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第​3​章

神の愛する人たちを愛する

神の愛する人たちを愛する

『賢い​者​たち​と​共​に​歩ん​で​いる​者​は​賢く​なる』。―箴言 13:20

1‐3 (イ)聖書​は,否定​の​余地​の​ない​どんな​真理​を​述べ​て​い​ます​か。(ロ)どう​すれ​ば,良い​感化​を​与え​て​くれる​友人​を​選べ​ます​か。

ある​面​で,人​は​スポンジ​に​似​て​い​ます。周囲​に​ある​もの​を​吸収​する​傾向​が​あり​ます。親しく​交わる​人​の​態度​や​規準​や​人格​特性​を​いとも​簡単​に,時​に​は​気づか​ない​うち​に,取り入れ​て​しまい​ます。

2 聖書​は,否定​の​余地​の​ない​真理​を​次​の​よう​に​述べ​て​い​ます。「賢い​者​たち​と​共​に​歩ん​で​いる​者​は​賢く​なり,愚鈍​な​者​たち​と​交渉​を​持つ​者​は​苦しい​目​に​遭う」。(箴言 13:20)この​格言​が​述べ​て​いる​の​は,何気ない​接触​程度​の​こと​で​は​あり​ませ​ん。『共​に​歩む』と​いう​表現​は,継続​的​に​交わる​こと​を​示唆​し​て​い​ます。 * この​聖句​に​つい​て,ある​文献​は​こう​注解​し​て​い​ます。「だれ​か​と​共​に​歩む​こと​に​は,愛​や​愛着​と​いっ​た​意味合い​が​含ま​れる」。わたしたち​に​は,愛する​人​を​まねる​傾向​が​ある​の​で​は​ない​でしょ​う​か。自分​の​愛する​人​に​愛着​を​感じる​ゆえ​に,良く​も​悪く​も​その​人​から​強い​影響​を​受ける​の​です。

3 神​の​愛​の​うち​に​とどまる​に​は,良い​感化​を​与え​て​くれる​友人​を​見いだす​こと​が​肝要​です。どう​すれ​ば​よい​でしょ​う​か。一言​で​言う​と,神​の​愛する​人​を​愛し,神​の​友​を​自分​の​友​と​する​の​です。考え​て​み​て​ください。エホバ​が​ご自分​の​友​に​期待​な​さる​よう​な​特質​を​持つ​人 ― そう​し​た​人​を​友人​と​し​て​選ぶ​の​が​最善​な​の​で​は​ない​でしょ​う​か。では,神​に​愛さ​れる​の​は​どんな​人​か,調べ​て​み​ましょ​う。エホバ​の​見方​を​はっきり​理解​し​て​おく​なら,健全​な​友人​を​選ぶ​こと​が​できる​でしょ​う。

神​の​愛する​人​たち

4 友​に​関し​て​明確​に​線​を​引く​権利​が​エホバ​に​ある​の​は​なぜ​です​か。エホバ​が​アブラハム​を「わたし​の​友」と​呼ん​で​おら​れる​の​は​なぜ​です​か。

4 だれ​を​友​と​する​か​と​いう​点​で,エホバ​は​明確​に​線​を​引い​て​おら​れ​ます。そう​なさる​権利​が​ある​の​で​は​ない​でしょ​う​か。何​と​言っ​て​も,エホバ​は​宇宙​の​主権​者​なる​主​で​あられ,その​方​の​友​と​なる​こと​は​最大​の​特権​な​の​です。では​エホバ​は,どんな​人​を​友​と​し​て​選ば​れ​ます​か。エホバ​に​依り頼ん​で​全き​信仰​を​抱く​人​を​友​と​され​ます。例えば,際立っ​た​信仰​で​知ら​れる​族長​アブラハム​に​つい​て​考え​て​み​て​ください。息子​を​犠牲​と​し​て​ささげる​よう​に​と​求め​られる​こと​は,父親​に​とっ​て​最も​厳しい​信仰​の​試み​と​言える​でしょ​う。 * しかし​アブラハム​は,「神​は​死人​の​中​から​で​も​これ​を​よみがえらせる​こと​が​できる」と​いう​全き​信仰​を​抱い​て​い​た​の​で,「イサク​を​ささげ​た​も​同然」の​行動​を​取り​まし​た。(ヘブライ 11:17‐19)アブラハム​が​その​よう​な​信仰​と​従順​を​示し​た​ゆえ​に,エホバ​は​愛情​を​こめ​て​彼​を「わたし​の​友」と​呼ん​で​おら​れ​ます。―イザヤ 41:8。ヤコブ 2:21‐23

