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過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の間の興奮に満ちた出来事の中でも際立っていたのは,「神の命の道」国際大会でした。それは,エホバの崇拝者たちが確かに,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」となっていることを表わす,目に見える証拠でした。エホバは,新しい世で生活できるように,それらの人々を備えさせておられるのです。(啓 7:9,10)国際大会の一つに出席したグアドループのある証人は,そのように備えさせられているのが事実であることを今日初めて,まさしく『心から実感できた』と語りました。

今まで,これほど多くの人たちが国際大会に出席するため各地に旅行したことはありませんでした。幾万人もの代表者が国際大会に出席するため,ほかの国や,ほかの大陸にさえ出掛けていきました。そうする時に,それら代表者たちは,自分たちが確かに国際的な家族の一員であることをいよいよはっきりと知ることができました。

5月の終わりから8月にかけて,「神の命の道」国際大会は米国,カナダ,そして英国の様々な都市で開かれ,次いでドイツやギリシャでも開催されました。各大会では統治体の成員が,多くの場合,通訳を介して話をしました。時を同じくして,北米やヨーロッパの各地でも幾百もの地域大会が開かれました。

5月22日に最初の国際大会がカリフォルニア州サンディエゴで開かれたとき,出席者たちは,14か国から45人の宣教者たちが来ていることを知って喜びました。2週間後,同じスタジアムで,スペイン語を話す証人たちが集まりました。この大会に出席した2万5,181人のうち,海外から来た代表者は優に3,100人を超えていました。アルゼンチン,ウルグアイ,エルサルバドル,コスタリカ,スペイン,チリ,ペルー,そしてメキシコから来た話し手がプログラムに参加する時,聴衆はそれぞれの国のアクセントに慣れなければなりませんでした。それにしても,何と喜びにあふれ,熱意に満ちた聴衆だったのでしょう。

翌週,ミシガン州ポンティアックの会場に集まった聴衆の数はさらに多い4万2,763人で,代表者を送った国の数は少なくとも44に膨れ上がりました。英国,チェコ共和国,そして南アフリカからはそれぞれ300人余りの代表団が出席し,大会出席者は,ヨーロッパの14か国,アフリカの8か国,南北アメリカの20か国,そしてアジアの2か国からやって来ました。ある場合には,家族全員または会衆全体が,そのうちの一人を大会に送るため費用を援助しました。これほど多くの代表者がほかの国から来たので,聴衆は感動しました。また,統治体の成員 ― シュローダー兄弟,バー兄弟,そしてシドリック兄弟 ― の話に聴衆は心を動かされました。ある証人が述べたように,その大会のことは,『後の世代に詳しく話され,復活してくる過去の世代にも恐らく詳しく話されるでしょう』。―詩編 48:1,12-14と比較してください。

ポンティアックで大会が開催されている間に,カナダのケベック州モントリオールでもほかに四つの大会が開かれ,それらは,フランス語,ポルトガル語,ギリシャ語,そしてアラビア語で行なわれました。兄弟たちは,統治体の成員が,中には高齢であるにもかかわらず,出席者全員に仕えるため行なった事柄に感激しました。出席者の最高数は3万3,242人に達し,他の国々から4,071人の代表者が出席しました。フランスやブラジルからは大勢の代表者が来ており,グアドループ,ベルギー,そしてマルティニークからも多数出席しました。アフリカの13か国からも代表者たちが来ていて,その中には西アフリカのマリで長年奉仕してきた一人の開拓者がいました。その姉妹は,雑誌を定期的に届けていた女性実業家の親切な取り計らいによって出席することができたのです。ブラジルのある夫婦は旅費を賄うために自分たちの車を売り払い,「こんな良い投資をしたことは,今まで一度もありません」と述べました。

6月のその後の二度の週末には,カナダの西海岸にあるバンクーバーで,さらに二つの大会が開かれました。それらの大会の出席者数は合計2万2,273人で,大勢の代表者が東南アジアや北ヨーロッパに至る広い地域からやって来ました。バンクーバーでの最後の大会と時を同じくして,オンタリオ州のトロントでも別の大会が開かれました。カナダ人のほかに,ドイツ,ポーランド,フィンランド,オーストリア,その他ヨーロッパやアフリカの多くの国から代表者たちが集い,出席者数は4万1,381人に達しました。カナダの大会では,合計52か国の代表者たちが出席したことになり,それはまさに国際的な群衆でした。

