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過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

エホバの地上の組織は,昨奉仕年度中も引き続き繁栄しました。神が祝福してくださったことは,600万人を超すエホバの証人が235の国や地域で,神への忠節と,義の新しい世をもたらすという神の約束に対する信仰とを実証している点にはっきり示されています。これら大勢の証人たちは,神の僕であると公言するだけの人々ではなく,マタイ 24章14節にあるイエスの予告どおり,神の王国の良いたよりを活発にふれ告げる人々です。さらに,2001年の年句と調和し,「全き者として,また神のご意志すべてに対する揺るがぬ確信を抱く者として立(ち)」続けてもいます。―コロ 4:12

昨奉仕年度中,神の民の間では胸の躍るような数々の進展が見られました。では,その際立った事柄の幾つかを見てみましょう。

神の言葉を教える者に教訓を与える大会

昨奉仕年度中の記憶に残る顕著な出来事の一つは,エホバの証人の「神の言葉を教える者」地域大会でした。この大会は,2001年の半ばから2002年の初めにかけて世界中の何百もの会場で開かれ,幾百万もの人々が出席しました。3日間の大会の初日に,話し手は大会の主題についてこう説明しました。「イエスは……聖書学者のエリート集団だけに知識のかぎを授けたいとは考えませんでした。『わたしが闇の中で告げることを,光の中で言いなさい。また,ささやかれて聞くことを,屋上から宣べ伝えなさい』と告げました。神に関する知識を,多くの人に伝えることを切望されたのです。聖書の知識は隠すものではなく,伝えるべきものでした」。

大会のプログラムには,聖書預言の意味や,クリスチャンがどのように聖書の原則を生活に当てはめるべきかという点を取り上げた話も含まれていました。日曜日には,「エホバの権威に敬意を払う」という劇が,時代衣装を着けて演じられました。その劇は,荒野で反逆したコラと,忠実に歩んだコラの息子たちの対照的な事例に関する聖書の記述に焦点を当てたものでした。

大会では2冊の出版物が発表されました。最初に「イザヤの預言 ― 全人類のための光」という本の第2巻が,次いで「満足のいく生活 ― どうすれば実現できますか」というブロシュアーが発表されました。また,「人間には不滅の霊がありますか」という新しいパンフレットも発表されました。

8月には,フランスとイタリアで特別大会が開催されました。フランスでは,パリ,リヨン,ボルドーで特別大会が開かれ,3会場を合わせた最高出席者数は16万45人でした。偏見に満ちた報道の標的にされてきたフランスの兄弟たちは,それらの大会によって大いに励まされました。一人の兄弟はこう述べています。「時々,自分たちだけで闘っているように感じて,とても孤独になることがあります。でも,こうしてクリスチャンの仲間の兄弟たちが何千人も来てくださったので,くじけずに前進する力が湧いてきました」。

イタリアでは,ローマ,ミラノ,トリノ,バーリで特別大会が開かれました。他の五つの大会都市も電話回線で結ばれ,プログラムの一部を共に楽しみました。これら九つの大会には,合計28万9,133人が出席しました。フランスやイタリアのそれぞれの大会では,心を奮い立たせる決議が聴衆に提出されました。多くの国から来た出席者たちは,「はい」という鳴り響くような返事で賛同を表わしました。この宣言に続いて沸き起こった拍手は,しばらく鳴りやみませんでした。

「王国ニュース」第36号を用いた世界的な証言

2000年10月と11月,世界中で,「王国ニュース」第36号が189の言語で5億部近く配布されました。この「王国ニュース」には,キリスト・イエスの千年支配に関する聖書の音信が色彩豊かな挿絵と共に載せられており,多くの人々の心をとらえました。あなたがエホバの証人であるなら,その配布に参加なさったことでしょう。キャンペーンに関して世界各地から寄せられた報告には,次のようなものがあります。

アラスカの氷点下の寒さも,証人たちを思いとどまらせるものとはなりませんでした。ノースポール会衆の主宰監督はこう述べています。「冬なのに,庭で立ったまま『王国ニュース』第36号を読んでいる家の人もいました。今日の状況とこれから人類にもたらされる祝福とを対比させた簡潔な音信には,人を引きつけるものがあります」。

アルバニアでは,比較的大きな幾つかの都市にある15の会衆に対して,遠く離れた村を訪問するようにとの呼びかけがなされました。兄弟姉妹たちは非常に大きな熱意と喜びとをもって,呼びかけに応じました。推定5万人の人々が住む56の村に良いたよりが初めて伝えられました。

アンゴラ支部は次のように伝えています。「わたしたちの区域の『王国ニュース』第36号を用いたキャンペーンは,奉仕者たちの熱心さや熱意によって目覚ましい成功を収めました。国中の会衆が依然として難しい経済的問題や戦争の影響を受けているにもかかわらず,成功したのです。『王国ニュース』の配布が行なわれたとき,多くの人は喜んで受け取りました。その結果,アンゴラは,11月に9万4,026件の家庭聖書研究を報告しました。これは,前の月より1万件近く多い,空前の新最高数です」。

