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すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々

すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々

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すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々

1 アブラハムになされたどんな約束は,人類の「すべての家族」が神の是認を受けられることを示していますか。

エホバはすべての国や部族の人々に愛ある関心を抱いておられます。そして,地のすべての家族がエホバの是認と祝福を享受できるようにする備えを設けてこられました。エホバはノアの子セムの子孫,アブラム(アブラハム)に対して次のように言われました。「あなたの国を出,あなたの親族と父の家とを離れて,わたしが示す国へ行きなさい。そうすればわたしは,あなたから大いなる国民を作り,あなたを祝福し,あなたの名を大いなるものにする。あなたは祝福となりなさい。そしてわたしはあなたを祝福する者たちを祝福し,あなたの上に災いを呼び求める者をのろう。地上のすべての家族はあなたによって必ず自らを祝福するであろう」。(創世記 12:1-3。使徒 7:2-4)どんな国に生まれようと,あるいはどんな言語を話そうと,それにはかかわりなく,今日のわたしたちはその「地上のすべての家族」に含まれています。―詩編 65:2

2 (イ)アブラハムのように,わたしたちにはどんな特質が必要ですか。(ロ)ヘブライ 11章8-10節に示されているとおり,アブラハムはその特質を持っていたという証拠をどのように示しましたか。

2 ここで約束されている神からの祝福にあずかりたいなら,わたしたちは信仰を持たなければなりませんが,それと全く同様,エホバからこの約束を告げられた人物も信仰の人でした。(ヤコブ 2:23。ヘブライ 11:6)アブラハムの信仰は単なる受け身の信仰ではなく,行動を伴うものでした。彼は信仰に動かされてメソポタミアを出,かつて一度も見たことのない遠い土地に向かいました。「信仰によって,彼は,異国にいるようにして,約束の地に外国人として居留し」,その地のどんな都市王国にも所属しませんでした。「彼は真の土台を持つ都市[神の王国]を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また造り主は神です」― ヘブライ 11:8-10

3 アブラハムはイサクに関して,信仰を試すどんな綿密な試みを受けましたか。

3 アブラハムが100歳に達し,その妻サラが90歳になった時,エホバは息子イサクを与えて奇跡的な仕方で二人を祝福されました。その息子に関連してアブラハムは神に対する信仰と従順を試す綿密な試みを受けることになりました。エホバはアブラハムに,今は若者となったイサクを連れてモリヤの地に行き,そこでその子を焼燔の捧げ物としてささげるよう指示されました。アブラハムは復活によってその息子を生き返らせる神の能力に対する信仰を抱いて,従うことにしました。(ヘブライ 11:17-19)父に柔順だったイサクは,すでに手を縛られて祭壇の上に載せられており,アブラハムはイサクを殺す短刀を手にしていた時,エホバのみ使いが事態に介入しました。その試みはアブラハムが何物をも神から差し控えないことを十分証明するに足りるものとなりました。それゆえに,神はアブラハムとのご自分の契約を確証なさいました。聖書が次のように述べているとおりです。

4 その時,神はすべての国の民に関してさらにどんな重要な約束をなさいましたか。

4 「『わたしは自らにかけてまさに誓う』と,エホバはお告げになる,『あなたがこのことを行ない,あなたの子,あなたのひとり子をさえ与えることを差し控えなかったゆえに,わたしは確かにあなたを祝福し,あなたの胤を確かに殖やして天の星のように,海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである』」― 創世記 22:15-18

5 (イ)アブラハムがイサクをささげようとしたことによって何が予表されていましたか。(ロ)創世記 12章3節の成就として,人々はどのようにして,大いなるアブラハムの上に「災いを呼び求め」ますか。その結果はどうなりますか。(ハ)わたしたちはどうすれば,その方を「祝福する」ことができますか。

5 大いなるアブラハムはエホバで,イサクはイエス・キリストを予表していたことを識別すると,これらの出来事がわたしたちにとって個人的にいかに重要なことかを認識できるようになります。実際,わたしたちの将来を決するものとなるのは,エホバ神に対してわたしたちがどのように行動するかということなのです。アブラハムがイサクをささげようとしたことによって例示されているように,神がわたしたちの罪のための犠牲としてその独り子を実際にお与えになったゆえに,わたしたちはとこしえの命の見込みを持つことができるのです。(ヨハネ 3:16)だれでもエホバの上に「災いを呼び求める」ことをあくまでも続け,エホバを侮ったり,その愛ある目的を軽んじたりする者は,自らの永遠の滅びを意味する呪いを受けることになります。(サムエル第一 3:12-14; 2:12と比べてください。)しかし,もしわたしたちが感謝の気持ちを抱く者であれば,わたしたちは大いなるアブラハムを『祝福する』ようになります。どのようにしてでしょうか。み子を通してもたらされる命という過分の贈り物を含め,すべての善いものがエホバから来ることを進んで認めることによって,そうすることができます。また,エホバの善良さや,その王権の見事な特質について他の人々に語り告げるでしょう。(ヤコブ 1:17。詩編 145:7-13)このようにしてわたしたちは,エホバから永久に祝福を受ける見込みを持てるようになるのです。

