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イエス・キリスト

イエス・キリスト

(Jesus Christ)

神のみ子が地上におられた際,油そそがれた時以後,与えられた名と称号。

イエス(ギ語,イエースース)という名は,「エホバは救い」という意味のヘブライ語の名エシュア(または,より完全な形ではエホシュア)に相当します。この名自体は珍しいものではなく,当時,この同じ名で呼ばれた人は少なくありませんでした。そのようなわけで,人々はしばしば当人のことをさらに明示する語を付け加えて,「ナザレ人イエス」と呼びました。(マル 10:47; 使徒 2:22)キリストという語はヘブライ語マーシーアハ(メシア)の相当語であるギリシャ語クリストスに由来し,「油そそがれた者」を意味しています。「油そそがれた者」という表現が,モーセやアロンやダビデなどイエス以前の他の人たちに当てはめられているのは適切なことですが(ヘブ 11:24-26; レビ 4:3; 8:12; サム二 22:51),それらの人たちが油そそがれて就けられた地位や職務,あるいはゆだねられた奉仕は,イエス・キリストの勝った地位や職務や奉仕を予示していたにすぎません。ですから,イエスは傑出した唯一無二の「キリスト,生ける神の子」であられます。―マタ 16:16。「キリスト」; 「メシア」を参照。

人間になる以前の存在 イエス・キリストとして知られるようになったこの方は,地上で初めて生を受けたのではありません。イエスご自身,人間になる以前にご自分が天で生きていたことについて話されました。(ヨハ 3:13; 6:38,62; 8:23,42,58ヨハネ 1章1,2節は,イエスとなられた方の天での名を示し,こう述べています。「初めに言葉[ギ語,ロゴス]がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった[「神性を備えていた」,聖ア; モファット; または,「神性を備えた存在であった」,ベーマー; シュターゲ(いずれもドイツ語)]。この方は初めに神と共にいた」。エホバはとこしえに存在しておられ,初めがないので(詩 90:2; 啓 15:3),その“言葉”が「初め」から神と共におられたということは,ここではエホバの創造の業の初めのことを指しているに違いありません。このことは,イエスが「全創造物の初子」,「神による創造の初めである者」であることを示している他の聖句によって確証されています。(コロ 1:15; 啓 1:1; 3:14)したがって,聖書は“言葉”(人間になる以前に存在しておられたイエス)の実体が神の最初の創造物,すなわち神の長子であることを示しています。

エホバが確かにこの長子の父,もしくは命の与え主であられたこと,したがってこのみ子が実際には神の被造物であったことは,イエスご自身の述べられた言葉からも明らかです。イエスはご自分の命の源が神であることを指摘し,『わたしは父によって生きている』と言われました。文脈からすると,この言葉は,死んでゆく人間がイエスの贖いの犠牲に信仰を働かせる結果,命が得られるのと同様に,イエスの命もみ父からもたらされた,あるいはみ父に起因していたということを意味していました。―ヨハ 6:56,57

もし物質宇宙の年齢に関する現代の科学者の推定がほぼ正確であるとすれば,霊の被造物としてのイエスは最初の人間が創造される何十億年も前から存在していたことになります。(ミカ 5:2と比較。)長子であられたこの霊者は,み父により他のすべてのものを創造する際に用いられました。(ヨハ 1:3; コロ 1:16,17)それらのものの中には,エホバ神の天的な家族の他の幾千万もの霊の子たち(ダニ 7:9,10; 啓 5:11),それに物質宇宙とその中で最初に造り出された被造物も含まれることになりました。論理的に言って,エホバはこの長子に対し,『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造ろう』と言われたのです。(創 1:26)これら他の創造されたものはすべて,神の長子である「彼を通して」創造されただけではなく,神の初子であり,「すべてのものの相続者」である「彼のために」創造されたのです。―コロ 1:16; ヘブ 1:2

共同創造者ではない しかし,み子は創造の業にあずかったとはいえ,み父の共同創造者になられたわけではありません。創造に必要な力は,神から,その聖霊,すなわち活動する力を通してもたらされました。(創 1:2; 詩 33:6)それに,エホバはすべての命の源ですから,目に見えるものであれ見えないものであれ,生ける創造物はすべて命を神に負っています。(詩 36:9)ですから,み子は共同創造者というよりもむしろ代理者,または媒介であって,このみ子を通して創造者エホバが働かれたのです。イエスご自身,聖書全体がしているように,創造の功績を神に帰されました。―マタ 19:4-6。「創造,創造物」を参照。

擬人化された知恵 聖書中でこの“言葉”に関して記されている事柄は,箴言 8章22-31節で描写されている事柄と驚くほど合致しています。その箇所では知恵が擬人化され,あたかも話したり行動したりすることができるかのように描かれています。(箴 8:1)西暦初期の何世紀かの時代の多数の自称クリスチャンの著述家は,この箇所を人間になる以前の神のみ子のことを象徴的に述べているものと解していました。すでに考慮した聖句に照らしてみると,み子が「その道の初めとして,昔のその偉業の最初として」エホバにより「産み出された」こと,また「箴言」のこれらの節で述べられているように,地球の創造が行なわれていた間,み子が「優れた働き手として[エホバ]の傍らに」おられたことは否定できません。確かに,ヘブライ語では(他の多くの言語の場合のように)名詞の性が定められており,「知恵」を意味する言葉は常に女性形です。このことは,たとえ知恵が擬人化されていても,変わることはないので,神の長子を表わすのに知恵を比喩的な意味で使うことを妨げるものではありません。『神は愛です』という表現(ヨハ一 4:8)の中の「愛」を意味するギリシャ語の言葉も女性形ですが,だからといって,神が女性になるわけではありません。「箴言」の主要な筆者ソロモンは(箴 1:1),コーヘレト(召集者)という称号を自分自身に当てはめていますが(伝 1:1),この語もやはり女性形です。

知恵は何らかの仕方で表明されて初めて明らかになります。神ご自身の知恵は創造物のうちに表明されましたが(箴 3:19,20),み子を通してそうされました。(コリ一 8:6と比較。)同様に,人間の関係する神の賢明な目的も,み子イエス・キリストを通して明らかにされ,またそのみ子のうちに要約されています。したがって,使徒は,キリストが「神の力また神の知恵」を表わしており,またキリスト・イエスが「わたしたちにとって,神からの知恵,また義と聖化,そして贖いによる釈放となられた」と言うことができたのです。―コリ一 1:24,30。コリ一 2:7,8; 箴 8:1,10,18-21と比較。

イエスはどのような意味で「独り子」か イエスが「独り子」と呼ばれていることは(ヨハ 1:14; 3:16,18; ヨハ一 4:9),生み出された他の霊の被造物は神の子ではなかった,ということを意味するものではありません。彼らもやはり子と呼ばれているからです。(創 6:2,4; ヨブ 1:6; 2:1; 38:4-7)とはいえ,この長子はみ父により直接創造された,ただひとりの者だったので,神の子たちのうちの他のだれとも異なった特異な方でした。それら他のすべての者はその長子を通してエホバにより創造された,もしくは生み出されたのです。それで,イサクが特別の意味でアブラハムの「独り子」だった(イサクの父には妻サラによってもうけたのではない別の子がすでにいた)とおり,「言葉」も特別の意味でエホバの「独り子」(英文字義,ただ一人生まれた子)でした。―ヘブ 11:17; 創 16:15

「言葉」と呼ばれた理由 「言葉」(ヨハ 1:1)という名(もしくは,恐らく称号)は,他の理知ある被造物が形造られた後に神の長子がどんな役目を演じたかを明らかにしているようです。同様の表現が出エジプト記 4章16節にありますが,その箇所でエホバはモーセに対してその兄アロンについてこう言っておられます。「それで彼があなたに代わって民に話すことになる。彼があなたに対して口となり,あなたは彼に対して神の役をするのである」。アロンは地上における神の主要な代表者の代弁者としてモーセのために「口」の役をしました。イエス・キリストとなられた“言葉”,すなわちロゴスに関しても同様です。エホバは地上の人間にご自分の音信を伝えさせるためみ子をお用いになったのと同様に,霊の子たちで成る家族の他の者たちに情報や指示を伝達させるためにみ子をお用いになったものと思われます。イエスはご自分が神の“言葉”,すなわち代弁者であることを示して,ユダヤ人の聴衆にこう言われました。「わたしの教えはわたしのものではなく,わたしを遣わした方に属するものです。だれでもこの方のご意志を行ないたいと願うなら,この教えについて,それが神からのものか,それともわたしが独自の考えで話しているのかが分かるでしょう」― ヨハ 7:16,17。ヨハ 12:50; 18:37と比較。

イエスは人間になる以前に“言葉”として存在していた間,地上の人々に対するエホバの代弁者を務める機会は恐らく多かったものと思われます。幾つかの聖句ではエホバが人間にあたかも直接話しておられるかのように言及されていますが,他の句は神が代表者であるみ使いを通して話されたことを明らかにしています。(出 3:2-4を使徒 7:30,35と比較。また,創 16:7-11,13; 22:1,11,12,15-18と比較。)そのような事例の場合,大抵は神が“言葉”を通して話されたと考えるのは筋の通ったことです。神はエデンでそうなさったと思われます。というのは,神がそこで話されたと言われている3回のうち2回は,だれかが神と共にいたことを記録がはっきり示しているからです。それはみ子であったに違いありません。(創 1:26-30; 2:16,17; 3:8-19,22)ですから,イスラエルを導いて荒野を通らせたみ使い,そして『エホバの名が彼の内にある』ので,その声にイスラエル人がしっかりと従わねばならなかったみ使いとは,神のみ子,つまり“言葉”だったのかもしれません。―出 23:20-23。ヨシュ 5:13-15と比較。

このことは,エホバは話す際にご自分を代表するみ使いとして“言葉”しかお用いにならなかったことを意味するものではありません。使徒 7章53節,ガラテア 3章19節,およびヘブライ 2章2,3節の霊感を受けて記された言葉は,律法契約が神の初子以外のみ使いである神の子たちによってモーセに伝えられたことを明らかにしています。

イエスは再び天的な栄光を受けた後も引き続き「神の言葉」という名を帯びておられます。―啓 19:13,16

英訳聖書の中には,イエスのことを“God”(神)と呼んだり,“a god”(神)と呼んだりするものがありますが,それはなぜですか

幾つかの翻訳のヨハネ 1章1節は,「初めに言葉がおり,言葉は神[God]と共におり,言葉は神[God]であった」と訳出されています。そのギリシャ語本文を字義通りに読めば,「初めに言葉がおり,言葉は神[the god]のほうに向いており,言葉は神[god]であった」となります。この本文を英訳する場合,翻訳者は英語で必要とされる大文字を補わなければなりません。“the god”(神)という意味の句を英訳する際,頭文字を大文字にして“God”とするのは明らかに妥当なことです。これは“言葉”が共にいた全能の神のことであるに違いないからです。しかし,二番目の“god”という語の頭文字を大文字にするのは同様に正当なことであるとは言えません。

「新世界訳」ではこの聖句は,「初めに言葉がおり,言葉は神[God]と共におり,言葉は神[a god]であった」と訳されています。確かに,元のギリシャ語本文には不定冠詞(“a”や“an”に対応する語)がありません。しかしこれは,英訳する際に不定冠詞を使うべきではないということを意味するものではありません。というのは,コイネー,つまり共通ギリシャ語に不定冠詞がなかったからです。ですから,クリスチャン・ギリシャ語聖書全体を通して,翻訳者は本文の意味に関し自分が理解しているところに従って,不定冠詞を使うかどうかを決めなければなりません。クリスチャン・ギリシャ語聖書の英訳の場合,どの訳でも確かに不定冠詞が何百回も使われています。ところが,大抵の訳のヨハネ 1章1節には不定冠詞が使われていません。それでも,この本文を訳す際に不定冠詞を使うことには確かな根拠があるのです。

第一に,この本文自体,“言葉”が「神[God]と共に」いたので,“言葉”は神(God),つまり全能の神ではあり得ないことを示している点に注目すべきです。(2節にも注目してください。もし,1節が実際に,“言葉”は神[God]であることを示しているとすれば,2節は不必要な句になります。)その上,この節で2回目に出て来る“god”という意味の言葉(ギ語,テオス)には,意味深いことに,“the”(ギ語,ホ)という定冠詞が付いていません。この事実に関して,エルンスト・ヘンヒェンはヨハネの福音書(1-6章)に関する注解の中で,次のように述べています。「この時代には,[テオス]と[ホ テオス](『神[god],神性を備えて[divine]』と『神[the God]』)は同一ではなかった。……事実……福音宣明者にとって,み父だけが『神』([ホ テオス])であり(17:3と比較),『み子』はみ父に従属する者であった(14:28と比較)。しかし,そのことはこの章句ではそれとなく述べられているにすぎない。なぜなら,ここで強調されているのは,一方が他方に近接しているということだからである。……ユダヤ教やキリスト教の一神論では,神[God]と共に,またそのもとに存在していても,神[God]と同一ではない,神のような者たちについて語るのは,大いにあり得ることであった。フィリピ 2章6-10節はそのことを証明している。その箇所で,パウロはまさしくそのような神たる者,つまり後に人間イエス・キリストとなられた方を描写している。……したがって,フィリピ人への手紙とヨハネ 1章1節のいずれの場合も,一体になっている二者の間の弁証法的な関係ではなく,ふたりの実在者の個人的な一致が問題なのである」―「ヨハネ 1章」,R・W・フンク訳,1984年,109,110ページ。

ヘンヒェンはヨハネ 1章1節の最後の箇所の翻訳として,「言葉は神性を備えて(神のような者の範ちゅうに属して)いた」という訳文を挙げた後,こう続けています。「この場合の『いた』という動詞([エーン])は述語的な叙述を行なっているにすぎない。それゆえ,叙述名詞は一層注意深く考察しなければならない。[テオス]は[ホ テオス]と同一ではない(つまり,『神性を備えて』は『神』と同一ではない)」。(110,111ページ)フィリップ・B・ハーナーはこの問題について詳述し,次の点を明らかにしました。それはヨハネ 1章1節の文法上の構造には無冠詞叙述名詞,すなわち動詞に先行する,“the”という定冠詞の付いていない叙述名詞が関係しているということです。つまりこの構造はおもに意味を限定する働きがあるので,「ロゴスがテオスの性質を有している」ことを示唆しているという点です。そして,さらに,「ヨハネ 1章1節の場合,述語の持つ限定詞的働きは極めて顕著であるゆえに,その名詞[テオス]を特定されたものとみなすことはできないと思う」と述べました。(「聖書文献ジャーナル」,1973年,85,87ページ)ですから,他の翻訳者たちもまた,このギリシャ語が限定詞的働きを持ち,“言葉”の性質を描写していることを認めて,この句を「言葉は神性を備えていた」と訳出しています。―聖ア; ショーンフィールド。モファットと比較。新世,付録,1771ページを参照。