カメルーンでのこと,ある村へ移動していた証人たちのグループは,「王国ニュース」第36号の束を一つ,うっかり落としてしまいました。農場に行こうとしていたある男性が,道路わきに落ちていたその束を見つけました。その人は,証人たちが「王国ニュース」第36号を配布していることを知っていたので,その束を拾い,何と自分で配り始めました。結局,4部を残してすべて配布しました。家の人たちから,残っている4部を分けてほしいと頼まれると,それを断わって,こう言いました。「ただ働きはごめんだね。これはうちの家族の分なんだ。エホバの証人が来たら,もらえるよ」。

コロンビアで,証人たちは「王国ニュース」第36号を受け取った一人の女性を再訪問しました。その女性は,私は今までずっとエホバの証人と話し合おうとはしなかった,と言いました。ところが,「王国ニュース」第36号を読んだ後,自分がとても良いものを得損なっていたことに気づき,ひざまずいて神に許しを求めました。この女性は,後に証人たちと連絡を取り,現在,聖書研究をしています。

コンゴ(キンシャサ)のある村で,制服を着た警察官が「王国ニュース」第36号を強い関心を抱いて読みました。それから少しして,その警察官は証人たちを見つけ,あの内容は説得力があり励みとなった,と述べました。その後,しばらく姿が見えなくなったかと思うと,今度は私服に着替え,聖書を手にして戻って来て,「大切で緊急な情報ですから,皆さんと一緒に配りたいと思います」と言いました。証人たちは,まず聖書を研究しなければならないことを親切に説明しました。その人は研究に応じ,よく進歩しています。

ジョイという若い女性は,ギリシャの自宅で,ドアの下に「王国ニュース」第36号があるのを見つけました。それを読むとすぐ,エホバの証人であるおばに電話をかけ,心を打つ内容だったことやエホバの証人と話をしたいと思っていることを伝えました。おばはその地域で特別開拓者として奉仕している一人の姉妹と連絡を取り,この開拓者がその若い女性と会うことになりました。大変驚いたことに,二人は面識がありました。ジョイはその開拓者に,私は聖書を持っているけれど,いま直面している問題と関係のある聖句を見つけることができない,と言いました。そして,家庭聖書研究を行なうことにすぐ同意しました。

韓国のある証人は,エホバの証人の息子に反対していた女性に「王国ニュース」第36号を配布しました。証人は三日後に再び訪ね,聖書がパラダイスについて述べている事柄を説明しました。この女性は好意的な反応を示し,聖書研究が始まりました。息子は目に涙を浮かべ,「母が聖書研究を始めたなんて信じられません」と語りました。この女性は良い進歩を遂げています。

リベリアの内陸部で,何人かの証人が「王国ニュース」を配布するために村から村へ歩いているうちに本道から外れ,ブッシュの奥の孤立した農場に出てしまいました。道に迷ってしまったことを農場の人たちに話すと,一人の若い男性はこう言いました。「わたしたちも受け取れるように,皆さんをこちらに導いたのは神の霊です」。

オランダの人々も「王国ニュース」第36号を喜んで受け取り,瞬く間に200万部以上が配布されました。ドイツのゼルターズにある支部は,10万部を追加印刷しましたが,会衆からはさらに多くの依頼がありました。ヘルモント市で,あるエホバの証人が家の人に,このパンフレットは世界中で配布されています,と述べました。相手の男性は「ちょっと待っていてください」と言って,家に入り,奉仕者の言葉が本当かどうかを確かめるため,フランスの友人に電話をかけました。「エホバの証人がパンフレットを持ってうちに来ているんだ。世界中で配布されていると言っているんだけど,君は受け取ったかい?」と友人に尋ねると,「うん,10分前にもらったよ」という答えが返ってきました。男性は電話を切って玄関に戻り,自分のために1部受け取りました。

ロシア支部は,7年生の若者から次のような興味深い手紙を受け取りました。「こんにちは。新たな千年紀<ミレニアム>のパンフレットがうちのポストに入っているのを見つけて,すごくうれしかったです。この1年で一番うれしかったことは,このパンフレットをもらったことです。もっと詳しく教えてください」。

「王国ニュース」第36号のキャンペーンは,一般の人々を助けるものとなっただけでなく,証人たち自身の益ともなりました。サイパンの一人の証人は次のような感想を述べています。「『王国ニュース』の配布を本当に楽しみました。私は1998年にバプテスマを受けたので,宣教奉仕のこの活動に参加するのは今回が初めてでした。晩の証言をやってみようという気持ちにもなりました。おかげで,さらに多くの人と話すことができています。この活動によって信仰が強められ,エホバをいっそう身近に感じています」。