5 エホバ​は,ご自分​に​忠節​に​従う​人​を​どう​ご覧​に​なり​ます​か。

5 エホバ​は,忠節​な​従順​を​重視​し​て​おら​れ​ます。進ん​で​神​へ​の​忠節​を​最​優先​さ​せる​人​を​愛さ​れる​の​です。(サムエル​第​二 22:26この​本​の第​1​章で​見​た​とおり,愛​ゆえに​神​に​従う​こと​を​選ぶ​人​を​エホバ​は​大いに​喜び​と​され​ます。箴言 3​章​32​節​は,「神​の​親密​さ​は​廉直​な​者​たち​と​共​に​ある」と​述べ​て​い​ます。忠節​に​神​の​要求​に​こたえる​人​は,エホバ​から​の​恵み​深い​招き​を​受け,神​の「天幕」の​客​と​なれ​ます。神​の​崇拝​者​と​し​て​迎え入れ​られ,祈り​に​よっ​て​自由​に​神​に​近づく​こと​が​できる​の​です。―詩編 15:1‐5

6 イエス​を​愛し​て​いる​こと​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。み子​を​愛する​人​に​つい​て​エホバ​は​どう​お感じ​に​なり​ます​か。

6 エホバ​は,独り子​イエス​を​愛する​人​を​愛さ​れ​ます。イエス​は​こう​述べ​て​い​ます。「だれ​で​も​わたし​を​愛する​なら,その​人​は​わたし​の​言葉​を​守り行ない,わたし​の​父​は​その​人​を​愛し,わたしたち​は​その​人​の​ところ​に​来​て​住まう​の​です」。(ヨハネ 14:23)では,わたしたち​は​イエス​へ​の​愛​を​どの​よう​に​示せる​でしょ​う​か。イエス​の​おきて​を​守り行なう​こと​に​よっ​て,そう​でき​ます。それ​に​は,良い​たより​を​宣べ伝え​て​弟子​を​作る​と​いう​任務​を​果たす​こと​も​含ま​れ​ます。(マタイ 28:19,20。ヨハネ 14:15,21)さらに​イエス​へ​の​愛​は,『その​歩み​に​しっかり​付い​て​行く』こと​に​よっ​て​も​示せ​ます。不​完全​な​人間​と​し​て​の​最善​を​尽くし​て,言葉​と​行動​の​両面​で​イエス​に​見倣う​の​です。(ペテロ​第​一 2:21)み子​へ​の​愛​に​動かさ​れ​て​キリスト​の​よう​に​歩も​う​と​懸命​に​努力​する​人​は,エホバ​の​心​を​温かく​し​ます。

7 エホバ​の​友​を​自分​の​友​と​する​の​は​なぜ​賢明​な​こと​です​か。

7 信仰,忠節,従順,イエス​と​その​道​に​対する​愛 ― これら​は​どれ​も,エホバ​が​ご自分​の​友​に​期待​な​さる​特質​です。それで,わたしたち​各人​は​こう​自問​でき​ます。『わたし​の​親しい​友人​は,そう​し​た​特質​や​生き方​を​はっきり​と​示し​て​いる​だろ​う​か。わたし​は​エホバ​の​友​を​自分​の​友​と​し​て​いる​だろ​う​か』。そう​する​の​は​賢明​な​こと​です。敬虔​な​特質​を​培っ​て​王国​の​良い​たより​を​熱心​に​宣べ伝え​て​いる​人​は,積極​的​な​影響​を​与え​て​くれ​ます。神​を​喜ばせる​と​いう​決意​に​ふさわしく​生きる​よう,感化​し​て​くれる​の​です。―「 良い​友​と​は​どんな​人​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

