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バプテスマ

バプテスマ

(Baptism)

ギリシャ語のバプティスマは,水中に沈み,そこから出て来ることを含め,浸礼の過程を指しており,『浸す』という意味の動詞バプトーから派生した語です。(ヨハ 13:26)聖書では,「バプテスマを施す」ことは「浸礼を施す」ことと同じです。このことを示す例として,「聖書,改善訳」は,ローマ 6章3,4節を次のように訳しています。「汝ら知らぬか。およそキリスト・イエスへのバプテスマ(浸礼)を受けたる我らは,その死へのバプテスマ(浸礼)を受けしを。それゆえ我らはその死へのバプテスマ(浸礼)によりて彼と共に葬られたり」。(ロザハム; ダイアグロットも参照。)ギリシャ語セプトゥアギンタ訳は,出エジプト記 12章22節とレビ記 4章6節で,『浸す』に相当するその同じ言葉の変化形を使っています。(新世,脚注を参照。)水で浸礼を施される人は,一時的に『葬られて』見えなくなり,それから引き上げられます。

これから,バプテスマに関係する幾つかの問題と共に,バプテスマの四つの異なった面を検討します。(1)ヨハネのバプテスマ,(2)イエスとその追随者たちの水のバプテスマ,(3)キリスト・イエスへのバプテスマ,その死へのバプテスマ,(4)火で施されるバプテスマ。

ヨハネのバプテスマ 水のバプテスマを施す権威を神から授けられた最初の人間は,ゼカリヤとエリサベツの息子ヨハネでした。(ルカ 1:5-7,57)彼が「バプテストのヨハネ」もしくは「バプテスマを施す人」として知られていたということ自体(マタ 3:1; マル 1:4),バプテスマもしくは水の浸礼が,特にヨハネによって人々の関心の的となったことを暗示しています。聖書は,ヨハネの宣教とバプテスマが神に由来するものであることを示しています。それは,ヨハネ自身に由来する事柄ではありませんでした。ヨハネの業は,神に由来するものであることがみ使いガブリエルによって予告され(ルカ 1:13-17),ゼカリヤは聖霊によって,ヨハネが至高者の預言者となってエホバの道を備えることを預言しました。(ルカ 1:68-79)イエスも,ヨハネの宣教とバプテスマが神に由来することをはっきり認めました。(ルカ 7:26-28)弟子ルカは,「神の宣言が荒野においてゼカリヤの子ヨハネに臨んだ。それで彼は……来て……バプテスマを宣べ伝えた」と記しています。(ルカ 3:2,3)使徒ヨハネも彼について,「神の代理者として遣わされた人が現われた。その名はヨハネといった」と述べています。―ヨハ 1:6

ヨハネのバプテスマの意味については,以下のとおり,ルカ 3章3節の様々な翻訳を比較することによって理解を深めることができます。ヨハネは来て,「罪の許しのための悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝えた」(新世); 「悔い改めを条件とするバプテスマ」(民衆); 「人が悔い改めて罪を許していただくためのバプテスマ」(ノックス); 「罪の許しのための悔い改めの印としてのバプテスマ」(新英); 「罪から離れ去り,バプテスマを受けなさい。そうすれば,神はあなた方の罪を許してくださるであろう」(今英)。これらの翻訳から明らかなとおり,バプテスマは人の罪を洗い去るものではありません。罪を洗い去るのは悔い改めと生き方の変化です。そして,バプテスマはそのことの象徴だったのです。

したがって,ヨハネが施したバプテスマは,神のもとから,神の僕ヨハネを通してもたらされる特別な清めのようなものではなく,人が律法に対する罪を悔い改めたことの公の表明であり,象徴でした。その律法は人々をキリストに導くことになっていました。(ガラ 3:24)こうしてヨハネは民に,「神の救いの手だてを見る」ための備えをさせました。(ルカ 3:6)ヨハネの業は,「準備のできた民をエホバのみまえに整える」ことに役立ちました。(ルカ 1:16,17)そのような業は,イザヤとマラキによって預言されていました。―イザ 40:3-5; マラ 4:5,6