証人たちは「王国ニュース」第36号を配布するため,ソロモン諸島のマライタ島の辺ぴな場所に行きました。5時間以上歩いて到着したある村では,地元の牧師が証人たちを歓迎し,深い関心を示しました。牧師によれば,そこの人々は,9年余りの間,外から来る教会の代表者の訪問を受けたり,関心を示されたりしたことがありませんでした。ところが,こうして見ず知らずの人たちが苦労して山を幾つも越え,聖書の音信を理解できるよう助けに来てくれたのです。村のすべての家族との聖書研究が始まりました。兄弟たちは2週おきに村を訪ね,やがて10件の研究で良い進歩が見られるようになりました。牧師は,だれかが村にとどまって群れを発足させることができるのであれば,村の教会を集会のために使ってもよいと言いました。今では,特別開拓者が定期的にその群れを訪ねています。最近の報告によると,教会の代表者が訪ねてきて,エホバの証人との研究をやめることに同意するなら,村人に食料を提供すると申し出たということです。しかし,村人は全員,聖書の研究を続けると言いました。

ベネズエラの人里離れた場所で休暇を過ごしていた数人の証人たちは,ペモン・インディアンのガイドに「王国ニュース」第36号を渡しました。その男性は「王国ニュース」に感動し,何度もそれを読み返しました。「王国ニュース」が嵐でぬれてしまうと,それを干して丁寧に乾かしました。そして,自分の部族に持ち帰るため,さらに「王国ニュース」を求めました。

昨奉仕年度中の法律上の進展

ブルガリアのイバイロ・ステファノフは,軍隊に入ることを良心上の理由で拒否しました。その結果,1年半の刑を言い渡されました。ステファノフ兄弟は,信教の自由が侵害されたことを理由に,この件をヨーロッパ人権裁判所に提訴しました。同裁判所がその件を審理することを通知すると,ブルガリア当局は,ステファノフ兄弟や同じ問題に直面している他のエホバの証人が潔白であるとする友好的解決のための調停を求めました。2001年5月3日,同裁判所はこの友好的解決を認可しました。ブルガリア当局は友好的解決の一部として,これまで徴兵期間の2倍の長さだった代替の一般市民的奉仕の期間を短縮することにも応じました。

カナダのケベック州ブレインビル市で,宗教的な目的で戸別訪問をする人は,まず許可証を買わなければならないという条例が制定されました。その許可証は,月曜日から金曜日までの戸別訪問だけを認めており,有効期間はわずか2か月間で,更新するには12か月が経過していなければなりません。2001年4月17日,ケベック州の通常第一審裁判所の裁判官は,その条例はエホバの証人による公の宣教活動には適用されないという判決を下しました。裁判官は,エホバの証人は許可証の入手義務を免除され,戸別訪問による宗教活動を行なう際,時間数,日数,月数,年数などの制限を受けることもないと述べました。また,エホバの証人の宣教活動を「クリスチャンの社会奉仕」と呼び,証人たちの出版物は「宗教,聖書,麻薬,アルコール依存症,若者の教育,結婚生活の問題や離婚などの論題を取り上げたまじめな文書」であるとしました。さらに,エホバの証人を行商人になぞらえることは「侮辱的で,名誉を傷つけることであり,有害で,中傷的」であるとも述べました。

2001年2月22日,グルジアのトビリシにある最高裁判所は,グルジアのエホバの証人が用いている二つの法人組織,つまり「グルジアのエホバの証人連合」とグルジアの「ものみの塔協会代表団」の登録を取り消す判決を下しました。同裁判所がはっきり示したとおり,この判決はエホバの証人の活動を禁じるものではありませんでした。それどころか同裁判所は,エホバの証人が集会を開くことや文書の輸入,不動産の賃借や所有を含む,宗教活動を行なえると述べました。ところが,宗教上の過激派たちは裁判所の見解を無視し,ある人権団体が「恐怖政治」になぞらえた一連の悪意ある攻撃を仕掛けました。2001年6月29日,エホバの証人は,抑制されない暴力行為をグルジア政府が放置していることに異議を唱え,ヨーロッパ人権裁判所に提訴しました。7月2日,ヨーロッパ人権裁判所は,その訴えを優先的に考慮すべきであると述べました。明るい面として,2001年5月30日にグルジアの税関当局は,その年の3月14日に違法に差し押さえた約20㌧の聖書文書を返還しました。文書は直ちにグルジア全土の会衆に分配されました。