聖書​中​の​例​から​学ぶ

8 (イ)ナオミ​と​ルツ,(ロ)3​人​の​若い​ヘブライ​人,(ハ)パウロ​と​テモテ​の​間柄​の​どんな​点​に,あなた​は​感銘​を​受け​ます​か。

8 聖書​に​は,健全​な​友​を​選ん​だ​ゆえに​益​を​得​た​人​たち​の​例​が​たくさん​記録​さ​れ​て​い​ます。例えば,ナオミ​と​嫁​の​ルツ,バビロン​で​支え合っ​た​3​人​の​若い​ヘブライ​人,パウロ​と​テモテ​に​関する​記録​です。(ルツ 1:16。ダニエル 3:17,18。コリント​第​一 4:17。フィリピ 2:20‐22)ここ​で​は,際立っ​た​例​の​一つ​で​ある​ダビデ​と​ヨナタン​の​友情​に​注目​し​ましょ​う。

9,10 ダビデ​と​ヨナタン​の​友情​の​基盤​と​なっ​て​い​た​の​は​何​です​か。

9 ダビデ​が​ゴリアテ​を​殺し​た​後​の​こと​を​聖書​は​こう​伝え​て​い​ます。「ヨナタン​の​魂​が​ダビデ​の​魂​と​結び付き,ヨナタン​は​自分​の​魂​の​よう​に​彼​を​愛する​よう​に​なっ​た」。(サムエル​第​一 18:1)こう​し​て​破れる​こと​の​ない​友情​が​生まれ,かなり​の​年齢​差​が​あっ​た​に​も​かかわら​ず,その​友情​は​ヨナタン​が​戦死​する​まで​続き​まし​た。 *サムエル​第​二 1:26)二​人​の​強い​友情​の​絆​の​基盤​と​なっ​て​い​た​の​は​何​でしょ​う​か。

10 ダビデ​と​ヨナタン​は,神​へ​の​愛​に​よっ​て,また​神​へ​の​忠実​を​保ち​たい​と​いう​強い​願い​に​よっ​て​結び合わさ​れ​て​い​まし​た。霊的​な​絆​で​結ば​れ​て​い​た​の​です。相手​の​示す​特質​の​ゆえに,互い​を​敬愛​し​て​い​まし​た。ヨナタン​は,恐れ​ず​に​エホバ​の​み名​を​擁護​する​若い​ダビデ​の​勇気​と​熱意​に​感銘​を​受け​て​い​た​こと​でしょ​う。ダビデ​は,エホバ​の​取り決め​を​忠節​に​支持​し​て​利他​的​に​ダビデ​の​益​を​優先​する​年長​の​ヨナタン​を​尊敬​し​て​い​た​に​違いあり​ませ​ん。ダビデ​が​極めて​つらい​状況​に​あっ​た​時​の​こと​を​考え​て​み​ましょ​う。ヨナタン​の​父​で​ある​邪悪​な​サウル​王​の​怒り​を​逃れ,荒野​に​身​を​隠し​て​い​た​時​の​こと​です。ヨナタン​は,忠節​の​並々​なら​ぬ​表われ​と​し​て​行動​を​起こし,『ダビデ​の​もと​に​行き』まし​た。「神​に​関し​て​彼​の​手​を​強める​ため」です。(サムエル​第​一 23:16)親友​が​やっ​て​来​て​力づけ​励まし​て​くれ​た​時​に​ダビデ​が​どう​感じ​た​か,想像​し​て​み​て​ください。 *

