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付録 ― 親が尋ねる質問

付録 ― 親が尋ねる質問

付録

親が尋ねる質問

「うちの子は何も話してくれない。どうしたらいいのだろう」

「門限を決めたほうがよいだろうか」

「子どもにダイエットについてバランスの取れた見方をさせるには,どうすればいいだろう」

これらを含む17の質問を,この付録で取り上げます。六つのセクションがあり,「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第1巻と第2巻の参照箇所も示されています。

この付録を読み,できれば夫婦で話し合ってください。そして,アドバイスを活用してお子さんを助けてください。載せられている答えは信頼できます。当てにならない人間の知恵ではなく,神の言葉 聖書に基づいているからです。―テモテ第二 3:16,17

290  コミュニケーション

297  きまり

302  独り立ち

307  性とデート

311  感情面での問題

315  霊性

 コミュニケーション

配偶者や子どもと口論することは本当に有害なのだろうか。

夫婦の意見が食い違うのは仕方のないことです。しかし,それにどう対処するかは自分次第です。親の口論は子どもに大きな影響を与えます。これは真剣に考えなければならない事柄です。子どもは結婚すると,親の結婚生活をいわば手本にするからです。意見の相違が生じたなら,その機会を用いて,相違をうまく解決する方法を示せるのではないでしょうか。こうしてみましょう。

耳を傾ける。「聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅く」あるようにと聖書は教えています。(ヤコブ 1:19)「悪に悪を返して」火に油を注いではなりません。(ローマ 12:17)たとえ相手に聴く気がないように思えても,あなたは耳を傾けることができます。

批判するのではなく,説明する。相手の言動からどんな影響を受けているかを,穏やかな口調で伝えます。(「わたし,あなたが……するとつらいの」。)相手を責めたり批判したりしたくなる衝動を抑えてください。(「僕のことなんか,どうでもいいんだろう」。「あなたは全然話を聴いてくれないのね」。)

少し時間をおく。話し合いをいったん中断して,気持ちが落ち着いてから再開するほうが良い場合もあります。聖書はこう述べています。「口論の始まりは人が水を噴き出させるようなものである。それゆえ,言い争いが突然始まってしまう前にそこを去れ」。―箴言 17:14

互いに謝る ― 場合によっては,子どもにも。14歳のブリアンはこう言います。「両親は口論した後,わたしと兄に謝ることがあります。わたしたちがどんな影響を受けているか,分かっているからです」。謙虚に「ごめんなさい」と言うことも,子どもたちに教えることのできる大切な教訓です。

子どもと口論になる場合はどうですか。無意識のうちに火に油を注いでいる,ということはありませんか。この本の15ページにある2章の冒頭の場面を見てください。レイチェルの母親のどんなところが良くなかったと思いますか。どうすれば子どもとの口論を避けられるでしょうか。こうしてみましょう。

● 「あなたはいつも……」とか「ちっとも……」といった,大げさな言い方は避けましょう。そのような言い方は反発を招くだけです。事実を誇張していることは,子どもにも分かります。親が感情的になっていることしか伝わらず,子どもは自分の落ち度を認めにくくなるでしょう。

● 子どもを厳しく批判するのではなく,あなたの気持ちを言い表わすようにしましょう。例えば,「あなたが……すると,お母さんは……気持ちになるの」と言えます。子どもは心の底では,親を悲しませたくないと思っています。親の気持ちを知ると,親に協力しようと思うでしょう。 *

● 簡単ではありませんが,怒りが鎮まるまで待ちましょう。(箴言 29:22)それから,子どもと話し合います。例えば,家事の手伝いが問題となっているなら,その子が何をすべきかを具体的に書き出します。しなければどうなるかをはっきりさせておきます。子どもの考え方が間違っていると感じても,辛抱強く耳を傾けましょう。子どもはたいてい,お説教されるよりも話を聞いてもらったほうが素直に応じます。

● 子どもが反抗の精神に毒されてしまった,と性急に決めつけてはなりません。成長過程でそのような態度を示すものだ,ということを思い起こしてください。口答えするのは,大人になりつつあることを証明したいからかもしれません。つい言い返したくなる気持ちを抑えてください。あなたが刺激されてもいら立たなければ,お子さんは教訓を学びます。辛抱強さの手本を見て,それに倣うでしょう。―ガラテア 5:22,23

第1巻の2章第2巻の24章を見てください

自分の若い時のことを,どこまで子どもに話したらよいだろう。

こんな場面を思い浮かべてください。あなたは夫と娘と一緒に,友人たちと食事をしています。すると友人の口から,あなたが以前に付き合っていた ― そして別れた ― 男性の名前が出てきます。夫と出会う前のことです。娘はびっくりして,「お父さん以外の人と付き合ったことがあるの?」と言います。そのことを娘に話したことはありません。娘は詳しく聞きたがっています。あなたはどうしますか。

たいていは,質問に答えてあげるのがよいでしょう。子どもが質問し,親の答えを聞く ― これはまさに親子のコミュニケーションです。それこそ親として願っていることではありませんか。

では,どこまで話したらよいでしょうか。当然,恥ずかしい事は隠しておきたいでしょう。でも場合によっては,自分が苦労した事について話すなら,子どものためになります。どのようにでしょうか。