一部の学者は,律法のもとで行なわれた古代の浄めの儀式や(出 29:4; レビ 8:6; 14:8,31,32; ヘブ 9:10,脚注),個々の行動のうちに(創 35:2; 出 19:10),ヨハネのバプテスマとキリスト教のバプテスマに先行する型を読み取ろうとしています。しかし,それらの事例とバプテスマの真の意味との間には何の類似点もありません。それらは,儀式上の清さのための洗いでした。体を完全に水中に浸すのに似たことが行なわれた事例は一つしかありません。それは,らい病人ナアマンの場合で,水に身を浸すことが7回行なわれました。(王二 5:14)そのために,ナアマンは神との何らかの特別な関係に入ったわけではなく,ただらい病がいやされたにすぎませんでした。その上,聖書的に言えば,改宗者たちはバプテスマを施されたのではなく,割礼を施されました。過ぎ越しの食事にあずかったり,聖なる所での崇拝に参加したりするためには,割礼を施してもらわなければなりませんでした。―出 12:43-49

ヨハネのバプテスマは,ユダヤ教の分派であるエッセネ派やパリサイ人から取り入れたものかもしれないと主張する人もいますが,それを裏付ける根拠は何もありません。その両派には,しばしば行なわれた洗浄のための要求が数多くありました。しかしイエスは,そのようなものは,伝統によって神のおきてを踏み越えている人間のおきてにすぎないことを示されました。(マル 7:1-9; ルカ 11:38-42)ヨハネが水でバプテスマを施したのは,自分でも述べているように,水でバプテスマを施すよう神から遣わされたからでした。(ヨハ 1:33)ヨハネは,エッセネ派やパリサイ人から遣わされたわけではありません。ヨハネの任務はユダヤ教への改宗者を生み出すことではなく,すでにユダヤ人の会衆の成員になっていた人々にバプテスマを施すことでした。―ルカ 1:16

ヨハネは,自分の業が神のみ子なるメシアの前に道を備えるものにすぎず,ゆくゆくはその方のより偉大な宣教に道を譲るようになることを知っていました。ヨハネがバプテスマを施したのは,メシアがイスラエルに明らかにされるためでした。(ヨハ 1:31ヨハネ 3章26-30節によれば,メシアの宣教の業は増し加わり,ヨハネの宣教の業は減ることになっていました。イエスの地上での宣教期間中,イエスの弟子たちによってバプテスマを施されてイエスの弟子となった人々は,ヨハネのバプテスマと同様に,悔い改めの象徴としてのバプテスマを施されました。―ヨハ 3:25,26; 4:1,2

イエスの水のバプテスマ ヨハネによって施されたイエスご自身のバプテスマには当然,ヨハネのバプテスマとは全く異なる意味や目的があったに違いありません。イエスは,『罪を犯さず,またその口に欺きは見いだされなかった』からです。(ペテ一 2:22)そのためイエスは,悔い改めの象徴となる行為をすることにそのまま応じるわけにはゆきませんでした。ヨハネがイエスにバプテスマを施すことに異議を唱えたのは,そのためだったに違いありません。しかしイエスは,「この度はそうさせてもらいたい。このようにしてわたしたちが義にかなったことをすべて果たすのはふさわしいことなのです」と言われました。―マタ 3:13-15

ルカの述べるところによれば,イエスはバプテスマを施された時に祈っておられました。(ルカ 3:21)さらに,ヘブライ人への手紙の筆者によれば,イエス・キリストは「世に」来られた時(すなわち,生まれたばかりで,次のような言葉を読むことも言うこともできなかった時ではなく,バプテスマのためにご自分を差し出して,宣教を開始された時),詩編 40編6-8節(七十訳)と調和して,「犠牲や捧げ物をあなたは望まず,わたしのために体を備えてくださった。……ご覧ください,わたしは参りました(書の巻き物にわたしについて書いてあります),神よ,あなたのご意志を行なうために」と言われました。(ヘブ 10:5-9)イエスは生まれながらにユダヤ国民の一員でした。ユダヤ国民は,神との国家的な契約,つまり律法契約に入っていました。(出 19:5-8; ガラ 4:4)その事実のゆえにイエスは,そのようにしてバプテスマのためヨハネのもとに現われた時,すでにエホバ神との契約関係に入っておられました。イエスはその時,律法のもとでご自分に要求されていた以上のことを行なっておられました。イエスは,ご自分の『備えられた』体をささげることに関連した,また,律法にしたがってささげられた動物の犠牲を除き去ることに関係した,み父の「ご意志」を行なうために,み父エホバにご自身を差し出しておられました。使徒パウロは,「ここに述べた『ご意志』のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされている」と説明しています。(ヘブ 10:10)イエスに対するみ父のご意志には,王国に関連した活動も含まれており,イエスはこの奉仕のためにもご自身を差し出されました。(ルカ 4:43; 17:20,21)エホバは,み子が自分を差し出したことを受け入れて承認し,聖霊でみ子に油をそそぎ,「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」と言われました。―マル 1:9-11; ルカ 3:21-23; マタ 3:13-17

