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全世界の報告

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アフリカと近隣の島々

アフリカ大陸は数多くの国々に分かれています。それらの国々はさらに部族や言語によって分けられています。部族間の暴力行為の発生は珍しいことではありません。しかし,これらの国家,部族,言語集団出身の,63万6,000人を上回る人々が,一致してまことの神エホバを崇拝しています。彼らは他の人たちに「神を恐れ,神に栄光を帰(す)」よう勧めており,多くの人々がこの励ましに感謝してこたえ応じています。―啓示 14:6,7

土地の迷信や呪術にどっぷりと浸かっていた人の中にも,エホバに仕えるためにそれらすべてから離れた人たちがいます。南アフリカでは,証人たちがある家のドアをノックしたところ,ドアが開き,サンゴマ(呪術医)の装束に身を固めた女性が出てきました。証人たちは早々に引き上げたいと思いましたが,その女性は証人たちに用件を告げるように言って譲りません。そこで,証人たちの一人は申命記 18章10節から12節を用いて,心霊術の行ないに関する聖書の見方を示しました。呪術医は聖書研究の勧めに応じ,聖書を研究してサンゴマの活動がエホバの意向に反していることを納得したら,その活動をやめると言いました。

この女性は,聖書を使いながら,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本の第10章を研究した後,自分が持っていた呪術関係の道具一式を焼き払い,王国会館の集会に出席し始めました。彼女は正式に結婚していたにもかかわらず,夫と17年間別居していました。そこで,彼女はその状況を正す必要があることを悟りました。今では二人とも献身し,バプテスマを受けた証人となっています。

過去1年ほどの間に,特に胸の躍るような知らせが幾つかマラウイから届きました。1993年8月12日,マラウイのエホバの証人に対する26年に及ぶ禁令が解除されたことを聞いて,全世界のエホバの証人はどれほど喜んだことでしょう。これに続いて,1993年11月15日にはものみの塔聖書冊子協会が認可され,1994年2月25日にはエホバの証人の出版物に対する禁令が解除されました。興味深いことに,協会が認可されてからほんの数週間後,エホバの証人を情け容赦なく虐待してきたマラウイ青年開拓団(MYP)の本部が破壊されました。その事務所はすべて閉鎖され,メンバーの多くは軍隊によって狩り立てられ,殺されました。その他の者たちは命からがらモザンビークへ逃げました。

マラウイの兄弟たちは,家から家へ伝道し,出版物を提供し,家庭での聖書研究を始める方法を再び学んでいます。協会の出版物に対する禁令が解除された直後に,4月の全国的な活動が取り決められました。その期間中に,奉仕者たちは三つの言語で「エホバの証人はどのようなことを信じていますか」というパンフレットを配布しました。このパンフレットは100万部以上配布されました。

アフリカ西海岸の沖合いにあるサントメ・プリンシペに住む一握りの真のクリスチャンたちは,聖書を研究するために集まり合うという理由で30年以上にわたり迫害され,殴打され,投獄されてきました。しかし,1993年にこの国のエホバの証人に信教の自由が与えられました。その後1994年1月に,証人たちは近代的な空調設備がある国内随一の講堂で3日間にわたる「神の教え」地域大会を楽しみました。プログラムの一部は国営ラジオでも放送されました。

ザイールの最高裁判所がエホバの証人を合法的な地位に回復させたので,この国で地域大会を開くことが再び可能になりました。どのような反応があったでしょうか。奉仕年度の初めに開かれたキンシャサの大会では,競技場は7万人を超える聴衆で満員になりました。1994年の「敬虔な恐れ」地域大会では,最初の六つの大会で出席者の合計が12万127人に達し,1,155名がバプテスマを受けましたが,この一連の大会はさらに19か所でも開かれることになっていました。

コートジボワールのクマッシ・プロドモ会衆には,非常に温和なことで知られている奉仕の僕の兄弟がいます。しかし,兄弟は昔からそのような評判を得ていたわけではありません。真理を学ぶ前は,いつも大酒を飲み,たばこを吸い,悪い仲間と付き合い,困ったことはたいてい拳で解決していました。昔の彼を知っている人たちは,一番いいのは彼と仲良くするか全く離れているかだったと証言しています。しかし,兄弟は,「エホバはわたしを哀れんでくださいました」と述べています。聖書研究が始まり,徐々に自分の生き方を変化させ,やがてバプテスマを受けたのです。しかし,その変化はどれほど完全なものだったでしょうか。それが試されたのは,バプテスマを受ける1か月前,数人の男に襲われた時のことです。彼はやり返しませんでした。バプテスマを受けた数週間後にも,同じようなことが生じました。しかし兄弟は,自分の以前の生き方にかなう古い人格を捨て去ったこと,思いを活動させる力において新たにされたこと,また,エホバの霊を反映させる新しい人格を真に着けたことを再度証明しました。―ガラテア 5:22-24。エフェソス 4:22-24