ヘブライ語聖書は,万物の創造者ならびに至高者で,み名をエホバという,唯一全能の神がおられることを一貫して明確に示しています。(創 17:1; イザ 45:18; 詩 83:18)そのようなわけで,モーセはイスラエル国民に対して,「わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである。ゆえにあなたは,心をつくし,魂をつくし,活力をつくしてあなたの神エホバを愛さねばならない」と言うことができました。(申 6:4,5)クリスチャン・ギリシャ語聖書は,神の僕たちが何千年にもわたって受け入れ,また信じてきたこの教えと矛盾していないばかりか,かえってその教えを裏付けています。(マル 12:29; ロマ 3:29,30; コリ一 8:6; エフェ 4:4-6; テモ一 2:5)イエス・キリストご自身も,『父はわたしより偉大な方です』と語り,さらにみ父のことをご自分の神,「唯一まことの神」と呼ばれました。(ヨハ 14:28; 17:3; 20:17; マル 15:34; 啓 1:1; 3:12)イエスはご自分がみ父よりも劣っており,み父に従属している者であることを度々表明されました。(マタ 4:9,10; 20:23; ルカ 22:41,42; ヨハ 5:19; 8:42; 13:16)イエスが昇天された後でさえ,その使徒たちはイエスの立場が変わっていないことを引き続き示しました。―コリ一 11:3; 15:20,24-28; ペテ一 1:3; ヨハ一 2:1; 4:9,10

これらの事実は,ヨハネ 1章1節の「言葉は神[a god]であった」というような翻訳を支持する確かな根拠となっています。神は初子を通して万物を創造されましたが,“言葉”がその初子として,また神の代弁者として神の被造物の中で卓越した地位を持っていたことは,この方を「神[a god]」,つまり力ある方と呼ぶのが正しいことを示す真の根拠となっています。メシアに関するイザヤ 9章6節の預言は,この方が全能の神ではなく,「“力ある神”」と呼ばれること,またその臣民として生きる特権にあずかる人たちすべての「“とこしえの父”」になることを予告していました。その方のみ父,つまり「万軍のエホバ」の熱心により,予告された事柄が成し遂げられるでしょう。(イザ 9:7)もし,神の敵対者である悪魔サタンが人間や悪霊たちを支配しているゆえに(ヨハ一 5:19; ルカ 11:14-18),「神[god]」と呼ばれるのなら(コリ二 4:4),確かに神の長子が「神[a god]」と呼ばれ,またヨハネ 1章18節の最も信頼できる写本の中でも呼ばれているように「独り子の神」と呼ばれるべき,はるかに大きな理由や正当性があります。

イエスは反対者たちから,『自分を神としている』として非難された時,次のようにお答えになりました。「あなた方の律法の中に,『わたしは言った,「あなた方は神[godの複数形]だ」』と書いてあるではありませんか。神のとがめの言葉が臨んだ者たちを『神(godの複数形)』と呼び,しかもその聖書は無効にし得ないものなのに,あなた方は,父が神聖なものとして世に派遣されたわたしが,自分は神の子だと言ったからといって,『神を冒とくしている』とわたしに言うのですか」。(ヨハ 10:31-37)イエスはそのとき,詩編 82編から引用されました。その箇所では,公正な裁きを行なっていなかったために神から非とされている,人間である裁き人たちが「神[godの複数形]」と呼ばれています。(詩 82:1,2,6,7)ですから,イエスは,ご自分が神ではなく,神の子であると言ったことで,神を冒とくしているとして非難されるのは道理に合わないということを示されたのです。

神を冒とくしているというそのような非難の声が上がったのは,イエスが「わたしと父とは一つです」と話されたからでした。(ヨハ 10:30)その言葉が,イエスは自分が父であるとか,神(God)であるとか主張なさったという意味でないことは,すでに部分的に考慮した,イエスの答えから見て明らかです。イエスが言っておられた一つということの意味は,その前後の言葉と調和するような仕方で理解しなければなりません。イエスはご自分が行なっている業とご自分に従う「羊」をご自分が世話することについて話しておられました。イエスの業,それにイエスの言葉は,イエスとみ父との間に不一致や不調和ではなく,一致があることを実証しました。イエスはご自分の答えによりその点を強調しておられたのです。(ヨハ 10:25,26,37,38。ヨハ 4:34; 5:30; 6:38-40; 8:16-18と比較。)ご自分の「羊」に関して,イエスとみ父はそれら羊のような人たちを保護し,彼らを永遠の命に導く点でも同様に一致しておられました。(ヨハ 10:27-29。エゼ 34:23,24と比較。)イエスは,将来,弟子となる人たちを含め,ご自分の弟子たちすべての一致のために祈られましたが,その祈りは,イエスとみ父が一つであること,つまり結びついていることが,人格的存在の同一性に関するものではなく,目的や行動に関するものであったことを示しています。そのような意味で,イエスの弟子たちは,イエスとみ父が一つであるように,『みな一つになる』ことができました。―ヨハ 17:20-23

このことと調和して,イエスはトマスの質問に答え,「あなた方がわたしを知っていたなら,わたしの父をも知っていたでしょう。今この時から,あなた方は父を知っており,また見たのです」と言われました。また,イエスはフィリポの質問に答えて,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と付け加えられました。(ヨハ 14:5-9)この時もやはり,イエスがそのあとに説明された言葉は,イエスがみ父を忠実に代表し,み父の言葉を語り,み父の業を行なわれたゆえに,そのように言えたことを示しています。(ヨハ 14:10,11。ヨハ 12:28,44-49と比較。)イエスはご自分が死ぬ日の夜のこの同じ時に,それら同じ弟子たちに,『父はわたしより偉大な方です』と言われました。―ヨハ 14:28

弟子たちがイエスのうちにみ父を「見た」ということも,聖書の他の例に照らして考えると,理解できます。例えば,ヤコブはエサウにこう言いました。「わたしはあなたの顔を,さながら神の顔を見るようにして見ているのです……あなたが喜びをもってわたしを受け入れてくださったからです」。ヤコブがそう言ったのは,エサウの反応が,神にささげた自分の祈りと調和したものだったからです。(創 33:9-11; 32:9-12)ヨブは風あらしの中から神による尋問を受けて物事をはっきり理解した後,「私はあなたのことをうわさで聞いていましたが,今は,私のこの目があなたを確かに見ております」と述べました。(ヨブ 38:1; 42:5。裁 13:21,22も参照。)『その心の目』は啓発されていました。(エフェ 1:18と比較。)み父を見ることに関して語られたイエスの言葉は,文字通りの意味ではなく,比喩的な意味に取らなければなりません。このことは,ヨハネ 6章45節のイエスご自身の語られた言葉だけでなく,イエスの死後かなりたってからヨハネが,「いまだ神を見た人はいない。父に対してその懐の位置にいる独り子の神こそ,彼について説明したのである」と書いたことからも明らかです。―ヨハ 1:18; ヨハ一 4:12

トマスはどういう意味で,イエスに,「わたしの主,そしてわたしの神」と言ったのでしょうか

イエスがトマスや他の使徒たちに現われた時,イエスの復活に対するトマスの疑いは取り除かれ,今や確信を抱いたトマスはイエスに向かって,「わたしの主,そしてわたしの神[the God; ホ テオス]!」と叫びました。(ヨハ 20:24-29)中には,この表現をイエスに向かって言われたものとはいえ,実際にはイエスのみ父である神に対する驚きの叫びの言葉とみなしている学者もいます。とはいえ,原語のギリシャ語からすれば,この言葉はイエスに対するものと見なければならないと主張する人たちもいます。たとえそうであるとしても,「わたしの主,そしてわたしの神」という表現はやはり,霊感を受けて記された聖書の他の部分と調和していなければなりません。記録の示すところによると,イエスはそれ以前に,「わたしは,わたしの父またあなた方の父のもとへ,わたしの神またあなた方の神のもとへ上る」という伝言を弟子たちに伝えておられますから,トマスがイエスのことを全能の神と考えていたと信ずべき理由は一つもありません。(ヨハ 20:17)ヨハネ自身,トマスと復活させられたイエスとの出会いについて語ったあとで,この記述や同様の記述についてこう述べています。「しかし,これらのことは,イエスが神のキリストであることをあなた方が信じるため,そして,信じるゆえにその名によって命を持つために記されたのである」― ヨハ 20:30,31

ですから,トマスはイエスが全能の神(God),もしくは「唯一まことの神[God]」ではないものの,神(a god)であるという意味で,イエスに「わたしの神」と呼びかけたのかもしれません。トマスはイエスがこの全能の神に祈られるのをしばしば聞いていたのです。(ヨハ 17:1-3)あるいは,トマスが親しんできたヘブライ語聖書に記録されている,父祖たちが使った表現に似た言い方でイエスに「わたしの神」と言って呼びかけたのかもしれません。様々な機会にエホバのみ使いである使者がある人々のもとを訪れたり,それらの人に話しかけたりした時,それらの人や,時にはその出来事を述べている聖書筆者は,み使いである使者があたかもエホバ神であるかのように,その使者に応答したり,その使者のことを述べたりしました。(創 16:7-11,13; 18:1-5,22-33; 32:24-30; 裁 6:11-15; 13:20-22と比較。)それは,み使いである使者がエホバの代表者としてその代理を務め,その名によって話し,恐らく一人称単数形の代名詞を使い,『わたしはまことの神[God]である』と言うことさえあったからです。(創 31:11-13; 裁 2:1-5)ですから,トマスはそのような意味で,イエスがまことの神の代表者であり,代弁者であることを認め,あるいは告白して,イエスに「わたしの神」と語ったのかもしれません。いずれにしても,トマスの言葉が,彼自身の聞いたイエスがはっきり述べた言葉,すなわち,『父はわたしより偉大な方です』という言葉と矛盾するものでないことは確かです。―ヨハ 14:28

地上でのイエスの誕生 イエスが地上で生まれる前から,み使いたちは人間の姿を取ってこの惑星上に現われたことがありました。それぞれの機会にふさわしい肉体を備えて現われ,それぞれの割り当てを完全に果たしたあとは,肉体を解いて見えなくなったようです。(創 19:1-3; 裁 6:20-22; 13:15-20)したがって,それらみ使いたちは一時的に肉体をまとったにすぎず,霊の被造物であることに変わりはありませんでした。しかし,地上に来て人間イエスとなられた神のみ子の場合はそうではありませんでした。ヨハネ 1章14節によれば,「言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り」ました。それゆえに,イエスはご自分のことを「人の子」と呼ぶことがおできになったのです。(ヨハ 1:51; 3:14,15)中には,『わたしたちの間に宿った[字義,「天幕を張った」]』という表現に注目し,これはイエスが本当の人間ではなく,化身であったことを示していると主張する人たちもいます。しかし,使徒ペテロは自分自身に関して同様の表現を使っていますが,ペテロが化身でなかったことは明らかです。―ペテ二 1:13,14

霊感を受けて記された記録には次のように述べられています。「ところで,イエス・キリストの誕生はこうであった。その母マリアがヨセフと婚約中であった時,ふたりが結ばれる前に,彼女が聖霊によって妊娠していることが分かった」。(マタ 1:18)それ以前に,エホバのみ使いである使者が処女の娘マリアに,神の聖霊が彼女に臨み,神の力が彼女を覆う結果,彼女は『胎内に子を宿す』ことになると知らせていました。(ルカ 1:30,31,34,35)やがて生まれたその子は,“言葉”として天に住んでおられたのと同じとしての同一性を保っていましたし,また,マリアの実子となり,したがってマリアの父祖アブラハム,イサク,ヤコブ,ユダ,およびダビデ王の正真正銘の子孫となって,それらの人々になされた神の約束の正当な相続人となりました。(創 22:15-18; 26:24; 28:10-14; 49:10; サム二 7:8,11-16; ルカ 3:23-34。「イエス・キリストの系図」を参照。)したがって,生まれたその子はある種の身体的特徴の点で,そのユダヤ人の母親に似ていたものと思われます。

マリアは罪人アダムの子孫でしたから,彼女は不完全な罪深い人間でした。それゆえ,マリアの「初子」だったイエスが(ルカ 2:7)どうして物理的有機体の点で完全で,罪のない者であり得たのだろうかという疑問が起きます。現代の遺伝学者たちは遺伝法則や優性および劣性形質について多くのことを学んできたとはいえ,イエスの受胎の場合のような完全さと不完全さの結合の結果について学んだ経験はありません。いずれにせよ,その時,神の聖霊が働いたことは,神の目的が達成されることを保証するものでした。み使いガブリエルがマリアに説明したように,「至高者の力」がマリアを覆ったので,生まれたのは聖なる方,つまり神のみ子でした。神の聖霊がいわば防御壁を形作ったので,どんな不完全さ,もしくは有害な力も,受胎後に発育した胎芽を損なう,もしくは汚すことはできませんでした。―ルカ 1:35

イエスの誕生を可能にしたのは神の聖霊でしたから,イエスが人間としての命を得たのは天のみ父によるものであって,養父ヨセフのようなどんな男性も関与していません。(マタ 2:13-15; ルカ 3:23ヘブライ 10章5節で述べられているように,エホバ神が『[イエス]のために体を備え』られたので,イエスは身ごもられた時以来ずっと,確かに『汚れがなく,罪人から分けられて』いました。―ヘブ 7:26。ヨハ 8:46; ペテ一 2:21,22と比較。

ですから,メシアについて,「その外見の点では……醜いものとされた」と述べているイザヤ 52章14節の預言は,メシアなるイエスにただ比喩的な意味で当てはまるに違いありません。(同章7節と比較。)イエス・キリストは身体的な外見は完全でしたが,真理と義の音信を大胆にふれ告げたため,偽善的な反対者たちの目には嫌悪の情を催させる者として映りました。それら反対者たちはイエスのことをベエルゼブブの手先,つまり悪霊に取りつかれた男,もしくは神を冒とくする詐欺師だと主張したのです。(マタ 12:24; 27:39-43; ヨハ 8:48; 15:17-25)同様に,後にイエスの弟子たちは自分たちがふれ告げた音信のゆえに,その音信を受け入れた人たちにとっては命の「甘い香り」になりましたが,その音信を退けた者たちにとっては死の香りになりました。―コリ二 2:14-16

誕生の時と宣教の期間 イエスは西暦前2年のエタニムの月(9-10月)に生まれ,西暦29年の大体同じころにバプテスマを受け,西暦33年の春,ニサンの月(3-4月)の14日,金曜日の午後3時ごろに亡くなられたものと思われます。これらの年代を算定する根拠は次の通りです。