イエスの追随者たちの水のバプテスマ ヨハネのバプテスマは,イエスが,「すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し(なさい)」という言葉で命じたバプテスマに取って代わられることになっていました。(マタ 28:19)これは,西暦33年のペンテコステ以降,神によって是認された唯一の水のバプテスマでした。西暦33年から何年かたったころ,熱心な人アポロはイエスについて正しく教えていましたが,その理解はヨハネのバプテスマのことに限られていました。この点で,アポロは矯正を受ける必要がありました。パウロがエフェソスで会った弟子たちの場合もそうでした。エフェソスにいたそれらの人々はヨハネのバプテスマを受けていましたが,それを受けたのは,そのバプテスマを施すのが有効だった時期が終わった後だったようです。というのは,パウロがエフェソスを訪れたのは,律法契約が終了してから約20年後のことだったからです。それで彼らは,イエスの名において正しくバプテスマを施され,聖霊を受けました。―使徒 18:24-26; 19:1-7

キリスト教のバプテスマに,神の言葉に関する理解と,啓示された神のご意志を行なうために自らを差し出すという理性的な決定が必要であることは,西暦33年のペンテコステの日に明らかになりました。その場に集まっていたユダヤ人と改宗者たちは,すでにヘブライ語聖書に関する知識を持っており,ペテロがメシアなるイエスについて話すのを聞いた結果,3,000人が「彼の言葉を心から受け入れ」,「バプテスマを受け(ました)」。(使徒 2:41; 3:19–4:4; 10:34-38)サマリアの人々はフィリポが宣べ伝えた良いたよりをまず信じ,それからバプテスマを受けました。(使徒 8:12)ユダヤ教への改宗者で,篤信の人だったエチオピアの宦官も,そのような人としてエホバとヘブライ語聖書に関する知識を持っていました。彼はそれらの聖句がキリストに成就したことをまず聞いて受け入れ,それからバプテスマを受けることを望みました。(使徒 8:34-36)ペテロはコルネリオに,「神を恐れ,義を行なう人は……受け入れられる」こと(使徒 10:35),またイエス・キリストに信仰を持つ者は皆,その名によって罪の許しを得ることを説明しました。(使徒 10:43; 11:18)これらの例はすべて,「人々を弟子とし……わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」というイエスのご命令と調和しています。その教えを受け入れて弟子となる人々が,バプテスマを受けるのは正しいことです。―マタ 28:19,20; 使徒 1:8

イエスの死に関して共同責任を負っており,しかもヨハネのバプテスマについて知っていたに違いないユダヤ人たちは,ペンテコステの日にペテロの宣べ伝える事柄を聞いて「心を刺され」,「兄弟たち,わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。ペテロは,「悔い改めなさい。そしてあなた方ひとりひとりは,罪の許しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」と答えました。(使徒 2:37,38)ここで,ペテロは彼らに新しい事柄を指摘しているという点に注目できます。つまり,罪を許していただくには,悔い改めとヨハネのバプテスマとして施されるバプテスマではなく,悔い改めとイエス・キリストの名において受けるバプテスマが必要だということです。ペテロは,バプテスマそのものによって罪が洗い去られるとは言いませんでした。ペテロは,「[神の]み子イエスの血がわたしたちをすべての罪から清める」ことを知っていました。(ヨハ一 1:7)後にペテロはイエスのことを「命の主要な代理者」と呼び,それから神殿でユダヤ人たちにこう言いました。「ですから,あなた方の罪を塗り消していただくために,悔い改めて身を転じなさい。さわやかにする時期がエホバのみもとから到来(するためです)」。(使徒 3:15,19)ここでペテロは,彼らがキリストに対する悪い行ないを悔い改め,『身を転じて』キリストを認めるなら,罪の許しがもたらされるということを教えていましたが,この時点でバプテスマには言及しませんでした。