例えば,使徒パウロは自分について正直にこう述べています。『自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にあります。わたしは実に惨めな人間です!』(ローマ 7:21-24)エホバ神はわたしたちの益のために,霊感のもとにこの言葉を聖書に記録させてくださいました。実際,この言葉はわたしたちの益になっています。パウロの率直な言葉にだれもが共感するのではないでしょうか。

同じように,親が自分の成功だけでなく失敗についても話すなら,子どもは親と自分の共通点に気づくでしょう。もちろん,あなたが若かったころとは時代が違います。しかし,時代が変わっても,人間の本質は変わりません。聖書の原則も不変です。(詩編 119:144)ですから,どんな壁にぶつかったか,どのように乗り越えたかを話してください。親の経験は,子どもが自分の問題に取り組むのに役立つでしょう。キャメロンという若者もこう言います。「似たような壁に親もぶつかったことがあるということを知ると,親をもっと身近に感じます。そして,次に別の問題にぶつかった時には,親もこういう問題を経験したんじゃないか,と考えるようになります」。

とはいえ,話の最後に必ず何らかのアドバイスをしなければならない,というわけではありません。子どもが間違った結論を引き出すのではないか,同じ失敗をしてもよいと思うのではないか,と心配になるかもしれません。しかし,学んでほしい点を要約する(「だから絶対に……してはいけないのよ」)のではなく,あなたの気持ちを簡単に話す(「今になって考えると,あんなことをしなければよかったと思うのよ。だって……」)ようにしましょう。そうすればお子さんは,説教されていると感じることなく,あなたの経験から大切な教訓を学び取るでしょう。―エフェソス 6:4

第1巻の1章を見てください

うちの子は何も話してくれない。どうしたらいいのだろう。

幼いころ,お子さんは何でもあなたに話しました。あなたが質問すると,素直に答えました。質問しなくても,水の湧き出る泉のように,次々といろいろなことを話してくれました。ところが今では,干上がった井戸のようになってしまい,あなたが尋ねても何も話しません。『友達には話すのに,どうしてわたしには話してくれないんだろう』と思いますか。

子どもが黙っているからといって,あなたを嫌っているとか,構わないでほしいと思っているなどとは考えないでください。実のところ,お子さんは今まで以上にあなたを必要としています。調査によると,たいていの子どもは十代になっても親のアドバイスを重んじています。友達やメディアのアドバイスよりも重んじているのです。

では,子どもが自分の気持ちを親に話そうとしないのはなぜでしょうか。親に話すのをためらう理由について,若者たちのコメントを見てみましょう。それから,続く質問について考え,聖句も読んでみてください。

「父には,仕事でも会衆のことでもすべきことが山ほどあるので,話しかけにくいです。都合のいい時なんて全然ないみたいです」。―アンドリュー。

『わたしは無意識のうちに,忙しいから話せないという印象を与えていないだろうか。どうすれば近づきやすい親になれるだろう。子どもと話すための時間をいつ取れるだろう』。―申命記 6:7

「学校で友達とけんかしたことを,泣きながら母に話しました。慰めてほしかったのに,叱られました。その時から,大切なことを母に話さなくなりました」。―健二。

『子どもが相談しに来た時,わたしはどう応じているだろう。子どもを正す必要がある場合でも,アドバイスを与える前にまず思いやり深く耳を傾けてあげられるだろうか』。―ヤコブ 1:19

「親は,『怒らないから話してごらん』と言うくせに,たいてい腹を立てます。それで子どもは,だまされたと感じます」。―レイチェル。

『びっくりするようなことを子どもが言う時,どうすれば冷静に対応できるだろう』。―箴言 10:19

「わたしが打ち明けた秘密を母がすぐに自分の友達に話してしまう,ということが何度もあったので,長いあいだ母を信用できませんでした」。―チャンテル。

『わたしは子どもの気持ちを大切にして,打ち明けられたプライベートなことを人に話さないようにしているだろうか』。―箴言 25:9

「親に相談したいことがたくさんあります。親のほうから話しかけてくれるといいのに,と思います」。―コートニー。

『こちらから子どもに話しかけたらよいのではないだろうか。そうするのに一番良いのはいつだろう』。―伝道の書 3:7

親であるあなたがコミュニケーションという橋を架けるなら,必ず益が得られます。17歳の純子はこう述べています。「会衆の子たちより学校の友達のほうが接しやすい,と母に打ち明けたことがあります。次の日,机の上に母からの手紙がありました。その手紙には,母も会衆内に親友がいないと感じていたことが書かれていました。励ましてくれる仲間がいなくても神に仕え続けた聖書中の人物のことも書いてありました。そして,健全な友を作ろうというわたしの努力を褒めてくれていました。自分だけでなく母も同じような経験をしていたということに驚き,うれしくて涙がボロボロこぼれました。母が教えてくれたことに励まされ,正しいことを行なおうと思いました」。

純子の場合のように,十代の子どもは,自分の考えや気持ちをばかにされたり批判されたりしないことが分かると,たいてい親に心を開きます。では,あなたと話している時に子どもがいらいらしたり怒ったりしているようなら,どうですか。同じような態度を取ってはなりません。(ローマ 12:21。ペテロ第一 2:23)難しく感じるかもしれませんが,正しい話し方や振る舞いを,あなたの手本によって教えましょう。

十代の若者は,大人への移行期にあります。専門家も認めるとおり,その時期の若者は行動面で不安定です。大人びたことをするかと思えば,子どもっぽいこともします。お子さんがそうであるなら,どうしたらよいでしょうか。特に,年齢よりも幼いことをする場合はどうですか。