米国では,7月3日から5日まで,太平洋沿岸のカリフォルニア州ロング・ビーチで七つの大会が同時に開催されました。それらは,イタリア語,英語,韓国語,タガログ語,中国語(広東語と北京<ペキン>官話の両方),日本語,そしてベトナム語で行なわれ,それらの大会は,広大なロング・ビーチ・コンベンション・センターの様々な施設で開かれました。出席者数は,ベトナム語大会の552人から,英語大会の1万2,659人まで様々でした。東洋やイタリアから来た大勢の代表者は,南北アメリカ,東ヨーロッパ,およびアフリカから来た代表者たちとの交友を楽しみました。中には,出席するために並々ならぬ努力を払った人もいます。民族衣装を着た代表者たちは,大会の休憩時間に一つの言語グループから他の言語グループへと移動しながら,握手したり,抱擁したり,住所を交換したり,写真を撮り合ったりしていました。大会の取り決めに携わったある兄弟はこう書いています。「すべての大会は波及効果が何か月にもわたって感じられるという意味ですばらしいものです。この大会について言えば,それはむしろ津波のようでした。強力で,代表者たちにたいへん大きな影響を与えました」。

複数の大会が開かれたロング・ビーチでの週末に続いて,テキサス州ヒューストンでも別のスペイン語の大会が開かれました。3万4,257人の出席者の中には,14か国から来た2,820人の代表者も含まれていました。それらの訪問者たちのために1,217軒の家庭で宿舎が提供され,地元の証人たちが快く迎え入れました。

代表者たちにとって最も印象深かったことの一つは,温かい歓迎を受けたことです。一度も会ったことのない仲間のクリスチャンから兄弟愛があふれるほど注がれたのです。それら代表者たちは,国際的な兄弟関係について読んではいましたし,そのような愛を示すようエホバがご自分の民に教えておられることも知っていました。(ヘブ 13:1,2。ヨハ三 5-8)しかし今回,それまでになかったような仕方で,そうした愛の表明を個人的に経験できたのです。代表者たちは空港で,年配者から若者まで,様々な兄弟姉妹からの熱烈な歓迎を受けました。他の国から来た代表者たちがホスト役の証人たちの家に泊まる取り決めも設けられました。それは何と大きな祝福だったのでしょう。

テキサス州では,外国の代表者たちをホスト役の人に引き合わせるため,何百台ものバスがローゼンバーグ大会ホールに向かいました。そこに集まっていた500人ほどの証人たちは,到着する代表者たちを拍手と歓声で迎えました。ミシガン州ベルビルでは,昼夜を問わずどの時間帯にも幾百人もの証人たちが待機して,バスで次々に到着する疲れ気味の代表者たちを歓迎しました。代表者たちが大会ホールに足を踏み入れると,「無数の兄弟たち」や「わたしたちはエホバの証人」の歌の合唱で迎えられました。カリフォルニア州のミラ・ロマ大会ホールでは,英語とスペイン語の両方の言語を話せる人が大勢いたので,「エホバよ,わたしたちは感謝します」の歌が節ごとにそれらの言語で交互に歌われました。それは何とも美しい光景で,ほとんどの人は喜びの涙を隠せませんでした。

ミシガン州では,必要とされていた宿舎の数の2倍もの申し出が証人たちからあり,訪問する兄弟たちにぜひ宿舎を提供したいと電話で申し出る人も少なくありませんでした。代表者たちに宿舎を提供できなかった人も,食事や交通手段の面で援助しました。代表者たちの中には,宿泊先で歓迎されただけでなく,ホストが床で寝ているのに,自分たちはホストのベッドに寝させてもらっていることに気づいた人もいます。夜のひとときや大会の後には,証人たちの家族が何組も集まって,あるいは会衆全体で,代表者たちと共に食事や屋外パーティーを楽しみました。皆で歌を歌ったり,フォークダンスに参加したり,経験を語り合ったりして,本当に楽しい祭りのようなひとときを過ごしました。代表者の多くは,ホスト・ファミリーの話す言語を全く,もしくはせいぜいほんの二言か三言話せただけでしたが,何とか意思の疎通を図る方法を見つけました。ついに別れの時が来ましたが,気持ちをうまく伝えられなかったのは言語のせいだけではありませんでした。感極まって,言葉が出てこなかったのです。こうして,生涯にわたる友情の土台が築かれました。

ホームステイの取り決めから益を受けたのは,訪問した代表者たちだけではありません。代表者たちに家を解放したカナダのある夫婦はこう書いています。「見知らぬ人を丸1週間も家に泊めることがどういうことなのか,皆でいろいろと考えました。実際に泊まってもらうと,それがあまりにも短すぎることに気づきました」。あるやもめは次のように述べています。「フランスのあるご夫婦のホスト役を務める大きな特権をいただき,子供たちと私は非常に充実したひとときを過ごしました。それは,すばらしくてとても喜びの多い忘れられない経験だったとしか言いようがありません」。トーゴからのゲストを迎え入れた別の家族は次のように書いています。「私たちが共にした喜びと愛を言い表わすことはできません。……それは何という宝でしょう。エホバは,私たちが望み得るあらゆるものを与えてくださいました」。

