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全世界の報告

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アフリカ

干ばつ,飢きん,極度のインフレ,禁令,宗教的な反対などにもかかわらず,アフリカの兄弟たちは,「エホバに感謝し,そのみ名を呼び求め,その行ないをもろもろの民の中で知らせよ」という詩編 105編1節の言葉どおりのことを,忠実に行ない続けています。その熱意は他の多くの人に伝わりました。

ベニンに住む二人の兄弟は,国内の辺ぴな地方に特別開拓者として任命されたことを喜びました。そこは王国会館もなく,集会も開かれておらず,他の兄弟姉妹もいない区域です。二人は到着して2週間後,「集会を開いていなければ,人々は招待されても出席できない」という結論に達しました。そこで二人は五つの集会をすべて開くようになりました。最初の月の終わりごろには,関心を示す人が二人出席するようになっていました。2か月後,開拓者たちは王国会館を建てる必要があることに気づきました。関心を持つ人の一人が土地を寄付し,もう一人が建設資材を調達しました。3週間後,王国会館はまだ完全には出来上がっていなかったにもかかわらず,特別講演に40人が出席しました。記念式には71人が出席しました。同じ月に,巡回監督の公開講演を聞くために113人が詰めかけました。こうしたことすべてが,わずか5か月のうちに起きたのです。

エホバの証人が力を合わせて王国会館を建設している様子を見て驚きを隠せない人は少なくありません。南アフリカに住むローマ・カトリック教会の一司祭は次の点を認めました。「バチカンに行ったことはありますが,このようなことは見たためしがありません。いろいろな人種の人たちが力を合わせて仲良く働いています。黒人指定地区では白人は攻撃の的になっていますが,白人たちが命を危険にさらしながら黒人のための建設を行ないに黒人居住地区にやって来るのです」。

エホバは,わたしたちが奉仕のうえに祝福を願い求めることを喜んでくださいます。しかし祝福を受けるには,当然,信仰に動かされ,神への奉仕を拡大したいという願いを示さなければなりません。ナイジェリアに住むある証人は,それが自分の場合にどのように当てはまったかを次のように話しました。「1988年8月の開拓奉仕学校で,必要の大きな所での奉仕について聞きました。その時から移動のためのお金を蓄え,1989年の3月に仕事をやめる計画を立てました。昇進する機会を差し伸べられていたのですが,私は雇い主の所へ行き,田舎の地域に移動して伝道活動に参加する計画であることを伝えました。雇い主は,『何を考えているんだ。苦労するだけだぞ。家に帰って,よく考えるんだな』と言いました。

「家に帰って,テーブルの上に2枚の身分証明書を並べました。1枚は開拓者身分証明書,もう1枚は仕事の身分証明書です。私は二つの価値をじっくりと計ってみました。詩編 90編10節が頭に浮かびました。人生は平均わずか70年です。特に力強い人でなければ,80歳まで生きることはできません。当時私は30歳でしたので,計算するとあと40年しか残っていませんでした。年間の所得に40を掛けてみても,そのお金では車を買うことさえできないことに気づきました。このまま仕事を続けても何かが達成できるわけではない,と考えました。それで私は雇い主のところへ再び行き,辞表を提出しました。『正気なのか。飢え死にするぞ』と雇い主は言いました。退職して以来,私は国内の三つの場所で奉仕しました。うれしかったのは,二つの会衆の設立に貢献できたことです。つい先日,以前の雇い主に会った時,真っ先にこう言われました。『おれをだましたな。給料はもらわないなんて言っておいて,ずいぶん景気が良さそうじゃないか』」。

1992奉仕年度中,ザイールでは過去最大の証言が行なわれました。6万7,000人を上回る謙遜な伝道者たちは,政治的,社会的,経済的な大変動に阻まれることなく,忙しく良いたよりを宣べ伝えて弟子を作り続けました。聖書研究生が14万人以上,記念式の出席者が30万人近くいるということは,将来の増加の可能性を示しています。ザイールの兄弟たちは極度のインフレと内紛のため困難を経験していますが,1991年9月に反乱がきっかけとなって主要な人口密集地で商店の略奪が起きた時には,雄弁な証言が行なわれました。日曜日に教会に行っていた何千人もの“クリスチャン”が月曜日と火曜日には,かき集められる限りの略奪品を狂ったようにかき集め,そのうえ何度も子供たちを使って物を奪わせては盗んだ品物を家に持って来させました。騒ぎの後,牧師が新品の服と日用品を手に入れているのを見かけたと言う人が何人もいます。しかしエホバの証人は物を盗んだり,盗んだ物を受け取ったりはしませんでした。シャバ州のシンフォーでは,ある教師が,略奪行為に加わらなかったのはどこの教会かと生徒たちに尋ねました。すると,生徒たちは口をそろえて「エホバの証人です。エホバの証人は盗んだ食べ物を食べようとさえしません」と答えました。

