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どんな生き方を望みますか

どんな生き方を望みますか

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どんな生き方を望みますか

『今の時代にどうすれば幸福を見いだせますか』と尋ねられたら,あなたはどう答えるでしょうか。『充実した,幸福で永続的な生活を送るには,神の方法で物事を行なうことです』と確信を込めて答えるかもしれません。

2 これまでの章でわたしたちは,創造者が確かに存在しておられること,創造者は聖書を通してわたしたちすべてが必要としている情報や導きを与えてくださること,そのみ言葉は今日でも実地に役立つことなどを考えました。真のクリスチャンとして生活するなら,ストレスや孤独の問題に対処できます。聖書を導きにすれば,泥酔や不道徳,不正その他のよくない行ないから生じる不快な問題を抱えずにすみます。(箴 4:11-13)金銭に関しても聖書の教えに従った見方をするなら,一層満ち足りた気持ちになり,「真の命をしっかりとらえる」ことができます。―テモテ第一 6:19

3 創造者が言われる事柄に注意を払うなら,わたしたちの生活は意味のあるもの,方向の定まったものとなります。神が悪と苦しみを許しておられる理由をわたしたちは理解します。また,今の時代の出来事の中に,聖書預言の成就を見るので,自分たちが現在の邪悪な事物の体制の「終わりの日」にいることを知ります。(テモテ第二 3:1-5)このことは,神が間もなく,政治的腐敗の歴史と,血税によって維持される軍隊とを持つ人間の王国をすべて取り除かれることを意味します。(ダニエル 2:44。啓示 16:14,16)こうして神は,人間が地球を支配しようとする努力を続行できないようにし,生き残った人類をご自分の天の王国によって導かれます。―啓示 11:17,18; 21:1-4

それはあなたが望んでいることですか

4 『楽園の中で,愛の深い,神を恐れる人々に囲まれて暮らすのは,さぞすばらしいことだろう』と大抵の人は言うでしょう。(イザヤ 11:9)しかしそのためには,義に対する愛や,神の規準に従いたいという願いが,現在の生活全体のパターンをつくるほどに強いものでなければなりません。(マタイ 12:34; 15:19)それはあなたが本当に望んでいることでしょうか。この点に関して,キリストの弟子のヤコブは,霊感の下に次のようにクリスチャンたちに書き送りました。

「あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」― ヤコブ 4:4

5 ヤコブはまた『神から見て清く,汚れのない崇拝の方式』には「自分を世から汚点のない状態に保つこと」が含まれていることを強調しました。(ヤコブ 1:27)わたしたちはそうするよう懸命に努力しなければなりません。クリスチャンは,この世の暴力や腐敗,社会的倫理に反する企てや政治や国家主義の行なわれる中で生活していますから,全く影響を受けないでいることはむろん容易なことではありません。非常に敬虔なクリスチャンでさえ,世のならわしに染まらないように努力しながらも,道を踏み外したり,間違いをしたりすることがあります。ですから,クリスチャンは進歩向上する努力を続ける必要があります。(コロサイ 3:5-10)しかし,問題は,わたしたちが何を望んでいるかということです。

6 これを例えで考えてみましょう。二人の人が食事をしているとします。一人の方はうっかりしてネクタイに肉汁のしみをつけました。もう一人はネクタイを外してそれをわざわざ肉汁に浸します。その人はそうすることを望んだのです。わたしたちはどちらの人のようでしょうか。何かの影響を受けるままになっていたり,何かをすることに決めたりして,世の友となりたい気持ちを示しているでしょうか。それとも神の友となりたい気持ちを示しているでしょうか。

7 世との交友は多くの形で表われます。ある人は家族や近所の人たちに非常な愛着を感じているために,神が非としておられるのを知りながら,非聖書的な祭りや大酒を飲むこと,ひわいな冗談や人種的偏見などについてその人たちとうまを合わせます。それどころか,そうした事柄を一緒に行なうことさえあります。(ペテロ第一 4:3,4。エフェソス 5:3-5。使徒 10:34,35)神に喜ばれることを望むなら,神の是認を得ることの方が親族によく思われることよりも大切でしょう。―ルカ 14:26,27; 11:23

