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聖書の3番目の書 ― レビ記

聖書の3番目の書 ― レビ記

聖書の3番目の書 ― レビ記

筆者: モーセ

書かれた場所: 荒野

書き終えられた年代: 西暦前1512年

扱われている期間: 1か月(西暦前1512年)

1 (イ)レビ記という名称はなぜ適切ですか。(ロ)この書には他のどんな名称が与えられてきましたか。

聖書の3番目の書の最も一般的な名称は「レビ記」(英語,Leviticus)です。これは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の「レウイティコン」から,ラテン語ウルガタ訳の「レーウィーティクス」を経てできた名称です。レビ人のことは(25章32,33節で)ほんのちょっと言及されているにすぎないとは言え,これは適切な名称です。この書はおもに,レビ族から選ばれたレビ人の祭司職に関する規定と,祭司たちが民に教えた律法で成り立っているからです。「祭司の唇は知識を保つべきものであり,律法は,民が彼の口に求めるべきものなのである」とあるとおりです。(マラキ 2:7)ヘブライ語本文の中で,この書は,その冒頭の表現にしたがって,「ワイイクラー」字義通りには『それから(彼は)呼んだ』と称されています。後代のユダヤ人の間で,この書は祭司たちの律法,また捧げ物の律法とも呼ばれました。―レビ記 1:1,脚注。

2 モーセが筆者であることをどんな証拠が裏付けていますか。

2 モーセがレビ記を書いたということには少しの疑問もありません。奥付けの結びの言葉はこうなっています。『これらは……エホバがモーセに与えたおきてである』。(27:34レビ記 26章46節にも同様の陳述が見られます。モーセが創世記と出エジプト記を書いた証拠をさきに取り上げましたが,それはまた,彼がレビ記を書いたことをも示すものです。五書<ペンタチューク>は,初めは明らかに一つの巻き物であったからです。さらに,レビ記は『そして(それから)』という接続詞でそれ以前の書と結ばれています。最も強力な証言は,イエス・キリストおよび霊感を受けたエホバの他の僕たちが,レビ記の中の律法や原則を繰り返し引用したり参照したりして,それをモーセに帰していることです。―レビ記 23:34,40-43ネヘミヤ 8:14,15。レビ記 14:1-32マタイ 8:2-4。レビ記 12:2ルカ 2:22。レビ記 12:3ヨハネ 7:22。レビ記 18:5ローマ 10:5

3 レビ記にはどんな時期のことが扱われていますか。

3 レビ記はどんな時期のことを扱っているでしょうか。出エジプト記は,「第二年目の第一の月,その月の一日に」幕屋が立てられたことをもって結ばれています。民数記(レビ記の記述のすぐ後に続いている)は,「彼らがエジプトの地を出て二年目の第二の月,その一日に」エホバがモーセに語りかけられたということをもって始まっています。したがって,レビ記の中の幾つかの出来事の起きた期間としては,太陰暦の1か月ほどしかなかったことになります。この書の大部分は律法と規定から成り立っています。―出エジプト記 40:17。民数記 1:1。レビ記 8:1-10:7; 24:10-23

4 レビ記はいつ書かれましたか。

4 モーセはレビ記をいつ書きましたか。モーセは出来事の起きる度にそれを記録し,神の指示を受けるごとにそれを記録していったと見るのが妥当です。このことは,イスラエルがアマレク人と戦って撃破した直後に,アマレク人の将来の滅亡に関して書き記すようにと神がモーセに命じたことにも暗示されています。この書の中の幾つかの事柄も,この書が早い時期に記されたことを示唆しています。例えば,イスラエル人は,食物として用いる動物を会見の天幕の入口に携えて来てほふるようにと命じられています。この命令は,祭司職の任職が行なわれて間もなく与えられ,また記録されたものでしょう。荒野を旅するイスラエル人を導くための指示が数多く与えられています。これらすべては,モーセが西暦前1512年にレビ記を書いたことを示しています。―出エジプト記 17:14。レビ記 17:3,4; 26:46