アジアと太平洋の島々

東洋と太平洋の島々に住む51万4,847人のエホバの賛美者のうち,15万2,343人は開拓者として奉仕しています。

日本では,毎月100件の再訪問を行なおうと努力していたある開拓者が,最初の訪問で関心を示さなかった人をも再訪問することにしました。そのことを思いに留めつつ,家から家の奉仕で会うことのできたすべての人の記録を取り,7日以内に再訪問するようにしました。家から家の奉仕に出たら再訪問も5件行なうよう努力しました。何を話すかをよく準備し,音信に絶対の確信を持ってこの業を行ないました。月末までにそうした再訪問を241件行ないました。そのうちの一つの再訪問で,「いつもあなた方を追い返していた。話を聞いてあげるのは初めてだよ」と言う人と研究を始めることができました。愛に基づく根気強さが良い結果をもたらしました。この兄弟は月末には10件の聖書研究を報告しました。

ニュージーランドには,過去数年間に多くの外国人が,特にアジアから流入してきました。最近,韓国語とタイ語の聖書研究の群れが設立され,兄弟たちは間もなくオークランドに中国語会衆が設立されることを期待しています。そこでは中国人が5万人を超えるまでに増加したと伝えられています。ほかにもウェリントンやパーマーストンノースのような,北島の都市の中国人が住む地域でかなりの関心が示されているとの報告がありました。

聖書研究生の中には,親族に真理を知らせるようにとの提案に従って成功を収めた人がいます。台湾省の台南<タイナン>で,若い主婦が研究を始めました。彼女の家は大家族で,家族のほとんどが長老派教会の著名な人物でした。その教会はエホバの証人を,『他の宗教を攻撃する』としてしばしば非難していたので,彼女はそうしないよう注意し,もっぱらクリスチャンの特質を示すことに努めました。集会に行くためにバイクで16㌔走らなければなりませんでしたが,定期的に出席しました。間もなく,家族の成員は彼女の人格に変化が見られることに気づくようになりました。このことと巧みな証言の結果として,義理の姉妹が研究を始めました。彼女自身の夫も彼女が学んでいることを調べることに同意しました。次に,夫の弟といとこも研究を始めました。その後,しゅうとめは家族のいろいろな人が学んでいることに関心を示しました。この若い女性は,今度は320㌔離れた所に住む実の両親にも証言しました。その両親も研究を始めました。今ではこの若い女性,彼女の夫,二人の親族がバプテスマを受けており,親族の他の数名は真理を学ぶ点ですばらしい進歩を遂げています。また,同じ教会に属していた別の夫婦も,宣べ伝える業に参加できるよう教会をやめたところです。言葉とりっぱな行状によって真理を他の人に推薦したことに対して,エホバは本当に大きな祝福を与えられました。

1912年にものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルが,当時セイロンとして知られていたスリランカを訪問した時,マティルダはまだ12歳でした。彼女は「ふれ告げる人々」の本,239ページの写真に出ています。地面に座っている右から2番目の少女です。後に,マティルダは夫と共に数年にわたって特別開拓者として奉仕しました。現在94歳ですが,今でも証言に余念がありません。最近,姉妹は年間を通じて補助開拓奉仕を行ないました。つえを使えば少し歩けるので,近所の人,友人,親族,セールスマン,郵便配達人ほか,訪ねて来る人ならだれにでも証言する機会を十分活用できます。それでも,証言の大半は手紙で行なわなければなりません。姉妹は日刊紙の死亡告知欄から住所氏名を見つけ,何人かに手紙を書きます。感謝の手紙が来る時には,姉妹は本当にうれしくなります。

大韓民国では,エホバの証人の31%が正規開拓者で,さらに数千人が補助開拓奉仕に参加しています。頻繁に奉仕されている区域もあります。しかし奉仕者たちは,的を射た,一文だけの注解を用いて,家の人が関心がないと言う場合でさえ良い結果を得ています。ある姉妹は,聞きたくないと言ったカトリック教徒の女性に対してこう言いました。「私にはあなたがどんな希望をお持ちかは分かりませんが」―「平和な新しい世での生活」のパンフレットを示して ―「私にはこのような平和な新しい世で生きるという希望があります」。一人の姉妹は,ある年配の女性が関心がないと言った時,同じパンフレットを示して,「この絵にあるような楽園に住むよう招かれたら,そのような招きに応じませんか」と質問しました。この訪問はどちらも家庭聖書研究という結果になり,家の人はその後集会に出席するようになりました。現在,婦人たちは二人ともバプテスマに向かって進歩しています。

