研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する
霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する
聖書時代における時の計算の仕方と,ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の際立った出来事の年代記述に関する討議。
1 (イ)エホバが時間厳守者であられることを何が示していますか。(ロ)聖書の年代記述を理解する点でどんな進歩が見られましたか。
エホバのみ使いは「北の王」と「南の王」に関する幻をダニエルに与えたとき,「定めの時」という表現を数回用いました。(ダニエル 11:6,27,29,35)また,エホバがその目的を時間通り正確に成し遂げる時間厳守者であられることを示す聖句は,ほかにも数多くあります。(ルカ 21:24。テサロニケ第一 5:1,2)エホバはそのみ言葉,聖書の中に,重要な出来事を時の流れの中で位置づけるのに役立つ「道標」ともいうべきものを幾つか備えてくださいました。聖書の年代記述に関する理解は大いに進んできました。考古学者その他による研究は様々な問題に引き続き光を投げかけており,その結果,聖書の記録の中の主要な出来事の起きた時を確定することができるようになりました。―箴言 4:18。
2 序数による計算の実例を挙げてください。
2 序数と基数。前の課の研究(24と25節)の中で,基数と序数には違いがあることを学びました。聖書中の種々の期間を現代の年代算定法と合致した仕方で算定する際,そのことを念頭に置くべきです。例えば,「ユダの王エホヤキンの流刑の三十七年目」について言うと,「三十七年目」というのは序数です。これは,まる36年に(36年目が終わった後に経過した)何日か何週間か,あるいは何か月かを加えた期間であることを表わしています。―エレミヤ 52:31。
3 (イ)国事に関するどんな記録は聖書中の年代を確定するのに役立ちますか。(ロ)在位年とは何ですか。即位年とは何ですか。
3 在位年と即位年。聖書はユダやイスラエルの政府の国事に関する記録はもとより,バビロンやペルシャの国事にも言及しています。これら四つの王国ではいずれも,歴代の王の在位期間にしたがって国事の年代が正確に算定され,年代順に記録されましたが,この同じ算定方法が聖書にも取り入れられました。聖書には,例えば,「ソロモンの事績の書」などのように,引用された文書の名称がしばしば出てきます。(列王第一 11:41)王の治世にはある期間の即位年が含まれており,その後まる1年ごとの在位年が続きました。在位年は王が位についていた公式の年数で,普通ニサンからニサンまで,つまり春から春までを数えました。王が位を継承すると,次の春の月ニサンまでの間の何か月かはその王の即位年と呼ばれ,その間は前任者のためにその任期を勤め上げました。しかし,その王自身の公式の在位期間は次のニサン一日に始まるものとして数えられました。
4 聖書に記録された出来事の年代は在位年数にしたがってどのように計算されるかを述べなさい。
4 例えば,ソロモンは西暦前1037年のニサン以前のある時に統治し始めたようですが,その時ダビデはなおも生存していました。その後ほどなくしてダビデは死にました。(列王第一 1:39,40; 2:10)しかし,ダビデの最後の在位年は西暦前1037年の春まで続き,依然として40年にわたる統治期間の一部として数えられました。ソロモンの治世の始まりから西暦前1037年の春までの1年未満の期間は,ソロモンの即位年と呼ばれていますが,その在位年としては数えることができませんでした。というのは,彼は依然として父の統治期間を勤め上げていたからです。したがって,ソロモンの最初の在位満1年は西暦前1037年のニサンまで始まりませんでした。(列王第一 2:12)やがて,満40年の在位年がソロモンの王としての統治期間として認められるようになりました。(列王第一 11:42)このようにして,在位年と即位年とを別個に扱うことにより,聖書の年代記述の個々の年代を正確に算定することができます。 *
アダムの創造までさかのぼって計算する
5 エホバの崇拝がエルサレムで回復された年代はどのようにして確定されますか。
5 要となる年代から始める。アダムの創造までさかのぼって計算するための要となる年代は,キュロスがバビロニア王朝を倒壊させた年,すなわち西暦前539年です。 * キュロスはその第1年に,すなわち西暦前537年の春以前に,ユダヤ人の解放を命じる布告を出しました。エズラ 3章1節は,イスラエルの子らが第七の月,つまり9月から10月にまたがる期間に当たるティシュリまでにエルサレムに戻っていたことを伝えています。それで,西暦前537年の秋は,エホバの崇拝がエルサレムで回復された年と考えられます。
6 (イ)予告されたどんな期間が西暦前537年の秋に終わりましたか。(ロ)その期間はいつ始まったに違いありませんか。種々の事実はこのことをどのように支持していますか。
6 西暦前537年の秋にエホバの崇拝がこのように回復されたことは,ある預言的な期間の終わりを画するものとなりました。それはどんな期間ですか。それは約束の地が『必ず荒れ廃れた所となる七十年』の期間のことで,この期間についてエホバはまた,「バビロンで七十年が満ちるにつれて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して,わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する」と言われました。(エレミヤ 25:11,12; 29:10)この預言に精通していたダニエルは,「七十年」が終わりに近づくにつれて,この預言と調和して行動しました。(ダニエル 9:1-3)それで,西暦前537年の秋に終わった「七十年」の期間は,西暦前607年の秋に始まったに違いありません。種々の事実がこのことを裏書きしています。エレミヤ 52章はエルサレムの攻囲,バビロニア人による突破作戦,西暦前607年におけるゼデキヤ王の逮捕などの重大な出来事について述べています。それから,12節の述べるところによれば,「第五の月,その月の十日」,すなわちアブ(7月から8月にわたる時期に当たる)の10日にバビロニア人は神殿と都を焼きました。しかし,この時点では「七十年」の期間はまだ始まってはいませんでした。ユダヤ人の主権の多少の名残は,残存しているユダヤ人の村落の総督としてバビロンの王により任命された人であるゲダリヤのうちに依然残っていました。「第七の月に」ゲダリヤとほかの何人かの人々は暗殺されたため,残っていたユダヤ人は恐れてエジプトに逃げ去りました。そのとき初めて,つまり西暦前607年10月1日ごろからその地は完全な意味で「荒廃し……七十年を満了(する)」ことになりました。―列王第二 25:22-26。歴代第二 36:20,21。
7 (イ)ソロモンの死後,王国が分裂した時までの年数はどのようにして逆算できますか。(ロ)エゼキエルの預言によってこのことはどのように支持されていますか。
7 西暦前607年から同997年まで。エルサレムの陥落の時から,ソロモンの死後王国が分裂した時までさかのぼるこの期間を算定するには,数多くの難問題を克服しなければなりません。しかし,列王記第一および第二に記されているイスラエルとユダの歴代の王の治世を比較すると,この期間は390年に及ぶことが分かります。この数字が正しいことを示す強力な証拠はエゼキエル 4章1節から13節の預言です。この預言に示されているとおり,これはエルサレムが攻囲され,その住民が諸国民によってとりことして連れて行かれる時を指し示しています。そのことは西暦前607年に起きました。それで,ユダの場合に関して述べられている40年の期間はエルサレムの荒廃と共に終わりました。イスラエルの場合に関して述べられている390年の期間は,サマリアが滅ぼされた時に終わったわけではありません。なぜなら,エゼキエルが預言をした時には,それはすでに遠い昔の出来事だったからです。この預言は,エルサレムの攻囲と滅びを指し示していることをはっきりと述べています。ですから,「イスラエルの家のとが」もまた,西暦前607年に終わりました。この年代から逆算すると,390年の期間は西暦前997年に始まったことが分かります。ソロモンの死後,ヤラベアムはその年にダビデの家と関係を絶ち,「イスラエルをエホバに従うことから引き離し,彼らに大いなる罪をおかさせ」ました。―列王第二 17:21。
8 (イ)どのようにして出エジプトの時代までさかのぼって年代を計算できますか。(ロ)この時代のどんな変化が聖書の年代記述に影響を及ぼしますか。
