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飲酒 ― どうしていけないのか

飲酒 ― どうしていけないのか

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飲酒 ― どうしていけないのか

『アルコールを飲んではいけないのだろうか。本当に害があるのだろうか。それとも,自分だけが飲んではいけなくて,大人は飲んでも構わないのだろうか』。こうした疑問が頭に浮かぶのは当然かもしれません。結局のところ,親が飲酒を楽しんでいるかもしれません。自分と同年代の多くの若者も(法的な年齢制限があるにもかかわらず)飲んでいます。テレビ番組や映画は,飲酒を魅力的なものに見せます。

適度にたしなむ分には,アルコールは確かに喜びをもたらします。聖書は,ぶどう酒が心を楽しませることや,食事の味を引き立てることを認めています。(伝道の書 9:7)しかし誤用すればアルコールは,親や教師や警察などとのけんかから果ては早死にに至るまで,種々の重大な問題を引き起こす原因になります。「ぶどう酒はあざける者であり,酔わせる酒は騒がしい。それによって迷い出る者はみな知恵がない」と聖書が述べるとおりです。(箴言 20:1)ですから,飲酒に関して責任ある決定を下すのは大切なことです。

しかし,あなたはアルコールとその影響について実際にどの程度知っていますか。次のテストをすれば,その答えが分かります。以下の文に正誤を記してください。

1. アルコール飲料はおもに興奮剤の働きをする……__

2. アルコールは量の多少にかかわらず人体に害を及ぼす……__

3. アルコール飲料 ― 蒸留酒,ぶどう酒,ビール ― は皆同じ速度で血流中に吸収される……__

4. ブラックコーヒーを飲むか,または冷たいシャワーを浴びると酔いが速く覚める……__

5. 同量のアルコールを飲めば,だれでも同じ影響を受ける……__

6. 酩酊とアルコール中毒は同じである……__

7. アルコールと他の鎮静剤(精神安定剤など)を一緒に飲むと相乗作用がある……__

8. 「ちゃんぽんに」飲むと酔わない……__

9. 体はアルコールを食物と同じように消化する……__

では,あなたの回答を270ページにある答えと比較してください。アルコールに対するあなたの見方には間違ったところがありましたか。もしあったなら,アルコールに関する知識の不足は命取りになりかねないことを肝に銘じておきましょう。使用を誤るとアルコールは「蛇のようにかみ,まむしのように毒を分泌する」と,聖書は警告しています。―箴言 23:32

ジョンは十代の時に結婚しました。ある晩,若い妻とけんかをして家を飛び出したジョンは,酒に酔いつぶれてしまうつもりでした。ウオツカを半リットル近くあおった末,ジョンは昏睡状態に陥りました。もし医師や看護婦の手当てがなかったら,ジョンは死んでいたかもしれません。多量のアルコールを一気に飲むと命取りになりかねないことをジョンは知らなかったようです。アルコールの影響についての知識がなかったために危うく命を落とすところでした。

反作用

これはアルコールが及ぼす極めて油断のならない影響の一つです。アルコールは抑制剤にはなっても,興奮剤とはなりません。酒を飲むと気分が高揚するように感じられるのは,アルコールが不安度を抑制もしくは低下させるからです。酒を飲む前よりも,気分がくつろぎ,悩みや心配も和らぎます。適度の量であれば,アルコールは人に少しばかり『自分の難儀を忘れさせる』働きをします。(箴言 31:6,7)例えば,ポールという名の若者は家庭の問題から逃れたいと思って酒を飲みました。「僕は酒を飲むことが,自分にのしかかってくる圧力から逃れる一つの方法であることを非常に早いうちに知りました。酒を飲むと気分がほぐれました」と,ポールは語っています。

何も害はなかったということでしょうか。そうではありません。アルコールには反作用があります。2時間ほどたって,アルコールの鎮静作用が消失するころ,不安度はまた逆戻りします。しかも常態に戻るのではなく,酒を飲む前よりも不安度はずっと高くなるのです。前よりも不安がいっそう募るか,緊張がさらに高まります。アルコールの禁断症状は12時間ほど続くかもしれません。なるほど,また酒を飲めば不安度は再び下がるでしょう。しかし2時間ほどすればまた上がり,今度は前よりも高くなります。そのようにして,表面的に高揚した状態とますます沈んだ状態の悪循環となります。

