固守されました。それで,神は予定の時に予定の行動に移る用意ができていました。

11 神はだれをイスラエルの指導者として起用されましたか。その人は自分が指導者であることをどのように示そうとしましたか。

11 さて,だれが彼らの見える指導者になりましたか。神は,ヤコブがユダに言い渡した王国の祝福ゆえに,あたかもそうせざるを得ないかのようにユダの部族の頭を選んだりはなさいませんでした。(創世 49:10。歴代上 5:1,2)それどころか,本来選択権を持っておられる,いと高き神は,レビの部族のふさわしい男子,レビの曾孫モーセをお選びになりました。(出エジプト 6:20。民数 26:58,59)四百年が終わる四十年前のこと,モーセはエジプトのファラオの宮廷での生活をやめ,自分のイスラエル人の兄弟たちと運命を共にし,イスラエル人を奴隷状態から導き出す指導者として彼らの前に現われました。「彼は,自分の手によって神が兄弟たちに救いを施そうとしておられることをみなが悟るものと思っていたのですが,彼らはそれを悟りませんでした」。その時は神はまだ,奴隷状態にあった民を解放するためにモーセを遣わしてはおられませんでした。ファラオはモーセを殺そうとしたので,逃亡を余儀なくされたモーセはミデアンの地に逃れ,そこで結婚して,しゅうとのために羊飼いになりました。―出エジプト 2:11から3:1。使徒 7:23-29

12 モーセはいつ,またどこでエホバの「油そそがれた者」となりましたか。どんな使命を与えられましたか。

12 四十年が過ぎて,モーセは八十歳になりました。次いで,モーセがシナイ半島で羊を飼っていたときのこと,現今のスエズ運河の南東320㌔ほどの所にあるホレブ山のふもとで,神の使いが奇跡的にモーセに現われました。そのホレブで,エホバ神はモーセに向かって,いわばご自分の名をはっきり説明して,こう仰せられました。「『わたしは自分が成るところのものと成る』。……これはあなたがイスラエルの子らに言うべき事柄である,『わたしは成るという方が,わたしをあなたがたのところに遣わされました』」。(出エジプト 3:2-14,新)こうして,神はモーセをご自分の預言者また代表者として任命されたので,今やモーセはその父祖アブラハム,イサクそしてヤコブのように,「油そそがれた者」つまり「メシア」と正しく呼ぶことができました。(詩 105:15,新。使徒 7:30-35。ヘブライ 11:23-26)エホバは,ホレブ山でモーセの民をご自身の契約に加わらせることを暗示されました。というのは,彼らをエジプトから連れ出して,その山に導き,そこで神に仕えるよう,エホバはモーセに仰せになったからです。―出エジプト 3:12

13 どのようにしてファラオは,エジプトを去るようイスラエル人に命ずる重大な局面に追いつめられましたか。

13 ファラオはイスラエル人を自由の身にして行かせることを繰り返し拒んだため,エホバは一連の災いをファラオとその民に下しました。十番目の最後の災いは,ファラオのがん強な心とその抵抗を打ち砕くものとなりました。その災いはエジプト人の家族や家畜の初子をことごとく打ち殺しました。イスラエル人の初子は死を免れました。それは,彼らがエホバ神に従って,自分たちの家で初めての過ぎ越しの食事の祝いを行なったからです。裁きを執行するエホバのみ使いは,彼らの家の戸口の両方の柱と上方の横木にはねかけられた血を見て,その家を通り越したので,死は彼らの家族の者には忍び寄りませんでした。ユダの部族のサルモンの父ナハションも,モーセの兄アロンの長子ナダブも生き残りました。しかし,ファラオの長子は死にました。悲嘆に暮れたファラオは,近親を失ったエジプト人にせき立てられ,無傷のイスラエル人に国外へ去るよう命じました。―出エジプト 5:1から12:51