8 西暦前997年から同1513年まで。ソロモンの在位満40年の最後の年は西暦前997年の春に終わりましたから,その最初の在位年は西暦前1037年の春に始まったことになります。(列王第一 11:42)聖書の記録は列王第一 6章1節で,ソロモンがその治世の第四年の第二の月にエルサレムでエホバの家を建て始めたことを述べています。これはその治世の満3年1か月がたった時であることを示していますから,神殿を建て始めた時は西暦前1034年の4月から5月にわたる時期ということになります。しかし,その同じ聖句は,それが「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」であったとも述べています。ここでも,480年目というのは序数ですから,満479年を表わしています。したがって,1034年に479年を足すと,イスラエルがエジプトから出た年として西暦前1513年という年代が得られます。研究 2の19節は,西暦前1513年以降,アビブ(ニサン)がイスラエルにとって「一年の最初の月」として数えられるようになったこと(出エジプト記 12:2),そしてそれ以前は1年が秋のティシュリの月に始まったことを説明しています。「新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典」(英文)は1957年版,第12巻,474ページでこう注解しています。「歴代の王の在位年数を計算する仕方は,春に始まる年に基づいており,これは一般的に行なわれていたバビロニア人の方法と類似している」。1年の始まりを秋から春に変えて年代を定める仕方が聖書中の期間に適用されるようになった時には,決まって時を数える際どこかで6か月が失われたり,加えられたりしたものと考えられます。
9 (イ)記録はアブラハム契約が発効した時まで,どのように年代をさかのぼれますか。(ロ)この期間の最初の215年はどのように説明できますか。(ハ)アブラハムはカナンへ行く途中,ユーフラテス川を渡ったとき,何歳でしたか。
出エジプト記 12章40節と41節で,モーセは,「エジプトに住んだイスラエルの子らのその居住の期間は四百三十年であった」と記録しています。この言葉遣いからすれば,この「居住の期間」全部がエジプトで費やされたのではないことが分かります。この期間はアブラハムがカナンへ行く途中,ユーフラテス川を渡った時に始まっており,その時にアブラハムとエホバとの契約が効力を発しました。この「居住の期間」の最初の215年はカナンで費やされ,それから同じ長さの期間がエジプトで費やされ,ついにイスラエルは西暦前1513年に,エジプトによる支配とエジプトに対する依存から完全に独立するようになりました。 * 出エジプト記 12章40節に関する新世界訳の脚注が示すように,マソラ本文よりも古いヘブライ語本文に基づくギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,「エジプト」という言葉の後に「とカナンの地に」という言葉が加えられています。サマリア五書も同様です。この430年の期間について述べているガラテア 3章17節も,アブラハムがカナンへ向かう途中,ユーフラテス川を渡った時,アブラハム契約が発効すると同時にこの期間が始まったことを裏付けています。したがって,それは西暦前1943年のことで,その時アブラハムは75歳でした。―創世記 12:4。
9 西暦前1513年から同1943年まで。10 ほかのどんな一連の証拠がアブラハムの時代の年代記述を支持していますか。
10 ほかの一連の証拠も上記の計算の仕方を支持しています。使徒 7章6節では,アブラハムの胤が400年の間苦しめられることが述べられています。エホバがエジプトによる苦しみを西暦前1513年に除き去られたのですから,その苦しみが始まったのは西暦前1913年に違いありません。これはイサクが生まれてから5年後のことで,乳離れをしたイサクをイシュマエルが『からかっていた』時に当たります。―創世記 15:13; 21:8,9。
11 聖書の時間表によれば,大洪水の年までどのようにさかのぼれますか。
11 西暦前1943年から同2370年まで。これで,アブラハムは西暦前1943年にカナンに入った時,75歳であったことが分かりました。今や,時の流れをさらにさかのぼって,ノアの時代までたどることができます。創世記 11章10節から12章4節の中でわたしたちのために示されている種々の期間を用いて,そうすることができます。その計算の仕方は次のとおりです。合計年数は427年です。
大洪水の始まりからアルパクシャドの誕生まで 2年
次にシェラハの誕生まで 35年
エベルの誕生まで 30年
ペレグの誕生まで 34年
レウの誕生まで 30年
セルグの誕生まで 32年
ナホルの誕生まで 30年
テラの誕生まで 29年
テラの死まで。この時アブラハムは75歳 205年
合計 427年
西暦前1943年に427年を加えると,西暦前2370年となります。このようなわけで,聖書の時間表は,ノアの時代の大洪水が西暦前2370年に始まったことを示しています。
12 どのようにしてアダムの創造の時までさかのぼって年代を計算できますか。
12 西暦前2370年から同4026年まで。時の流れをさらにさかのぼって行くと,聖書は大洪水の時からアダムの創造の時までの全期間の年数を示していることに気づきます。これは創世記 5章3節から29節,および7章6節と11節によって確定されます。その年代の数え方は次のように要約できます。
アダムの創造からセツの誕生まで 130年
次にエノシュの誕生まで 105年
ケナンの誕生まで 90年
マハラレルの誕生まで 70年
ヤレドの誕生まで 65年
エノクの誕生まで 162年
メトセラの誕生まで 65年
レメクの誕生まで 187年
ノアの誕生まで 182年
大洪水まで 600年
合計 1,656年
以前に計算した西暦前2370年という年代に1,656年を加えると,アダムの創造の時は西暦前4026年のおそらく秋ということになります。というのは,大抵,昔の暦の1年は秋に始まったからです。
13 (イ)では,この地上の人類の歴史はどれほどの期間を経ましたか。(ロ)この期間はどうしてエホバの休みの日の長さと合致しませんか。
13 今日,このことにはどんな意義がありますか。1963年に発行された本書の初版(英文)はこう述べています。「では,これは,エホバが『そのすべての業を休んでおられる』その『日』が1963年までに5,988年経過したことを意味していますか。(創世記 2:3)そうではありません。というのは,アダムが創造された時はエホバの休みの日の始まりに当たるわけではないからです。アダムの創造に続いて,なお創造の第六日のうちに,エホバはさらに動物や鳥などの被造物を形造られたように思えます。また,エホバはアダムに動物の名を付けさせましたが,それにはある程度の時間がかかりました。それからさらに,エバを創造さ れました。(創世記 2:18-22。また,19節に関する新世界訳,1953年版[英文]の脚注もご覧ください)アダムの創造から『六日目』の終わりまでにどれほどの時間が経過したにしても,『七日目』の始まりから[1963]年までに経過した時間の実際の長さを知るには,その『六日目』の終わりまでに経過した時間を5,988年から差し引かなければなりません。時の流れの中でなお将来の事柄に属する種々の年代について推測するのに聖書の年代記述を用いるのは無駄なことです。―マタイ 24:36」。 *
14 人間の起源に関する聖書の記述の方がどうして人間の仮説や理論よりも好ましいと言えますか。
14 人間はこの地上に何十万年,あるいは何百万年も生存してきたという科学上の主張についてはどうですか。聖書の出来事の場合とは違って,その種の主張はどれ一つとしてそのような昔の時代の書かれた記録によって立証できるわけではありません。いわゆる“先史時代人”の出現した時として示されている途方もない年代は証明できない仮定に基づいています。事実,信頼できる一般の歴史やその年代表によれば,せいぜい数千年しかさかのぼれません。地球はノアの時代の世界的大洪水のような多くの変化や大変動を経てきており,そのために岩石の層や化石の保存状態は相当乱されており,大洪水以前の年代に関する科学的な発表はいずれも極めて推測的なものとなっています。 * 人間の矛盾した仮説や理論のすべてとは対照的に,聖書は人間の起源に関する明確で調和のとれた記述やエホバの選ばれた民に関する,綿密な文書資料に基づく歴史によって,理性に訴えています。
15 聖書を研究すると,人はどのような影響を受けるはずですか。
15 聖書を調べ,偉大な時間厳守者であられるエホバ神の業を思い巡らすとき,人は非常に謙虚な気持ちを抱かされるはずです。無限の力を持たれる神と比べて,死ぬべき人間は本当に小さな存在です。幾十世紀とも知れない遠い昔に行なわれた,神のこの驚くべき創造の働きは,聖書の中で,「初めに神は天と地を創造された」と,実に簡潔に述べられています。―創世記 1:1。
地上におけるイエスの在住期間
16 (イ)四福音書はどのような順序で書き記されましたか。(ロ)どうすれば,イエスが宣教に携わり始めた年代を算定できますか。(ハ)それぞれ異なった福音書の中で,種々の出来事はどのような順序で述べられていますか。ヨハネの記述について言えば,どんな点に注目できますか。