1997年,ドイツのベルリンにある連邦行政裁判所は,エホバの証人に公法上の法人としての法的立場を与えることを認めませんでした。それは,エホバの証人は政治的な選挙で中立の立場を取るため,国家に対して十分に忠節であるとは言えない,との主張に基づいていました。エホバの証人は,この件を上訴しました。2000年12月19日,ドイツ連邦憲法裁判所は,そのような拡大解釈された忠節は求められていないと裁定しました。しかし,この件は連邦行政裁判所に差し戻され,今度はエホバの証人が個人の権利を侵害しているかどうかという角度から,法的立場の申請が再審理されることになりました。今回新たな焦点となったのは,血,子どもの養育,排斥,家族関係に関する信条や慣行です。

ギリシャの3,500人余りのエホバの証人は,中立を保って投獄されたことがあったため,最近まで前科の記録がありました。それは,公務員になることや福祉団体や銀行で働くことが認められなかったという意味です。ある種の専門職に就くことを許されなかった証人もいます。今回ギリシャでは,こうしたエホバの証人をもはや前科者とはみなさないとする法律が可決されました。徴兵を良心的に拒否する個人の権利をめぐって争われた「トリメノス対ギリシャ」事件でヨーロッパ人権裁判所の下した有利な判決が,新しい法律の下地となったことは間違いありません。

2001年3月30日,日本の神戸地方裁判所は,あるエホバの証人の関係した訴訟で有利な判決を言い渡しました。一人の姉妹は誘拐され,宗教的な信条を“捨てさせる”ために17日間強制的に監禁されました。同裁判所は,被告のバプテスト派牧師が,姉妹の前夫やその家族と共謀し,本人の意思に反して姉妹を監禁したと判断しました。被告は40万円の損害賠償金の支払いを命じられました。

ルーマニアの最高裁判所は二つの判決において,「エホバの証人の宗教組織」は法的に認可された宗教団体であり,宗教に関する法律で認められている権利すべてを有する,と明言しました。宗務局はそれらの判決を覆そうと試みましたが,うまくいきませんでした。2001年4月2日,最高裁は先の判決を擁護しました。宗務局は,エホバの証人の正式な法的立場を認めるよう最高裁から指示されているにもかかわらず,いまだにそうしていません。

2001年2月23日,裁判官はついに,ロシアのモスクワにおけるエホバの証人の活動の禁止を求める訴えを棄却しました。6年近い法的手続きと3年にわたる裁判の末の判決でした。しかし,兄弟たちがほっとしたのもつかの間,2001年5月30日にモスクワ市裁判所は下級裁判所の判決を取り消し,この件をすべて審理し直すよう命じました。エホバの証人が,いわれのない同じ非難に対して自らを弁護しなければならないのは,1996年から数えてこれで6度目のことです。

米国のペンシルバニア上位裁判所が2001年2月21日に下した判決は,身体に関する患者の自己決定権や,医療上の事前の指示および継続的委任状の有効性を力強く認めるものでした。この判決は,断固として輸血を拒む意思を一貫して表明してきたマリア・デュランに関するものでした。マリアが事前に対策を講じていたにもかかわらず,エホバの証人ではない夫は,マリアの医師団や病院の力を借りて,自分を緊急時の後見人に任じる裁判所命令を取り付けました。マリアが仲間の信者を医療に関する代理人として委任していたのに,そうしたのです。上位裁判所はその緊急命令を覆し,たとえ患者の配偶者,親族,医師の反対があったとしても,医療に関する患者の明確な指示や,代理人の個人的な委任は尊重されるべきであると述べました。

求む ― さらに多くの王国会館

多くの国において,王国会館の建設は非常に難しく,時間もかかるのが常でした。建設が行なわれている間,何か月も,時には何年も,どこかの施設を借りて集会を開いていた会衆もありました。アフリカのある国でのこと,まだ完成していない王国会館の屋根の梁に野生のオウムが巣を作り始めました。やがて,オウムは王国の歌に合わせて鳴くようになりましたが,そのことを気にする人はだれもいないようでした。作業の進み具合はかなりゆっくりだったので,オウムは「ものみの塔」研究の司会者のまねをするようになり,兄弟姉妹の名前を呼ぶことさえありました。ついに王国会館は完成し,オウムは別のすみかを探さなければならなくなりました。

今では,興奮を誘う新しい建設プログラムのおかげで,王国会館は驚くべき速さで完成します。現在ほとんどの発展途上国では,王国会館を建設して献堂するまでに三,四週間しかかかりません。昨奉仕年度中,アフリカだけで1,074棟の新しい王国会館が建設されました。これは,平日1日当たり約4棟のペースで王国会館が建てられたことを意味します。

実際,新しい王国会館建設プログラムには二重の目的があります。第一に,現在の必要を満たすことです。南アフリカ支部はこう書いています。「これは胸の躍るような進展です。王国会館を切実に必要としている国々で,きっと多くの会館が建てられるでしょう」。第二に,有能な地元の証人たちを用いて建設を組織することにより,今後の必要も満たせるようにすることです。例えばベニンでは,建設プログラムがすでに地元で十分に運営されており,将来の王国会館の必要も顧みることができます。