14 その最初の過ぎ越しの日に,幾つかのどんな期間が終わりましたか。その夜に関して神は何をお命じになりましたか。

14 西暦前1513年の波乱に富んだその過ぎ越しの夜,幾つかの際立った期間がいっせいに終わりを告げました。アブラハムの生来の胤が自分たちのものでない土地で苦しみに遭う四百年間が終わりました。族長ヤコブがエジプトに入って以来その国に居住した二百十五年間も終わりました。アブラハムがユーフラテス川を渡って約束の地に住み始めてから数える四百三十年間も終わりました。次のように書かれているのも不思議ではありません。「エジプトに住んでいた,イスラエルの子らの居住期間は,四百三十年であった。そして,四百三十年の終わりにさいし,ちょうどその日に,エホバの全軍はエジプトの地を出ることになった。それは,彼らをエジプトの地から連れ出されたゆえに,エホバに関して守るべき夜である。エホバに関してはこの夜は,イスラエルの子らがみな,代々にわたって守るべき夜である」― 出エジプト 12:40-42,新。

15 神は追跡するエジプト人からどのようにしてイスラエル人を救い出されましたか。次いで,彼らは何を歌いましたか。

15 エホバは策略の一つとして,解放されたご自分の民を,モーセを用いて紅海の奥の西側の入江の岸に導かれました。イスラエル人はわなにかかったのだと考えたファラオとその戦車隊や騎兵は追跡を開始し,彼らの手から逃れた奴隷たちに迫りました。しかし,全能の神は一つの通路を開かせ,夜のうちにイスラエル人を乾いた海底を通らせてシナイ半島の岸に渡らせました。神はエジプト人がその脱出路に突進するままにしたうえで,紅海の水を彼らの上に戻らせ,軍馬もろとも敵を溺死させました。アブラハムの生来の「胤」を虐げたその国民を裁くと言われた神の言葉は,果たされました。(創世 15:13,14)エホバの裁きを目撃した証人たちは,シナイの岸に無事に立って歌いました。「エホバは定めのない時まで,とこしえまでも王として支配される。……エホバに向かって歌え。主はこの上なく高められた。馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた」― 出エジプト 15:1-21,新。

16 神はホレブで,宿営したイスラエルに何を提出されましたか。その目的は何でしたか。

16 イスラエル人はエジプトを去った後,陰暦の第三の月(シワン)にシナイの荒野に入って,「真の神の山」であるホレブのふもとに宿営しましたが,それは特別の日となりました。それこそ,エホバがかつてモーセに,彼らはそこで神に仕えねばならないと仰せになった場所なのです。(出エジプト 3:1,12; 19:1)預言者モーセは今や,神と宿営した民との間の仲介者を務めるよう求められました。今やエホバはご自分と民との間に結ぶ契約を提出し,その契約の目的を示されました。ホレブ山に登ったモーセに向かって神は仰せられました。「これは,あなたがヤコブの家に言い,イスラエルの子らに告げるべきことである。『わたしがあなたがたをわしの翼に載せ,わたしのもとに連れて来るために,わたしがエジプト人に行なったことを,あなたがたは自ら見て来た。今,もしあなたがたがわたしの声に厳密に従い,わたしの契約をほんとうに守るなら,あなたがたは確かにほかのすべての民の中から取られた,わたしの特別の所有物となる。全地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしにとって祭司の王国,聖なる国民となる』」― 出エジプト 19:3-6,新。

17 救われたイスラエル人にエホバが契約を強制なさったかどうかは,どんな手順からわかりますか。

17 いと高き神はこの契約をイスラエル人に強制なさいませんでした。神は彼らをエジプトから,また紅海から救いましたが,神と契約を結ぶかどうかは彼らに自由に選択させました。エホバの「特別の所有物」,つまりエホバにとって「祭司の王国,聖なる国民」となるのですか。そうです,イスラエル人は当時,そうなることを望んだのです。それで,モーセが神の提出なさった契約について民の代表者たちに話したときのことがこう記されています。「そののち,民はみな,全員一致して答えて言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ないます』」。今やモーセはその民の下した決定をエホバに伝えました。次いでエホバは,同意を得た契約を成立させるよう事を運ばれました。―出エジプト 19:7-9,新。

