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エホバの証人 ― 1995 年鑑の報告

エホバの証人 ― 1995 年鑑の報告

エホバの証人 ― 1995 年鑑の報告

「心をつくしてエホバに依り頼め」。これは,1994年の年句としてわたしたちの前に置かれた,時宜にかなった聖書的な諭しでした。(箴言 3:5)全世界からの報告は,エホバの僕たちがその言葉を心に留めていたことを示しています。

そのような信頼は,リベリアのグバーンガでエホバの証人の地域大会を開催する取り決めが設けられた時に示されました。グバーンガはリベリアの主要な戦闘勢力の一つがとりでとしている所です。この地域には大勢の兄弟姉妹たちがいますが,戦争のため,その多くは4年間大会に出席していませんでした。グバーンガに行くために,支部事務所の兄弟たちは最前線を通過しなければなりませんでしたが,道路は公式に閉鎖されていました。祈りのうちに物事をエホバにゆだね,兄弟たちは特別な通行許可証を求めました。大会まであとわずか数日という時になってやっと,許可証が手に入ったのです。モンロビアから最前線までに検問所が17か所ありました。どっさりと荷物を積み込んだ“ものみの塔救援”の小型トラックが検問所に到着すると,数か所の検問では警備をしているナイジェリアの兵士たちが「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌をもらえないかと言いました。

グバーンガでは以前,1963年に,今は統治体の成員で,ものみの塔協会の会長であるミルトン・ヘンシェルを含む,数百人の大会出席者が国旗敬礼の問題で逮捕されたことがありました。今回は,当局は平和のうちに集まり合うエホバの証人の権利を擁護しました。グバーンガの大会に出席した651人は,そのほとんどが難民の兄弟姉妹でしたが,彼らはすばらしいプログラムを聴いて喜びました。また,モンロビアの兄弟たちが持って来てくれた救援物資を受け取って,何とうれしく感じたことでしょう。その大会の成功は兄弟たちにとって,「何であれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださる」ことの証拠となりました。―ヨハネ第一 5:14

南太平洋に浮かぶリフー島でも,同じような信頼が示されました。僧職者の扇動で地方当局により集会を禁止されたり,他の人たちに証言したことで殴られたりしても,兄弟たちは報復しませんでした。(ローマ 12:17-19)最近,状況は改善され,もっと自由に証言できるようになったことを兄弟たちは感謝しています。ミャンマーに住む11歳の証人も,エホバに対する信頼を示しました。彼は,伝道の書 12章1節を思いに留め,その結果,放課後や週末に野外奉仕を忙しく行ない,10件の家庭聖書研究を司会しているのです。英国の元イスラム教過激派の一人もそのような信頼を示しました。この人は,以前の宗教の仲間からの厳しい反対にもかかわらず,バプテスマを受けたエホバの僕となりました。

エホバは確かに速度を速めておられる

ずっと昔,預言者イザヤを通してエホバは,定めの時に義を愛する人を集める業の速度を速めることを予告なさいました。(イザヤ 60:22)昨奉仕年度の報告は,このことが確かに起きていることの証拠となっています。王国を宣べ伝える業に参加するため,他の関心事をわきに置いたエホバの証人の最高数は,491万4,094人でした。世界の平均増加率は5%でしたが,20%以上の増加を経験した国や地域が20以上,それ以外に10%以上の増加を経験した国や地域は29ありました。

良いたよりを宣べ伝える業は現在,合計で232の国や地域,島々で行なわれています。それも熱心に行なわれているのです。昨年,10億9,606万5,354時間が野外宣教に費やされ,関心のある人に対して4億39万3,880件の再訪問が行なわれ,個人あるいはグループとの聖書研究が平均で470万1,357件司会されました。この結果,エホバの賛美となるすばらしい実が生み出され,31万4,818人が,キリストの弟子となる人にイエスが出された命令に従ってバプテスマを受けました。(マタイ 28:19,20)ある年配の兄弟は,ロシアのカフカス地方北部のバプテスマ希望者の国際的なグループのバプテスマを見て,「神のみ子は何とすばらしい花束をみ父におささげになったのでしょう」と言いました。

業の速度を速める点で際立った要素となっているのは,開拓奉仕に加わるために自分の事情を調整した大勢の人々です。多くの国では会衆の伝道者は平均で毎月10時間程度を野外奉仕に費やしますが,補助開拓者はその6倍,正規開拓者は補助開拓者の1.5倍の時間を奉仕します。開拓者の多い地域で,より急速な増加が見られることが多いのも不思議ではありません。昨年,全世界で様々な開拓奉仕にあずかった人の最高数は,86万9,917人でした。

全時間の奉仕者の中には,1万5,145人にのぼる世界中のベテル家族もいます。彼らは,出版物を供給したり,監督を行なったり,聖書教育の世界的な業を支えるための他の有益な奉仕を行なったりするのを助けています。これらの人々のうち,5,082人はニューヨークのブルックリンにある世界本部やその近くの施設で奉仕しています。その全員が,特別な全時間奉仕を行なう団体,宣教に全く専心している宗教団体の一員です。

1994年の記念式の報告は,1,228万8,917人が出席したことを示しています。この数字には,エホバの証人ではないもののエホバの僕と集まることをためらわなかった人や聖書の真理にある程度関心を持っている人,700万人以上が含まれています。彼らが,心を動かされたときにエホバの側に堅く立つことができるよう,自分の関係している論争をはっきりと理解するのを助けるために必要な業がたくさんあることは明らかです。(ヨシュア 24:14,15。詩編 83:18)幾つかの国では記念式の出席者数がエホバの証人の数の5倍とか6倍,あるいは7倍に達しました。マダガスカル,チャド,中央アフリカ共和国の場合がそうです。リベリアでは,内戦にもかかわらず,二人の孤立した伝道者が126人を記念式に集めました。ガイアナでは,8人の伝道者から成る孤立した群れが867人の出席を報告しました。トーゴでの出席者は昨年32%増加しました。ロシアでは,出席者が昨年よりも55%増加し,合計12万8,049人になりました。