5 犠牲や儀式上の汚れに関する律法はどんな目的を果たしましたか。

5 レビ記は何のために書かれましたか。エホバは,神聖な国民,ご自分の奉仕のために取り分けられ,神聖にされた民を持つことを意図しておられました。アベルの時以来,神に従う忠実な人々はエホバに犠牲をささげてきましたが,イスラエル国民に対して初めて,エホバは罪の捧げ物や他の犠牲に関する明確な指示をお与えになりました。それは,レビ記の中に詳細に説明されているとおり,罪の甚だしい罪深さをイスラエル人に気づかせ,それがいかにエホバの不興となるかをその思いに銘記させました。律法の一部であるそれらの規定は,ユダヤ人をキリストに導く養育係の役目を果たしました。彼らに救い主の必要を悟らせ,同時に彼らを世の他の部分からは分かたれた民とするものとなったからです。とりわけ,儀式上の清さに関する神の律法はこの第二の目的に役立ちました。―レビ記 11:44。ガラテア 3:19-25

6 エホバからの詳細な導きが当時特に必要であったのはなぜですか。

6 新しい土地に旅をする新しい国民として,イスラエルは適切な導きを必要としていました。それはまだ出エジプト後1年もたっていないころのことであり,エジプトでの生活水準やそこでの宗教的習慣は記憶に鮮明に残っていました。肉親の兄弟姉妹どうしの結婚はエジプトでは慣例となっていました。動物の神を含む,多くの神々をたたえる偽りの崇拝も行なわれていました。そして今,この大きな会衆は,カナンへ向かうところです。そこでの生活と宗教上の習慣はさらに堕落したものです。しかし,イスラエルの宿営をもう一度見てください。会衆を膨張させているのは,大勢の生粋のまたは合の子のエジプト人です。それはイスラエル人のただ中に住んでいる入り混じった群衆で,その人々はエジプト人の子として生まれ,エジプト人の習慣や宗教や愛国心にそって養育されてきました。その中には,ほんのしばらく前まで自分の郷里の忌むべき習俗に浸っていた人々も少なからずいたに違いありません。彼らが今,エホバからの詳細な導きを受けるのはいかにも必要なことでした。

7 レビ記に記される数々の規定は神がその著者であることをどのように示していますか。

7 レビ記は,その全体にわたって神による霊感の証跡を帯びています。ただの人間がその賢明で義にかなった律法や規定を考案できたはずはありません。食品,疾病,隔離,死体の扱いなどに関するその法令は,幾千年も後に世の医療関係者がようやく認識するようになった事実に関する知識を明らかにしています。汚れていて食べることのできない動物に関する神の律法は,旅をしてゆくイスラエル人の保護となったことでしょう。それは彼らを,豚による旋毛虫症から,ある種の魚による腸チフスやパラチフスから,また死んで発見された動物による感染などから保護したはずです。これらの実際的な律法は,彼らの宗教と生活とを導き,彼らが聖なる国民として約束の地に到達し,そこに住めるようにするためのものでした。エホバによって与えられた数々の規定は,他の民に比べ,健康の面でユダヤ人に大きな利点となったことを歴史は示しています。

8 レビ記の預言的な内容はそれが霊感によるものであることをさらにどのように示していますか。

8 レビ記の中にある預言や予型が成就していることも,これが霊感によるものであることの証拠となっています。不従順の結果に関するレビ記の警告が真実であったことは,聖書の歴史にも一般の歴史にも記録されています。中でも,レビ記は,母親たちが飢きんのために自らの子供を食べるまでになることを予告していました。エレミヤは,西暦前607年のエルサレムの滅びの時にこれがそのとおりになったことを示しています。またヨセフスも,西暦70年における同市の再度の滅びの時にもそのような状況になったことを伝えています。悔い改めるならエホバが思い出してくださるという預言的な約束も,西暦前537年のバビロンからの帰還によって成就を見ました。(レビ記 26:29,41-45。哀歌 2:20; 4:10。エズラ 1:1-6)他の聖書筆者たちが,レビ記を霊感による聖書の一部としてそこから引用していることも,この書が霊感によるものであることの証となります。モーセがその筆者であることを確証するためにさきに述べた事柄に加わるものとして,どうぞマタイ 5章38節; 12章4節; コリント第二 6章16節; ペテロ第一 1章16節をご覧ください。

