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神の言葉を大胆に語り続けなさい

神の言葉を大胆に語り続けなさい

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神の言葉を大胆に語り続けなさい

1 (イ)イエスの弟子たちは西暦33年のペンテコステの時からどんな良いたよりをふれ告げるようになりましたか。しかしユダヤ人の支配者や年長者たちはどんな反応を示しましたか。(ロ)このことに関してわたしたちはどのように自問できるでしょうか。

かつて,4,000年余にわたる人類の歴史の中でも極めて重要な出来事が起きました。神ご自身のみ子,イエス・キリストが全地を治める将来の王として油そそがれたのです。イエスは宗教上の敵の扇動のために処刑されましたが,それにもかかわらずエホバはそのみ子を死人の中からよみがえらされました。そして,永遠の命の見込みを伴う救いがこのみ子を通して可能になりました。しかし,イエスの忠実な弟子たちがこの良いたよりを公にふれ告げたところ,突如激しい迫害が起こりました。最初,使徒たちのうち二人が,次いでその全員が投獄されました。使徒たちはむち打たれ,イエスの名によって語るのをやめるよう命じられました。(使徒 4:1-3,17; 5:17,18,40)使徒たちはどうすべきでしたか。あなたならどうしたでしょうか。引き続き大胆に証しをしたでしょうか。

2 (イ)今日,なお一層驚嘆すべきどんな知らせがふれ告げられる必要がありますか。(ロ)そうする責任はだれにありますか。

2 西暦1914年には,宇宙的な重要性を帯びた,さらに一層驚嘆すべき出来事が起きました。イエス・キリストの手中にある神の王国が実際に天で設立されたのです。次いで,サタンとその悪霊たちが地に投げ落とされました。(啓示 12:1-5,7-12)現在の邪悪な体制の終わりの日は既に始まりました。1914年の出来事を目撃した世代の人々が死に絶えないうちに,神はサタンの事物の全体制を打ち砕かれます。(マタイ 24:34)生き残る人たちの前途にはとこしえの命を受ける見込みがあります。神の最初の目的は成就して,全地は楽園となるでしょう。もしあなたがこの良いたよりを既に喜んで受け入れられたのでしたら,あなたにはこれを他の人と共にする責任があります。(マタイ 24:14)しかし,どんな反応を期待することができますか。

3 (イ)人々は王国の音信にどのように反応しますか。(ロ)それで,わたしたちはどんな質問に直面しなければなりませんか。

3 中には,王国をふれ告げる人としてのあなたを温かく迎え入れる人々がいるかもしれませんが,大多数の人は実際,無関心でしょう。(マタイ 24:37-39)ほかには,あなたを嘲笑したり,あるいは激しく反対したりする人もいることでしょう。イエスはあなたご自身の親族の中から何らかの反対が生じるかもしれないことを警告されました。(ルカ 21:16-19)また,職場や学校で反対に遭うかもしれません。エホバの証人は地上の多くの場所で政府から不当な禁令を課せられてさえいます。このような状況のどれかに,あるいはそのすべてに直面しても,あなたは神の言葉を大胆に語り続けますか。

4 個人的な決意は,自分が神に忠実に奉仕し続けることができるという保証を与えるものとなりますか。

4 確かにあなたは神の勇敢な僕でありたいと願っておられることでしょう。しかし中には,何ものにも退却させられるようなことはないと思っていたのに,王国をふれ告げる人々の隊伍から脱落した人たちがいます。それとは対照的に,どちらかといえば生まれつき内気な人たちを含め,他の人々はたゆむことなく引き続き熱心な神の僕としてとどまっています。どうすれば,「信仰のうちにしっかり」立つ人であることを示せるでしょうか。―コリント第一 16:13

自分自身の力に頼らない

5 (イ)自分自身が忠実な神の僕であることを証明するための基本的な要求とは何ですか。(ロ)集会はなぜそれほど重要ですか。

5 もちろん,忠実な神の僕であることに関係している要素は数多くあります。しかし,それらの要素すべての基本をなすものは,エホバとその備えに頼ることです。そのように頼っていることをどのように示せますか。一つには会衆の集会に出席することによって示せます。聖書はそれらの集会をなおざりにしないようわたしたちに勧めています。(ヘブライ 10:23-25)一般の人々の無関心さであれ迫害であれ,そのいずれをもものともせずにエホバの忠実な証人であり続けてきた人たちは,仲間の崇拝者たちと共に集会に定期的に出席するよう努力してきました。その集会に出席すると,聖書に関するわたしたちの知識は増し加わりますが,わたしたちが引き付けられるのは単に新しい事柄に魅惑されるからではありません。(使徒 17:21と比べてください。)よく知っている真理に関するわたしたちの認識は高まり,その真理の用い方に関するわたしたちの意識は鋭敏なものにされます。イエスがわたしたちのために示された模範は,わたしたちの思いと心に深く印象づけられるようになります。(エフェソス 4:20-24)わたしたちは一致した崇拝において仲間のクリスチャンの兄弟たちに引き寄せられ,神のご意志を行ない続けるよう個人的に強められます。エホバの霊は会衆を通して導きを与え,その霊により,イエスはその名によって集まるわたしたちの中にいてくださるのです。―啓示 3:6。マタイ 18:20