11 ヨナタン​と​ダビデ​の​例​から,友情​に​関し​て​何​を​学べ​ます​か。

11 ヨナタン​と​ダビデ​の​例​から​何​を​学べ​ます​か。一番​の​教訓​は,友​が​共有​す​べき​最も​重要​な​もの​は​霊的​価値​観​で​ある,と​いう​点​です。自分​と​同じ​信条​や​道徳​観​を​持つ​人,神​へ​の​忠実​を​保ち​たい​と​いう​同じ​願い​を​抱く​人​と​親しく​なる​なら,考え​や​気持ち​や​経験​を​分かち合っ​て,励まさ​れ,築き上げ​られ​ます。(ローマ 1:11,12)霊的​な​思い​を​持つ​その​よう​な​友人​は,仲間​の​崇拝​者​たち​の​間​に​見いだせ​ます。では,王国​会館​で​の​集会​に​来る​人​は​みな​良い​友人​で​ある,と​言える​でしょ​う​か。必ずしも​そう​で​は​あり​ませ​ん。

親しく​交わる​友人​を​選ぶ

12,13 (イ)仲間​の​クリスチャン​の​中​から​友人​を​選ぶ​際​に​も​注意深く​なけれ​ば​なら​ない​の​は​なぜ​です​か。(ロ)1​世紀​の​諸​会衆​は​どんな​問題​に​直面​し​まし​た​か。その​ため,パウロ​は​どんな​強い​警告​を​与え​まし​た​か。

12 友人​に​よっ​て​霊的​に​築き上げ​られ​たい​と​望む​なら,会衆​内​で​も​友人​を​注意深く​選ば​なけれ​ば​なり​ませ​ん。これ​は​意外​な​こと​でしょ​う​か。いいえ。会衆​内​に​は,霊的​な​円熟​に​達する​の​に​人一倍​の​時間​を​要する​クリスチャン​も​い​ます。同じ​木​に​でき​た​実​の​中​に​も​熟する​の​に​時間​の​かかる​実​が​ある​の​と​同じ​です。ですから,どの​会衆​で​も,クリスチャン​一人一人​の​霊的​成長​の​レベル​は​様々​です。(ヘブライ 5:12–6:3)もと​より​わたしたち​は,新しい​人​や​弱い​人​に​辛抱強さ​と​愛​を​示し​ます。霊的​な​成長​を​助け​たい​と​願っ​て​いる​から​です。―ローマ 14:1; 15:1

13 会衆​内​で​だれ​と​交わる​か​に​気​を​つけ​なけれ​ば​なら​ない​場合​が​あり​ます。疑わしい​行ない​を​する​人,あるいは​苦々しい​霊​や​不平​の​精神​を​抱く​人​が​いる​か​も​しれ​ませ​ん。西暦​1​世紀​の​諸​会衆​も​同様​の​問題​に​直面​し​まし​た。大半​の​成員​は​忠実​でし​た​が,一部​の​人​は​ふさわしく​行動​し​なかっ​た​の​です。コリント​会衆​の​ある​人​たち​が​クリスチャン​の​幾つ​か​の​教え​を​支持​し​なかっ​た​の​で,使徒​パウロ​は​その​会衆​に​警告​を​与え,「惑わさ​れ​て​は​なり​ませ​ん。悪い​交わり​は​有益​な​習慣​を​損なう​の​です」と​述べ​まし​た。(コリント​第​一 15:12,33)また​パウロ​は​テモテ​に,仲間​の​クリスチャン​の​中​に​も​誉れ​ある​行ない​を​し​ない​人​が​いる​と​注意​を​促し,そう​し​た​人​たち​から​離れ​なさい,親しく​交わっ​て​は​いけ​ない​と​命じ​まし​た。―テモテ​第​二 2:20‐22