叱りつけたり,子どもじみた言い争いをしたりしてはなりません。“大人になるための訓練中”の若者とみなして接しましょう。(コリント第一 13:11)例えば,幼い態度で「どうしていつもがみがみ怒るの」などと言われると,思わずきつい言葉を返したくなるかもしれません。でも,そうするなら,状況をコントロールできなくなり,口論の泥沼にはまり込んでしまいます。むしろ,簡単にこう答えることができます。「気に入らないことがあるみたいね。あとで,気持ちが落ち着いてから話し合いましょう」。そうすれば,状況をコントロールできます。そして,口論ではなく,会話の舞台が整います。

第1巻の1章2章を見てください

 きまり

門限を決めたほうがよいだろうか。

この点を考えるために,次のような場面を思い浮かべてみてください。息子の門限から30分過ぎました。玄関のドアがゆっくり開きます。『わたしがもう寝てることを期待しているんだろう』とあなたは思います。でも,寝ているはずがありません。門限を過ぎてからずっと玄関に座って待っていたのです。ドアが大きく開き,子どもと目が合います。あなたはどうしますか。何と言いますか。

例えば,大目に見て,男の子なんだから仕方ないと考えることもできます。逆に,「一生,外出禁止だ!」と言うこともできます。しかし,衝動的に反応してはなりません。まず,お子さんの話に耳を傾けましょう。それなりの理由があって遅くなったのかもしれないからです。その後,門限を破ったという事実に基づいて,しっかり教え諭すことができます。どのようにでしょうか。

提案: お子さんに,「あした話そう」と言います。そして,適当な時を選んで一緒に座り,今後どうするつもりかを伝えます。門限を守らなかったなら,次に出かける時の門限を30分早くする,という親もいます。逆に,子どもがいつも時間どおりに帰宅し,信頼できることを実証するなら,道理にかなった範囲で自由を与えることもできます。例えば,門限を遅くすることができます。重要なのは,何時までに帰るべきか,門限を守らないとどうなるかを,子どもにはっきり知らせておくことです。そして必ず,決めたとおりに行ないます。

とはいえ,『道理をわきまえていることが知られるようにしなさい』と聖書は述べています。(フィリピ 4:5)ですから,門限を決める前にお子さんと話し合うのは良いことです。望む時刻とその理由を述べる機会を与えるのです。そしてその願いを考慮に入れます。お子さんが信頼に値することを示しているなら,道理にかなった願いを聞き入れることができるでしょう。

生きていくうえで,時間を守ることは大切です。門限を設けるのは,子どもを外の世界の危険から守るためだけではありません。独り立ちしてからもずっと役に立つ習慣を身に着けさせるためでもあるのです。―箴言 22:6

第1巻の3章第2巻の22章を見てください

服装に関して子どもと意見が合わない時,どうしたらいいだろう。

この本の77ページに出てきたヘザーがあなたのお子さんだとしましょう。びっくりするほど露出の多い服を着ています。あなたに言わせれば,ほとんど何も着ていないのと同じです。問答無用でこう言います。「2階へ行って着替えてきなさい。でないと,外出禁止だ!」 子どもはあなたの言うとおりにするかもしれません。実のところ,従うしかないのです。では,どうすれば,服だけでなく考え方も変えるように教えることができるでしょうか。

● まず,お子さんは慎みの欠けた服装の結果をあなた以上に気にしている,ということを覚えておきましょう。心の中では,恥ずかしい格好はしたくない,嫌な人から目を付けられたくない,と思っているのです。慎みの欠けた服を着ても美しさが引き立つわけではないことと,その理由を,辛抱強く教えてください。 * 代わりに何を着たらよいかを提案します。

● そして,道理をわきまえましょう。こう考えてください。『この服は聖書の原則に反しているだろうか。それとも,わたしの好みに合わないだけだろうか』。(コリント第二 1:24。テモテ第一 2:9,10)単に好みの問題であれば,あなたのほうが譲歩できるでしょうか。

● さらに,この服はだめと言うだけでなく,ふさわしい服を見つけられるよう助けましょう。この本の82-83ページのワークシートを使って,親子で話し合ってください。時間と努力を惜しんではなりません。

第1巻の11章を見てください

子どもにコンピューターゲームをさせてもいいだろうか。

コンピューターゲームは,あなたが十代だったころと比べて大きく様変わりしています。では,ゲームに潜む危険を子どもが理解して回避できるよう,どのように助けることができますか。

ゲーム業界を非難したり,ゲームは時間の浪費だと決めつけたりしても,何にもなりません。それに,すべてのゲームが悪いわけではありません。しかし,病みつきになるおそれがあります。ですから,お子さんがゲームにどれくらいの時間を費やしているかを調べてください。また,どんなゲームが好きかに注意を払いましょう。こう尋ねることができます。

● クラスではどのゲームがいちばん人気なの?

● そのゲームの中ではどんなことが起きるの?

● そのゲームが人気なのはなぜだと思う?

お子さんは予想以上にゲームに詳しいかもしれません。親から見て好ましくないゲームをしたことさえあるかもしれません。そういう場合でも,過剰に反応しないようにします。これは,知覚力を磨くようお子さんを助けるチャンスなのです。―ヘブライ 5:14

質問することによって,好ましくないゲームに引かれる理由に気づかせてください。例えば,こう質問できます。

● そのゲームを禁じられているので,仲間外れになっているような気がする?