6 エホバの証人の業が禁止される場合,集会に関してはどんなことが行なわれますか。

6 あなたはすべての集会に定期的に出席し,討議される事柄を聞いて学んだことをご自分に適用しておられますか。時には,禁令を課されたため,少人数のグループで個人の家で集会を開かなければならないこともありました。場所や時間はそれぞれ変わり,必ずしも便利な取り決めを設けることができず,ある集会は夜遅く行なわれる場合もあります。しかし,個人的な不便さや危険が伴うにもかかわらず,忠実な兄弟や姉妹たちは各々の集会に出席するよう真剣な努力を払います。

7 (イ)ほかに,わたしたちはどのようにしてエホバに頼っていることをはっきりと示せますか。(ロ)そうすれば,わたしたちは大胆に語り続けられるようどのように助けられますか。

7 また,祈りをささげ,それも単に決まりきった形式的なものではなく,神の助けを必要としていることを心から認めて祈り,定期的にエホバに助けを求めることによって,エホバに頼っていることを示せます。あなたはそうしておられますか。イエスは地上で奉仕の務めに携わっておられた間繰り返し祈られました。(ルカ 3:21; 6:12,13; 9:18,28; 11:1; 22:39-44)そして,杭に付けられる前夜,イエスは弟子たちに,「あなた方は,ずっと見張っていていつも祈り,誘惑に陥らないようにしなさい」と勧められました。(マルコ 14:38)もし王国の音信に無関心な人々にばかり会うと,奉仕の務めを行なう努力を緩める誘惑に遭う恐れがあります。人々から嘲笑されたり,あるいはそれよりももっと厳しい迫害に遭ったりすると,そのような事態を回避するために語るのをやめようと思う場合があるかもしれません。しかし,大胆に語り続けられるよう神の霊の助けを真剣に祈り求めるなら,わたしたちはそのような誘惑に屈しないよう守っていただくことができます。―ルカ 11:13。エフェソス 6:18-20

大胆な証言の記録

8 (イ)使徒たちの活動の書の記録はなぜわたしたちにとって特に興味深いものがありますか。(ロ)その情報がわたしたちにどのように益をもたらすかを強調しながら,この節の終わりに用意されている質問に答えてください。

8 使徒たちの活動の書に収められている記録はわたしたちすべてにとって特に興味深いものがあります。その記録は,わたしたちと同様の感情を持つ人々であった使徒たちや他の初期の弟子たちがどのように障害を克服し,エホバの大胆で忠実な証人であることを証明したかを示しています。下記の質問や参照聖句を助けにして,その記録の一部を調べてみましょう。そうする際,自分の読む事柄から個人的にどのように益が得られるかを考慮してください。

使徒たちは高等教育を受けた人々でしたか。何が起きようとも生まれつき恐れを知らない人たちでしたか。(使徒 4:13。ヨハネ 18:17,25-27; 20:19

ほんの数週間前に神のみ子に有罪の判決を下したユダヤ人の法廷の前でペテロはどうして大胆に語ることができましたか。(使徒 4:8。マタイ 10:19,20

使徒たちはサンヘドリンの前へ引き出されるまでの何週間かのあいだ何を行なっていましたか。(使徒 1:14; 2:1,42

ペテロとヨハネはイエスの名によって宣べ伝えることをやめるよう支配者たちから命じられた時,何と返答しましたか。(使徒 4:19,20

彼らは釈放された後,再びだれに助けを求めましたか。迫害を終わらせていただきたいとお願いしましたか。それとも何を願い求めましたか。(使徒 4:24-31

反対者たちが宣べ伝える業をやめさせようとした時,エホバは何によって援助をお与えになりましたか。(使徒 5:17-20,33-40

使徒たちは身柄を引き渡された理由を理解していたことをどのように示しましたか。(使徒 5:21,41,42

迫害が激しくなったために,弟子たちの多くが散らされた時でさえ,彼らは何を行ない続けましたか。(使徒 8:3,4; 11:19-21

9 (イ)それら初期の弟子たちは奉仕の務めに携わって,感動的などんな成果を得ましたか。(ロ)わたしたちもその務めにどのように関係してきましたか。

9 良いたよりに関連してなされた彼らの業はむなしいものではありませんでした。西暦33年のペンテコステには約3,000人の弟子たちがバプテスマを受けました。「主を信じる者が,男も女も大ぜい加えられていった」と記されています。(使徒 2:41; 4:4; 5:14)やがて,最も激しく迫害をした者の一人でさえあったタルソスのサウロがクリスチャンになり,自ら真理について大胆に証しをするようになったことが伝えられました。彼は使徒パウロとして知られるようになりました。(ガラテア 1:22-24)1世紀に始まったその業は終わってはいません。それはこの「終わりの日」に勢いを増して,地のあらゆる場所に及んできました。わたしたちにはその業にあずかる特権があります。また,その特権にあずかる時,わたしたちはわたしたちよりも前に奉仕した忠節な証人たちの示した模範から学ぶことができます。

