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聖書の18番目の書 ― ヨブ記

聖書の18番目の書 ― ヨブ記

聖書の18番目の書 ― ヨブ記

筆者: モーセ

書かれた場所: 荒野

書き終えられた年代: 西暦前1473年ごろ

扱われている期間: 西暦前1657年-1473年の間の140年余り

1 ヨブという名にはどんな意味がありますか。ヨブ記はどんな疑問に答えていますか。

霊感を受けた聖書の中の最古の書の一つ! この上なく尊重され,しばしば引用されていながら,人々からほとんど理解されていない書。この書はなぜ書かれましたか。それは現代のわたしたちにとってどれほど価値がありますか。その答えはヨブという名が持つ,「敵意の的」という意味のうちに示唆されています。そうです,この書は,なぜ罪のない人が苦しむのか,神はなぜ地上の悪を許しておられるのかという二つの重要な問題を取り上げています。これらの問いに答えるにあたってわたしたちが考察できるように,ヨブの苦しみと大いなる忍耐の記録が残されているのです。それはすべて,ヨブが願い求めた通りに書き記されました。―ヨブ 19:23,24

2 ヨブが実在の人物であったことを何が証明していますか。

2 ヨブという名は辛抱強さや忍耐の同義語となっています。しかし,ヨブという人物がいたのでしょうか。忠誠のこの非常に立派な模範を歴史の記録から消し去ろうとする悪魔のあらゆる努力にもかかわらず,答えは明白です。確かにヨブは実在の人物でした。エホバは,ご自分の証人であるノアやダニエルと共にヨブの名を挙げておられます。ノアやダニエルが存在したことは,イエス・キリストも認めておられました。(エゼキエル 14:14,20。マタイ 24:15,37と比較してください。)古代のヘブライ民族もヨブを実在の人物とみなしました。クリスチャンの筆者ヤコブはヨブの忍耐の模範を指摘しています。(ヤコブ 5:11)架空の模範ではなく,現実の模範だけが重みを持ち,どんな境遇のもとでも忠誠を保てることを神の崇拝者たちに確信させるものとなります。その上,ヨブ記に記録されている各人の発言に込められている強烈さや感情は,その場面が現実のものであったことを証ししています。

3 ヨブ記が霊感を受けたものであることを証明するどんな証拠がありますか。

3 ヨブ記が霊感を受けて記された,信頼の置ける書であるということはまた,昔のヘブライ人がこの書を常に聖書の正典に含めていたことによっても証明されています。これは,ヨブ自身がイスラエル人ではなかったので驚くべき事柄です。エゼキエルやヤコブがヨブについて言及している上に,使徒パウロもこの書から引用しています。(ヨブ 5:13。コリント第一 3:19)この書が霊感を受けて記されたことを示す強力な証拠は,科学上の証明された諸事実と驚くほど調和している点にも見られます。地球がどのように支えられているかに関し,古代人が大変奇妙な考え方をしていた時代に,エホバが「地を無の上に掛けておられる」ということを,一体どうして知り得たのでしょうか。(ヨブ 26:7)地球は一匹の大きな海がめの上に立つ何頭かの象に支えられていたというのが古代の一つの考え方でした。ヨブ記はどうしてこのような無意味な考え方を反映させていないのでしょうか。それは明らかに,創造者エホバが霊感によって真理を提供されたからです。地球とその驚異について,また自然の生息環境の中の野生動物や鳥に関する他の多くの描写も大変正確なので,ただエホバ神だけがその著者であって,霊感を与えてヨブ記を書き記させた方であるとしか考えられません。 *

4 このドラマはどこで,またいつ演じられましたか。ヨブ記はいつごろまでに書き終えられましたか。

4 ヨブはウツに住んでいました。このウツは,ある地理学者たちによれば,エドム人の居留していた土地の近くで,アブラハムの子孫に約束された地の東に当たる北アラビアに位置していました。その南にはシバ人,東にはカルデア人がいました。(1:1,3,15,17)ヨブが試練を受けた時期は,アブラハムの時代よりもずっと後でした。それは,『地上には[ヨブ]のような人,とがめがなく,廉直な人がひとりもいない』ころのことでした。(1:8)それは,際立った信仰の人ヨセフの死んだ時(西暦前1657年)から,モーセが忠誠の歩みを開始した時までの期間であったと考えられます。イスラエルがエジプトの悪霊崇拝の悪影響に染まっていたこの時期に,ヨブは清い崇拝の点で抜きんでていました。その上,ヨブ 1章で指摘されている慣行や,神がヨブを真の崇拝者として受け入れておられたことは,神が専ら律法下のイスラエルとだけ交渉された,西暦前1513年以降の後代の時期よりもむしろ,族長時代を指し示しています。(アモス 3:2。エフェソス 2:12)したがって,ヨブの長寿を考慮に入れると,この書は西暦前1657年からモーセの死んだ年である西暦前1473年までのある期間を扱っており,ヨブが死んでしばらくして,イスラエル人が荒野にいた時分に,モーセによって完成されたものと考えられます。 ― ヨブ 1:8; 42:16,17

