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過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

エホバは,「末の日に」人々がエホバの比喩的な山に集まり,教えを受けると予告されました。(ミカ 4:1,2)過ぐる1年,この預言のいっそうの成就として,増し加わる大勢の人々が,「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」という2003年の年句に沿って行動しました。(ヤコ 4:8)エホバとのさらに親しい関係を培うように多くの人を助ける肝要な備えとなったのは,一連の「神に栄光」国際および地域大会でした。

「神に栄光」大会

「エホバに創造された無生物が,エホバに賛美をもたらせるのであれば,考えたり語ったりできるわたしたちはなおのこと,偉大な創造者の栄光をたたえるべきではないでしょうか」。大会の話し手の一人はそのように熱意を込めて語り,次いで啓示 4章11節を引用しました。「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」。

「神に栄光」大会として合計32の国際的な集いが開かれて,エホバを賛美する特別の機会となりました。それらの国際大会は,ウクライナ,オーストラリア,ガーナ,カナダ,スイス,スペイン,チリ,デンマーク,日本,ハワイ,ハンガリー,米国,南アフリカ,メキシコで開かれました。宣教者や,外国の任命地で働く他の人たちは母国に帰ることができ,遠く離れた地での王国の活動についてインタビューを受けました。それらの大会には外国から来た大勢の代表者も出席しました。

多くの国から来た代表者たちにとって,大会開催国の支部を訪問できたのは特にうれしいことでした。米国支部は,36か国から来た6,750人余りの代表者を迎え,1万5,000食もの食事を提供する特権にあずかりました。ある日の昼食後,南アフリカから来たバスグループの兄弟姉妹たちは,ベテル家族のために,アフリカーンス語,英語,コーサ語,ズールー語,セソト語,セペデ語の六つの言語で,四部合唱をしました。感動的な美しい歌声に耳を傾けた多くの人は涙を流しました。

地球を半周してきたことを示すバッジを着けた別のグループの代表者は,こう言いました。「霊的な兄弟姉妹の皆さんとこうして過ごせるのは,一生に一度の経験です。決して忘れません。新しい体制を前もって味わったかのようです」。英国から来た兄弟は,17歳の時に真理を離れ最近戻ってきた人でしたが,放とう息子を描いた絵を見て感動しました。その後,ブルックリンのベテル家族と昼食を楽しみながらエホバの憐れみを深く思い,目に涙を浮かべました。スペインから来た兄弟は,結婚して以来29年間,妻に涙を見せたことは一度もなかった,と言いました。しかし,そのグループがテキサス州のヒューストン国際空港で喜びにあふれる大勢の証人たちに迎えられた時,兄弟は涙を抑えられませんでした。

大きな大会の場合,ふさわしい施設を相応な費用で確保するのが難しい場合があります。それでも,エホバの証人が長年築き上げてきた良い評判が有利に働くことは珍しくありません。そのことは,ある支部の報告に示されています。「懸命に探しましたが,大会に出席が見込まれる約5万人の人たちを収容できるふさわしい施設は一つしかありませんでした。しかし,兄弟たちが競技場の関係者と連絡を取ると,費用が余りに高いことが分かりました。支部を代表する人たちが問い合わせてから数日後,同じ競技場の関係者が支部に連絡してきて,もう少し話し合いたいと言いました。後に,競技場の上級管理者の一人はこう述べました。『当初,わたしたちは皆さんが何を求めておられるのか,あまり理解していませんでした。しかし,皆さんの大会の性質や運営上の組織能力について知り,たいへん驚かされました。皆さんの組織力の高さ,綿密な計画,プロ意識に感銘を受けています』」。結果として,エホバの証人はその競技場を相応な料金で借用できました。

発表文書

あなたは神の言葉を勤勉に学んでおられますか。では,『この良い地を見なさい』という36ページ,4色刷りのブロシュアーを受け取って興奮されたに違いありません。このブロシュアーの図表,地図,写真,コンピューター・グラフィックス,その他多くの特色は,個人研究の質を高めさせるものとなるでしょう。それで,『この良い地を見なさい』を研究用の聖書や,いつも使う研究の手引きと一緒にしておいてください。また,会衆の集会で聖書の地に関する話や討議が行なわれる時には,忘れずに持参してください。