ゲームをするのは,友達と共通の話題が欲しいからかもしれません。そうであれば,ひどい暴力や性的な含みのあるゲームに引かれている場合とは違う対応ができるでしょう。―コロサイ 4:6

では,ゲームの良くない要素に引かれているなら,どうでしょうか。自分は残酷な場面の影響など受けていない,と言い張るかもしれません。『ゲームの中でしてるからといって,実際にするわけじゃない』と思うのです。そのような場合には,詩編 11編5節に注目させてください。この聖句から明らかなように,実際に暴力を振るうことだけでなく,暴力を愛することも,神に嫌われます。この原則は,性の不道徳など,神の言葉が非とする堕落した行為全般に当てはまります。―詩編 97:10

お子さんにとってゲームが問題になっているなら,こうしてみましょう。

● 子ども部屋など,家族の目の届かない場所ではゲームをさせない。

● きまりを設ける(例えば,宿題や食事など,すべきことを終えるまではゲームをしない)。

● 体を動かすことの大切さを教える。

● ゲームで遊んでいる様子を観察する。できれば,時々一緒にやってみる。

もちろん,ゲームに関して子どもを指導するには,親自身がはばかりなく語れるようでなければなりません。それで,『自分はどんなテレビ番組や映画を見ているだろうか』と考えてみてください。もしあなたの規準に裏表があるなら,お子さんは必ずそれに気づきます。

第2巻の30章を見てください

子どもが携帯電話やコンピューターを使いすぎているなら,どうすればいいだろう。

お子さんはインターネットやメールを使いすぎていますか。親と過ごす時間よりも携帯音楽プレーヤーを使う時間のほうが長いでしょうか。もしそうなら,何ができますか。

電子機器を取り上げてしまうこともできますが,電子メディアすべてを悪者扱いしてはなりません。あなたも,自分の親の時代にはなかった電子メディアを使っているのではありませんか。ですから,やむを得ない理由があるのでない限り,取り上げてしまうのではなく,節度ある賢い使い方を教えましょう。どのようにでしょうか。

子どもと一緒に座って話し合います。まず,あなたが何を心配しているかを話します。次に,お子さんの言うことに耳を傾けます。(箴言 18:13)それから,実際的な対策を考えます。明確な制限を設けることをためらってはなりません。しかし,道理をわきまえましょう。エレンという若者もこう言います。「わたしはメールをしすぎていました。でもうちの親は,携帯を取り上げたりせずに,ガイドラインを作ってくれました。そのおかげで,バランスの取れたメールの使い方ができるようになりました。親が見ていない所でもそうしています」。

子どもが素直に聞かない場合はどうですか。うちの子は頑固だから話しても無駄だ,とあきらめないでください。少し辛抱して,考えるための時間を与えましょう。もしかすると,親の言うとおりだと思って,改善しようとするかもしれません。そういう若者は少なくありません。十代のヘイリーもこう言います。「コンピューター依存症だと親から言われて,最初はむっとしましたが,あとでよく考えてみて,親の言っていることは正しいと思うようになりました」。

第1巻の36章を見てください

 独り立ち

子どもにどれくらいの自由を与えたらよいのだろう。

この点は,プライバシーが関係するので,判断しにくいかもしれません。例えば,子どもが自分の部屋にいて,ドアが閉まっている場合,ノックせずに入ってもよいでしょうか。子どもが携帯電話を置いたまま,急いで学校に出かけていきました。メールを見てもよいでしょうか。

どちらも答えは簡単ではありません。親には子どもの様子を知る権利があり,子どもを守る責任もあります。とはいえ,いつまでも,上空を旋回するヘリコプターのようにすべての行動を監視するわけにはいきません。では,どうすればバランスを取れるでしょうか。

第一に,子どもがプライバシーを欲しがるのは必ずしも悪いことではない,ということを覚えておきましょう。たいていの場合,それは成長に伴う自然な欲求にすぎません。プライバシーを持つことによって,“羽ばたく練習”ができます。自分で友達を作ったり,「理性」を働かせて問題に取り組んだりすることができるのです。(ローマ 12:1,2)思考力を伸ばすこともできます。信頼される大人になるために欠かせない力です。さらに,よく考えてから決定を下したり難しい質問に答えたりする機会にもなります。―箴言 15:28

第二に,子どもの生活を細かいところまで管理しようとすると子どもは怒って反発するかもしれない,ということを理解しておきましょう。(エフェソス 6:4。コロサイ 3:21)では,何も口出ししないほうがよいのでしょうか。いいえ,親としての責任を放棄してはなりません。目標は,子どもの良心を訓練することです。(申命記 6:6,7。箴言 22:6)ですから,監視するよりも,指針を与えるほうが効果的です。

第三に,子どもと話し合いましょう。気持ちをよく聞いてあげましょう。ふさわしいなら,願いを聞き入れることができます。親の信頼を裏切るようなことをしなければプライバシーを尊重してもらえる,ということを理解させましょう。約束を破ったらどうするかを決めておき,そのとおりに実行します。親としての務めを果たしながら,子どもにプライバシーを与えることができるのです。