「神を探求する人類の歩み」の本はコートジボワールでたくさん配布されています。その国のある姉妹はこう語っています。「聖書研究を司会していたとき,研究生から,『創造者はただ一人しかおられないのに,どうしてこれほど多くの宗教があるのですか』と尋ねられました。私は,『神を探求する人類の歩み』の本を勧めました。研究生は目次にざっと目を通しただけで驚いてしまいました。そして,『エホバの証人の皆さんはどんな質問にも答えてくれます。皆さんは真理を解明するかぎを持っておられるのだと思います。でも,私には難しすぎて実行できません。規則があまりに多いんです』と言いました。私は,『エホバのおきては重荷ではない』というヨハネ第一 5章3節に注意を向け,エホバがいろいろな規則を取り決めておられるのは私たちの身体的また霊的福祉を気遣っておられるからだ,と言い添えました。そして,『徹底的に聖書を研究すれば,神が定められたそうした規則の価値が分かるようになりますよ』とはっきり言いました。研究生は納得し,真理に対して心からの認識を示しています」。

アフリカの証人たちには,エホバに感謝する特別な理由があります。エチオピア,ガーナ,ケニア,コンゴ,ザンビアトーゴ,ルワンダで,エホバの証人の活動に対する法的な制限が解かれたからです。このおかげで,兄弟たちは以前より容易に王国を宣べ伝えることができるようになりました。エホバは確かに,『獄のかんぬきを打ち壊す』ことによって,正直な心を持つ人々にご自分の組織に入って来る機会を与えておられます。―イザヤ 43:14

このうちの一つの国での経験ですが,ある兄弟は以前巡回監督また地域監督として奉仕していましたが,老齢の両親の世話をするためその奉仕をやめることになりました。その時にはバプテスマを受けた親族は一人しかいませんでしたが,その後これまでにさらに4人がバプテスマを受けました。そのうちの一人はこう嘆きました。「もし僕がもう少し早く真理を知っていたら,僕が父と母の面倒を見て,君は旅行する奉仕を続けることができたのに」。その兄弟はこう答えました。「村に帰ることにはなったけれど,親族が真理を受け入れるのを見て満足と幸福を味わっているんですよ」。

別の国でのこと,ある兄弟は警備の仕事をしていたため,神権的な活動に十分参加することができませんでした。有給休暇分の給与をもらった時,経理係が2倍のお金を入れていることに気づきました。当然,兄弟は経理係に間違いを知らせ,余分なお金を返しました。経理係はこれを経営者に報告しました。経営者は兄弟の正直さを保証する証明書を書き,会社の記録に残しました。しばらく後に会社が会計係を募集したとき,従業員約30人が申し込みました。申込者の大多数は十分に資格のある,しかも社内で影響力が強い人たちの後押しのある人々でした。申込者のファイルに目を通していた経営者は,この兄弟が警備員として雇われてはいるものの会計士の資格を持っていることに気づきました。経営者は休暇給与の件で兄弟が示した正直さを覚えていて,この兄弟に会社の会計係の立場を与えてそれに報いました。今ではこの兄弟は夜勤をする必要もなくなり,神権的な活動に携わる時間が増え,それに加えて給料が上がるなど他の益もありました。

アジア

「エホバは神たる者であり,わたしたちに光を与えてくださる」。(詩編 118:27)確かに,エホバからの光はアジア全域の神の民の上にきらめいています。

インドのある開拓者の夫婦は,バスで未割り当て区域に着いたとき,その日の公式の証言を始める前にお茶を飲むため喫茶店に立ち寄りました。二人がお茶を飲みながら店の女主人に証言したところ,彼女と二人の子供との聖書研究が始まりました。最初,夫は研究に反対していましたが,やがて研究に同席するようになりました。その後,家から出ていた長女が戻って来ました。長女は初めのうち,エホバの証人の教えに反論し,研究に反対していましたが,結局,聖書研究に加わるようになりました。地元の幾つかの教会は,この家族が行なっていることに不快感を覚え,研究をやめさせるため一丸となって圧力をかけました。この家族の喫茶店の目の前で,7日間にもおよぶ教会の会合が行なわれたのです。その間じゅう様々な教会の司祭たちが演壇からエホバの証人を攻撃する話をしました。

しかし,教会の反対は逆効果でした。すぐに真理に対する関心が近所に広がり,さらに多くの家族がその開拓者の夫婦と研究するようになったのです。会衆の書籍研究がこの区域で開かれることになったとき,最初の集会には43人が出席しました。ある家族には排斥されていた親族が幾人かいましたが,交わりを再開し,うれしいことに排斥されていた人は復帰しました。この家族はこの地域に王国会館ができるのを待ちきれず,小さな土地を寄贈しました。そこに間もなく王国会館が建てられました。昨年の地域大会では,この区域の12人がバプテスマを受けました。考えてみると,これらすべては喫茶店での非公式の証言から始まったのです。

韓国のある姉妹は著名な詩人と聖書研究を行なっていました。しかしこの人の仏教的な哲学では仏陀のほうがイエスよりも上だったので,研究をやめてしまいました。姉妹は野外宣教で「これまでに生存した最も偉大な人」の本を提供する月に,この人を再び訪問し,慎重にこの本を紹介しました。驚いたことに,この人は本を受け取りました。そして,姉妹が再訪問するまでに,本を最初から最後まで読んでいただけでなく,読んだ事柄に対して非常に強い興味を示したのです。この人は,人間の哲学は頭にしか届かないが,イエスの物語は頭と心に届くと言いました。イエスの伝記と教えに感動したのです。この人は,イエスについてもっと教えてほしいと姉妹に頼み,聖書研究を再開し,よく進歩しています。