ユダヤ人について言えば,律法契約は苦しみの杭の上でのキリストの死に基づいて廃され(コロ 2:14),西暦33年のペンテコステの日に新しい契約が実施されるようになりました。(使徒 2:4; ヘブ 2:3,4と比較。)それでも,神はさらに3年半ほどの間,ユダヤ人に特別な恵みを示されました。その期間中,イエスの弟子たちは宣べ伝える業をユダヤ人とユダヤ教への改宗者とサマリア人に限定しました。しかし西暦36年ごろ,神は,ローマの士官だった異邦人のコルネリオの家に行くようペテロを導き,コルネリオとその家の者たちの上に聖霊を注ぎ出すことによって,異邦人も今や水のバプテスマが受けられることをペテロにお示しになりました。(使徒 10:34,35,44-48)神はもはや割礼を受けたユダヤ人との律法契約を認めておらず,今やイエス・キリストを仲介者とする新しい契約だけを認めておられたので,生来のユダヤ人は割礼を受けていてもいなくても,神との特別な関係にあるとはみなされなくなりました。彼らは,もはや有効ではなくなった律法を守っても,あるいは律法と関係のあったヨハネのバプテスマを受けていても,それによって神との関係で何らかの身分を得ることはできませんでした。むしろ,エホバから認められ,その恵みを得るには,み子に対する信仰によって神に近づき,イエス・キリストの名において水のバプテスマを受けなければなりませんでした。―「七十週」(「一週のあいだ」効力を保つ契約)を参照。

その結果,西暦36年以降,ユダヤ人であれ異邦人であれ,人はすべて,神の目に同じ立場を有しています。(ロマ 11:30-32; 14:12)異邦諸国の人々は,すでに割礼を受けてユダヤ教への改宗者となっていた人々を除き,律法契約には入っておらず,父なる神との特別な関係を有する民となったことは一度もありませんでした。それが今や,個人としての彼らに神の民となる機会が与えられました。ですからその人々は,水のバプテスマを受ける前に,み子イエス・キリストを信じる者として神のもとに来る必要がありました。それから,キリストの模範と命令にしたがい,正しく水のバプテスマを受けるようになりました。―マタ 3:13-15; 28:18-20

このようなキリスト教のバプテスマは,神のみ前における人の立場に重大な影響を及ぼすことになりました。使徒ペテロは,ノアが箱船を建造し,ノアとその家族が箱船の中で保護されて大洪水を切り抜けたことに言及した後,こう書きました。「これに相当するもの,すなわちバプテスマ(肉の汚れを除くことではなく,神に対して正しい良心を願い求めること)がまた,イエス・キリストの復活を通して今あなた方を救っているのです」。(ペテ一 3:20,21)箱船は,ノアが神のご意志を行なうために献身し,その後,神から割り当てられた仕事を忠実に果たしたことを示す有形の証拠でした。その結果,ノアは保護されました。それに対応することとして,復活させられたキリストに対する信仰に基づいてエホバに献身し,その象徴としてバプテスマを受け,神の僕たちに関する神のご意志を行なう人々は,現在の邪悪な世から救われることになります。(ガラ 1:3,4)彼らはもはや,世のほかの人々と共に滅びに向かってはいません。彼らは神によってその滅びから救われ,正しい良心を与えられることになります。

幼児洗礼ではない 『その言葉を聞き』,『その言葉を心から受け入れ』,『悔い改める』ことが水のバプテスマに先行するという事実(使徒 2:14,22,38,41),またバプテスマを受ける人には厳粛な決定を下すことが求められるという事実を考えれば,そのような人が,少なくとも聞いて,信じて,その決定を下すことのできる年齢に達していなければならないのは明白です。中には,幼児洗礼に賛成する論議を行なう人々もいます。そのような人たちは,例えばコルネリオ,ルデア,フィリピの牢番,クリスポ,ステファナの場合のように,その「家の者たち」がバプテスマを受けた事例を引き合いに出します。(使徒 10:48; 11:14; 16:15,32-34; 18:8; コリ一 1:16)これは,そうした家族の中の小さな赤子もバプテスマを受けたことを暗示しているというのです。しかし,コルネリオの場合,バプテスマを受けた人々は,み言葉を聞いて聖霊を受けた人々であり,彼らは異言を話して神の栄光をたたえました。こうした事柄は幼児に当てはまるものではありません。(使徒 10:44-46)ルデアは「神の崇拝者」であり,「エホバは彼女の心を大きく開いて,パウロの話す事柄に注意を払わせ(ました)」。(使徒 16:14)フィリピの牢番は,『主イエスを信じて頼る』必要がありました。このことは,彼の家族の他の者たちも,バプテスマを受けるためには信じる必要があったことを示唆しています。(使徒 16:31-34)『会堂の主宰役員クリスポは主の信者となり,その家の者たちも皆そうなりました』。(使徒 18:8)これらの例すべてが明示しているように,バプテスマには,聞くこと,信じること,神の栄光をたたえることなど,幼児にはできない事柄が関係していました。サマリアでは,人々が「神の王国とイエス・キリストの名についての良いたより」を聞いて信じた時,『彼らはついでバプテスマを受けました』。ここで聖書の記録は,バプテスマを受けた人々は幼児ではなく,『男と女』だったことを特に指摘しています。―使徒 8:12