約束されたアブラハムの「胤」

6 (イ)アブラハムの主要な「胤」とはだれですか。(ロ)わたしたちはどうすれば,その方によってもたらされる祝福を受けることができますか。

6 エホバは人類を祝福するためのその取り決めの一部として,義にかなった天的な政府を設けることをもくろまれました。イエス・キリストはアブラハムの子孫として,つまりその最も重要な子孫もしくは「胤」としてお生まれになり,エホバはこの方に王権をお授けになりました。(ガラテア 3:16。マタイ 1:1)ですから,神がアブラハムに対して誓われた誓いの言葉が示すように,地上のすべての国の民の中から出て来る人々はイエス・キリストによって祝福されることになるのです。あなたはご自分のために,その祝福を得るために求められている事柄を行なっておられますか。例えば,あなたの人生の歩みは,イエスの命の犠牲があなたにとっていかに重要であるかを正しく認識していることを明らかに示しているでしょうか。あなたは王としてのイエスの権威に本当に服従しているでしょうか。―ヨハネ 3:36。使徒 4:12

7 (イ)「アブラハムの胤」には,ほかにだれが含まれますか。(ロ)神に忠実に奉仕する人がすべて天に行くのでないことは,どうして分かりますか。

7 使徒ヨハネは天的な出来事に関する預言的な意味のある予告編を見せられ,その中で彼は他の人々が天的なシオンの山でイエス・キリストと共に交わっているのを見ました。彼らもまた,「アブラハムの胤」の一部なのです。啓示 14章1節から5節に述べられているとおり,彼らは「人類の中から買い取られた」者で,その数は14万4,000人です。(ガラテア 3:26-29)それにはだれが含まれていますか。聖書は,義に傾く気持ちのある人々をすべて天に連れて行くのが決して神の目的ではなかったことを実に明白に示しています。(マタイ 11:11。使徒 2:34。詩編 37:29)キリストと天の王国を共にするすばらしい特権は,千年の間キリストと共に王および祭司となる「小さな群れ」に限られています。―ルカ 12:32。啓示 5:9,10; 20:6

8 「小さな群れ」を選ぶことはいつから始まりましたか。それはいつまで続きますか。

8 その「小さな群れ」を選ぶことはどのようにして始まりましたか。天的な王国を共にするようにとの慈しみ深い招待は最初,生来のイスラエル人に差し伸べられました。しかし,イスラエル人は信仰に欠けていたため,14万4,000人全員を提供することにはなりませんでした。それで,サマリア人,それから後にすべての国の民からの人々が招かれました。(使徒 1:8)キリストの共同相続者の最初の人たちは西暦33年のペンテコステの時に聖霊で油そそがれました。このグループの人たちを選ぶことは,14万4,000人が神によって是認された者として証印を押される時まで続きます。それから,天的な政府に感謝して従う臣民として地上で生きる人たちを集めることに注意が向けられます。

9 (イ)聖書中のどんな表現がこの天的な級に当てはまりますか。(ロ)生来のイスラエルはだれを予表していましたか。

9 キリストと共に天的な王国の相続者となる人たちは聖書の中では「選ばれた者たち」,「聖なる者たち」,「神〔によって〕……油を注がれた」人たちと呼ばれています。(テモテ第二 2:10。コリント第一 6:1,2。コリント第二 1:21)これらの人々はまた,集合的にキリストの「花嫁」として描写されています。(啓示 21:2,9。エフェソス 5:22-32)また,そのほかの種々の見地から見て,彼らはキリストの「兄弟たち」,「キリストと共同の相続人」および神の「子たち」とも呼ばれています。(ヘブライ 2:10,11。ローマ 8:15-17。エフェソス 1:5)国籍にかかわりなく,霊的に言って,彼らは「神のイスラエル」です。(ガラテア 6:16。ローマ 2:28,29; 9:6-8)エホバは肉のイスラエルとのご自分の律法契約を終了させた時,霊的なイスラエルをご自身との新しい契約にお入れになりました。しかし,律法のもとにあった肉のイスラエルに対するその取り扱い方は,来たるべき事柄の型を示すものとなりました。(ヘブライ 10:1)では,神によりその「特別な所有物」として選ばれた肉のイスラエル国民はだれを予表していましたか。諸事実は,天でキリストと共に支配させるために神が選ばれた霊的なイスラエルを指し示しています。(出エジプト記 19:5,6とペテロ第一 1:3,4および2:9とを比べてください。)彼らはキリストと共になって,人類の中の他の従順な人々すべてに祝福を差し伸べる手だてとなる機関を構成します。この点を認識することは,聖書を理解する一つのかぎとなります。