5 モーセがヨブ記の筆者であることを何が示していますか。

5 どうしてモーセが筆者であると言えますか。ユダヤ人と初期クリスチャン双方の学者たちの最も古い伝承によれば,モーセが筆者とされています。ヨブ記で用いられているヘブライ語の詩の力強い確かな文体は,それがモーセの用いた言語であるヘブライ語による原作であることを明らかにしています。それはアラビア語などのほかの言語から翻訳されたものではあり得ません。また,散文の部分は聖書中の他の著作のどれよりもモーセ五書に大変よく似ています。その筆者は,モーセがそうであったように,イスラエル人であったに違いありません。なぜなら,ユダヤ人は「神の神聖な宣言を託され」ていたからです。(ローマ 3:1,2)モーセは円熟期に達した後,ウツからあまり遠くないミディアンで40年間過ごしたので,その地でヨブ記に記されている詳細な情報を入手できたことでしょう。後に,モーセはイスラエルが40年間荒野を旅していた間に,ヨブの故郷の近くを通った時,この書の結びの部分の詳細について知り,それを記録することができたのでしょう。

6 ヨブ記はどんな点で文学的傑作以上のものですか。

6 「新ブリタニカ百科事典」によれば,ヨブ記はしばしば,「世界文学の傑作の一つに数えられ」ているとされています。 * しかし,この書は文学的傑作以上のものです。ヨブ記はエホバの力や公正さ,知恵や愛を高める点で,聖書の各々の書の中でも傑出しています。この書は主要な論争点を宇宙の前で極めて明確にしています。この書は聖書のほかの書,特に創世記,出エジプト記,伝道の書,ルカによる書,ローマ人への手紙,および啓示の書の中で述べられている多くの事柄を解明しています。(ヨブ 1:6-12; 2:1-7と創世記 3:15; 出エジプト記 9:16; ルカ 22:31,32; ローマ 9:16-19; 啓示 12:9とを比較してください。また,ヨブ 1:21; 24:15; 21:23-26; 28:28と伝道の書 5:15; 8:11; 9:2,3; 12:13とをそれぞれ比較してください。)この書は人生の様々な問題の多くに対する答えを提供してくれます。確かにこの書は,霊感を受けて記された神の言葉の肝要な部分であって,有益な理解を与えるという点で,神のみ言葉に大いに寄与しています。

ヨブ記の内容

7 この書の冒頭では,ヨブはどんな境遇にありますか。

7 ヨブ記の序文1:1-5)。ここで,「とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れていた」人,ヨブが紹介されています。ヨブは7人の息子と3人の娘に恵まれ,幸福に暮らしています。彼はおびただしい羊や牛を所有する,物質的にも富んだ土地所有者です。また,多数の僕たちを所有しており,「すべての東洋人のうちで最も大いなる者」です。(1:1,3)それでも,ヨブは物質主義の人ではありません。というのは,物質上の所有物を信頼してはいないからです。彼はまた,霊的にも良い業にも富んでおり,だれか苦しんでいたり,苦難に遭っていたりする人がいれば,いつでもその人を喜んで助けますし,だれでも必要としている人には衣服を与えます。(29:12-16; 31:19,20)すべての人が彼を尊敬しています。ヨブはまことの神エホバを崇拝しています。彼は異教を奉ずる諸国民がするように,太陽や月や星に身をかがめようとはせず,かえってエホバに対して忠実で,神への忠誠を守り,神との親密な関係を享受しています。(29:7,21-25; 31:26,27; 29:4)ヨブは家族のための祭司を務め,家族の者が罪をおかしている場合のために,焼燔の犠牲を定期的にささげます。

8 (イ)サタンはどのようにヨブの忠誠を疑って挑戦するようになりますか。(ロ)エホバはこの挑戦にどのように応じられますか。

8 サタンは神に挑戦する1:6-2:13)。驚くべきことですが,目に見えない幕が開けられて,わたしたちは天の物事を見ることができるようになります。エホバが神の子たちの集まりを主宰しておられるのが見えます。サタンも彼らの中に現われます。エホバはご自分の忠実な僕ヨブに注意を向けさせますが,サタンは,ヨブが神に仕えるのは受けている物質的な益のためであると非難して,ヨブの忠誠に挑戦します。もし,神がそれらのものを奪い去ることをサタンに許すなら,ヨブはその忠誠の道から離れるであろうと言うのです。エホバは,サタンがヨブの身に触れてはならないという制限を付けてこの挑戦を受け入れます。