イエスは親族のヨハネ(バプテスマを施す人)が誕生してから,およそ6か月後に生まれました。それは,ローマ皇帝カエサル・アウグスツスの統治期間中(西暦前31年-西暦14年),およびクレニオがシリアの総督を務めた期間中(クレニオの在任期間と考えられる年代については「登録」を参照)のことで,ユダヤを支配したヘロデ大王の治世の終わりごろのことでした。―マタ 2:1,13,20-22; ルカ 1:24-31,36; 2:1,2,7

イエスの誕生とヘロデの死との関係 ヘロデが亡くなった年代については論争の余地もありますが,西暦前1年であったことを示す,少なからぬ証拠があります。(「ヘロデ」1項[彼の死の年代],「年代計算,年代学,年代記述」[月食]を参照。)イエスの誕生の時からヘロデが亡くなる時までに,多くの出来事が起きました。その中には,生後8日目にイエスに割礼が施されたこと(ルカ 2:21),生まれてから40日後,エルサレムの神殿に連れて行かれたこと(ルカ 2:22,23; レビ 12:1-4,8),占星術者たちが「東方から」ベツレヘムへ旅をしたこと(ベツレヘムではイエスはもはや飼い葉おけではなく,家の中におられた ― マタ 2:1-11。ルカ 2:7,15,16と比較),ヨセフとマリアが幼子を連れてエジプトに逃げたこと(マタ 2:13-15),その後,ヘロデは占星術者たちが自分の指示に従わなかったことに気づき,ベツレヘムとその地域の2歳以下の男の子すべてを打ち殺させたこと(これはイエスが当時,生まれたばかりの赤子ではなかったことを示唆している)などが含まれています。(マタ 2:16-18)イエスの誕生が西暦前2年の秋のことだったとすれば,その誕生の時からヘロデが死んだと思われる西暦前1年までの間に,それらの出来事が起きるのに必要な時間があったことになります。とはいえ,イエスの誕生の年を西暦前2年とする理由はほかにもあります。

ヨハネの宣教の業との関係 「誕生の時と宣教の期間」という副見出しで始まる,この部分の冒頭で指摘されている年代を支持する,さらに別の根拠は,ルカ 3章1-3節にあります。その句は,バプテスマを施す人ヨハネが「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」に宣べ伝える業を開始し,バプテスマを施し始めたことを示しています。その第15年は,西暦28年の後半から西暦29年の8月か9月までの期間でした。(「ティベリウス」を参照。)ヨハネが宣教に携わった期間のある時点で,イエスはヨハネのもとに行き,バプテスマをお受けになりました。イエスがその後,ご自分の宣教の業を開始された時,「およそ三十歳」でした。(ルカ 3:21-23)イエスはダビデが王になった時の年齢である30歳になった時,もはや人間の二親には服されませんでした。―サム二 5:4,5。ルカ 2:51と比較。

民数記 4章1-3,22,23,29,30節によると,律法契約のもとで聖なる所での奉仕に加わるのは,「三十歳以上」の人たちでした。レビ人で,祭司の子であった,バプテスマを施す人ヨハネが,その同じ年齢で,もちろん神殿においてではなかったものの,エホバが彼のために略述された特別の割り当てを受けて,宣教の業を開始したと考えるのは道理にかなったことです。(ルカ 1:1-17,67,76-79)ヨハネとイエスの年齢の差が明確に(二度)述べられていることやこの二人の子の誕生を告げ知らせる際のエホバのみ使いの出現と音信との相互関係は(ルカ 1章),この二人の携わった宣教の業が同じような時間表に従って進行した,つまりヨハネの宣教の業(イエスの先駆者としての業)が始まって約6か月後にイエスの宣教の業が開始されたと考えるべき十分の根拠となっています。

このような根拠からすれば,ヨハネはティベリウスの第15年に宣教の業を開始する30年前,したがって西暦前3年の後半の時期から西暦前2年の8月か9月までのどこかの時点で生まれ,それから約6か月後にイエスが生まれたことになります。

宣教の業が3年半にわたったことを裏付ける証拠 年代計算の裏付けとなる残りの証拠を検討すれば,より一層明確な結論に達することができます。その証拠はイエスの宣教の業の期間と亡くなった時に関するものです。ダニエル 9章24-27節の預言(「七十週」の項の中で十分に論じられている)は,第70「週」の年の初めにメシアが現われ(ダニ 9:25),最後の週の真ん中,つまり「半ば」に犠牲の死を遂げ,その死により,律法契約のもとでささげられる犠牲や供え物の有効性を終わらせることを指し示しています。(ダニ 9:26,27。ヘブ 9:9-14; 10:1-10と比較。)これは,イエス・キリストが3年半(7年から成る1「週」の半分)の期間,宣教の業に携わることを意味していました。

イエスの宣教の業が3年半続き,過ぎ越しの時にその死をもって終わったとすると,その期間に過ぎ越しが合計4回含まれねばならないことになります。それら4回の過ぎ越しが含まれていることを示す証拠は,ヨハネ 2章13節,5章1節,6章4節,13章1節にあります。ヨハネ 5章1節は,明確に過ぎ越しのことを述べてはおらず,「ユダヤ人の祭り[幾つかの古代写本では,この『祭り』という語に定冠詞が付いている]」に言及しているにすぎません。とはいえ,これが年ごとの他のどんな祭りよりも,むしろ過ぎ越しを指していると考えるべき十分の理由があります。

それ以前に,ヨハネ 4章35節で,イエスは,「収穫が来るまでにはまだ四か月」あると言われたことが述べられています。収穫の季節,特に大麦の収穫は大体,過ぎ越しの時期(ニサン14日)に始まりました。したがって,イエスがそのように述べられたのは,過ぎ越しの4か月前,つまりキスレウの月(11-12月)のころのことでした。流刑後の献納の祭りはキスレウの期間に行なわれましたが,それは人々がエルサレムに参集しなければならない大きな祭りの一つではありませんでした。(出 23:14-17; レビ 23:4-44)ユダヤ人の伝承によれば,その祝いは国中の多くの会堂で執り行なわれました。(「献納の祭り」を参照。)後に,ヨハネ 10章22節では,イエスがエルサレムにおけるそのような献納の祭りに出席されたことが明確に述べられています。しかし,イエスはその前の仮小屋の祭り以来,すでにその地域におられたので,特にその献納の祭りに出席する目的でエルサレムに行かれたのではなかったようです。これとは異なり,ヨハネ 5章1節は明らかに,その祭りは,イエスがそのためにガリラヤから(ヨハ 4:54)エルサレムに行かなければならなかった特定の「ユダヤ人の祭り」だったことを意味しています。

キスレウと過ぎ越しの時との間に催された他の唯一の祭りはプリムの祭りで,過ぎ越しの約1か月前のアダル(2-3月)に催されました。しかし,流刑後のプリムの祝祭も同様に国中の家々や会堂で祝われました。(「プリム」を参照。)それで,ヨハネ 5章1節で言及されている「ユダヤ人の祭り」が過ぎ越しの祭りであることは,まず間違いがないようです。その時,イエスがエルサレムにおられたことは,イスラエルに対する神の律法と一致した行動でした。確かに,ヨハネはそのあと,ほんの二,三の出来事を記録しただけで,次の過ぎ越しのことを述べていますが(ヨハ 6:4),「イエスの地上における生涯中のおもな出来事」と題する表を考慮してみると,イエスの初期の宣教の業を扱ったヨハネの記述は非常に短縮されており,他の3人の福音書筆者がすでに論じた多くの出来事は省かれていることが分かります。事実,これらの他の福音書筆者(マタイ,マルコ,およびルカ)が記録したイエスの膨大な量の活動は,ヨハネ 2章13節と6章4節にそれぞれ記録されている過ぎ越しの間にもう1回,年ごとの過ぎ越しが確かにあったという結論に重みを加えるものとなっています。

イエスが死を遂げられた時 イエス・キリストが死を遂げられたのは,ユダヤ暦によれば,春のニサン(またはアビブ)14日の過ぎ越しの日でした。(マタ 26:2; ヨハ 13:1-3; 出 12:1-6; 13:4)その年の過ぎ越しは週の第6日(ユダヤ人の時の区切り方によれば,木曜日の日没から金曜日の日没まで)に当たりました。このことは,翌日が「大いなる」安息日だったことを示しているヨハネ 19章31節から明らかです。過ぎ越しの翌日は週のどの日に当たろうと,常に安息日でした。(レビ 23:5-7)しかし,この特別の安息日は,通常の安息日(週の第7日)と重なった場合,「大いなる日」になりました。したがって,イエスが死を遂げられたのは,ニサン14日,金曜日,午後3時ごろのことでした。―ルカ 23:44-46

証拠の要約 それで,要約すると,イエスは春のニサンの月に死を遂げられたので,ダニエル 9章24-27節によれば,その時より3年半前に始まった,イエスの宣教の業は,に,つまりエタニムの月(9-10月)のころに始まったに違いありません。そうすると,ヨハネの宣教の業(ティベリウスの第15年に開始された)は,西暦29年のに始まったに違いありません。ゆえに,ヨハネの誕生は西暦前2年の春に位置づけられ,イエスの誕生はその6か月ほど後の西暦前2年の秋のことで,イエスの宣教の業はそれから約30年後の西暦29年の秋に始まり,死を遂げられたのは西暦33年(すでに述べた通り,春のニサン14日)ということになります。

冬期に生まれたことを裏付ける根拠はない ですから,一般にイエスの誕生日と言われている12月25日という日付を裏付ける根拠は,聖書には一つもありません。多くの参考文献が示しているように,その日付は異教の祝日に由来しています。12月25日という祝日の起源について,イエズス会士の学者ウルバヌス・ホルツマイスターはこう書いています。

「12月25日の祝いは異教徒がこの日に祝っていた祭りであり,そのことは今日,一般に認められている。すでにペタウィウス[フランスのイエズス会士の学者,1583-1652年]は,12月25日には『征服されざる太陽の誕生日』が祝われたと述べていたが,これは正しい。

「この祭りに関する証拠を挙げると次のようなものがある。(イ)[西暦]354年にフーリウス・ディオニューシウス・フィロカルスが作成した『暦』。この中に,『12月25日,征服されざる者(太陽)の誕生日』とある。(ロ)占星術者アンティオコスの暦([西暦]200年ごろに作成)。『12月……25日……太陽の誕生日。日が長くなる』。(ハ)カエサル・ユリアヌス[背教者ユリアヌス,皇帝,西暦361-363年]は,『征服されざる太陽』と呼ばれた太陽に敬意を表して年末に挙行された競技会を推奨した」―「クロノギア・ウィータエ・クリスティー(キリストの生涯の年代記)」,ポンティフィキウム・イーンスティトゥートゥム・ビブリクム,ローマ,1933年,46ページ。

12月25日という日付が正しくないことを示す最も明白な証拠は,恐らく,イエスが誕生した夜,羊飼いが原野で羊の群れの番をしていたという聖書的な事実でしょう。(ルカ 2:8,12)秋のブルの月(10-11月)までには,すでに雨期が始まっており(申 11:14),夜になると,羊の群れは安全な避難所に入れられました。次の月のキスレウ(ユダヤ暦の第9月,つまり11-12月)は,雨の降る寒い月でしたし(エレ 36:22; エズ 10:9,13),テベト(12-1月)は一年のうちで気温が最も低く,高地地方では時々雪が降りました。ですから,夜,羊飼いが原野にいたことは,イエスの誕生の時が初秋の月エタニムだったことを示す証拠と調和しています。―「キスレウ」; 「ブル」を参照。

さらに,12月という日付にとって不利なのは,ローマ皇帝がユダヤ人の臣民(反抗的である場合が多かった)に登録を行なわせるため,「それぞれ自分の都市に」旅をする時期として,そのような雨の降る冬の月を選ぶとはまず考えられないという点です。―ルカ 2:1-3。マタ 24:20と比較。「テベト」を参照。

幼いころの生活 イエスの幼いころの生活に関する記録はごく簡単なものです。イエスはダビデ王の郷里の都市であるユダヤのベツレヘムで生まれ,家族と共にエジプトから戻った後,ガリラヤのナザレに連れて行かれました。これはすべて,神の預言の成就でした。(マタ 2:4-6,14,15,19-23; ミカ 5:2; ホセ 11:1; イザ 11:1; エレ 23:5)イエスの養父ヨセフは大工で(マタ 13:55),資力の乏しい人だったようです。(ルカ 2:22-24をレビ 12:8と比較。)ですから,イエスは人間として生活を始めた最初の日に馬小屋で眠り,また幼年時代をかなり質素な生活環境の中で過ごされたようです。ナザレは二つの主要な通商路の近くにありましたが,歴史的に有名ではありませんでした。多くのユダヤ人から見下されていたのかもしれません。―ヨハ 1:46と比較。第2巻,537,539ページの写真・図版; 「ナザレ」を参照。

イエスの最初の何年間かの生活については,「幼子は成長して強くなってゆき,知恵に満たされ,神の恵みが引き続きその上にあった」ということ以外,何も知られていません。(ルカ 2:40)時たつうちに,ヨセフとマリアに4人の息子と何人かの娘が生まれ,家族は大きくなりました。(マタ 13:54-56)それで,マリアの「初子」である息子(ルカ 2:7)は,独りっ子として成長したわけではありません。イエスの両親が自分たちの一番年上の子イエスが一行の中にいないことにしばらく気づかずにエルサレムから帰途の旅に就くことになったのも,きっとそういう事情だったからでしょう。イエスの若いころの生活に関して幾らか詳しく述べられている事はと言えば,イエス(12歳)が神殿を訪れ,そこでユダヤ人の教師たちと討論をし,教師たちを驚かせたその時の出来事だけです。(第2巻,538ページの図版)イエスのことを心配した両親はそこにいるイエスを捜し当てましたが,その時の両親に対するイエスの返事からすると,イエスはご自分の出生が奇跡的なものであったことを知っており,ご自分が将来メシアになることをも自覚しておられたことが分かります。(ルカ 2:41-52)その母と養父が,み使いの訪問を受けて得た情報だけでなく,イエスが誕生してから40日後,初めてエルサレムへ旅をした時にシメオンやアンナの語った預言を聞いて得た情報をもイエスに伝えていたと考えるのは道理にかなったことです。―マタ 1:20-25; 2:13,14,19-21; ルカ 1:26-38; 2:8-38

いわゆる「トマスによるイエスの幼時物語」のような幾つかの外典に記されている空想的な物語の中でもっともらしく述べられている,イエスが幼年時代に何らかの奇跡的な力を持っていたとか,そのような力を行使したとかということを示唆するものは一つもありません。イエスが宣教の業に携わっておられた期間中にカナで行なわれた,水をぶどう酒に変える奇跡は,イエスの「しるしの始め」でした。(ヨハ 2:1-11)同様に,イエスはナザレで家族と共におられた時も,完全な人間としてのご自分の知恵や優越性をこれ見よがしに示したりはされなかったようです。その点については,イエスが人間として宣教の業に携わっておられた期間中,イエスの異父兄弟たちがイエスに信仰を働かせなかったことや,ナザレの住民のほとんどがイエスに対して不信仰な態度を示したことに示唆されているかもしれません。―ヨハ 7:1-5; マル 6:1,4-6