16 イエスの地上での生活に関する霊感による四つの記述は,次のような順序で書かれたようです。マタイ(西暦41ルカ 3章1節から3節にある情報とティベリウス・カエサルの治世の初めの年である西暦14年という年代とを用いると,西暦29年がこの地上でのイエスの注目すべき宣教の開始された年となります。マタイに記されている出来事は必ずしも年代順に並べられてはいませんが,ほかの三つの書はおおむね,重要な出来事を実際に起きた順序に従って述べているようです。それらの出来事は掲載した一覧表の中に要約されています。それを見ると,ヨハネの記述はほかの三つの記述の最後のものが書かれた後,30年余りたってから書かれたものですが,ほかの記述では扱われていない歴史上重要な空白箇所を埋め合わせていることが分かります。特に注目に値するのは,イエスが地上で宣教に携わられた時,過ぎ越しが4回守られたことをヨハネが明らかにしている点です。このことは,その宣教の期間は3年半で,西暦33年に終わったことを確証しています。 * ―ヨハネ 2:13; 5:1; 6:4; 12:1; 13:1。
年ごろ),ルカ(西暦56-58年ごろ),マルコ(西暦60-65年ごろ)そしてヨハネ(西暦98年ごろ)。前の章で説明した通り,17 ほかのどんな証拠がイエスの亡くなった年代を裏付けていますか。
17 また,イエスが西暦33年に亡くなられたことは他の証拠によっても確証されています。モーセの律法によれば,ニサン15日は,それがどの日に当たろうとも常に特別の安息日でした。もしそれが普通の安息日と重なるなら,その日は「大いなる」安息日と呼ばれました。ヨハネ 19章31節は,イエスの亡くなった日の翌日がそのような安息日であったことを示していますから,イエスの亡くなられた日は金曜日でした。それに,ニサン14日が金曜日だったのは,西暦31年,あるいは32年ではなく,西暦33年だけでした。ですから,イエスが亡くなられたのは,西暦33年ニサン14日だったに違いありません。 *
18 (イ)ダニエルは69「週」に関してどんなことを預言しましたか。(ロ)ネヘミヤによれば,この期間はいつ始まりましたか。(ハ)アルタクセルクセスの治世の始まった年はどのようにして算出できますか。
18 西暦29年から同36年までの第70「週」。また,イエスの宣教の時間的特徴は,ダニエル 9章24節から27節でも取り扱われています。その節は,「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに」69週年(483年)が経過することを予告しています。ネヘミヤ 2章1節から8節によれば,この言葉はペルシャの王「アルタクセルクセスの第二十年」に出されました。アルタクセルクセスはその統治をいつ開始しましたか。その父で,前任者であったクセルクセスは,西暦前475年の後半に死にました。したがって,アルタクセルクセスの即位年は西暦前475年に始まりました。ギリシャ,ペルシャ,およびバビロニアの資料で,このことを裏付けている強力な証拠があります。例えば,ギリシャの歴史家ツキディデス(正確さで有名になった史家)は,アルタクセルクセスが「王位について間もない」ころ,ギリシャの政治家テミストクレスがペルシャに逃れたことについて書いています。西暦前1世紀のもう一人の歴史家ディオドロス・シクルスは,テミストクレスが死んだ年代を西暦前471もしくは470年であることを確証できるようにしてくれています。テミストクレスは自分の国から逃げ去った後,アルタクセルクセスの前に出るまでに1年間ペルシャ語を勉強する許可を求め,その通りに行なわれました。したがって,テミストクレスがペルシャに居住することになったのは,西暦前472年よりも後ではなかったはずで,ペルシャに到着した年代を西暦前473年とするのが穏当でしょう。当時,アルタクセルクセスは「王位について間もない」時分でした。 *
19 (イ)「アルタクセルクセスの第二十年」から数えて,メシアが現われる年をどのようにして算定しますか。(ロ)70「週」に関する預言はこの年以降どのように成就しましたか。
19 このようなわけで,「アルタクセルクセスの第二十年」は西暦前455年だったことになります。この時点から483年(69「週」)を数えると,西暦紀元に移る際0年がなかったことを思い起こせば,「指導者であるメシア」の出現する年は西暦29年となります。イエスはその年の秋にバプテスマを受け,聖霊によって油そそがれてメシアとなりました。その預言はまた,「[第70]週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる」ことをも示しています。このことは,イエスがご自身を犠牲としてささげたため,ユダヤ人のささげる予型的な犠牲が効力を失った時に起きました。この「週」年の「半ば」は3年半経過した西暦33年の春になりますが,そのときイエスは死刑に処せられました。しかし,この第70週の期間中ずっと,『彼は多くの者のために契約の効力を保たねばなりません』でした。これはエホバの特別の恵みが西暦29年から同36年までの7年間引き続きユダヤ人に示されることを意味しています。その後初めて,西暦36年にコルネリオが改宗することによって示された通り,割礼を受けていない異邦人も霊的なイスラエル人となる道が開かれました。 * ―使徒 10:30-33,44-48; 11:1。
使徒時代の種々の年を計算する
20 ヘロデの死とそれに先行する出来事の起きた時を定める点で,一般の歴史と聖書の記録はどのように合致しますか。
20 西暦33年から同49年までの期間。西暦44年という年は,この時期の有用な年代として受け入れることができるでしょう。ヨセフス(「ユダヤ戦記」,XIX,351[viii,2])によれば,ヘロデ・アグリッパ1世はローマ皇帝クラウディウスの即位(西暦41年)後,3年間治めました。歴史上の証拠は,このヘロデが西暦44年に死んだことを示しています。 * さて,聖書の記録を調べてみると,アガボが来たるべき大飢きんに関して「霊によって」預言し,使徒ヤコブが剣で殺され,ペテロが(過ぎ越しの時に)投獄され,奇跡的に 解放されたのは,ヘロデの死ぬ少し前だったことが分かります。これらすべての出来事の年代は西暦44年と算定できるでしょう。―使徒 11:27,28; 12:1-11,20-23。
21 どんな根拠に基づいて,パウロの最初の宣教旅行の大体の年代を算定できますか。
21 西暦46年ごろ,予告されていた飢きんが起きました。ですから,パウロとバルナバが『救援の仕事を果たした』のは,この時だったに違いありません。(使徒 12:25)この二人はシリアのアンティオキアに戻った後,最初の宣教旅行を行なうよう,聖霊によって取り分けられました。その宣教旅行はキプロスを初め,小アジアの多くの都市や地区に及ぶものでした。 * この旅行は恐らく,小アジアで過ごした一冬を含め,西暦47年の春から同48年の秋にまで及んだことでしょう。パウロはその次の冬をシリアのアンティオキアに戻って過ごしたようです。こうして時は西暦49年の春となります。―使徒 13:1-14:28。
22 ガラテア 1,2章に述べられているパウロの2度のエルサレム訪問の年代はどのように算定できますか。
22 ガラテア人への手紙の1章と2章の記録は,この年代計算と調和するようです。ここでパウロは,改宗後エルサレムへさらに2度特別に訪問したことを述べていますが,一度は「三年後」,そしてもう一度は「十四年後」のことでした。(ガラテア 1:17,18; 2:1)もし,これら二つの期間の年数を,当時の習慣に従って序数と解するなら,またパウロの改宗がその記録によって示唆されているように,使徒時代の初期に起きたとするなら,その3年と14年は西暦34年から同36年および西暦36年から同49年までの連続した期間とみなせるでしょう。
23 ガラテア 2章と使徒 15章は共に西暦49年におけるパウロのエルサレム訪問と関係があることを,どんな証拠が示していますか。
23 ガラテア人への手紙の中で述べられているパウロの2度目のエルサレム訪問は,割礼の問題と関係があったように思われます。というのは,パウロに同行したテトスさえ,割礼を受けるよう求められなかったと言われているからです。もしこれが使徒 15章1節から35節で説明されている割礼に関する裁定を求めるための訪問と同じであれば,西暦49年はパウロの最初の宣教旅行と2度目の宣教旅行との間の時期とぴったり合います。その上,ガラテア 2章1節から10節によれば,パウロはこの機会を利用してエルサレム会衆の「主立った人々」の前に,彼が宣べ伝えていた良いたよりを示しました。それは,『自分が無駄に走っていはしまいかと思ったからです』。これは,実際その最初の宣教旅行の後に彼らに報告して当然行なったであろうと思われる事柄です。パウロは「啓示があったので」,エルサレムへのこの訪問を行ないました。
24 パウロは何年から何年までの間に2回目の宣教旅行を行ないましたか。パウロがコリントに着いたのは西暦50年の終わり近くに違いないと言えるのはどうしてですか。
24 西暦49年ごろから同52年ごろまでのパウロの2回目の宣教旅行。パウロはエルサレムから戻った後,シリアのアンティオキアで時を過ごしました。したがって,彼がそこをたって2度目の旅行を始めたのは西暦49年の夏もかなり過ぎたころだったに違いありません。(使徒 15:35,36)この旅行は最初のものよりもずっと広範囲にわたるもので,小アジアで冬を過ごさなければならなかったようです。彼がマケドニア人の招きにこたえ応じてヨーロッパに渡って行ったのは,恐らく西暦50年の春だったでしょう。こうして彼は宣べ伝え,フィリピ,テサロニケ,ベレアおよびアテネでそれぞれ新しい会衆を組織しました。こうして彼は,およそ2,090㌔の行程をほとんど徒歩で旅行した後,西暦50年の秋にアカイア州のコリントにたどり着きました。(使徒 16:9,11,12; 17:1,2,10,11,15,16; 18:1)使徒 18章11節によれば,パウロはそこに18か月とどまりましたから,時は西暦52年の初めごろとなります。冬も終わったので,パウロはエフェソス経由でカエサレアに向けて出帆しました。彼は,明らかにエルサレムの会衆にあいさつをするために上って行った後,恐らく西暦52年の夏に本拠地であるシリアのアンティオキアに帰りました。 * ―使徒 18:12-22。