87か国から来た代表者たちは,旅行のコースの予定に従ってエホバの目に見える組織の世界本部を訪問しました。その主な部門はニューヨーク州のブルックリン,ウォールキル(ブルックリンから約144㌔),およびパタソン(ブルックリンから約112㌔)の各施設にあります。代表者たちは5月28日から7月20日にかけてやって来ました。実際,合計すると1万4,500人余りに達しました。多くの人が述べたように,「長年の夢がかなった」のです。パタソンのものみの塔教育センターを訪問していたあるツアーグループは,自分たちの気持ちを表わすため昼食後,食堂に並び,美しい四部合唱で42番の歌,「これが道である」を歌いました。多くの人は目にした事柄と,経験した愛やもてなしに深い感動を覚え,目に涙を浮かべながら,ガイドを務めた兄弟姉妹たちに感謝を述べていました。感動したのは訪問者たちだけではありません。ベテル家族の成員も,それらの日々は決して忘れないだろうと述べました。

ヨーロッパの国際大会に出席した大勢の人たちも,同じように感じていました。7月には,代表者たちが英国に到着し始め,7月24日から26日の間,九つの都市で大会が同時に開催されました。プログラムは英語,フランス語,スペイン語,パンジャブ語で提供されましたが,いずれも同じ内容のプログラムでした。統治体の成員が話した時には,大会会場はそれぞれ回線で結ばれました。60以上の国や地域から代表者たちが集まりました。

プログラムのハイライトは,宣教者やインターナショナル・サーバントとのインタビューでした。45の国や地域から出席したそれらの兄弟姉妹は,海外における奉仕の喜びと難しい問題について聴衆に話しました。西アフリカから来たスーザン・スネイスはこう語りました。「新しい任命地に移ると,特に最初の数か月はひどくホームシックになる場合があります。ですから,親が支援し,励ましてくれていることを知っていると,任命地にとどまるよう大きな助けが得られます」。南アフリカで長年奉仕してきた宣教者のドリーン・キルゴウルは次のように述べています。「大切なのは,人々を愛することです。もし人々を本当に愛して,それらの人がエホバを愛し,エホバの道を歩むよう助けるなら,まさにそうするなら任命地にとどまるよう助けられるのです」。エクアドルから来たミルナ・シムズはこう付け加えます。「後にしてきた事柄ではなく,今ある仕事に注意を集中してください。消極的なことに注目するのではなく,その先にある事柄を見てください。そして,やらなければならない仕事があることを覚えておいてください」。戦争で疲弊したリベリアから来たアン・クルーダスは次のように述べました。「わたしたちは地元の兄弟姉妹を励ますはずでしたが,実際には彼らから大いに励まされました。戦争中,兄弟たちの熱心さや信仰や勇気を目の当たりにしましたが,彼らは仲間のことを顧み,仲間のためなら自分の命をさえ惜しまなかったのです。……わたしたちは,兄弟たちの個人的な愛やお世話を経験しました。任命地から避難したのはこれで4度目です。……そして,わたしたちが難民になった時,わたしたちの感情や霊性をとても気遣ってくれ,築き上げる美しい手紙を書き送ってくれました。……リベリアの情勢は不安定ですが,こうした祝福すべてのおかげで,わたしたちは容易にその国に戻ることができました」。

英国の大会が終わってから何日もしないうちに,ドイツでもほかの大会が始まりました。開催都市の証人たちは一般の人々をも招待しました。ですから,ドイツでも予定されていた五つの国際大会が,わたしたちの世界的な聖書教育プログラムの特色の一つであることを人々に説明するよい機会になりました。すべてのプログラムが13の言語で扱われました。プログラムの重要な部分が扱われる際,五つの大会都市(ベルリン,ニュルンベルク,ミュンヘン,ドルトムント,およびシュトゥットガルト)がすべて結ばれました。出席者の最高数は21万7,472人という際立った人数で,そのうちの4万5,000人ほどは国外から来た人たちです。東ヨーロッパからも多くの人がやって来ました。また,外国の任命地で働く,少なくとも150人の宣教者やインターナショナル・サーバントやベテル奉仕者も含まれていました。

昨奉仕年度が終わる直前の8月21日から23日にかけて,歴史に残るもう一つの国際大会がギリシャのアテネでも開かれました。ギリシャ正教会の僧職者たちの怒りに満ちた反対があったにもかかわらず,3万9,324人の大会出席者が21の国や地域から集まったのです。アテネ市内でも,またギリシャ中の至る所でも,代表者たちが行く先々で,行状,服装,身繕いによって,また伝道したり文書を配布したりして,すばらしい証言が行なわれました。エホバの民はクリスチャンの愛を経験するのに慣れていますが,ギリシャの証人たちの心からのもてなしに,感激して喜びの涙にむせぶあまり,言葉に詰まる人は少なくありませんでした。また,ギリシャ人とトルコ人が,互いに目に涙を浮かべながら抱擁してキスを交わし,互いにもてなし合う光景を目にすることができましたが,実際,それはエホバしか行なえない奇跡でした。