第1巻の3章15章を見てください

うちの子は学校をやめたほうがいいのだろうか。

「先生にはうんざり!」,「宿題が多すぎる!」,「落第しないようにするだけで必死。でも,どうして頑張らなきゃいけないの?」 こうしたストレスのため,生計を立てるのに必要な技術を身に着けないうちに学校をやめようとする若者がいます。あなたのお子さんがそうであるなら,親として何ができるでしょうか。こうしてみましょう。

教育に対する自分自身の見方を吟味する。あなたは学生時代に,学校は時間の無駄だと思っていましたか。もっと大切なことに没頭できる時まで耐えなければならない“刑務所”のようなものだ,と考えていたでしょうか。そのような見方は,お子さんに伝染しかねません。現実には,子どもは良い教育を通して,目標を達成するのに必要な「実際的な知恵と思考力」を身に着けることができます。―箴言 3:21

必要なものを与える。勉強の仕方を知らないために,あるいは学習環境が整っていないために成績の良くない子がいます。机の上を整理整頓し,十分な照明や辞書類を備える必要があるかもしれません。親は,子どもが新たに学んだ事柄をじっくり考えるための環境を整えてあげることによって,学業と霊的な面での進歩を助けることができます。―テモテ第一 4:15と比較してください。

積極的にかかわる。先生たちを,敵ではなく味方と考えます。直接会って知り合い,子どもの目標や問題について話しましょう。成績不振なら,原因を見極めるようにします。お子さんは,成績が良いといじめられる,と考えていますか。先生との間に溝があるのでしょうか。授業のレベルはどうですか。少し努力の要るレベルであるべきですが,圧倒されてしまうほどであってはなりません。さらに,視力が弱い,学習障害がある,といった身体的な原因も考えられます。

学業であれ霊的な面であれ,親が積極的にかかわるなら,子どもは進歩しやすくなるでしょう。―詩編 127:4,5

第1巻の19章を見てください

親元を離れる用意ができているかどうか,どうすれば分かるだろう。

この本の7章に出てくるセリーナは,親元を離れるのが不安です。理由の一つをこう述べています。「自分のお金で何かを買おうと思っても,父が許してくれません。『お父さんが払うから』って言うんです。なので,自分で生活費を払うようになる時のことを考えると心配です」。父親はよかれと思ってそうしているに違いありませんが,娘の自立の助けになっているでしょうか。―箴言 31:10,18,27

あなたのお子さんはいかがですか。もしかしたら,過保護にされて自立の準備ができていませんか。7章の「準備はできているか」という部分で取り上げられている四つの分野を,親の観点から考えてみましょう。

お金の管理。年長のお子さんであれば,法律に沿った納税の方法を知っていますか。(ローマ 13:7)クレジットカードを,責任を持って使うことができますか。(箴言 22:7)収入に基づいて予算を立て,収入の範囲内で生活できますか。(ルカ 14:28-30)自分で稼いだお金で物を買う喜びを味わったことがありますか。自分の時間や資力を用いて他の人を助けることから得られる大きな喜びを経験したことがあるでしょうか。―使徒 20:35

家事。女の子であれ男の子であれ,料理ができますか。洗濯やアイロンがけはどうですか。車を運転するのであれば,パンクしたタイヤの交換など,簡単なメンテナンスを安全に行なえますか。

人との付き合い。子どもどうしのいざこざが起きると,あなたがいつも仲裁に入って解決しようとしますか。それとも,自分たちで平和に話し合って問題を解決し,あなたに報告するよう,訓練していますか。―マタイ 5:23-25

霊的な習慣。お子さんに信仰を押し付けていますか。それとも,確信できるように助けていますか。(テモテ第二 3:14,15)宗教や道徳に関する質問にいつもあなたが答えてしまうのではなく,「思考力」を培えるように教えていますか。(箴言 1:4)あなたの個人研究の習慣に倣ってほしいと思いますか。それとも,もっとましな習慣を身に着けてほしいと思いますか。 *

こうした分野での訓練には多くの時間と労力が必要です。しかし,立派に成長した子どもが巣立ってゆく時,努力は豊かに報われるでしょう。

第1巻の7章を見てください

 性とデート

性について子どもに話すべきだろうか。

今の子どもはごく幼いころから性に関する情報にさらされています。聖書の予告によると,「終わりの日」は「対処しにくい危機の時代」であり,人々は「自制心のない者」や「神を愛するより快楽を愛する者」になります。(テモテ第二 3:1,3,4)この預言の成就の一面として,遊び感覚のセックスが広まっています。

世の中は,あなたの若かったころとは大きく異なっています。しかし,子どもが直面する問題は基本的に同じです。ですから,お子さんの周囲にある悪影響を与えるものに圧倒されたり,弱腰になったりしないでください。むしろ,約2,000年前の使徒パウロの勧めに従うよう,お子さんを助けましょう。パウロは,「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい」とクリスチャンに勧めています。(エフェソス 6:11)実際,多くの若いクリスチャンが,周囲の悪い影響にさらされながらも,正しい事柄を行なおうと立派に闘っています。どうすれば,お子さんもそうするよう助けることができるでしょうか。

一つの方法は,この本のセクション4や第2巻のセクション1と7から幾つかの章を選び,お子さんと話し合うことです。そこには,考えさせる聖句が載せられています。そうした聖句から,正しい事柄を固守して祝福を受けた人や,神の律法を無視してつらい目に遭った人の実例を学べます。また,原則を学ぶこともでき,子どもは,親と同じように神の律法に従って生きるのが大きな特権であることを理解できるでしょう。早速,こうした資料をお子さんと一緒に読んでみるのはいかがですか。