「敬虔な恐れ」大会

昨年の際立った出来事は「敬虔な恐れ」地域大会でした。今までになく,敬虔な恐れの意味と,それを自分の生活の中でどのように表わすべきかという点に焦点が合わされました。行なわれた話は励みとなるもので,エホバに忠実に仕え続けるときに,それが無駄に終わることはないという確信を強められました。(コリント第一 15:58)また,話には緊急感を感じさせる強い響きがありました。ロトとその家族や将来の婿たちについての聖書の記述を考慮した後,現在の邪悪な体制の差し迫った滅びを警告してきた『忠実な奴隷』が冗談を言っているのではないという点が指摘されました。(創世記 19:14,24,25と比較してください。)今こそ生き残るために行動を起こすべき時です。エリヤの時代に行なわれたエホバとバアルの決定的な対決にも注意が向けられ,次のように諭されました。『エリヤの時代よりもさらに大きな対決が生じます。そして,エホバの側にはっきりと立場を定めている人だけが生き残るのです』。―列王第一 18:21-40

プログラムを聴いた後,デンマークの大会司会者はこう書いています。「忠実な『奴隷』が,わたしたちに大患難を通過するよう備えをさせていることを強く感じました。今こそ,将来の難問に対処できるよう敬虔な恐れを抱いて生活すべき時です」。

楽しい国際大会

昨奉仕年度中には,特別な国際大会も幾つかありました。そうした大会は東洋,南アメリカ,アフリカで開かれました。

香港<ホンコン>では二つの大会が計画されました。これらの大会で目立っていたのは,33の異なる国や地域から訪れた3,800人の代表者たちが率直に表わした熱意と感謝の気持ちです。地元の伝道者の多くにとって,国際的な兄弟関係に個人的に触れるのはこれが最初でした。休憩時間にはすべての人が自由に交わり,言語は障壁となりませんでした。純粋な兄弟の愛情の表現は温かで喜ばしい雰囲気に大いに貢献しました。

これらの国際大会では,目に見える成果がたくさん得られました。大会の直前に聖書研究を再開したある女性は,国際的な兄弟関係の愛と一致にとても感動したので,伝道者の資格をとらえることを決意し,その後バプテスマを受けました。別の聖書研究生とその妻は,自分たちの見聞きしたことに大変励まされたため,夫は雇い主に辞表を提出しました。定期的に行なわなければならなかった残業のために集会の出席が妨げられていたからです。その後間もなくこの人は伝道者となる資格をとらえました。

国際大会の代表者数千人がフィリピンに到着したため,マニラの空港は大騒ぎになっていました。二人の税関職員の会話が聞こえてきました。「この人たちはプロテスタントの代表者かな」と,一人が尋ねます。もう一人が答えて,こう言いました。「いや,この人たちはエホバの証人だよ。白人と黒人が一緒にいられるのはこのグループだけなんだ」。

大会出席者を収容するためにマニラの五つのスタジアムが必要でした。代表者からの感謝の言葉がたくさん寄せられました。英国の一人の姉妹は,こう書いています。「わたしたちはみんな,あなた方が示してくださった愛,真の愛のことを話しています。私自身,フィリピンの友人たちの感じの良さを話さずにはいられません。彼らはとても温かくて,ほんとうにもてなしの精神が豊かで,宣教を一生懸命に行なっておられます」。

この一連の国際大会には,南米のチリとコロンビアも含まれていました。チリの兄弟たちは,サンティアゴでの大会に出席するため多大の努力を払いました。南はティエラデルフエゴ島のポルベニルから,北はペルーとの国境の都市アリカから,そしてはるかイースター島からもやって来ました。そのためには経済的にもかなりの犠牲を払わなければなりませんでしたが,この記念すべき出来事を逃さなかったことはたいへんな喜びとなりました。10人から15人で集まり合っている孤立した群れの伝道者にとって,これがどんな意味を持つか想像できるでしょうか。国立競技場を埋めた8万891人の代表者たちの中にいるのです。彼らの心臓はどきどきして飛び出しそうでした。ほかの場所での大会について読んだことはありましたが,これほど大勢の兄弟姉妹の中にいることがどういう意味なのかを十分には理解していませんでした。一人の特別開拓者はプログラムにたいへん感動したため,休暇を9日も取って,新しく出された「ふれ告げる人々」の本を読んで研究し,その情報に心を沸き立たせられました。あまりの感動に黙っていることができず,いつでも可能な時には他の人に要点を話しています。

チリでの大会に続いて開かれたのは,コロンビアの大会です。そこでは31か国からの3,000人の代表者がボゴタの地元のエホバの証人と一緒になりました。最初のうち,入国管理の役人たちは少々疑いを抱いていました。4万人の代表者がやって来ることを聞いた後,一人の役人は,「人込みを整理するのに何人警官が必要かね」と聞いてきました。「一人もいりません」と,わたしたちは答えました。そして,チリでは8万人が出席したことを説明しました。「何人が死亡したのか」と,役人は尋ねました。わたしたちがもう一度,「一人もいません」と答えると,役人は,「信じられん」と反応しました。最初の代表団が到着し,全員がきちんとした服を着て秩序正しく行動しているのを見て,その役人は,「あなたたちの大会に警官が必要ない理由がやっと分かった」と言いました。

1,500人の代表者が滞在したホテルでは,晩になると兄弟たちがロビーに集まって数か国語で王国の歌を歌いました。この国際的な温かい家族の雰囲気は周りで見ている人たちに本当に感銘を与えました。大会そのものが終わる時には,別れのあいさつとしてハンカチを振り,贈り物を交換し,もちろん,結びの歌の後に多くの人が涙を流しているのを見て,出席した人たちは深い感動を覚えました。プログラムが終わってからしばらくたっても,だれも帰りたいとは思いませんでした。