使徒パウロはコリント人に対して,子供たちは信者である親のゆえに「聖なる者」となっていると述べましたが,これは幼児がバプテスマを受けたことを示す証拠ではなく,むしろ逆のことを示唆しています。若すぎて,そのような決定を下す能力を持っていない未成年の子供は,別個に功績を付与するいわゆる秘跡としてのバプテスマのゆえにではなく,信者である親のゆえにある種の功績を付与された者とみなされました。もし幼児が正しくバプテスマを受けることができるのであれば,信者である親の功績が彼らに施される必要はなかったはずです。―コリ一 7:14

確かにイエスは,「[幼子たちが]わたしのところに来ることを妨げるのをやめなさい。天の王国はこのような者たちのものだからです」と言われました。(マタ 19:13-15; マル 10:13-16)しかし,それらの幼子たちはバプテスマを受けたわけではありません。イエスは幼子たちを祝福しましたが,イエスがその上に手を置かれたことが宗教的な儀式だったことを示唆するものは何もありません。イエスはそれから,『神の王国がそのような者たちのものである』のは,彼らがバプテスマを受けたからではなく,教えやすく,すぐに信じるからであることを示されました。クリスチャンは,「悪に関してはみどりご」であるように,しかし「理解力の点では十分に成長した者」となるように命じられています。―マタ 18:4; ルカ 18:16,17; コリ一 14:20

宗教史家のオーガスタス・ネアンダーは,1世紀のクリスチャンについてこう書きました。「幼児洗礼の慣行はこの時期には知られていなかった。……イレナエウス[西暦120/140年ごろ-200/203年ごろ]の時代に(少なくともそれより前でないことは確かである)ようやく幼児洗礼の形跡が現われること,またこれが3世紀になって初めて使徒伝承の一部として認められるようになったことは,それが使徒たちに由来するというより,そうではないことを証拠立てるものである」―「使徒たちによるキリスト教会の植樹と整枝の歴史」,1864年,162ページ。

水に完全に浸す 初めに述べたバプテスマの定義から明らかなとおり,バプテスマは水の中に完全に浸す,もしくは沈めることであり,単に水を注いだり振り掛けたりすることではありません。バプテスマに関する聖書中の例はこのことを裏付けています。イエスはかなり大きな川であるヨルダン川でバプテスマを受け,バプテスマを施された後に「水から上がられ」ました。(マル 1:10; マタ 3:13,16)ヨハネは,バプテスマを施すためにヨルダン渓谷のサリムの近くの場所を選びましたが,それは,『そこに多量の水があったからでした』。(ヨハ 3:23)エチオピアの宦官は,「水のあるところ」に来た時にバプテスマを受けることを願い出ました。彼らは共に「水の中に下りて行(きまし)た」。そして,その後「水から上がって」来ました。(使徒 8:36-40)これらの例はすべて,彼らが足首ほどの深さの小さな水溜まりではなく,大量の水の中に入って行かなければならず,またそこから出て来なければならなかったことを暗示しています。さらに,バプテスマが埋葬の象徴としても使われていたという事実も,完全に水中に沈むことを示唆しています。―ロマ 6:4-6; コロ 2:12

様々な史料は,初期クリスチャンが浸礼という方法でバプテスマを受けたことを示しています。この点について,新カトリック百科事典(1967年,第2巻,56ページ)は,「原始教会におけるバプテスマが浸礼によるものであったことは明白である」と述べています。また,「ラルース 20世紀」(パリ,1928年)は,「最初のクリスチャンは,水のある所ならどこでも浸礼という方法でバプテスマを受けた」と述べています。

