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人類の将来に関する信頼できる予想

人類の将来に関する信頼できる予想

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人類の将来に関する信頼できる予想

1 聖書の預言はどうしていつも正確であることが分かりますか。

わたしたちには将来に関して聖書が告げる事柄を確信できる確かな理由があります。その預言は物事のすう勢を研究して,それから予言を行なってきた人間の当て推量に基づいてはいません。『聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていません。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです』。(ペテロ第二 1:20,21)こういうわけで,聖書の預言はどんな詳細な点でも正確であることが分かってきました。

2 世界情勢に関する預言の実例を挙げなさい。

2 聖書は名指しで世界帝国,バビロン,メディア・ペルシャおよびギリシャなどの興亡を予告しました。聖書はバビロンがどのようにして没落するのか,またその征服者の名前をもほとんど2世紀前に告げ知らせました。それは詳細にわたって成就しました。聖書はバビロンの都がついには廃虚と化し,二度と再び人が住まなくなることを予告しましたが,その状態は今日に至るまで続いています。(ダニエル 8:3-8,20-22。イザヤ 44:27-45:2; 13:1,17-20)聖書では名を挙げられていない他の諸国家のことも前もってたいへん詳しく描写されていたため,事情に通じている人々はそれらの国家を容易に見分けることができます。

3 予言的な形式で述べられていない預言がありますか。

3 しかし,聖書の預言的な情報はただ1種類だけではないことをよく知っておかなければなりません。このことについては,神の王国のもとで人類が経験する事柄に関する異兆となったイエスの奇跡に関連して,すでに述べました。予言の響きを持つ言葉遣いが用いられてはいないような聖書中の他の部分にも預言的な要素が含まれているのです。

魅惑的な預言的な型

4 わたしたちはモーセの律法の預言的な意義にどのように注意を向けさせられていますか。

4 例えば,聖書の中の一つの書,ヘブライ人への手紙は,何気なく読む人なら単なる歴史とみなすかもしれない事柄の預言的な意義に,わたしたちの目を開かせてくれます。その書は,『[モーセの]律法は来たるべき良い事柄の影を備えている』ことを明らかにしています。―ヘブライ 10:1

5 物件も,より大きな事柄を予表する場合があることを何が例証していますか。

5 時には預言的な型を設けるために物件が用いられました。例えば,エホバの指図でモーセにより建てられた神聖な天幕,つまり幕屋,およびそこで行なわれた奉仕に関して,神による霊感を受けた,ヘブライ人への手紙の筆者は,それが「天にあるものの模型的な表現また影」であったことを説明しています。それは,至聖所が天にある,エホバの大いなる霊的な神殿を表わしていました。こうして,「キリストは,すでに実現した良い事柄の大祭司として来た時,手で造ったのではない,すなわち,この創造界のものではない,より偉大で,より完全な天幕を通り,そうです,やぎや若い雄牛の血ではなく,ご自身の血を携え,ただ一度かぎり聖なる場所に入り,わたしたちのために永遠の救出を得てくださったのです。……キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」。(ヘブライ 8:1-5; 9:1-14,24-28)ここで描写されている霊的な実体からは大きな益がクリスチャンに及ぶので,わたしたちの人生の歩みは,こうした事柄に対する認識の念を反映させるものであるべきです。―ヘブライ 9:14; 10:19-29; 13:11-16

6 (イ)ガラテア 4章21-31節,(ロ)マタイ 17章10-13節では,人物にどんな預言的な意義があるとみなされていますか。

6 聖書の中で言及されている人物もまた,預言的な予型の役を果たしています。ガラテア 4章21節から31節ではその詳細な実例が,アブラハムの妻サラ(「上なるエルサレム」に当たると言われている),はしためハガル(「今日の[地上の]エルサレム」と同一視されている),およびその子供たちの例で説明されています。もう一つの例では,イエスは,バプテストのヨハネが預言者エリヤに対応する人物であることを認識するよう,弟子たちを助けました。そのヨハネはエリヤのように偽善的な宗教的慣行を恐れずに暴露したのです。―マタイ 17:10-13