さらに,ケニアでも二つの国際大会が計画されました。4,000人近い代表者が44か国から訪れ,出席者合計は1万7,875人に膨れ上がりました。兄弟たちが大会バッジを着け,非公式に証言したので,ナイロビ市内全体だけでなく国内の他の場所も,興奮でざわめいていました。

南アフリカでは,ヨハネスブルク,ダーバン,ケープタウン,プレトリアで四つの国際大会が同時に開催されました。日曜日の公開講演の出席者は全部を合わせると,7万5,312人になり,1,360人がバプテスマを受けました。それに加えて,もっと小規模な地域大会が20ほど,南アフリカ国内と南アフリカ支部の管轄する他の国や地域で開かれ,上の数字は2倍以上になりました。

南アフリカが他の国や地域からのこれほど多くの代表者たちを歓迎する機会に恵まれたのは初めてでしたから,これらの大会は特別なものでした。訪問者たちは,日本,英国,米国,スリナム,ヨーロッパの各地を含む34か国から来ていました。ザンビアからの喜びに満ちた代表者で満員になったバス2台とモザンビークからのバス1台も来ていました。

様々な言語グループは別々のホールで集まりましたが,休憩時間中には交わったり食事を一緒に取ったりして楽しみました。人種の異なる人たちが興奮ぎみに語り合い,ささやかな贈り物をし,住所を交換し合い,互いに抱き合っているのを見ると心が温まりました。エホバの民の間に存在することが予告されていた一致に関する,目に見える証拠がここにあるのです。―ゼパニヤ 3:9。ヨハネ 10:16

米国と日本からの代表者がダーバンのルイブオタ空港に到着した時,地元のエホバの証人約2,000人が待っていて,王国の歌で彼らを出迎えました。兄弟たちは温かいあいさつを交わし,抱き合いました。代表者たちと一緒に到着した他の旅行者のうちのある人たちは,自分のホテルに向かおうとせず,とどまってこの注目に値する光景を見守りました。見ていた人の中には,ある著名な政治指導者がいました。一部の兄弟たちとの会話の中で,この人は,「もし我々があなたたちと同じ一致の精神を持っていれば,とっくの昔に我々の問題を解決していただろう」と言いました。

それらの大会すべてに加え,以前にウクライナのキエフやロシアのモスクワで開かれた大会で経験した喜び,愛,本物の国際的な兄弟関係は,「神の教えによって結ばれる」という題の,ものみの塔協会の新しいビデオを通してだれでも見たり感じたりすることができます。

1月にエチオピアのアディスアベバで開かれた大会に招かれたのは,数千人ではなく,わずか数百人の国際的な代表者たちだけでした。しかし,そこで示された喜びや熱意,愛は大規模な大会に劣るものではありませんでした。忠誠を保つ人であることを証明してきた人たちのその集まりに出席した人たちにとって,それは何という特権だったのでしょう。その詳細は「ものみの塔」誌,1994年8月15日号の中で報告されています。

救援活動 ― 心からの愛の証拠

昨年またしても,救援物資が緊急に必要な状況が生じました。ボスニア・ヘルツェゴビナの状況は依然,危機的です。昨奉仕年度中に,66㌧の様々な品物が現地に送られました。このためには大量の事務手続きが必要だっただけでなく,危険地帯に救援物資をトラックで運ぶ人たちが身体面での危険を経験することにもなりました。

しかし,一番最近に救援物資が送られた際には,兄弟たちは物資と共に別の特別な祝福も受けました。どのようにでしょうか。輸送隊が持って行ったのは食物,衣服,出版物だけではありませんでした。この輸送隊の増強されたメンバーは,特別一日大会のプログラムによって兄弟たちを励ます準備も整えていました。その地域の兄弟たちにとってここ3年間で初めて楽しむ大会でした。プログラムはサラエボ,ゼニツァ,ツズラで提供されました。一番励まされたのはだれだったのか ― 地元の兄弟たちか,それとも彼らを励ますように遣わされた人たちだったのか ― を判断するのはほとんど不可能です。結果は目ざましいものでした。726人が出席し,55人がバプテスマを受けたのです。その地域にいる219人の伝道者にとってだけでなく,訪問した人たちにとっても何と喜ばしいことだったのでしょう。

昨年はアンゴラの兄弟たちにとっても,たいへんな年でした。内戦が引き続き国を荒廃させているからです。激しい戦闘の行なわれている地域にある会衆の主宰監督からの手紙の抜粋は,これらの兄弟たちが直面している状況をよく表わしています。「わたしたちに関して言えば,霊的には健康ですが,身体的には深刻な状況です。……一部の兄弟たちは多大の努力を払っているにもかかわらず,彼らにはもはや会衆の割り当てを果たす力が残っていません」。

この手紙を受け取った時,小型機をチャーターして800㌔の食糧や医薬品をこの危険な戦闘地域にいる兄弟たちに届けるため緊急対策が講じられました。エホバに感謝すべきことに,物資は無事に届けられました。

ルワンダでの悲劇

ルワンダとその近隣諸国の状況はニュースでたいへん有名になっています。ルワンダ国内での身の毛もよだつような光景や話が報道されるようになる数日前から,ケニアの支部事務所はすでに,3人の宣教者の避難と,騒乱の巻き添えを食った兄弟たちの支援と指導に携わっていました。ヨーロッパだけでなく,遠くは米国や香港<ホンコン>の兄弟たちも,自発的に援助の手を差し伸べました。

敵対行為が始まったまさに最初から,兄弟姉妹はフツ族の人もツチ族の人も,仲間のエホバの証人を守るために自分の命を危険にさらしました。命を救われた人もいましたが,全員が助かったわけではありません。50万人のルワンダ人が命を落としたと見られていますが,その中に数百人のエホバの証人が含まれています。