9 レビ記はエホバのみ名と神聖さをどのように大いなるものとしていますか。

9 レビ記は終始エホバのみ名と主権を大いなるものとしています。36回以上にわたって,そこに述べられる律法がエホバのものであることが示されています。エホバのみ名そのものも平均して各章に10回出ており,「わたしはエホバである」という諭しの言葉によって,神の律法に対する従順が繰り返し教えられています。神聖さという主題がレビ記全体を貫いており,レビ記は,この神聖さの要求に関して,聖書の他のどの書よりも多く述べています。エホバは聖なる方ですから,イスラエルは聖なる民とならなければなりませんでした。特定の人,場所,物,時期は,聖なるものとして取り分けられました。例えば,贖罪の日とヨベルの年はエホバの崇拝において特別に守るべき時節として区別されました。

10 犠牲に関して何が強調されていますか。罪に対するどんな刑罰が述べられていますか。

10 神聖さに重きを置く書にふさわしく,レビ記は,血を流すこと,つまり命の犠牲が罪の許しにおいて果たす役割を強調しています。動物の犠牲としては,家畜であり,しかも清い生き物が用いられることに限定されていました。ある種の罪の場合には,犠牲をささげることに加えて,告白と,原状の回復と,科料の支払いとが規定されていました。さらに別の罪に対しては,死刑が定められていました。

レビ記の内容

11 レビ記の概要について述べなさい。

11 レビ記はおもに,制定された法律に関する記述から成っていますが,その多くは預言的な面も含んでいます。この書は主として項目ごとの記述をしていて,八つの部分に分けることができますが,その各部分は相互に論理的な関連を保っています。

12 血を含むどんな犠牲がありますか。それはどのようにささげられますか。

12 種々の犠牲のための規定1:1-7:38)。色々な犠牲は全体的に見て次の二つの種類に類別できます。すなわち,牛,羊,やぎ,鳥類などから成る,血を含むもの。そして,穀物から成る,血を含まないもの血を含む犠牲は,(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の捧げ物,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物のいずれかの形でささげられることになっていました。これら四つすべてには次の三つのことが共通しています。すなわち,それをささげる者が自分でそれを会見の天幕の入口に携えて来る,彼は自分の手をその上に置く,こうして後にその動物をほふる。血を振り掛けることを行なった後,その死がいはそれぞれの犠牲の種類にしたがって処理されます。ここで,血を含む犠牲について一つ一つ取り上げましょう。

13-16 (イ)(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の犠牲,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物に関する要求について述べなさい。(ロ)血を含む犠牲に関連して繰り返し禁じられているのはどんなことですか。

13 (1)焼燔の捧げ物としては,ささげる人の資力に応じて,若い雄牛,雄羊,やぎ,もしくはいえばとかやまばとが用いられます。それは幾つかの部分に切り分けられますが,皮を除けば,その全体がそっくり祭壇上で焼かれます。やまばとやいえばとの場合,その頭はひねり取られますが,それを切り離してはなりません。そして,餌袋と羽は取り除かなければなりません。―1:1-17; 6:8-13; 5:8

14 (2)共与の犠牲としては牛または小動物の雄ないしは雌が用いられます。その脂肪の部分だけが祭壇の上で焼き尽くされ,ある部分は祭司に与えられ,その残りを,ささげた人が食べます。これを共与の犠牲と呼ぶのは適切です。ささげる人はそれによって,いわばエホバやそれを扱う祭司と食事を共にし,共に与る関係を持つからです。―3:1-17; 7:11-36

15 (3)罪の捧げ物は,故意でない罪もしくは過ちによる罪のために要求されています。ささげられる動物の種類は,祭司,民全体,長,普通の個人など,だれの罪を贖うかによって決まります。各人による自発的な焼燔の捧げ物や共与の捧げ物の場合とは異なって,罪の捧げ物は務めとして課されたものです。―4:1-35; 6:24-30

16 (4)罪科の捧げ物は,不忠実,欺き,強奪などによる個人的な罪科を贖うために要求されています。ある罪科の場合には,告白と,当人の資力に応じた犠牲とが求められます。他の場合には,損失に見合う補償をし,それにさらに2割を加え,その上で雄羊の犠牲をささげることが求められています。捧げ物のことを述べる,レビ記のこの部分では,血を食べることが繰り返しきっぱりと禁じられています。―5:1-6:7; 7:1-7,26,27; 3:17