「子どもたち ― 貴重な相続物」という話の中で,話し手は,「偉大な教え手から学ぶ」という,美しい挿絵の載った256ページの書籍を発表しました。神から与えられた相続物の価値を深く認識する親たちは,この新しい優れた出版物を子どもたちと共に楽しく学ぶことでしょう。その本はこう述べています。「子どもは道徳上の指針,つまり生活の導きとなる原則を必要とします。しかも,幼い時からずっと必要なのです。子どもに援助を与えるのが遅すぎると,痛ましい事態になりかねません」。

「偉大な教え手から学ぶ」には,230余りの挿絵があります。「聖書物語」の本のほぼ2倍です。すべての挿絵にキャプションがあり,ほとんどが質問形式になっています。答えは同じページにあります。それらの質問や本全体に載せられている多くの質問は,会話を促すのに良い助けとなり,子どもたちは心から話すことができるでしょう。例えば101ページには,「忘れずに感謝の言葉を述べるのが大切なのはなぜですか」というキャプションがあります。親の皆さんは,「子どもは親から何を与えてもらう必要があるか」という前書きを是非とも読んでください。そこに挙げられている提案を当てはめるなら,ご家族はこの優れた研究の手引きから最大の益を得られるでしょう。

ろう者に喜ばれたビデオ

1915年のこと,巡礼者つまり旅行する長老だったジョン・A・ガレスピーは,米国で,国際聖書研究者として知られていたエホバの証人の大会に出席したろう者の小さなグループに手話で歌を歌いました。今では世界各地に,ろう者の奉仕者や関心を持つ人たちの交わる会衆や群れが1,200余りあります。それらの人たちは霊的にどのように養われているのでしょうか。

現在,18の手話言語で聖書研究の手引きを入手でき,その言語数は増えています。アメリカ手話(ASL)を使う人たちは,2002年9月に特別な喜びを味わいました。その月から,「ものみの塔」誌の研究記事を毎月ビデオの形で入手できるようになったのです。この備えは,他の人たちが当たり前のように感じていたものに関して,ろう者の大きな助けになっています。

考えてみてください。耳の聞こえるエホバの証人の多くは,いろいろな聖句を空で言えます。そうできるのは,毎回,全く同じ語句を聞いたり読んだりしているからです。しかし,ろう者の伝道者は,そのような一貫した訳に恵まれるとは限りません。なぜでしょうか。ASLの聖書がなく,会衆の集会でプログラムを扱う人は,聖句の言葉遣いを全く同じように手話で表わすとは限らないからです。しかし,こうした状況もASLのビデオ版出版物が出て,変わり始めました。今では「ものみの塔」誌の研究記事のビデオ版も入手できるため,ろう者の聴衆は聖句の一貫した訳を楽しむことができます。

加えて,ASLの会衆や群れは,「ものみの塔」研究の朗読の手話を行なう人を割り当てる必要がなくなりました。耳の聞こえる人たちの会衆で朗読の割り当てを受けた人は,1時間ほどかけて「ものみの塔」誌を上手に読む練習をするかもしれません。しかし,ろう者の伝道者の会衆で,研究記事の手話を行なうよう予定された人は数時間をかけて準備することも珍しくありません。その貴重な時間を他の霊的活動に用いることができるようになりました。兄弟姉妹たちはこの新たな備えについてどう感じているでしょうか。

米国ロードアイランド州のろう者の群れの成員たちはこう書いています。「『ものみの塔』誌をビデオで受け取れるという発表を聞いて大喜びしました。実際,感激して涙を流した人たちもいます」。フロリダ州のある「ものみの塔」研究司会者は,今では非常に多くの人が手を挙げて注解するようになったため,「うれしいことに,手が多すぎて指名するのに困るぐらいです」と述べました。「注解の質も明らかに良くなった」とも述べています。別の長老はこう書いています。「すばらしい成果が見られています。奥深い概念もよく理解されています」。確かに,エホバの豊かな祝福により,ますます多くのろう者が,神を知り,その栄光をたたえる特権を歓びとしています。―ロマ 10:10

翻訳者のための助け

忠実な家令級によって備えられている霊的食物は,現在,少なくとも390の言語で入手できます。(ルカ 12:42)ですから,翻訳の仕事はエホバの組織の業の重要な部分を占めており,その役割は絶えず大きくなっています。

正しい翻訳は,原文の一つ一つの語句を対応する地元の言葉に置き換えればそれで良い,というものではありません。むしろ,考えを正確に伝えることが求められます。ですから当然ながら,翻訳者は翻訳を始める前に原文を完全に理解する必要があります。それは必ずしも易しいことではありません。