今や,わたしたちは新奉仕年度に入りましたが,アフリカ,中南米,韓国,そしてオーストラリアでもさらに国際大会が開かれています。

「王国ニュース」の配布

もちろん,野外宣教はわたしたちの主要な活動の一つで,み子を通してエホバから割り当てられた業です。それに,わたしたちのふれ告げる音信は人々が切実に必要としているものです。(イザ 43:10-12。マタ 24:14)昨年,この業に588万8,650人が携わり,野外宣教に11億8,666万6,708時間を費やしました。何とすばらしい証しの小山が築かれたのでしょう。昨奉仕年度中の宣教の一環として行なわれた胸の躍るような業は,「いつの日かすべての人が互いを愛するようになりますか」という質問を扱った「王国ニュース」第35号を配布したことです。愛されたいという願いに基づいて人々に訴えかけるのは何と適切なのでしょう。実際,神がそのような願いを人間に賦与されたのです。その音信は力強いもので,この音信に好意的にこたえ応じた誠実な人たちは少なくありませんでした。

そのパンフレットは166の言語で4億枚近く印刷されました。それらの言語のうち,ロシアでは27の言語で配布されましたが,そのうち10の言語についてはこれまで協会の文書は一つもありませんでした。多くの支部でも,区域の民族的な多様性を考えて,このパンフレットを10,20,あるいは30もの言語で配布することを取り決めました。

ガーナのある証人は,農場から農場へと「王国ニュース」を配布していた時,ある男性とその妻が激しく口論しているところに出くわしました。その証人は,「いつの日かすべての人が互いを愛するようになりますか」という魅力的な題の「王国ニュース」第35号を二人の前にさっと出しました。すると,その夫婦はすぐに落ち着きを取り戻しました。姉妹は二人とパンフレットについて話し合う時間を取り,自分の聖書を用いて,争いが生じる理由や,神の王国が人類のために行なう事柄について説明しました。話し合いの終わりに,その男性は,「あなたを遣わして,このパンフレットを届けさせてくださったのは確かに神です」と言いました。二人は家庭聖書研究の勧めにも快く応じました。同様に,1,850人もの人が無料の家庭聖書研究をガーナ支部に申し込みました。マラウイでは,読者からのそうした申し込みが1,900件届きました。ジンバブエでは2,717件,ポーランドでは1,346件,そして米国では2,525件送られてきました。ロシアでは,7,100人が支部に手紙を書き,聖書研究を司会してくれる人を派遣してほしいと申し出ました。

魅力的な表紙,考えさせられる主題,そしてパンフレットの温かみのこもった内容は,戦争に疲弊したスリランカでまさに必要とされていたものでした。ブロシュアーを求める幾百枚ものクーポンが支部に送られ,その大半には家庭聖書研究の依頼も含まれていました。研究を依頼した多くの人は,今では良いたよりの伝道者になっており,中にはバプテスマを受けた人さえいます。

カメルーンの30人の伝道者は,バスを1台借り切って,ガルアの王国会館から約70㌔離れた区域にそのパンフレットを配布しに行きました。午前中は区域でパンフレットを配布し,午後は182人の聴衆のために「エホバの証人 ― その名前の背後にある組織」というビデオを上映しました。上映が終わると,多くの人がさらに文書を求めました。多くの聖書研究が始められ,関心のある人々を顧みるために,一人の開拓者が会衆から遣わされることになりました。

コンゴ民主共和国では「王国ニュース」第35号が配布されたとき,多くの人は快く受け取りましたが,中には生活苦のために無感覚になり,しぶしぶ受け取る人もいました。伝道者たちがそのような人の一人を再訪問したとき,その女性はひどい病気にかかっていて,しかも必要な薬を買うお金さえないことが分かりました。伝道者たちはその人のために薬を入手してあげました。その女性は心を打たれ,女性とその4人の子供との研究が始まりました。別の例ですが,このパンフレットを受け取ったある若者は,証人たちが自分たちのことを自慢しているのだと思いました。後に,この青年の乗っていたバスが強盗に襲われ,知り合いのいない土地で,お金もないまま夜を過ごさねばならなくなりました。それで,同じバスに乗り合わせていてやはり強盗に襲われたある証人と一緒に行動しました。二人はある証人の家を見つけ,そこで温かく迎えられ,一晩泊めてもらった上,翌朝,旅を続けられるよう助けてもらいました。家に帰った若者は友人たちにその話をしてこう言いました。「エホバの証人は高慢な人たちじゃない。彼らの間では真の愛が働いている。証人たちは隣人を愛している」。その同じ日に,この若者との聖書研究が始まりました。

チリの北部のある会衆は,あらゆる場所で,あらゆる人にパンフレットを配布するよう伝道者たちを励ましました。一人の伝道者は地元のラジオ局を訪問しました。アナウンサーはその音信に深く感動し,午前の番組を中断して,ラジオの聴取者のために「王国ニュース」第35号の全文を読みました。