17 血を含まない犠牲はどのようにしてささげられますか。

17 血を含まない犠牲としては穀類が用いられ,それは,そっくり炒るか,粗びきにするか,あるいは細かな粉にするかしてささげられます。それらは,焼き板の上で焼いたり,深なべで揚げたりして色々な方法で調理されます。塩や油,そしてときに乳香を添えてささげられますが,パン種やはち蜜をいっさい含んでいてはなりません。幾つかの犠牲の場合,その一部は祭司のものとなります。―2:1-16

18 祭司の任職の最高潮として,信仰を強めるどんな光景が見られますか。

18 祭司の任職8:1-10:20)。イスラエルにおける大きな式典の時が来ます。すなわち祭司の任職です。モーセは,エホバから命じられたとおりに,その細かな事柄をすべて執り行ないます。「その後アロンとその子らは,エホバがモーセを通して命じたすべての事柄を行なった」。(8:36)任職のために費やされたその七日の後,信仰を強める奇跡的な光景が生じます。全集会がその場にいます。祭司たちはまさに犠牲をささげたところです。アロンとモーセは民を祝福しました。すると,ご覧なさい,「エホバの栄光が民のすべてに現われ,エホバの前から火が出て,祭壇上の焼燔の捧げ物と脂肪部分とを焼き尽くして」いきました。「これを見て,民のすべてはどっと叫び声を上げ,またひれ伏す」のでした。(9:23,24)まさに,エホバは,彼らが従順をつくし,崇拝をささげるべき方なのです。

19 どんな違犯が犯されますか。その後にどんなことがありますか。

19 しかし律法に対する違犯が犯されます。その一例として,アロンの息子ナダブとアビフは,エホバの前に適法でない火をささげます。「すると,火がエホバの前から出て彼らを焼き尽くし,こうしてふたりはエホバの前で死んだ」。(10:2)受け入れられる犠牲をささげてエホバの是認を受けるために,民も祭司も等しくエホバの指示に従わなければなりません。この直後に,幕屋での奉仕をするさい祭司はアルコール飲料を飲んではならない,という命令が神から与えられます。これは,アロンのその二人の息子が酒に酔ったことが一因で悪行を犯した可能性を示唆しています。

20,21 清さと衛生に関してどんな規定がありますか。

20 清さに関する律法11:1-15:33)。この部分は,儀式上の,また衛生上の清さについて述べています。飼育されるものと野生のものとを含め,ある種の動物は汚れているとされます。死体はすべて汚れたものであり,それに触れる人は汚れます。子供の出産も汚れの理由となり,しばらくの分離と特別の犠牲とが要求されます。

21 らい病など,ある種の皮膚病も儀式上の汚れを来たらせ,それを清めることは,人だけでなく,衣服や家屋にも適用されます。隔離が要求されています。月経や射精も汚れの理由となり,漏出のある場合も同様です。このような場合には他から離れていることが求められ,そのうえ,回復したときには,体を洗うこと,または犠牲をささげること,もしくはその両方が求められます。

22 (イ)第16章はなぜ際立っていますか。(ロ)贖罪の日の活動はどんな手順で進められますか。

22 贖罪の日16:1-34)。これは際立った章です。イスラエルにとって最も大切な日である贖罪の日に関する指示を含んでいるからです。それは第七の月の10日です。それは魂を悩ます(恐らくは,断食によって)日であり,その日には世俗のどんな仕事をすることも許されません。その日は,アロンおよびその家の者たち,すなわちレビの部族の罪のために若い雄牛をささげることで始まり,その後に,残りの国民のためにやぎがささげられます。香をたいた後,それぞれの動物の血の幾らかが幕屋の至聖所の中に別々に携え入れられて,箱の覆いの前に振り掛けられます。後にその動物の死がいは宿営の外に運び出されて焼かれなければなりません。この日にはまた,1頭の生きたやぎもエホバの前に差し出されて,その上に民のすべての罪が言い表わされ,その後それは荒野に引いて行かれます。次いで2頭の雄羊が焼燔の捧げ物としてささげられねばなりません。1頭はアロンとその家の者たちのため,他の1頭は残りの国民のためです。