「胤」によって祝福される人たち

10 エホバの崇拝者であった非イスラエル人はだれを予表していましたか。

10 神は特別な仕方でイスラエル国民を取り扱っておられた期間中,その国民の者ではなくても,心に動かされてイスラエル人と交わって真の崇拝を共にしたいと願う人たちのためにも,愛ある備えを設けられました。それらの人々のことが聖書の記録の中で言及されているのは注目に値します。今日,それらの人々にもまた,対応する人々がいますか。確かにいます。それらの人たちは多くの点で,霊的なイスラエル人ではないものの,神の王国の地的な臣民としてとこしえの命というすばらしい見込みを心に抱く人たちを表わしています。それらの人たちこそ,神がアブラハムに対して,「地のすべての国の民」の中から出て来て,その胤によって自らを祝福するであろうと言われた者たちなのです。―創世記 22:18。申命記 32:43

11 (イ)ソロモンの神殿の献納式の際,このグループのことがどのように言及されましたか。(ロ)イザヤ 56章6,7節で予告されているとおり,今日,「異国の者たち」はどのようにして,「エホバに連なって」いますか。

11 全人類が真の崇拝において結ばれることは,神の常に変わらぬ目的でした。ソロモンによってエルサレムに建てられた神殿の献納式に際し,適切にも王は,イスラエルと一緒に受け入れられる崇拝をささげたいと願う異国の人たちの祈りをエホバが聞き入れてくださるよう祈りました。(歴代第二 6:32,33)また,イザヤ 56章6,7節で神はこう約束なさいました。「エホバに連なって,これに仕え,エホバの名を愛し,その僕になろうとする異国の者たち,……それらの者をわたしはまた,わたしの聖なる山に連れて来て,わたしの祈りの家の中で歓ばせる。……わたしの家はすべての民のための祈りの家とも呼ばれるからである」。現代の「異国の者たち」は,ここで表わされている精神を反映して,単にむとんちゃくな傍観者ではなく,『エホバに連なる』人たちとして,今やすべての国の民の中から集まって来ています。それらの人たちは自らエホバに献身し,その献身を水の浸礼によって象徴し,それから「エホバの名」とそのみ名が表わす事柄すべてに対する自分たちの愛を証明する仕方で奉仕することにより,そのことをしています。―マタイ 28:19,20

12 モーセの律法は,神の王国の地的な臣民となることを望む人々が,霊的なイスラエルに当てはまる高い規準に従わなければならないかどうかを,どのように示していますか。

12 それらの人たちに対しても,霊によって油そそがれたクリスチャンに劣らず,同様の忠実さが求められています。モーセの律法のもとで,エホバは,真の崇拝を奉じた「外人居留者」に対して,イスラエルを拘束していた同じ律法に従うことを要求されました。(民数記 15:15,16)その両者の関係は単なる容認ではなく,純粋の愛の関係であるべきでした。(レビ記 19:34)同様に,外人居留者によって予表されていた人たちは,自分たちの生活をエホバのご要求に全く調和させることに努め,また霊的なイスラエルの残っている者たちとの愛ある一致を保って奉仕するよう努めます。―イザヤ 61:5

13 もし「新しい地」に生き残りたいと思うなら,イザヤ 2章1-4節のどんな詳細な事柄を心に留めるべきですか。

13 エホバは,今日エホバの宇宙的な崇拝に群れをなして集まっている,「すべての国の民」から出て来る,熱心な人々の群れを,ご自分の預言者イザヤを用いて描写されました。こう予告しておられます。「多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」。その結果,彼らは『その剣をすきの刃に打ち変え』て,争いに悩まされているこの世のただ中にあってさえ,『もはや戦いを学んでいません』。(イザヤ 2:1-4)あなたはその幸福な人々の群れの中におられますか。あなたは,エホバのご要求を学び,それを自分の生活に当てはめ,戦いの武器に頼ることをやめたいという願いをそれらの人たちと共にしておられますか。神は,この歩みを追い求める大群衆が生存者として『大患難から出て来て』,平和な「新しい地」に入ることを約束しておられます。―啓示 7:9,10,14。詩編 46:8,9

[研究用の質問]