9 (イ)どんな厳しい試練がヨブに降り懸かりますか。(ロ)ヨブが忠誠を保っていることを何が証明していますか。

9 疑うことをしないヨブに様々の災いが降り懸かるようになります。シバ人やカルデア人が襲って来て,ヨブの大いなる富を奪い去ります。その息子や娘たちはあらしによって殺されます。この厳しい試練もヨブに神をのろわせたり,神から顔を背けさせたりするものとはなりません。かえって彼は,「エホバのみ名が引き続きほめたたえられるように」と語ります。(1:21)この問題点で敗北を喫し,うそつきであることが示されたサタンは,再びエホバの前に現われて,「皮のためには皮をもってしますので,人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます」と言って非難します。(2:4)サタンは,ヨブの体に触れることを許されるなら,ヨブに神をあからさまにのろわせることができると主張します。ヨブの命を取る以外何をしてもよいという許可を得たサタンは,ヨブを打って恐ろしい病気にかからせます。その肉は『うじと土くれをまとう』ようになり,その体と息は妻や親族にとっても鼻持ちならないものとなります。(7:5; 19:13-20)ヨブが忠誠を破ってはいないことを示唆するものとして彼の妻は,「あなたはなおも自分の忠誠を堅く保っているのですか。神をのろって死になさい!」と,しきりに促します。ヨブは彼女を叱り,『その唇をもって罪をおかす』ようなことをしません。―2:9,10

10 サタンはどんな沈黙の「慰め」を与えますか。

10 そこでサタンは,ヨブを「慰め」にやって来る3人の友を起こします。その友とはエリパズ,ビルダド,およびツォファルです。彼らはかなり離れた所ではヨブだということが分かりませんが,そののち声を上げて泣き,塵を自分たちの頭の上にほうり上げます。次いで彼らは彼の前で地に座って一言も語りません。七日七夜にわたるこの沈黙の「慰め」の後,ヨブはついに沈黙を破り,それら自称同情者たちとの大変長い討論を開始します。―2:11

11-13 ヨブはどのように討論を開始しますか。エリパズはどのように非難しますか。ヨブは気概のある態度でどのように返答しますか。

11 討論: 第1回3:1-14:22)。ここから,このドラマはヘブライ語の気品のある詩の形で展開します。ヨブは自分の生まれた日に対して災いを呼び求め,自分が生き続けるのをなぜ神は許されたのだろうかといぶかります。

12 これに答えてエリパズは,ヨブには忠誠が欠けていると非難します。廉直な者で滅びうせた者は決していないと,彼は言明します。エリパズはある夜の幻を思い起こします。その幻の中で,一つの声が彼に語り,神はご自分の僕たちを,とりわけ単なる粘土,すなわち地の塵でできている者たちを信じてはいないと告げました。彼はヨブが苦しんでいるのは全能の神からもたらされる一種の懲らしめであることをほのめかします。

13 ヨブは気概のある態度でエリパズに返答します。ヨブは迫害や悩みに遭っている人ならどんな人でもそうするように叫びます。死は解放をもたらすものとなるでしょう。彼はその友を自分に対して悪いことをたくらんでいるとしてとがめ,次のように抗議します。「わたしを教え諭せ。そうすれば,わたしも黙るであろう。わたしがどんな間違いを犯したか,わたしに理解させよ」。(6:24)ヨブは「人間を見守る方」である神の前で,自分の義のために闘います。―7:20

14,15 ビルダドはどのような論議をしますか。ヨブはなぜ神との訴訟で敗れるのではないかと恐れますか。

14 そこでビルダドは自分の論議を述べ,ヨブの息子たちは罪をおかしており,ヨブ自身も廉直ではないことをほのめかし,さもなければ,ヨブの言うことは神に聞き入れられるだろうと語ります。彼はヨブに以前の代の人々に頼り,父祖たちの探究した事柄を指針とするよう諭します。

15 ヨブは返答し,神は不公正な方ではないと主張します。神は人間に弁明する必要もありません。というのは,神は「探りようのない大いなることを行ない,くすしいことを数知れず行なっておられる」からです。(9:10)ヨブはその訴訟の相手方であるエホバと争って勝つことはできません。神の恵みを懇願することしかできないのです。それにしても,正しいことを行なおうとすることには何らかの益がありますか。「とがめのない者も,邪悪な者も,神は終わらせる」のです。(9:22)地上では正しい裁きは行なわれていません。ヨブは神との訴訟においてさえ敗れるのではないかと恐れます。彼には仲介者が必要です。ヨブは自分がなぜ試練に遭わされているのかを尋ね,自分が「粘土で」できていることを思い出していただきたいと神に嘆願します。(10:9)ヨブは神が過去において示してくださった親切を正しく評価しますが,たとえ自分の考えが正しくても,もし議論をするなら,神はなお一層立腹されるようになるだけだと語ります。本当に,息絶えることさえできればよいものを。