23 (イ)血に関する最も明確な陳述の一つは聖書のどこにありますか。(ロ)他のどんな規定がその後に述べられていますか。

23 血や他の事柄に関する法令17:1-20:27)。この部分は民のための多くの法令について述べています。血に関しては聖書中に見られる最も明確な陳述の一つをもって再度血の使用が禁じられています。(17:10-14)血を祭壇上で使用することは許されますが,それを食べることは許されません。近親相姦,男色,獣姦などの忌むべき行為は禁じられています。苦悩している人々,立場の低い人や外国人などを保護するための規定も設けられ,「あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない。わたしはエホバである」という命令が与えられます。(19:18)国民の社会・経済的福祉は保護され,モレクの崇拝や心霊術など,霊的に危険な事柄は死刑をもって禁止されています。再度神はご自分の民が他から離れているべきことを強調されます。「こうしてあなた方はわたしに対して聖なる者とならねばならない。わたしエホバは聖なる者だからである。わたしはあなた方をもろもろの民から取り分けてわたしのものとならせているのである」― 20:26

24 祭司の資格と季節ごとの祝祭に関してレビ記はどんなことを述べていますか。

24 祭司職と祭り21:1-25:55)。続く三つの章は,主としてイスラエルの公式の崇拝について述べています。すなわち,祭司たちに関する法令,その身体上の資格,祭司の結婚の相手,聖なるものをだれが食べてよいか,また犠牲のためにきずのない動物を用いるようにという要求です。三つの,国民的な季節ごとの祭りが命じられています。それは,『あなた方の神エホバの前で歓び楽しむ』機会となります。(23:40)こうして国民は一人の人のようになってエホバに注意と賛美と崇拝を向け,エホバとの関係を強めるのです。これらはエホバに対する祭りであり,年ごとの聖なる大会となります。過ぎ越しとそれに伴う無酵母パンの祭りは春の初めに定められ,ペンテコステつまり七週の祭りは続いて春の終わりに行なわれ,贖罪の日と,八日にわたる仮小屋もしくは取り入れの祭りは秋に行なわれます。

25 (イ)「み名」に敬意を抱くべきことがどのように示されていますか。(ロ)「七」という数と関係のある規定にどんなものがありますか。

25 24章では,幕屋での奉仕に用いられるパンと油に関する指示が与えられています。その後に一つの出来事がありますが,それにちなんでエホバは,だれでも「み名」,そうです,エホバのみ名をののしる者は石打ちにされるべきことを定められます。次いでエホバは,「目には目,歯には歯」と述べて,同種の処罰に関する律法を示されます。(24:11-16,2025章では,七年目ごとに守られる,1年におよぶ安息もしくは休みの年に関する規定と,50年目ごとのヨベルの年に関する規定が見られます。この50年目には,その全地にわたって自由がふれ告げられ,それまでの49年間に売られたり人手に渡ったりした相続財産は元の所有者に返されなければなりません。貧しい人や奴隷の権利を保護する律法も与えられています。この部分では,「七」という数が際立っています。つまり,七日目,七年目,七日間の祭り,七週の期間,そして,七年を七回数えた後に来るヨベルの年などです。

26 レビ記はどのようにしてそのクライマックスに達していますか。

26 従順と不従順の結果26:1-46)。レビ記はこの章でそのクライマックスに達しています。エホバはここで,従順に対する報いと,不従順に対する処罰とを列挙しておられます。同時に神は,謙遜になる場合にイスラエル人に対して差し伸べられる希望についてもこう述べておられます。「わたしは彼らのためにその先祖たちとの契約を思い出す。わたしはその神となるため,諸国民の見るところで彼らをエジプトの地から携え出した。わたしはエホバである」― 26:45

27 レビ記はどのように結ばれていますか。

27 その他の法令27:1-34)。レビ記は,誓約の捧げ物の扱い,エホバのための初子,エホバに対して聖なるものとされる十分の一などに関する指示をもって結ばれています。次いで短いこの奥付けが加えられています。「これらは,イスラエルの子らに対する命令としてエホバがシナイ山でモーセに与えたおきてである」― 27:34