イスラエルのテルアビブにある支部の王国会館は,奉仕年度末の時点では市の命令によりまだ閉鎖されていました。それは,宗教上の伝統的な派が当局に政治的圧力をかけた結果です。支部事務所は閉鎖処分について訴えを提出しており,近い将来有利な判決が出ることを期待しています。

戦争で疲弊したレバノンでも,王国の良いたよりに対する反応が引き続き見られます。一人の忠節なエホバの証人が85歳という高齢で亡くなりました。この兄弟は1940年代から真理のうちに歩んでおり,ビカー地区の大家族の出身でした。家族の多くの成員,特に年配者は強い宗教的・社会的伝統を固く守っています。この兄弟の息子もエホバの証人です。彼は,父の最後の願いが,家族の墓地に葬ってほしい,それでもクリスチャンの信仰に反する宗教的な儀式は一切しないでほしいというものだったと述べました。最初,親族の中には強硬に反対する人もいましたが,息子の敬意のこもった態度のため,家族は許可を与えました。葬式が執り行なわれたのは,寒い雪の日でした。村と兄弟の家を結ぶ道路は雪でふさがれていました。親族はブルドーザーを使い,5㌔以上にわたって道路の雪を除きました。悲しい場ではありましたが,慰めとなる話がなされ,復活の希望に関する聖書のパンフレットが400枚配布されました。この家族の成員が,兄弟の抱いていた復活の希望に対する信仰と確信について話したため,その地方に住む大勢の人に大々的な証言がなされました。

タイからも,人々の生活を変化させる神の言葉の力を示す証拠が届いています。一人の開拓者はある美容室で,店の人と一人の女性客と共に聖書研究をしていました。家族生活と良い道徳について話し合ったとき,客のほうはそれが気に入らなかったようで,研究をやめてしまいました。しばらくしてその女性は開拓者に,7年間同性愛行為をしてきたので自分は汚れていて聖書を研究できないと感じていたことを打ち明けたのです。開拓者はイザヤ 1章18節に基づいて,無知のゆえに犯した罪をエホバが許してくださることを示しました。この女性は研究を再開し,不道徳な関係を断ち切り,後に結婚しました。そして,この夫婦は二人ともバプテスマを受けました。この女性の変化に気づいた3人の親族も研究を始めました。その中の一人もバプテスマを受けました。

日本の兄弟たちは,王国の良いたよりを携えて全国を網羅するよう一生懸命努めてきました。1991年夏に未割り当て区域での活動が終わった時点では,257の町村が未割り当て区域として残っており,その合計人口は128万4,300人でした。しかし,1992年3月までにこれらの区域はすべて,いずれかの会衆に割り当てられました。今では未割り当て区域は残っていません。第二次世界大戦が終わって1949年に最初の宣教者たちが日本に到着してから43年たってついに,エホバの証人は日本の全区域を定期的に網羅するようになったのです。また,支部事務所は1989年以来毎年,4月の特別活動をすすめてきましたが,1989年に達成された空前の補助開拓者最高数は更新されていませんでした。1992年,補助開拓者数はこれまでの最高数を5,000人以上上回る4万6,787人という新最高数に達しました。この数字に,4月の特別開拓者と5万395人の正規開拓者とを加えると,9万8,313人が何らかの形の開拓奉仕をその月に行なったことになります。何とこれは全伝道者の59%に当たります。多くの若者が補助開拓奉仕を行ないました。北海道の15歳の兄弟もその一人で,忠実に再訪問を行ない,大人の人との研究を4月中に3件取り決めました。

1997年の香港<ホンコン>の中国返還に向けて秒読みが進むにつれ,政治情勢や経済情勢によって香港の将来に対する不安や心配がかきたてられています。そのような風潮の中で,エホバの証人がクリスチャンらしい穏やかさを保ち,忙しくエホバへの奉仕を行なっているのはうれしいことです。そうした努力によってどんな結果が得られましたか。昨奉仕年度も神権的な活動の点ですばらしい一年になり,支部の歴史の中で最も喜ばしく最も産出的な年となりました。例えば,昨奉仕年度の初めごろ統治体の指導のもとに香港支部は,中国語の出版物の生産のための協力をさらに深めるため,近隣の四つの支部の代表者を迎えて会合を開きました。その結果,中国語を読める人は昔ながらの漢字と簡体字の両方で出版物を手にすることができるようになりました。中国では活動が制限されているものの,うれしいことに,この年鑑を執筆している時点では,刑務所にいる兄弟姉妹はいません。

ヨーロッパ

「エホバはすべての国の民の上に高く上られた。その栄光は天の上にある」。(詩編 113:4)ヨーロッパのエホバの民は様々な状況に直面しています。激しい内戦,飢え,宗教上の不寛容が見られる地域があるかと思えば,物質面で比較的繁栄し,無関心に対応しなければならない地域もあります。それでも,エホバの民は,忠実に自分たちの霊的な目の焦点をエホバに合わせ続けています。