7 イエス・キリストはどんな点で,(イ)ソロモン,(ロ)メルキゼデクによって,予示されていましたか。

7 知恵と繁栄した平和な治世とで知られたソロモンは,いみじくもイエス・キリストを予示していました。(列王第一 3:28; 4:25。ルカ 11:31。コロサイ 2:3)アブラハムとメルキゼデクの出会いに関する創世記の記述はたいへん短いものですが,詩編 110編1節から4節は,それもやはり意味深いものであることを示唆しています。なぜなら,メシアは「定めのない時に至るまで,メルキゼデクのさまにしたがう祭司」となるはずだったからです。つまり,ご自分が生まれることになっていたその家系のゆえにではなく,神から直接任命されて祭司職を受けることになっていたからです。後に,ヘブライ人への手紙はこの点を詳しく述べ,このような真理に対する認識を,神を喜ばせようと努める人たちの重要な特質であるクリスチャンとしての円熟性と結びつけています。―ヘブライ 5:10-14; 7:1-17

8 (イ)生活の中での経験も預言的な意味を持つものとなることを示す例を挙げなさい。(ロ)そのような経験にはあらゆる面に,成就の点で,必ず相似点がありますか。

8 ここでは人物の職務もしくは地位よりも,預言的な相似点が関係していることは明らかです。また,人の生活の中での経験も含まれています。ある時,ユダヤ人の宗教指導者たちが不信仰な態度を表わしたので,イエスは彼らにこう言われました。「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めますが,預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子もまた地の心に三日三晩いるのです」。(マタイ 12:38-40。ヨナ 1:17; 2:10)しかし,イエスは,ヨナの生活で起きたすべてのことがご自分の経験しようとしていた事柄を予表していたとは言われませんでした。エホバから割り当てを受けた時,イエスはヨナがタルシシュへ逃げようとしたように,逃げ去ったりはなさいませんでした。しかしイエスが示されたように,ヨナが大きな魚の腹の中に入った経験は聖書の記録の中に含められました。なぜなら,それはイエスご自身の死と復活に関する預言的な詳細を示すのに役立ったからです。―マタイ 16:4,21

9 (イ)イエスは二つの歴史上の期間に見られる,どんな預言的な面を指摘されましたか。(ロ)霊感を受けたペテロは,重大な意味のあるどんな詳細な点についてさらに述べましたか。

9 ある歴史上の期間もまた,わたしたちにとって特に興味深い預言的な予想を可能にするものとなります。イエスはご自分が王国の支配権を得て現われる時点に達する時代について話した時,神の裁きが邪悪な人々に執行された,ほかの二つの場合との相似点を比較されました。イエスは「ノアの日」と「ロトの日」のことを,重大な意義を持つものとして語り,特に当時の人々が日常生活の事柄に気を取られていたことを強調されました。そして,わたしたちが早速行動を起こし,ロトの妻がしたように,あとに残した物を欲しそうに後ろを振り向かないようにと勧められました。(ルカ 17:26-32)使徒ペテロが霊感を受けて記した第二の手紙の中では,重大な意味のある詳細な点がさらに指摘されていますが,それは大洪水前にみ使いたちが示した不従順,ノアの行なった宣べ伝える業,ソドムの人々が示した法を侮る放縦な態度のゆえにロトが抱いた苦悩,神がご予定の時に邪悪な者たちを断つことによって,来たるべき事柄の型を設けておられたという事実,および神はご自分の忠実な僕たちを救出することができ,また必ずそうしてくださるという証拠などです。―ペテロ第二 2:4-9

10 エレミヤ書と啓示とを比べて,成就した預言にも,さらに預言的な価値があり得ることを示しなさい。

10 預言は成就してしまえば,あとは単に歴史的な意味で興味深い事柄になるというわけではありません。起ころうとしている事柄に関する事前の通知と,それが成就した仕方とは共に,それよりもはるかに遠い将来の出来事を預言的に示している場合がしばしばあります。このことは古代のバビロンについて記されている事柄についても言えます。それは際立って宗教的色彩の強い帝国で,今日でもなお世界は至る所でその影響を受けています。バビロンは西暦前539年にメディア人とペルシャ人の手に落ちましたが,西暦1世紀の終わりに書き記された啓示の書は,預言者エレミヤの言葉遣いを利用し,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国に関連して,その預言がなお後代に適用されることを指し示しています。このことを示す例として,啓示 18章4節とエレミヤ 51章6,45節,啓示 17章1,15節および16章12節とエレミヤ 51章13節および50章38節,啓示 18章21節とエレミヤ 51章63,64節を比べてください。