14 交わり​に​関する​パウロ​の​警告​の​背後​に​ある​原則​を​どの​よう​に​適用​でき​ます​か。

14 パウロ​の​警告​の​背後​に​ある​原則​を​どの​よう​に​適用​できる​でしょ​う​か。会衆​の​内外​を​問わ​ず,腐敗​的​な​影響​力​と​なり​かね​ない​人​と​の​親しい​交わり​を​避ける​こと​に​よっ​て,適用​でき​ます。(テサロニケ​第​二 3:6,7,14)自分​の​霊性​を​守る​必要​が​ある​の​です。忘れ​ない​で​ください。わたしたち​は​スポンジ​の​よう​に,親しい​友​の​態度​や​生き方​を​吸収​し​ます。スポンジ​を​酢​に​浸し​て​お​き​ながら,水​を​吸う​と​期待​する​こと​は​でき​ませ​ん。それ​と​同じく,悪い​影響​を​及ぼす​人​と​交わっ​て​お​き​ながら,自分​が​良い​もの​を​吸収​する​と​期待​する​こと​は​でき​ませ​ん。―コリント​第​一 5:6

仲間​の​崇拝​者​たち​の​中​に,健全​な​友人​を​見いだす​こと​が​できる

15 会衆​内​で​霊的​な​思い​を​持つ​友​を​見いだす​ため​に,何​が​でき​ます​か。

15 喜ばしい​こと​に,仲間​の​崇拝​者​たち​の​中​に​大勢​の​健全​な​友人​を​見いだす​こと​が​でき​ます。(詩編 133:1)どう​すれ​ば​会衆​内​で​霊的​な​思い​を​持つ​友​を​見いだせる​でしょ​う​か。あなた​が​敬虔​な​特質​や​生き方​の​点​で​成長​する​なら,同じ​よう​な​思い​を​持つ​人​たち​が​あなた​に​引きつけ​られる​に​違いあり​ませ​ん。また,自分​の​ほう​から​友​を​作ろ​う​と​心がけ,具体​的​な​努力​を​払う​必要​も​あり​ます。(「 どの​よう​に​し​て​良い​友​を​作っ​た​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。)見倣い​たい​と​思う​よう​な​特質​を​発揮​し​て​いる​人​を​探し​ます。「自分​を​広く」する​よう​に​と​の​聖書​の​助言​に​留意​し,人種​や​国籍​や​文化​の​枠​を​超え​て​仲間​の​信者​と​の​友情​を​築く​よう​に​努め​ましょ​う。(コリント​第​二 6:13。ペテロ​第​一 2:17)自分​と​同​年代​の​人​だけ​を​友​と​し​て​は​なり​ませ​ん。ヨナタン​が​ダビデ​より​かなり​年上​で​あっ​た​こと​を​思い出し​て​ください。年上​の​人​と​友​に​なる​なら,その​経験​や​知恵​から​いろいろ​学べる​こと​が​少なく​あり​ませ​ん。

難しい​事態​が​生じ​たら

16,17 仲間​の​信者​に​傷つけ​られ​て​も​会衆​と​交わる​の​を​やめる​べき​で​ない​の​は​なぜ​です​か。

16 会衆​内​の​人​は​個性​も​背景​も​実​に​様々​な​の​で,時​に​は​問題​が​生じ​ます。仲間​の​信者​の​言動​に​感情​を​傷つけ​られる​こと​が​あり​ます。(箴言 12:18)個性​の​衝突,誤解,意見​の​相違​など​の​ため​に​事態​が​難しく​なる​場合​も​ある​でしょ​う。そう​し​た​時,つまずい​て​会衆​から​離れ​て​しまい​ます​か。エホバ​へ​の,また​エホバ​の​愛する​人​たち​へ​の​真​の​愛​が​あれ​ば,そう​は​し​ない​でしょ​う。

