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あなたはだれの法を第一にしますか

あなたはだれの法を第一にしますか

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あなたはだれの法を第一にしますか

自然の法則,もしくは創造物に見られる法則,道徳と行動に関する神から与えられたおきて,世俗の法律など,法はわたしたちの生活と切り離せないものです。その多くは受け入れやすいものであり,わたしたちの益となります。しかし,人を不当に束縛するように見える法律の場合はどうでしょうか。あるいは自分に関係する二つの法律が相いれない場合はどうでしょうか。

2 自然の法則は個人的な事柄と関係がないように見えるので,それを受け入れにくく感じる人はいません。高い絶壁の縁まで来ても,引力の法則を無視して足を踏み出す人がいるでしょうか。引力の法則はわたしたちの益となります。この法則があるからこそ足はいつも地面に着いていますし,食物も皿から逃げ出しません。このほかにも自然の法則として遺伝の法則があります。それはどんな子供が生まれるかに影響します。遺伝の法則を意識し,近親結婚を避けるなら,ある種の欠陥を子供に伝える危険を免れられます。(レビ 18:6-17と比較してください。)しかし,行動や道徳に関する法律についてはどうでしょうか。

3 制定されている法律を腹立たしく思うようになる人は少なくありません。それは,一つには,不必要な法律を作ったり,法律によって人々を抑圧したりする傾向が人間にあるからです。(マタイ 15:2; 23:4)しかし,法律は一切悪であるとしたり,法律を無視することを習慣にしたりすることには危険があります。

4 人類が死ぬようになった原因は,法に対する反抗でした。神はアダムとエバに,善悪の知識の木の実を食べることを禁じられました。しかしサタンは,神のおきては人を不当に束縛するものだと言わんばかりのことをエバに語りました。(創世 3:1-6)サタンがエバに訴えた点は,『規則などいらない。自分で自分の規準をつくればよい』ということでした。法律に反抗するその精神は歴史を通じて,今日に至るまで,人々の間に広く見られます。

5 エホバは,不必要に物事を禁じたり,煩わしいおきてを課したりして人々を抑圧することはされません。『エホバの霊のある所には自由がある』からです。(コリント第二 3:17。ヤコブ 1:25)とはいえエホバは,サタンが人々に信じさせようとしていることとは反対に,宇宙の最高支配者です。エホバは命の与え主また養い手である上に,宇宙の創造者でもあられます。(使徒 4:24; 14:15-17)ですからエホバはわたしたちを指導し,わたしたちの行動に関するおきてを設ける権利をお持ちです。

6 最高権威としての神に,人間がしてよいことと,して悪いこととを定める権利があることを多くの人は認めます。つまり,神が禁じておられるある事柄をどうしてもしたいと思うようになるまでは,そう考えます。言うまでもなく,それは危険なことです。神のご命令がわたしたちの益のためにあることを示す証拠は十分あります。例えば,泥酔や激怒,強欲などを避けることは,健康の増進に,また一層深い満足を得るのに役立ちます。(詩 119:1-9,105)また,神のおきては,神の是認と救いを得る助けとなります。(箴 21:30,31)ですから,たとえエホバのご命令の背後にある理由が理解できない場合が時にあっても,高ぶった気ままな考えからか,それに従おうとしないのは愚かなことです。

7 クリスチャンに対する神のご命令の一つの例として,初期クリスチャン会衆の統治体を形成していた使徒たちとエルサレムの長老たちの会議の結果出された次のような布告があります。

「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事がらのほかは,あなたがたにそのうえなんの重荷も加えないことがよいと認めたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行から身を避けていることです」― 使徒 15:22-29

8 「淫行」に関する神のおきてに従うことには健全な理由があります。このおきてに従えば,病気から守られ,私生児を産むこともなく,結婚生活に破綻をきたすこともありません。そのおきてによると,同性愛その他のみだらな性的不道徳を行なってはなりません。なぜならそれらは使徒 15章29節で使われているギリシャ語のポルネイア(淫行)の中に入るからです。(ローマ 1:24-27,32)しかし,「淫行」に伴う危険が避けられるとしたらどうでしょうか。それでもわたしたちは,神が自分たちの最高の支配者であられるゆえに神のご命令に従うでしょうか。もし従うなら,サタンが偽り者であること,そして人間はエホバを愛するがゆえにエホバに従うのだということを証明する点で協力することになります。―ヨブ 2:3-5; 27:5。詩 26:1,11