25 (イ)考古学はパウロが初めてコリントを訪れた時期が西暦50-52年であることをどのように支持していますか。(ロ)アクラとプリスキラが「最近イタリアから来た」という事実は,このことをどのように確証していますか。
25 考古学上の発見も西暦50年から52年をパウロが初めてコリントを訪れた年代として支持しています。それは皇帝クラウディウス・カエサルからギリシャのデルポイ人にあてられた答書の碑文の断片で,その中には,「[ルキウス・ユ]ニウス,ガリオ,……執政官代理」という言葉が含まれています。この碑文にやはり見られる26という数字は,クラウディウスが皇帝として26回目の推挙を受けたことを指しているという点で,歴史家は大体意見の一致を見ています。ほかの碑文は,クラウディウスが皇帝としての27回目の推挙を52年8月1日以前に受けたことを示しています。この執政官代理の任期は夏の初めに始まって,1年間にわたりました。このようなわけで,ガリオがアカイアの執政官代理を務めた年は,西暦51年の夏から52年の夏までだったようです。「さて,ガリオがアカイアの執政官代理だった時であるが,ユダヤ人たちはパウロに敵していっせいに立ち上がり,彼を裁きの座に引いて行っ(た)」と記されています。ガリオがパウロを無罪とした後,同使徒は「なおかなりの日数」とどまり,それからシリアに向けて船出しました。(使徒 18:11,12,17,18)このすべては,パウロの18か月にわたるコリント滞在期間の終わりが西暦52年の春であったことを確証しているように思えます。時を示すもう一つのしるしは,パウロがコリントに到着した時,「ポントス生まれの人で,クラウディウスがユダヤ人すべてにローマ退去を命じたために最近イタリアから来た,アクラという名のユダヤ人と,その妻プリスキラに会った」という 一文に見いだせます。(使徒 18:2)5世紀初頭の歴史家パウルス・オロシウスによれば,この追放命令はクラウディウスの第9年,西暦49年,もしくは西暦50年の初めに出されました。こうして,アクラとプリスキラはその年の秋の少し前にコリントに着くことができ,パウロが西暦50年の秋から52年の春までそこにとどまることができたと考えられます。 *
26 パウロの3回目の宣教旅行の一連の時期を示すどんな年代が挙げられますか。
26 西暦52年ごろから同56年ごろまでのパウロの3回目の宣教旅行。パウロはシリアのアンティオキアで「しばらく」過ごした後,再び小アジアに出かけて行きました。そして,恐らく西暦52年から53年にかけての冬までにはエフェソスに着いたと考えられます。(使徒 18:23; 19:1)パウロは「三か月」過ごし,それからエフェソスで「二年」間教え,その後マケドニアへたちました。(使徒 19:8-10)後日,彼はエフェソスから来た監督たちに,彼らの中で「三年の間」仕えたことを思い起こさせましたが,これは恐らく大体の年数でしょう。(使徒 20:31)パウロは西暦55年の初めごろの「ペンテコステの祭り」の後にエフェソスをたち,ギリシャのコリントまでずっと旅行し,やがてその地で冬の時期の3か月を過ごしたように思われます。それから彼は西暦56年の過ぎ越しの時までにフィリピまで戻りました。そこから,トロアスやミレトスを経てカエサレアまで船旅を続け,さらにエルサレムに上り,西暦56年のペンテコステまでにそこに着きました。 * ―コリント第一 16:5-8。使徒 20:1-3,6,15,16; 21:8,15-17。
27 ローマにおけるパウロの最初の捕らわれが終わるまでの出来事の時はどのように定められますか。
27 西暦56年から同100年までの終わりの期間。パウロが逮捕されたのは,エルサレムに到着してから間もなくのことでした。彼はカエサレアに連行されて2年間拘留され,フェリクスの代わりにフェストが総督として立てられる時までそこにとどまっていました。(使徒 21:33; 23:23-35; 24:27)フェストの着任およびそれに続くパウロのローマへの出発の年は西暦58年と思われます。 * 船が難破して,パウロはマルタで冬を過ごした後,その旅行は西暦59年ごろに終了しました。記録の示すところによれば,パウロは2年間,つまり西暦61年ごろまで捕らわれの身となってローマにとどまり,宣べ伝えたり教えたりしました。―使徒 27:1; 28:1,11,16,30,31。
28 パウロの生涯の終わりごろの出来事には,論理的に考えてどんな年代が当てられますか。
28 「使徒たちの活動」の書の歴史的な記録からはこれ以上先をたどれませんが,種々の事柄は,パウロが釈放後も宣教者としての活動を続け,クレタ,ギリシャ,およびマケドニアへ旅行したことを示しています。パウロがスペインにまで達したかどうかは分かりません。彼は西暦65年ごろ,ローマで最後に投獄されて間もなく,ネロの手に掛かって殉教の死を遂げたと思われます。一般の歴史では,ローマで大火が起きたのは西暦64年7月とされており,それに続いて突如,クリスチャンに対するネロの迫害が起きました。パウロが「鎖」につながれて投獄され,その後処刑された時期は,論理的に言ってこの期間と合致します。―テモテ第二 1:16; 4:6,7。
29 使徒時代はいつ,また聖書のどの書が書き記されると共に終わりを告げましたか。
29 使徒ヨハネの著わした五つの書は,迫害,つまりドミティアヌス帝による迫害の時代の終わりごろに書かれたと考えられます。同皇帝は西暦81年から96年までの治世の最後の3年の間,狂人のように行動したと言われています。ヨハネが西暦96年ごろ「啓示」の書を書き記したのは,パトモス島に流刑にされていた時のことでした。 * その後,釈放されてから,彼の福音書と3通の手紙がエフェソスもしくはその付近で書き記され,使徒たちの中の最後の人であるこのヨハネは西暦100年ごろ死にました。
30 聖書の年代記述に関するこの研究にはどんな益がありますか。
30 これで分かるように,一般の歴史の出来事と聖書中の年代記述や預言を比較すると,聖書の出来事を時の流れの中で一層明確に位置づけるのに役立ちます。聖書の年代記述に見られる調和は,神のみ言葉としての聖書に対するわたしたちの確信を増し加えるものとなります。
[脚注]
^ 4節 この章を研究する際,「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,458-467ページを参照すると,助けになるかもしれません。
^ 5節 研究 2,28,29節。
^ 9節 アブラハムがユーフラテス川を渡った時からイサクの誕生までは25年で,それからヤコブの誕生までは60年です。ヤコブはエジプトに下った時130歳でした。―創世記 12:4; 21:5; 25:26; 47:9。
^ 13節 1990年の場合,その時間を6,015年から差し引かなければなりません。
^ 14節 「目ざめよ!」,1986年9月22日号,17-27ページ。同1972年7月8日号,5-20ページ。
^ 16節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,57,58ページ。
^ 17節 「ものみの塔」,1976年,441,442ページ。「ものみの塔」(英文),1959年,489-492ページ。
^ 18節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,614-616ページ。
^ 19節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899-904ページ。
^ 20節 「新ブリタニカ百科事典」(英文),1987年,第5巻,880ページ。
^ 21節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 24節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 25節 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,476,886ページ。
^ 26節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 27節 ヤングの聖書分析用語索引(英文),342ページの「フェスト」の項。
^ 29節 「黙示録に関する注釈」(英文),1852年,アルバート・バーンズ,29,30ページ。
[研究用の質問]
[287-290ページの図表]
イエスが地上で生活しておられた時の主な出来事 ― 四福音書を年代順に配列
時 場所 出来事
イエスが宣教を開始するまで
西暦前3年 エルサレム,神殿 バプテスマを施す人ヨハネの誕生