それでも,イエスはナザレの人々によく知られていたようです。(マタ 13:54-56; ルカ 4:22)イエスの立派な特質や人格は,少なくとも義と善良さに対する正しい認識を示す人々からは確かに注目されたに違いありません。(マタ 3:13,14と比較。)イエスは安息日にはいつも会堂での礼拝に出席されました。イエスは“高等教育”を施すラビの学校には行きませんでしたが,聖書の中のある箇所を見つけてそこを朗読する能力を持っておられたことからも分かるように,教養のある方でした。―ルカ 4:16; ヨハ 7:14-16

イエスのこうした若い時代に関する記録が短いのは,イエスがまだ「キリスト」としてエホバにより油そそがれてはいなかったからで(マタ 16:16),前途に控えていた神からの任務を遂行し始めてはおられなかったからです。イエスの幼年時代や成長過程は,誕生と同様,付随的とはいえ必要な,目的達成のための手段でした。後にイエスはそのことをローマ総督ピラトに向かってこう言われました。「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」― ヨハ 18:37

イエスのバプテスマ イエスはバプテスマを受けた時に聖霊を注がれ,それによってその時から事実上,メシア,つまりキリスト,すなわち神の油そそがれた者となられました。(み使いたちはイエスの誕生を告げ知らせた時,預言的な意味でこの称号を使ったようです; ルカ 2:9-11。また,ルカ 2:25,26に注目。)ヨハネはそれまでに6か月の間,「神の救いの手だて」のための「道を備え」ていました。(ルカ 3:1-6)今や「およそ三十歳」になられたイエスは,最初,思いとどまらせようとしたヨハネを制して,バプテスマをお受けになりました。ヨハネがそうしたのは,自分がその時まで悔い改めた罪人たちにだけバプテスマを施していたからです。(マタ 3:1,6,13-17; ルカ 3:21-23)しかし,イエスは罪のない方でした。したがって,イエスのバプテスマはむしろ,み父の意志を行なうために自分を差し出したことを証しするものでした。(ヘブ 10:5-9と比較。)イエスが「水から上がられ」,祈っておられると,「天が分かれ」,神の霊がはとのような形を取ってご自分の上に下るのを『ご覧になり』ました。また天から,「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」と言うエホバの声が聞こえました。―マタ 3:16,17; マル 1:9-11; ルカ 3:21,22

イエスの上に注がれた神の霊は,多くの点でイエスの思いを啓発したに違いありません。その後のイエスご自身の言葉や,とりわけ西暦33年の過ぎ越しの夜,み父にささげた心情あふれる祈りは,イエスが人間になる以前から存在していたことやみ父から聞いた事柄,またご自分の見た,み父のなさった事柄,それに自ら天で享受していた栄光などを思い出されたことを示しています。(ヨハ 6:46; 7:28,29; 8:26,28,38; 14:2; 17:5)恐らく,イエスがバプテスマを受けて油そそがれた時に,そのような事柄の記憶がよみがえったのでしょう。

イエスは聖霊で油そそがれることにより,宣べ伝えて教えるという奉仕の務めを遂行し(ルカ 4:16-21),同時に神の預言者として仕えるよう任命され,使命を与えられました。(使徒 3:22-26)しかし,それに加えて,エホバの約束の王,つまりダビデの王座を受け継ぎ(ルカ 1:32,33,69; ヘブ 1:8,9),さらに永遠の王国を受け継ぐ者としても任命され,使命を与えられました。そのようなわけで,後日,イエスはパリサイ人たちに,『神の王国はあなた方のただ中にあります』と言うことがおできになりました。(ルカ 17:20,21)同様に,イエスはアロンの子孫としてではなく,王なる祭司であったメルキゼデクに似た神の大祭司を務めるよう油そそがれました。―ヘブ 5:1,4-10; 7:11-17

完全なアダムが「神の子」であったのと全く同様,イエスは誕生の時以来,ずっと神のみ子でした。(ルカ 3:38; 1:35)み使いガブリエルはイエスが神のみ子であることをその誕生の前に明らかに示していました。ですから,イエスがバプテスマをお受けになった後,「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」と言う,み父の声が聞こえた時(マル 1:11),神の霊の流れによりイエスが油そそがれると共に発せられたその宣言が,イエスの実体に関する単なる確認以上のものだったと考えるのは道理にかなったことのように思えます。明らかに,イエスはその時,神の子として神により生み出された,またはもうけられたのです。もう一度天に住む神の霊の子として命を受ける見込みを持って,言わば「再び生まれ」ました。―ヨハ 3:3-6; 6:51; 10:17,18と比較。「バプテスマ」; 「独り子」を参照。

神の目的におけるイエスの肝要な立場 エホバ神はご自分の長子をご自身のあらゆる目的を果たす上での中心的な,すなわち主要な人物(ヨハ 1:14-18; コロ 1:18-20; 2:8,9),あらゆる預言の光が集中すると共にそこから放射状に広がる焦点(ペテ一 1:10-12; 啓 19:10; ヨハ 1:3-9),サタンの反逆によって生じたあらゆる問題を解決する手だて(ヘブ 2:5-9,14,15; ヨハ一 3:8),および神が天と地のご自分の宇宙的な家族のとこしえの益を図って将来のあらゆる取り決めを設けるための基とすることをお決めになりました。(エフェ 1:8-10; 2:20; ペテ一 2:4-8)イエスは神の目的の中でこのように肝要な役割を演じておられるゆえに,「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」と正しく,また誇張せずに言うことがおできになりました。―ヨハ 14:6

「神聖な奥義」 イエス・キリストのうちに明らかにされた神の目的は,「神聖な奥義[または,秘義]」として,『久しいあいだ沈黙のうちに保たれて』いました。(ロマ 16:25-27)エデンで反逆が起きて以来,4,000年以上の間,信仰の人々は,「胤」が蛇のような敵対者の頭を砕くことによって人類を救済するという神の約束の成就を待ち望んでいました。(創 3:15)それらの人々はほぼ2,000年の間,「胤」に関してアブラハムと結ばれたエホバの契約に望みをかけていました。その「胤」は「その敵の門を手に入れ」,またその「胤」によって地のすべての国の民が自らを祝福するのです。―創 22:15-18

ついに,「時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし」,そのみ子によって「神聖な奥義」の意味を明らかにし,神の敵対者が起こした論争に対する決定的な答えを提出し(「エホバ」[最大の論争は倫理上の論争]を参照),ご自分のみ子の贖いの犠牲により,従順な人類を罪と死から請け戻す手だてを設けられました。(ガラ 4:4; テモ一 3:16; ヨハ 14:30; 16:33; マタ 20:28)そのようにして,エホバ神はご自分の僕たちの脳裏から,ご自分の目的に関するどんな不確かな,もしくはあいまいな点をも除き去られました。そのようなわけで,使徒は,「神の約束がどんなに多くても,それは[イエス・キリスト]によって,はい,となった」と述べているのです。―コリ二 1:19-22

「神聖な奥義」には,単に神のみ子をそのような方として見分けることだけが関係していたのではありません。むしろ,あらかじめ定められた神の目的の枠組みの中でみ子に割り当てられた役割と,イエス・キリストを通してその目的が啓示され,遂行されることが関係していました。大変長い間奥義とされていたその目的は,「定められた時の満了したときにおける管理のため」のもので,「すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集める」ことなのです。―エフェ 1:9,10

キリスト・イエスと密接に結び付けられた「神聖な奥義」の側面の一つは,イエスが新しい天的な政府の頭となることで,その成員は地上の住民の中から取られた人々(ユダヤ人と非ユダヤ人)で構成され,その勢力範囲は天と地の両方を包含します。ですから,ダニエル 7章13,14節の幻の中で,「人の子のような」者(後に,この称号はしばしばキリストに適用されている ― マタ 12:40; 24:30; ルカ 17:26。啓 14:14と比較)がエホバの天の法廷に現われ,「支配権と尊厳と王国」を与えられます。それは,「もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるため」です。しかし,同じその幻は,「至上者の聖なる者たち」もこの「人の子」と共に王国と支配権と偉観にあずかることを示しています。(ダニ 7:27)イエスは地上におられた時,弟子たちの中から,ご自分の王国政府の成員になる見込みのある最初の人たちを選び,またそれらの人が『イエスの試練の間イエスに堅く付き従った』後,王国のための契約を彼らと結び,彼らを神聖なもの(あるいは「聖なる者たち」)としてくださるようみ父に祈り,さらに,「わたしのいる所に彼らも共にいて,わたしに与えてくださった栄光を見るように」していただきたいと懇願なさいました。(ルカ 22:28,29; ヨハ 17:5,17,24)クリスチャン会衆はそのようにキリストと結ばれているので,霊感を受けた使徒が後に言い表わしたように,クリスチャン会衆も「神聖な奥義」の中で一つの役割を演じています。―エフェ 3:1-11; 5:32; コロ 1:26,27。「神聖な奥義」を参照。

「命の主要な代理者」 キリスト・イエスはみ父の過分のご親切の一つの表現として,ご自分の完全な人間の命を犠牲としてお捨てになりました。その結果,キリストの選ばれた追随者たちがキリストと結ばれて天で共に統治することが可能になり,またその王国の支配を受ける地上の臣民のための取り決めを設けることも可能になりました。(マタ 6:10; ヨハ 3:16; エフェ 1:7; ヘブ 2:5。「贖い」を参照。)そのようにして,イエスは全人類のための「命の主要な代理者[「君」,欽定; エルサレム]」となられました。(使徒 3:15)ここで使われているギリシャ語は,基本的には「主要な指導者」を意味しており,これと関連のある語がイスラエルの「支配者」としてのモーセ(使徒 7:27,35)に適用されています。

したがって,「主要な指導者」,または「命の開拓者」(モファット)としてのイエス・キリストは,仲介者もしくは仲立ちになったという意味で,とこしえの命を得るための新たな肝要な要素をもたらされた方ですが,行政上の意味でもそのような方です。イエスは罪からの完全な清めと罪のもたらす致命的な影響からの解放を成し遂げることのできる,神の大祭司です。(ヘブ 3:1,2; 4:14; 7:23-25; 8:1-3)また,任命された裁き主であり,すべて裁きはこの方の手にゆだねられているので,この方は人類の中の個人個人に各々がご自分の王権の下で生きるに値するかどうかにしたがい,分別を働かせてご自分の贖いの益を施されますし(ヨハ 5:22-27; 使徒 10:42,43),死者の復活もこの方を通して行なわれます。(ヨハ 5:28,29; 6:39,40)エホバ神がみ子を用いることをそのようにお定めになったゆえに,「ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」。―使徒 4:12。ヨハ一 5:11-13と比較。

その「名」にはイエスの権威のそのような側面も含まれているので,イエスの弟子たちは命の主要な代理者の代表者として,その名によって,人々の受け継いだ罪に起因する病をいやすことができ,また死者をよみがえらせることさえできました。―使徒 3:6,15,16; 4:7-11; 9:36-41; 20:7-12

その「名」の深い意義 苦しみの杭の上で遂げられたイエスの死は,人間の救いの点で肝要な役割を果たしていますが,これを受け入れることが,『イエスの名に信仰を持つ』ということに関係する事柄のすべてでは決してないことが分かります。(使徒 10:43)イエスは復活させられた後,弟子たちに,「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています」と告げ,そのようにして,ご自分が宇宙的な勢力範囲を有する政府の頭であることを示されました。(マタ 28:18)使徒パウロは,イエスのみ父が,「すべてのものを彼[イエス]に服させた方」,すなわち主権者なる神エホバご自身を明らかに例外として,「彼[イエス]に服さないものを何一つ残さなかった」ことを明らかにしました。(コリ一 15:27; ヘブ 1:1-14; 2:8)ですから,イエス・キリストの「名」は,エホバがイエスに授けられた,法を執行する非常に大きな権威を包含している,あるいは表わしているので,神のみ使いたちの名よりも優れています。(ヘブ 1:3,4)喜んでその「名」を認め,その名に対して身をかがめ,その名が表わしている権威に服する人たちだけが,とこしえの命を得ることになります。(使徒 4:12; エフェ 1:19-23; フィリ 2:9-11)そのような人たちはイエスが例証された規準を支持する点で,またイエスがお与えになった命令に信仰を抱いて従う点で誠実でなければならず,偽善的であってはなりません。―マタ 7:21-23; ロマ 1:5; ヨハ一 3:23

クリスチャンがあらゆる国民に憎まれる理由となるイエスの「名」とは何ですか

イエスの「名」のこの別の面を示す例となっているのは,ご自分の追随者たちが「わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となる」というイエスの預言的な警告の言葉です。(マタ 24:9。また,マタ 10:22; ヨハ 15:20,21; 使徒 9:15,16)それは明らかに,イエスの名が贖い主,もしくは請け戻す方としての名称を表わしていたからではなく,神により任命された支配者,つまり王の王を表わしていたからです。あらゆる国民はこの方に服して身をかがめねばならず,そうしないなら,滅びを被ることになるのです。―啓 19:11-16。詩 2:7-12と比較。

それで,これも確かなことですが,悪霊たちは取りついていた人から出るようにというイエスの命令に屈服したとき,イエスが神の犠牲の子羊であるという根拠に基づいてではなく,王国の油そそがれた代表者としてのイエスの名が表わしていた権威のゆえにそうしたのです。その方はみ使いの単なる1軍団どころか,12軍団を要請する権威を持ち,去るようにとの命令に強情に抵抗するどんな悪霊たちをも追い出すことのできる方なのです。(マル 5:1-13; 9:25-29; マタ 12:28,29; 26:53。ダニ 10:5,6,12,13と比較。)イエスの忠実な使徒たちは,イエスの生前にも死後にも,イエスの名を用いて悪霊を追い出す権威を与えられていました。(ルカ 9:1; 10:17; 使徒 16:16-18)しかし,ユダヤ人の祭司スケワの息子たちがイエスの名をそのような仕方で用いようとしたところ,邪悪な霊は彼らにどんな権利があってその名の表わす権威に訴えるのかと挑み,悪霊に取りつかれていた男に彼らを襲わせ,ひどい目に遭わせました。―使徒 19:13-17