8 同様に,娯楽の選択によっても,世の友となることを望んでいるかどうかが分かります。初期クリスチャンたちは剣闘士の残虐な戦いを見に行ったり,不道徳な事柄を呼び物にする劇を見たりはしませんでした。今日のわたしたちはどうでしょうか。スポーツやテレビ番組,映画や読み物などについて,自分の好みを考えてみなければなりません。神が注意しておられる事柄を好むような状態にあることが分かったなら,自分の好みを変える努力が必要です。クリスチャンの家庭で育った若者や,長い間聖書を研究しているクリスチャンでさえ,この世の魅力に影響されないとは言えません。

9 神の友となるか世の友となるかは生死にかかわる問題です。(ヨハネ第一 2:15-17)両方の友でいることができないのは,道路の分岐点に来た人が,二つの分かれ道を同時に歩いて行くことができないのと同じです。

10 エリヤの時代に,一部のヘブライ人は周囲の国々のバアル崇拝の影響を受けました。それらの人は,真の神エホバとある程度関係を持ってはいましたが,エホバに完全につき従っていませんでした。彼らは「二つの異なった意見の間でのろのろしている」と,エリヤは言いました。彼らはエホバとエホバの道につき従うかどうかを決めなければなりませんでした。それは生死にかかわる選択でした。―列王上 18:21-40,新。申命 30:19,20

11 自分が本当に望んでいるのは何か,それをいつまでも決めないでいることはできません。西暦1世紀に,使徒ペテロはクリスチャンたちに,地上の悪が滅ぼされる『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留める』ことを強く勧めました。彼らが抱いている緊迫感は,キリスト教の音信の熱心な宣明を含む「聖なる行状と敬神の専念」に表われていなければなりませんでした。(ペテロ第二 3:11,12)模範的な結婚生活を送ったクリスチャンもいれば,「気を散らすことなく絶えず主に仕えられる」よう独身を選んだクリスチャンもいました。―コリント第一 7:29-35

12 クリスチャンの望む生き方が1世紀において重要なものになっていたなら,まして現在は,はるかに重要な問題と言わねばなりません。神の王国はすでに天で支配しており,神がキリストによって諸国家を打ち砕きサタン悪魔を縛るまでの『時は短い』ことが分かります。(啓示 12:12; 19:11-20:2)ですから,どんな生き方を望むか,それを決めるべき時は今です。

神が与えてくださる生活

13 わたしたちが今どんな生き方を選ぶかによって,来たるべき新秩序で神が与えてくださる生活を楽しめるかどうかが決まります。

14 まずすぐに考えられるのは,復興される楽園で享受する物質面の祝福の数々です。アダムとエバは,最初の楽園にいたとき,栄養豊かな食物を十分に与えられていました。(創世 2:9,16)ですから,新秩序においても,健康的な良い食物に事欠くことはないでしょう。―詩 72:16; 67:6

15 アダムとエバは健康に恵まれていました。それは神が彼らを完全な者に創造されたからです。このことは,病気による痛みや悲しみの涙が新秩序では過去のものとなるという聖書の言葉を裏書きするものです。(啓示 21:1-4)人類は向上して身体的に次第に完全になるのです。

16 色々な問題に妨げられることも,70年ほどで死んでしまうということももはやないので,知識や経験の様々の分野を探求することができる感激を味わえます。また,自分の才能を最大限に生かすことができますし,自分にあるとは思ってもみなかったような才能を伸ばすことさえできるでしょう。料理,家を建てること,家具作り,室内装飾,庭造り,楽器の演奏,洋服の仕立て,知識の広大な分野を研究することなど,将来行なえる,意欲をそそる有益な事柄を挙げれば際限がありません。エホバはかつて,「わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を最大限に用いるであろう」と言われました。―イザヤ 65:22,新。

17 聖書によると,エデンの園の動物の食べ物は植物でした。(創世 1:30)ですから,動物がもはやどう猛でも危険でもなくなるように神が取り計らってくださることを期待できます。したがって動物はお互いに,また人間とも仲良くなることでしょう。子供もおとなも心ゆくまで動物と遊び戯れることでしょう。―イザヤ 11:6-8; 65:25。ホセア 2:18と比較してください。