18 その後,三日目に,神はイスラエルに向かって何を宣言されましたか。

18 その後,三日目にエホバは,そのホレブのシナイ山上でみ使いを通して,十の言葉つまり十戒を,集合したイスラエル人に宣言されました。わたしたちは,出エジプト記 20章2-17節に記されているそれらのおきてを自分で読むことができます。

予告された,より大いなる仲介者

19 (イ)その壮観な光景のゆえに,イスラエル人はモーセに何を要請しましたか。(ロ)それに答えてモーセは何を言いましたか。

19 その出来事は壮観そのものでした!「さて,民はみな,雷やいなずまや角笛の音や,煙る山を見た。民はそれを見ると,震え,遠くに立った。そして彼らはモーセに言い始めた。『あなたがわたしたちに話して,わたしたちに聴かせてください。しかし,神がわたしたちに話して,わたしたちが死ぬことのないようにしてください』」。(出エジプト 20:18,19,新)恐れたイスラエル人のこうした求めに対する神の答えが,申命記 18章14-19節(新)にずっと詳しく述べられています。その箇所でモーセは,神がご自分と民との仲立ちとして彼らに魔術師や占い師をお与えにはならなかったことをイスラエル人に告げた後,次のように続けています。

「しかし,あなたについては,あなたの神エホバはそのようなものを決してあなたにお与えにはならなかった。あなたの神エホバは,あなた自身のうちから,あなたの兄弟たちのなかから,わたしのようなひとりの預言者を,あなたのために起こされる。あなたがたは,彼に聞き従うべきである。これはあなたが,ホレブでその集まりの日に,あなたの神エホバに願った事柄すべてによるものであって,あなたは,『わたしの神エホバの声を二度とわたしに聞かせないでください。また,この大きな火をもはやわたしに見させないでください。わたしが死なないためです』と言った。そこでエホバはわたしに言われた,『彼らがそう言ったのはよいことだ。わたしは,彼らの兄弟たちのうちから,彼らのために,あなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしはほんとうに彼の口にわたしのことばを置こう。彼は確かに,わたしが命じることをみな,彼らに語る。わたしの名によって彼が話すわたしのことばに聞き従わない人がいれば,必ずわたしは自らその者に釈明を求めることになる』」。

20,21 (イ)イスラエルにとって,モーセのような別の預言者が出ることを信ずるのは容易でしたか。(ロ)この将来の預言者はどんな点で,またどの程度モーセに似ることになっていましたか。

20 神があたかも「面と向かって」話し合われたモーセのような預言者ですか。神の仰せられたことをモーセが自らイスラエル人に語ったとき,彼らにとってそのような考えは受け入れ難いことだったかもしれません。しかし,それこそ全能の神がご自分の民のために起こすと言われた預言者なのです。『モーセのような』というのは,単にモーセと同等のという意味ではありません。約束の預言者はモーセのようであって,なおかつモーセよりももっと大いなる人物であり得るのです。

21 モーセの後のイスラエル人の預言者からマラキに至るまでは,モーセのような預言者も,またモーセよりも大いなる預言者もいませんでした。(申命 34:1-12)しかし,約束の油そそがれた者,つまり神の天的な「女」の「胤」となるメシアについてはどうですか。(創世 3:15,新)神がシナイ山でモーセのような将来の預言者についてモーセに話したとき,明らかに神はこの方について話しておられたのです。メシアなるこの「胤」は,モーセのように神と人間との仲介者となりますが,モーセよりももっと大いなる方となるのです。確かに,生ける唯一真の神の崇拝者たちは今や,昔のイスラエルのためにモーセによってなされた以上のことをしてもらう必要があります。それで,モーセは,到来することになっていた,エホバのより大いなる預言者を予示したのです。