そのため,統治体の指示のもと,教訓者として奉仕するように任命された一群の資格ある兄弟たちが,英語理解力強化課程と呼ばれるプログラムで訓練を受けました。兄弟たちは,ニューヨーク州パタソンのものみの塔教育センターで開かれた課程を修了した後,2002から2003奉仕年度にかけて世界中の翻訳チームのもとへ赴きました。そして,各チームと約3か月過ごしてその課程を開き,実際的で作業に即した援助を差し伸べました。翻訳者たちは,このプログラムにより英文の意味を把握する面でより良い備えができたと感じています。

ある翻訳チームはこう述べています。「エホバはご親切にも,わたしたちが割り当てを果たす面でいっそう資格にかなうように助けてくださいました。以前より自信が持てるようになりました。エホバの祝福によって良い成果が得られることを楽しみにしています」。ある翻訳部門の監督はこう述べています。「以前,わたしたちは,難しい英語の表現や文章と長い時間取り組むこともありました。それは仕事のペースを落とします。ですから,英語理解力強化課程はまさに必要でした。この課程では,英文を系統立てて分析する方法や,難しい文に対処する実際的な方法が教えられました。そのため,あまり思い煩わず,より速く正確な翻訳ができるようになっています」。

別のチームはこう書いています。「この課程は,似たような世俗の教育より実際的で,わたしたちが特に必要としていた点に合わせてあります。この備えが世界中の翻訳者の助けになり,羊のような人たちが真理の『意味を』いっそう容易に『悟る』ようになると確信しています」。―マタ 13:23

これまでに,150以上の言語で働く1,660人ほどの翻訳者がこの課程から益を受けてきました。一部調整されたプログラムによって,手話翻訳者やスペイン語を中南米の先住民の言語に訳す翻訳者たちも助けを受けています。

より良い教え手となるよう整えられる

エホバも,独り子である「言葉」も,コミュニケーションを非常に重視しておられます。(ヨハ 1:1,14; 3:16。啓 19:13)忠実な奴隷級はその見方を反映し,宣べ伝えて教える技術を向上させるよう神の民を助ける面で引き続き努力しています。その目標を念頭に置いて,エホバの組織は「神権宣教学校の教育から益を得る」という本を準備しました。多くの奉仕者は,2003年1月から神権宣教学校で使われるようになったこの本に対する感謝を言い表わしています。

「上手に意思を通わせることができるように若い人も年配の人も助ける面でこれほど配慮を払っている宗教グループはほかにありません」と,フィリピンの一長老は書いています。ブラジルの一長老は,「2003年1月は,エホバの証人の歴史上,教える業の里程標になったと思います」と述べました。別の長老はこう言います。「会衆内の若い人たちがこの学校に参加することに以前より関心を示すようになったことに気づきました。この教科書を隅から隅まで読み,練習問題を全部した人もいます。それも,学校でその資料を取り上げる前にです」。ある旅行する監督は,「宣教学校」の本を牧羊訪問で上手に活用しています。こう書いています。「『読むことに励む』,『研究することには報いがある』,『どのように答えるべきかをわきまえる』といった章は,集会や宣教の準備にとても役立ちます」。

英国のある姉妹はこう述べています。「この本に含まれている練習問題は,優れた教育課程の一面です。この学校で教えられる技術を磨くには,日常生活で実践してゆく必要があります。この練習問題をすることによってそれができます」。日本では,言語障害を持つ一人の兄弟が手紙を書いてきました。『朗読の割り当てを果たす際には毎回,今日は大丈夫だろうかという怖れと闘わなければなりません。自分でも消極的な思考が問題を悪化させている状況に気付いていたので,先回の割り当ての時には,「宣教学校」の本の「どうすればはっきり話せるか」の副見出し(87,88ページ)や,「吃音に対処する」の囲み(95ページ)に書かれている点を書き出しました。吃音の問題はすぐには解決しませんが,あきらめないようにしたいと思います』。

ケニア支部はこう書いています。「ブルンジの兄弟たちは,キルンジ語で入手できるようになった新しい教科書に感謝しています。この国の多くの人は限られた学校教育しか受けていませんが,神権宣教学校の生徒たちは,助言点をよく理解できるようになっています。そのため,前以上に熱意をこめて割り当てを果たしています」。