なぜ有益か

28 レビ記は今日のクリスチャンにとってどんな益がありますか。

28 霊感を受けた聖書の一部として,レビ記は今日のクリスチャンにとって大いに益があります。それは,エホバと,その属性と,被造物に対するその行動の仕方とを理解するのにすばらしい助けとなります。神はそれを律法契約下のイスラエルに対して極めて明確に示されたのです。レビ記は,どんな場合にも当てはまる基本的な原則を数多く示しています。また,預言的な型や預言そのものを数多く含んでいて,それについて考えることは信仰を強くします。そこに含まれる原則の多くはクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で再度触れられており,直接に引用されているものもあります。際立った七つの点を以下に論じます。

29-31 レビ記はエホバの(イ)主権,(ロ)み名,(ハ)神聖さに敬意を示すべきことをどのように強調していますか。

29 (1)エホバの主権。エホバは律法授与者であり,わたしたちは被造物としてエホバに言い開きをしなければなりません。エホバを恐れるようにと命じておられるのは当然のことです。宇宙の主権者として,エホバは,偶像礼拝や心霊術であれ,あるいは悪霊崇拝の他のどんな面であれ,ご自分に対抗する者をいっさい許されません。―レビ記 18:4; 25:17; 26:1。マタイ 10:28。使徒 4:24

30 (2)エホバのみ名。エホバのみ名は聖なるものとされるべきであり,わたしたちは,言葉によってであれ行動によってであれ,それに非難をもたらすようなことをすべきではありません。―レビ記 22:32; 24:10-16。マタイ 6:9

31 (3)エホバの神聖さ。エホバは聖なる方ですから,その民も聖なるものとなり,エホバの奉仕のために神聖にされたもの,もしくは取り分けられたものとならなければなりません。このことは,周囲の不敬虔な世界から離れていることをも意味しています。―レビ記 11:44; 20:26。ヤコブ 1:27。ペテロ第一 1:15,16

32-34 (イ)罪,(ロ)血,(ハ)罪科の相対性に関してどんな原則が述べられていますか。

32 (4)罪の甚だしい罪深さ。何が罪であるかを決定するのは神です。わたしたちはそれを避けるように努力しなければなりません。罪は常に贖罪の犠牲を要求します。加えてそれは,わたしたちの告白と,悔い改めと,可能な限り償いをすることをも要求します。ある種の罪に対していっさい許しは与えられません。―レビ記 4:2; 5:5; 20:2,10。ヨハネ第一 1:9。ヘブライ 10:26-29

33 (5)血の神聖さ。血は神聖なものですから,どのような形にせよ,血を体内に取り入れてはなりません。血の使用が許される唯一の場合は,罪のための贖罪を行なう時だけです。―レビ記 17:10-14。使徒 15:29。ヘブライ 9:22

34 (6)罪科と処罰との相対性。すべての罪また罪人が同じようにみなされたわけではありません。職務の地位が高いほど,罪に対する責任と刑罰も大きくなります。故意の罪は無意識の罪よりも厳しく処罰されました。科料は当人の支払い能力に応じて色々に定められました。この相対性の原則は,儀式上の汚れなど,罪や処罰以外の事柄にも当てはめられました。―レビ記 4:3,22-28; 5:7-11; 6:2-7; 12:8; 21:1-15。ルカ 12:47,48。ヤコブ 3:1。ヨハネ第一 5:16

35 レビ記は仲間の人間に対するわたしたちの務めをどのように要約していますか。

35 (7)公正と愛。仲間の人間に対するわたしたちの務めを要約して,レビ記 19章18節は,「あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない」と述べています。これはすべてのことを包含します。それは,不公正さ,盗み,うそをつくこと,中傷することなどを排除します。またそれは,不利な条件を負った人,貧しい人,盲目の人,耳の聞こえない人などに思いやりを示すことを要求します。―レビ記 19:9-18。マタイ 22:39。ローマ 13:8-13