22 到来する,モーセのような預言者は,神を崇拝するさいの像の使用を非とするものと考えられます。どうしてですか。

22 その時,エホバ神はまた,モーセにこう仰せられました。「これはあなたがイスラエルの子らに言うべき事柄である。『わたしが天からあなたがたと話したのを,あなたがた自身が見た。あなたがたはわたしと並べて,銀の神々を作ってはならない。また,あなたがた自身のために金の神々も作ってはならない』」。(出エジプト 20:22,23,新)これがほかならぬ天から話された神を崇拝するのに,人間の作った,命のない,口のきけない像を用いることを戒めた命令であることは否定すべくもありません。それは,出エジプト記 20章4-6節に述べられている十戒の第二条で神が仰せられたことを大いに強調しています。モーセのようなメシアなる預言者は,宗教上の像のそうした使用を非とするものと考えられます。

23 イスラエルとのその契約は一般にはなぜ律法契約と呼ばれていますか。

23 ご自分の仲介者モーセを通して契約を成立させる前に,神は十戒に加えて他の律法をもモーセにお与えになりました。それは出エジプト記 21章から23章に列挙されました。それは巻き物もしくは「書」に記載されたので,契約が正式に成立する運びになったとき,その書は手許にありました。神の選民の守るべき神聖な律法が与えられたという点でこの契約は特に際立っていたので,それは律法の契約でしたから,一般には律法契約と呼ばれています。その法典,つまり集大成されたその法律は,聖書では「律法」と呼ばれています。

24 アブラハムに対する契約が結ばれた後どれほど経ってから律法契約が作られましたか。アブラハムに対する約束は依然有効ですか。

24 イスラエルと結ばれたこの契約の律法は,彼らがエジプトで過ぎ越しの夜を過ごした後,わずか五十あるいは五十一日ほど経って,十戒の形で紹介されたので,律法は「[西暦前1943年にアブラハムに対する契約が結ばれてから]四百三十年後に存在するようになった」と正しく言うことができました。そのような長い時間的隔りがあったからといって,イスラエルに与えられた律法は,アブラハムに対する契約を無効にして,「約束を廃棄する」ものとはなりませんでした。(ガラテア 3:17)地の国々の民やもろもろの族すべてをアブラハムの「胤」によって祝福するとの神の約束は依然有効であり,潰えることはありません!

25 律法契約はだれを拘束するものとなりましたか。何がそれに注ぎかけられることによってそうなりましたか。

25 イスラエルと結ばれた律法契約は,犠牲に供された動物の血を注ぎかけることによって有効にされ,契約当事者双方を正式に拘束するものとなったことをぜひ銘記してください。出エジプト記 24章6-8節(新)の記録はこう述べています。「次いで,[仲介者である]モーセはその血の半分を取って,それを鉢に入れ,またその血の半分を祭壇にふりかけた。最後に彼は契約の書を取り,それを民に読んで聞かせた。すると,彼らは言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ない,従順に従います』。そこで,モーセはその血を取って,それを民にふりかけて言った。『さあ,これらすべてのことばに関して,エホバがあなたがたと結ばれた契約の血です』」。―また,出エジプト 24:3に注目してください。

26 神の祭壇に血が注ぎかけられたことによって何が表わされましたか。また,民に血がふりかけられたことによって何が表わされましたか。

26 モーセがシナイ山麓に建てた祭壇は,エホバ神を代表するものであって,その祭壇の上でエホバに対して犠牲がささげられました。したがって,犠牲の動物の血の半分が祭壇に注ぎかけられることによって,エホバ神は代表的な仕方で契約に入れられ,契約の一方の当事者としてその契約により拘束されることになりました。他方,犠牲の動物の血のあとの半分が民にふりかけられることによって,彼らもまた,もう一方の当事者として契約に入れられ,自分たちに適用される条件を守るよう,その契約によって正式に拘束されることになったのです。こうして,その血によって当事者双方,つまり神とイスラエル国民は一つの契約で結ばれました。