18 しかし,聖書は新秩序における物質面の祝福を言い尽くしているわけではありません。創造者であられるエホバは人間の必要を知っておられます。聖書は神についてはっきりとこう述べています。「あなたはみ手を開いて,生きているものすべての願いを満たしておられます」― 詩 145:16,新。

19 聖書は適切にも,復興された楽園における幸福に寄与するものが,物質面の繁栄や祝福ではなく,霊的かつ精神的な事柄であることを強調しています。例えば,わたしたちは次のような状態になるときを楽しみにして待つことができます。

「真の義の働きは必ず平和となり,真の義の奉仕は,定めのない時に至る平穏と安全である。そしてわたしの民は,平和な居どころに,全き確信の持てる住居に,かき乱されることのない憩いの場に必ず住む」― イザヤ 32:17,18,新。

20 たとえ健康に恵まれ,立派な家に住み,食物がふんだんにあっても,争い・緊張・ねたみ・憤りなどに囲まれているなら,真の満足は得られません。(箴 15:17; 21:9)しかし,来たるべき楽園に住むことを神から許される人々は,そうした人間的な弱点を克服しようと良心的に努力してきた人たちです。そういう人々が,愛,平和,親切,自制などを含む神の霊の実を培う世界的なクリスチャン家族を作り上げるのです。(ガラテア 5:19-23)そして,神の特質に一致した人格を身に着けるよう誠実に努力するのです。―エフェソス 4:22-24

エホバを喜ばせ,エホバを賛美するために生きる

21 予告されている物質面や霊的な面の祝福は,新秩序を待ち望む理由を与えてくれます。しかし,それらを第一の理由として神を崇拝し,クリスチャンの生活を送るとすれば,自分が望むことや自分が得ることのできるものをまっ先に考える,現代の自分第一主義の世代とある程度似ていることになります。

22 むしろわたしたちは,がそうすることを望んでおられるので,現在もまた将来も,クリスチャンとして生きたいという強い願いを培うべきです。自分よりも神を第一にすべきです。イエスは,「わたしは参りました,……神よ,あなたのご意志を行なうために」,「わたしの食物とは,わたしを遣わしたかたのご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです」と言って,わたしたちが持つべき見方をお示しになりました。(ヘブライ 10:7。ヨハネ 4:34)わたしたちは,神がしてくださったことに対する感謝の念に動かされて,神を第一にするはずです。―ローマ 5:8

23 適切なことに,聖書はわたしたちが受ける報いや祝福を最重要事として強調していません。むしろ,神のみ名を立証すること,神の属性や神が行なわれた事柄のゆえに神を賛美することの正しさを強調しています。ダビデは次のように書きました。

「王なるわたしの神よ,わたしはあなたをあがめます。あなたのみ名を定めのない時に至るまで,永久にほめたたえます。エホバは偉大であり,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい。あなたの尊厳の栄光に満ちた光輝と,あなたのくすしいみ業に関する事柄を,わたしは深く自分の思いに留めます」― 詩 145:1,3,5,新。

24 生活の中で神を第一にし,神を積極的に賛美することは,イエスにとってもダビデにとってもふさわしいことでした。それはわたしたちにとっても極めてふさわしいことです。そして,これに加えてクリスチャンとしての実際的な生き方をするなら,わたしたちは,現在だけでなく将来も永遠にわたって幸福を見いだしてゆくことができます。

[研究用の質問]

神の方法で物事を行なうことはなぜ幸福を見いだすための最善の方法ですか。(1-3)

世の友となることを望んでいるか,それとも神の友となることを望んでいるかを,なぜ決める必要がありますか。(4-6)

人が世との交友を望んでいることはどんな点に表われることがありますか。(7,8)

自分が本当に何を望んでいるかを決めるのはどれほど重要ですか。(9-12)

神は新秩序でどのような生活を与えてくださいますか。(13-18)

復興される楽園について約束されている最も重要な祝福は何ですか。(19,20)

真の幸福はどうすれば見いだせますか。(21-24)

[189ページの図版]

自分の才能を伸ばし,それを十分に生かす時間がある