第1巻の23章25章32章第2巻の4-6章28章29章を見てください

うちの子にデートをさせてもよいだろうか。

あなたのお子さんも,遅かれ早かれデートの問題に直面します。フィリップはこう言います。「僕が何もしなくても,女の子のほうから誘ってきます。そういう時,『どうしよう』って悩みます。すごくかわいい子もいるので,断わりにくいんです」。

親としてできる最善のことは,デートについて子どもと話すことです。第2巻の1章を活用できます。学校やクリスチャン会衆で直面するデートの問題について,子どもがどう感じているかを知るようにしましょう。そういう話し合いは,「家で座るとき」や「道を歩くとき」など普段の何気ない機会に行なえます。(申命記 6:6,7)どんな場合でも,「聞くことに速く,語ることに遅く」ありましょう。―ヤコブ 1:19

お子さんが特定の異性に関心を持っていることが分かっても,慌ててはなりません。ある十代の女の子はこう述べています。「父は,わたしにボーイフレンドがいることを知って,かなりあせりました。『結婚する準備ができているのか』とか,何だかんだ言って,わたしを不安にさせようとしました。でも子どもは,そんなことをされると,『別れたりするもんか。親が間違ってることを証明してやる』って思うんです」。

子どもが『親とはデートの話なんかできない』と思っていると,残念なことになりかねません。親に隠れて付き合うようになるのです。ある女の子はこう言います。「親が過剰に反応すると,子どもはますます隠そうとします。やめたりはしません。こそこそ付き合うだけです」。

率直に話し合うほうが,ずっと良い結果になります。20歳のブリタニーはこう述べています。「うちの両親とはデートについて,いつもとてもオープンに話せます。両親にとって大切なのは,わたしの好きな人がどんな人かを知ることなんです。父はその人と話をします。気がかりな点があると,親はそれを教えてくれます。それでたいてい,デートまで行かないうちに熱が冷めてしまいます」。

第2巻の2章をお読みになって,『うちの子もわたしの知らないところでデートしているのだろうか』と思われたかもしれません。では,若い人たちは,なぜこっそりデートしようとするのでしょうか。若者のコメントを読んで,続く質問を考えてみてください。

「家で安心感が得られないので異性の友達に頼ろうとする子たちがいます」。―ウェンディ。

どうすればお子さんの感情的な必要を十分に満たしてあげられますか。改善できる点がありますか。

「14歳の時,交換留学生の男の子から付き合ってほしいと言われ,オーケーしました。肩に手を回してくれる男の子がいたらいいなって思ったんです」。―ダイアン。

ダイアンがあなたの娘だったら,どうしますか。

「携帯を使えば,こっそりデートするのは簡単です。何をしているか,親には全然知られません」。―アネット。

子どもが携帯電話を持っている場合,親はあらかじめ,どんなことができますか。

「子どもが何をしているか,だれと一緒にいるかを親がしっかり見守っていないなら,こっそりデートするのはすごく簡単です」。―トマス。

子どもにある程度の自由を与えながらも,もっと積極的に関心を払う方法がありますか。

「子どもだけを残してしょっちゅう家を留守にする親がいます。子どもにあまりにも寛容で,友達と自由に外出させる親もいます」。―ニコラス。

お子さんの親しい友達について考えてみてください。その子と一緒に何をしているか,本当に知っていますか。

「親が厳しすぎると,子どもは隠れてデートするかもしれません」。―ポール。

聖書の律法や原則を曲げずに,『道理をわきまえていることが知られるようにする』には,どうすればよいでしょうか。―フィリピ 4:5

「十代の初めごろ,わたしは自尊心が弱く,関心を示してもらいたくてたまりませんでした。近くの会衆の男の子とメールをするようになり,その子を好きになりました。『自分は特別な存在だ』という気持ちにさせてくれたんです」。―リンダ。

リンダの必要を家庭で満たしてあげるには,どうしたらよいでしょうか。

このセクションと第2巻の2章を基にして,お子さんと話し合うのはいかがですか。お子さんが隠し事をしないようにするには,心から率直に語り合うことが大切です。―箴言 20:5

第2巻の1-3章を見てください

 感情面での問題

子どもが自殺を口にする場合,どうしたらよいのだろう。

世界の幾つもの国で,若い人の自殺が非常に多くなっています。例えば日本では,15歳から25歳までの若者の死因の第1位は自殺です。自殺する危険性が高いのは,精神的な障害を抱えている若者,家族の中に自殺した人のいる若者,過去に自殺を図ったことのある若者です。自殺の兆候には以下のようなものがあります。

● 家族や友達との接触を避ける

● 食事や睡眠のパターンが変化する

● 好きだった事に興味を示さなくなる

● 性格が大きく変わる

● 薬物やアルコールを乱用する

● 大切にしていた物を人にあげてしまう

● 死について話す。死に関係した事柄ばかり考える

親が陥りやすい重大な間違いの一つは,こうした兆候を無視してしまうことです。どんな兆候も軽く見てはなりません。『一時的なものにすぎない』などと考えてはなりません。

お子さんにうつ病などの精神疾患がある場合は,ためらわずに助けを求めてください。自殺を考えているようなら,本人にそのことを尋ねてみましょう。自殺について話すと自殺したくなる,という考えは間違っています。親のほうがその話題を持ち出すとほっとする若者は少なくありません。自殺を考えていることを子どもから打ち明けられたなら,実行する計画を立てているか,どれほど具体的に計画しているかを知るようにしましょう。具体的であればあるほど,急いで手を打たなければなりません。