27 イスラエル人は何も知らずに,あるいは強制されて契約に加入したのではありません。律法契約の成立に関するどんな事柄がこのことを証明していますか。

27 イスラエル国民は何も知らずに,あるいは圧力を受けたり強制されたりして,この契約に加入したのではありません。血を用いて正式に契約を結ぶ前日,彼らは神の言葉およびそれに関連した決定を知らされ,それらを受け入れました。出エジプト記 24章3節(新)が述べるとおりです。「そこでモーセは来て,エホバのことばと司法上の決定をことごとく民に述べた。すると,民はみな声を一つにして答えて言った。『わたしたちは,エホバが話されたことをみな,喜んで行ないます』」。翌日,民全員の聞いているところでモーセが「契約の書」を読んだ後,彼らは神の律法を受け入れたことを重ねて表明し,その後,犠牲の血が彼らにふりかけられました。神が契約を提出したとき,「今,もしあなたがたがわたしの声に厳密に従い,わたしの契約をほんとうに守るなら……」と語って言明なさった事柄を行なうことは,今やイスラエル国民全員の義務となりました。―出エジプト 19:5,6,新。

28 律法契約の条項を忠実に守るかどうかに関しては,その契約のどちらの当事者が問題でしたか。聖なる者であるためには何が要求されましたか。

28 全能の神はこの双務契約のご自分の義務に忠実であられるものと期待できました。神は変わらない方だからです。(マラキ 3:6)問題はイスラエル人でした。彼らは,自分たちが喜んで行なう旨表明した事柄を忠実に行なうでしょうか。彼らは詩篇 50篇4,5節(新)の次のような言葉の成就としてエホバのもとに集められる忠節な者たちのなかに含まれるでしょうか。「神は,ご自分の民に裁きを執行するため,上なる天と,地とに呼びかけられる。『わたしの忠節な者たちを,犠牲を介してわたしの契約を結んだ者たちを,わたしのもとに集めよ』」。(新; 新英)彼らは個人としてではなく,民族全体として,一国民として,民全員のための一連の犠牲を介して,その律法契約を結んだのです。彼らは「聖なる国民」であることを実証するでしょうか。そうするには,この世から離れていなければなりません。

29,30 (イ)イスラエルは律法契約にはいっただけで「祭司の王国」となりましたか。それとも,祭司のためのどんな取決めがありましたか。(ロ)レビの部族の他の家族の適任の男子は何になりましたか。

29 いと高き神とのこの契約に単に入ったからといって,彼らが直ちに「祭司の王国」になった訳ではありません。彼らは当時,男子成員がみな地上の国々の民すべてのための神の祭司として仕える王国を決して構成してはいませんでした。イザヤ書 61章6節(新)の次のような預言は,まだ彼らに対して成就してはいませんでした。「あなたがたは,エホバの祭司と呼ばれ,わたしたちの神の奉仕者と言われる。あなたがたは,諸国民の資産を食らい,彼らの栄光をもって自らのことを意気揚々と話す」。むしろ,律法契約の条項にしたがって,イスラエルのただ一つの家族の資格ある男子成員だけが,同国民の残りの人々すべてのために仕える祭司となりました。それはレビの部族のモーセの兄アロンの家族で,彼は神の大祭司となり,その息子たちは従属の祭司となりました。それで,彼らはアロンの祭司職の成員となりました。

30 レビの部族の残りの家族の成員すべての中の適任の男子成員は,アロンの祭司職のための奉仕者となり,律法契約のなかで規定された神の家,つまり会見の天幕での宗教上の奉仕を続けるよう祭司たちを助けました。―出エジプト 27:20から28:4。民数 3:1-13

31 アロンの家系の祭司はなぜイスラエルの王を兼任しませんでしたか。

31 このようなわけで,ユダの部族は昔のイスラエルの祭司職とは関係がありませんでした。その部族からは,メシアなる「指導者」,つまり「もろもろの民の従順が(その)ものとなる」「シロ」と呼ばれる者が来ることになっていたからです。(創世 49:10,新。歴代上 5:2)それで,昔のイスラエルでは,王権と祭司職とは分離されていました。アロンとその息子たちは王兼祭司とはならなかったので,メルキゼデクのようではありませんでした。