この本が書く技術を伸ばす助けになった人もいます。メキシコに住む高齢の病弱な姉妹はこう述べています。「『宣教学校』の教科書の71-73ページには,手紙を書く際の実際的な提案があります。わたしは体力面で限界があるので,この方法で証言しています。それでも,親族に手紙を書くことは避けていました。しかし今では,新しい本の手引きのおかげで親族に良い証言ができています」。南アフリカのある地域監督は,こう注解しています。「これは本当に優れた手引き書です。話の特質に関して,技術面だけでなく,霊的な面も取り上げ,どうすればクリスチャン愛や他の人たちへの気遣いから生まれるそれらの特質を表わせるかを教えています」。

法律上の進展

2002年6月17日,米国の最高裁判所は,「ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会 対 ストラットン村」事件で歴史的な判決を下しました。最高裁判所は,8対1の票決で,勧誘に許可証を求める条例をエホバの証人の公の宣教に適用するのは違憲であると判決しました。

その勝利を受けて,米国支部の法律部門は国内の地方自治体すべてと連絡を取りました。その結果,勧誘を規制する条例をわたしたちの公の宣教奉仕に適用しようとしていた238の地方自治体との間で,宣べ伝える活動に関係した問題が解決しました。さらに,ストラットン事件の判決により,他の216の地方自治体において,王国伝道者たちは野外奉仕に携わる前に警察や町の当局者に連絡する必要がなくなりました。これからもエホバがそのような障害を平たんにしてくださいますように。―イザ 40:4。マタ 24:14

アルメニアでは,良心的に兵役を拒否した兄弟たちが今でも逮捕され,投獄されています。首都エレバンの検事は,刑期をさらに長くする目的で数人の兄弟たちの有罪判決について上訴しました。判事たちは上訴を受け入れ,さらに厳しい刑を宣告しました。

2003年2月,ヨーロッパ人権裁判所は,元宣教者である二人のエホバの証人が審理を求めた申し立てには十分な根拠があると宣言しました。その宣教者夫婦は,1995年にブルガリアから国外退去を命じられ,信教の自由と差別からの自由が侵害されたと感じました。人権裁判所は,その不服申し立ては「根拠不十分とは言えない」と判断しました。

エリトリアのアスマラで,ある会衆で行なわれた主の晩さんが終わったすぐ後に,警察が集会場を包囲し,男女子ども164人の出席者全員を拘束しました。その人たちは拘禁され,夜通し尋問されました。翌日,当局は子どもと,姉妹や関心を持つ人のほとんどを釈放しました。他の人たちは,アスマラ最大の刑務所に移送され,釈放されるまでほぼ1か月拘束された人もいました。この件とは別に,10人の兄弟が良心的に兵役を拒否したために収容所に入れられており,その内3人は9年の刑で投獄されています。

グルジアでは,兄弟たちに対する卑劣な攻撃が続いています。数か所の地域大会は,プログラムが始まった後に乗り込んできた地元当局者や武装警察によってむりやり中止させられました。彼らはステージを占拠し,聴衆を解散させました。ある場合には,当局者が近くの道路を封鎖し,大会へ向かう兄弟たちを妨害しました。エホバの証人を迫害している中心人物は裁判を受けることになっていますが,逮捕されていません。その裁判は,少なくとも19回すでに延期されています。時には,その人物の支持者が法廷を牛耳り,兄弟たちに身体的な攻撃や言葉による攻撃を加えることもあります。国税局は,証人たちが文書の輸入や様々な取り引きを行なう際に必要な納税番号を取り消しました。

コソボルーマニアからは良い報告が寄せられています。2003年5月20日,コソボの90人の王国伝道者が法的に認可され,その定款が登録されました。同様に,2003年5月22日には,ルーマニアで省令が出され,宗教組織としてのエホバの証人の立場が公式に確認されました。その省令の第3条にはこうあります。「キリスト教派『エホバの証人の宗教組織』は,ルーマニア国家の認可した宗教に適用される法律に定められているすべての権利と義務を有する」。この省令は,2000年にルーマニア最高裁判所が下した決定に沿って出されました。

ロシアでは,モスクワのエホバの証人の活動の禁止を求める裁判が,2003年5月22日に無期延期になりました。判事は期限を定めることなく,エホバの証人が過去10年間に出した文書が心理面に及ぼす影響について別の「専門の」調査を行なうよう命じました。そのような調査が科学的に有効かどうかは疑問です。その間に,ヨーロッパ人権裁判所は,兄弟たちが提出した訴状を考慮し始めました。その訴えは,モスクワの証人たちが過去7年間に受けてきた裁判による嫌がらせや差別を対象とするものです。