うつ状態は放っておけば自然に治まる,と考えてはなりません。治まったように見えても,問題が解決したとは限りません。むしろ,その時期のほうが危険と言えます。なぜですか。ひどいうつ状態の時は,自殺したくても,それを実行に移すだけの力がないかもしれません。しかし,憂うつな気持ちが和らいで活力が戻ると,自殺を実行してしまうことがあるのです。

若者たちが絶望のあまり自殺を考えるのは,本当に痛ましいことです。親や周囲の大人たちは,兆候に目ざとくあるなら,「憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ」て,若い人たちの避難所のような存在になることができます。―テサロニケ第一 5:14

第1巻の13章14章第2巻の26章を見てください

子どもに悲しみを見せないようにすべきだろうか。

配偶者を亡くすのは非常につらい経験です。とはいえ,そのような時は子どもも助けを必要としています。親は,自分の悲しみに対処しつつ,子どもが悲しみに呑み込まれないように助けなければなりません。どうしたらよいでしょうか。幾つかの点を考えてみましょう。

自分の気持ちを隠そうとしない。お子さんはあなたを見て,人生に関する貴重な教訓を学んでいます。悲しみにどう対処したらよいかも学びます。ですから,子どもに弱さを見せないよう悲しみを押し隠さなければならない,と考えてはなりません。あなたが悲しみを隠すと,お子さんもそうするようになるでしょう。逆に,あなたがつらい気持ちを言い表わすなら,お子さんは,つらい気持ちを抑えつけるよりも表わすほうがよいということを学びます。悲しみや失意や怒りを感じるのが自然であることも学びます。

気持ちを話すように勧める。無理強いを避けつつも,心のうちを話すように勧めましょう。ためらっているようなら,この本の16章を用いて話し合うことができます。さらに,亡くなった配偶者についての懐かしい思い出を話してあげましょう。これからの生活が大変だと感じていることを,正直に話しましょう。親が気持ちを言い表わすと,子どももそうするようになります。

自分の限界を認める。この困難な時期に子どもをしっかり支えたい,と思うに違いありません。しかし,あなたも,愛する配偶者を亡くして大きな痛手を受けています。そのため,しばらくは感情面・精神面・身体面の力がいくらか衰えるでしょう。(箴言 24:10)ですから,家族の中の大人や円熟した友の支えが必要です。助けを求めるのは賢明なことです。「知恵は,慎みある者たちと共にある」と箴言 11章2節も述べています。

いちばん大きな支えとなってくださるのは,エホバ神です。ご自分の崇拝者たちにこう約束しておられます。「わたし,あなたの神エホバは,あなたの右手をつかんでいる。あなたに,『恐れてはならない。わたし自らあなたを助ける』と言うその方が」。―イザヤ 41:13

第1巻の16章を見てください

子どもにダイエットについてバランスの取れた見方をさせるには,どうすればいいだろう。

子どもが摂食障害であるなら,親は何ができるでしょうか。まず,なぜ摂食障害になったのかを理解するようにしましょう。

摂食障害の人には,自尊心が弱い,完璧主義で自分に過大な要求をするといった傾向があるようです。親は,こうした傾向を助長しないように気をつけなければなりません。お子さんを築き上げてください。―テサロニケ第一 5:11

食べ物や体重に対するあなた自身の見方を吟味してみましょう。無意識のうちに言葉や行動で,それらを強調しすぎていませんか。若者は自分の外見を非常に気にする,ということを忘れてはなりません。感受性の強い若者は,ぽっちゃりした体形や体の急激な成長をからかわれたことがきっかけで,問題に陥ることがあります。

祈りのうちによく考えてから,心をこめてお子さんと話し合いましょう。その際,こうできます。

● 何を,いつ言うか,じっくり考えておく。

● 心配していて,助けになりたいと思っている,ということをはっきり伝える。

● 子どもがすぐに認めなくても驚かない。

● 辛抱強く耳を傾ける。

最も大切なのは,お子さんと一緒に問題に取り組むことです。回復のために家族みんなで協力しましょう。

第1巻の10章第2巻の7章を見てください

  霊性

思春期になってからも子どもに霊的価値観を教えていくには,どうしたらよいのだろう。

聖書によると,テモテは「幼い時から」霊的な訓練を受けていました。あなたも,お子さんにそのような訓練を与えてきたことでしょう。(テモテ第二 3:15)しかし,子どもが思春期に入ると,訓練の仕方を調整しなければならないかもしれません。子どもは成長とともに,複雑で抽象的な物事を理解できるようになるからです。これまで以上に子どもの「理性」に訴える必要があります。―ローマ 12:1

パウロはテモテへの手紙の中で,テモテが『学んで確信した』と述べています。(テモテ第二 3:14)お子さんも,幼いころから知っている聖書の真理を「確信」しなければなりません。子どもの心を動かすには,何をすべきか,何を信じるべきかを教えるだけでは不十分です。子どもが自分で学ぶ必要があるのです。そのために親は何ができるでしょうか。まず,次のような点を子どもが推論したり説明したりするための機会を積極的に設けましょう。