17 創造​者​また​生命​維持​者​で​ある​エホバ​は,わたしたち​の​愛​と​全き​専心​を​受ける​に​ふさわしい​方​です。(啓示 4:11)さらに,神​が​是認​し​て​用い​て​おら​れる​会衆​も,わたしたち​の​忠節​な​支持​を​受ける​に​ふさわしい​もの​です。(ヘブライ 13:17)ですから​わたしたち​は,仲間​の​崇拝​者​に​傷つけ​られ​て​も,がっかり​さ​せ​られ​て​も,抗議​の​ため​に​会衆​と​交わる​の​を​やめ​たり​は​し​ませ​ん。そもそも,エホバ​に​感情​を​害さ​れ​た​わけ​で​は​ない​の​です。エホバ​へ​の​愛​が​あれ​ば,決して,神​と​神​の​民​に​背​を​向け​たり​は​し​ない​でしょ​う。―詩編 119:165

18 (イ)会衆​内​の​平和​を​促進​する​ため​に​何​が​でき​ます​か。(ロ)妥当​な​理由​が​ある​場合​に​許す​こと​は,どんな​祝福​を​もたらし​ます​か。

18 わたしたち​は​仲間​の​崇拝​者​を​愛し​て​いる​の​で,会衆​内​の​平和​を​促進​し​たい​と​思っ​て​い​ます。エホバ​は,ご自分​の​愛する​人​に​完全​さ​を​期待​なさい​ませ​ん。わたしたち​も​そう​ある​べき​です。愛​が​あれ​ば,だれ​も​が​不​完全​で​あっ​て​間違い​を​犯す​と​いう​こと​を​忘れ​ず​に,ささい​な​違犯​を​見過ごす​こと​が​でき​ます。(箴言 17:9。ペテロ​第​一 4:8)愛​は,引き続き『互い​に​惜しみなく​許し合う』助け​に​なり​ます。(コロサイ 3:13)この​助言​どおり​に​する​の​は​必ずしも​容易​で​は​あり​ませ​ん。消極​的​な​感情​に​負ける​なら,憤り​を​宿す​結果​に​なり​かね​ませ​ん。怒り​に​よっ​て​相手​に​罰​を​加え​て​いる​の​だ,と​さえ​思う​か​も​しれ​ませ​ん。しかし​実際​に​は,憤り​を​宿す​こと​に​よっ​て​害​を​受ける​の​は​自分​自身​です。妥当​な​理由​が​ある​場合​に​許す​こと​は,豊か​な​祝福​を​もたらし​ます。(ルカ 17:3,4)思い​と​心​の​平安​が​得​られ,会衆​内​の​平和​が​保た​れ,何​より​も​エホバ​と​あなた​と​の​関係​が​守ら​れる​の​です。―マタイ 6:14,15。ローマ 14:19

交わる​の​を​やめる​べき​時

19 どんな​場合​に,交わる​の​を​やめる​必要​が​生じ​ます​か。

19 時​に​は,会衆​の​成員​だっ​た​人​と​交わる​の​を​やめる​必要​が​生じ​ます。その​人​が​神​の​律法​を​破っ​て​悔い改め​ず​に​排斥​さ​れ​た​場合,あるいは​偽り​の​教理​を​教え​たり​会衆​と​の​関係​を​自ら​断絶​し​たり​し​て​信仰​を​捨て​た​場合​です。神​の​言葉​は,その​よう​な​人​と​の『交友​を​やめ​なさい』と​はっきり​命じ​て​い​ます。 *コリント​第​一 5:11‐13。ヨハネ​第​二 9‐11)それ​が​友​や​親族​で​ある​場合,その​人​と​接し​ない​よう​に​する​の​は​相当​な​努力​を​要する​こと​でしょ​う。わたしたち​は,確固​と​し​た​態度​を​取っ​て,自分​が​何​より​も​エホバ​と​その​義​の​律法​に​忠節​で​ある​こと​を​示す​でしょ​う​か。エホバ​が​忠節​と​従順​を​重視​し​て​おら​れる​こと​を​忘れ​て​は​なり​ませ​ん。

20,21 (イ)排斥​の​取り決め​は​愛​ある​もの​で​ある,と​言える​の​は​なぜ​です​か。(ロ)友人​を​賢く​選ぶ​こと​が​肝要​な​の​は​なぜ​です​か。