32 イスラエルは毎年どんな祭りを祝うことになりましたか。

32 律法契約によれば,民はすべて,崇拝用の天幕つまり幕屋で毎年三つの国家的な祭りを祝うことになりました。「あなたのうちの男子はみな,年に三度,無酵母パンの祭り,七週の祭り,仮庵の祭りにさいして,神の選ぶ場所で,あなたの神エホバのみ前に現われるべきである。だれも,むなし手でエホバのみ前に現われるべきではない。各人の手の贈り物は,あなたの神エホバがあなたに与えてくださった祝福に応じたものであるべきである」。(申命 16:16,17,新。出エジプト 34:1,22-24)種を入れないパンの祭りは,イスラエルがエジプトから救い出されたことを記念する例年の過ぎ越しの夕食に関連して行なわれました。七週の祭りは五十日目に,すなわちニサン16日に始まる七週間が終わった後に行なわれ,その五十日目(ペンテコステ)には,収穫された小麦の初穂がエホバにささげられました。仮庵(もしくは幕屋)の祭りはまた,年の変わり目の「取り入れの祭り」とも呼ばれました。これらの例年の祭りには,エホバにささげる犠牲がそれぞれ規定されていました。―レビ 23:4-21,33-43

33 贖罪の日の行事はいつ行なわれましたか。その日の犠牲はなぜ年毎に繰り返しささげられねばなりませんでしたか。

33 仮庵の祭りの祝いが始まる五日前,春の月ニサンあるいはアビブから数えた陰暦第七の月の十日には,例年の「贖罪の日」(ヨム キプル)の行事が行なわれることになりました。それはチスリ10日で,その日には,エホバとの契約関係にあった国民全体の罪のために贖罪が行なわれました。その日はアロンの家系の大祭司が一年にただ一度会見の天幕の至聖所にはいって,書き記されたエホバの律法を収めた聖なる箱の前で,贖罪用の犠牲(雄牛と雄やぎ各一頭)の血をふりかける日でした。(レビ 23:26-32; 16:2-34)もち論,それら人間以下の動物の犠牲の死や,ふりかけられたその血は,そのような動物が従わさせられた人間の罪を実際に取り去り得るものではありませんでした。実際,それら犠牲にされた動物の死や血は人類の罪を取り去るものとはならなかったからこそ,贖罪の日の犠牲は年毎に繰り返しささげられねばならなかったのです。

34 律法契約は,人間の罪を取り去るのに神が何を要求しておられることを示していましたか。イスラエル人はひとりも,要求されているものをささげることはできませんでした。なぜですか。

34 わたしたちはその理由を理解できます。神は律法契約のなかではっきりとこう命ぜられました。「もしも致命的な事故が起きたなら,そのときあなたは魂には魂を与えなければならない。目には目,歯には歯,手には手,足には足,焼金には焼金,傷には傷,殴打には殴打を」。(出エジプト 21:23-25,新。申命 19:21)言いかえれば,同様のもの,つまり価値の等しいもので償うということです。それで,有罪宣告を受けた人の命は,有罪宣告を受けていない人の命で償わねばならなかったのです。詩篇 49篇6-10節(新)に次のように記されているのはそのためです。「自分たちの資力に信頼し,自分たちの富の豊かさを自慢しつづける者たちは,そのひとりとして,決して兄弟をさえ請け出すことができない。彼のための贖いを神に支払うこともできない。人がとこしえに生き長らえて,穴を見ないためには,(彼らの魂を請け出す価はあまりにも高いので,それは定めのない時まで絶えてしまった。)彼は,賢い者たちさえ死(ぬ)のを見(るからである)」。対応する贖いがなければなりませんでしたが,罪に苦しむイスラエル人はひとりも,アダムが喪失した完全な命を償うために,その贖いを供することはできませんでした。