9 使徒 15章22-29節に述べられているその布告は,わたしたちが従順を示せる別の分野を示しています。『血を避けなさい』,絞め殺されて血の抜かれていない動物の肉を避けなさいと命じておられるのは神です。神はわたしたちの先祖であるノアに,人間は動物の肉を食べてもよいが,動物の血で命を支えてはならないと言われました。(創世 9:3-6)神は,イスラエルにも同様の律法を与えて,「肉の魂[すなわち命]は血にある」とおっしゃいました。イスラエル人に許された血の唯一の用途は,罪を贖うために祭壇に注ぐことでした。そうでなければ,動物の血は注ぎ出されて象徴的に神に返されるべきでした。その律法を守るかどうかは生死にかかわる事柄でした。―レビ 17:10-14,新。

10 それらの犠牲はイエスが人類のために血をそそぎ出すことを表わしていました。(エフェソス 1:7。啓示 1:5。ヘブライ 9:12,23-28)キリストが天にもどられた後でさえ,神はクリスチャンたちに『血を避ける』ことをお命じになりました。しかし,クリスチャンと称する人で,この点に関し,律法制定者であり生命授与者である神に従っている人がどれ程いるでしょうか。土地によっては,血の抜かれていない肉や血の入ったソーセージ,あるいはわざわざ血を混ぜた食品などを食べるのが普通になっています。

11 同様に,命を長らえさせるために輸血をする人が大勢います。健康を害する危険が輸血にあることや,ほとんどどんな外科手術も輸血に代わる方法を用いるなら輸血なしでできる,ということはあまり知られていません。 * しかし,命が危うく見えるなら,神に従うことは間違いでしょうか。非常の場合でも神の律法は無視すべきではありません。―サムエル前 14:31-35

12 言論や崇拝の自由に関する自らの信念や政治理念を命懸けで守った人は少なくありません。そういう人々は,どんな危険をも顧みずに支配者または司令官に従いました。宇宙の主権者に従うことにはそれ以上の強力な理由があるのではないでしょうか。多くの信仰の人が残した忠誠の記録は,『確かにそうです』と答えます。(ダニエル 3:8-18。ヘブライ 11:35-38)その人々は,エホバが命の与え主であられ,必要ならばしかるべき時に復活という手段によって生き返らせ,ご自分に従う者に報いをお与えになるということを知っていました。そのことは,わたしたちも知っておくべき事柄です。(ヘブライ 5:9; 6:10。ヨハネ 11:25)どんな状況の下でも,エホバに従うことは確かに正しいことであり,いつまでも変わることのない最善の道です。―マルコ 8:35

国の法律に従う?

13 わたしたちの日常生活に関係の深い法の中には,この世の政府の設けた法律もたくさんあります。クリスチャンはそのような法律をどうみなし,どう反応すべきでしょうか。使徒パウロは次のように書いています。「政府と官吏に忠実に服し,法律を守るべきことを人々に思い出させなさい」― テトス 3:1,新アメリカ聖書。

14 西暦1世紀当時,ローマ政府は必ずしも公正ではなく,中には,不道徳で不正直な支配者もいました。それでも,パウロは,「すべての魂は上にある権威に服しなさい。神によらない権威は存在しないからです」と言いました。「上にある権威」とは現存するこの世の政府のことです。―ローマ 13:1

15 エホバは,ご自分の支配が地上に完全に復興するまで,国の政府が有用な目的を果たすことを認めておられます。国の政府は社会秩序の維持にある程度寄与し,結婚や誕生の登録を含め数々の仕事をします。(ルカ 2:1-5と比較してください。)したがってクリスチャンは普通,「敬神の専念を全うし,まじめさを保ちつつ,平穏で静かな生活をしてゆく」ことができます。―テモテ第一 2:2

16 クリスチャンは,神の王国が戦争,不正,圧制の問題を解決する時を待つ間,国の政府の『権威に敵対』すべきではありません。税金を正直に納め,法律を守り,支配者に敬意を示すべきです。真のクリスチャンはそのようにして,しばしば,役人からほめられたり,援助を受けたりします。法律違反者のように「剣」で罰せられることはまずありません。―ローマ 13:2-7