五つの地区王国会館事務所は,ブルックリンの設計/建設事務所と共に,東ヨーロッパ,アフリカ,アジア,オセアニア,中南米,カリブ海の島々の支部を組織的な面で援助しています。これらの事務所は支部委員会と密接に協力し,いま用いることのできる指針や備えを支部委員会が十分活用できるようにします。例えば,各支部には王国会館建設デスクが設けられ,野外での建設の業の調整に当たります。このデスクは,建設用地を選ぶ過程でも会衆を援助し,地元の建設資材や建設工法を基にしたモデルプランも開発しています。

かつて資金や熟練した働き人が大幅に不足していたため建設作業に支障を来たしていた92の国や地域では,現在4,000人以上の長期および短期奉仕者が,352の王国会館建設グループで専従奉仕者として働いています。こうしたグループがうまく機能している重要な要因は,王国会館建設奉仕者の取り決めが取り入れられたことです。これは,選ばれた国々の資格ある地元の兄弟たちにとって,新しい分野の全時間奉仕となっています。加えて,152人のインターナショナル・サーバントは,建設プログラムで重要な役割を担えるよう地元の兄弟たちを訓練しています。もちろん,王国会館の建設は会衆のプロジェクトなので,会衆の成員は作業の大半を自発的に喜んで果たしています。

この新しい建設プログラムに対する人々の反応はどのようなものでしょうか。最近,ベネズエラのトルヒーヨ市のサラ・リンダで,最初の王国会館が建てられました。一人の伝道者は,目に喜びの涙を浮かべてこう言いました。「エホバがわたしたちのことを覚えていてくださり,本当に感激しています。この町は地図にさえ載っていないのですから!」

ブラジルのリオデジャネイロのある姉妹は感動して,次のような手紙を寄せました。「わたしは10年間,4㌔歩いて集会に出席していました。妊娠期間中も歩行者用の橋を歩いて渡っていました。ついに,わたしの夢がかないました。区域内に王国会館ができたのです。すでに多くの聖書研究生が集会に出席し始めています。以前に研究していたものの,後に反対するようになった父は,献堂式以来,一度も欠かさず集会に出席しています。そして今週から研究を再開しました」。エホバの証人ではない一人の観察者は,こう述べました。「60歳になりますが,このようなことは見たことがありません。エホバの証人は仕事が速い上に,みんなで楽しそうにやっています。わたしは町議会の建物のれんが職人として雇われているのですが,仕事に時間がかかり過ぎると,だれかが必ず,『これはエホバの証人に手伝いに来てもらわないとだめだな』と言うのです」。

ウクライナの一人の長老は次のような感想を述べています。「モデルプランの王国会館をわずか1か月で建てることができたので,家族や会衆の責任が長い間おろそかになることはありませんでした」。また,ある姉妹はこう述べています。「うれしくてしかたがありません。エホバがご自分の民をどのように助けてくださるかをこの目で見ることができました。以前は経済的に見て,自分たちの王国会館を持てる見込みなど全くありませんでした」。

マラウイの関心を持つ人々は,ふさわしい集会場所があると特にわたしたちと交わろうとします。ナフィーシ会衆はこう伝えています。「今は美しい王国会館があるので,すばらしい証言になっています。おかげで,伝道に行くと簡単に聖書研究を始めることができます。どこに行っても人々は驚嘆しています。学校,職場,人々の家など,どこでも,王国会館の話で持ち切りです」。

モザンビークの地域共同体の指導者たちも,王国会館建設プログラムに良い印象を持っています。伝統的なある首長は,王国会館を建てる土地のことで頼まれた時,許可を与えてこう言いました。「よその土地で王国会館が建てられていることは聞いていましたよ。でもうちには一つもないので気になっていました。エホバの証人の皆さん,わたしたちの王国会館を建ててくださるなんて,ありがとうございます」。

よく組織されたプロジェクトは,会衆内の進んで働く精神にどのような影響を与えているでしょうか。ジンバブエの建設グループの一人はこう語っています。「雨の中を数時間かけて移動し,いなかの王国会館建設用地に到着しました。兄弟姉妹は1本の木の下で身を寄せ合うように集まり,足元に小さなたき火を起こして待っていました。雨にぬれていましたが,笑顔で迎えてくれました。わたしたちが来る前の準備作業として,会衆の60名の人々が基礎のための溝を掘りました。兄弟たちは前日の朝4時に掘り始め,当日の夕方6時に掘り終えたのです」。

同じ国のゾンゴロ会衆にも王国会館がありませんでした。ネイサン・ムチングリは1924年にバプテスマを受けて以来,そこで奉仕しています。ムチングリ兄弟は何年もの間,聖書文書をショナ語に翻訳しました。ベテルの外に住んでいたため,支部事務所は生活費の援助を申し出ましたが,兄弟はそれを断わりました。それでも,地上での歩みを終える前に王国会館で集会を開きたいという願いは言い表わしていました。2001年4月8日,93歳のムチングリ兄弟の願いはかないました。ゾンゴロ会衆が新しい王国会館で初めて集会を開いたのです。それは主の晩さんの式でした。

