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こんなふうに悲しみに暮れるのは正常なのだろうか

こんなふうに悲しみに暮れるのは正常なのだろうか

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こんなふうに悲しみに暮れるのは正常なのだろうか

ミッチェルは父親が亡くなった日のことを思い出します。「僕はひどいショックを受けていました。……『そんなこと,本当であるはずがない』と,独り言を言いつづけました」。

もしかしたらあなたの愛する人 ― 親,兄弟,姉妹,友達 ― も亡くなったところかもしれません。そしてあなたもその死を悲しむと同時に,怒りや混乱や恐れさえ感じているかもしれません。どんなにがまんしようとしても,涙をおさえることができません。あるいは逆に悲しみを内にじっと閉じ込めているかもしれません。

愛する人を亡くした時,反応が感情的になるのはごく当然のことです。イエス・キリストでさえ,親しい友が死んだことを知った時,「涙を流され」,心の中で『うめかれ』ました。(ヨハネ 11:33-36。サムエル第二 13:28-39と比較してください。)ほかの人たちも自分と同じような気持ちを味わってきたことに気づけば,死の悲しみに対処しやすいかもしれません。

現実を否定する

最初はぼう然とすることでしょう。そして心の奥では,これがただの悪夢であればいいのに,そうすればだれかに起こされて目を覚ましてみたら,変わったことは何もなかったということになるのに,と思っているかもしれません。例えば,シンディーの母親はガンで亡くなりました。「母が亡くなったことがまだ本当とは思えないのです。以前なら母と話し合っていたような事柄が起きると,思わず,『これはお母さんに話さなくては』と言ってしまいます」と,彼女は語りました。

遺族は愛する者が死んだことを否定する傾向があります。路上や,通り過ぎるバスの中や,地下鉄の中などで,思いがけなく故人を見かけたとさえ考えるかもしれません。少しでも似ていると,もしかしたら何もかも思い違いだったのかもしれないという希望をかき立てられることもあります。忘れないでください。神は人間を,死ぬようにではなく生きるように造られたのです。(創世記 1:28; 2:9)ですから,死んだことを認めにくいのは,別に異常なことではありません。

「どうしてこんな仕打ちができるのかしら」

死んだ人に少しばかり憤りを感じるとしても驚く必要はありません。「母が亡くなった時,『お母さんは自分が死ぬことを私たちに少しも教えてくれなかったわね。急にいなくなってしまったのね』と,よく独り言を言いました。なんだか捨てられたような気持ちになったのです」と,シンディーは述懐しました。

兄弟または姉妹の死も,同じような感情をかき立てることがあります。「死んだ人に憤りを感じるなんて,ばかげたことかもしれないわ」と,カレンは説明します。「でも,姉が亡くなった時,私は憤らずにはいられませんでした。『よくも私を独りぼっちにして死ねたわね。どうしてこんな仕打ちができるのかしら』と,頭の中で言い続けました」。兄弟または姉妹が死ぬと非常な苦痛を味わうため,死んだ当人に腹を立てる人がいます。または死ぬ前に家族がその兄弟または姉妹にかかりきりになったので,自分は構ってもらえなかったと感じる人,あるいは憤りさえ覚える人もいます。悲しみに暮れた両親が,さらに子供を失うことを恐れて急に過保護になると,これも故人への敵意をかき立てる可能性があります。

「……してさえいたら」

罪悪感という反応が表われることもよくあります。疑問や疑いが次々にわいてきます。『自分たちにできることが何かもっとあったのだろうか。別の医師に診てもらうべきだっただろうか』。それから,いろいろな「……してさえいたら」があります。『もっと仲良くしてさえいたら』,『もっと親切にしてさえいたら』,『私が代わりに買い物に行ってさえいたら』。

ミッチェルは言いました。「父にもっと辛抱強く接し,父をもっとよく理解してあげ,父が帰宅したとき楽なように,もっとしっかり家の事をしていればよかったと思います」。またエリーサは,「母が病気になって急に亡くなった時,お互いのわだかまりはそのまま残ってしまいました。今になって,本当に悪かったと思っています。母に言うべきだったこと,言うべきでなかったこと,間違いをしたことなど,あれこれ思い出します」と言いました。

あなたは起きた事柄に自責の念さえ覚えるかもしれません。シンディーは,「母と何度も言い争い,母に非常なストレスを感じさせて,本当に悪かったと思います。母が病気になったのはその大きなストレスのせいだったのかもしれないと思いました」と語りました。

「友達に何と言ったらよいか」

夫を亡くしたある婦人は,年若い息子について次のように述べました。「ジョニーは父親が死んだことを他の子供たちに話すのをいやがりました。それを話すと気まずい思いをさせられたのです。そういう思いをさせられるだけなので腹が立ったのです」。