ルワンダの一人の旅行する監督は,兄弟たちの身体的な必要物を賄うとともに,より安全な地域へエホバの証人が避難できるよう兄弟たちに資金を渡すため,身の危険を冒して,片道200㌔以上の距離を何度も往復しました。

支部事務所との通信は,不安定とはいえ,兄弟たちによって5月の末まで保たれていました,その後,キガリから避難することが必要になり,兄弟たちが北へ向かっている途中,翻訳者のうちの二人が検問所で殺害されてしまいました。約200名の兄弟たちが東のタンザニアにある難民キャンプに逃れ,ある人たちは北のウガンダに,残りの人たちは南のブルンジに逃れました。約2,000人がザイールのゴマやその他の場所に逃れました。すべての家族が身体的また感情的な苦しみを経験しました。難民が国境を越えると,ザイールの兄弟姉妹たちが目印として聖書の出版物を上に掲げて持っていたのです。何とすばらしい歓迎の光景でしょう。直ちに,救援委員会がゴマ,ブカブ,ウビラに設置されました。

ケニアのエホバの証人は,ルワンダの兄弟たちのために急いで救援物資を送りました。5月23日から7月27日の間に,合計で2,367㌔の衣服がケニアからゴマやタンザニアの難民キャンプに送られました。およそ2,437枚の毛布,4,987㌔の石けん,687㌔の医薬品がナイロビから発送されました。難民となった証人たちが雨風をしのげるように粗布の大きなテントも送られました。ナイロビの兄弟たちは残業をして,キニャルワンダ語や他の言語の「ものみの塔」誌や「わたしたちの王国宣教」や他の出版物を供給し,これらの出版物は兄弟たちを霊的に養うために空輸されました。

7月22日にフランスの支部事務所は,難民の危機的な状況を知らせる救援要請をファックスで受け取りました。その6週間前に65㌧の衣服 ― 大半は新品だった ― が難民のためにフランスからすでに送られていました。今回は数分のうちに,貨物輸送機1機分の救援物資をさらに送る決定がなされました。フランス,ベルギー,スイスの兄弟たちは,援助が緊急に必要なことを知ると,160万㌦(約1億6,000万円)相当を寄付しました。食糧,医薬品,水のろ過器,また,他の重要な物資が箱詰めされ,ベルギーのオーステンデにある空港に輸送されました。7月27日には,兄弟たちがチャーターした大型貨物ジェット機が,最初の荷物を載せてブルンジのブジュンブラに向けて飛び立ちました。翌日,さらに医薬品が送られ,その二日後にもさらに物資が送られました。医師一人と看護士,看護婦各一人を含む,ベルギーとフランスのエホバの証人たちも,ゴマに向かいました。医療に携わった経験のある地元の兄弟たちと一緒になって,彼らはすでに病気にかかっている人を助けるとともに,衛生上の厳しい規則を作って,さらに人命が失われることがないよう努力しました。こうした状況の中でも兄弟たちは,自分の霊的な必要をないがしろにしませんでした。定期的に日々の聖句を討議し,集会の取り決めを設けたのです。

この原稿を書いている時点で,一部の人たちはルワンダに戻り始めています。しかし,彼らの持ち物は略奪され,多くの家は完全に破壊されてしまいました。騒乱があるにもかかわらず,ルワンダにはまだ,援助を必要としている羊のように思える人々がいます。暴力が国を呑み込む前,この国のエホバの証人は,関心のある人との聖書研究を一人当たり平均3件司会しており,1万人以上が記念式に出席していました。

肝要な霊的食物を供給する

どこに住んでいようとも,人々が最も必要としているのは霊的食物です。統治体は,この霊的食物を入手できるようにする責任,それを豊かに備え,かつできるだけ多くの言語で備える責任を敏感に感じています。―マタイ 24:14,45; 28:19,20

そのことを考えて,統治体は多くの支部に執筆を行なう兄弟たちを割り当てているだけでなく,執筆委員会は出版物を翻訳する取り決めも設けています。翻訳者の新しいチームを訓練し,すでに設けられているチームがより良い仕事を行なえるようにする努力が絶えず払われています。

世界の国々の中で,南太平洋に浮かぶ島国ツバルよりも小さな国は三つしかありません。1994年に,そこでは359人が記念式に出席しましたが,そのうち伝道者はわずか47人でした。しかし,ツバルの人々には,ほかの場所の人々と同様,神の王国について学ぶ機会が必要です。聖書の出版物を彼らに定期的に届けられるようにするため,8月にツバルのフナフティに王国会館が建設された時,翻訳の仕事を幾らか行なうための事務所のスペースが王国会館の中に作られました。オーストラリア,ハワイ,ニュージーランドから64人の兄弟姉妹が8月中2週間そこに赴いて,建設工事を行なう取り決めが設けられました。

同じように,グリーンランドの主都ゴットホープ(ヌック)にも,グリーンランド語の翻訳者のための事務所を備えた新しい王国会館があります。地元のエホバの証人に加えて,デンマークの兄弟姉妹たち80人がこの建設計画に参加しました。バルト諸国の必要を満たすため,フィンランドの兄弟たちはエストニアのタリンとラトビアのリガに,奉仕部門や翻訳部門や他の部門のためのスペースを持つ立派な建物を備える助けをしました。リトアニアでも翻訳チームが一生懸命仕事をしています。

世界中の翻訳者たちは非常に忙しく働いてきました。その結果,今年,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」がポーランド語,韓国語,セブアノ語,イロカノ語,タガログ語,インドネシア語で発表されました。アフリカの翻訳チームも,さらに三つのアフリカの言語,つまりアフリカーンス語,ヨルバ語,ズールー語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」を完成させ,それを印刷・製本のためにブルックリンに送ることができて喜びました。これらの言語が話されている国々の宣教にこれは何という恩恵をもたらすことでしょう。