1999年11月にこの建設プログラムが始まって以来,92の国や地域で2,097棟の新しい王国会館が建てられてきました。平均すると,毎週22棟の王国会館が建てられたことになります。世界的な兄弟関係にある人たちが愛に動かされて差し出したものによってこの「均等を図ること」が可能になり,こうして「多くある[会衆]にも多過ぎることなく,少ししかない[会衆]にも少な過ぎることはなかった」という言葉どおりになっています。(コリ二 8:14,15)エホバはこの世界的な努力を祝福してくださっているでしょうか。考えてみてください。こうした場所の多くでは,ふさわしい王国会館を建てている一月の間に,集会の出席者数が2倍になることも少なくないのです。

無輸血治療に関する3巻のビデオ

オーディオ/ビデオサービスは,ドイツなどの国々の兄弟たちと共同で,無輸血治療の合理性や効果性を示す3巻のビデオを製作しました。3巻のビデオではいずれも,血液を用いる方法と輸血の代替療法の効果性が,著名な外科医たちによって対比されています。第1巻のタイトルは,「輸血の代替療法 ― 簡便,安全,効果的」というもので,特に医師や医学生のために作られました。コンピューター・アニメーションを用いて血液成分の働きを説明しています。

第1巻の完成は,第34回US・インターナショナル・フィルム・アンド・ビデオ・フェスティバルの作品応募期間にちょうど間に合いました。そのフェスティバルには,33か国から合計1,500の応募作品がありました。「輸血の代替療法」のビデオは三つの部門で審査され,調査・研究資料部門と専門教育部門の2部門で第2位となり,シルバー・スクリーン賞を受賞しました。もう一つの時事問題部門では,第1位となりゴールド・カメラ賞を受賞しました。今回の受賞によって,このビデオの品質,正確さ,専門的な取り組み方が映画界の専門家によって認められたことが明らかになったため,その内容の信頼性が高まりました。

第2巻のタイトルは,「輸血の代替医療 ― 患者の必要と権利にこたえる」というものです。これは,とりわけ医学関係のジャーナリスト,保健行政担当者,ソーシャルワーカー,司法関係者向けに製作されました。タイトルに示唆されているとおり,このビデオでは,患者に必要な治療を施しつつ,その法的権利も認める方法が取り上げられています。加えて,無輸血の外科治療は費用に対して効果が高いことも示されています。

シリーズの第3巻のタイトルは,「無輸血 ― 医療はその課題に取り組む」というものです。このビデオは,おもに一般向けに作られ,米国ではすでに様々なテレビ局で放映されました。ビデオの中でインタビューされているエホバの証人ではない専門家の好意的なコメントは,無輸血手術の価値を人々に教え,情報の不足に起因する偏見を抑えるうえで大いに役立つことでしょう。

神に賛美をもたらす新しい支部施設

次に挙げるのは,昨奉仕年度中に五つの支部で行なわれた献堂式の報告です。では,これから一緒に旅してみましょう。まず最初に行くのは,南アメリカです。ここでは,ベネズエラとウルグアイで新しい支部施設が献堂されました。続く行き先は,東ヨーロッパのウクライナです。ここでは,エホバの証人の業が50年以上も禁じられていました。次に,アフリカ南部のマラウイに注意を向けます。ここでエホバの証人は多年にわたり禁令や迫害を経験しました。最後に,カリブ海の美しい島バルバドスに目を向けましょう。

ベネズエラ: 2001年3月3日,22か国から来た1,600人ほどの訪問者が,首都カラカスの西80㌔にある美しく整備された敷地に集まりました。幾つかの建物からなる新しい支部施設を献堂するためです。3月は乾季のため,アラグアの山々は乾燥して茶色になります。しかし,支部の建物を囲む芝生ややしの木は,敷地内の井戸から引かれている水のおかげで青々と茂っています。代表者たちはきれいに着飾り,多くはカメラを手にして,敷地内や建物群の内外を歩き回り,感嘆や喜びの声を上げていました。

1946年9月にベネズエラで最初の支部事務所が開設された時,その国で良いたよりを宣べ伝えていた伝道者はわずか19人でした。その後,半世紀余りの間に,国内の必要が増し加わったため,支部として使われていた幾つかの建物が手狭になりました。現在,新しい支部は,ベネズエラにいる8万8,541人の良いたよりの伝道者を世話しています。