10 (イ)パウロはどんな機会を活用して証しを行ないましたか。(ロ)あなたはどのようにして王国の音信を他の人々に広めておられますか。

10 パウロはイエス・キリストに関する真理を学んだ時,ぐずぐずしてはいませんでした。「すぐに……イエスのことを,すなわちこの方こそ神の子であると宣べ伝えはじめた」のです。(使徒 9:20)パウロは自分に示された神の過分のご親切を高く評価し,自分の受けた良いたよりをすべての人が必要としていることを認識しました。彼はユダヤ人だったので,証言を行なうため,当時の習慣にしたがって,ユダヤ人の公に集まる場所であった会堂に行きました。パウロはまた,家から家に行って宣べ伝え,市の立つ広場でも人々と論じ合いました。また,良いたよりを広めるために,喜んで新しい区域に移って行きました。―使徒 17:17; 20:20。ローマ 15:23,24

11 (イ)パウロは大胆であると共に,証しをする方法の点で洞察力をも働かせたことをどのように示しましたか。(ロ)わたしたちは親族や職場の同僚や学校の友達に証言をする際,その特質をどのように反映できるでしょうか。

11 わたしたちも同様であるべきですが,パウロは大胆であると共にまた,洞察力を働かせました。ユダヤ人に対しては,その父祖に対して神がなさった約束に基づいて訴えました。ギリシャ人に対しては,彼らの知っている事柄に基づいて語りました。時には,真理を学んだ時の自分自身の経験を,証言をするための手段として用いました。「わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを他の人々と分かち合う者となるためです」と説明しているとおりです。―コリント第一 9:20-23。使徒 22:3-21

12 (イ)パウロは大胆でしたが,無理に反対者と絶えず対決することを避けるため何をしましたか。(ロ)わたしたちもどんな場合に思慮深くその模範に見倣えますか。どのように見倣えますか。(ハ)大胆に語り続けるための力はどこから来ますか。

12 良いたよりに対する反対のために,どこかほかの場所で宣べ伝えたり,あるいは一時別の区域に移ったりするのが最善と思われた時,パウロは無理に真理の敵と対決せずにそうしました。(使徒 14:5-7; 18:5-7。ローマ 12:18)しかし,彼は決して良いたよりを恥とはしませんでした。(ローマ 1:16)パウロは無礼で狂暴でさえあった反対者たちからの仕打ちを不快に感じましたが,引き続き宣べ伝えるため「わたしたちの神によって大胆さを奮い起こし」ました。種々の困難に遭遇したにもかかわらず,「主はわたしの近くに立って,わたしに力を注ぎ込んでくださいました。それは,わたしを通して,宣べ伝える業が十分に遂行され(る)……ためでした」と述べました。(テサロニケ第一 2:2。テモテ第二 4:17)クリスチャン会衆の頭であられる主イエスは,現代のために予告なさった業を行なうのに必要な力を引き続き備えてくださいます。―マルコ 13:10

13 何がクリスチャンとしての大胆さを示す証拠となりますか。何がそのような大胆さの基礎となりますか。

13 わたしたちには,イエス・キリストや1世紀の神の他の忠実な僕たちが行なったとおりに神の言葉を大胆に語り告げるべき十分の理由があります。これはわたしたちが厳しい,あるいはけんか腰の態度を取ってもよいという意味ではありません。無分別であったり,望まない人々に音信を強制したりする必要はありません。しかし,人々が無関心だからといってわたしたちはあきらめませんし,また反対のために恐れて沈黙するようなこともしません。わたしたちはイエスのように,全地を治める正当な政府としての神の王国を指し示します。わたしたちは宇宙の主権者であられるエホバを代表しているゆえに確信を抱いて語ります。わたしたちのふれ告げる音信はわたしたちからではなく,エホバからのものなのです。―フィリピ 1:27,28。テサロニケ第一 2:13

復習のための討議

● 王国の音信をできる限りあらゆる人と分かち合うのはなぜ重要なことですか。しかし,どんな反応を期待すべきですか。

● わたしたちはどうすれば自分自身の力に頼ってエホバに仕えようとしているのではないことを示せますか。

● 使徒たちの活動の書からどんな貴重な教訓を学べますか。

[研究用の質問]