ハワイでは,人々と接触できる場所ならどこでも,人々と接触できる方法なら何でも用いて,人々に達するための力を合わせた努力が払われています。入居者以外は中に入れないアパートに住んでいる人,仕事場にいる人,街路や公園や海岸や他の場所にいる人たちに対してです。こうして会衆には区域カードが増え,区域がより徹底的に奉仕されることになりました。電話による証言も実を結んできました。この方法で,ある姉妹は入居者以外は中に入れないアパートに住む若い海軍の男性と接触しました。十分な関心が示されたので,この男性にブロシュアーを届けることになりました。ある兄弟が再訪問を行ない,『永遠に生きる』の本を用いて聖書研究が始まりました。時たつうちに,この男性はルームメートや乗組員に証言するようになりました。実際,この男性は自分の研究に参加するようにと彼らを(一度に一人ずつ)招きました。研究が始まって数週間して,この男性は,「エホバは終わりが来る前に,真理を知ることを望む人すべてをどのようにして見つけ出されるのですか」と質問しました。兄弟は,「入居者以外は入れない,一度も奉仕されていなかった建物に住んでいるあなたと電話で接触できたこと,しかも,それがあなたが家にいる時だったというのは単なる偶然だと思いますか」と答えました。その男性はちょっと考えて,「おもしろいですね。電話が鳴る直前に,聖書に本当はどんなことが書かれているのかを知る方法があるのかどうか知りたいと思っていたのですから」と言いました。

長期にわたって入院していても,エホバの証人は宣べ伝え続けることができるでしょうか。太平洋の中央にあるキリバスのタワラ島に住む姉妹はこの難題に直面しました。すぐに,姉妹は「見よ!」のブロシュアーを仲間の患者が一人でも多く受け取るように配布し始めました。ある患者は,姉妹には定期的にお見舞いに来てくれる人たちがいるのに気づき,全員が親族かと尋ねました。見舞い客は会衆の長老たちを含め霊的な兄弟姉妹たちであることを説明すると,その女性は大いに感銘を受けました。そして,自分が入院している3か月の間に,自分の宗教の仲間で訪問して気遣いを示してくれた人は,重症であるのを知っているにもかかわらず一人もおらず,大変落胆したと言いました。彼女は聖書研究を依頼してきました。しばらくして,彼女の夫と母親も研究することに同意しました。姉妹は巡回大会に出席するために短期間だけ病院を離れることができました。仲間の患者や,そのほかの患者の家族の幾人かが大会に共に出席したとき,姉妹はどんなにかうれしかったことでしょう。

ヨーロッパ

過去1年間に,ウラル山脈を越えて東洋にまで広がるロシアを含め,ヨーロッパ諸国では神の王国を証しする業に2億4,876万3,468時間がささげられました。世界のこの地域で,エホバへの献身の象徴としてバプテスマを受けた人は8万9,578人でした。これらの人々にはどのようにして良いたよりが伝えられているのでしょうか。

近年,何千何万もの難民がベルギーへの入国を試みてきました。このことによって,ベルギーの兄弟たちには新たな活動の分野が開かれました。480人の難民を収容するあるセンターで,兄弟たちは過去3年間に,43の国から来た人々との聖書研究を160件司会しました。時には10人から成るグループが出席します。関心を持つ人があまりにも多かったため,センターの所長は,兄弟たちが聖書研究を司会できるよう,特別の事務室をあてがってくれました。

スロバキアからの難民で,カトリック教徒だった若者は,自分の聖書研究を週に2回行なってほしいと言いました。この青年が母親に手紙で証言したところ,母親は息子がどんな人々と交わっているのかを知ろうと,スロバキアの地元の会衆を訪ねました。意外にも快い印象を受けた母親は,聖書研究に応じ,その娘も研究に応じました。この青年は婚約者にも手紙を書きました。彼女の姉は彼女に水をさそうとしましたが,ほどなくして二人とも研究するようになりました。難民センターにいるその青年は家族に手紙を書き続け,家族全員がその手紙を読みました。今ではスロバキア国内で,彼の親族との聖書研究が10件司会されています。

辛抱は報われる ― これは,チェコ共和国のある開拓者の姉妹が到達した結論です。姉妹はこう語っています。「1年前,私は一人の若い女性と研究を始めました。最初の2か月間,この女性は聖書の見解を考慮するのに,ほんの10分か15分しか関心や注意を払っていられませんでした。彼女が研究の日や時間を変えることも何回かありました。私にとって時間はたいへん貴重ですし,そのたった10分の研究を司会するために1週間に二晩を無駄にすることもしばしばありましたが,彼女に,『私には時間がない』とか『この研究は短すぎる』とは決して言いませんでした。でも,辛抱は報われました。2か月が過ぎると,この若い女性は研究を30分に,後には1時間に延ばしましょうと言ってきたのです。今では全部の集会に準備して出席し,注解しています。また,偽りの宗教を離れ,バプテスマを目指しています」。

協会のビデオ,「エホバの証人 ― その名前の背後にある組織」は大いに活用されています。アイスランドとノルウェーの間に位置するフェロー諸島に住むある開拓者の夫婦は,このビデオを二つ持っていて,それを貸し出しています。ある時など,ビデオを見る順番待ちのリストに14人が名を連ねていたこともあります。中には借りたビデオをさらにほかの人に見せている人もいます。「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の長年の読者で,すでに退職している元教師がビデオを借りました。兄弟がビデオを取りに再び訪ねると,その男性はたいへん感激しており,村の人14人にそのビデオを見せたと言いました。しかし,兄弟はビデオを取り戻すことができませんでした。ビデオは隣村のある女性が借りていたからです。後に兄弟は,この女性が自分の村の人15人にビデオを見せたと知らされました。その元教師はイースター休暇の間に,さらに6人にビデオを見せました。最新の知らせでは,このビデオはある漁師に貸し出されたとのことです。その元教師は,漁船の乗組員11人全員に見せるという条件で,ビデオをこの漁師に渡したのです。