イエスの追随者たちはイエスの「名」を呼ぶ際,「主イエス」とか,「わたしたちの主イエス・キリスト」という表現を頻繁に用いました。(使徒 8:16; 15:26; 19:5,13,17; コリ一 1:2,10; エフェ 5:20; コロ 3:17)彼らがイエスを自分たちの主と認めたのは,イエスが贖いの犠牲のゆえに神により任命された買い戻す方,ならびに所有者であられたからだけでなく(コリ一 6:20; 7:22,23; ペテ一 1:18,19; ユダ 4),イエスの王としての地位や権威のためでもありました。イエスの追随者たちはイエスの名が表わしていた,王ならびに祭司としてのイエスの完全な権威によって宣べ伝え(使徒 5:29-32,40-42),弟子たちにバプテスマを施し(マタ 28:18-20; 使徒 2:38。コリ一 1:13-15と比較),不道徳な者たちを排斥し(コリ一 5:4,5),自分たちの牧していたクリスチャン会衆に説き勧め,教え諭しました(コリ一 1:10; テサ二 3:6)。それで,命を得る者としてイエスにより是認された人たちは,支配するための神の権威を表わす何か他の「名」に信仰を置いたり,忠誠を示したりすることは決してできず,神により任命されたこの王であられる主イエス・キリストの「名」に破れることのない忠節を示さねばならないということになります。―マタ 12:18,21; 啓 2:13; 3:8。「神に近づく」を参照。

「真理について証しする」 「それでは,あなたは王なのだな」というピラトの質問に,イエスはこうお答えになりました。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」。(ヨハ 18:37。「訴訟,訴え」[イエスの裁判]を参照。)聖書が示しているように,イエスが証しされた真理は,単なる一般的な真理ではありませんでした。それは,かつて神の目的であった事柄や現在神の目的となっている事柄に関する最も重要な真理,つまり神の至高の意志とその意志を成し遂げる神の能力に関する基本的な事実に基づく真理でした。イエスは,「神聖な奥義」に含まれているその真理とは,「ダビデの子」であるイエス・キリストが王座に就いて王なる祭司として仕える,神の王国であることをご自分の宣教の業によって明らかにされました。それはまた,ダビデの都市である,ユダヤのベツレヘムでイエスが生まれる前,およびお生まれになった時にみ使いたちがふれ告げた音信の核心でもありました。―ルカ 1:32,33; 2:10-14; 3:31

真理について証しする点でご自分の宣教を成し遂げるために,イエスには単に話したり,宣べ伝えたり,教えたりする以上のことが求められました。イエスは人間として生まれるためにご自分の天的な栄光を捨てるだけでなく,律法契約に包含されていた影,すなわち型を含め,ご自分について預言されていた事柄すべてを成就しなければなりませんでした。(コロ 2:16,17; ヘブ 10:1)イエスはみ父の預言的な言葉や約束に関する真理を擁護するために,その真理を実現させるような仕方で生き,ご自分の言動や生き方や死に方によって真理を成就しなければなりませんでした。ですから,イエスはご自分が真理であること,要するに真理を体現した方であることが必要でしたし,イエスご自身,自分がそのような者であると言われました。―ヨハ 14:6

このようなわけで,使徒ヨハネは,イエスが「過分の親切と真理とに満ちていた」と書くことができ,また『律法はモーセを通して与えられたが,過分の親切と真理とはイエス・キリストを通して存するようになった』と書くことができました。(ヨハ 1:14,17)イエスが人間として誕生し,水のバプテスマを受けることによりご自身を神に差し出し,神の王国のために3年半のあいだ公の奉仕を行ない,神に対する忠実を保って死に,天に復活させられたことにより ― これらの歴史的な出来事すべてによって ― 神の真理は到来し,つまり『存するようになりました』。つまり,実現したのです。(ヨハ 1:18; コロ 2:17と比較。)ですから,イエス・キリストの全生涯は,「真理について証しする」,すなわち神が誓っておられた事柄について証しするものでした。したがって,イエスは決して影としてのメシアもしくはキリストなどではありませんでした。イエスは約束された本当のメシアもしくはキリストでした。決して影としての王なる祭司などではありませんでした。イエスは実質的に,また実際に,予示されていた真の王なる祭司だったのです。―ロマ 15:8-12。詩 18:49; 117:1; 申 32:43; イザ 11:10と比較。

この真理は,神の目的の中でイエスの果たす役割を受け入れて「真理の側にいる」ことを示す人を「自由にする」真理でした。(ヨハ 8:32-36; 18:37)み子に関する神の目的を無視して,他の何らかの土台の上に希望を築くなら,つまり他の何らかの根拠に基づいて自分の人生航路に関する種々の判断を下すなら,うそを信じ,欺かれ,偽りの父である神の敵対者の導きに従うことになります。(マタ 7:24-27; ヨハ 8:42-47)それは,「自分の罪のうちに死ぬ」ことを意味するでしょう。(ヨハ 8:23,24)そのようなわけで,イエスは神の目的におけるご自分の立場について言明するのを差し控えたりはなさいませんでした。

確かに,イエスはご自身がメシアであることを一般の人々に吹聴しないよう,ご自分の弟子たちに厳しく指示することさえなさいましたし(マタ 16:20; マル 8:29,30),弟子たちだけと一緒にいる時以外は,ご自分のことをあからさまにキリストであると言われることはめったにありませんでした。(マル 9:33,38,41; ルカ 9:20,21; ヨハ 17:3)しかしイエスは大胆に,またいつも決まったように,ご自身がキリストであることを証明する,種々の預言やご自分の業のうちに見られる証拠に注意を引かれました。(マタ 22:41-46; ヨハ 5:31-39,45-47; 7:25-31)イエスは,とある井戸の傍らでサマリア人の女に話しかけた時,「旅のためにすっかり疲れて」いましたが,ご自分がだれであるかを彼女に明らかにされました。それは恐らく,その町の人たちの好奇心をそそり,人々を町からご自分のところに誘い出すためだったようですが,結果としてその通りになりました。(ヨハ 4:6,25-30)メシアであると幾ら主張しても,それに証拠が伴わないなら,何の意味もなかったことでしょう。それに結局は,見聞きする人々がその証拠から間違いなく導き出せる結論を受け入れるには,それらの人々の側に信仰が必要だったのです。―ルカ 22:66-71; ヨハ 4:39-42; 10:24-27; 12:34-36

試され,完全にされる エホバ神はみ子に,地に赴いて約束のメシアとして仕える使命を託し,み子に対する最高度の信頼を実証されました。神はご自分の犠牲の子羊として仕える「胤」(創 3:15),すなわちメシアを出現させるというご自身の目的を「世の基が置かれる前から」予知しておられました。(ペテ一 1:19,20)この「世の基が置かれる前から」という表現は,「予知,あらかじめ定める」(メシアに関する事柄をあらかじめ定める)という見出しのもとで考慮されています。しかし,そのような役割を果たすよう選ばれた特定の者をエホバがどの時点で指名したり,そういうことをその当事者に知らせたりされたのか,それがエデンで反逆の起きた時だったのか,あるいはもっと後だったのかについて,聖書の記録は何も述べていません。種々の必要条件,とりわけ贖いの犠牲という必要条件があったため,不完全な人間はだれも用いることができませんが,完全な霊の子なら用いることができました。幾千万もの霊の子らすべての中から,エホバはこの割り当てを引き受ける,ひとりの霊の子,すなわちご自分の初子である“言葉”をお選びになりました。―ヘブ 1:5,6と比較。

神のみ子はこの割り当てを喜んでお受けになりました。このことはフィリピ 2章5-8節から見て明らかです。み子はご自分の天的な栄光と霊者としての性質の点で「自分を無にし」,ご自分の命が地上の物質的な人間の水準の命に変えられることに甘んじて「奴隷の形を取り」ました。み子の前に置かれた割り当ては重大な責任を意味するものでしたから,非常に多くのことが関係していました。み子が忠実を保てば,ヨブに関して記録されているサタンの主張,すなわち神の僕たちは窮乏や苦しみや試みに遭うなら,神を否定するという主張が偽りであることを証明することになります。(ヨブ 1:6-12; 2:2-6)神の全被造物の中の長子であるイエスは,その非難に対する最も決定的な答えと,エホバの宇宙主権の正当性に関するより大きな論争で,み父の側を支持する最も優れた証拠とを提供することがおできになりました。そうすることにより,イエスはご自分が「アーメンなる者,忠実で真実な証人」であることを示すことになります。(啓 3:14)もし失敗したなら,イエスは他のだれにもできないほど,み父の名にそしりをもたらすことになったでしょう。

もちろん,エホバはご自分の独り子を選ぶに際し,『生じ得る罪にあずかる者』となる危険を冒して「性急に手を置いて」いたわけではありません。イエスは決して,『誇りのために思い上がり,悪魔に下された裁きに陥り』そうな未熟者などではなかったからです。(テモ一 5:22; 3:6と比較。)エホバはそれまでの数えきれないほどの歳月にわたるみ子との親密な交わりにより,み子を『十分に知って』おられ(マタ 11:27。創 22:12; ネヘ 9:7,8と比較),またそれゆえに,み言葉のたがうことのない預言を成就する務めをみ子に割り当てることがおできになりました。(イザ 46:10,11)したがって,運命予定説の理論で唱えられているようなこととは違い,神は預言されていたメシアの役割を演じる立場にみ子を置いたからといって,ただそれだけで専断的に,あるいは自動的にみ子の「確かな成功」(イザ 55:11)を保証しておられたわけではないのです。

み子は今回ご自分の前に置かれたような試みをかつて一度も経験したことはありませんでしたが,ご自身の忠実さや専心をほかの仕方で実証しておられました。み子は神の代弁者,つまり“言葉”としてすでに大きな責任を持っておられました。しかし,神の地上の代弁者モーセが一度誤用したのとは違い,ご自分の地位や権威を誤用したことは決してありませんでした。(民 20:9-13; 申 32:48-51; ユダ 9)あらゆるものはみ子を通して造られたのであり,み子はそのような方なので,一種の神,つまり「独り子の神」でした。(ヨハ 1:18)したがって,神の他のすべての霊の子たちとの関係では,栄光ある卓越した地位を占めておられました。それでも,ごう慢になることはありませんでした。(エゼ 28:14-17と対比。)ですから,み子の忠節さや謙遜さや専心が多くの点でまだ実証されていなかったとは言えませんでした。

一例として,神の最初の人間の子アダムに課せられた試みについて考えてみてください。その試みに関係していた事柄はと言えば,迫害や苦しみを忍耐することではなく,善悪の知識の木に関して神のご意志に敬意を払って従順に従い続けることだけでした。(創 2:16,17。「」を参照。)サタンの反逆や誘惑は元々神が行なわれた試みの一部ではなく,神とは全く異なる源に由来する付け加えられた特異な事柄でした。また,その試みには,それが行なわれた時,エバの逸脱行為の結果としてアダムが直面したような,人間的などんな誘惑も必要ではありませんでした。(創 3:6,12)そういうわけで,悪行を犯させようとする外部からの何らかの誘惑や影響がなくても,アダムを試みることはできました。問題はすべて,アダムの心に ― 神に対する愛と利己心の全くない態度に ― かかっていました。(箴 4:23)アダムは忠実であることを証明したなら,試みを受け,是認された,神の人間の子として,「命の木」から実を取って「食べ,定めのない時まで生きる」特権に恵まれたことでしょう。(創 3:22)それも,悪質な影響や誘惑,迫害,あるいは苦しみなどに遭わずにそうなったことでしょう。

神に奉仕する歩みから逸脱してサタンとなった霊の子は,だれかに迫害されたから,あるいは悪いことをするよう誘惑されたからサタンになったのではないことにも注目できるでしょう。神がそうさせたのでないことは確かです。というのは,『神が悪い事柄でだれかに試練を与えることはない』からです。ところが,その霊の子は忠節を保たず,「自分の欲望に引き出されて誘われる」ままになり,罪をおかして反逆者になりました。(ヤコ 1:13-15)彼は愛に関する試みで失敗したのです。

しかし,神の敵対者により起こされた論争のゆえに,約束のメシアであり,神の王国の将来の王であるみ子は今や新たな状況のもとで忠誠の試みを受けざるを得なくなりました。この試みとそれに伴う苦しみも,み子が人類に対する神の大祭司としての地位にふさわしい者として『完全にされる』ために必要でした。(ヘブ 5:9,10)救いの主要な代理者としての職に完全に任じられるために必要な条件にかなうには,神のみ子は「すべての点で自分の『兄弟たち』[み子の油そそがれた追随者となった人たち]のようにならなければなりませんでした。……憐れみ深い忠実な大祭司とな(る)ためでした」。み子は困難や苦しみを忍耐しなければなりませんでした。それは,「試練に遭っている者たちを助けに来ることができ」,「すべての点でわたしたちと同じように試され,しかも罪のない」方として,それらの者たちの弱さに同情することができるようになるためです。み子は完全で罪のない方ですが,それでも「無知で過ちを犯す者たちを穏やかに扱うことができ」ます。不完全な人間はそのような大祭司を通してのみ,『時にかなった助けとして憐れみを得,また過分のご親切を見いだすために,はばかりのないことばで過分のご親切のみ座に近づく』ことができました。―ヘブ 2:10-18; 4:15–5:2。ルカ 9:22と比較。

依然として倫理的に自由な行為者 イエスご自身,メシアに関する預言はすべて確実に実現する,つまり「必ず成就する」と言われました。(ルカ 24:44-47; マタ 16:21。マタ 5:17と比較。)しかし,そうだからといって,神のみ子にかかっていた責任の重圧が除かれたわけでも,忠実を保つか不忠実になるかのどちらかを選択する自由がなくなったわけでもないことは確かです。問題は片方の側に,全能の神エホバにだけかかっていたのではありません。預言が実現するためには,み子はご自分の分を果たさなければなりませんでした。神は賢明にも,この割り当てを果たす者として「ご自分の愛するみ子」を選ぶことにより,預言の成就の確かさを保証されました。(コロ 1:13)み子が人間として地上におられた間も,ご自分の自由意志を保持し,行使しておられたことは明らかです。イエスはご自分の意志のことについて触れ,み父のご意志に自発的に服していたこと(マタ 16:21-23; ヨハ 4:34; 5:30; 6:38),またみ父のみ言葉の中で予定されているご自分の割り当てを成し遂げようと意識的に努力したことを示されました。(マタ 3:15; 5:17,18; 13:10-17,34,35; 26:52-54; マル 1:14,15; ルカ 4:21)もちろん,預言的な意味を持つ,特色ある事柄の中には,イエスが成就を左右できないものもあり,イエスの死後に起きたものもありました。(マタ 12:40; 26:55,56; ヨハ 18:31,32; 19:23,24,36,37)イエスの死の前夜に関する記録は,イエスにとってご自身の意志をご自分よりも知恵のある方であられるみ父の勝った意志に従わせるため,熱烈な個人的努力を払う必要があったことを極めて明確に示しています。(マタ 26:36-44; ルカ 22:42-44)その記録はまた,イエスが完全な方であったものの,人間としてみ父エホバ神に依存しており,危急の際には必要な力をその方に求めなければならないことを深く認識しておられたということをも示しています。―ヨハ 12:23,27,28; ヘブ 5:7