がゼカリヤに予告される
西暦前2年ごろ ナザレ。ユダヤ イエスの誕生がマリアに予告
される。マリアはエリサベツを
訪ねる
西暦前2年 ユダヤの丘陵地 バプテスマを施す人ヨハネの誕生。
砂漠におけるその後の生活
西暦前2年 ベツレヘム イエス(つまり言葉,この方を
10月1日ごろ 通して他のすべてのものが存在
するようになった)が,
アブラハムおよびダビデの子孫と
して誕生
ベツレヘム付近 み使いは良いたよりを発表する。
羊飼いたちはみどりごを訪ねる
ベツレヘム, イエスは割礼を受け(八日目),
エルサレム 神殿で差し出される(40日後)
西暦前1年または西暦1年 エルサレム, 占星術者たち。エジプトへ逃れる。
ベツレヘム,ナザレ みどりごたちが殺される。
イエスは戻る
西暦12年 エルサレム 過ぎ越しの祭りに上った12歳の
イエス。家へ帰る
29年,春 荒野,ヨルダン バプテスマを施す人ヨハネの宣教
イエスの宣教の始まり
29年,秋 ヨルダン川 イエスのバプテスマと油そそぎ。
ダビデの家系から人間として
生まれたが,神の子として
宣せられる
ユダヤの荒野 イエスは断食をし,誘惑を受ける
ヨルダンの向こうの バプテスマを施す人ヨハネの
ベタニヤ イエスに関する証し
ヨルダン渓谷上流域 イエスの最初の弟子たち
ガリラヤのカナ。 イエスの最初の奇跡。
カペルナウム カペルナウムを訪れる
30年,過ぎ越し エルサレム 過ぎ越しの祝い。神殿から商売人
を追い出す
エルサレム イエスはニコデモと論じる
ユダヤ。アイノン イエスの弟子たちはバプテスマを
施す。ヨハネは減ってゆく
ティベリア ヨハネは投獄される。イエスは
ガリラヤに向けて出発する
サマリアのスカル ガリラヤへ行く途中でイエスは
サマリア人を教える
ガリラヤにおけるイエスの大規模な宣教
ガリラヤ 「天の王国は近づいた」という
最初の宣言
ナザレ。カナ。 少年をいやす。使命について朗読
カペルナウム する。退けられ,カペルナウムへ
移る
ガリラヤの海, シモンとアンデレ,ヤコブと
カペルナウム付近 ヨハネを召す
カペルナウム 悪霊につかれた者,それにペテロ
のしゅうとめや他の大勢の人も
いやす
ガリラヤ ガリラヤを回る最初の旅行。
召した4人を伴う
ガリラヤ らい病人をいやす。大勢の群衆が
イエスのもとに押し寄せる
カペルナウム 体のまひした人をいやす
カペルナウム マタイを召す。収税人たちとの
会食
ユダヤ ユダヤの諸会堂で宣べ伝える
31年,過ぎ越し エルサレム 祭りに出席する。男の人をいやす。
パリサイ人を叱責する
エルサレムからの帰途 弟子たちが安息日に穀物の穂を
(?) むしる
ガリラヤ。 手のなえた人を安息日にいやす。
ガリラヤの海 海辺に退く。人々をいやす
カペルナウム近くの山 12人が使徒として選ばれる
カペルナウム付近 山上の垂訓
カペルナウム 士官の僕をいやす
ナイン やもめの息子をよみがえらせる
ガリラヤ 獄の中のヨハネはイエスのもとに
弟子たちを遣わす
ガリラヤ 諸都市を非難する。みどりごたち
に対する啓示。心地よいくびき
ガリラヤ 罪深い女が足に油をそそぐ。
債務者の例え
ガリラヤ ガリラヤでの2回目の伝道旅行。
12人を伴う
ガリラヤ 悪霊につかれた人をいやす。
ベエルゼブブと結びついている
として非難される
ガリラヤ 書士とパリサイ人はしるしを
求める
ガリラヤ キリストの弟子たちは近い親族
ガリラヤの海 種まき人,雑草,その他の例え。
その説明
ガリラヤの海 湖を渡っている時,風あらしを
静める
ガダラ,ガリラヤの海 悪霊につかれた二人の男をいやす。
の南東 悪霊たちは豚の中に入る
おそらくカペルナウム ヤイロの娘をよみがえらせる。
女をいやす
カペルナウム? 二人の盲人と,悪霊につかれて
口のきけなかった人をいやす
ナザレ 自分が育った都市を再び訪ね,
またも退けられる
ガリラヤ ガリラヤを回る3回目の旅行。
使徒たちを遣わして規模を
拡大する
ティベリア バプテスマを施す人ヨハネは
首を切られる。ヘロデは罪の
意識のために恐れを抱く
32年の過ぎ越し近く カペルナウム(?) 使徒たちが伝道の旅から戻る。
(ヨハネ 6:4) ガリラヤの海の北東岸 5,000人に食事をさせる
ガリラヤの海の北東岸。イエスを王位につかせようとする
ゲネサレ 試み。イエスは海の上を歩く。
人々をいやす
カペルナウム ご自分が「命のパン」であることを
明らかにする。多くの弟子が
離れ去る
32年,過ぎ越しの後 おそらくカペルナウム 神の言葉を無効にする伝統
フェニキア。 ティルスとシドンの近く。
デカポリス 次いでデカポリスへ。4,000人に
食事をさせる
マガダン パリサイ人とサドカイ人は再び
しるしを求める
ガリラヤの海の パリサイ人のパン種に気をつける
北東岸。ベツサイダ よう警告する。盲人をいやす
カエサレア・フィリピ イエスはメシア。ご自分の死と
復活を予告
おそらくヘルモン山 ペテロ,ヤコブ,ヨハネの前での
変ぼう
カエサレア・フィリピ 弟子たちがいやせなかった悪霊に
つかれた人をいやす
ガリラヤ ご自分の死と復活を再び予告する
カペルナウム 税のためのお金が奇跡によって
備えられる
カペルナウム 王国において最も偉大な者。
過ちによる問題を解決する。
憐れみ
ガリラヤ。サマリア ガリラヤを去って仮小屋の祭りに
上る。宣教奉仕のために
すべてを後にする
ユダヤにおけるイエスの後期の宣教
32年,仮小屋の祭り エルサレム 仮小屋の祭りのさいに,イエスは
公に教える
エルサレム 祭りの後の教え。盲人をいやす
おそらくユダヤ 70人を伝道に遣わす。彼らは
戻って来て報告する
ユダヤ。ベタニヤ 隣人愛を示したサマリア人の話を
する。マルタとマリアの家で
おそらくユダヤ 模範的な祈りを再度教える。
執ように求めることが必要
おそらくユダヤ 偽りの非難を論ばくする。その
世代が罪に定められるべきこと
を示す
おそらくユダヤ パリサイ人の食卓でイエスは
偽善を糾弾する
おそらくユダヤ 神の気遣いに関する話。
忠実な家令
おそらくユダヤ 体の不自由な女を安息日にいやす。
三つの例え
32年,献納の祭り エルサレム 献納の祭りにおけるイエス。
りっぱな羊飼い
ヨルダンの東におけるイエスの後期の宣教
ヨルダンの向こう側 多くの人がイエスに信仰を持つ
ペレア(つまり, 都市や村で教えながらエルサレム
ヨルダンの向こう側) へ向かう
ペレア 王国に入ること。ヘロデの脅し。
家は荒廃に帰す
おそらくペレア 謙遜さ。盛大な晩さんの例え
おそらくペレア 弟子となるための費用を計算する
おそらくペレア 例え: 失われた羊,なくなった
硬貨,放とう息子
おそらくペレア 例え: 不義な家令,
富んだ人とラザロ
おそらくペレア 許すこと,信仰。
何の役にも立たない奴隷
ベタニヤ ラザロはイエスによって死者の中
からよみがえらされる
エルサレム。 カヤファはイエスを害することに
エフライム ついて助言する。イエスは退く
サマリア。ガリラヤ サマリア,ガリラヤを通りつつ,
いやしを行ない,教える
サマリアまたは 例え: しつこくせがむやもめ,
ガリラヤ パリサイ人と収税人
ペレア ペレアを通る。
離婚について教える
ペレア 子供たちを受け入れ,祝福する
ペレア 富んだ青年。
ぶどう園の労働者のたとえ話
おそらくペレア ご自分の死と復活について
イエスは3度目の予告をする
おそらくペレア ヤコブとヨハネを王国で特別の座
に着かせてほしいという願い
エリコ エリコを通る際,二人の盲人を
いやす。ザアカイのもとを
訪ねる。10ミナの例え
エルサレムにおけるイエスの最後の宣教
33年,ニサン8日 ベタニヤ 過ぎ越しの六日前に,ベタニヤ
に着く
ニサン9日 ベタニヤ らい病人シモンの家における宴会。
マリアはイエスに香油を注ぐ。
ユダヤ人たちはイエスとラザロ
を見に来る
ベタニヤ-エルサレム エルサレムへのキリストの
勝利の入城
ニサン10日 ベタニヤ-エルサレム 実を付けないいちじくの木に
対するのろい。
神殿の2度目の清め
エルサレム 祭司長と書士たちはイエスを
滅ぼそうとたくらむ
エルサレム ギリシャ人との話し合い。
ユダヤ人の信仰のなさ
ニサン11日 ベタニヤ-エルサレム 実を付けないいちじくの木が
枯れているのを見る
エルサレム,神殿 キリストの権威に疑問が投げかけ
られる。二人の息子の例え
エルサレム,神殿 邪悪な耕作人,婚宴の例え
エルサレム,神殿 税,復活,おきてについて,
言葉じりを捕らえようとする質問
エルサレム,神殿 イエスはメシアの家系に関する
質問をして相手を沈黙させる
エルサレム,神殿 書士とパリサイ人に対する
仮借ない糾弾
エルサレム,神殿 やもめのわずかな寄付
オリーブ山 エルサレムの倒壊,イエスの臨在,
体制の終わりを予告する
オリーブ山 10人の処女,タラントのたとえ話。
羊とやぎ
ニサン12日 エルサレム 宗教指導者たちはイエスを殺そう
と陰謀をめぐらす
エルサレム ユダはイエスを裏切ることに
ついて祭司たちと交渉する
ニサン13日 エルサレム付近 過ぎ越しの用意
(木曜日午後) および市内 26:17-19
ニサン14日 エルサレム 12人と共に過ぎ越しの食事をする
エルサレム イエスは使徒たちの足を洗う
エルサレム ユダが反逆者であることが示される。
ユダは退けられる