16,17 (イ)ツォファルはどんなひとりよがりの助言を与えますか。(ロ)ヨブは「慰め手」たちをどのように評価しますか。彼はどんな強固な確信を表明しますか。

16 ここでツォファルが討論に加わります。彼は事実上こう言います。わたしたちはむなしい話を聴く子供だろうか。あなたは自分は本当に清いと言っているが,神が話してくださりさえしたら,あなたの罪科を明らかになさるだろう。彼はヨブにこう尋ねます。「あなたは神の深い事柄を見いだすことができようか」。(11:7)彼はヨブに有害な行ないを捨て去るよう忠告します。というのは,祝福はそのような人に臨みますが,『邪悪な者たちの目は衰える』からです。―11:20

17 ヨブは強烈な皮肉を込めてこう叫びます。「まことにあなた方は人である。知恵は,あなた方と共に死に絶えるであろう!」(12:2)彼は笑いぐさとされているかもしれませんが,劣った人間ではありません。もしも彼の友たちが神の創造されたものに注意するなら,そのようなものさえ彼らに何かを教えるでしょう。強さと実際的な知恵は神のもので,神は万物を支配し,『諸国民を大きくならせ,彼らを滅ぼす』ことさえなさいます。(12:23)ヨブは自分の訴えについて神と論じ合うことを喜びとしますが,自分の三人の「慰め手」については,「あなた方は偽りで上塗りをしている者,あなた方はみな無価値な医者だ」と語ります。(13:4)沈黙していたなら,それが彼らの知恵だったでしょう! ヨブは自分の訴えが正当なものであるとの確信を表明し,自分の述べることを聞いてくださるよう神に求めます。彼は次に,『女から生まれた人は,短命で,動揺で飽き飽きさせられる』という考えを取り上げます。(14:1)人は花のように,あるいは影のようにたちまち過ぎ去ってゆきます。だれも汚れた者から清い者を出すことはできません。神の怒りが元に戻るまでシェオルに秘めておいていただきたいと祈りつつ,ヨブはこう尋ねます。「もし,強健な人が死ねば,また生きられるでしょうか」。それに答えて,彼は次のように確固とした望みを表明します。「私は待ちましょう。私の解放が来るまで」。―14:13,14

18,19 (イ)エリパズは第2回の討論をどんな嘲笑の言葉で始めますか。(ロ)ヨブはその友たちの「慰め」をどのようにみなしますか。彼は何のためにエホバに頼りますか。

18 討論: 第2回15:1-21:34)。2度目の討論を開始するに際して,エリパズはヨブの知識を嘲笑し,ヨブは『その腹を東風で満たして』いる,と述べます。(15:2)エリパズは再び忠誠に関するヨブの主張を見くびって,死すべき人間も天の聖なる者たちも,エホバの目からすれば信仰を抱くことができないと考えます。彼はヨブが自分自身を神より勝った者として示そうとし,背教し,わいろを取り,欺まんを行なっているとして,間接的に非難します。

19 ヨブは,その友たちが『風のような言葉をもてあそぶ厄介な慰め手』であると言って,応酬します。(16:2,3)もし彼らがヨブの立場にあったら,ヨブは彼らをあしざまには言わないでしょう。ヨブは自分が正しいとされることを大いに願っており,彼の記録を持ち,その訴えに決着をつけてくださるエホバに頼ります。ヨブはその友たちのうちに少しも知恵を見いだしません。彼らは望みをことごとく奪い去ります。彼らの「慰め」は,夜を昼と言うようなものです。唯一の望みは,『シェオルに下って行く』ことです。―17:15,16

20,21 ビルダドはどんな苦々しい気持ちを言い表わしますか。ヨブは何に関して抗議しますか。ヨブはどこに信頼を置いていることを示しますか。

20 議論は白熱化してゆきます。ビルダドは今や苦々しく思います。というのは,彼はヨブがその友人たちを理解力のない獣に例えたように感じるからです。彼はヨブに,『地はあなたのために見捨てられるだろうか』と尋ねます。(18:4)ビルダドはヨブがほかの人に対する見せしめとして,恐るべき輪わなに落ちるであろうと警告します。ヨブには,彼の後に生きる子孫もなくなるでしょう。

21 ヨブはこう答えます。「いつまで,あなた方はわたしの魂をいら立たせ,しきりに言葉でわたしを打ち砕くのか」。(19:2)彼は家族や友人を失いました。妻や家の者たちも彼から離れ去って行き,彼自身は『その歯の皮で』辛うじて逃れました。(19:20)ヨブは請け戻す方が現われて自分のために論争を解決してくださり,ついには『神を見る』ようになることを信じています。―19:25,26