キプロス北部の欧州理事会は,2002年8月8日に,判決E-1516-2002号に基づいて,エホバの証人が島の北部に入ることを禁じる法令を解除しました。1997年に禁令が施行された時,開拓者たちは島の北部から強制移住させられました。接収されていた二つの王国会館は,兄弟たちに返還されました。

ウズベキスタンに住むマラト・ムダリソフは,「宗教上の憎しみをあおり,未成年者を惑わして」自分の宗教に入れたかどで有罪とされました。兄弟は執行猶予付きの刑を宣告されました。実際のところ,兄弟が「有罪」とされたのは,隣人に良いたよりを宣べ伝え,会衆の集会で聖書に基づく討議を毎週司会したからに過ぎませんでした。最近,ウズベキスタン最高裁判所に上訴がなされ,ムダリソフ兄弟に対する不当な判決は破棄されました。

試練に対処する

現存する体制が終わりに近づくにつれ,暴力や政情不安がいよいよ悪化し,大きな苦難を引き起こす場合が少なくありません。昨年,リベリアとその首都モンロビアは,内戦に苦しめられました。ロイター通信はこう伝えています。「1週間にわたって激しい市街戦が行なわれ,市全体が大混乱に陥った。反体制派の撤退後,静けさを取り戻したかに思えたが,6月24日に新たな,さらに激しい攻撃があり,公共設備が大々的に破壊され,多くの人命が奪われた」。市内のある場所では,弾丸や砲撃を避けるため,兄弟たちが王国会館の水浸しの床に伏せている必要があった,と支部事務所は説明しています。「市内はひどく破壊され,死臭が漂っている」と,兄弟たちは書いています。コレラの流行によってさらに多くの人命が失われました。

武装した男たちが何度も組織的に家々や王国会館から略奪しました。多くの兄弟たちは,金めの物はすべて盗まれることを知っていたので生活必需品を得ることだけで満足した,とモンロビアの宣教者の夫婦は説明しています。幾つかの家族は,ベッドが盗まれても新しい物を買わず,床にマットを敷いて寝ました。家に帰ることができない人は,国内で難民として暮らしたり,隣国に逃げたりしました。

「人々はその日暮らしの生活をしています。それでも,兄弟たちが意欲的に集会に出席し,事情の許す限り奉仕に参加しているのを見るのは,とても励みとなります」と支部は書いています。救援物資が到着した時のことについて,先ほどの宣教者たちはこう述べています。「兄弟たちがまず欲しがったものとして,聖書に基づく出版物がありました。場合によっては,失った伝道かばんの代わりのかばんを求めることもありました」。

リージョナル・プリンティング

2001年9月1日,世界の様々な場所から来た7人の兄弟たちが印刷の調査団として奉仕するよう選ばれました。統治体はその兄弟たちに,世界中のすべての印刷支部を調査し,今ある施設を最大限に活用する方法を提案するように求めました。2001年10月17日,統治体はその調査団の提案に基づいて,印刷の仕事を地区ごとに分け,各地区で印刷の必要を顧みることを承認しました。その地区とは,アフリカ,アジア,ヨーロッパ,北アメリカ,そして南アメリカです。

新しい取り決めは2002年の初めから実施されました。結果は励み多いものです。書籍の生産について考えてみましょう。2000年に,米国支部は,世界中で用いる書籍のほぼ50%を生産していました。しかし今では,リージョナル・プリンティング(地区ごとに行なう印刷)の取り決めのもとに,26%を生産するだけになりました。その結果,発送費,人員,機械類,米国支部のプリンタリー(印刷施設)に必要なスペース,を減らすと同時に,他の国々の既存の施設をさらに有効に活用できるようになりました。

リージョナル・プリンティングへの移行に伴い,統治体は,マン・ローランド製リソマン印刷機を新たに7台購入することを承認しました。それらの印刷機は,老朽化して効率の悪くなった設備に取って代わり,今後の印刷の需要を満たす助けになるでしょう。5台の新しい印刷機が,ブラジル,英国,日本,メキシコ,南アフリカの各支部に設置されます。そのうちの幾つかはすでに設置が完了しました。ニューヨーク州ウォールキルのプリンタリーに設置される他の2台は,2004年の4月から5月にかけて据え付けられる予定です。それぞれの印刷機は,長さが約40㍍あり,1時間に9万冊(1秒間に25冊)の雑誌や雑誌サイズの書籍用折丁を生産する能力があり,全ページを4色刷りで印刷できます。