エルサレム 11人と共に記念の夕食を制定する
エルサレム ペテロが否定することと使徒たち
が散らされることを予告する
エルサレム 助け手。互いに対する愛。患難。
イエスの祈り
ゲッセマネ 園でのもだえ。イエスは裏切られ,
捕縛される
エルサレム アンナスから質問を受ける。
カヤファ,サンヘドリンによる
審理。ペテロは否む
エルサレム 裏切り者ユダは首をつって死ぬ
エルサレム ピラトの前,次いでヘロデの前,
再びピラトのもとへ
エルサレム ピラトはイエスの釈放を試みるが,
その後,死に渡す
(金曜日,午後3時ごろ) ゴルゴタ,エルサレム 苦しみの杭の上でのイエスの死と,
それに伴う出来事
エルサレム イエスの体は苦しみの杭から
取り除かれ,埋葬される
ニサン15日 エルサレム 祭司とパリサイ人たちは警備隊を
置いて,墓の守りを固める
ニサン16日 エルサレムとその近辺 イエスの復活とその日の出来事
ニサン16日以後 エルサレム。ガリラヤ イエス・キリストはその後も
姿を現わす
[使徒 1:3-8]
イヤル25日 オリーブ山, 復活後40日目にイエスは昇天する
ベタニヤ付近 [使徒 1:9-12]
「イエスが地上で生活しておられた時の主な出来事」の表に関する質問:
(イ)バプテスマを施す人ヨハネが投獄されるまでのイエスの宣教期間中の顕著な出来事を幾つか挙げなさい。
(ロ)次の出来事が起きた場所と年を述べなさい。(1)シモンとアンデレ,ヤコブとヨハネを召す。(2)12使徒を選ぶ。(3)山上の垂訓。(4)変ぼう。(5)ラザロを死者の中からよみがえらす。(6)ザアカイの家へのイエスの訪問。
(ハ)イエスの行なった際立った奇跡の幾つかを挙げ,それが行なわれた時と場所を述べなさい。
(ニ)西暦33年ニサン8日からニサン16日にかけて起きた,イエスに関係したおもな出来事として,どのようなものがありますか。
(ホ)イエスが地上での宣教期間中に話された優れた例えの中にはどのようなものがありますか。
[294-297ページの図表]
歴史的に重要な出来事の年表
年代 出来事 出典
西暦前4026年 アダムの創造 創 2:7
西暦前4026年以後 エデンの契約が結ばれる。最初の預言 創 3:15
西暦前3896年以前 カインはアベルを打ち殺す 創 4:8
西暦前3896年 セツの誕生 創 5:3
西暦前3404年 義人エノクの誕生 創 5:18
西暦前3339年 メトセラの誕生 創 5:21
西暦前3152年 レメクの誕生 創 5:25
西暦前3096年 アダムの死 創 5:5
西暦前3039年 エノクは移される。 創 5:23,24。ユダ 14
その預言の期間は終わる
西暦前2970年 ノアの誕生 創 5:28,29
西暦前2490年 人類に関する神の宣告 創 6:3
西暦前2470年 ヤペテの誕生 創 5:32; 9:24; 10:21
西暦前2370年 メトセラの死 創 5:27
西暦前2369年 洪水の後に契約が結ばれる 創 8:13; 9:16
西暦前2368年 アルパクシャドの誕生 創 11:10
西暦前2269年以後 バベルの塔の建設 創 11:4
西暦前2020年 ノアの死 創 9:28,29
西暦前2018年 アブラハムの誕生 創 11:26,32; 12:4
西暦前1943年 アブラハムはカナンへ進む途中 創 12:4,7。出 12:40。
ユーフラテス川を渡る。 ガラ 3:17
アブラハム契約が発効する。
律法契約に至る430年の期間が始まる
西暦前1933年以前 ロトは救い出される。アブラハムは 創 14:16,18; 16:3
メルキゼデクを訪ねる
西暦前1932年 イシュマエルが生まれる 創 16:15,16
西暦前1919年 割礼の契約が結ばれる 創 17:1,10,24
ソドムとゴモラに対する裁き 創 19:24
西暦前1918年 真の相続人イサクの誕生。 創 21:2,5。使徒 13:17-20
『およそ450年』の始まり
西暦前1913年 イサクの乳離れ。イシュマエルは送り 創 21:8; 15:13。使徒 7:6
出される。400年の苦しみの始まり
西暦前1878年 イサクとリベカの結婚 創 25:20
西暦前1868年 セムの死 創 11:11
西暦前1858年 エサウとヤコブの誕生 創 25:26
西暦前1843年 アブラハムの死 創 25:7
西暦前1818年 エサウは最初の二人の妻をめとる 創 26:34
西暦前1795年 イシュマエルの死 創 25:17
西暦前1781年 ヤコブはハランへ逃れる。 創 28:2,13,19
ベテルで見た幻
西暦前1774年 ヤコブはレア,ラケルと結婚する 創 29:23-30
西暦前1767年 ヨセフの誕生 創 30:23,24
西暦前1761年 ヤコブはハランからカナンへ戻る 創 31:18,41
西暦前1761年ごろ ヤコブはみ使いと格闘する。 創 32:24-28
イスラエルと名付けられる
西暦前1750年 ヨセフは兄弟たちにより奴隷として 創 37:2,28
売られる
西暦前1738年 イサクの死 創 35:28,29
西暦前1737年 ヨセフはエジプトの総理大臣とされる 創 41:40,46
西暦前1728年 ヤコブはその全家と共にエジプトに 創 45:6; 46:26; 47:9
入る
西暦前1711年 ヤコブの死 創 47:28
西暦前1657年 ヨセフの死 創 50:26
西暦前1613年以前 ヨブの試練 ヨブ 1:8; 42:16
西暦前1600年以後 エジプトは第一世界強国として顕著に 出 1:8
なる
西暦前1553年 モーセは救出者として自分を 出 2:11,14,15。使徒 7:23
差し出す。ミディアンへ逃れる
西暦前1514年ごろ モーセは燃えるいばらの茂みを見る 出 3:2
西暦前1513年 過ぎ越し。イスラエル人はエジプトを 出 12:12; 14:27,29,30。
去る。紅海における救出。エジプト 創 15:13,14
の権力は揺るぐ。400年の苦しみの
期間の終わり
シナイ山(ホレブ)で律法契約が 出 24:6-8
結ばれる
アブラハム契約発効後の430年の期間の終わり
モーセは荒野で創世記を編さんする。 ヨハ 5:46
聖書が書き始められる
西暦前1512年 幕屋の造営が完了する 出 40:17
アロンの祭司職への任職 レビ 8:34-36
モーセは出エジプト記とレビ記を レビ 27:34。民 1:1
書き終える
西暦前1473年ごろ モーセはヨブ記を書き終える ヨブ 42:16,17
西暦前1473年 モーセはモアブの平原で民数記を 民 35:1; 36:13
書き終える
モアブでイスラエルと結ばれた契約 申 29:1
イスラエルはヨシュアに率いられて ヨシュ 4:19
カナンに入る
西暦前1467年 約束の地の大半の征服を完了する。 ヨシュ 11:23; 14:7,10-15
使徒 13章17-20節の『およそ450年』
の終わり
西暦前1450年ごろ ヨシュア記が書き終えられる ヨシュ 1:1; 24:26
ヨシュアの死 ヨシュ 24:29
西暦前1117年 サムエルはサウルに油をそそぎ, サム一 10:24。使徒 13:21
イスラエルの王とする
西暦前1107年 ダビデがベツレヘムで生まれる サム一 16:1
西暦前1100年ごろ サムエルは裁き人の書を書き終える 裁 21:25
西暦前1090年ごろ サムエルはルツ記を書き終える ルツ 4:18-22
西暦前1078年ごろ サムエル記第一が書き終えられる サム一 31:6
西暦前1077年 ダビデはヘブロンでユダの王となる サム二 2:4
西暦前1070年 ダビデは全イスラエルの王となる。 サム二 5:3-7
エルサレムを首都とする
西暦前1070年以後 箱はエルサレムに運ばれる。 サム二 6:15; 7:12-16
王国のための契約がダビデと結ばれる
西暦前1040年ごろ ガドとナタンはサムエル記第二を サム二 24:18
書き終える
西暦前1037年 ソロモンはダビデの跡を継いで 王一 1:39; 2:12
イスラエルの王となる
西暦前1034年 ソロモンによる神殿の造営が始まる 王一 6:1
西暦前1027年 エルサレムの神殿が完成する 王一 6:38
西暦前1020年ごろ ソロモンはソロモンの歌を書き終える 歌 1:1
西暦前1000年以前 ソロモンは伝道の書を書き終える 伝 1:1
西暦前997年 レハベアムはソロモンの跡を継ぐ。 王一 11:43; 12:19,20
王国は分裂する。ヤラベアムは
イスラエルの王として治め始める
西暦前993年 シシャクはユダに侵入し,神殿から 王一 14:25,26
財宝を奪う
西暦前980年 アビヤム(アビヤ)はレハベアムの 王一 15:1,2
跡を継いでユダの王となる
西暦前977年 アサはアビヤムの跡を継いでユダの王 王一 15:9,10
となる
西暦前976年ごろ ナダブはヤラベアムの跡を継いで 王一 14:20
イスラエルの王となる
西暦前975年ごろ バアシャはナダブの跡を継いで 王一 15:33
イスラエルの王となる
西暦前952年ごろ エラはバアシャの跡を継いで 王一 16:8
イスラエルの王となる
西暦前951年ごろ ジムリはエラの跡を継いでイスラエル 王一 16:15
の王となる
オムリとティブニはジムリの跡を 王一 16:21
継いでイスラエルの王となる