キリスト・イエスへのバプテスマ,その死へのバプテスマ イエスはヨルダン川でバプテスマを受けた時,ご自分が犠牲としての歩みを開始しようとしていたことをご存じでした。また,ご自分の『備えられた体』は死に処せられなければならないこと,つまりご自分が人類のための贖いの価値を持つ完全な人間として無実の死を遂げなければならないことを知っておられました。(マタ 20:28)イエスはご自分が死没させられること,しかし3日目に死からよみがえらされることを理解しておられました。(マタ 16:21)ですからイエスは,ご自分の経験を死へのバプテスマになぞらえました。(ルカ 12:50)イエスは弟子たちに,宣教期間中にご自分がそのバプテスマをすでに受けつつあることを説明されました。(マル 10:38,39)イエスが死へのバプテスマを完全に施されたのは,西暦33年のニサン14日に苦しみの杭にくぎづけにされることによって,死没させられた時でした。イエスは3日目に,み父であるエホバ神によって復活させられ,これをもって,よみがえりを含むこのバプテスマは完了しました。イエスがお受けになった死へのバプテスマは,イエスに施された水のバプテスマとは明らかに異なる別個のものです。というのは,イエスは宣教の始まりの時点で水のバプテスマを完全に受け終わっていましたが,死へのバプテスマはその時に始まったばかりだったからです。

イエス・キリストの忠実な使徒たちは,ヨハネのバプテスマという形で水のバプテスマを受けました。(ヨハ 1:35-37; 4:1)しかしイエスが,彼らもまたイエスと同様の象徴的なバプテスマ,つまり死へのバプテスマを受けようとしていることを指摘された時,彼らはまだ聖霊をもってバプテスマを受けてはいませんでした。(マル 10:39)ですから,イエスの死へのバプテスマは水のバプテスマとは別のものです。パウロはローマのクリスチャン会衆にあてた手紙の中で自分の考えを言い表わし,「あなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです」と述べました。―ロマ 6:3

キリスト・イエスへのバプテスマや,その死へのバプテスマを施すことに責任を持っておられるのはエホバ神です。神はイエスに油をそそぎ,イエスをキリスト,つまり油そそがれた者とされました。(使徒 10:38)したがって,神は聖霊をもってイエスにバプテスマを施しました。それは,その後イエスを通して,その追随者たちが聖霊をもってバプテスマを受けるようにするためでした。ですから,イエスの共同の相続人となる天的な希望を持つ人々は,「キリスト・イエスへのバプテスマ」,すなわち,油そそがれたイエスへのバプテスマを受けなければなりませんでした。イエスは油そそがれた時に,霊によって生み出された神の子となられました。彼らはこうして,キリスト,すなわち自分たちの頭と結び合わされ,キリストの体である会衆の成員となります。―コリ一 12:12,13,27; コロ 1:18

キリスト・イエスへのバプテスマを受けるクリスチャンである追随者たちの歩みは,キリストへのバプテスマを受けた時から,試みのもとでも忠誠を保つという歩みであり,彼らは日々死に直面し,最後には忠誠の死に直面します。その点について,使徒パウロは,ローマのクリスチャンたちに次のように説明しました。「ですから,彼の死へのバプテスマを受けたことによって,わたしたちは彼と共に葬られたのです。それは,キリストが父の栄光によって死人の中からよみがえらされたのと同じように,わたしたちも命の新たな状態の中を歩むためです。彼の死と似た様になって彼と結ばれたのであれば,わたしたちは必ず,彼の復活と似た様になってやはり彼と結ばれるのです」。―ロマ 6:4,5; コリ一 15:31-49

パウロはフィリピの会衆への手紙の中でその点をいっそう明確にし,自分の歩みをこう説明しました。「[キリスト]の苦しみにあずか(り),彼のような死に服し,何とかして死人の中からの早い復活に達しえないものかと努めているのです」。(フィリ 3:10,11)そのバプテスマを完了させることができるのは,イエス・キリストと結ばれてその死へのバプテスマを受ける人々にバプテスマを施す方,すなわち天の父なる全能の神だけです。神は彼らがイエス・キリストと結ばれるために,イエス・キリストの復活,すなわち天の不滅の命への復活と似た仕方で彼らを死からよみがえらせることにより,キリストを通してその死へのバプテスマを施されます。―コリ一 15:53,54