もう一つの大きな翻訳プロジェクトとして「エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々」の本があります。この本はすでに28の言語で入手可能です。英語(英語の点字も含む)とスペイン語に加えて,11のヨーロッパの言語,東洋の七つの言語,アフリカの七つの言語がその中に含まれています。

東ヨーロッパの国々や以前の共産主義の国々で出版物を準備することに特別な力が注がれてきました。昨年,雑誌,ブロシュアー,パンフレットに加え,16種類の書籍が東ヨーロッパ,アフリカ,東洋の言語に翻訳され,これらの地域で用いられるようになりました。

緊密な国際協力によって,現在「ものみの塔」誌を同時出版している言語の数を増やすことも可能になりました。1年前,同時出版が行なわれていたのは81の言語でした。1995年1月1日号に関して言えば,合計97の言語に同じ資料が同時に載せられています。このことはエホバの民を一致させる点で何とすばらしい影響を及ぼしていることでしょう。

宣教訓練学校はもっと多くの国に広がる

長年の間スイスで行なわれていた印刷がドイツ支部に割り当てられた時,スイスのベテル家族の人数は減らされました。このために空き部屋ができたので,それを宣教訓練学校のために用いることになりました。昨奉仕年度中,この学校はブラジル,ガーナ,グアドループ,ハイチ,ケニア,韓国,フィリピン,ポーランド,プエルトリコ,ザンビアでも開校され,新たに開校した国の合計は11か国になりました。28の異なる国や地域からの生徒たちが訓練を受けました。母国の会衆で奉仕するよう招かれた生徒たちのほかに,幾人かはアフリカや東ヨーロッパの外国に遣わされました。

この学校が1994奉仕年度よりも前に開校された15の国々でも,クラスが開かれました。36の異なる国や地域からの生徒が出席し,現在生徒たちは会衆の世話をしたり,他の責任を担ったりしています。

禁令が最近解かれたマラウイからの生徒は,ザンビアでの学校に到着した時,協会のビデオや録音テープは言うまでもなく,「聖書に対する洞察」や,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌の合本,「参照資料付き聖書」,「ものみの塔出版物索引」を初めて目にして驚きました。学校の期間中,兄弟にとって一番うれしかったのは,兄弟たちと一緒に家から家を訪問できたことでした。

ケニアの生徒たちからの手紙は,教訓者の辛抱強さや与えられた個人的援助に対する感謝を言い表わしています。彼らはさらに,宿舎や食事を提供してくれた地元の兄弟たちの親切なもてなしに対して,また,霊性が高められたことを含め,自分たちに生じた良い変化について感謝していました。

フィリピンで開かれたこの学校の最初のクラスに出席した生徒は,こう手紙に書いています。『訓練は,会衆の責任を聖書的かつ神権的に,またまじめさを尽くして果たすよう助けてくれました』。別の生徒はこう書いています。『毎日エホバに教えられる喜びを経験しました。確かに,これは私の一生のうちで最もすばらしい経験です』。

生徒たちは学校に出席するために,幾らかの調整をしています。多くの生徒は,長老や奉仕の僕の数が少ない会衆から来ています。パートタイムの世俗の仕事を離れることが問題になる人たちもいます。まれなケースですが,家族の成員を扶養している人や未信者の親がいる人たちもいます。アルゼンチンの学校に招待された一人の若い兄弟は,働いていた銀行で特別な課程を終了したばかりでした。兄弟はエホバに祈り,上司に2か月の休職を願い出ました。休職の理由を説明したところ,「それがあなたのためになるのであれば,行ってもいいですよ」と言われました。ボリビアの若い兄弟は,建設の契約書にサインした直後に学校に招待されました。次から次へと仕事の問題が生じましたが,学校に出席するため移動することになっていたちょうどその日に仕事を終えることができました。「この大きな特権はいかなる犠牲を払ったとしても,それだけの価値があることが分かります。エホバに助けを求め,祈りに調和して行動すれば,答えは与えられ,豊かな祝福を受けます」と,兄弟は締めくくっています。

緊急な必要を満たすために世界的な規模で建てる

ずっと昔,エホバはイザヤを通してご自分の女のような組織について預言的にこう語られました。「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ。……ためらうな。あなたの天幕の綱を長くし,あなたのその天幕用留め杭を強くせよ」。(イザヤ 54:2)この宣言に対する反応として生じた事柄は,現在わたしたちが経験している,組織の拡大の基礎を据えました。またしても,さらにスペースが必要となっています。人々が神の言葉を教えてもらうために集まれる会館を増やすことが緊急に必要です。このためには建設が必要であり,昨年はこの分野で目立った成果がありました。

マラウイでは,長年にわたる禁令がなくなり,兄弟たちはスタートを切ったばかりですが,集会には大勢が出席しています。王国会館が大いに必要とされています。田舎の区域では,粘土でできたれんがに藁葺きの屋根で王国会館を建てることができれば,それで満足できます。都市部では,いまだに兄弟たちの家や公民館や戸外で集まり合っています。

南アフリカでは,これまで数十年間,個人の家や学校の教室を使ってきましたが,今では諸会衆は自分たちの会館を建てています。新しい会館を建てたことが出席者の増加につながることは少なくありません。1994年4月の選挙の後,暴力事件が少なくなったように思えた時,地区建設委員会は,トコザの二つの会衆のための会館を速成建設で建てる計画を立てました。その地域で新たに暴力事件が生じましたが,様々な人種の自発奉仕者全員は町に入って,数日のうちに美しい王国会館を完成させることができました。それは,すばらしい証言となりました。

過去4年間にナイジェリアでは,657の新しい会衆が設立されました。七つの会衆が一つの王国会館を共有していることも珍しくありません。高いインフレ率のため,兄弟たちが土地と建設資材を購入する十分な資金を貯めるのは難しくなっています。しかし1994年に,支部事務所は709の王国会館の新築と改造のために技術的援助と資金の援助を行なうことができました。このような援助を受けて,兄弟たちは長期の使用に耐える魅力的な王国会館を建設しています。