22,23 (イ)ツォファルはなぜ気を悪くしますか。彼はヨブにあるとされている罪について何と述べますか。(ロ)ヨブは相手をひるませるどんな論議をもって返答しますか。

22 ツォファルもビルダドのように,ヨブの述べる「辱める勧告」を聞かざるを得ないため,気を悪くします。(20:3)彼はヨブの罪がヨブに追いついたということを繰り返し述べます。邪悪な者は必ず神からの処罰を受け,繁栄を享受している時でさえ休みは得られない,とツォファルは語ります。

23 ヨブは相手をひるませる次のような論議をもって返答します。もし神が邪悪な者を必ずそのように処罰されるのなら,邪悪な者たちが生き続け,高齢に達し,富の点で他に勝るようになるのはなぜか。そのような人々は楽しく日を過ごしている。災いはどれほど頻繁にそのような者たちに臨むだろうか。ヨブは,富んだ人も貧しい人も同じように死ぬことを示します。実際,邪悪な人がしばしば「安らいで,安らかな」時に死ぬ一方で,義人が「苦しい魂と共に」死ぬこともあります。―21:23,25

24,25 (イ)エリパズは独善的にもヨブのことをどのように偽って中傷しますか。(ロ)ヨブはそれに対してどのように論ばくし,またどのように挑戦しますか。

24 討論: 第3回22:1-25:6)。エリパズはその攻撃に対して猛烈に言い返し,全能者の前でとがめがないというヨブの主張をあざけります。彼はヨブのことを偽って中傷し,ヨブは悪人で,貧しい人々を食い物にし,飢えた者にパンを差し控え,やもめや父なし子を虐待してきたと主張します。ヨブの私生活はその主張ほど清くはなく,ヨブがひどい状態にあるのはそのためである,とエリパズは語ります。それでも,「もし,あなたが全能者に立ち返るなら……神はあなたの言うことを聞いてくださる」とエリパズは唱えます。―22:23,27

25 ヨブはこれに答えて,エリパズの無礼な非難を論ばくし,自分の義にかなった行動について知っておられる神の前で審理を行なってもらいたいと語ります。父親のいない者や,やもめや貧しい人々を虐げたり,殺人や盗みや姦淫を犯したりする者たちがいます。そのような者たちはしばらくは繁栄するように見えるかもしれませんが,やがて報いを受けることになります。彼らは無に帰せしめられるでしょう。『それで本当に今,だれがわたしをうそつきとするだろうか』と語って,ヨブは挑戦します。―24:25

26 ビルダドとツォファルはさらに何と言いますか。

26 ビルダドはこれに対して手短に応酬し,人間はだれも神の前で清い者ではあり得ないという自分の論議を力説します。ツォファルはこの第3回の討論には加わろうとしません。彼には何も言うべきことがありません。

27 ヨブは今や,全能者の偉大さをどのようにほめたたえますか。

27 ヨブの最後の論議26:1-31:40)。ヨブは最後の論述の中で,その友たちを完全に沈黙させます。(32:12,15,16)彼は強烈な皮肉を込めてこう語ります。『あなたは無力な者にとって何とまあ助けになったのだろう。あなたは知恵のない者に何とまあ助言したのだろう』。(26:2,3)しかし,何ものも,シェオルでさえ,神の前からは何一つ覆い隠すことができません。ヨブは,すべて人間が観察してきた宇宙空間や地球や雲や海や風に見られる,神の知恵を描写します。それらのものは全能者の道の外縁にすぎません。それらは全能者の偉大さについてのささやきほどのものでもありません。

28 ヨブは忠誠についてどんな率直な言葉を述べますか。

28 自分が潔白であることを確信したヨブは,こう宣言します。「わたしは息絶えるまで,自分の忠誠を自分から奪い去らない!」(27:5)そうです,ヨブは我が身に降り懸かってきた事柄を受けるに値するようなことは何もしていません。彼らの非難に反して,神は,邪悪な者が繁栄している時に蓄えたものを義人が受け継げるように取り計らって,忠誠に対して報いてくださいます。

29 ヨブは知恵をどのように描写しますか。

29 人は地の宝物(銀,金,銅)がどこから出るかを知っていますが,『知恵 ― それはどこから来るのでしょうか』。(28:20)人はそれを生ける者の中に探しました。海も調査しました。それは金や銀で買えるものではありません。神こそ知恵を理解しておられる方です。神は地や天の果てまでもご覧になり,風や水を配分し,雨やあらしの雲を制御しておられます。ヨブはこう結論します。「見よ,エホバへの恐れ ― これこそ知恵であり,悪から離れることが悟りである」― 28:28