イタリアでは,バスを待っていたある修道女に「王国ニュース」が配布されたのがきっかけで,毎日,バスの停留所で10分ないし15分間の聖書研究が行なわれるようになりました。それから1か月半後,聖書の真理に対する認識が深まった結果,その修道女は修道院を去りました。その修道女は,神の王国によって人種や言語の障壁が除かれ,地球は人々が互いに本当に愛し合う場所になるということを学んで,感謝の気持ちを抱いたのです。母国のグアテマラに戻ったその女性は,既にエホバの証人となっていた実の姉妹と研究を続けています。

ものみの塔教育センター

ニューヨーク州パタソンのものみの塔教育センターは,神の王国を証しする世界的な業に重要な役割を果たしています。

パタソンの建設工事は,1994年にはすでに,協会の幾つかの主な部門をものみの塔教育センターに移せるところまで進んでいました。何か月かにわたり,設計部門の一部,奉仕部門,執筆部門の読者返信係,翻訳サービス(現在116の国や地域の翻訳チームと共に働いている),法律部門(世界中のエホバの証人の活動を支援して法律上の必要を扱っている),アート部門(書籍や雑誌やブロシュアーなどの細かな体裁を整える),および必要な支援サービス施設すべてが移転しました。

1995年3月には,ギレアデ学校がウォールキルからパタソンの新しい施設に移転しました。それ以来,ギレアデ学校の卒業生たちは,中南米,アフリカ,東ヨーロッパ,東洋,さらに海洋の島々など,51の国や地域に派遣されました。加えて,支部委員の学校も開かれ,これまでに106の国や地域にある協会の支部から来た336人の兄弟たちが,特別な訓練を受けた後,それぞれの支部に戻りました。

現在,オーディオ/ビデオ施設を備えた新しい建物がパタソンのものみの塔教育センターに完成しています。このりっぱな新しい施設への事務所と設備の移動は,1998年4月20日に始まりました。こうして整えられた施設により,カセットテープとビデオテープの分野の潜在力をより効果的に活用できるようになるでしょう。

もちろん,この建物が使用されるようになったと言っても,それは協会がこの分野の仕事に初めて着手したという意味ではありません。世界本部で行なわれているものに加えて,およそ30の支部でもすでにカセットテープの録音が幾らか行なわれています。それには,聖書や,それぞれの土地の言語の雑誌,ブロシュアー,大会の劇などの録音が含まれます。現在,種々のカセットテープを61の言語で入手することができます。幾つかの言語の録音テープは,世界中に送られています。さまざまな形に編曲された王国の調べのコンパクト・ディスク(CD)も生産されています。また調査用の資料を収めたCD(Watchtower Library)も,九つの言語で出されています。

ビデオも41の言語で作られています。台本は世界本部で作られます。これまでに,2,100本以上の収録テープが保存されており,その中から資料を引き出すことができます。実際の録画は,パタソンだけでなく,世界各地のさまざまな場所でも行なわれます。現在,元になるマスタービデオテープと英語版のビデオの編集が,パタソンにある協会の新しいオーディオ/ビデオ施設で行なわれています。オランダにある協会のスタジオでは,英語以外のビデオを複製するための準備ができています。ナレーションの録音は録音設備のある幾つかの支部で行なわれます。その後,録音されたものがオランダに送られて音楽や効果音と合わせられ,必要な字幕類が加えられます。こうして,各言語の複製用のマスターテープができ上がります。日本でも,東洋の国々のためにこれと同じ仕事がなされています。

手話のビデオテープも生産量が急増しています。一つには,手話が全く別個の言語であって,音声言語を単に記号化したものではない,という事実が認識されるようになってきたためです。耳の聞こえない人たちの中には,手話ビデオを受け取るようになったとき,それをエホバが自分たちのことを忘れておられず,むしろ耳の聞こえない人たちのことも気遣っておられる証拠と見た人もいました。協会は,すでにあるビデオ映像の上に手話通訳の画面を重ね合わせたビデオを生産しています。また,印刷されてすでに出ている「ものみの塔」出版物の内容を,全く視覚だけで理解できるよう翻訳したビデオもあります。これらはたいてい,耳の聞こえない人との聖書研究を司会するために用いられます。そのため,ビデオには研究のための質問が含められており,こうしたビデオは対話形式で使えるようになっています。さらに,歌も手話ビデオになっており,聴衆が歌を手話で表現するのを助けるために用いられています。今後,協会は,米国,メキシコ,ブラジル,日本,デンマーク,オランダの施設により,手話ビデオ収録の計画を支援してゆきます。これらの支部では大抵,手話ビデオの編集も行なわれるようになります。

近年,手話による証しが非常に増大しています。韓国には17の手話会衆があり,これまで何年もその必要に特別な注意が向けられてきました。米国ではそのような19の会衆が機能しています。ロシアには会衆が一つとそれより小規模の群れが43あります。他の地域でも,耳の聞こえない人たちの独特の必要に対する配慮に,とても良い反応が見られています。世界中では,手話会衆が約80,そしてさらに多くの小規模な群れがあります。耳の聞こえない兄弟姉妹は,音声言語を話すエホバの僕たちと同様,耳で聴く言語であれ,目で見る言語であれ,自由に意思を通わせるうえで言語の違いがもはや障壁ではなくなる時を切に待ち望んでいます。しかし,多くの言語が使われている今でさえ,わたしたちは皆「清い言語」を話すことにより,エホバの善良さを一致して知らせる特権にあずかっているのです。―ゼパ 3:9