ドイツの東部でも王国会館の建設が数多く行なわれています。40年以上にわたる共産主義政権の支配が終わって,初めて東ドイツで王国会館が献堂されたのは1992年7月のことでした。過去2年の間に36の新しい王国会館が建設されました。これらの会館は94の会衆が使用しており,国内のこの地域にある全会衆の37%が新しい会館で集まり合っていることになります。

エストニアのエホバの証人は,一般の人たちが驚きの目で見つめる中,マルドゥーに最初の王国会館を建てました。この2階は,4組の宣教者の夫婦が住めるようになっています。フィンランドやスウェーデン,ノルウェー,カナダ,米国の兄弟姉妹が,地元の兄弟たちと一緒に3か月でこの仕事を完成させました。

ギリシャの兄弟たちは,何十年もの間,王国会館を所有する権利を認められていませんでしたが,その状況も大幅に変化しました。アテネでは,以前ベテルだった建物や敷地が集合型王国会館に変えられ,六つある会館を18の会衆が使用しています。ハルキダでは,国内各地の兄弟たちの助けにより,ギリシャで初めて速成の王国会館が建てられ,その際,報道関係者や近所の人たちは驚きの目で見守っていました。

パナマでは昨年,新しく支部にできた建設部門の援助を得て,7軒の王国会館が新築されました。40人の全時間自発奉仕者を用いて,新しい会館を1か月で完成させることができます。コロンビアでは,兄弟たちは王国会館用のプレハブユニットを設計しました。プレハブのユニットは支部で作られ,組み立てを現場で行ないます。1年間で37軒の新しい王国会館が建てられました。

1993奉仕年度中,イタリアでは,入手している最新の完全な数字によると,50軒の新しい王国会館が建設あるいは改装されました。1993年9月から1994年5月の間に,さらに約60軒の会館の新築あるいは改装のための書類手続きが始まりました。1994年8月の末までにはその数字にさらに30軒が加えられることが予想されています。

広々とした大会ホールも,多くの国で建設されました。昨年,ブラジルでは,六つの新しい大会ホールがエホバに献堂されました。二つは国の北部(レシフェとフォルタレザ)に,二つは国の南部(ポルトアレグレとクリティバ)に,一つはニテロイに,もう一つはサンパウロの近くのピンダモニャンバガにあります。このうちの五つは同じ週末,1993年9月11日と12日に献堂されました。熱帯である北部にある二つのホールは,海からのそよ風をフルに活用するために三方の壁がありません。年末には15の大会ホールが使用されていました。そのうちの二つ(リオデジャネイロ州ケイマドスとサンパウロ州バルジェングランデ)は,それぞれ7,000人を楽に収容することができます。

スウェーデンには現在五つの大会ホールがあります。ストレングネスにある一番新しいホールは,以前,体育館兼展示場でしたが,1万人を収容できるメインホールを持つ大会ホールに改造されました。ホールからあまり離れていない場所に立つ,156部屋あるホテルも兄弟たちによって購入され,大会中,特に年配の方々の宿舎となっています。国の中央部にこの大きな大会ホールがあり,北部と南部にもう少し小さなホールがあるため,兄弟たちは今では巡回大会や特別一日大会だけでなく,地域大会も自分たちのホールで開くことができます。兄弟たちは,献堂式のプログラムに統治体のC・W・バーバーとT・ジャラズや,近隣の国々からの400人の他のゲストを迎えることができて特にうれしく思いました。

ドイツでは,昨年中もう一つの大会ホールを建てることができました。このホールは,以前共産主義政権の東ドイツであった地域の中のグラウハウにあります。

ナイジェリアでは,巡回大会や地域大会のための11の新たな施設の建設計画が進行中で,そのうちの幾つかは建設が実際に行なわれています。こうした施設の一つで,昨年アクレに完成したホールには5,500人分の座席があります。建設現場を訪れた高等裁判所判事は,働いている人たちが全員,無報酬の自発奉仕者であることを聞くと,こう言いました。「このようなことを私の宗教が行なうとすれば,受注した人は億万長者になるだろう。労働者たちはあらゆる機材を盗むだろう。私の教会が1,000万ナイラの工事をした時には,人々があまりにも腐敗しているので,2,000万ナイラの予算を組んだんだ」。別の見学者,一人の若い男性は,兄弟たちがとても熱心に働いている様子を観察した後,父親の方を向いて,「この人たちはぼくたちと同じ聖書を読んでいるのかな?」と聞きました。父親は,「同じ聖書だよ。この人たちが聖書に従っている方法が,私たちが従っている方法とは違うだけのことだ」と答えました。確かに,真の宗教と偽りの宗教の違いは様々な方法で明らかになります。

これは決して完全な報告ではありません。ニュージーランドの南オークランドに兄弟たちが新築した立派な大会ホール,国内の伝道者の半数以上が利用できる場所に建てられたノルウェーで最初の大会ホール,ティルト・アップ工法で建てられた日本で6番目の大会ホール,ポルトガル国内で2番目に大きな都市に建てられた,座席がたっぷりあり,地域大会も開けるように超過人員用の施設を備えた新しいホール,ウクライナ南部のトランスカルパティアにあり,壁を片づければ大会ホールとして使える4軒の集合型王国会館,どうしても必要が大きくて工事が完成する前でさえ九つの大会が開かれたトリニダードの大会ホール,国際的な協力により西サモアのシナモガに10日間で建てられた壁のない会館,ある新築建物の屋上に2階部分を増築する権利を兄弟たちが買い取ってイスラエルのベツレヘムに建てられた小さめのサイズの大会ホール,地域大会の設備を備えたイタリアのサルデーニャ島の新しい大会ホール,イタリアのプラトの大会ホールに付け加えられた地域大会用の宿舎,昨年バプテスマを受けた8,000人以上の新しい人たちを収容する助けとなるコロンビアで五つ目の大会ホール,すべてをわずか2か月で完成させるためフランスから自費で代わる代わる飛行機でやって来た761人の兄弟たちの援助によって建てられたフランス領ギアナの広々とした大会ホールと,特別開拓者と宣教者の住居を備えた4軒の王国会館のことを,スペースが許すなら詳しく話したいと思います。