35 アロンの家系の祭司職はどうなりましたか。それで,罪を償う贖いをどこに求めるべきでしょうか。

35 神聖な神の家で単なる動物の犠牲をささげたアロンの家系の祭司職は,19世紀前の西暦70年,エルサレムとその神殿がローマ軍により滅ぼされた時に過ぎ去りました。エホバ神が,「メルキゼデクのさまにしたがって,定めのない時まで祭司」にすると誓われた,メシアなる王を期待する以外どうすることもできません。(詩 110:1-4,新)この方こそ,神の天的な「女」の「胤」,つまり神により任命され,エデンのあの「へび」によって象徴された邪悪な者の頭を砕く力を授けられる胤に違いありません。もしも,この方が全人類のために罪を償う贖いを供えないとすれば,わたしたち人間には何の助けもありませんし,エホバ神の治める義の新秩序で永遠の命をうける見込みもありません。ですから,西暦一世紀に至るまでイスラエルの「贖罪の日」にささげられていた動物の犠牲は,何かを描画的に表わす,つまりメルキゼデクのような祭司で,へびの頭を砕く者となるメシアがささげることになっていた必要な贖いの犠牲を預言的に表わしていたに違いありません。

36 同様に,律法契約のもとで守られていた種々の祭りをどう見なければなりませんか。

36 神の契約によって古代イスラエルに課せられた年毎の祭りも同様でした。それらの祭りは国家的な娯楽や休息のための単なる無意味な行事ではなく,預言的な意義のある祝祭でした。それは喜ばしい行事でしたから,神が人類のために設けておられる将来の喜ばしい備えを表わすものでした。神はご自分の「とこしえの目的」に従ってご予定の時に,それら祭りの喜ばしい意味を明らかにされます。

驚くべき機会に恵まれた国民

37 律法契約はイスラエル人にどんな機会を供するものとなりましたか。

37 とはいえ,イスラエル人は神との契約の律法のごくささいな点をさえ破らずに完全に律法を守ったなら,永遠の命を自ら取得できたでしょうか。律法契約はイスラエル人各人に,そうし得るかどうかを実証する機会を供するものとなりました。レビ記 18章5節(新)で,そのような機会について次のように言及されています。「あなたがたはわたしの規定と司法上の決定を守らねばならない。それを行なうなら,その人はまた,それによって必ず生きる。わたしはエホバである」。それで,もしイスラエル人のだれかが律法を完全に守り,自分自身のわざによって永遠の命を得たとすれば,その人は律法契約の犠牲の益も,またアブラハムに対する約束の祝福をも必要とはしなかったでしょう。(創世 12:3; 22:18)律法をそのように完全に守れたとすれば,その人は自分自身の義と,命を受けるに値する功績を立証できたでしょう。

38,39 (イ)イスラエル人のだれかが律法を完全に守ることによって命を得たかどうかを何が示していますか。(ロ)したがって,神のみ前で祭司としてなされるだれの奉仕が必要ですか。

38 ところが,預言者モーセでさえ死にました。大祭司アロンも死にました。また,律法契約の成立以来,西暦70年にアロンの家系の祭司職がなくなるまで,いえ今日に至るまで,他のイスラエル人もすべて死の道をたどってきました。ローマ人によってエルサレムの神殿が破壊されて以来19世紀たった今日でさえ,正統派のイスラエル人は贖罪の日つまりヨム キプルを祝う儀式を全部行なっています。このこと自体,彼らが罪から清められる必要のあること,つまり律法を完全に守って自分自身の義にかなったわざによって永遠の命を取得できるものではないことを認めていることの表われです。彼らが律法契約のもとでそうし得なかったのであれば,わたしたち不完全な人間の他のだれがそうし得るでしょうか。

39 律法契約によりありのままに明らかにされた事柄からすれば,わたしたちはすべて,完全な働きを営まれる神のみ前に,有罪宣告を受けた者として立っています。(申命 32:4)それは律法契約がイスラエルと結ばれた後,七百年余たってから,預言者イザヤが,「わたしたちの義はみな,汚された衣服のようです」と述べたとおりです。(イザヤ 64:5,ユダヤ人出版協会)わたしたちはすべて,永久に続く祭司となる,メルキゼデクに似た約束の祭司の奉仕を必要としています。