11 背教したイスラエルと不忠実になった時のユダに対するエホバの取り扱い方に関する記録には,どんな重大な預言的意義がありますか。それはどうしてですか。

11 同様に,背教した十部族のイスラエル王国や二部族のユダ王国の不信仰な王ならびに祭司たちに対するエホバの取り扱い方にも預言的な意味があります。聖書中に記録されている,それらの古代の王国に適用された預言とその成就は共に,現代のキリスト教世界を神がどのように取り扱われるかを生き生きと描写するものとなっています。同世界もまた,聖書の神に仕えると唱えてはいますが,神の義のおきてを甚だしく破っているのです。

12 わたしたちはどうすれば,このような記述から個人的に益が得られますか。

12 ですから,これらの記述はすべて,今日,重大な意義を持っています。それは,現代の情勢を神がどのように見ておられるか,また来たるべき大患難を生き残るためにわたしたちは個人個人何をしなければならないかを理解するのに助けとなります。わたしたちはこうして,「聖書全体は……教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益で」あることを一層十分に認識するよう助けられるのです。―テモテ第二 3:16,17

すべてが予定されていたのですか

13 神は預言的な型を作ることができるようにするために人々を誘って罪を犯させたのではないことが,どうして分かりますか。

13 わたしたちはこのすべてから,聖書中に記録されている民族や国家の行動がすべて神によって予定されていたので,預言的な重要性を持つようになったのだと解すべきでしょうか。神が昔,ご自分の僕たちをある特定の仕方で取り扱い,将来のために意図された,より大きな事柄の型を設けるようにされたことは明らかです。しかし,人間の行動についてはどうですか。その中のある人々は重大な罪を犯しました。神はそれらの人を誘って,聖書の記録を作り上げるためにそれらの罪を犯させましたか。クリスチャンである聖書の筆者ヤコブはこう答えています。『悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもありません』。(ヤコブ 1:13)神は預言的な型を作ることができるようにするため,不当なことを人にさせたりはなさいませんでした。

14 (イ)エホバは,人間が,あるいはサタンでさえ,将来のある時点で何を行なうかを,どうしてご存じなのですか。(ロ)エホバの,ご自身とご自分の目的とに関する知識は,どのようにして聖書の預言の一部となっていますか。

14 エホバは人間の創造者であられることを忘れてはなりません。エホバはわたしたちがどのように作られているのか,また人は何に動かされてそのように行動するのかをご存じです。(創世記 6:5。申命記 31:21)ですから,ご自分の義の原則に従って生活する人々の結末と神を必要としていることを無視しようとする,あるいは神の道を曲げる人々にどんな結果が臨むかを正確に予告することがおできになります。(ガラテア 6:7,8)悪魔は昔用いたのと同様の策略を用い続けることもエホバはご存じです。エホバはまた,ご自分が特定の状況のもとで何を行なうか,つまりご自分が常に表わしてきた,公正,公平,愛および憐れみなどの高潔な特質に従って行動することをご存じです。(マラキ 3:6)エホバの目的は必ず成し遂げられるものですから,エホバはそれを成し遂げるために講ずる処置と結果を予告することがおできになります。(イザヤ 14:24,27)それでエホバは,個々の人間の実生活や諸国家の出来事を選んで,将来がどうなるかを予想する助けを備えるために,それを聖書に織り込ませることがおできになりました。

15 使徒パウロは,聖書の記述が単なる歴史以上のものであることをどのように強調しましたか。

15 ですから,使徒パウロはイスラエルの歴史の様々な出来事を述べたのち,適切にも仲間のクリスチャンにこう述べました。「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」。(コリント第一 10:11)また彼は,ローマにあるクリスチャンの会衆にあててこう書きました。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)こうして聖書の記述が単なる歴史以上のものであることを認識する時,わたしたちはその記述から人類の将来を予想する驚嘆すべき手掛かりを引き出すことができるようになるのです。

[研究用の質問]

[41ページの囲み記事/図版]

預言的な型 ― 何を指し示しているか

ノアの時代

幕屋

ソロモン王

三日間魚の腹の中にいたヨナ

バビロンの陥落