支部の献堂

野外での爆発的な増加によって,支部を新築したり拡張したりすることも必要になりました。こうした支部の幾つかが,昨奉仕年度中に献堂されました。

カナダ

1993年9月25日にカナダ支部の増築部分が献堂されました。既存の建物に加えて,新しい大きな管理棟,印刷発送センターの一部として使用される縦横60㍍の2階建ての部分,約330人のベテル奉仕者を収容できる新しい宿舎棟,サービス棟があります。長年エホバの僕として仕えてきた大勢の人たちとともに,統治体の成員の二人,ミルトン・ヘンシェルとジョン・バーが献堂式のプログラムに出席しました。

なぜ拡張が必要になったのでしょうか。ここの事務所は,東西5,100㌔,セントローレンス川や五大湖から北に向かって北極に至るまでの広大な区域で良いたよりを宣べ伝える業を監督しているのです。この国は世界でも指折りの大きな国です。1981年に支部がホールトンヒルズの現在の場所に移ってから,カナダのエホバの証人の数は59%増加しました。この増加する群衆の必要を満たすために,支部にもっと場所が必要になりました。カナダでは良いたよりが約110年間宣べ伝えられてきましたが,近年,外国語を話す人たちに特別な注意が向けられるようになってから,この業は新たな局面を迎えています。英語とフランス語以外にも,会衆または定期的な集会のある言語は,10ほどあります。

タヒチ

南太平洋の真ん中のタヒチで,新築の美しい支部施設が1993年12月11日に献堂されました。献堂式のプログラムで話をした統治体の成員,ミルトン・ヘンシェルは,建物の美しさではなく,その中で行なわれる業が最も重要であることを出席者全員に思い起こさせました。

そのような建物が自発的な寄付と無報酬の労働で建てられたことは確かにニュース価値のあるものでした。テレビのニュースは,国際放送の中で献堂式のことを報道しました。62年前,1931年に一人のエホバの証人,シドニー・シェパードがタヒチに着き,宣べ伝える努力を払いました。その後をフランク・デュワーが引き継ぎましたが,二人ともそれほど長くは滞在が許されませんでした。しかし,現在,タヒチやフランス領ポリネシアの島々には1,700人のエホバの証人がいます。

西サモア

諸国民の望ましいものを集める業は,世界の主要な国々だけでなく,広大な太平洋に散らばる小さな群島にも及んでいます。1950年代にこれらの国々で業が本格的に行なわれ始めてから,西サモア支部の管轄下にある五つの国では,ギレアデの卒業生26人と他の宣教者や海外からの特別開拓者24人が奉仕してきました。彼らの働きの実は,650人の伝道者がこれら遠く離れた島々で奉仕していることに見られます。5年ほど前,新しい施設がどうしても必要になりました。なぜでしょうか。

支部が管轄している,人の住む59の島々に散らばる兄弟たちに加えて,オーストラリア,ニュージーランド,ハワイ,米国カリフォルニア州にある大きな移民社会の中に太平洋諸島の言語を使う会衆が幾つかできたためです。彼らの数はわずかですが,これらの貴重な人々を霊的に養うのは大切なことです。(イザヤ 42:10,12)どこで見いだされようと,エホバはご自分の民に関心を示されます。このような見方を反映して,統治体は,これらの島々で使われている四つのポリネシア言語,つまりサモア語,トケラウ語,トンガ語,ツバル語の翻訳に力を入れてきました。兄弟姉妹たちがコンピューターを使って出版物の翻訳,校正,組版を行なう訓練を受けました。

印刷部数が少なくても,出版物をこれらの言語に翻訳するには,数百万の人々が話す言語の場合と同じ量の仕事,人員,施設が必要です。1990年には古い支部(宣教者の家に改造された)のスペースは非常に不足していました。もっと大きな建物が必要になり,統治体は計画を承認しました。

しかし,建設工事はどのように行なわれるのでしょうか。サモア諸島の伝統的な家は,地元にある材料を使って建てられ,壁がなく,あるのは屋根を支える柱だけです。そのため地元の兄弟たちのほとんどは,近代的な支部を建設する際に用いられる工法を全く知りません。

答えは,わたしたちの国際的な兄弟関係を通して来ました。ブルックリンの建設事務所とオーストラリアの地区設計事務所が設計図を準備し,地震とサイクロンに耐える建物を設計しました。3年半に及ぶ建設の間,44人のインターナショナル・サーバントと69人のインターナショナル・ボランティアが必要な専門技術を教えました。彼らは,建設作業を全時間行なった38人の地元の兄弟姉妹や,大勢のパートタイムの兄弟たちを訓練しただけでなく,地元の会衆の霊性も高めてくれました。建設現場で身に着けた経験と技術は,地元の兄弟たちが王国会館を建てる点ですでに役立っています。

献堂式は1993年11月20日に行なわれ,統治体のジョン・バーが献堂の話を行ないました。出席者全員は,支部をエホバへの奉仕に献堂するという決議に熱烈にこたえ応じました。

ドイツ

昨奉仕年度中に完成した最大の支部の増築計画は,ドイツのゼルターズ/タウヌスの計画です。これは,3年半に及ぶ建設工事の最高潮となりました。その期間中,すでに協会の支部事務所と印刷工場としては最大のものだった建物を2倍以上に大きくするため,1万8,600人を超える自発奉仕者が手伝いました。