ポーランドのある若いエホバの証人は,仲間の生徒たちに熱心に真理を伝えています。そして,学校の自分のクラスで十字架の起源について話しました。結果として,生徒の大半は十字架を崇拝しないことにしました。しかし司祭がそれに異議を唱え,生徒たちの保護者を学校に呼び出して,エホバの証人の良い評判を損なう発言をしました。言葉によるこの攻撃を受けて立ったのは,一人の母親でした。この母親は,以前はたばこを吸っていた息子が,エホバの証人と聖書研究を始めて以来たばこをやめたことを話しました。別のとき,三位一体の教理が学校で話題になりました。司祭はこの教理をうまく説明できなかったため,別の司祭を連れて来てはっきり説明しようと約束しました。証人の若者と関心のある友人数名は,聖書に基づく論戦に備え,念入りに準備しました。こうして神のみ名に関する聖書の教えを首尾よく擁護しただけでなく,三位一体やマリア崇拝や十字架に関する教会の教理の誤りを証明したのです。それでクラス一同は,「カトリックの基本的な教えが間違っているのなら,そのほかの教えはどうなのだろう」という結論に達しました。

そこにいた司祭の一人だった教理問答の教師は,「君たちの言うとおりだ。三位一体は誤りだ」と認め,聖書研究に応じました。7人の生徒とも研究が始まりました。この若いエホバの証人自身もその聖書研究のうちの2件を司会しました。司祭を含む研究生全員が集会に出席し始めました。程なくして司祭はその立場を退いて研究を続け,今では三位一体の神ではなく,唯一まことの神であるエホバに仕えることを願っています。

アイスランドでは,主要都市以外の地域にエホバの証人はほとんどいません。それで支部は,開拓者たちが田舎の地域で良いたよりを伝えるよう取り決めました。ある田舎の区域で,宣教者の夫婦が徹底的な証言を行ないました。二人が休暇で区域を離れる前のこと,大工であるオスカルという若い研究生が出版物を余分に分けてもらえないだろうかと持ちかけてきました。それは,「だれかに質問された時,渡せるものが何かあれば助かる」ということでした。それで宣教者の夫婦は,証言に使うために,書籍や小冊子や雑誌をかなりの部数手渡しました。オスカルは二人がいない間,出版物を幾らか配布しただけでなく,近隣の村に出かけ,生まれて初めて家から家に証言したのです。その時点でオスカルは,出版物を自分でかなり読み進めていたものの,研究を司会してもらった回数は数えるほどにすぎませんでした。彼はさらに訓練を受けた後,バプテスマを受けていない伝道者の資格を満たし,野外奉仕に出た最初の月に30時間を報告しました。この宣教者の夫婦は次の休暇の時を楽しみにして,「新しい人たちがエホバの霊によって力づけられると,戻ってくるときに全く思いがけないことが起きていますからね」と述べました。

アイルランドでは長年,宣べ伝える業の進展は遅々たるものでした。それというのも,南部ではローマ・カトリック教会,北部ではカトリック教会とプロテスタント教会の双方の影響が根強いからです。それでもアイルランド語(ゲール語)が住民の主要な言語となっている地域において,いまや霊的に良い進歩が見られます。

1978年,アイルランド西部のこのような地域で奉仕していた二人の開拓者は,モーリーンという女性に協会の書籍を配布しました。その時点でこれと言った成果はありませんでした。事実,モーリーンの夫は,くだらない本だと言いました。10年後,別の姉妹がモーリーンに会い,1年間粘り強く再訪問しました。モーリーンの家までかなりの距離があり,家に行っても留守ということが少なくありませんでしたが,訪問を続けました。姉妹がこうして訪問していた折,モーリーンは,あるエホバの証人が近所でアイルランド語による特別な講演を行なったと耳にしたけど,自分は聞き逃して惜しいことをした,と言いました。この女性は講演のテープを手にすることができました。そして母国語で真理が説き明かされるのを聞いたため,あたかも真理がこの女性の中で息をし始めたかのようでした。

モーリーンと夫のパディーは聖書研究に応じました。ある時二人は友人たちから夕食に招かれました。しかし,聖書から学んでいる事柄については黙っていようと決めていました。楽しい晩の雰囲気をぶち壊しにするのが心配だったのです。パディーとモーリーンが早めに帰ることをほのめかした際,トニーとブレゲという別の夫婦は不思議に思いました。(二人が程良い時間に帰宅したかったのは,翌朝王国会館で開かれる集会の出席に支障がないようにするためでした。)結局,パディーとモーリーンはしつこく聞かれたため,王国会館に行くつもりだと話しました。トニーは宗教に幾分幻滅を感じていましたが,一緒に行ってみることにしました。後にブレゲも集会に出席し始め,聖書研究に応じました。程なくしてパディーとモーリーンと4人の子供のうち3人,それにトニーとブレゲはバプテスマを受けていない伝道者として奉仕するようになりました。そしてこの二組の夫婦は今ではバプテスマを受けています。その区域では会衆の書籍研究が活発に行なわれています。目に見える結果がすぐに現われるわけではないかもしれませんが,真理の種は肥沃な土に植えられれば成長します。