● 神の存在を確信できるのはなぜだろう。―ローマ 1:20

● 親が聖書から教えてくれていることが真理だと,どうすれば分かるだろう。―使徒 17:11

● 聖書の規準が自分の益になることを確信できるのはなぜだろう。―イザヤ 48:17,18

● 将来に関する聖書預言が成就すると,どうして言えるだろう。―ヨシュア 23:14

● この世には「キリスト・イエスに関する知識の優れた価値」に匹敵するものは何もない,と確信できるのはなぜだろう。―フィリピ 3:8

● キリストの贖いの犠牲は自分にとって何を意味しているのだろう。―コリント第二 5:14,15。ガラテア 2:20

『うちの子はこうした点に答えられないのではないか』と心配して,考えさせるのをためらいますか。それは,車のガソリンタンクが空になっているのではないかと心配して,燃料計を見るのをためらうようなものです。空であれば,対処できるうちに気づくほうがずっとよいでしょう。同様に,子どもがまだ親元にいる今こそ,真理を自分で調べて『確信する』よう助けるチャンスです。 *

「自分はなぜそう信じているんだろう」と子どもに考えさせるのは,間違ったことではありません。22歳のダイアンも十代の時にそのように考えました。こう言います。「あやふやなまま信じているのは嫌でした。はっきりした確かな答えを出していくにつれて,エホバの証人であることが好きになりました。自分がしないことについて質問された時はいつも,『わたしの宗教ではだめなの』と言うのではなく,『わたしはそれが正しくないと思うから』と答えました。聖書の見方をわたしの見方にしたんです」。

提案: 聖書の規準について子どもに理性的に考えさせるため,親の役を演じさせることができます。例えば,お子さんがパーティーに行く許可を求めてきたとします。あなたには(おそらく本人にも),それがふさわしくないことが分かっています。しかし,「だめ」と言う代わりに,こう言えます。「こんな時,あなたがお母さんの立場なら何と言うかしら。そのパーティーについて考えながら,(この本の37章第2巻の32章などの)資料を調べてみてね。あした,分かったことを話してくれる? お母さんがあなたの役をして『パーティーに行きたい』と言うから,あなたはお母さんの役をして,行ってもいいかどうか答えてね」。

第1巻の38章第2巻の34-36章を見てください

うちの子は霊的な事柄に対する関心を失ってしまった。どうしたらよいだろう。

まず,お子さんがあなたの宗教を退けた,と決めつけないでください。多くの場合,表面に現われていない何らかの理由があります。例えば……

● 友達からの圧力があり,聖書の原則に従って目立ってしまうことを恐れている

● クリスチャンとして立派にやっている若者(自分の兄弟も含む)と比較して,自分には無理だと感じている

● 友達が欲しいのに,仲間のクリスチャンたちに溶け込めず,寂しい思いをしている

● “クリスチャン”の若者が裏表のある生活を送っているのを見ている

● 自分らしくありたいという気持ちが強いため,親が大切にしている価値観に疑問を唱えずにはいられない

● クラスメートは悪いことを自由にやっているのに何もつらい目に遭っていない,と思える

● 信者でないほうの親の期待にこたえたいと思っている

このような場合,問題となっているのは,あなたの信条というよりも,信仰を実践するのを難しくする状況です。少なくとも現時点ではそう言えます。では,お子さんを力づけるために何ができるでしょうか。

妥協はしないが,柔軟に対応する。やる気をなくした原因を見定めましょう。霊的な元気を回復するための環境を整えてあげてください。(箴言 16:20)例えば,友達からの圧力に立ち向かえるよう,第2巻の132-133ページの「仲間の圧力への対策プラン」を用いて自信を持たせることができます。寂しい思いをしているのであれば,良い友達を作れるよう手助けする必要があるでしょう。

信頼できる相談相手を見つけてあげる。家族以外の大人からの励ましも力になります。霊的な見方を持っていて良い影響を与えてくれそうな人がいますか。そのような人と一緒に過ごす機会を作ってあげるのはどうですか。もちろん,親としての責任を放棄するわけではありません。テモテの例を考えてみてください。テモテは使徒パウロの手本から大きな益を得ました。そしてパウロも,テモテが共に働いてくれることから大きな益を得ました。―フィリピ 2:20,22

子どもが親元で暮らしている限り,親には,霊的な日課を守るよう子どもに求める権利があります。しかし,あなたの目標は,何かを機械的に行なわせることではなく,子どもの心の中にエホバへの愛を育てることであるはずです。お子さんが真の宗教を自分の生き方にできるよう,良い手本を示しましょう。過大な期待をかけてはなりません。信頼できる相談相手や励ましを与えてくれる友達を見つけてあげましょう。そうすれば,お子さんもやがて詩編作者のように,「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方なのです」と言えるようになるでしょう。―詩編 18:2

第1巻の39章第2巻の37章38章を見てください

[脚注]

^ 23節 とはいえ,子どもを罪悪感で動かそうとしてはなりません。

^ 64節 たいていの若者は体形を気にしているので,体形上の欠点をほのめかすような言い方は避けましょう。

^ 113節  315-318ページを見てください。

^ 188節 子どもが理性を働かせて神の存在を確信するのに,第2巻の36章も役立ちます。