ですから,イエスには,バプテスマを受けて油そそがれたあと,荒野で40日間断食(モーセもしたことがある)をして過ごした間,黙想すべき事柄や自分を強めて対処できるようにしておくべき事柄がたくさんありました。(出 34:28; ルカ 4:1,2)その荒野でイエスは,み父の蛇のような敵対者に直接遭遇しました。悪魔サタンは,エデンで使ったのと同様の戦術を使ってイエスを誘惑し,イエスに利己的な態度を示させ,自分を高めさせ,み父の最高の地位を否定させようとしました。イエス(「最後のアダム」)はアダムとは異なり,忠誠を保ったので,また一貫してみ父の言明されたご意志を引き合いに出されたゆえに,サタンは「別の都合の良い時まで」引き下がらざるを得ませんでした。―ルカ 4:1-13; コリ一 15:45

イエスの業と人格的特質 「過分の親切と真理」はどちらもイエス・キリストを通して存することになっていたので,イエスは人々の中に出て行って,人々に話を聞かせ,ご自分の業や特質を見させなければなりませんでした。それは,イエスがメシアであることを人々が認め,イエスが「神の子羊」として彼らのために死なれる時,イエスの犠牲に対して信仰を抱けるようにするためです。(ヨハ 1:17,29)イエスは徒歩で何百キロもの旅をし,自らパレスチナの多くの地方を訪れました。そして,都市や村,会堂や神殿,市の立つ広場や街路や家々だけでなく,湖岸や山腹でも人々に話をし(マタ 5:1,2; 26:55; マル 6:53-56; ルカ 4:16; 5:1-3; 13:22,26; 19:5,6),大勢の群衆にも個々の人々にも,男にも女にも,年取った人にも若い人にも,富んだ人にも貧しい人にも話しかけられました。―マル 3:7,8; 4:1; ヨハ 3:1-3; マタ 14:21; 19:21,22; 11:4,5

添付の表は,イエスの地上での生涯に関する四つの記述を年代順に調整すればこうなるという例を示しています。また,その表を見れば,イエスの3年半にわたる宣教期間に行なわれた様々の“遊説”もしくは講演旅行についてある程度理解することもできます。

イエスは骨折って働き,早く起きたり,夜まで奉仕したりして,ご自分の弟子たちのために模範を示されました。(ルカ 21:37,38; マル 11:20; 1:32-34; ヨハ 3:2; 5:17)山上の垂訓を行なう前夜のように,夜を徹して祈られたことも一度ならずありました。(マタ 14:23-25; ルカ 6:12–7:10)別の時には,夜も奉仕した後,まだ暗いうちに起きて,寂しい場所へ行って祈られました。(マル 1:32,35)イエスは個人の自由な時間をしばしば群衆によって邪魔されたにもかかわらず,「彼らを親切に迎え,神の王国について話しはじめ」られました。(ルカ 9:10,11; マル 6:31-34; 7:24-30)イエスは疲労や渇きや飢えを経験しましたし,時には食事を取らずに,なすべき業を行なわれたこともありました。―マタ 21:18; ヨハ 4:6,7,31-34。マタ 4:2-4; 8:24,25と比較。

物質上のものに対する釣り合いの取れた見方 しかしイエスは身の回りの状況には構わず極端なまでに自己否定の生き方をする苦行者ではありませんでした。(ルカ 7:33,34)何度となく食事への招待や宴会への招待をさえ受けただけでなく,かなり裕福な人々の家を訪問されたこともあります。(ルカ 5:29; 7:36; 14:1; 19:1-6)水を上等のぶどう酒に変えることにより,結婚式の楽しみに寄与されたこともあります。(ヨハ 2:1-10)また,ご自分のために行なわれた良いことを正しく評価されました。ラザロの姉妹マリアがイエスの足に油を塗るため,1ポンドの香油(220㌦以上,あるいは労働者の約1年分の賃金ほどの価値のあるもの)を使ったことでユダが憤りを表わし,その油を売れば益にあずかれたはずの貧しい人々のことを気遣っているふりをした時,イエスはこう言われました。「彼女をそのままにしておきなさい。わたしの埋葬の日を見越して彼女がこの習わしを守れるようにするためです。あなた方にとって,貧しい人たちは常にいますが,わたしは常にはいないからです」。(ヨハ 12:2-8; マル 14:6-9)イエスが捕らえられた時に着ておられた内衣は,「上からそっくり織ったもので」,上質の衣だったようです。(ヨハ 19:23,24)とはいえ,イエスは常に霊的な事柄を第一にし,他の人たちに助言を与えた通り,決して物質上のものに過度の関心を抱いたりはされませんでした。―マタ 6:24-34; 8:20; ルカ 10:38-42。フィリ 4:10-12と比較。

勇敢な解放者 イエスは宣教期間中ずっと,非常な勇気,雄々しさ,および力強さをはっきり示されました。(マタ 3:11; ルカ 4:28-30; 9:51; ヨハ 2:13-17; 10:31-39; 18:3-11)イエスはヨシュアやダビデ王その他の人々のように,神の大義のため,また義を愛する人たちのために戦う方でした。約束の「胤」であるイエスは,『蛇の胤』の敵意に直面し,彼らと戦わねばなりませんでした。(創 3:15; 22:17)イエスは悪霊たちや悪霊が人間の思いや心に及ぼす影響と戦って攻勢に出られました。(マル 5:1-13; ルカ 4:32-36; 11:19-26。コリ二 4:3,4; エフェ 6:10-12と比較。)偽善的な宗教指導者たちは実際には神の主権とご意志に敵対していることを示しました。(マタ 23:13,27,28; ルカ 11:53,54; ヨハ 19:12-16)イエスは一連の論戦で,それら宗教指導者たちを徹底的に打ち負かしました。イエスは力,完ぺきな抑制力,および戦術を駆使して,神のみ言葉である「霊の剣」を振るい,反対者たちの持ち出した巧妙な議論やわなのような質問を切り崩して,彼らを窮地に追い詰めたり,進退きわまった状態に陥らせたりしました。(マタ 21:23-27; 22:15-46)イエスは恐れずに彼らの正体を暴露されました。すなわち,彼らが人間の伝承や形式主義を教える者,盲目の指導者,まむしらの世代,および悪霊たちの君であり,殺人を犯した偽り者でもある,神の敵対者の子らであることを暴露なさったのです。―マタ 15:12-14; 21:33-41,45,46; 23:33-35; マル 7:1-13; ヨハ 8:40-45

こうしたすべての点で,イエスは決して無謀なことをしたり,わざわざ面倒を起こしたりはせず,不必要な危険を冒すことがないようにしておられました。(マタ 12:14,15; マル 3:6,7; ヨハ 7:1,10; 11:53,54。マタ 10:16,17,28-31と比較。)イエスの勇気は信仰に基づいていました。(マル 4:37-40)イエスは悪く言われたり虐待されたりしても,自制心を失うことなく,冷静さを保ち,『義にそって裁く方にご自分をゆだねて』おられました。―ペテ一 2:23

モーセよりも偉大な方であるイエスは,真理のために勇敢に戦い,神の目的に関して人々に光をもたらすことにより,解放者としての預言的な役割を果たされました。イエスはとりこにされた者たちに自由をふれ告げられました。(イザ 42:1,6,7; エレ 30:8-10; イザ 61:1)多くの人は利己的な理由で,また権力者を恐れてしりごみしましたが(ヨハ 7:11-13; 9:22; 12:42,43),中には勇気をもって,無知につながれた状態から,また偽りの指導者や偽りの希望への隷従状態から抜け出す人々もいました。(ヨハ 9:24-39。ガラ 5:1と比較。)ユダの忠実な王たちが領土内から偽りの崇拝を排除するために組織的な運動を行なったように(代二 15:8; 17:1,4-6; 王二 18:1,3-6),神のメシアなる王イエスの行なった宣教の業は,当時の偽りの宗教に壊滅的な影響をもたらしました。―ヨハ 11:47,48

イエス・キリストの地上における宣教に関してさらに情報を得たい方は,第2巻,540,541ページの地図を参照してください。

感情の深さと温かさ しかし同時に,イエスは神の大祭司を務めるのに必要な条件である感受性に富んだ方でした。イエスは完全な方でしたが,罪に苦しむ,不完全な人々の間で生活し,働いていた時,それらの人々を酷評したり,それらの人々に対して尊大で横柄な態度(パリサイ人に見られたような)を取ったりはされませんでした。(マタ 9:10-13; 21:31,32; ルカ 7:36-48; 15:1-32; 18:9-14)子供たちでさえ,イエスと一緒にいると,くつろいだ気持ちになれました。イエスは一人の子供を例として用いた時,単にその子を弟子たちの前に立たせただけでなく,『両腕をその子にかける』こともされました。(マル 9:36; 10:13-16)イエスはご自分が追随者たちの真の友で,愛情深い仲間であることを実証し,『彼らを最後まで愛されました』。(ヨハ 13:1; 15:11-15)イエスはご自分の権威を行使して,多くを要求したり,人々に重荷を加えたりはせず,むしろ,『すべて,労苦している人よ,わたしのところに来なさい。わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう』と言われました。弟子たちは,イエスが「気質が温和で,心のへりくだった」方であり,そのくびきは心地よく,その荷は軽いものであることを知りました。―マタ 11:28-30

祭司の務めには民の身体的な健康と霊的な健康を顧みることが含まれていました。(レビ 13-15章)イエスは哀れみの気持ちと同情心に動かされて,病,盲目その他の苦しみに悩む民を助けられました。(マタ 9:36; 14:14; 20:34; ルカ 7:11-15。イザ 61:1と比較。)イエスはご自分の友ラザロが死んだため,またそのためにラザロの姉妹たちが悲嘆に暮れているのを見て,『うめき,涙を流されました』。(ヨハ 11:32-36)こうして,メシアなるイエスは,一種の前触れとして,他の人々の『病を担い,痛みを負い』ました。ご自分の力を犠牲にしてそうされたのです。(イザ 53:4; ルカ 8:43-48)イエスは預言の成就としてだけでなく,『自分からそう望んで』,そうされたのです。(マタ 8:2-4,16,17)さらに重要なこととして,イエスは人々に霊的な健康と罪の許しをもたらされました。そうする権威が与えられていたのです。なぜなら,キリストであるイエスは,贖いの犠牲となるよう,あらかじめ定められており,実際,苦しみの杭の上で終わる死へのバプテスマをすでに受けておられるところだったからです。―イザ 53:4-8,11,12。マタ 9:2-8; 20:28; マル 10:38,39; ルカ 12:50と比較。

「“くすしい助言者”」 祭司には神の律法やご意志に関して民を教育する責任がありました。(マラ 2:7)また,イエスは王なるメシア,つまり予告されていた『エッサイ[ダビデの父]の切り株から出る小枝』として,『知恵,計り事,力強さ,知識,ならびにエホバへの恐れによってエホバの霊』を表わさなければなりませんでした。イエスは,そのようなエホバへの恐れから来る「楽しみ」を表わすことになっていました。(イザ 11:1-3)「ソロモン以上の」方(マタ 12:42)であられたイエスの教えに見られる比類のない知恵は,イエスが確かに神のみ子であり,福音書の記述が単なる不完全な人間の思考,もしくは想像の産物ではあり得ないことを示す最も強力な証拠の一つです。

イエスは神のみ言葉やご意志に関する知識,人間の性質に関する理解,質問や問題の核心に触れる能力により,また日常生活の諸問題の解決策を示すことによって,ご自分が約束の「“くすしい助言者”」(イザ 9:6)であることを実証されました。広く知られた山上の垂訓はそのことを示す最も良い例です。(マタ 5-7章)その中のイエスの助言は,真の幸福を見いだす方法,不和の解決の仕方,不道徳を避ける方法,敵意を示す人の扱い方,偽善の全くない義を実践する方法,生活に必要な物質上のものに対する正しい態度,神の寛大さに対する確信,他の人との正しい関係を保つための黄金律,宗教上の欺まんを見抜く方法,安全な将来のために建てる方法などを示しています。群衆は,「その教え方に驚き入ってい(まし)た。権威のある人のように教えておられ,彼らの書士たちのようではなかったから」です。(マタ 7:28,29)イエスは復活後も引き続き人間に対するエホバの意思伝達の経路として主要な方でした。―啓 1:1

優れた教師 イエスの教え方は非常に効果的でした。(ヨハ 7:45,46)イエスは非常に重要な奥深い事柄を分かりやすく,簡潔に,はっきりと話されました。イエスは聴衆が ― 漁師(マタ 13:47,48),羊飼い(ヨハ 10:1-17),農夫(マタ 13:3-9),建築者(マタ 7:24-27; ルカ 14:28-30),商人(マタ 13:45,46),奴隷や主人(ルカ 16:1-9),主婦(マタ 13:33; ルカ 15:8),その他だれもが(マタ 6:26-30)― よく知っている物事を例として挙げて要点を明らかにされました。(マタ 13:34,35)パン,水,塩,皮袋,古い衣などの簡単な物が,非常に重要な事柄の象徴として使われました。それらはヘブライ語聖書の中でも同じように使われています。(ヨハ 6:31-35,51; 4:13,14; マタ 5:13; ルカ 5:36-39)イエスはよく類推を使った論法で間違った反論を一掃し,問題に関する釣り合いの取れた見方を示されました。(マタ 16:1-3; ルカ 11:11-22; 14:1-6)イエスはご自分の伝える音信をおもに人々の心に触れさせることを目指し,鋭い質問を用いて人々に考えさせ,自分で結論を出させ,自分の動機を吟味させ,決定させるようにされました。(マタ 16:5-16; 17:24-27; 26:52-54; マル 3:1-5; ルカ 10:25-37; ヨハ 18:11)イエスは一般大衆を説き伏せようとするのではなく,真理と義を誠実に渇望している人たちの心を覚醒させることに努められました。―マタ 5:3,6; 13:10-15

イエスは聴衆だけでなく,ご自分の弟子たちでさえ理解力が限られていることに思いやりを示し(マル 4:33),彼らにどれほどの情報を与えるかに関して識別力を働かせましたが(ヨハ 16:4,12),人気を得ようとしたり人々の機嫌を取ろうとしたりして,神の音信に手心を加えるようなことは決してなさいませんでした。イエスの話し方は率直で,時には無骨な場合さえありました。(マタ 5:37; ルカ 11:37-52; ヨハ 7:19; 8:46,47)「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」というのが,イエスの音信の主題でした。(マタ 4:17)初期の時代のエホバの預言者たちがしたように,イエスは民に「その反乱を,ヤコブの家にその罪」をはっきりと告げ(イザ 58:1; マタ 21:28-32; ヨハ 8:24),彼らが立ち返って神の恵みと命を受けることにつながる『狭い門と狭められた道』を指し示されました。―マタ 7:13,14