献堂式の出席者の中には,6年にわたる施設の建設に携わった人も少なくありませんでした。あるインターナショナル・サーバントはこう回顧しています。「建設プロジェクトに参加するために何時間もかけて来ることもいとわない兄弟たちを見て,本当に励まされました。例えば,ある会衆のグループは,バスを借りて午後11時に出かけ,夜通し走って午前6時に到着し,朝食を取ってから一日中一緒に働き,それからまた7時間の道のりをバスで帰って行きました」。兄弟たちは一致のうちに共に働いたので,建設期間中の交わりは楽しいものでした。―詩 133:1

統治体のゲリト・レッシュは,「拡大はエホバへの賛美をもたらす」という献堂の話をしました。翌日,11万3,260人という記録的な数のエホバの証人や関心を持つ人たちが,国中からバレンシア市に集まり,献堂式のプログラムの要約を含む,もう一つの興奮を誘うプログラムを聞きました。 *

ウルグアイ: 「本当にすばらしい人たちです。これほど大勢の人たちが,男性も女性も一生懸命に,しかもこんなに楽しく働いているとは,実に見事です。これは,正しい動機や,物質的な利益を求めない精神がなければ決してできることではありません。おめでとうございます。これからもよい仕事を続けてください」。これは,ウルグアイ支部の建設現場を訪れた大勢の見学者が残していった数多くの言葉のほんの一例です。

建設プロジェクト期間中にエホバの証人が示した熱意と協力の精神は,エホバの民が教育活動を行なう際に長年示してきた精神でもあります。60年前のウルグアイには,国中を自転車で回った6人のドイツ人の開拓者を含め,ほんの一握りのエホバの証人しかいませんでした。今では,ウルグアイのエホバの証人は,堅固で,よく知られた,評判の良い組織を構成しています。人口287人に一人の割合で伝道者がおり,各会衆に平均5人の長老がいます。言うまでもなく,拡大に伴い,より大きな支部施設が必要になりました。

2001年3月31日の献堂式のプログラムでは,このプロジェクトのために自分の技術や経験を差し出した数多くの証人たちに対する感謝が述べられました。また,かつてウルグアイで奉仕していた多くの宣教者にインタビューがなされました。この宣教者たちは献堂式に出席するために遠く離れた国や地域からやって来ました。献堂式の話は,レッシュ兄弟が行ないました。兄弟は,宣べ伝える活動を行なうおもな理由はエホバに賛美と栄光をささげるためであることを強調しました。 *

ウクライナ: ウクライナには,良いたよりの伝道者が110年以上にわたって存在しています。しかし,過ぐる10年間には特に急速な増加が見られました。1990年代に伝道者数が530%も増加したため,支部施設が緊急に必要となりました。その必要にこたえるため,リボフから5㌔ほど北の美しい田園地帯が支部の建設用地に選ばれました。支部施設は,104部屋の宿舎,近代的な事務所,厨房,洗濯室,車庫,文書倉庫から成っています。

建設許可を得てから2年3か月後,兄弟たちはかつて青少年キャンプ場だった場所を,支部を構成する魅力的な建物群に変えました。それは,業が禁令下にあった年月の間,兄弟たちが集会を開くのに用いていた森の中にあります。

地元の行政当局は,支部に通じる道路を舗装するよう求めました。兄弟たちは,長さ1,200㍍の道路の舗装工事を2000年10月末までに完了させるという条件で,地元の建設業者を雇いました。というのは,たいてい11月には雪が降り始めるからです。ところがその業者は,合意した日付までに完成させることができませんでした。まだ道路工事ができる気候だったので,兄弟たちは工事を手伝うことにしました。皆が懸命に働き,2000年12月16日,土曜日に,道路はついに完成しました。その夜,辺り一帯は雪に覆われました。2000年の秋が例年になく暖かくて長かったのはなぜですか,と尋ねられると付近の住民は,「エホバの証人が道路を完成させなければならなかったからですよ」と答えます。

献堂式のプログラムは2001年5月19日に行なわれました。35の国や地域から来た兄弟姉妹たちがプログラムに出席しました。統治体のセオドア・ジャラズとゲリト・レッシュの話は,プログラムの中で特に際立ったものでした。翌日には,リボフとキエフのそれぞれ一番大きな競技場で開かれた特別プログラムに,7万2,023人の群衆が集いました。禁令下で何十年も奉仕してきた大勢の人たちも出席していました。それらの人たちは,エホバに大きな誉れと賛美をもたらす,このような美しい支部を見て興奮しました。 *

マラウイ: 2001年5月19日,土曜日の夕刻,2,200人を超えるマラウイのエホバの証人は,21か国から来た200人の訪問者たちと共に,ユーカリの木や竹の長いさおと干草で作られた日よけの下に集まりました。閉会の歌の時には,辺りが次第に暗くなってきたので,歌の本の歌詞を見ることができませんでした。歌の指揮者は,魅力的なステージから,56番の歌を典型的なアフリカ流の歌い方で歌うよう聴衆を導きました。伴奏なしの四部合唱です。聴衆に歌の本は要りません。空で覚えているのです。他の国から来た招待客は,それらエホバの忠実な僕たちの歌声を聞いて深い感動を覚えました。そのほとんどは,40年以上も前にバプテスマを受け,信仰の厳しい試練を耐え抜いてきたのです。