20 実​の​ところ,排斥​の​取り決め​は​エホバ​に​よる​愛​ある​備え​です。どうして​そう​言え​ます​か。悔い改め​ない​罪人​を​追放​する​こと​は,エホバ​の​聖​なる​み名と,その​名​の​表わす​すべて​の​もの​と​に​対する​愛​の​表われ​です。(ペテロ​第​一 1:15,16)排斥​に​よっ​て​会衆​の​安全​が​保た​れ​ます。忠実​な​成員​たち​は,故意​の​罪人​の​不​健全​な​影響​から​保護​さ​れ,会衆​が​この​邪悪​な​世​から​分け​られ​た​安全​な​場所​で​ある​こと​を​実感​し​つつ​崇拝​を​続ける​こと​が​でき​ます。(コリント​第​一 5:7。ヘブライ 12:15,16)この​強い​懲らしめ​は,悪行​者​に​対する​愛​の​表われ​で​も​あり​ます。それ​が​一​種​の​衝撃​と​なっ​て,当人​は​本心​に​立ち返り,エホバ​の​もと​に​戻る​の​に​必要​な​段階​を​踏む​か​も​しれ​ない​の​です。―ヘブライ 12:11

21 親しく​交わる​友人​が​強力​な​影響​を​及ぼす​と​いう​事実​は,変え​よう​が​あり​ませ​ん。ですから,友人​を​賢く​選ぶ​こと​は​肝要​です。エホバ​の​友​を​自分​の​友​と​し,神​の​愛する​人​を​愛する​なら,最善​の​友人​たち​に​囲ま​れ​て​過ごす​こと​が​でき​ます。そう​し​た​友人​から​吸収​する​もの​は,エホバ​を​喜ばせる​と​いう​決意​に​ふさわしく​生きる​助け​に​なる​でしょ​う。

^ 2節 「交渉​を​持つ」と​訳さ​れ​て​いる​ヘブライ​語​は,「交わる」あるいは「友​と​なる」と​訳さ​れる​こと​も​あり​ます。―裁き人 14:20。箴言 22:24

^ 4節 エホバ​は,アブラハム​に​こう​求める​こと​に​より,ご自身​が​独り子​を​ささげる​時​に​どんな​犠牲​を​払う​こと​に​なる​か​を​わずか​ながら​明らか​に​なさい​まし​た。(ヨハネ 3:16)アブラハム​の​場合,エホバ​は​介入​し,イサク​の​代わり​と​なる​雄羊​を​備え​られ​まし​た。―創世記 22:1,2,9‐13

^ 9節 ダビデ​は,ゴリアテ​を​倒し​た​時​に​は​まだ「ほんの​少年」で,ヨナタン​が​死ん​だ​時​に​は​30​歳​ぐらい​でし​た。(サムエル​第​一 17:33; 31:2。サムエル​第​二 5:4)ヨナタン​は,死ん​だ​時​に​は​60​歳​ぐらい​で​あり,ダビデ​より​30​歳​ほど​年上​だっ​た​よう​です。

^ 10節 サムエル​第​一 23​章​17​節​に​よる​と,ヨナタン​は​ダビデ​を​励ます​ため​に​以下​の​五つ​の​点​を​述べ​まし​た。(1)恐れ​て​は​なら​ない。(2)サウル​の​企て​は​失敗​する。(3)神​の​約束​どおり​ダビデ​は​王権​を​得る。(4)自分​は​ダビデ​へ​の​忠節​を​誓う。(5)ダビデ​へ​の​自分​の​忠節​は​サウル​も​気づい​て​いる。

^ 19節 排斥​さ​れ​た​人​や​断絶​し​た​人​へ​の​対応​に​つい​て​さらに​詳しく​は,付録​の「排斥​さ​れ​た​人​に​どう​対応​す​べき​か」と​いう​項目​を​ご覧​ください。