30 ヨブはどんな回復を望みますか。しかし,彼は今どんな状態にありますか。

30 苦悩するヨブは,次に自分の経歴を述べます。彼は,町の指導者たちからさえ尊敬されて神と親しい関係にあった以前の状態に回復されることを願います。ヨブは苦しむ者を救出する人であって,盲人のための目となっていました。その助言は信頼でき,人々は彼の言葉を期待しました。ところが,今では誉れある立場を保つどころか,彼よりも日の若い者たちからさえあざけられています。それら若い人々の父たちは,彼の群れの犬と一緒にいることさえふさわしいことではありませんでした。彼らはヨブにつばを吐きかけ,彼に反対します。今や,最悪の苦悩のうちにあるのに,人々はヨブを少しも休ませません。

31 ヨブはだれによる裁きに対する確信を言い表わしますか。彼は自分の生活の真実の記録に関して何と述べますか。

31 ヨブは自分自身のことをひたむきな人間として描写し,エホバによって裁かれることを願い求め,こう語ります。「神は正確なはかりでわたしを量り,神はわたしの忠誠を知ってくださるであろう」。(31:6)ヨブは自分の過去の行動を弁護します。彼は姦淫を犯す者ではありませんでしたし,陰謀をたくらむ者でもありませんでした。困っている人を助けずにほうっておいたこともありません。彼は富んでいましたが,物質上の富を頼りにしてはいませんでした。彼は太陽や月や星も崇拝しませんでした。というのは,「これもまた,裁判人による注意を要するとがである。わたしは上なるまことの神を否んだことになるからだ」と述べているからです。(31:28)ヨブは訴訟の相手に自分の生活の真実の記録に対する非難を提出するように勧めます。

32 (イ)今やだれが話しますか。(ロ)エリフの怒りはなぜヨブやその友たちに対して燃え盛りますか。彼は何に動かされてやむにやまれず語りますか。

32 エリフが語る32:1-37:24)。一方,ナホルの子ブズの子孫で,したがってアブラハムの遠縁に当たるエリフは,この討論を聴いていました。彼は高齢の人ほどより多くの知識を持っているはずであると感じていたために,待機していました。しかし,理解を与えるのは年齢ではなく,神の霊なのです。エリフの怒りは,ヨブが「神よりもむしろ自分の魂を義と宣した」ことで燃え盛りますが,その怒りは,神を邪悪な者として嘆かわしいほど知恵の欠如を示した,ヨブの3人の友たちに対して一層激しく燃え盛ります。エリフは「言葉で満ち」,神の霊に動かされてやむにやまれずそれらの言葉を発しますが,えこひいきをすることなく,また『地の人に称号を贈ること』をせずにそうします。―ヨブ 32:2,3,18-22。創世記 22:20,21

33 ヨブはどんな点で間違っていましたか。それでも,神はどんな恵みをヨブに示されますか。

33 エリフは神が自分の創造者であることを認めて,誠実に語ります。彼は,ヨブが神の正しさを立証することよりも自分の正しさを立証することを気にかけていたと語ります。神は,あたかもご自分の行動を正当化しなければならなかったかのように,ヨブの言葉すべてに答える必要はありませんでしたが,それでもヨブは神と争いました。しかし,ヨブの魂が死に近づくにつれて,神は一人の使者を伴って彼を恵み,こう言われます。「坑に下るのを彼に免れさせよ! わたしは贖いを見いだした! 彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように」。(ヨブ 33:24,25)義人は回復させられることになるのです!

34 (イ)エリフはさらにどんな戒めを与えますか。(ロ)ヨブは自分の義をあがめるよりもむしろ,何をすべきですか。

34 エリフは話を聴くよう知者たちに求めます。彼は,忠誠を保つ者となっても何の益もないと述べたことでヨブを戒め,こう語ります。『まことの神が邪悪なことを行なったり,全能者が不正を行なったりすることなど決してない! 地の人の行なう仕方にしたがって神は人に報われるからである』。(34:10,11)神は命の息を取り除くことができ,そのようにされるとすべての肉なるものは息絶えることになります。神はえこひいきすることなく裁かれます。ヨブは自分の義をあまりにも前面に出し過ぎていました。故意にそうしたのではありませんが,「知識がないのに」早まっていました。そして神はヨブのことを辛抱してこられました。(34:35神の正しさを立証するためにもっと多くのことが語られる必要があります。神は義人から目をそらすことをなさらず,かえって義人を戒められます。こう記されています。「神は邪悪な者を生かしておくことをされず,苦しむ者たちの裁きを与えられる」。(36:6)神は最高の教訓者ですから,ヨブは神の働きをあがめるべきでしょう。