りっぱな業を実際に見た人たち

王国の良いたよりを伝える際にエホバの僕たちの示す熱心さは,エホバの心を喜ばせます。しかしその一方で,彼らの模範的な行ないやりっぱな業は,他の人に気づかれない場合も多く,残念なことに,誤解されることさえあります。道理をわきまえてはいても間違った情報を与えられている人に,そうした事柄について知らせ,それらの人を教育する効果的な方法はあるでしょうか。―ペテ一 2:12

執筆委員会の指導の下で働くパブリック・アフェアーズ・オフィスは,人々が王国の音信をもっと受け入れやすくなるよう,神の僕たちに関する間違った情報を打ち消すことに努めています。そのために,この事務所では,マスコミや教育者や他の専門家に送付できる積極的な情報を提供することにより,エホバの証人に関する一般の人々の理解を促進するよう努力しています。

激しい民族的,宗派的な暴力抗争は,国際社会にとって大きな問題となっています。偏見や暴力的な行動を受け入れないよう若い人を助けるために,教育者たちは生徒たちに倫理的価値観を教える方法を探し求めています。その点で,エホバの証人はどんな協力をすることができるでしょうか。スウェーデンのある証人は,一人の著名な役人に「ナチの猛攻撃に対して堅く立つエホバの証人」というビデオを送りました。その結果,政府の代表者たちは,生きた歴史と呼ばれる,ホロコーストを全国的に知らせる企画に加わるよう証人たちを招きました。そして兄弟たちに,ナチの時代のエホバの証人について学校の生徒たちや一般の人々に知らせてほしいと言いました。その後教師たちは,エホバの証人を教室に招いて,ホロコーストの経験に基づく,倫理や道徳についての講義をしてもらうよう勧められました。

他の国でも,「エホバの証人 ― その名前の背後にある組織」のビデオを使って効果が見られています。コートジボワールでは,そのビデオが国営テレビで放映され,多くの人がエホバの証人とその組織に対する認識を深めました。

ロシアでは,反対者たちの中に,わたしたちの活動を制限する口実として,血の医学的な使用に関する誤った考えを利用しようとしてきた人たちがいます。(使徒 15:28,29)ロシアの保健機関そのものも,血液供給に関して問題を抱えているので,代替治療についての情報があれば益を受けるはずです。無輸血でも進んで患者を治療する多くの医師は,その分野についてさらに多くの知識を得ることや,訓練を受けることを望んでいます。エホバの証人は,命と血に関する聖書の規準に固く付き従うがゆえに,医学界や一般大衆にとって価値のある,科学や医学や患者の権利といった分野の情報を提供することができ,今までずっとそうしてきました。

パブリック・アフェアーズ・オフィスはホスピタル・インフォメーション・サービスと協力して,サンクトペテルブルクとモスクワの病院で一連の短い説明会を計画しました。血を用いないというエホバの証人の決定に協力的な米国とヨーロッパの著名な医師たちが,1998年春のこの会合で講演をするよう招かれました。無輸血センターとなっている,米国のある病院の麻酔救命救急医療部の主任は,「我々の経験から言うと,無輸血手術をすれば看護の質が良くなると同時に医療費は減少する」と説明しました。そして,400人のロシアの医師たちに対し,「輸血はこれまで命を救うものと考えられてきたが,我々は,輸血が患者に及ぼす極めて破壊的な影響をますます多く目にするようになっている」と述べました。このシンポジウムの重要性は新聞で広く報じられました。ロシアの著名な専門医,ならびに保健省や医療委員会の代表者たちも出席していました。その後まもなく,マスコミは報道の中で,血の使用に関連した危険について,医学界の深く尊敬されている人たちの言葉を引用し,輸血を拒むという決定を常軌を逸したものとみなすべきではないことを認めました。

さらに昨年,選ばれた国々において,家庭の崩壊を特に懸念する個人や組織と接触するよう一致した努力が払われ,「幸せな家庭を築く秘訣」の本が提供されました。どんな反応が見られたでしょうか。

スペインのマドリードでは,カトリックの名門校の校長が学校の職員各自に1冊ずつ渡すため,「幸せな家庭」の本を90冊注文しました。オランダのロッテルダムでは,問題を抱える若者の収容施設の理事が,施設内の各部署の監督すべてのためにその本を注文しました。若者たちを援助する際にその本の情報を使えると思ったのです。ウクライナの新聞やラジオやテレビは,エホバの証人が行なっている,家族のきずなを強めるキャンペーンについて報道しました。256の組織や団体の指導者たちが証人たちを招き,家族のきずなを強めることについて職員に話してくれるよう依頼しました。(エフェ 5:22–6:4)このキャンペーンの結果,一部の教師たちは会衆の集会に出席するようになりました。