「指導者また司令官」 イエスは「指導者また司令官」,ならびに「国たみに対する証人」としての資格があることを実証されました。(イザ 55:3,4; マタ 23:10; ヨハ 14:10,14。テモ一 6:13,14と比較。)宣教の業を始めて数か月後,そうする時が訪れたとき,イエスはすでにご存じだったある人たちのところに行き,「わたしの追随者になりなさい」と言って,彼らをお招きになりました。それらの人はためらうことなくこたえ応じ,漁業や収税所での仕事を捨てました。(マタ 4:18-22; ルカ 5:27,28。詩 110:3と比較。)女の人たちはイエスとその追随者たちの必要な物を備えるため,時間や労力や物質上の所有物をささげました。―マル 15:40,41; ルカ 8:1-3

この小集団は,新しい「国民」,つまり霊的なイスラエルの元になる核を形成しました。(ペテ一 2:7-10)イエスは12使徒を選ぶ前に,み父の導きを求めて一晩中祈られました。これらの使徒たちは,もし忠実であれば,肉のイスラエルにおけるヤコブの12人の息子のように,その新しい国民の柱となることになっていました。(ルカ 6:12-16; エフェ 2:20; 啓 21:14)モーセが70人の男子を国民の代表者として自分の仲間に加えたように,イエスも後日,さらに70人の弟子たちを宣教に携わるよう選ばれました。(民 11:16,17; ルカ 10:1)その後,イエスはそれらの弟子たちに特に注意を集中して,教えや指示をお与えになりました。山上の垂訓でさえ,その内容から明らかなように,おもに弟子たちのために話されました。―マタ 5:1,2,13-16; 13:10,11; マル 4:34; 7:17

イエスは頭としての責任を完全に受け入れ,あらゆる点で率先し(マタ 23:10; マル 10:32),宣べ伝える業のほかに,責任や仕事を弟子たちに割り当て(ルカ 9:52; 19:29-35; ヨハ 4:1-8; 12:4-6; 13:29; マル 3:9; 14:12-16),励まし,また戒めることもなさいました。(ヨハ 16:27; ルカ 10:17-24; マタ 16:22,23)イエスは司令官でもあられ,その命令のうちの主要なものは,『ご自分が弟子たちを愛したとおりに弟子たちが互いを愛すること』でした。(ヨハ 15:10-14)イエスは何千人にも上る群衆を監督することがおできになりました。(マル 6:39-46)ほとんどが身分の低い,あまり教育を受けていない弟子たちにイエスがお与えになった,着実で,助けになる訓練は,極めて効果的なものでした。(マタ 10:1–11:1; マル 6:7-13; ルカ 8:1)後日,高い教育を受けた,身分の高い人々は,使徒たちの自信に満ちた力強い話し方に驚嘆させられるようになり,使徒たちは「人をすなどる者」として,自分たちの宣べ伝える業に何千人もの人々がこたえ応じるという驚くべき成果を収めました。(マタ 4:19; 使徒 2:37,41; 4:4,13; 6:7)イエスは弟子たちの心に聖書の原則を入念に植え込まれたので,それら原則を把握した弟子たちは後年,群れを世話する真の牧者になることができました。(ペテ一 5:1-4)こうして,イエスは3年半の短期間に,多くの人種の中から引き寄せられて来る何千人もの成員を擁する,一致した国際的な会衆のための健全な土台を据えられました。

有能な供給者,ならびに義にかなった審判者 イエスによる支配がソロモンのそれをしのぐ繁栄をもたらすであろうことは,弟子たちの漁の仕方を指導して驚くほどの大漁をもたらしたイエスの能力からして明らかでした。(ルカ 5:4-9。ヨハ 21:4-11と比較。)ベツレヘム(「パンの家」の意)で生まれたこの方が何千人もの人々に食物をお与えになったこと,それに水を上等のぶどう酒に変えられたことは,神のメシアによる王国によって「すべての民のために」設けられる将来の宴の小規模な前触れでした。(イザ 25:6。ルカ 14:15と比較。)イエスによる支配は貧困や飢えを終わらせるだけでなく,『死を呑み込む』ものにさえなるでしょう。―イザ 25:7,8

それに,メシアに関する預言と一致して,その政府がもたらす公正と義にかなった裁きを信頼すべき十分の理由もありました。(イザ 11:3-5; 32:1,2; 42:1)イエスは律法,それも特にご自分の父なる神の律法に対して,また世俗の政府として地上で機能することを許されている「上位の権威」の法律に対しても最大の敬意を示されました。(ロマ 13:1; マタ 5:17-19; 22:17-21; ヨハ 18:36)イエスは,民衆が歓呼する中で『イエスを王にして』,当時の政界に出させようとする努力を退けられました。(ヨハ 6:15。ルカ 19:11,12; 使徒 1:6-9と比較。)イエスはご自分の権威の範囲を踏み越えたりはなさいませんでした。(ルカ 12:13,14)『イエスに罪があると証明する』ことのできる人は一人もいませんでした。それはイエスが生まれながらに完全だったからだけでなく,絶えず気を配って神のみ言葉を守り行なっておられたからでした。(ヨハ 8:46,55)イエスは義と忠実さを帯のように締めておられました。(イザ 11:5)義に対するイエスの愛は,悪や偽善や欺まんに対する憎しみのみならず,貪欲で他の人の苦しみに対して無感覚な者に対する憤りとも結び付けられていました。(マタ 7:21-27; 23:1-8,25-28; マル 3:1-5; 12:38-40。マル 12:41-44と比較。)立場の低い柔和な人たちは勇気を得ることができました。なぜなら,イエスによる支配は不正や圧制をぬぐい去るものとなるからです。―イザ 11:4; マタ 5:5

イエスは原則に対する,つまり神の律法の真の意味や目的に対する鋭い識別力を示し,神の律法の「より重大な事柄」,すなわち「公正と憐れみと忠実」を強調なさいました。(マタ 12:1-8; 23:23,24)イエスは弟子たちのうちの一人に特に愛情を感じておられたとはいえ,公平で,えこひいきなどされませんでした。(マタ 18:1-4; マル 10:35-44; ヨハ 13:23。ペテ一 1:17と比較。)イエスは苦しみの杭の上で死にひんしていた時,最後の行為の一つとして,ご自分の人間の母に対する気遣いを示されましたが,ご自分の肉親の家族のきずなを霊的な関係よりも優先させたことは決してありませんでした。(マタ 12:46-50; ルカ 11:27,28; ヨハ 19:26,27)予告されていたように,イエスは問題を決して「目で見る単なる外見」に基づいて表面的に扱うことも,「ただ耳で聞くことにしたがって」戒めることもされませんでした。(イザ 11:3。ヨハ 7:24と比較。)イエスは人の心の内を見抜き,人の考えや推論や動機を見分けることがおできになりました。(マタ 9:4; マル 2:6-8; ヨハ 2:23-25)そして,ご自分の耳を神のみ言葉に向けさせ,自分の意志ではなく,み父のご意志をお求めになりました。こうして,神により任命された審判者としてのイエスの決定は常に正しく,義にかなったものであることが保証されています。―イザ 11:4; ヨハ 5:30

傑出した預言者 イエスはモーセのような,しかもモーセよりも偉大な預言者としての必要条件を満たされました。(申 18:15,18,19; マタ 21:11; ルカ 24:19; 使徒 3:19-23。ヨハ 7:40と比較。)イエスはご自分の苦しみや死に方,弟子たちが散らされること,エルサレムの攻囲,および同市とその神殿の完全な滅びを予告されました。(マタ 20:17-19; 24:1–25:46; 26:31-34; ルカ 19:41-44; 21:20-24; ヨハ 13:18-27,38)イエスはこれら後半の出来事に関連して,ご自分の臨在の時,つまりご自分の王国が活発に機能するようになる時に成就する預言を含められました。また,以前の預言者たちのように,ご自分が神から遣わされたことを示す神からの証拠として,しるしや奇跡を行なわれました。イエスの信用証明書はモーセのそれをしのぐものでした。イエスはガリラヤの海のあらしを静め,その水の上を歩き(マタ 8:23-27; 14:23-34),目の見えない人や耳の聞こえない人や足のなえた人,それにらい病のような由々しい病気にかかっている人もいやし,死者をよみがえらせることさえなさいました。―ルカ 7:18-23; 8:41-56; ヨハ 11:1-46

実に見事な愛の模範 イエスの人格のこれらすべての面を貫いて際立っている特質は,愛 ― とりわけみ父と,さらに仲間の被造物とに対するイエスの愛 ― です。(マタ 22:37-39)それゆえ,愛はイエスの弟子を見分ける著しい印となりました。(ヨハ 13:34,35。ヨハ一 3:14と比較。)イエスの愛は感傷的なものではありませんでした。イエスは強い感情を表わされましたが,常に原則によって導かれており(ヘブ 1:9),み父のご意志がイエスの最大の関心事でした。(マタ 16:21-23と比較。)イエスは,神のおきてを守ることにより(ヨハ 14:30,31。ヨハ一 5:3と比較),またいつもみ父の栄光をたたえるよう努めることにより,神に対するご自分の愛を証明されました。(ヨハ 17:1-4)イエスはご自分の最後の夜,弟子たちと共にいた時,愛や愛することについて30回近く話し,「互いに愛し合う」ようにとの命令を3回繰り返されました。(ヨハ 13:34; 15:12,17)そして,弟子たちに対しこう言われました。「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません。わたしが命令していることを行なうなら,あなた方はわたしの友です」― ヨハ 15:13,14。ヨハ 10:11-15と比較。

その後,イエスは神と不完全な人類とに対するご自分の愛の証拠として,ご自身を『ほふり場に向かう羊のように連れて行かれる』ままにし,甘んじて裁判をお受けになり,平手で打たれ,こぶしで殴られ,つばをかけられ,むちで打たれ,最後に犯罪者たちの間で杭にくぎづけにされました。(イザ 53:7; マタ 26:67,68; 27:26-38; マル 14:65; 15:15-20; ヨハ 19:1)そして,ご自分の犠牲の死により,人間に対する神の愛を実証し,また表わし(ロマ 5:8-10; エフェ 2:4,5),ご自分の忠実な弟子たちに対するご自身の破れることのない愛に人が絶対の信頼を抱けるようにされました。―ロマ 8:35-39; ヨハ一 3:16-18

書き記された記録は明らかに簡潔なものですが(ヨハ 21:25),そこから得られる神のみ子の人物像はすばらしいものですから,実物はそれよりもはるかにすばらしかったに違いありません。義や公正を擁護する強さと結び付いている謙遜さや親切に関するイエスの心温まる模範は,その王国政府が何世紀にもわたって信仰の人々が待望してきたとおりのものになること,実際,それらの人々の最大の期待をも凌駕するほどのものになることを保証しています。(ロマ 8:18-22)イエスはあらゆる面でご自分の弟子たちのための完全な規準,世の支配者たちのそれとは大いに異なる規準を例証されました。(マタ 20:25-28; コリ一 11:1; ペテ一 2:21)弟子たちの主であられるイエスが彼らの足を洗われたのです。このようにしてイエスは,油そそがれた追随者たちの会衆を地上だけでなく天においても特徴づける深い思いやり,配慮,謙遜の型を残されました。(ヨハ 13:3-15)それら追随者たちは高い天の王座に就けられ,キリストの千年統治の期間中,「天と地におけるすべての権威」をイエスと共にしますが,イエスの地上の臣民の必要を謙遜に顧み,その必要を満たすために愛を込めて仕えるに違いありません。―マタ 28:18; ロマ 8:17; ペテ一 2:9; 啓 1:5,6; 20:6; 21:2-4

義と宣せられ,ふさわしいと宣せられる イエス・キリストは,自ら犠牲となることを含め,神への忠誠を保った全生涯により,「正しさを立証する一つの行為」をし遂げ,その行為によって,ご自分が天で神の油そそがれた王なる祭司として仕える資格のあることを証明なさいました。(ロマ 5:17,18)そして,神の天的なみ子として死人の中から命に復活させられることにより,「霊において義と宣せられ」ました。(テモ一 3:16)天の生き物たちは,イエスのことを公正と裁きのためにライオンのような方として,また他の人々を救うためにご自分を犠牲として与えた点で子羊のような方として,「力と富と知恵と強さと誉れと栄光と祝福を受けるにふさわしい」方である,とふれ告げました。(啓 5:5-13)イエスはみ父の名を神聖なものにするという主要な目的をすでに成し遂げておられました。(マタ 6:9; 22:36-38)イエスは神のみ名を用いるだけでなく,そのみ名によって表わされている神がどのような方かを明らかにし,み父の見事な特質 ― 愛,知恵,公正,および力 ― を示して,人々が神のみ名の表わす事柄を知り,経験できるようにすることにより,その主要な目的を成し遂げられました。(マタ 11:27; ヨハ 1:14,18; 17:6-12)そして,何よりも,イエスはエホバの宇宙主権を擁護し,ご自分の王国政府が権威の最高の源であられるその方にしっかりと基づくものであることを示すことにより,そうなさいました。ですから,イエスについて,「神は限りなく永久にあなたの王座」と言うことができました。―ヘブ 1:8

したがって,主イエス・キリストは「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者」であられます。イエスは自ら預言を成就し,また将来にかかわる神の目的を明らかにすることにより,それにご自分の言動やひととなりによって,真の信仰のよりどころとなるべき堅固な土台を備えられたのです。―ヘブ 12:2; 11:1

[191-194ページの図表]

イエスの地上における生涯中のおもな出来事

四福音書の記述は年代順に配列されている

イエスが宣教の業を開始するまで

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

西暦前3年

エルサレム,神殿

バプテスマを施す人ヨハネの誕生がゼカリヤに予告される

1:5-25

西暦前2年ごろ

ナザレ; ユダヤ

イエスの誕生がマリアに予告される。マリアはエリサベツを訪ねる

1:26-56

西暦前2年

ユダヤの丘陵地

バプテスマを施す人ヨハネの誕生。その後の砂漠での生活

1:57-80

西暦前2年,10月1日ごろ

ベツレヘム

アブラハムおよびダビデの子孫としてのイエス(“言葉”と呼ばれた方で,この方を通して他のすべてのものが存在するようになった)の誕生

1:1-25

2:1-7

1:1-5,9-14

ベツレヘム付近

み使いは良いたよりを発表する。羊飼いたちはそのみどりごを訪ねる

2:8-20

ベツレヘム; エルサレム

イエスは割礼を受け(8日目),神殿で差し出される(40日目より後)