西暦前947年ごろ オムリはイスラエルの王として単独で 王一 16:22,23
支配する
西暦前940年ごろ アハブはオムリの跡を継いで 王一 16:29
イスラエルの王となる
西暦前936年 エホシャファトはアサの跡を継いで 王一 22:41,42
ユダの王となる
西暦前919年ごろ アハジヤはアハブの跡を継いで 王一 22:51,52
イスラエルの単独の王となる
西暦前917年ごろ イスラエルのエホラムはアハジヤの 王二 3:1
跡を継いで単独の王となる
西暦前913年ごろ ユダのエホラムはエホシャファトと 王二 8:16,17
共同の『王となる』
西暦前906年ごろ アハジヤはエホラムの跡を継いで 王二 8:25,26
ユダの王となる
西暦前905年ごろ 女王アタリヤはユダの王座をさん奪 王二 11:1-3
する
エヒウはエホラムの跡を継いで 王二 9:24,27; 10:36
イスラエルの王となる
西暦前898年 エホアシュはアハジヤの跡を継いで 王二 12:1
ユダの王となる
西暦前876年 エホアハズはエヒウの跡を継いで 王二 13:1
イスラエルの王となる
西暦前859年ごろ エホアシュはエホアハズの跡を継いで 王二 13:10
イスラエルの単独の王となる
西暦前858年 アマジヤはエホアシュの跡を継いで 王二 14:1,2
ユダの王となる
西暦前844年ごろ ヤラベアム2世はエホアシュの跡を 王二 14:23
継いでイスラエルの王となる
ヨナはヨナ書を書き終える ヨナ 1:1,2
西暦前829年 ウジヤ(アザリヤ)はアマジヤの跡を 王二 15:1,2
継いでユダの王となる
西暦前820年ごろ ヨエル書が書き終えられたと思われる ヨエ 1:1
西暦前804年ごろ アモスはアモス書を書き終える アモ 1:1
西暦前792年ごろ ゼカリヤはイスラエルの王として支配する(6か月)
西暦前791年ごろ シャルムはゼカリヤの跡を継いで 王二 15:13,17
イスラエルの王となる
メナヘムはシャルムの跡を継いで
イスラエルの王となる
西暦前780年ごろ ペカフヤはメナヘムの跡を継いで 王二 15:23
イスラエルの王となる
西暦前778年ごろ ペカハはペカフヤの跡を継いで 王二 15:27
イスラエルの王となる
西暦前778年ごろ イザヤは預言を始める イザ 1:1; 6:1
西暦前777年 ヨタムはウジヤ(アザリヤ)の跡を 王二 15:32,33
継いでユダの王となる
西暦前761年ごろ アハズはヨタムの跡を継いでユダの王 王二 16:1,2
となる
西暦前758年ごろ ホシェアはイスラエルの王として 王二 15:30
『治めはじめる』
西暦前745年 ヒゼキヤはアハズの跡を継いで 王二 18:1,2
ユダの王となる
西暦前745年以後 ホセアはホセア書を書き終える ホセ 1:1
西暦前740年 アッシリアはイスラエルを征服し, 王二 17:6,13,18
サマリアを取る
西暦前732年 セナケリブはユダに侵入する 王二 18:13
西暦前732年以後 イザヤはイザヤ書を書き終える イザ 1:1
西暦前717年以前 ミカはミカ書を書き終える ミカ 1:1
西暦前717年ごろ 箴言の編さんが完成する 箴 25:1
西暦前716年 マナセはヒゼキヤの跡を継いで 王二 21:1
ユダの王となる
西暦前661年 アモンはマナセの跡を継いで 王二 21:19
ユダの王となる
西暦前659年 ヨシヤはアモンの跡を継いで 王二 22:1
ユダの王となる
西暦前648年以前 ゼパニヤはゼパニヤ書を書き終える ゼパ 1:1
西暦前647年 エレミヤは預言者としての使命を エレ 1:1,2,9,10
受ける
西暦前632年以前 ナホムはナホム書を書き終える ナホ 1:1
西暦前632年 ニネベはカルデア人とメディア人の ナホ 3:7
手に落ちる
バビロンは今や,第三世界強国としての
地歩を築き始める
西暦前628年 ヨシヤの後継者エホアハズはユダの王 王二 23:31
として支配する
エホヤキムはエホアハズの跡を継いで 王二 23:36
ユダの王となる
西暦前628年ごろ ハバククはハバクク書を書き終える ハバ 1:1
西暦前625年 ネブカドネザル(2世)は エレ 25:1
バビロンの王となる。その統治第1年は
西暦前624年のニサンから数え始める
西暦前620年 ネブカドネザルは従属の王として 王二 24:1
エホヤキムを立てる
西暦前618年 エホヤキムの後,エホヤキンが 王二 24:6,8
ユダの王になる
西暦前617年 ネブカドネザルはユダヤ人の最初の ダニ 1:1-4
捕らわれ人をバビロンへ連れて行く
ゼデキヤはユダの王とされる 王二 24:12-18
西暦前613年 エゼキエルは預言を始める エゼ 1:1-3
西暦前609年 ネブカドネザルはユダに3度目の進攻 王二 25:1,2
を行ない,エルサレムの攻囲攻撃を
開始する
西暦前607年 第5の月(アブ)に神殿は破壊され, 王二 25:8-10。
エルサレムは滅ぼされる エレ 52:12-14
第7の月にユダヤ人はユダを去る。 王二 25:25,26。
「諸国民の定められた時」が数え ルカ 21:24
始められる
エレミヤは哀歌を書く 哀,七十人訳の前書き
西暦前607年ごろ オバデヤはオバデヤ書を書く オバ 1
西暦前591年ごろ エゼキエルはエゼキエル書を書き エゼ 40:1; 29:17
終える
西暦前580年 列王記第一,第二とエレミヤ書が エレ 52:31。王二 25:27
書き終えられる
西暦前539年 バビロンはメディア人とペルシャ人の ダニ 5:30,31
手に落ちる。メディア-ペルシャは
第四世界強国になる
西暦前537年 ユダヤ人のエルサレムへの帰還を許可 代二 36:22,23。
する,ペルシャ人キュロスの布告が エレ 25:12; 29:10
実行に移される。エルサレムの70年
の荒廃が終わる
西暦前536年ごろ ダニエルはダニエル書を書き終える ダニ 10:1
西暦前536年 ゼルバベルによって神殿の土台が エズ 3:8-10
据えられる
西暦前522年 神殿造営の仕事に禁令が課される エズ 4:23,24
西暦前520年 ハガイはハガイ書を書き終える ハガ 1:1
西暦前518年 ゼカリヤはゼカリヤ書を書き終える ゼカ 1:1
西暦前515年 ゼルバベルは2番目の神殿を エズ 6:14,15
完成させる
西暦前475年ごろ モルデカイはエステル記を書き終える エス 3:7; 9:32
西暦前468年 エズラと祭司たちはエルサレムに戻る エズ 7:7
西暦前460年ごろ エズラは歴代誌第一,第二とエズラ記 エズ 1:1。代二 36:22
を書き終える。詩編の最終的な編さん
西暦前455年 エルサレムの城壁はネヘミヤによって建て直される。 ダニ 9:24
70週の預言が成就し始める
西暦前443年以後 ネヘミヤはネヘミヤ記を書き終える ネヘ 5:14
マラキはマラキ書を書き終える マラ 1:1
西暦前406年 エルサレムの再建が完了したと ダニ 9:25
思われる
西暦前332年 第五世界強国ギリシャはユダヤを ダニ 8:21
支配する
西暦前280年ごろ ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳
が始まる
西暦前165年 ギリシャ人の偶像礼拝によって ヨハ 10:22
汚された神殿が新たに献納される。
献納の祭り
西暦前63年 第六世界強国ローマはエルサレムを ヨハ 19:15。啓 17:10
支配する
西暦前37年ごろ ヘロデ(ローマによって任じられた王)
はエルサレムを強襲してこれを
手中に収める
西暦前2年 バプテスマを施す人ヨハネと ルカ 1:60; 2:7
イエスの誕生
西暦29年 ヨハネとイエスは宣教を始める ルカ 3:1,2,23
西暦33年 ニサン14日。イエスは犠牲となって ルカ 22:20; 23:33
新しい契約の基盤を据える。
杭につけられる
ニサン16日。イエスの復活 マタ 28:1-10
シワン6日,ペンテコステ。霊が 使徒 2:1-17,38
注ぎ出される。ペテロはユダヤ人が
クリスチャン会衆に入る道を開く
西暦36年 70週年の終わり。ペテロは, ダニ 9:24-27。
会衆に入った人物であるコルネリオを
訪ねる
西暦41年ごろ マタイは“マタイ”の名を持つ福音書
を書く
西暦47-48年ごろ パウロは最初の宣教旅行を始める 使徒 13:1-14:28
西暦49年ごろ 統治体は,諸国民からの信者が割礼を 使徒 15:28,29
受ける必要のないことを決定する
西暦49-52年ごろ パウロの2回目の宣教旅行 使徒 15:36-18:22
西暦50年ごろ パウロはテサロニケ人への第一の手紙 テサ一 1:1
をコリントから書き送る
西暦51年ごろ パウロはテサロニケ人への第二の手紙 テサ二 1:1
をコリントから書き送る
西暦50-52年ごろ パウロはガラテア人への手紙を ガラ 1:1
コリントもしくはシリアの
アンティオキアから書き送る
西暦52-56年ごろ パウロの3回目の宣教旅行 使徒 18:23-21:19
西暦55年ごろ パウロはコリント人への第一の手紙 コリ一 15:32。
をエフェソスから, コリ二 2:12,13
コリント人への第二の手紙
をマケドニアから書き送る