36 レビ記がクリスチャン会衆にとって有益であることをどんなことが示していますか。

36 レビ記がクリスチャン会衆内で「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに」際立って有益であることを証明する別の点があります。すなわちそれは,イエスやその使徒たち,とりわけパウロやペテロが繰り返しレビ記を参照していることです。これらの人々は多くの預言的なひな型や,後に実現することの影となっていた事柄に注意を引いています。パウロが述べるとおり,「律法は来たるべき良い事柄の影を備えて」いました。それは「天にあるものの模型的な表現また影」を成していました。―テモテ第二 3:16。ヘブライ 10:1; 8:5

37 ヘブライ人への手紙の中では予型のどんな成就について述べられていますか。

37 幕屋,祭司職,犠牲,とりわけ,年ごとの贖罪の日には模型的な意義がありました。パウロは,ヘブライ人への手紙の中で,エホバの崇拝の「真の天幕」に関連して,それらに対応する霊的なものが何かを識別するのを助けています。(ヘブライ 8:2)祭司長アロンは,「すでに実現した良い事柄の大祭司」としてのキリスト・イエスを予表しており,そのイエスは「より偉大で,より完全な天幕を」通られました。(ヘブライ 9:11。レビ記 21:10)動物の犠牲の血はイエスの血を予表しており,その血は「わたしたちのために永遠の救出を」成し遂げます。(ヘブライ 9:12)幕屋の一番奥の仕切り室である至聖所は,大祭司が年ごとの贖罪の日にのみ中に入って犠牲の血を差し出した所ですが,それは「実体の写し」であって,「天そのもの」を表わしており,イエスはその天に入って,「わたしたちのために神ご自身の前に出てくださる」のです。―ヘブライ 9:24。レビ記 16:14,15

38 予型的な犠牲はイエスにあってどのように成就しましたか。

38 実際の犠牲のいけにえ ― 焼燔または罪の捧げ物としてささげられた健全できずのない動物 ― は,人間としてのイエス・キリストの体による完全できずのない犠牲を表わしています。(ヘブライ 9:13,14; 10:1-10。レビ記 1:3)興味深いことに,パウロはさらに贖罪の日の特色について論じています。その日に,罪の捧げ物となった動物の死がいは宿営の外に運び出されて焼かれました。(レビ記 16:27)パウロはこう書いています。「ゆえにイエスも……門の外で苦しみを受けました。ですから,わたしたちは宿営の外に出てイエスのもとに行き,この方が忍ばれた非難を忍ぼうではありませんか」。(ヘブライ 13:12,13)このような霊感による解釈によって,レビ記に略述される儀式上の手順は一層の意義を帯びるようになります。そしてわたしたちは,ただ聖霊によってのみ明らかにされ得る実体を予示する畏敬すべき影をエホバがいかに驚嘆すべき方法でそこに備えてくださったかを理解できるようになります。ヘブライ 9:8)そのような正しい理解は,「神の家の上に立つ偉大な祭司」キリスト・イエスを通してエホバが設けられる命のための備えから益を受けようとする人々にとって極めて大切です。―ヘブライ 10:19-25

39 王国に関するエホバの目的を知らせる点でレビ記はどのように「聖書全体」と調和していますか。

39 アロンの祭司の家の者たちの場合と同じように,イエス・キリストも大祭司として,ご自分と結びつく下位の祭司たちを持っておられます。これらの人々は「王なる祭司」と呼ばれています。(ペテロ第一 2:9)レビ記はエホバの大いなる大祭司また王の行なう贖罪の働きを指し示して,それを説明しており,また家の者たち,すなわち「幸いな者,聖なる者」とされ,「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」人々に課された要求を明らかにしています。従順な人々を完全の域に向上させる点で,この祭司の働きは何という祝福をもたらすのでしょう。この天の王国は地上に平和と義を回復することによって何という幸福をもたらすのでしょう。確かにわたしたちすべては,大祭司なる王を立て,その卓越性を広く宣明してみ名を神聖なものとする王なる祭司たちを整えてくださったことに対して,聖なる神エホバに感謝しなければなりません。確かにレビ記は,エホバの王国の目的を知らせる点で「聖書全体」とすばらしい調和を保っています。―啓示 20:6

[研究用の質問]