ハンガリーでは物価の高騰で経済事情が悪化していますが,諸会衆は自分たちの王国会館を建設しています。現時点で8軒の新しい王国会館が完成しており,さらに8軒が建設中です。

お年寄りの伝道者も自分たちの分を果たしています。「白髪は,義の道に見いだされるとき,美の冠」です。(箴言 16:31)ある年配の兄弟は,かねてから野外でもっと効果的に奉仕したいと願っていました。そして,家から家の証言や街路伝道にあずかるだけでは十分奉仕しているとは言えない,と感じていました。それで町工場や店舗を訪問することにしました。そうすれば,真理について同時に何人かの人たちに話せるかもしれません。最初に訪問した所は婦人服の仕立て屋で,25人の人が作業中でした。兄弟はこう書いています。「ミシンが全部止まり,従業員全員に囲まれ,矢継ぎ早に質問される時の気分をご想像いただけるでしょうか。主任が許してくれたおよそ30分のあいだ従業員と会話を交わした末,書籍を25冊配布できました」。兄弟は出だしから喜ばしい成果が得られたことに力づけられ,幼稚園や店や工場をまるで蒸気機関車のように駆け回りました。その年はどんな成果が得られましたか。雑誌1,300冊,書籍600冊を配布したのです。兄弟は報告の締めくくりにイザヤ 40章31節の次の言葉を引用しています。「エホバを待ち望んでいる者は再び力を得る。彼らは鷲のように翼を張って上って行く。走ってもうみ疲れず,歩いても疲れ果てることがない」。

ラテンアメリカ

「わたしは平安のうちに横たわり,そして眠ります。エホバよ,ただあなただけがわたしを安らかに住まわせてくださるからです」。(詩編 4:8)中南米の国々に住むエホバの証人は,エホバを自分の神とすれば確かに安らかに住まうことができると感じています。一部の国では,政治的・宗教的な理由から引き起こされる紛争による混乱がまだかなり見られますが,諸会衆は神からの平和を経験しています。

昨奉仕年度には,エルサルバドルを12年余り引き裂いてきた内戦が終わりを迎えました。エホバの証人の活動が禁令下に置かれたことはありませんが,多くの兄弟たちは恐ろしい試練を経験し,中には命を失った人もいます。支部はこう報告しています。「内戦が終わったため,今まで何年も行ったことのなかった区域を奉仕することができます」。

ある町の高校では卒業式の準備が行なわれていました。校長先生がエホバの証人の若者数人に近づき,式のための劇を準備するように求めて,こう言いました。「今回は君たちエホバの証人の出番だ。何しろ宗教上の理由で一年中ほかの祝いには参加していないのだからね」。エホバの証人の若者たちはその場ですぐに考え,「でしたら,聖書劇を準備させてください」と言いました。校長先生はそれを認めてくれました。それで若者たちは急いで会衆の長老たちのところに行きました。そして,「エホバはそのみ名を呼び求める者たちを救い出される」という劇を上演することにしました。何日も一生懸命練習して15人全員がうまく演じられるようになりました。若者たちは1987年の地域大会で見た劇と同じように演じるため,衣装も自分たちで作りました。

劇を上演する日になり,会場には400人が入っていました。劇が終わると,学校側の人たちは口々に良かったと言いました。校長先生もエホバの証人のことをほめて,「君たちの組織とそこで受けているすばらしい訓練には感心した」と皆の前で言いました。

ブラジルのある兄弟は仕事仲間に証言したときのことをこう語っています。「2年くらい前,私のいた部署に一人の男性が勤め始めました。その人はカトリックの神学校を卒業したばかりでした。そこで司祭の手伝いをしたり,司祭がいないときは代理を務めたりしていたのです。機会あるごとに,たいてい次の二つの質問について,つまりマリアにはイエス以外の子供がいたか,聖書は全質変化について教えているか,ということを議論しました。ある日私が席を外しているときに,その人は私が仕事場に持って行っていた『聖書から論じる』の本を手に取り,ミサとマリアについて書いてあるところを読みました。昼食のときに会うと,彼はその内容に驚いたと言い,自分が読んだことが真理だと確信したことを話してくれました。それで,その男性と妻の聖書研究を私が司会することになり,この夫婦は2か月で集会に出席し始めました。その後この男性は心霊術に関係する本をすべて焼き捨てました。二人は研究を始めて6か月後には宣教に携わるようになり,その後間もなくバプテスマを受けました」。

中南米には,危険な川や険しい山道を通らなければたどり着けない田舎の村が随所にあります。ペルー南部で川船に乗って暮らしていた,恐れを知らない6人の特別開拓者はこう報告しています。「私たちはあらゆる交通手段を使いました。危険な川を船で移動したり,どしゃぶりの雨の中でぬかるんだ道をひたすら歩いたり,幌付きのトラックの荷台に乗ってガタゴト揺られながら移動したりしましたが,文書を濡らさないようにするのが精一杯でした。私たちは川に沿って奉仕を始めてから1年3か月の間に,奉仕されたことのない区域に住む霊的に飢え渇いた人々に何千冊も書籍や雑誌を配布し,本物のいなごのように,大いなるバビロンの偽りの教えを荒廃させてゆきました」。