2:21-38

西暦前1年,または西暦1年

エルサレム; ベツレヘム; ナザレ

占星術者たち。エジプトへ逃れる。みどりごたちが殺される。イエスは戻る

2:1-23

2:39,40

西暦12年

エルサレム

過ぎ越しの時の12歳のイエス。帰郷

2:41-52

29年,春

荒野,ヨルダン

バプテスマを施す人ヨハネの宣教

3:1-12

1:1-8

3:1-18

1:6-8,15-28

イエスの宣教の業の始まり

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

29年,秋

ヨルダン川

イエスはバプテスマを受け,油そそがれる。ダビデの家系の人間として生まれたが,神のみ子と宣せられる

3:13-17

1:9-11

3:21-38

1:32-34

ユダヤの荒野

イエスは断食をし,誘惑に遭う

4:1-11

1:12,13

4:1-13

ヨルダンの向こうのベタニヤ

イエスに関する,バプテスマを施す人ヨハネの証言

1:15,29-34

上ヨルダン渓谷

イエスの最初の弟子たち

1:35-51

ガリラヤのカナ; カペルナウム

イエスの最初の奇跡。カペルナウムを訪れる

2:1-12

30年,過ぎ越し

エルサレム

過ぎ越しの祝い。神殿から商売人を追い出す

2:13-25

エルサレム

イエスはニコデモと論じる

3:1-21

ユダヤ; アイノン

イエスの弟子たちはバプテスマを施す。ヨハネは減ってゆく

3:22-36

ティベリア

ヨハネが投獄される。イエスはガリラヤへ向かう

4:12; 14:3-5

1:14; 6:17-20

3:19,20; 4:14

4:1-3

サマリアのスカル

イエスはガリラヤへ行く途中,サマリア人を教えられる

4:4-43

ガリラヤでのイエスの大規模な宣教の業

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

ガリラヤ

まず,「天の王国は近づいた」と発表する

4:17

1:14,15

4:14,15

4:44,45

カナ; ナザレ; カペルナウム

少年をいやす。使命について朗読する。退けられる。カペルナウムへ移る

4:13-16

4:16-31

4:46-54

ガリラヤの海,カペルナウム付近

シモンとアンデレ,ヤコブとヨハネを召す

4:18-22

1:16-20

5:1-11

カペルナウム

悪霊に取りつかれた人をいやす。ペテロのしゅうとめや他の多くの人々をもいやす

8:14-17

1:21-34

4:31-41

ガリラヤ

今や召された4人を伴う,第1回ガリラヤ旅行

4:23-25

1:35-39

4:42,43

ガリラヤ

らい病人がいやされる。大勢の群衆がイエスのもとに押し寄せる

8:1-4

1:40-45

5:12-16

カペルナウム

体のまひした人をいやす

9:1-8

2:1-12

5:17-26

カペルナウム

マタイを召す。収税人たちとの会食

9:9-17

2:13-22

5:27-39

ユダヤ

ユダヤの諸会堂で宣べ伝える

4:44

31年,過ぎ越し

エルサレム

祭りに出席する。男の人をいやす。パリサイ人を叱責する

5:1-47

エルサレムからの帰途(?)

弟子たちが安息日に穀物の穂をむしる

12:1-8

2:23-28

6:1-5

ガリラヤ; ガリラヤの海

安息日に手をいやす。海辺に退く。人々をいやす

12:9-21

3:1-12

6:6-11

カペルナウム付近の山

12人が使徒として選ばれる

3:13-19

6:12-16

カペルナウム付近

山上の垂訓

5:1–7:29

6:17-49

カペルナウム

士官の僕をいやす

8:5-13

7:1-10

ナイン

やもめの息子をよみがえらせる

7:11-17

ガリラヤ

獄の中のヨハネは弟子たちをイエスのもとに遣わす

11:2-19

7:18-35

ガリラヤ

諸都市は非難される。みどりごたちに対する啓示。心地よいくびき

11:20-30

ガリラヤ

罪深い女がイエスの足に油をそそぐ。債務者の例え

7:36-50

ガリラヤ

12人を伴う,第2回ガリラヤ伝道旅行

8:1-3

ガリラヤ

悪霊に取りつかれた人がいやされる。ベエルゼブブと結託しているとして非難される

12:22-37

3:19-30

ガリラヤ

書士とパリサイ人がしるしを求める

12:38-45

ガリラヤ

キリストの弟子たちこそ近い親族

12:46-50

3:31-35

8:19-21

ガリラヤの海

種まき人,雑草,その他の例え。その説明

13:1-53

4:1-34

8:4-18

ガリラヤの海

湖を渡っていた時,風あらしを静める

8:18,23-27

4:35-41

8:22-25

ガリラヤの海の南東,ガダラ

悪霊に取りつかれた二人の男がいやされる。豚が悪霊に取りつかれる

8:28-34

5:1-20

8:26-39

多分,カペルナウム

ある女がいやされる。ヤイロの娘がよみがえらされる

9:18-26

5:21-43

8:40-56

カペルナウム(?)

二人の盲人と悪霊に取りつかれて口のきけなくなった人をいやす

9:27-34

ナザレ

自分の育った都市を再び訪ねて,またもや退けられる

13:54-58

6:1-6

ガリラヤ

第3回ガリラヤ旅行。使徒たちが遣わされて規模が拡大される

9:35–11:1

6:6-13

9:1-6

ティベリア

バプテスマを施す人ヨハネが首をはねられる。やましい気持ちから生じたヘロデの恐れ

14:1-12

6:14-29

9:7-9

32年,過ぎ越しが近づいていた時期(ヨハ 6:4

カペルナウム(?); ガリラヤの海の北東岸

使徒たちが伝道の旅から戻る。5,000人が食物を与えられる

14:13-21

6:30-44

9:10-17

6:1-13

ガリラヤの海の北東岸; ゲネサレ

イエスを王位に就かせようとする試み。イエスは海の上を歩く。人々をいやす

14:22-36

6:45-56

6:14-21

カペルナウム

自分が「命のパン」であることを明らかにする。多くの弟子たちが離れ去る

6:22-71

32年,過ぎ越しの後

多分,カペルナウム

神のみ言葉を無効にする伝統

15:1-20

7:1-23

7:1

フェニキア; デカポリス

ティルスやシドンの付近。次いで,デカポリスへ。4,000人が食物を与えられる

15:21-38

7:24–8:9

マガダン

サドカイ人とパリサイ人が再びしるしを求める

15:39–16:4

8:10-12

ガリラヤの海の北東岸; ベツサイダ

パリサイ人のパン種に気をつけるよう警告する。盲人をいやす

16:5-12

8:13-26

カエサレア・フィリピ

イエスはメシア。死と復活を予告する

16:13-28

8:27–9:1

9:18-27

多分,ヘルモン山

ペテロ,ヤコブ,およびヨハネの前での変ぼう

17:1-13

9:2-13

9:28-36

カエサレア・フィリピ

弟子たちがいやせなかった,悪霊に取りつかれた人をいやす

17:14-20

9:14-29

9:37-43

ガリラヤ

自分の死と復活を再び予告

17:22,23

9:30-32

9:43-45

カペルナウム

税のためのお金が奇跡的に備えられる

17:24-27

カペルナウム

王国において最も偉大な者。過ちによる問題を解決する。憐れみ

18:1-35

9:33-50

9:46-50

ガリラヤ; サマリア

仮小屋の祭りに出るためガリラヤを去る。奉仕の業のためにすべてのものを後にする

8:19-22

9:51-62

7:2-10

ユダヤにおけるイエスの後期の宣教の業

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

32年,仮小屋の祭り

エルサレム

仮小屋の祭りの際,イエスは公に教える

7:11-52

エルサレム

祭りの後の教え。盲人をいやす

8:12–9:41

多分,ユダヤ

宣べ伝える業を行なうよう70人を遣わす。彼らは戻って来て報告する

10:1-24

ユダヤ; ベタニヤ

隣人愛を示したサマリア人の話をする。マルタとマリアの家で

10:25-42

多分,ユダヤ

模範的な祈りを再び教える。執ように求めること

11:1-13

多分,ユダヤ

偽りの非難を論ばくする。当時の世代が有罪とされ得ることを示す

11:14-36

多分,ユダヤ

イエスはパリサイ人の食卓で偽善を糾弾する

11:37-54

多分,ユダヤ

神の気遣いに関する講話。忠実な家令

12:1-59

多分,ユダヤ

体の不自由な女を安息日にいやす。三つの例え

13:1-21

32年,献納の祭り

エルサレム

献納の祭りの際のイエス。りっぱな羊飼い

10:1-39

ヨルダンの東側におけるイエスの後期の宣教の業

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

ヨルダンの向こう側

多くの人々がイエスに信仰を持つ

10:40-42

ペレア(ヨルダンの向こう側)

都市や村で教えながら,エルサレムへ向かう

13:22

ペレア

王国に入ること。ヘロデの脅し。家は荒廃する

13:23-35

多分,ペレア

謙遜さ。盛大な晩さんの例え

14:1-24

多分,ペレア

弟子となるための費用を見積もる

14:25-35

多分,ペレア

例え: 失われた羊,なくなった硬貨,放とう息子

15:1-32

多分,ペレア

例え: 不義な家令,富んだ人とラザロ

16:1-31

多分,ペレア

許すことや信仰。何の役にも立たない奴隷

17:1-10

ベタニヤ

ラザロはイエスにより死んだ状態からよみがえらされる

11:1-46

エルサレム; エフライム

イエスにとって不利なカヤファの助言。イエスは退かれる

11:47-54

サマリア; ガリラヤ

サマリアやガリラヤを通る途中で人々をいやし,教えられる

17:11-37

サマリア,もしくはガリラヤ

例え: しつこくせがむやもめ,パリサイ人と収税人

18:1-14

ペレア

ペレアを通って下って行く。離婚について教える

19:1-12

10:1-12

ペレア

子供たちを受け入れて,祝福する

19:13-15

10:13-16

18:15-17

ペレア

富んだ青年。ぶどう園の労働者の例え

19:16–20:16

10:17-31

18:18-30

多分,ペレア

イエスは自分の死と復活について三度目の予告をする

20:17-19

10:32-34

18:31-34

多分,ペレア

ヤコブとヨハネを王国で座に就かせて欲しいという願い

20:20-28

10:35-45

エリコ

エリコを通った際,二人の盲人をいやす。ザアカイのもとを訪れる。10ミナの例え

20:29-34

10:46-52

18:35–19:28

エルサレムにおけるイエスの最後の宣教の業

場所

出来事

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

33年,ニサン8日

ベタニヤ

過ぎ越しの6日前にベタニヤに到着する

11:55–12:1

ニサン9日

ベタニヤ

らい病人シモンの家での宴。マリアはイエスに油をそそぐ。ユダヤ人たちはイエスとラザロを見に来る

26:6-13

14:3-9

12:2-11

ベタニヤ-エルサレム

エルサレムへのキリストの勝利の入城

21:1-11,14-17

11:1-11

19:29-44

12:12-19

ニサン10日

ベタニヤ-エルサレム

実を結んでいないいちじくの木がのろわれる。神殿の二度目の清め

21:18,19,12,13

11:12-17

19:45,46

エルサレム

祭司長や書士たちはイエスを亡き者にしようとたくらむ

11:18,19

19:47,48

エルサレム

ギリシャ人との話し合い。ユダヤ人の不信仰

12:20-50

ニサン11日

ベタニヤ-エルサレム

実を結んでいないいちじくの木は枯れていた

21:19-22

11:20-25

エルサレム,神殿

キリストの権威が疑問視される。二人の息子の例え

21:23-32

11:27-33

20:1-8

エルサレム,神殿

邪悪な耕作人,および婚宴の例え

21:33–22:14

12:1-12

20:9-19

エルサレム,神殿

税,復活,おきてなどに関する,かまを掛けた質問

22:15-40

12:13-34

20:20-40

エルサレム,神殿

相手を沈黙させる,メシアの家系に関するイエスの質問

22:41-46

12:35-37

20:41-44

エルサレム,神殿

書士やパリサイ人に対する痛烈な糾弾

23:1-39

12:38-40

20:45-47

エルサレム,神殿

やもめのわずかな寄付

12:41-44

21:1-4

オリーブ山

エルサレムの陥落に関する予告。イエスの臨在。体制の終わり

24:1-51

13:1-37

21:5-38

オリーブ山

十人の処女,タラント,および羊とやぎの例え

25:1-46

ニサン12日

エルサレム

宗教指導者たちはイエスを殺そうとたくらむ

26:1-5

14:1,2

22:1,2

エルサレム

ユダはイエスを裏切ることについて祭司たちと交渉する

26:14-16

14:10,11

22:3-6

ニサン13日(木曜日午後)

エルサレム付近および市内

過ぎ越しのための手配

26:17-19

14:12-16

22:7-13

ニサン14日

エルサレム

12人と共に過ぎ越しの食事をする

26:20,21

14:17,18

22:14-18

エルサレム

イエスはご自分の使徒たちの足を洗う

13:1-20

エルサレム

ユダは反逆者であることが明らかにされ,退出させられる

26:21-25

14:18-21

22:21-23

13:21-30

エルサレム

11人と共に記念の夕食を制定する

26:26-29

14:22-25

22:19,20,24-30

[コリ一 11:23-25]

エルサレム

ペテロが否定することや使徒たちが離散させられることが予告される

26:31-35

14:27-31

22:31-38

13:31-38

エルサレム

助け手。互いに対する愛。患難。イエスの祈り

14:1–17:26

ゲッセマネ

園での苦悶。イエスは裏切られ,捕縛される

26:30,36-56

14:26,32-52

22:39-53

18:1-12

エルサレム

アンナス,カヤファ,およびサンヘドリンによる審理。ペテロは否定する

26:57–27:1

14:53–15:1

22:54-71

18:13-27

エルサレム

裏切り者のユダは首をつって死ぬ

27:3-10

[使徒 1:18,19]

エルサレム

ピラトの前に,次いでヘロデの前に出され,その後,ピラトのもとに戻される

27:2,11-14

15:1-5

23:1-12

18:28-38

エルサレム

ピラトがイエスの釈放を試みた後,イエスは引き渡されて殺される

27:15-30

15:6-19

23:13-25

18:39–19:16

(金曜日,午後3時ごろ)

ゴルゴタ,エルサレム

苦しみの杭の上でのイエスの死とそれに伴う出来事

27:31-56

15:20-41

23:26-49

19:16-30

エルサレム

イエスの遺体は苦しみの杭から取り除かれて埋葬される

27:57-61

15:42-47

23:50-56

19:31-42

ニサン15日

エルサレム

祭司やパリサイ人たちは警備隊を置いて墓を守らせる

27:62-66

ニサン16日とその後

エルサレムとその近辺

イエスの復活とその日の出来事

28:1-15

16:1-8

24:1-49

20:1-25

エルサレム; ガリラヤ

イエス・キリストはその後も姿を現わす

28:16-20

[コリ一 15:5-7]

[使徒 1:3-8]

20:26–21:25

イヤル25日

オリーブ山,ベタニヤ付近

復活後,40日目のイエスの昇天

[使徒1:9-12]

24:50-53