昨年,関心が向けられたもう一つの論題は,女性の役割でした。「目ざめよ!」誌,1998年4月8日号には,表紙に「女性 ― その将来はどうなるか」という標題を掲げた一連の記事が載せられました。その記事は,女性の受けている差別や社会における女性の働きの価値,また聖書が女性に約束している明るい前途について論じていました。(箴 31:10-31。テモ一 5:1,2)その情報を,女性に影響する問題に関心を持つ組織や団体に提供するために,特別な努力が払われました。エホバの民以外のだれが,そうした情報を,しかも230を超える国や地域で提供できるでしょうか。

日本支部の兄弟たちは,3,000余りの女性団体に手紙と雑誌の紹介状と「目ざめよ!」誌を郵送しました。プエルトリコでは,一部の社会福祉指導員や大学の一教授を含む関心ある人々が,支部に電話をして特別号の「目ざめよ!」誌を注文しました。国会の下院議員である一女性は,雑誌を読んで,エホバの証人の世界的な教育プログラムや地域社会に対する純粋な関心に深く心を動かされたため,証人たちを自分の事務所に招きました。ある市の助役はその資料に深い関心を持ち,市の行政を行なう五つの課のために100冊注文しました。

わたしたちは,世界の多くの人々がわたしたちに対して抱く消極的な見方すべてを変えることはできません。しかし,エホバがこれからも,ご自分の偉大なみ名を神聖なものとすることになる活動を祝福してくださる,と信じています。「永遠の命のために正しく整えられた」人たちは,わたしたちのりっぱな業を実際に見た結果,神の栄光をたたえる人の一人となるべき理由を理解するようになっています。―使徒 13:48

『天幕の綱を長くする』

昔,エホバはご自分の組織に対して預言的にこう言われました。「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ。……ためらうな。あなたの天幕の綱を長くし,あなたのその天幕用留め杭を強くせよ」。(イザ 54:2)今や,啓示 7章9節の成就として,メシアの王国が治める地上での生活を切に待ち望む何百万という人々が,神権組織に交わるようになっています。その人々のための場所も必要です。

聖書の教えを受けるのにふさわしい場所を設けるために,多くの国や地域で王国会館の建設は特に優先すべき事柄となっています。調査によると,ガーナには現在237の王国会館があり,さらに275の王国会館の建設が行なわれています。ウクライナでは,これまでに84の王国会館が完成し,ほかに61の王国会館が建設中であると報告されています。南アフリカの地区建設委員会のもとで働く兄弟たちは,地元の兄弟たちを助けて王国会館の基礎を据えた後,ブロックを作る機械をそこに残してゆきます。地元の証人たちは大半が姉妹たちですが,ブロックを作り,それを積み上げて乾燥させます。ブロックの用意ができると,地区建設委員会のもとで働く自発奉仕者たちが戻ってきて,迅速に会館を建てるのです。この方式により,最低限の費用で質の良い会館を建てることができます。

ふさわしい王国会館を持つと,取り入れの業の速度が速まります。マダガスカルでは,二つの会衆のために一つの王国会館が建設されたあと数か月もたたないうちに,同じ地域に会衆が新たに二つ設立され,さらにもう一つ会衆ができる見込みもあります。しかし,2万8,000人余りの伝道者を報告するアフリカのある国には,十の会衆に対して一つの王国会館しかありません。3万8,000人余りの伝道者がいる別の国の場合は,26会衆に一つです。10万人余りの伝道者を報告している東ヨーロッパのある支部事務所も,13の会衆に対して一つの王国会館しかないと伝えています。王国会館が1,000軒以上,いや2,500軒も不足している国もあります。そのため昨奉仕年度の終わりに,インターナショナル・ボランティアが,特定の国や地域で緊急に必要とされている他の8,000軒以上の王国会館の建設を援助するという取り決めが設けられました。そうした国や地域の兄弟たちは,エホバの組織に群れをなして入って来る大勢の人のために集会場所を設けたくても,建築技術や物質的な資産を十分持ち合わせていないからです。

昨年は新たに31万6,092人がバプテスマを受けるなど,伝道者数が増加したので,支部施設の増設も必要とされています。現在,全地で1万7,781人のベテル家族が,特別全時間奉仕者団の成員として奉仕しています。

ケニア: 1997年10月25日,ケニアで新しい支部施設の献堂式が行なわれました。統治体のミルトン・ヘンシェルが出席し,ケニアにおける初期の業にあずかった他の人々も出席しました。東アフリカ全土から熱意にあふれた証人たちが ― ある人たちは徒歩で ― やって来て,週末に計画された特別なプログラムに出席しました。