ですから,長い目で見れば,アルコールは実際に不安を和らげるものではなく,不安を増すものと言えるかもしれません。それにアルコール分が消失しても,問題はやはりそのまま残っています。

感情面の成長が阻害される

中には,アルコールを飲むと調子が良くなるという人もいます。例えばデニスは,ひどいはにかみ屋で,人と簡単な会話を交わすことさえ難しく感じていました。しかしその後,ある事を発見しました。「お酒を二,三杯飲むと気分がほぐれました」と,デニスは言います。

問題は,デニスのように困難な状況から逃げだすことによってではなく,そうした状況に立ち向かうことによって人は円熟するということです。若者の時に問題に対処することを学ぶのは,大人になってから直面する試練のリハーサルのようなものです。ですからデニスは,結局アルコールの効果が一時的なもので,自分の内気な性格を克服する助けとはならないことに気づきました。「しらふになるとまた殻に閉じこもりました」とデニスは言います。それから何年もたった今はどうでしょうか。デニスは続けてこう言いました。「僕は純粋に自分のレベルで人々と対話をする方法を本当の意味で身につけることはありませんでした。そのようにして成長が阻害されたのだと思います」。

アルコールを支えにしてストレスに対処しようとする場合も同じです。十代の時にそのことを行なったジョーンという女性は,「最近,ある事情があってストレスを感じた時,『いま一杯飲めたらいいのに』と思いました。一杯飲むと事態をうまく扱えると思うのです」と言いました。しかしそうではないのです。

ニューヨーク州医学ジャーナル誌に掲載された一記事は,こう述べています。「薬物[アルコールを含む]が,学問や社会や人間関係における難しい状況を緩和するための手段となれば,そうした状況に対処する健全な技術を身につける必要が失われる。その影響は大人になるまで感じられないかもしれないが,大人になっていざ個人的に親しい関係を確立しようとするときに,それに困難を感じ,感情的に孤立する場合が多い」。ですから,問題や難しい状況と直接に取り組み,またそれを処理するほうがはるかに良いのです。

「イエスはそれを受けようとされなかった」

イエス・キリストの模範を考えてみましょう。イエスは,地上での生活の最後の晩に,甚だしい緊張を伴う試練に耐えられました。裏切られ,逮捕されたイエスは,次々となされる尋問に耐えられました。それらの尋問では,イエスに対するさまざまな偽りの訴えがなされ,その晩イエスは一睡もされないまま,ついに刑柱にかけられるべく渡されたのです。―マルコ 14:43-15:15。ルカ 22:47-23:25

イエスはその時,ご自分の感覚を鈍らせるもの,つまり,その困難な状況に対処しやすくなるように気分を変化させる物質を勧められました。聖書はこう説明しています。「彼らは没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが,イエスはそれを受けようとされなかった」。(マルコ 15:22,23)イエスはご自分の精神能力をすべて保持していることを望まれました。この苦境に正面から立ち向かうことを望まれたのです。イエスは逃避などする人ではありませんでした。しかし後ほど,のどの渇きをいやすため,薬物の混入されていない適量と思われるぶどう酒を勧められたときには,イエスはそれをお受けになりました。―ヨハネ 19:28-30

これに比べると,あなたが経験する問題や圧力やストレスはないのも同然に思えるかもしれません。それでもイエスの経験から貴重な教訓を学ぶことができます。気分転換になるもの(アルコールなど)を利用して問題や圧力や不愉快な状況を切り抜けようとせずに,問題と直接に取り組むほうがずっとよいのです。生活の諸問題に対処する経験を多くすればするほど,問題を解決するのが上手になります。ですからあなたは健全な感情構造を持つ大人になるでしょう。

法定年齢に達したなら,時折適度に酒を飲むかどうかを(恐らくご両親と共に)決めることになるでしょう。事実をよく知った上で,賢明な判断を下すようにしましょう。もし飲まないことにすれば,弁解する事は何もありません。しかし,法定年齢に達していて,飲むことに決めたなら,責任ある飲み方をしてください。逃避するために,あるいは空元気を出すために酒を飲んではいけません。聖書は,簡潔かつ率直な言葉で,「酒を飲み過ぎると,人は騒がしく愚かになる。酒に酔うのは愚鈍なことである」と助言しています。―箴言 20:1,「今日の英語訳」。