40 神を崇拝することに関して,西暦前1512年ニサン1日にモーセは何を行ないましたか。その時,何が起きましたか。

40 さて,仲介者モーセによってエホバ神とイスラエルの間であの契約が成立した年にさかのぼってみましょう。その陰暦の年が終わり,西暦前1512年の暦年のニサン1日が到来しました。その日,モーセは神の命令に従い,神の崇拝を始める場所として「会見の天幕の幕屋」を立てさせました。次いで,モーセは兄アロンとアロンの息子たちに正式の装束を着けさせ,聖なる油をもって彼らに油をそそぎ,大祭司および従属の祭司として奉仕させました。「こうしてモーセはその仕事を成し終えた。すると,雲が会見の天幕を覆い始め,エホバの栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり,エホバの栄光が幕屋に満ちていたからである」― 出エジプト 40:1-35,新。

41 その顕示は,何の証拠でしたか。祭司職の創設はいつ完了しましたか。

41 エホバが崇拝用のその建造物を受け入れ,ご自分の目的のためにそれを聖別されたことを示す見える証拠がありました。そのニサン(あるいはアビブ)の第一の月の第七日に,アロンの祭司職の創設および権能の授与が完了し,祭司たちは聖なる幕屋で神聖な崇拝の特色をなす事柄すべてを監督することができました。―レビ 8:1から9:24まで。

42 当時,エホバはイスラエルにとって,崇拝されるべきその神であったほかに,目に見える代表者などを必要としないどんな存在でもあられましたか。

42 エホバは,そのイスラエル国民にご自分を崇拝するようお命じになり,またそうする義務を課した神でした。が,単に彼らの神だっただけでなく,彼らが服従し,忠節をつくさねばならない忠節な支配者,彼らの王でもあられました。したがって,エホバの律法とおきてに対する不従順は,不服従と不忠節を意味するものでした。このことを確証するものとして,申命記 33章5節(新)で預言者モーセは,イスラエル国民が律法契約にはいっているゆえに同国民のことをエシュルンつまり「廉潔な者」と言って,こう述べています。「民の頭たちが,イスラエルのすべての部族とともに集まったとき,エシュルンにひとりの王がおられた」。(アメリカ・ユダヤ人出版協会による翻訳)また,名誉勲位受勲者,故J・H・ヘルツ博士訳の同節に関する編者の脚注は,こう述べています。「こうして,神の王国がイスラエルを治め始めたのである」。(「モーセ五書および預言書」,ソンチノ社版,910ページ)エホバは彼らの見えない天的な王であり,イスラエルの中でご自分を代表する,見える地的な人間の王を必要とはなさいませんでした。―創世 36:31

43,44 昔のイスラエルは地上の他のすべての国々の民と比べて,どのように特異なまでに恵まれていましたか。したがって,彼らはエホバをどのように賛美し得ましたか。

43 アブラハム,イサクそしてヤコブ(つまりイスラエル)の子孫で構成され,生ける唯一真の神との契約に入れられたこの国民は,何と恵まれていたのでしょう。彼らはその神を崇拝し,またその神の「祭司の王国,聖なる国民」となる見込みを享受しました。

44 預言者アモスは言いました。「イスラエルの子らよ,あなたがた,つまりわたしがエジプトの地から連れ上った族全体に関してエホバの話した,このことばを聞け。『わたしは,地上のすべての族の中からただあなたがただけを知った』」。(アモス 3:1,2,新)これは詩篇作者がハレルヤ詩篇の一つのなかで次のように言い表わした事柄と実によく類似しています。「主はヤコブにはみことばを,イスラエルには規則と司法上の決定を告げられる。主は,他のどんな国民にもそのようにはなさらなかった。主の司法上の決定について彼らは知ってはいない。あなたがたはヤハを賛美せよ!」(詩 147:19,20,新)恵まれたその国民には確かに,契約を守ってエホバを賛美すべき十分の理由がありました。彼らがそうしたかどうかは,今や始まった律法契約時代とも言うべき期間中に示されることになりました。

[研究用の質問]