ある朝,野外奉仕のための集会を司会していたフィンランドのある長老は,群れの人たちにこう言いました。「きょう,エホバが奉仕でわたしたちをどこに導かれるかは分かりませんが,わたしたちが奉仕に出ることは非常に重要なことです。そうすれば,エホバはご自分の望まれるとおりにわたしたちをお用いになることができるからです」。その後,その長老は区域にいて,自分たちが通り越そうとしていたある1軒の家をどうしても訪問すべきだと感じました。一緒にいた奉仕者は,あそこにはだれも住んでいないと言いましたが,長老はとにかく行きたいと思いました。二人は,一人の婦人に会いました。つい最近夫婦で引っ越して来たばかりだとのことです。兄弟たちが自分はエホバの証人であると告げると,婦人は二人を家の中に招き入れ,夫は間もなく帰宅すると言いました。兄弟たちが中に入ると,婦人はこう言いました。「この町に越してきたばかりでしたので,私はたった今,エホバの証人の方を遣わしてくださるよう神に祈っておりました。でも,どうしてこんなに早くおいでになれたのですか。ほんの10分前にお祈りしたばかりですのに」。夫が帰宅すると,この夫も関心を持っていることが分かり,すぐにこの夫婦との研究が始まりました。二人は急速な進歩を遂げ,1994年5月にバプテスマを受けました。

物質的な事柄より霊的な関心事を優先させるという確固たる決意は,クリスチャンの円熟へと成長する上での肝要な一段階です。地中海のある海港を拠点にして働いていた,フランス漁師ジャックの場合がそうでした。ジャックはエホバの証人と聖書の研究を始めてほんの少ししかたっていませんでした。夏の地域大会に出席したいと思いましたが,大会はちょうど1年のうち最良の漁期に当たりました。その時期になると,ほとんどの漁師は夜昼休みなく働いて,最盛期の獲物をとるのです。その上,ジャックの漁船では12人の人を雇っていました。最盛期に数日間漁に出ないなどとどうして彼らに言えるでしょうか。ジャックは,愚か者だと言われたり,さんざん嘲笑されたりしましたが,確固とした態度で霊的な事柄を第一にし,妻と二人の幼い息子を連れて大会に出席しました。

大会翌日の月曜日,ジャックは再び乗組員と共に船で漁に出ました。彼らが網をたぐり込むと,いつものような300㌔前後の量のイワシではなく,驚いたことに1㌧近くもの量のタイがかかっていました。この種のタイは高値の付く魚で,彼らが大会中,漁に出られなかった数日間に得たと考えられる漁獲の5倍の価値があったのです。その村の漁師で,今までにだれかがこれに匹敵するほどの獲物をとったことを記憶している人は一人もいません。

ある若者は,冬にスキーの休みをとっていた時に証言を受けました。あまり関心はありませんでしたが,オランダにある生まれ故郷の町の集会へ行って,いったいどんなものなのか見てみることにしました。会衆の書籍研究に何回か出席してから,彼は『永遠に生きる』の本で聖書研究をすることに応じました。数か月後には日曜日の集会にも出席するようになりましたが,エホバに仕えるという決定に関してはこれといった進展は見られませんでした。この青年は神への信仰とはかかわりを持たずに育ちました。しかし,「聖書 ― 正確な歴史,信頼できる預言」のビデオを見て,深く考えさせられました。彼は,このビデオをもう1週間借りておいてもいいかと尋ねました。そしてついに,「神は確かに存在するし,聖書は神の言葉だ」と言いました。それからは急速な進歩を遂げ,今では熱心なエホバの証人です。

中央アメリカと南アメリカ

世界のこの地域は,弟子を作る業において実に産出的な土地となってきました。過去1年間に,これらの国々で161万3,268件の家庭聖書研究が司会され,9万1,126人の研究生が水のバプテスマまで進歩しました。

ボリビアのアンデス山脈の高地にあるチチカカ湖の近くで証言した結果,わたしたちの兄弟たちは実にすばらしい経験をしてきました。アタワルパニと呼ばれる田舎の村落で,兄弟たちはエホバの証人ですと自己紹介すると,土地の人々の多くが自分たちはイエス・キリストの証人であると言うことに気づきました。村人たちに,その名称を採用した理由を尋ねると,使徒 1章8節に言及して答えました。そのグループの牧師のいる所で,エホバの証人という名称の聖書的な根拠も含め,多くの質問についての積極的な話し合いが行なわれ,最後に奉仕者たちはそのグループをコルパにある王国会館に招きました。