討論のための質問

□ 多くの若者はなぜアルコール飲料を飲むようになりますか

□ アルコールに関して普通どんな誤った考えがありますか

□ 酒を飲んで運転することには,どんな危険が伴いますか

□ 問題から逃避するためにアルコールを用いることには,どんな危険がありますか

□ 若い人は問題にぶつかったら,どのように行動すべきですか。答えの理由を述べてください

[268ページの拡大文]

酒を飲む若者は,表面的に高揚した状態とますます沈んだ状態の悪循環に陥る恐れがある

[271ページの拡大文]

「僕は純粋に自分のレベルで人々と対話をする方法を本当の意味で身につけることはありませんでした。そのようにして成長を阻害されたのだと思います」― 十代の時にアルコールを乱用した若者

[264ページの囲み記事]

『飲酒を始めたきっかけ』

十代の時に酒を飲んでいた人たちとのインタビュー

聞き手: どんなきっかけで飲酒を始めたのですか。

ビル: 僕の場合,最初は自分の属していたグループのせいでした。飲むこと,特に週末に飲むのは“ナウ”なことだったのです。

デニス: 僕が飲むようになったのは14歳のころです。父はかなり飲むほうで,家ではいつもカクテルパーティーが開かれていました。子供心に,飲酒は社交に付き物なのだと思いました。大きくなると,向こう見ずなグループに加わり,酒はしょっちゅう飲みました。仲間に認められたいと思ったからです。

マーク: 僕はスポーツに夢中になっていました。飲酒を始めたのは確か15歳ごろで,バスケットボール・チームの仲間たちが一緒でした。興味本意で始めたと思います。

ジョーン: 私はテレビから大きな影響を受けました。よく登場人物がお酒を飲んでいる場面を目にしましたが,すごく素敵なことに思えました。

ポール: 父はアル中です。今になってみると,家の中にとても多くの問題があったのはアルコール中毒のためだったということが分かります。僕はそれから逃れようとしていました。皮肉なことに,それが一つのきっかけとなって,僕は飲酒に心を向けるようになりました。

ジョーン: 私の両親は普段はあまり飲みませんでしたが,父について覚えていることが一つあります。父は,社交の場で自分がどれほどたくさん飲めるかを自慢していました。私もそういう態度を幾らか身につけるようになり,自分は別格だと考えていました。ある時,私は友人たちと酒宴を開き,何時間も飲みました。しかし私はほかの人のようには酔いませんでした。『私はお父さんそっくりだ』と思ったのを覚えています。きっとアルコールに対する父の態度に影響されていたのだと思います。

聞き手: でも,酩酊するまで飲む人が多いのはどうしてでしょうか。

マーク: 飲む理由がそこに,つまり酔うことにあるからです。実際,味は好きではなかった。

聞き手: では効果をねらって飲んだのですか。

マーク: そうです。

ハリー: 僕の場合もそうです。はしごを上っているようなもので,飲むたびに,さらに上に,つまりはしごの次の段に達します。

[270ページの囲み記事]

正誤テストの解答(263ページ)

1. 誤り。アルコールはおもに抑制剤。アルコールは不安度を抑制,つまり低めるので,酒を飲む前よりもくつろいだ,心配の和らいだ気持ちにさせて,人を高揚した気分にならせる。

2. 誤り。適度に,あるいは少量のアルコールを飲む分には,体には何ら重大な影響はないようである。しかし,長期にわたる深酒は,心臓や脳,肝臓その他の器官に害を及ぼすことがある。

3. 誤り。蒸留酒もしくは火酒は一般にぶどう酒やビールよりも吸収が速い。

4. 誤り。コーヒーを飲むと眠けが取れ,冷たいシャワーを浴びると体がぬれるだけで,アルコールは肝臓によって代謝されるまで血流中にとどまる。その代謝速度は1時間にアルコール約14㌘である。

5. 誤り。体重とか,物を食べていたかどうかなどのさまざまな要素が,アルコールの影響を左右することがある。

6. 誤り。酩酊は,飲みすぎた結果を表わす。アルコール中毒は,飲酒に対する抑制力を失うのが特徴。しかし,酩酊する人が皆アルコール中毒であるというわけではなく,アルコール中毒の人がみな酩酊するわけでもない。