その日の朝に行なわれた新しい支部施設の見学では,どこからともなく王国の歌の合唱が沸き起こり,兄弟姉妹たちは見学ルートで会った人たち全員に手を振りました。その前にもこのようなことがありました。空港職員は,外国からの訪問者を歓迎するために「王国の調べ」第1巻を空港の放送設備で流すことに同意してくれたのです。それは実に温かで神権的な歓迎でした。その音楽は今でも空港で流されています。

「あなたはエホバへの奉仕に感謝していることを示していますか」。これは,マラウイで地帯監督として奉仕していたセバスチャン・ジョンソンが尋ねた質問です。ジョンソン兄弟は,ミカ 6章6-8節を考察し,エホバはわたしたちに過度の要求をなさらないことを示しました。そして,聖書を毎日読み,その健全な原則を当てはめるよう励ましました。統治体のガイ・ピアースは,「エホバが造られたものに歓喜し,歓ぶ」という主題を中心に献堂式の話を行ないました。ピアース兄弟はこう述べました。「皆さんの働きと長年にわたる忠実な奉仕の歴史は,今日の増加の基礎になってきました。これからも,至高の神エホバへの神聖な奉仕において,できる限りのことを行なってください」。

5月20日の日曜日にリロングウェの競技場に集まった1万7,378人の出席者は,1993年に禁令が解かれた時,マラウイには約3万人の伝道者しかいなかったことを思い起こさせられました。現在,マラウイにはほぼ5万人のエホバの証人がいます。確かに,複数の建物からなる新築されたベテルの献堂式は,エホバの勝利の日を思い出す絶好の時となりました。 *

バルバドス: 芝生や花に囲まれた新しいバルバドス支部と隣接する王国会館は,近くの美しいカリブ海を一望できる,広さ1ヘクタールほどの小高い場所にあります。この美しい施設は,18か月の工期で,バルバドスの首都ブリッジタウンから4㌔ほど離れたセントジェームズのプロスペクトにある閑静な地域に作られました。

新しい支部の建物には10人のベテル家族が住んでいます。そこには,八つの居室,事務所,食堂,そして275席ある王国会館もあります。これらの施設は,ブリッジタウンの中心部から車で10分ほどの所にあった以前の支部施設に替わるものです。バルバドスの首都近郊の比較的静かな住宅地にあった以前の建物が使われ始めたのは1969年であり,当時の支部が管轄していた六つの主要な島と幾つかの小さな島の伝道者は,合計約1,200人でした。2000年には,伝道者数が2,390人まで増加し,25の会衆と一つの孤立した群れが存在するようになりました。そのころになると,支部施設は増えてゆく会衆を世話するのに非常に手狭となりましたし,かつて閑静な住宅地だった場所もにぎやかな商業地区になっていました。

2001年6月2日,土曜日,バルバドス支部が管轄する島々や他の15の国から来た676人の招待客が献堂式のプログラムを楽しみました。プログラムの中には,バルバドスの業の歴史をたどるものもありました。プログラムの最高潮は,「エホバの心を歓ばせる」という題で統治体のジョン・E・バーが話した,温かさの伝わる話でした。次の日には,スペースの関係で献堂式のプログラムに出席できなかった人たちのために特別集会が開かれ,3,332人が出席しました。 *

世界中にあるこのような支部施設では,合計2万133人の叙任された奉仕者が働いています。

[脚注]

^ 60節 ベネズエラの神権的な歴史は,「1996 エホバの証人の年鑑」,187-252ページに出ています。

^ 63節 ウルグアイの神権的な歴史は,『1999 年鑑』,225-255ページに出ています。

^ 67節 ウクライナにおける証言活動の歴史は,この「年鑑」の119-255ページに出ています。

^ 71節 マラウイの神権的な歴史は,『1999 年鑑』,149-222ページに出ています。

^ 74節 バルバドスの神権的な歴史は,『1989 年鑑』,149-197ページに出ています。

[6ページの図版]

香港の「神の言葉を教える者」地域大会では,「新世界訳」の中国語繁体字版と簡体字版が発表された

[11ページの図版]

「王国ニュース」第36号は世界中で5億部近く配布された

[13ページの図版]

フランスのストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所

[21ページの図版]

ムチングリ兄弟姉妹。新しい王国会館の前で

[22ページの図版]

「輸血の代替療法 ― 簡便,安全,効果的」というビデオは三つの賞を受賞した

[28,29ページの図版]

新しく献堂された支部施設

(1)マラウイ

(2)バルバドス

(3)ウルグアイ

(4)ベネズエラ

(5)ウクライナ