5月14日から15日に行なわれた献堂式のプログラムには,統治体からケアリー・バーバー,ミルトン・ヘンシェル,カール・クライン,ダニエル・シドリックの4人の成員が出席しました。聴衆の中には55か国の人々がいました。バーバー兄弟は話の中で,東ヨーロッパでの大変動が兄弟たちに,より大きな自由をもたらしたことを指摘しました。しかし,そこに住む人々の霊的な飢えを満たすため,『その兄弟たちが必要とする出版物や雑誌すべてを備えることは不可能だったであろう』と説明しました。「それでドイツ支部がそれを彼らに供給し,彼らが宣べ伝える業に注意を集中できるようにしているのです」。ですから,献堂式に出席していたゲストの多くが東ヨーロッパの国々の兄弟たちだったのは何とふさわしいことだったのでしょう。彼らは施設を見学し,製本の様子を観察し,巨大な新しいオフセット輪転機が動いているのを見て喜びました。施設が拡張されたことにより,ドイツ支部は1日に雑誌を最高160万冊,書籍を8万冊生産することができるようになります。そこではすでに,58か国のための出版物が42の言語で印刷されています。

土曜日に支部で行なわれた献堂式のプログラムには,3,658人しか出席できませんでした。しかし,ドイツ国内の証人たちは全員,何らかの形で建設に貢献しており,だれもがそのような機会に与えられる霊的な励ましから益を受けたいと思っていました。それで,日曜日にもプログラムはベテルと国内各地の六つの運動競技場で続けられ,17万7,902人が集まってエホバに賛美と感謝をささげました。シドリック兄弟は多くの人が感じたことをまとめて,次のように述べました。「これは献堂式の中の献堂式です。わたしたちの記憶の中に長く,これからずっと残ることでしょう」。

他の建設計画

ニューヨークの世界本部,つまりブルックリンの新しい施設,パタソン,ウォールキルで建設計画は速いペースで行なわれています。これらの様々な場所で現在,1,040人以上の兄弟姉妹が建設工事に参加しています。1995年3月までにギレアデ学校は,パタソンにあるものみの塔教育センターに引っ越すことになっています。

協会はチェコ共和国でも事務所を維持しています。協会に寄贈された新築の10階建てのビルが改造され,プラハのベテル・ホームまた事務所として使用されています。レソトのマゼルにある新築の王国会館兼宣教者の家は事務所と文書集配所も兼ねています。

ソロモン諸島で新しい宣教者の家が3軒必要になった時,国際的な協力によって,必要を満たすことが可能になりました。オーストラリアの兄弟たちのグループ幾つかが大切な部分をプレハブの形で作り,それからオーストラリア支部がそれらを全部まとめてソロモン諸島に発送しました。その間に,ソロモン諸島の兄弟たちは建設現場を準備し,森の中で40㌧の材木を切り倒して手で運びました。二つの島で速成方式で行なわれる建設を手伝うために時間と航空運賃を自発的にささげたオーストラリア,ニュージーランド,ハワイの96人の兄弟たちが到着した時にはちょうど,用意万端整っていました。3軒の家は,わずか3週間で完成しました。

この1年には,韓国,台湾省,エクアドル,スリナム,スリランカでも支部の完成に向けて多くの仕事が行なわれました。それに加えて,他のたくさんの計画も現在,進行中です。支部の大規模な工事がメキシコ(244,245ページをご覧ください),スペイン,ドミニカ共和国,オーストラリア,マダガスカル,シエラレオネ,アイルランド,ニカラグア,パラグアイ,ペルー,ジャマイカ,ニューカレドニアで現在行なわれています。フランスの兄弟たちは,反対のため何度も延期になりましたが,ルビエの支部施設の拡張を行なっています。ロシアのサンクトペテルブルクの近くでは,スカンディナビア諸国に加えて旧ソビエト連邦の各地から来た300人を超える自発奉仕者が,ロシアのエホバの証人の宗教団体の管理センターの準備のために一生懸命働いています。

アフリカ南部でも多くの建設工事が行なわれています。現在のところ,南アフリカ,ケニア,モザンビーク,マダガスカル,ザイールで支部の建設が行なわれています。南アフリカはこれらの支部の幾つかに建設材料や設備を供給する立場にいます。この理由で,この支部は,支部内だけでなく他の支部の必要を満たすために,購入,発送,トラック運送部門が大きなものとなっています。

日本では,もう一つの巨大な建物,地下1階地上12階の支部建設計画が,計画・設計の段階にあります。ブラジルのセザリオランジェで現在行なわれている建設に加えて,サンパウロに事務所,倉庫,宿舎を建てるための準備作業が行なわれています。また,計画の様々な段階にある他の建設計画が数多くあります。それらは,真の崇拝を受け入れている大群衆の霊的な必要を満たすために役立つことでしょう。

このすべてはどのように可能になったのでしょうか。エホバの霊によってです。その働きにこたえて,エホバの民は,物質的にはほとんど持っていない人も,そうではない人も,王国の権益を促進するため,自分自身や物質的な資金を寛大にささげています。その結末にエホバの祝福がもたらされるのを見るとき,何という喜びがあるのでしょう。

[6ページの図版]

過去5年間に151万4,287人がバプテスマを受け,こうして自分がエホバの証人であることを明らかにしている

[12,13ページの図版]

「神の教え」国際大会では温かくて幸福な仲間の関係が見られた

1. 香港。2. フィリピン。3. ケニア。4. チリ。5. コロンビア。6,7. 南アフリカ

[14ページの図版]

ルワンダの証人たちに救援物資が素早く空輸された

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本会場に1万人が座れるスウェーデンのストレングネスの大会ホール

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新しい支部施設(一番上から時計回りに): カナダ,西サモア,タヒチ,ドイツ(最新の印刷機と共に)