35 (イ)ヨブは何に注意を払うべきですか。(ロ)エホバはだれに恵みを示されますか。

35 次第にあらしが募ってゆく,畏怖の念を起こさせるような状況の中で,エリフは神の行なわれた大いなる事や,神が自然界の諸勢力を制御しておられることについて語ります。彼はヨブに向かって,「立ち止まって,神のくすしいみ業にあなたが注意深いことを示せ」と述べます。(37:14)人間が見いだし得る限界をはるかに超えた神の黄金の輝きや,畏怖の念を起こさせる尊厳について考えてみてください。また,「神は力において高められている。そして,公正と義の豊かさとを軽視なさることはない」と記されています。そうです,エホバは,「自分自身の心に賢い」者たちではなく,ご自分を恐れる人々を気に留めてくださるのです。―37:23,24

36 そこで,エホバご自身は物事を具体的に教えるどんなものによって,また一連のどんな質問を用いて,ヨブに教えることをなさいますか。

36 エホバはヨブに答えられる38:1-42:6)。ヨブは神に話していただきたいと願っていました。そこで,エホバは風あらしの中から堂々とお答えになります。エホバはヨブの前に一連の質問を出されますが,その質問自体,人間の弱小さと神の偉大さを具体的に教えるものとなります。「わたしが地の基を置いたとき,あなたはどこにいたのか。……だれがその隅石を据えたのか。明けの星が共々に喜びにあふれて叫び,神の子たちがみな称賛の叫びを上げはじめたときに」。(38:4,6,7)それはヨブの時代よりもずっと昔のことでした! エホバは地球の海,その雲の衣,夜明け,死の門および光と闇を指摘なさり,ヨブの答えることのできない質問が次から次に提起されます。「そのとき,あなたは生まれていたので,知っているのか。また,数においてあなたの日が多いからか」。(38:21)また,雪や雹の倉,あらしや雨や露のしずく,氷や白霜,偉大な天の星座,稲妻や雲の層,そして獣や鳥についてはどうですか。

37 さらにどんな質問を受けて,ヨブはへりくだりますか。彼は何を認め,何を行なわざるを得なくされますか。

37 ヨブは謙虚にこう認めます。「ご覧ください,私は取るに足りない者となりました。あなたに何と返答致しましょう。私の手を私は口に当てました」。(40:4)エホバは,問題に敢然と立ち向かうようヨブに命じられます。そしてさらに,自然界の被造物のうちに表わされているご自分の威厳や卓越性,および力を高める一連の挑戦的な質問を持ち出されます。ベヘモトやレビヤタンでさえヨブよりもはるかに強力です! 完全にへりくだったヨブは,自分の間違った見解を認め,また知識がないのに話していたことを認めます。ヨブは今や,うわさによってではなく,理解力をもって神を見るようになったので,前言を撤回し,「塵と灰の中で」悔い改めます。―42:6

38 (イ)エホバはエリパズやその友とのことをどのように処置されますか。(ロ)ヨブにはどんな恵みと祝福をお与えになりますか。

38 エホバの裁きと祝福42:7-17)。エホバは次に,エリパズとその二人の友をご自分について真実な事柄を語らなかったとして告発されます。彼らは犠牲を供えなければならず,自分たちのためにヨブに祈ってもらわなければなりません。その後,エホバはヨブの捕らわれた状態を元通りにし,2倍のものをもって彼を祝福されます。その兄弟や姉妹や以前の友人たちは贈り物を持って彼のもとに戻り,彼は以前の2倍の数の羊やらくだ,牛や雌ろばを得て祝福されます。彼は再び10人の子供をもうけ,そのうちの娘たち3人は全土で最も美しい女性となります。ヨブの寿命は奇跡的に140年延ばされ,その結果,4代にわたってその子孫を見,「年老い,よわいに満ち足りて」死にます。―42:17

なぜ有益か

39 ヨブ記はどんな様々な仕方でエホバを高め,またほめたたえていますか。

39 ヨブ記はエホバを高め,その計り難い知恵と力を証ししています。(12:12,13; 37:23)この一つの書の中で神は31回全能者として言及されていますが,これは聖書のほかの全部の書の中でそう呼ばれる回数よりも多いのです。この記述はエホバの永遠性とその高い地位(10:5; 36:4,22,26; 40:2; 42:2),それに神の公正,愛ある親切,および憐れみ(36:5-7; 10:12; 42:12)をほめたたえています。この書は人間の救い以上にエホバの正しさの立証を強調しています。(33:12; 34:10,12; 35:2; 36:24; 40:8)イスラエルの神エホバは,ヨブの神としても示されています。

40 (イ)ヨブ記は神の創造の業をどのように大いなるものとし,またそれについて説明していますか。(ロ)この書はクリスチャン・ギリシャ語聖書の教えをどのように予示し,またそれとどのように調和していますか。