相対的に服する

17 法と法とが相反する場合があります。神が禁じておられる事柄を行なうよう国の政府が要求することや神がクリスチャンに行なうよう命じておられる事柄を国の法律が禁じることがあります。そういう場合どうしたらよいでしょうか。

18 復活したイエス・キリストについての使徒たちの伝道を支配者が禁じたとき,そのような衝突が起きました。使徒 4章1-23節と5章12-42節の,信仰を鼓舞する記録をお読みください。使徒たちは,投獄されむち打たれましたが,伝道をやめようとはしませんでした。ペテロは,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と言いました。―使徒 5:29

19 それで,政府の権威へのクリスチャンの服従は相対的です。クリスチャンの第一の義務は最高権威への服従です。そのために罰せられても,自分の行なっている事柄は神に是認されているという自覚があるので,慰められます。―ペテロ第一 2:20-23

20 初期のクリスチャンは,さらに別の面でも決定に直面しました。これには神のご命令と,ローマ政府が期待していたこととが関係していました。それは,ローマの軍隊を支持するかどうか,もしくは軍隊に入るかどうかの問題でした。神はご自分の民にこう語っておられました。「彼らは自分の剣を鋤の刃に,槍を刈り込みばさみに打ち変えることになる。国民は国民に向かって剣を揚げることなく,戦争を学ぶことももはやない」。(イザヤ 2:4,新。マタイ 26:52)したがって,ローマ政府が当時クリスチャンに軍隊に入ることや戦争努力を支持することを要求していたなら,カエサルの法と神の法とは衝突したことでしょう。

21 初期クリスチャンたちは,神格化されていたローマのカエサルに香をたくよう要求されたときも,神の法を第一にしました。香をたくことは一般に愛国的な行為と考えられていたかもしれませんが,クリスチャンはそれを一種の偶像崇拝とみなしたことを歴史は示しています。自分がエホバに献身していることを自覚していたので,だれに対しても,どんな物に対しても偶像崇拝的な行為をしませんでした。(マタイ 22:21。ヨハネ第一 5:21)政治に関しては,支配者に対し偶像崇拝的な賛美の言葉を叫ばず,イエスから励まされていた通り,『世のものとならない』よう,中立の立場を守りました。―ヨハネ 15:19。使徒 12:21-23

22 あなたは,法の問題に関して神のお考えや導きを受け入れるでしょうか。そうであれば,行ないや道徳に関する神のおきてを無視した人が味わう多くの悲しみを避けられますし,現在権威を持つその筋から不必要に罰せられることもありません。しかし,この問題に関して神は特に,ご自分が最高支配者であることが認められることを望んでおられます。どんな状況下でも神を最高支配者と認めるなら,あなたは神の王国の法が間もなく全地に行き渡るとき,その状態に溶け込めるでしょう。―ダニエル 7:27

[脚注]

^ 11節 この問題の宗教的・倫理的・医学的な面については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「エホバの証人と血の問題」という小冊子に説明されています。

[研究用の質問]

法をどのように見ているか考えなければならないのはなぜですか。(1-4)

神のおきてがどういうものかを認めるためには何が必要ですか。(5,6)

「淫行」を禁じる神のおきてに従わなければならないどんな理由がありますか。(7,8)

血に関する神のおきてにどのように従うことができますか。(9-11)

命が危険になっても神に従うべきであるのはなぜですか。(12)

クリスチャンはこの世の政府をどのようにみなすべきですか。それはなぜですか。(マタイ 22:19-21)(13-16)

神のおきてとこの世の法律とが相反する場合,どうするのが正しいことですか。例を挙げて説明してください。(17-21)

現在わたしたちは何を試されていますか。(22)

[167ページの囲み記事]

「現存する資料を丹念に調べてみると,マルクス・アウレリウス[西暦161年から180年にかけて在位した皇帝]の時代までは,クリスチャンで兵士になった者,またクリスチャンになった後も軍隊にとどまった者は一人もいなかったことが分かる」―「キリスト教の台頭」。

[165ページの図版]

税金で賄われているのは……

危険からの警察の保護

衛生事業

教育制度

郵便制度

水道施設

消防制度