「家族の中の死と悲しみ」という本にもこう書かれています。「[あとに残った]兄弟姉妹にとって多くの場合極めて重要な問題は,『友達に何と言ったらよいか』ということである。故人の兄弟姉妹は,自分の経験している事柄を友達は理解してくれないと感じることがよくある。肉親を失ったことの重大さを分かってもらおうとしても,ぽかんと見つめられたり,おかしそうな顔をされたりするかもしれない。……そのため,残った兄弟姉妹は,つまはじきされ,孤立しているように感じることがあり,時には自分は変なのだろうかと思うことさえある」。

しかし,悲しむ友達に何と言ってよいか分からなくて黙っている場合があることも知らなければなりません。その人たちも,あなたが肉親を失ったのを見て,自分も愛する者を失う可能性があることに気づかされるかもしれません。そういうことを考えるのがいやで,あなたを避ける人もいるでしょう。

悲しみに立ち向かう

自分が悲しむのは正常なのだということを知っていれば,悲しみと闘う上で大きな助けになります。しかし,現実を否定し続けるなら,悲しみを長引かせるだけになります。時々家族は,亡くなった人が今にも食事に来るかのように,食卓の席を一つあけておくことがあります。しかしある家族は違うやり方をしました。母親は,「前のような順序で台所の食卓につくのをやめたのです。主人がデービッドのいすに移ったおかげで,あいた席が埋まり,空虚な感じがなくなりました」と語りました。

しかし,言うべきだった事やすべきだった事,あるいは言うべきでなかった事やすべきでなかった事があるにしても,愛する人の死亡の原因は大抵そういうところにはないということを自覚するのも助けになります。それに,「わたしたちはみな何度もつまずくのです」。―ヤコブ 3:2

自分の気持ちを聞いてもらう

アール・グロールマン博士は,「相反する感情が自分の内にあることを認めるだけでは足りない。その感情を隠さずに処理しなければならない。……それは人々に自分の気持ちを聞いてもらう時である」と述べています。したがって,それは人を避けて閉じこもる時ではありません。―箴言 18:1

グロールマン博士によれば,悲しみを抑えると,「苦悩を長引かせ,悲しみの推移を遅らせる」だけです。「よく話を聴いてくれる人,自分のさまざまな感情は深い悲しみに対する正常な反応であることを理解してくれる友人を見つけなさい」と博士は勧めます。親,兄弟,姉妹,友達,あるいはクリスチャン会衆の長老などは,普通大きな支えになります。

では,泣きたくなったらどうしますか。グロールマン博士はさらにこう述べています。「人によっては,涙が感情的な緊張をほぐす最善の療法となる。女性や子供たちばかりでなく,男性にとってもそうである。泣くことは,苦悶を和らげ,苦痛を除く自然な方法である」。

家族が協力する

死の悲しみに遭遇したとき,両親は大きな助けになります。そしてあなたもご両親の助けになれます。例えば,英国に住むジェーンとサラは,23歳になる兄のダラルを失いました。二人はどのようにして悲しみを乗り越えたでしょうか。ジェーンはこう答えました。「家族は4人になったので,私は父のところへ行って何でも一緒に行ない,サラは母と何でも一緒に行ないました。そういう方法をとって,一人にならないようにしました」。ジェーンは次のことも思い出しました。「私はそれまで父が泣くのを見たことがありませんでした。父は2回ほど泣いていました。それはある意味では良いことでした。振り返ってみると,その場にいて父を慰めてあげられただけでもよかったと,今では思います」。

支えとなる希望

英国に住む青年デービッドは,13歳の妹ジャネットをホジキン病で亡くしました。「私にとって非常にためになったのは,葬式の話の中で引用された一つの聖句でした。それはこういう聖句です。『なぜなら,神は人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼,すなわちイエスを死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです』。話し手は復活に関し『保証』という言葉を強調しました。それは葬式が終わったあとの私にとって大きな力になりました」。―使徒 17:31。マルコ 5:35-42; 12:26,27。ヨハネ 5:28,29。コリント第一 15:3-8参照。

聖書が与える復活の希望があれば,悲しみが消え去るというわけではありません。愛する者を忘れることは決してないでしょう。それでも多くの人は聖書の約束に真の慰めを見いだし,その結果,愛する者を失った悲しみから徐々に立ち直るようになりました。

討論のための質問

□ 愛する者を亡くして悲しむのは当然だと思いますか

□ 悲しむ人はどんな感情を経験するでしょうか。なぜですか

□ 悲しむ若者が自分の気持ちと闘うことができるようになる方法を幾つか挙げてください

□ 愛する者を亡くした友達をどうしたら慰められるかもしれませんか

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「母が亡くなったことがまだ本当とは思えないのです。……思わず,『これはお母さんに話さなくては』と言ってしまいます」

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「母が亡くなった時,『お母さんは自分が死ぬことを私たちに少しも教えてくれなかったわね。急にいなくなってしまったのね』と,……独り言を言いました。なんだか捨てられたような気持ちになったのです」

[129ページの図版]

「こんなことが私に起きるなんて信じられないわ」

[130ページの図版]

愛する者を亡くしたときには,同情心のある人の支えが必要