40 ヨブ記の記録は神の創造の業を大いなるものとし,またそれについて説明しています。(38:4-39:30; 40:15,19; 41:1; 35:10)それは,人間が塵から造られており,塵に戻るという創世記の陳述と調和しています。(ヨブ 10:8,9。創世記 2:7; 3:19)この書は「請け戻す方」,「贖い」,『また生きる』などの用語を用いており,このようにしてクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で際立っている幾つかの教えを予示しています。(ヨブ 19:25; 33:24; 14:13,14)この書の表現の多くは預言者やクリスチャンの筆者たちによって用いられたり,対比されたりしています。例えば,以下の句を比べてください。ヨブ 7:17詩編 8:4。ヨブ 9:24ヨハネ第一 5:19。ヨブ 10:8詩編 119:73。ヨブ 12:25申命記 28:29。ヨブ 24:23箴言 15:3。ヨブ 26:8箴言 30:4。ヨブ 28:12,13,15-19箴言 3:13-15。ヨブ 39:30マタイ 24:28 *

41 (イ)ヨブ記の中ではどんな神権的規準が力説されていますか。(ロ)神の僕ヨブはどんな点で今日のわたしたちに対する優れた模範として抜きんでていますか。

41 生活の仕方のためのエホバの義にかなった規準も多くの箇所で述べられています。この書は物質主義(ヨブ 31:24,25),偶像礼拝(31:26-28),姦淫(31:9-12),ほくそ笑むこと(31:29),不公正やえこひいき(31:13; 32:21),利己主義(31:16-21),および不正やうそをつくこと(31:5)を強烈に責めており,このようなことを行なう人は神の恵みもとこしえの命も得られないことを示しています。エリフは深い敬意や慎み深さと共に大胆さ,勇気,および神を高めることなどの点で優れた模範となっています。(32:2,6,7,9,10,18-20; 33:6,33)ヨブ自身もまた,頭の権の行使の仕方,家族を思いやること,人を手厚くもてなすことなどの点で,やはり優れた教訓を残しています。(1:5; 2:9,10; 31:32)しかし,ヨブは忠誠を保つことと辛抱強い忍耐という点で最もよく覚えられており,彼が残した模範はあらゆる時代を通じて,とりわけ信仰が試みられている現代において神の僕たちにとって信仰を強める堡塁となってきました。「あなた方はヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方なのです」― ヤコブ 5:11

42 王国のどんな基本的な論争がヨブ記の中で明らかにされていますか。この論争の種々のどんな興味深い面が説明されていますか。

42 ヨブは王国の約束が与えられたアブラハムの胤の一人ではありませんでしたが,それでもその忠誠に関する記録はエホバの王国の目的を解明するのに大いに役立っています。この書は神による記録の肝要な部分となっています。なぜなら,それは,神とサタンとの間の基本的な論争を明らかにしており,そこには主権者としてのエホバに対する人間の忠誠がかかわっているからです。地球や人間が造られる前に創造されたみ使いたちも観察者であって,この地球と論争の結末に非常な関心を抱いていることを,この書は示しています。(ヨブ 1:6-12; 2:1-5; 38:6,7)それはまた,この論争がヨブの時代以前から存在していたことや,サタンが実在の霊者であることを示しています。モーセがヨブ記を書いたのであれば,「ハッサーターン」という表現は,ここで初めて聖書のヘブライ語本文に現われて,「初めからの蛇」の実体をさらに示していることになります。(ヨブ 1:6,脚注。啓示 12:9)この書はまた,神が人間の苦しみや病気や死の原因ではないことを証明すると共に,邪悪な者たちや悪が存続するのを許されている一方,義人が迫害される理由を説明しています。また,論争を推し進めてその最終的な解決を図ることにエホバが関心を抱いておられることをも示しています。

43 ヨブ記に収められている神による啓示と調和して,神の王国の祝福を求める人々は今,どんな行動を取らなければなりませんか。

43 今こそ,神の王国の支配下で生きることを願う人々が皆,忠誠の歩みによって,「訴える者」であるサタンに答えなければならない時です。(啓示 12:10,11)『人を当惑させるような試練』のただ中にあってさえ,忠誠を保つ人々は,神のみ名が神聖なものとされ,その王国が到来してサタンとその取るに足りない胤すべてを踏みつぶすよう祈り続けなければなりません。それは神の「戦と戦いの日」となり,それに続いて,ヨブがあずかることを待ち望んだ解放と祝福がもたらされるでしょう。―ペテロ第一 4:12。マタイ 6:9,10。ヨブ 38:23; 14:13-15

[脚注]

^ 3節 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,280,281,663,668,1166ページ; 第2巻,562,563ページ。

^ 6節 1987年(英文),第6巻,562ページ。

^ 40節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,83ページ。

[研究用の質問]