その特別開拓者たちは最近,特に困難で,時には危険なこともある地区を奉仕し,16日間で書籍627冊とブロシュアー313冊を配布しました。毎回の旅行では,新たな問題にぶつかりました。「川のことは私たちにはよく分かりません。絶えずコースが変わっていて,新しい流れができていたり,砂州ができていたりします。私たちが川を移動する技術を覚えたてだったことを考えると,エホバが私たちを見守ってくださっていたとしか言いようがありません」。

兄弟たちが北部のアマゾン川沿いにある村を訪れたとき,村人は兄弟たちにこう言いました。「あなたたちのうちの一人がここにもいて,もうその話をしてくれましたよ」。開拓者たちはその地域にエホバの証人は一人もいないと思っていました。しかしすぐに,川土手の農場に一人いることが分かりました。このバプテスマを受けていない“証人”には妹がいて,レケナにいるその妹が聖書文書を数冊求めました。ところが,夫から書籍を処分するように言われて,ジャングルの中に住んでいた兄に送りました。間もなくこの男性は,「わたしの聖書物語の本」を5回,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」を3回読みました。それから仕上げに,「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」の本を3回読んだのです。当然,疑問に思う点はたくさんありました。しかし,この人は自分が読んで知った事柄をすでに他の人に話していました。開拓者たちはさらに証言にあずかる上で満たすべき資格に関する最新の情報をこの人に知らせることができて,うれしく思いました。

北アメリカとカリブ海諸島

「エホバよ,あなたの道をわたしに知らせてください。あなたの道筋をわたしに教えてください」。(詩編 25:4)ずっと昔ダビデはこのように書きました。幾世紀も経過した今,様々な背景の人々がエホバの道を学び,その道に合わせて自分の生活を変化させています。

仏教徒として育てられ,カナダに移住したあるアジア系の移民は,非公式の証言によってエホバの民と初めて接しました。その女性は家族とともに1981年にカナダへやって来ました。差別や他の問題を経験してがっかりした彼女は,過去を振り返ってこう語っています。「私たちが期待していた幸せな生活は,手の届かないもののように思えました。幸せになりたいと思っていたのですが,どこを探したら良いのか分かりませんでした」。1983年に伝道者が家から家の宣教でこの女性に会い,聖書研究が始まりました。最初,彼女が聖書研究に応じた動機は,「ただ友達をつくり,英語を勉強するため」というものでしたが,真理の種は徐々に根を下ろしてゆきました。以前は寛大だった夫が一転して激しく反対し始め,家族で約1,600㌔離れた都市に引っ越すことさえしました。しかし彼女は忍耐し,結局バプテスマを受けました。その後,研究を司会してくれていた夫婦に感謝の手紙を書きました。十分とは言えない英語でしたが,こう書かれています。「お二人のことをよく知るようになったとき,本当に親切でいい白人だと思いました。知り合いになれて楽しかったです。でも,私はまだ心に垣根を巡らした黄色人種でした。あなたたちがほかの白人とは本当に違うということに気づいたとき,なぜだろうと思いました。違いをもたらしているのは何でしょうか。その理由について考えに考えた結果,『あなたたちが神の証人であり,聖書には何かがあるに違いない』と思いました。……私が心の垣根を取り払ったとき,あなたたちは私の良い友人となりました。……後に私が自分の心を大きく開いたとき,あなたたちは私の親友となりました。外見は白人でも,私の目にはあなたたちの心に色はついていません。……肌の色は白かったり,黒かったり,褐色だったり,黄色だったりしても,心は同じ色,そうです透明の人が大勢います。それは兄弟姉妹だからです。今私は,その人たちがどのように変化したのか,またそう変化させたのはだれかを知っています。それはあなたたちの神とあなたたち自身です。何年もの間私はあなたたちの仲間になりたいと願ってきました。私は世にいましたが,心はあなたたちと一緒でした。それでも,自分が門の外に立っているように感じていました。ついに私はその門をくぐってあなたたちと一緒になることを許されました。それで,もう“あなたたち”ではなく,“わたしたち”ということができます」。

カリブ海に浮かぶグアドループという小さな島からは,励みとなる次のような報告が寄せられています。「伝道者たちは立派な振る舞いのゆえに区域内ですぐに見分けがつきます。一人のエホバの証人はこう説明しています。『ある日伝道中に,私たちを通り越して行った1台の車が急にバックしてきて,私たちの目の前で止まりました。車から一人の若い女性が降りてきて,こう言いました。「あなたたちエホバの証人ですよね。グアドループに来て数か月なんですが,もう一度聖書を勉強したいんです。でも,一緒に暮らしている母は反対しています」。私は気持ちを落ち着かせながら,私の家で研究することを約束しました。そののち間もなく,彼女は大会に出席しました。そのため,母親は彼女と彼女の3人の子供たちを家から追い出してしまいました。それから,彼女がおばの家に身を寄せているときに,母親は彼女の車のタイヤをパンクさせ,ナイフで彼女を脅すことさえしました。この若い女性はもう一度引っ越しをしました。今では安心して研究することができます。8歳になる長女のシンディーも真剣に研究しています。現在,この若い女性は良いたよりの熱心な伝道者です』」。