数週間後に,そのグループの牧師のうち3人が実際に王国会館にやって来ました。集会後に,3人は長老たちと長い時間話し合い,長老たちが自分たちの集会場所に来て,エホバの証人の聖書の教えについてもっと説明するようにと招きました。長老たちは,『ハルマゲドン』,『だれが天に行くか』,『地上の楽園』についてのシンポジウムを準備しました。その教会員の約50人が出席しました。話の後に,そのグループの責任者は,自分たちは『惑わされていて偽りの宗教を実践していた』と出席者全員に言いました。集会後に,牧師たちと他の数人は兄弟たちを温かく抱き締めました。そのグループの成員との間で多くの聖書研究が始まりました。この原稿を書いている時点で,そのうちの25人がバプテスマを受けた証人となっており,さらに10人が聖書研究において良い進歩を遂げています。誠実な人々から成るこのグループが,ついに,命を与える神の真理に関する正確な知識を見いだしたことを知った時の喜びを想像してみてください。

エルサルバドルの東部で,兄弟たちは良いたよりを宣べ伝えるために,田舎の最果ての区域を訪問する計画を立てました。兄弟たちは細い道を上ったり下ったりして数時間歩き,以前に訪問したことのない小さな集落に到着しました。ある家で,11歳になる目の見えない少年が戸口に出てきて,少し耳を傾けました。証言した兄弟が驚いたことに,男の子は,「僕はエホバの証人です」と言いました。本当にそうでしょうか。その少年が32番の歌「家から家に」を歌い出した時の奉仕者の驚きは大変なものです。少年はこの歌を最初から最後まで知っていました。そして,他の歌も歌えると言い,すぐに105番の「エホバの初子をたたえよ!」を歌い始めました。次にこの少年は,地上の楽園について兄弟に説明しました。この男の子はこれほど辺ぴな所に住んでいるのに,これらすべてをどのように学んだのでしょうか。字を読むことさえできない,別の幼い少年から学んだのです。その少年の母親は,大都市に住むエホバの証人の一家族に雇われていて,その若者は母親と一緒に王国会館での集会に出席したのです。その二人が,住んでいた小さな集落に戻った時,この少年は目の見えない友達に聞いたことをすべて話しました。この目の見えない少年は今では大きな町に移り住んでおり,兄弟たちは少年が真理においてさらに進歩するように忙しく援助しています。

ブラジルの北部に住む特別開拓者は,任命地に着いた時,週末のバスは運休になるため,集会に行くのに10㌔歩く伝道者が4人いることを知った,と書いています。開拓者たちはこれらの伝道者が住む町で集会を開くことにしました。最初の日曜日に40人が出席しました。2回目の集会の際,家の中に集まった人数は同じでしたが,アセンブリーズ・オブ・ゴッド教会の牧師とそのグループの15人が外にいました。中に入るように招きましたが,彼らは外で聴いていたいと言いました。開拓者はこう述べています。「集会が終わると,外に出て彼らと話し合い,質問に答えました。私は牧師に,私も以前はあなたのように牧師だったと言いました。牧師はこう質問しました。『それでは,あなたは現在どうやってエホバの証人になることができたのですか』。この質問に答えるために,自宅に来るように招待したところ,牧師は同意しました。数週間して,牧師と彼のグループの幾人かが自分たちの教会を捨てて私たちと聖書を勉強するようになりました」。

その町の最初の記念式の祝いの時,30分前から140人がやって来ました。残念ながら,音響装置は手元にありませんでした。あるカトリック教徒の女性が自分の教会から音響装置を借りてみると言いました。彼女が司祭にそのことをお願いすると,司祭は「エホバの証人のためにですか」と言いました。彼女は,「いいえ,エホバの証人は8人だけです。100人余りのカトリック教徒がいますので音響装置が必要なんです」と答えました。その話し合いは効を奏しませんでした。プロテスタント信者の女性が自分の牧師に同じような提案をしましたが,牧師は「エホバの証人のためなら駄目です」と言いました。その女性は,「私や他の教会員は寄付しているんですよ。それで使用するそれなりの権利があります」と文句を言いました。それで,牧師は貸してくれました。記念式の後に多くの新しい研究が始まりました。その町に住む人はみんな,エホバの証人が孤立した所に住む人をいかによく助けているかについて話しています。

ある日の午後,ベネズエラのカラカスの地下鉄で,あるエホバの証人が隣に座っている女性にどうやって宣べ伝えようかと考えていました。証人は人間社会がいかに変化してきたか,そして私たちもそれに合わせるよう求められてきたことについて話しました。