この支部は,東アフリカの一地域における宣べ伝えて弟子を作る業を監督しています。その地域には,合計2万9,000人以上の活発な伝道者がいます。南アフリカから来た勇敢な開拓者たちがケニアで最初に証言を開始したのは,1930年代初めのことでした。しかし,1949年にイングランド出身でバプテスマを受けたばかりのメアリー・ウィッティングトンが到着するまで,継続的な証しの業は行なわれていませんでした。1956年には初めて,ギレアデで訓練を受けた宣教者,ウィリアム・ニズベットとミュリエル・ニズベットが到着しました。ニズベット兄弟の兄のロバートとジョージは,1930年代にケニアで証しの業を行なった初期の開拓者たちの中にいました。ザンビアやタンザニアから来た他の大勢の宣教者や特別開拓者,また必要の大きな所で奉仕する兄弟たちも,ケニアの業の発展における主要な役割を担ってきました。ケニアでは,1,000人の伝道者という目標を達成するのに41年かかりましたが,今では毎年,優に1,000人を上回る人々がバプテスマを受けています。

フランス: 1997年11月15,16日の週末,フランスのエホバの証人は,パリの西100㌔のルビエで新しい支部施設の献堂式を行ないました。42の支部から来た兄弟姉妹たちが献堂式のプログラムに出席しました。統治体のロイド・バリーとダニエル・シドリックによる話は,プログラムの中で特に際立ったものでした。翌日,パリ北部のビルパント展示場で開かれた特別な集会に9万5,888人の群衆が集う様子は,何と胸の躍ることだったのでしょう。それは,フランスのエホバの証人がこれまでに開いた集まりの中で最も大きなものでした。

1980年代に伝道者の数が50%増加したため,ベテルはもっと広いスペースを緊急に必要としていました。とはいえ,その計画が実を結ぶまでに10年の歳月が必要でした。最初,すでにある建物の近くに建てようとしたのですが,激しく反対されたのです。反対者たちはフランスのエホバの証人の活動を相変わらず妨害しようとしています。しかし,フランスの12万1,000人の証人たちは,神の王国の良いたよりを広める業の手を緩めません。フランス語を話す世界中の1億という人々のうち,さらに大勢の人々が「命の水を価なくして受けなさい」という招待を感謝して受け入れるようになることを確信しているのです。―啓 22:17

スペイン: この国でも,大勢の心の正直な人たちが神の王国の良いたよりに好意的にこたえ応じています。マドリード郊外の支部の建物が1983年に献堂されて以来,スペインの証人たちの数は,5万3,000人から10万3,000人以上へと増加しました。スペイン語とポルトガル語の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の印刷部数も,年間650万部から,ほぼ2,300万部に急増しました。ホームの監督であるジョン・ハイデルバーグはこう説明します。「150人のベテル奉仕者は数キロ離れた所に住んでいて,宿舎が本当に足りませんでした。それに,十分な広さの文書倉庫や発送施設も大いに必要でした」。

1998年3月28日に行なわれた,拡張された支部施設の献堂式は,2万5,000人余りの自発奉仕者 ― ほとんどはスペイン国内の奉仕者だったが,外国から来た人たちもいた ― が力を合わせて行なった,5年に及ぶ熱心な働きの最後を飾るものでした。ブルックリンの本部で働いている,ウィリアム・マレンフォントとゲリト・レッシュが献堂式のプログラムを扱いました。スペースの関係上,そのプログラムに出席できた人は限られていましたが,翌日,マドリードとバルセロナに6万5,775人の人々が集まり,もう一つの優れたプログラムを楽しみました。

ルーマニア: エホバの証人は,これまで優に80年以上ルーマニアで公の宣教奉仕を行なってきました。43年間に及ぶ業の禁令が解除された1990年,この国には1万9,000人ほどの伝道者がいました。今では3万7,000人余りの伝道者がおり,1998年の記念式には8万2,000人以上が出席しました。ルーマニアでもふさわしい支部事務所が必要でした。ですから,1998年5月2日に行なわれた新しい支部の献堂式は,この1年で最も喜ばしい出来事でした。統治体の成員であるゲリト・レッシュをはじめ,19の国から来た兄弟たちが出席し,喜びの時を共にしました。

1998奉仕年度の終わりの時点で,397人の経験を積んだインターナショナル・サーバントと150人のインターナショナル・ボランティアが,地元の兄弟たちと共にさまざまな建設プロジェクトで働いていました。そうしたプロジェクトには,38の国々における大きな建設や,他の23の国や地域における小さめの建設が含まれています。今後そうした建設計画の中に何千という王国会館の建設が加えられることでしょう。まさに,比喩的な天幕を「もっと広く」し,「天幕の綱を長く(する)」ために,様々な面で多くのことが行なわれているのです。

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統治体の成員はそれぞれの国際大会で話をした

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宣教者たちの報告はハイライトの一つだった

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大会出席者たちは際立った愛と喜びを示した

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パタソンのオーディオ/ビデオ施設

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献堂された支部施設:(1)スペイン,(2)ケニア,(3)フランス