頻繁に奉仕されている区域でも王国の実が生み出されています。米国支部からの次の経験はそのことを示しています。生まれてからずっとニューヨーク市に住んでいる43歳の男性は戸口でエホバの証人に一度も会ったことがありませんでした。博士号を取るための研究を終えたばかりのこの博学な人は,大きな図書館の稀覯本を扱う部署の副主任をしていました。最近,この人は自分のアパートの玄関ホールでエホバの証人の女性に呼び止められました。かばんの中の「神を探求する人類の歩み」という本が目に留まり,それを求めました。その晩のうちに彼はその本を読み終え,1週間もたたないうちにものみの塔協会の本部を訪れ,さらに12冊の書籍を求めました。そして姉妹が再訪問するまでには,全部の本を読んでいました。再訪問を受けたとき,この男性はバプテスマを受けるために何をしなければならないか尋ねました。

この姉妹は一人の兄弟にこの男性の研究を司会してもらいました。この男性は,2冊の書籍を研究し終えた後にどうしてこれが真理だと分かったのかを尋ねられて,こう答えています。「それは北極星のようなものですね。北極星について話を聞いたり本を読んだりした後,外に出て夜空を見上げてそれを見つけると,ほかの人から教えてもらわなくても見つけたということくらい分かりますよ」。

この男性はこれまでずっと真理を探し求めていました。キリスト教世界が真理を持っていないことに気づき,東洋の宗教や共産主義を調べてみましたが,失望に終わりました。こうしたものには真理がないことが分かりましたが,神を探し求め続けました。神が隣の部屋にいるのに,その扉が閉まっているように感じていたと,この男性は語っています。その扉はついに開かれ,競走でスタートラインを離れたランナーのように,この男性は熱心に集会に出席し,王国を宣べ伝える業に参加しており,最近バプテスマを受けました。

太平洋の島々

「あなた方はわたしと共にエホバを大いなるものとせよ。わたしたちは相共にそのみ名を高めよう」。(詩編 34:3)太平洋のエホバの熱心な証人たちは,遠く離れた島々でエホバのみ名とお目的を宣べ伝えるという神聖な特権を歓んで果たしています。

オーストラリアの町外れのオパール鉱山で働いているある兄弟は,観光客に非公式の証言をしています。ある時兄弟は,休暇で来ていた3組の夫婦を10日にわたり定期的に家に招きました。彼らが出発する前に兄弟は,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」の本と「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本をそれぞれの夫婦に一組ずつ渡し,本の最初の節だけでも読んでほしいと言いました。教師をしていた一人の女性は,生まれてこのかたエホバの証人にはずっと反対してきたので,本は読みたくないと言いました。23年間,近くに住むエホバの証人とは付き合ったこともなく,娘にもエホバの証人には近づかせたことがなかったのです。自分が教えている学校でも,エホバの証人の子供たちには厳しくしていました。しかし,この兄弟が親切にもてなしたことから,数行だけでも本を読んでみると約束してくれました。

しばらくして,この兄弟のところにその女性から電話がありました。彼女はこう言いました。「最初の数行を読んでみたのですが,そこで大きな失敗をしてしまいました。読み続けてしまったのです。この本が大好きになりました。こんなすばらしい本は今まで読んだことがありません。それからもう一つ失敗をしてしまいました。本を机の上に置きっ放しにしていたのです。戻って来て手に取ってみると,19歳になる娘の名前がその本に書いてありました」。この夫婦は,さらにほかの本を手に入れようと近所のエホバの証人のところを訪ね,今まで誤解していたことを謝りました。この夫婦と娘は聖書研究を始め,今では集会に出席しています。親切は石のように堅い心を溶かして,中に埋もれていた神への愛を引き出すことができるのです。

最近,フィジーのベテル家族の成員3人が,南太平洋のプロテスタント系主流派の諸宗派合同の大学の学生に話をするよう招かれました。学生13人と講師に対して良い証言がなされました。3人のベテル奉仕者全員は,自分たちの宗教的背景と生い立ちについて手短に話した後,エホバの神権組織に関していろいろな点をおおまかに説明することができました。聖書の中で神のみ名を使うことについての話題が出され,一人の学生はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中にみ名を含めることに反論しました。一人のベテル奉仕者が,太平洋の島々で使われている言語の聖書の中でほぼ百年の間神のお名前が自由に使われてきたのに,新しく改訂された聖書ではエホバというお名前が削除されているのはなぜかと聞き返すと,部屋の中はしいんと静まり返りました。結局一人の学生が,神の名前の発音をはっきりと知っている人はいないのでお名前を使うべきではないと論じました。その学生は,ユダヤ人たちが神の名前を使うことをやめ,アドーナーイやエローヒームという言葉で置き換えるようにしたことを説明しました。兄弟たちはクラスの学生たちに,そうなったのはユダヤ人の間に起こった迷信的な考えが原因であることを指摘し,次のような質問をしました。現代の翻訳から神の名前が取り除かれたのも,これと同じ理由からではないでしょうか。回答が出なかったこの質問を,学生たちは恐らくじっくり考えることでしょう。