その婦人は同意しましたが,「それを主人に言ってるんですが,主人はバカな人で,時代遅れの方法で子供たちを育てたがるのです。エホバの証人なんですよ」と言いました。

その奉仕者は自分がエホバの証人であることを明かさないことにしました。代わりに姉妹は,「私が知っているエホバの証人はすばらしい人たちです。ご主人は大酒飲みなんですか」と言いました。その女性は「とんでもありません」と答えると,姉妹は続けて,問題となる点を次々と挙げてゆきました。「それではご主人は麻薬中毒ですか」。「きっと女たらしで,いつも夜遅くに帰って来るんでしょう」。「子供にきたない言葉を教えているんですか」。「分かった。あなたが働かないといけなくて,家にいるご主人を養わなければならないんでしょう」。どの質問に対しても,その女性は強い調子で「いいえ」と答え,時々夫のりっぱな特質を含めたりもしました。それで証人は,「それでは,私には理解できません。いったいご主人のどこが悪いんですか」と言いました。

その女性は少し考えて,「主人が子供たちを会館でのあの集会に2時間連れて行くのがいけないんです。二度と子供たちをそこに連れて行かないようにと言ったんですが」と言いました。

「その集会ではどんな話があるのですか」と証人は質問しました。そして,「お子さんがこうした集会に行かないとすれば,何をするでしょうか」と尋ねました。再び,証人はその女性が推論するように助けました。「子供たちが,暴力,戦争,殺人,不道徳なメロドラマといったものばかりのテレビを見るほうが,神について学ぶよりもいいと思われますか。本当のことを言います」。証人は続けて言いました。「周りには結婚相手を探している大勢の美女やキャリアウーマンがいます。そうした女性は様々な欠点を持つ男性のありのままを受け入れなければなりません。あとになってその男性が大酒飲みだとか麻薬中毒だとか,だれとでも性関係を持つ人だとか分かることがあります。エイズや他の病気をうつされる女性は悲惨です。あなたのご主人は聖人のようです。ご主人に感謝なさいませんか。実を言えば,私はあなたのことが理解できません。あなたがご主人と一緒にいたくないのなら,私が一緒になります。ご主人のような方を私は探しているんです。ご主人のような方が『[王国]会館に行こう』と言ったら,『行きましょう』と私は言います。『子供たちを連れて行かなければならない』と言えば,うれしく思います。今の状況に感謝してください」。その女性は,駅で降りる際に,笑顔を見せ,証人に感謝しました。集会でどんなことが行なわれているのかを知るようにという提案に彼女も従ってほしいと思います。

パラグアイのある姉妹の経験は,大会に出席する計画を立てる時,エホバを信頼して行動することの賢さを例証しています。その大会は580㌔離れた首都で開かれることになっていました。その姉妹には幼い子供が5人おり,夫は数年前に姉妹を見捨てたのでお金はほとんどありませんでした。しかし姉妹は,子供全員と出席できるようにできるだけ節約するようにしました。それでも,出発の日が来ても,依然として交通費が不足していました。どうすればよいのでしょうか。そこは小さな町で,何事も心温まる仕方で行なわれていたので,5人の子供とバスのターミナルに行きました。姉妹は切符を扱っている人に,子供たちと首都まで旅行しなければならないのに,切符2枚分のお金しかないことを説明しました。うれしいことに,その切符係は姉妹に家族みんなで乗るように言いました。それから,出発後に切符代を集める時,その切符係は姉妹の分だけ,1枚分の料金しか請求しなかったのです。それは一等のバスで,その町で最も高いバスでした。巡回大会での霊的な食物を得損なわずにすんだので,その家族は本当に喜びました。

北アメリカとカリブ海諸島

今から110年余り前に,現代のエホバの地上の組織が発展を始めたのは,世界のこの地域でのことです。ここでは,良いたよりが大々的に宣べ伝えられてきましたが,収穫の主人は,まだこの業が完了したとは言っておられません。実際これらの国々で,過去1年間に幾万もの人々がバプテスマを受けました。

グレナダに住むある開拓者は,前の月に何回も奉仕されている区域にまた行かなければならないかもしれないと思って少々がっかりしていた,と語っています。しかし,こんなことがありました。姉妹はこう記しています。「その日の朝,私がロッセル(16歳の少年)を訪ねた時,彼は妙な表情をしていました。その時は,具合でも悪いのかしらと思っていました。ロッセルはあとで,自分が『妙な』表情をしていたのは祈りがこんなに早く聞かれるとは思っていなかったからだと話してくれました。何とその1週間前,ロッセルは正しい崇拝の方法を教えてくださいと神に心から祈っていました。そして,まさに私はエホバについて彼に話していたのです。

「ひと月もたたないうちに,ロッセルは王国会館で開かれる全部の集会に出席するようになりました。読書の大好きなロッセルは2か月目の終わりまでに,『御心が地に成るように』,『「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」― どのように?』,『啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!』,『神を探求する人類の歩み』,『論じる』の本,『これまでに生存した最も偉大な人』,1991年および1992年の『年鑑』,手に入るブロシュアーのほとんど,それに最近号の『ものみの塔』誌や『目ざめよ!』誌を全部読み終えてしまいました。……彼は去る7月の地域大会でバプテスマを受けました。ロッセルは,詩編作者が詩編 145編18節で述べている次の言葉が真実であることを本当に実感しました。『エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます』」。