西暦56年ごろ パウロはローマ人への手紙をコリント ロマ 16:1
から書き送る
西暦56-58年ごろ ルカは“ルカ”という名の付された ルカ 1:1,2
福音書を書く
西暦60-61年ごろ パウロはローマから次の書簡を書く:
エフェソス人への手紙 エフェ 3:1
フィリピ人への手紙 フィリ 4:22
コロサイ人への手紙 コロ 4:18
フィレモンへの手紙 フィレ 1
西暦61年ごろ パウロはヘブライ人への手紙をローマ ヘブ 13:24; 10:34
から書き送る
ルカは使徒たちの活動の書をローマで
書き終える
西暦62年以前 イエスの兄弟ヤコブは“ヤコブ” ヤコ 1:1
という名の付された手紙をエルサレム
から書き送る
西暦60-65年ごろ マルコは“マルコ”という名の
付された福音書を書く
西暦61-64年ごろ パウロはテモテへの第一の手紙を テモ一 1:3
マケドニアから書き送る
パウロはテトスへの手紙をマケドニア テト 1:5
(?)から書き送る
西暦62-64年ごろ ペテロはペテロの第一の手紙を ペテ一 1:1; 5:13
バビロンから書き送る
西暦64年ごろ ペテロはペテロの第二の手紙を ペテ二 1:1
バビロン(?)から書き送る
西暦65年ごろ パウロはテモテへの第二の手紙を テモ二 4:16-18
ローマから書き送る
書く
西暦70年 エルサレムとその神殿はローマ人に ダニ 9:27。マタ 23:37,38。
よって滅ぼされる。 ルカ 19:42-44
西暦96年ごろ ヨハネはパトモスで啓示の書を書く 啓 1:9
西暦98年ごろ ヨハネは“ヨハネ”という名の ヨハ 21:22,23
付された福音書と,ヨハネの第一,
第二,第三の手紙を書く。
聖書は書き終えられる
西暦100年ごろ 最後の使徒であるヨハネが死ぬ テサ二 2:7
注意: ここに挙げた年代の多くは確証されていますが,入手し得る証拠を基におおよその年代を記したものも一部にあります。この表の目的は,それぞれの出来事の変更できない年代を定めることではなく,聖書を研究する人々が,それらの出来事を時の流れのどこに位置づけたらよいかを知り,その相対関係を把握するのを助けることにあります。
「歴史的に重要な出来事の年表」と「聖書の各書の一覧表」に関する質問:
(イ)二つの表を比較して,次の時期に生きた預言者や聖書筆者の名前を幾人か挙げなさい。(1)西暦前1117年にイスラエルの王国が設立される以前,(2)イスラエルとユダの2王国時代,(3)バビロンへの流刑が始まった時からヘブライ語聖書の正典が完成するまでの間。
(ロ)パウロの宣教旅行に関連して,パウロの手紙類が書かれた時を定めなさい。
(ハ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の書が書かれた時期について,注目できる他のどのような興味深い事柄がありますか。
(ニ)次に挙げる人物を聖書中の著名な出来事と関連づけ,その人がその出来事の前後いずれの時期に生きていたかを述べ,同じ時期に生きていた他の人々と結びつけなさい: セム,サムエル,メトセラ,ロト,サウル王,ダビデ,ヨブ,イスラエルのホシェア王,ソロモン,アロン,ユダのゼデキヤ王。
(ホ)次の人物が生きていた間にどんな顕著な出来事が起きましたか。(1)ノア,(2)アブラハム,(3)モーセ。
(ヘ)次の年代(西暦前)を下に記す著名な出来事と結びつけなさい: 4026年,2370年,1943年,1513年,1473年,1117年,997年,740年,607年,539年,537年,455年。
アダムの創造
シナイで成立した律法契約
エルサレムが滅ぼされる
キュロスの布告が出された後ユダヤ人はエルサレムに帰還する
霊感による聖書の執筆が始まる
洪水が始まる
バビロンはメディア人とペルシャ人の前に倒れる
イスラエルの最初の王が油そそがれる
アブラハムはユーフラテス川を渡る; アブラハム契約が発効する
イスラエルとユダの王国に分裂する
北の王国はアッシリアに征服される
エルサレムの城壁がネヘミヤによって再建される
イスラエル人はエジプトから救出される
ヨシュアはイスラエルをカナンに導き入れる
イスラエルの70年の荒廃は終わる
[298ページの図表]
聖書の各書の一覧表
(一部の年代[および書かれた場所]ははっきりしていません。)
西暦紀元前に書かれたヘブライ語聖書
書名 筆者 書かれた場所 書き終え 扱われている期間
られた年代
創世記 モーセ 荒野 1513年 「初めに」から
1657年まで
出エジプト記 モーセ 荒野 1512年 1657年-1512年
レビ記 モーセ 荒野 1512年 1か月(1512年)
民数記 モーセ 荒野/ 1473年 1512年-1473年
モアブの平原
申命記 モーセ モアブの平原 1473年 2か月(1473年)
ヨシュア記 ヨシュア カナン 1450年ごろ 1473年-1450年ごろ
裁き人の書 サムエル イスラエル 1100年ごろ 1450年ごろ-
1120年ごろ
ルツ記 サムエル イスラエル 1090年ごろ 裁き人の支配期間
の11年間
サムエル記第一 サムエル, イスラエル 1078年ごろ 1180年ごろ-1078年
ガド,ナタン
サムエル記第二 ガド,ナタン イスラエル 1040年ごろ 1077年-1040年ごろ
列王記第一と第二 エレミヤ ユダ/エジプト 580年 1040年ごろ-580年
歴代誌第一と第二 エズラ エルサレム 460年ごろ 歴代第一 9章44節
(?) の後,1077年
-537年
エズラ記 エズラ エルサレム 460年ごろ 537年-467年ごろ
ネヘミヤ記 ネヘミヤ エルサレム 443年以後 456年-443年以後
エステル記 モルデカイ エラムの 475年ごろ 493年-475年ごろ
シュシャン
ヨブ記 モーセ 荒野 1473年ごろ 1657年から1473年
の間の140年余り
詩編 ダビデ, 460年ごろ
その他
箴言 ソロモン, エルサレム 717年ごろ
アグル,レムエル
伝道の書 ソロモン エルサレム 1000年以前
ソロモンの歌 ソロモン エルサレム 1020年ごろ
イザヤ書 イザヤ エルサレム 732年以後 778年ごろ
-732年以後
エレミヤ書 エレミヤ ユダ/エジプト 580年 647年-580年
哀歌 エレミヤ エルサレム付近 607年
エゼキエル書 エゼキエル バビロン 591年ごろ 613年-591年ごろ
ダニエル書 ダニエル バビロン 536年ごろ 618年-536年ごろ
ホセア書 ホセア サマリア 745年以後 804年以前
(地方) -745年以後
ヨエル書 ヨエル ユダ 820年ごろ(?)
アモス書 アモス ユダ 804年ごろ
オバデヤ書 オバデヤ 607年ごろ
ヨナ書 ヨナ 844年ごろ
ミカ書 ミカ ユダ 717年以前 777年ごろ-717年
ナホム書 ナホム ユダ 632年以前
ハバクク書 ハバクク ユダ 628年ごろ(?)
ゼパニヤ書 ゼパニヤ ユダ 648年以前
ハガイ書 ハガイ エルサレム 520年 112日(520年)
ゼカリヤ書 ゼカリヤ エルサレム 518年 520年-518年
マラキ書 マラキ エルサレム 443年以後
西暦紀元後に書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書
書名 筆者 書かれた場所 書き終え 扱われている期間
られた年代
マタイ マタイ パレスチナ 41年ごろ 西暦前2年
-西暦33年
マルコ マルコ ローマ 60-65年ごろ 西暦29年-33年
ルカ ルカ カエサレア 56-58年ごろ 西暦前3年
-西暦33年
ヨハネ 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ 序文の後,
その付近 西暦29年-33年
使徒 ルカ ローマ 61年ごろ 西暦33年
-61年ごろ
ローマ パウロ コリント 56年ごろ
コリント第一 パウロ エフェソス 55年ごろ
コリント第二 パウロ マケドニア 55年ごろ
ガラテア パウロ コリントか 50-52年ごろ
シリアのアンティオキア
エフェソス パウロ ローマ 60-61年ごろ
フィリピ パウロ ローマ 60-61年ごろ
コロサイ パウロ ローマ 60-61年ごろ
テサロニケ第一 パウロ コリント 50年ごろ
テサロニケ第二 パウロ コリント 51年ごろ
テモテ第一 パウロ マケドニ 61-64年ごろ
テモテ第二 パウロ ローマ 65年ごろ
テトス パウロ マケドニア 61-64年ごろ
(?)
フィレモン パウロ ローマ 60-61年ごろ
ヘブライ パウロ ローマ 61年ごろ
ヤコブ ヤコブ エルサレム 62年以前
(イエスの兄弟)
ペテロ第一 ペテロ バビロン 62-64年ごろ
ペテロ第二 ペテロ バビロン 64年ごろ
(?)
ヨハネ第一 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ヨハネ第二 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ヨハネ第三 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ユダ ユダ パレスチナ 65年ごろ
(イエスの兄弟)(?)
啓示 使徒ヨハネ パトモス 96年ごろ