使徒パウロは,イスラエルの会衆が「雲と海とによってモーセへのバプテスマを受け(た)」ことを説明し,人々の会衆が,いわば解放者と指導者の役割を兼ね備えた者へのバプテスマもしくは浸礼を受けることができるという点を例示しています。イスラエルの会衆はその時,保護の働きをした雲と彼らの両側にあった水の壁に覆われたので,象徴的に言って浸礼を受けました。モーセは,自分のような預言者を神が起こされることを予告し,ペテロはその預言をイエス・キリストに適用しました。―コリ一 10:1,2; 申 18:15-19; 使徒 3:19-23

『死んだ者となるための』バプテスマとは何ですか

コリント第一 15章29節の言葉は,翻訳者によって以下のとおり様々な仕方で訳されています。「死人のためにバプテスマを受くる者は何をなすか」(欽定); 「彼らの死者に代わって」(聖ア); 「死者に代わって」(新英); 「死んだ者となるために」(新世)。

この節については,色々な解釈が行なわれてきました。最も一般的なのは,パウロが,身代わりとして受ける水のバプテスマ,つまり死者の益のために死者の代わりとして,生きている人にバプテスマを施す習慣に言及していた,という解釈です。パウロの時代にそのような慣行があったということは証明できません。またその慣行は,『弟子たち』,つまり自ら『その言葉を心から受け入れ』て自分で「信じた」人たちがバプテスマを受けたとはっきり述べている幾つかの聖句とも調和しません。―マタ 28:19; 使徒 2:41; 8:12

リデルとスコットの「希英辞典」は,コリント第一 15章29節で属格の語と共に使われているギリシャ語の前置詞ヒュペルの定義として,「……のために」,「……に代わって」,「……の理由のために」などを含めています。(H・ジョーンズ改訂,オックスフォード,1968年,1857ページ)「……の理由のために」という表現は,文脈によっては「……の目的のために」と同じ意味になります。すでに1728年に,ヤーコプ・エルスナーは,幾人かのギリシャの著述家の文献の中から,属格を取るヒュペルが最後の意味,すなわち目的を表わす意味になる事例に注目し,コリント第一 15章29節のその構文にもそうした意味があることを示しました。(「新契約書に関する聖なる観察」,ユトレヒト,第2巻,127-131ページ)新世界訳はそのことと調和して,その節のヒュペルを「……の目的のために」という意味に訳しています。

ある表現が文法上二通り以上に翻訳できる場合,正確なのは文脈と合致した訳です。文脈からすると,コリント第一 15章3,4節は,ここでおもに論じられているのが,イエス・キリストの死と復活に対する信仰であることを示しています。続く数節では,その信仰が確かな根拠に基づくものである証拠を取り上げ(5-11節),復活に対する信仰を否定することの重大な結果(12-19節),またキリストの復活が他の人々も死からよみがえらされることの保証となっているという事実(20-23節),さらには,そのすべてがいかにして理知ある全創造物と神との合一に向かって作用するかを論じています(24-28節)。29節は明らかにこの論議の肝要な部分です。しかし,29節で問題になっているのはだれの復活でしょうか。そこで言及されているバプテスマを受ける人々の復活ですか。それとも,そのバプテスマが行なわれる前に死んだ人の復活でしょうか。続く数節は何を示していますか。30節から34節は,生きているクリスチャンの将来の命の見込みがそこで論じられていることをはっきり示しています。そして35節から58節は,その人たちが天的な命の希望を持つ忠実なクリスチャンであることを述べています。

これはローマ 6章3節の次の言葉とも調和します。「あなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです」。この聖句が明確にしているように,それは,クリスチャンがすでに死んだ他の人に代わって受けるようなバプテスマではありません。むしろそれは,本人自身の将来に影響を及ぼす事柄です。

では,どのような意味で,それらのクリスチャンは,「死んだ者となるためにバプテスマを受け(た)」,もしくは「彼の死へのバプテスマを受けた」のでしょうか。彼らは,キリストの場合と同様に,忠誠を保つ者としての死に至る生き方,またキリストの復活と同様の不滅の霊の命への復活に関する希望を伴う生き方をするために浸礼を施されました。(ロマ 6:4,5; フィリ 3:10,11)これは,水の浸礼のように,すぐに終わるバプテスマではありませんでした。イエスは水の浸礼を受けて3年以上たってから,ご自分の場合にはまだ完了しておらず,弟子たちの場合は将来経験することになっていたバプテスマについて語られました。(マル 10:35-40)このバプテスマが天的な命への復活に至ることからすれば,それは,神の霊がその希望を生み出すような仕方で当人の上に働く時に始まり,当人が死ぬ時ではなく,復活によって不滅の霊の命の見込みが実現する時に終わるに違いありません。―コリ二 1:21,22; コリ一 6:14