7. 正しい。ある薬物は,アルコールと一緒に取り入れると,アルコールや薬物だけの場合に生じる通常の反応よりも,はるかに大きな反応を引き起こす。例えば,アルコールと精神安定剤つまり鎮静剤を一緒に飲むと激しい禁断症状を示したり,昏睡状態に陥ったりすることがあり,死ぬことさえある。したがって,1杯の酒プラス1個の錠剤は,想像をはるかに超えた影響を及ぼす。その薬物の影響は実に3倍,4倍,10倍,あるいはそれ以上になる。

8. 誤り。酩酊しているかどうかは,ジンであろうと,ウイスキーやウオツカであろうと,飲んだ酒のアルコールの総量によって決まる。

9. 誤り。ほとんどの食物はゆっくり消化されなければならないが,アルコールにはその必要がない。約20%は胃壁を通ってすぐに血流の中に入る。残りは胃から小腸に行き,そこから血流中に吸収される。

[266,267ページの囲み記事/図版]

飲酒と運転 ― 致命的な取り合わせ

「16歳から24歳までの若者の死因のトップは酔っぱらい運転」であると,米国で発表された「青少年の飲酒運転に関する全国会議報告書1984年版」は述べています。実際,「十代の若者がアルコールに関係した衝突事故を起こす可能性は,他のドライバーの場合より4倍も高い」のです。(「ちょっと便乗」)そのような起きなくてよい死亡事故が起きるのは,アルコールに関する多くの誤った通念が根強く残っていることにも原因があります。ここに,その代表例を幾つか挙げてみましょう。

誤った通念: ビールを一,二杯飲んだだけなら運転しても危険はない。

事実: 「355cc入りの缶ビール2本を1時間以内に飲んだ場合,その量のビールに含まれるアルコールによってドライバーの反応は5分の2秒遅くなり,時速90㌔で走っている車の制動距離は10㍍延びることになる ― ニアミスかさもなければ衝突であろう」― ジェームズ・L・マルフェティ教育学博士,ダーレン・J・ウィンター哲学博士共著,「壮年のための交通安全とアルコール計画の発展」。

誤った通念: 自分が酔っていると感じない限り運転しても差し支えない。

事実: 自分の感覚に頼るのは危険。アルコールを飲むと,自分は快適な状態にあるという錯覚を起こし,実際には能力が落ちているのに,しっかりしていると感じる。

酒を飲んで運転するのはだれにとっても危険ですが,若者にとってはいっそう危険なことと言えます。酒を飲んだ若者の運転ぶりが「酒を飲んだ大人の運転ぶりよりも急速に悪くなるのは,若者にとって運転は学んで間のない技能であり,大人ほど板についていないからである。要するに,十代の若者の大半はドライバーとしても未熟であり,酒飲みとしても未熟である。酒を飲んで運転する点ではそれ以上に未熟である」。―ダーレン・J・ウィンター哲学博士著,「壮年,交通安全とアルコール計画の指導者のための手引き」。

さらに,若者は大人に比べて少ない量のアルコールで酔います。若い人々は大抵大人ほどの体重はありません。体重が軽ければ,飲んだアルコールを薄める体液もそれだけ少ないわけです。血流内のアルコール濃度が高ければそれだけ酔いもひどくなります。

「災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける」。(箴言 22:3)酒を飲んで運転することの危険は分かっているのですから,その二つを決して一緒にしないことを自分に誓うなら,あなたは「明敏」です。そうすれば,体が不自由になるようなけがや,致命傷を負わずにすむだけでなく,他の人の命にも敬意を示すことができます。

さらに,次のことも決意しましょう。(1)酒を飲んでいるドライバーの車には決して乗らない。(2)友達が酒を飲んでいるなら決して運転をさせない。友達は機嫌を損ねるかもしれませんが,正常な状態に戻ったときには,あなたがしたことを感謝するでしょう。―詩編 141:5と比較してください。

[図版]

酒を飲んでいるドライバーの車には決して乗らない。友達が酒を飲んでいるなら決して運転をさせない

[262ページの図版]

仲間やテレビ,また時には親の影響もあって飲酒を始める若者もいる

[265ページの図版]

誤用するとアルコールは『蛇のようにかみつく』ことがある

[269ページの図版]

飲酒運転はしばしばこのような結果を招く