興味深いことに,ロッセルは2年間,家の地下室に住んでいました。その区域では頻繁に奉仕がなされていますが,その間,ロッセルもその伯母もエホバの証人に接したことはありませんでした。区域を徹底的に回るのは何と重要なことなのでしょう。

アンティグアで開かれた「敬虔な恐れ」地域大会の最終日に,最近交わり始めた一人の女性がやって来て,大会ホール入口近くで自分の車を降りました。その日の午前中の後刻になって,この女性は2,000東カリブ㌦(約7万4,000円)余りの入った財布をなくしたことに気づきました。車を降りる直前までは財布を見た覚えがありました。自分が通って来た道を丹念に調べ,駐車場係にも尋ねてみましたが,財布は見つかりませんでした。彼女を招待していた証人は,「駐車場か大会ホールでお財布が見つかっていれば,エホバの証人は正直で愛があるから,お財布はきっと戻ってくるわ」と言って,彼女を安心させました。

翌朝この女性は,財布の中に自分が受取人になっている未換金の小切手が入っていたことを思い出し,小切手を発行した会社に電話をしました。すると大変驚いたことに,会社の女性経営者は感嘆の声を上げてこう言ったのです。「たった今,エホバの証人の男の方から,貴女を知らないか,どこへ行けば会えるかと問い合わせる電話があったばかりです。その方はきのう大会会場の外で貴女のお財布を拾ったそうです」。この女性はそれまで以上に,エホバの証人が本当に神を恐れていることを確信しています。

全時間奉仕をしていても,していなくても,病気の家族を世話することはクリスチャンすべての責任です。アラスカに住む一人の姉妹には,健康状態が思わしくなく,母親の助けが突然必要になる娘がいましたが,姉妹は開拓奉仕を続けるための解決策を考え出しました。娘のことで,姉妹の野外奉仕は自分の家から電話で証言することに限られていました。その後,姉妹は祈りのうちに考えた末,携帯電話を持って野外奉仕に出ることにしました。こうすれば,外出もでき,助けが必要なときは“呼び出し可能”になります。姉妹はこれまで28年間開拓奉仕を楽しんできました。そして,この貴重な特権を手放したいとは思っていません。

アメリカ領バージン諸島にあるセントクロイ島の一姉妹は,生まれたばかりの赤ちゃんをプエルトリコに連れて行って,治療を受けさせる必要があることを知りました。ある日のこと,看護婦長がこの姉妹を自分の事務所に連れて来てこう言いました。「もう3か月も,毎日赤ちゃんのお世話に来ておられますが,どうしてそんなことができるのですか。ホテル代はとても高いでしょうに。別の島から来るほかのお母さん方は皆,赤ちゃんをここに置いて島に帰らなければならないんですよ」。姉妹は婦長に医療機関連絡委員会のことを話し,ある夫婦が自分を家に泊めて,世話をしてくれたり,病院まで送ってくれたり,いろいろしてくれることを説明しました。婦長は姉妹がその夫婦を以前から知っているのかと尋ねました。姉妹が,「いいえ。でも,あの人たちは私の兄弟たちです」と答えると,婦長は驚嘆しました。実際,職員全員が感銘を受けました。この婦長は,「これこそ,今日の世界が必要としている宗教だわ」と言いました。

『さあ,畑は収穫を待って白く色づいています』

イエスは弟子たちに宣教の訓練を施し,その重要性を強調した際,それを収穫に例えて,「さあ,あなた方に言いますが,目を上げて畑をご覧なさい。収穫を待って白く色づいています」と言われました。(ヨハネ 4:35)後に,イエスは彼らにこう言われました。「確かに,収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう,収穫の主人にお願いしなさい」。(マタイ 9:37,38)これらの言葉は現在になんとよく当てはまっているのでしょう。

昨奉仕年度の報告によると,多くの国で喜びに満ちたエホバの賛美者が豊かに収穫されています。20%以上の増加を報告した国々には,アルバニア,ブルガリア,ウクライナ,エストニア,ラトビア,リトアニア,アンゴラ,モザンビークがあります。

1994奉仕年度中,モザンビークでは前向きの進展が幾つかあり,その結果,非常に大規模な神権的な拡大が見られました。その主な要因としては,近隣諸国,とりわけマラウイから難民が大量に帰還してきていることが挙げられます。1993年中,モザンビーク全国で10の巡回区しかなかったときに,四つの巡回区が丸ごと戻ってきたのです。別の要因としては,戦時下で組織との連絡が途絶えていた諸会衆を再組織したことが挙げられます。また,さらに多くの関心を持つ人たちが進歩して,献身とバプテスマに至っています。

1993年11月にザンベジア地方のミランジェ市で巡回大会が開かれました。喜ばしいことに,土曜日の午前に出席した2,023人の4分の1に当たる505人のバプテスマ希望者が起立して,話し手からの二つの質問に答えました。その後,美しいムランジェ山を見晴らす中,この大集団は王国の調べを合唱しながら市の目抜き通りを行進し,カトリック教会の前を通りすぎ,道を6㌔ほど進んで最寄りの川へ行き,エホバの証人としてバプテスマを受けました。