神の目的の中で人が占める位置 注目すべきことですが,水のバプテスマを受ける人は,エホバのご意志を行なうために,エホバの僕としての特別な関係に入ります。その人に関する神のご意志が何かを決めるのは当人ではありません。むしろ神が,その人をどのように用いるか,またご自分の目的の枠組みの中でその人をどこに位置づけるかを決定されます。例えば,かつてイスラエル国民全体は神との特別な関係にあり,エホバの所有物でした。(出 19:5)しかし,聖なる所での奉仕を行なうために選ばれたのはレビの部族だけでした。また,その部族の中でも,祭司団を構成したのはアロンの家族だけでした。(民 1:48-51; 出 28:1; 40:13-15)王権は,エホバ神によって専らダビデの家系に確立されることになりました。―サム二 7:15,16

同様に,キリスト教のバプテスマを受ける人々は神の所有物,神の奴隷となり,神はご自分のよしとされるとおりに彼らをお用いになります。(コリ一 6:20)こうした事柄に関する神の指導の一例は,「啓示」の書の中に見られます。そこには,最終的に「証印を押された」人々の明確な数,つまり14万4,000という数が出て来ます。(啓 7:4-8)そのようにして最終的に是認される前でさえ,神の聖霊は,証印を押される人々に彼らの相続財産,すなわち天的な相続財産に関する事前の印となる証印としての役割を果たします。(エフェ 1:13,14; コリ二 5:1-5)また,そのような希望を持つ人々について,「神は[キリストの]体に肢体を,その各々を,ご自分の望むままに置かれたのです」とも言われています。―コリ一 12:18,27

イエスは別のグループにも注意を向け,「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります」と言われました。(ヨハ 10:16)これらは「小さな群れ」のものではありませんが(ルカ 12:32),やはりイエス・キリストを通してエホバに近づき,水のバプテスマを受けなければなりません。

「啓示」の書に記録されている,使徒ヨハネに与えられた幻はそれと調和しており,「証印を押された」14万4,000人をヨハネに示した後,ヨハネの目を「だれも数えつくすことのできない大群衆」に向けています。その人たちは,「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と言われており,この点は神の子羊イエス・キリストの贖いの犠牲に対する信仰を暗示しています。(啓 7:9,14)したがって彼らは好意をもって認められ,『[神の]み座の前に立っています』が,神に選ばれて「証印を押された」14万4,000人の人たちではありません。この「大群衆」について幻の中ではさらに,彼らが昼も夜も神に仕えていること,また彼らが神によって保護され,世話されることを指摘しています。―啓 7:15-17

火で施されるバプテスマ 数多くのパリサイ人とサドカイ人がバプテスマを施す人ヨハネのもとにやって来た時,ヨハネは彼らを「まむしらの子孫」と呼びました。ヨハネは来たるべき方について話し,「その方は聖霊と火であなた方にバプテスマを施すでしょう」と言いました。(マタ 3:7,11; ルカ 3:16)火で施されるバプテスマは,聖霊で施されるバプテスマと同じものではありません。また,一部の人々の意見とは異なり,火によるバプテスマはペンテコステの時の火のような舌ではあり得ません。弟子たちは火で浸礼を施されたわけではないからです。(使徒 2:3)ヨハネは話に耳を傾けていた人々に対し,ある種の分離が生じること,つまり小麦が集められ,その後,もみがらが,消すことのできない火で焼き払われることを述べました。(マタ 3:12)そして,火は祝福や報いではなく,『木がりっぱな実を生み出さない』ゆえにもたらされるものであることを指摘しました。―マタ 3:10; ルカ 3:9

イエスは滅びの象徴として火を使い,ご自分の臨在の期間に起きる邪悪な者たちの処刑をこう予告されました。「ロトがソドムから出た日に天から火と硫黄が降って,彼らをみな滅ぼしたのです。人の子が表わし示されようとしている日も同様でしょう」。(ルカ 17:29,30; マタ 13:49,50)火が救いの力ではなく,破壊の力を表わしている例としては,ほかにもテサロニケ第二 1章7,8節,ユダ 7節,ペテロ第二 3章7,10節があります。