トンガにある男子校の高校では,週に1時間,宗教の授業があります。600人の生徒の中に4人いるエホバの証人の求めで,一人の正規開拓者と一人の宣教者を講師とする自分たち独自の授業を行なうことが許可されました。最初の授業には12人が出席し,「創造」の本に基づいて,人間は進化したのか創造されたのかという点が討論されました。聖書が科学的な問題に言及していることを知って驚いた生徒たちは,そのことを後で友人に話しました。その結果,次の授業には25人が出席しました。今では毎週水曜日,出欠を取った後に校長先生が,エホバの証人はみな立って自分たちの授業に行くようにと言うと,60人の生徒が ― そのうちの多くは自分の聖書を持って ― 教室に向かいます。これがきっかけとなって一人の生徒は正規開拓者に個人的に聖書研究をしてもらっています。

西サモアのサバイ島では,一人の姉妹が夫の家族と同居していました。夫は姉妹が自分の宗教を実践するのを許していましたが,真理に関心があるような素振りは見せませんでした。姉妹はプロテスタント信者のしゅうとめからの反対にも耐えなければなりませんでしたが,自分の振る舞いによって家族がエホバを崇拝するようになるという希望を捨てませんでした。最近,この夫婦がニュージーランドに引っ越すことになって,出発前に親族の集まりがありました。姉妹の夫が,ニュージーランドに行ったらエホバの証人と聖書を勉強し,王国会館での集会に出席するつもりだと宣言したときの姉妹の驚きを想像してみてください。夫は親族全員に真理を学ぶよう勧めました。しゅうとめはその勧めを心に留め,すぐさま研究を始めて,集会に出席するようになりました。今では,この姉妹のおばと,義理の兄弟二人と姪の数人が王国会館での集会に出席するようになっており,その大半が研究をしています。この姉妹の場合,『夫は言葉によらず,妻の行状によって引き寄せられる』という使徒ペテロの言葉のとおりになりました。―ペテロ第一 3:1

禁令下の国々

「わたしは賛美されるべき方エホバを呼び求め,そして敵から救われる」。(詩編 18:3)24ほどの国のエホバの証人は,政府の禁令にもかかわらず,良いたよりを宣明し続けています。

太平洋に浮かぶある島国での例が示しているように,子供たちもそうした状況のもとでエホバの側にしっかりと立つことができます。ある家族の子供たち全員が近くに住むエホバの証人から真理を学んでいました。両親は強硬に反対し,聖書の勉強をなかなかやめない子供たちを殴ることがしばしばありました。父親は子供たちの活動を地元の当局に通報することさえし,エホバの証人に対する禁令を当局者たちに思い出させました。しかし,当局は告発を無視しました。腹を立てた父親は暴力によって自分の手で問題を解決しようとしました。細い道を歩いていたとき,自分の子供を教えているエホバの証人に出会いました。かっとなったこの父親は兄弟を殴り倒すと,刃渡りのあるナイフで脅し,殺そうとさえしました。もうだめかと思ったその時,もみ合っているところを見つけた兄弟の妻が声の限りに叫んだので,それが周りの人々の注意を引きました。腹を立てていたこの男性はすぐに逃げましたが,事件を警察に知らせる際,話をゆがめて報告しました。その結果,十日間の入院が必要だった兄弟は,その後警察の尋問を受けました。地元の新聞は兄弟が最初にその父親を殴ったと間違った報道をしましたが,警察は兄弟を丁寧に扱い,尋問の後,兄弟の無罪を認めました。

1か月後,この地方の法務局がさらに尋問するため兄弟を呼び出しました。連続4日間にわたり,合計14時間彼らの質問に答えたので非常に良い証言の機会となりました。地方の法務局は聖書に基づいた答えの真価を理解し,結果として,彼らはエホバの証人を一層好意的に見るようになりました。反対者の父親を持つ子供たちのほうはどうなったでしょうか。一人は進歩して献身し,バプテスマを受けました。ほかの子供も今までどおり熱心に真理を学んでいます。

アフリカのある国の政府は,長年エホバの証人に残忍な迫害を加えてきましたが,近年市民の権利が尊重されるようになってきています。とはいえ,迫害の間も福音宣明の業が止まってしまうことはありませんでした。例えば,ひどい雨の中,一人のエホバの証人が雨宿りのためセブンスデー・アドベンティスト派の小さな教会に行きました。礼拝が行なわれていたので,テラスのところに立っていなければなりませんでした。そこに立っている間,中でだれかが牧師に,「人々が天に行くというのは本当ですか」と尋ねたのが聞こえました。礼拝を執り行なっていた教会の牧師は納得のゆく答えをすることができませんでした。雨がやんだとき,このエホバの証人は牧師に近づいて,その質問に答えることを許してくれるかどうか尋ねました。「いいですよ」と牧師は言いました。そのことに関する聖書の真理を説明すると,聴いていた人々の関心は高まり,質問をした人が,日を改めて別の場所でエホバの証人と会う約束を取り決めました。かなりの人がそこに集まり,7件の聖書研究が始まって,この報告を書いている時点でもまだ物事は進展しています。