羊のような人々の中には,真理を速い速度で受け入れる人がいます。カンボジアへ最近割り当てられた宣教者は次のように報告しています。「ある土曜日,家から家へ証言していた時に,一人の若い女性にブロシュアーを配布しました。聖書研究の仕方を実演して見せて,話し合いを続けるため二日後に再び訪問する約束をしました。月曜日に研究を終えてから,集会について説明し,集会の招待ビラを渡しました。この女性はそれを見て,『では,また明日お会いしましょう』と言いました。そして,火曜日の会衆の書籍研究に出席しました。集会が終わった時に,私は彼女に,『では,今度はいつ会えますか』と尋ねました。『明日はいかがですか』と彼女は尋ねました。私は,『いいですよ』と答え,水曜日に3回目の研究を行なうことになりました。研究が終わった時に,『今度はいつお会いできますか』と尋ねると,彼女は招待ビラを取り出して,『明日集会で』と言いました。ですから,出会った最初の週に,彼女は3回研究し,三つの集会すべてに出席したことになります。彼女はその後も定期的に出席しています」。

ロシアからの1993年8月の報告と1994年6月の報告とを比較すると,伝道者は49%,家庭聖書研究は87%増加したことが分かります。新しい人たちの多くは個人的な援助を受けています。しかし,ある地域では,人々がかなり大きな集団で真理を受け入れています。サンクトペテルブルクの近くの都市に住むある男性はグルジア共和国の親戚から『永遠に生きる』の本を受け取りました。この青年は自分が学んだことを他の人にも話したので,数人が集まって,その本の助けを借りて研究するようになりました。その人たちは学んだことに基づいて,自分たちの偶像を破壊し,世俗の仕事を変えました。その後,彼らは自分たちの地域における宣べ伝える業の組織を助けてもらうためにエホバの証人を探し始めました。何人かの開拓者が助けに来て,わずか四日間で50件の聖書研究が始められました。現在ではその都市にバプテスマを受けた人7名を含む22名の奉仕者がおり,各人が9ないし10件の聖書研究を司会しています。はるか東にあるサハリン島でも,非常にすばらしい反応が見られます。1991年1月,この島には奉仕者が8人しかいませんでした。しかし現在では,300名を超える熱心な奉仕者たちが六つの会衆に交わっています。

毎年,コロンビア支部は特別な運動を行ない,区域をくまなく回り,一時的な特別開拓者たちが僻地のより多くの町に達するよう努めています。今年は国内の孤立した地域,特に東部の平原地域にある33の町へ特別開拓者が任命されました。この地域は広大で,大半がジャングルから成っており,孤立した町々を結ぶ道路もほとんどありません。難しい状況にもかかわらず,努力した結果,22の新しい群れができました。ある村で,一人の兄弟はある男性に出会いました。その男性は自分の妻も聖書を読むのが好きだと言いました。その後,その人は近所に住むある人のところも訪問したらいいと提案しました。今度は近所のその人が,研究を望んでいる別の家族を紹介してくれました。6か月のうちに,これらの3家族の中から5人がバプテスマを受け,今ではそのうちの2人が正規開拓者になっています。ほかにも親戚や近所の人たちが何人か研究するようになりました。1年半前には一人の証人もいなかったところで,今では80人が自分たちの王国会館で開かれる公開講演に出席しています。

最近まで,ガイアナ内陸部のある孤立した群れには,バプテスマを受けた奉仕者は姉妹一人しかいませんでした。姉妹はその地のカリブ・インディオの間で一生懸命働いてきました。彼らは500人以上が座れる,側面に壁のない,非常に快適な王国会館を建てました。音響設備が整っており,電池式の可動マイクが使えるようになっています。毎週日曜日には朝8時30分から会衆の書籍研究と「ものみの塔」研究が行なわれます。午後は神権宣教学校と奉仕会があります。プログラムのすべては口伝えの言語であるカリブ語に翻訳しなければなりません。集会に出席するために,前日から40㌔の道のりを歩いてくる人たちもいます。集会が始まる前には皆,席に着いており,座席が背もたれのないベンチであるにもかかわらず,ごそごそ動く人はほとんどいません。水曜日の夜には英語で読み書きのクラスが開かれ,100人ほどの人が出席しています。この報告を書いている時点で,4組の男女が地域大会の前に結婚を合法的なものとする予定です。ほかにも16人が,自分たちも献身したエホバの僕になれるように生活を調整していると述べています。

確かにエホバはご自分の民を繁栄させておられます。イザヤ 9章3節でこう予告されていた通りです。「あなたはその国民を多くし,国民のために歓びを大いなるものとされた。彼らは収穫の時に歓ぶように,……あなたのみ前で歓んだ」。どこに住んでいようと,どのような状況下にあろうと,唯一まことの神エホバの僕であるわたしたちすべてが,現在行なわれている壮大な王国宣明の業に可能な限り十分にあずかりますように。