ブルックリンとウォールキルでの他の変化

ウォールキルには,新しい印刷機と共に製本設備も新たに導入されます。その新しい設備は1分間に120冊の割合で堅表紙の書籍やデラックス版聖書を生産できます。発送部門は,ブルックリンからウォールキルに移転します。保管場所を高層にすることにより,ブルックリンで用いてきた床面積の半分以下のスペースで文書を保管できるようになります。

ブルックリンの空いた建物は,ほかの目的で使用されることになります。また統治体は,2003年6月に,ファーマン通り360番にある床面積9万5,000平方㍍の建物を売却する予定であることを発表しました。その建物には発送部門などが入っていました。その建物を使用していた他の部門は,ブルックリンの別の場所にすでに移転したか,間もなく移転する予定です。

王国会館建設

2003奉仕年度には,世界各地で2,340軒の王国会館が完成しました。これは,毎月平均195軒,つまり毎日6軒余りの王国会館が建てられたことを意味します。資金の限られた国々で建設を行なう計画が始まった1999年11月以来,7,730軒の王国会館が建てられています。王国会館が完成すると集会の出席者が急に増え,すぐいっぱいになってしまうという地域も少なくありません。

その建設計画がアフリカでスタートした時,ふさわしい崇拝場所はアフリカ大陸の38の国々に550ありました。それから4年もしないうちに,その同じ38の国々にある王国会館の数は,5,060軒を超えました。三,四会衆に1軒の割合です。マラウイ支部は,王国会館建設プロジェクトが一般の人々に及ぼした影響に関する報告の中で,マラウイ・キリスト教文書協会の出した新しい辞書に言及しました。支部はこう述べています。「辞書にはエホバの証人という見出しがあり,その名称はチチェワ語に正しく訳されています。次いで,その用例として,『エホバの証人は多くの教会堂を建ててきた』という文を挙げています」。

アフリカの別の国の支部事務所はこう書いています。「兄弟たちが王国会館建設許可を申請するためにある事務所に行ったところ,そこの役人はすぐにその書類を破り捨ててしまいました。そうしたことが3度あり,兄弟たちは物事をエホバのみ手にゆだねました。その後まもなく,当局は,その兄弟たちの一人で,正直さで知られていた兄弟に,政府の役人たちにある貸し付けを行なう仕事を任せました。

「貸し付けの申込者の中に,書類を破ったあの役人がいました。役人は,兄弟を見るとすぐに事務所を出て行き,別の人が貸し付けの係をしていればと思いながら1週間後にまたやって来ました。しかしその時は,兄弟のほうからその役人に近づいて,申込書を提出するように促し,貸し付けを承認しました。役人は恥ずかしく思い,兄弟たちに,申請書をもう一度提出してほしいと言いました。そして,その申請書を自ら上司の所へ持って行って承認を得,王国会館のための土地を手配しました。この役人は証人たちに改めて敬意を抱き,『あの人たちは悪に悪を返さない』と言いました」。

ウクライナ支部はこう述べています。「アルチズ市の兄弟たちはある広さの土地を探していた時に,地域開発に携わる設計技師と接触を持ちました。兄弟たちが完成した王国会館の写真を幾つか見せると,その女性は感銘を受け,『このような王国会館は市の中心部を飾るので,地方行政局のある地区のそばに建てるべきです』と言いました。そして,ある小さな土地を紹介してくれました。後に,その地域の主任設計技師はこう述べました。『建設を始める前に種々の市街化計画に同意した宗教組織は初めてです。普通はその逆です』」。

リシチャンスク市の王国会館建設現場で,隣の市に住む女性実業家がこう言いました。「ずっと見てきたけれど,このような王国会館をわたしの市にも建てるべきだと思います。いい土地が得られるよう,わたしが援助しますから」。兄弟たちは,その地域には証人が5人しか住んでいないので,会衆を作って王国会館を建てるには人数が少なすぎると説明しました。その人は,「では,何人必要なの」と尋ね,「わたしが6人目になるわ」と言いました。軽い気持ちで述べたのかもしれませんが,その女性は聖書研究に同意しました。

新しい大会ホール

昨奉仕年度中,ブラジルのニャンデアラとゴイアニア,チリのエル・トレボルとサンティアゴ,ドミニカのモルネ・ダニエル,エクアドルのマチャラ,イタリアのシラクーザとシチリア,パプアニューギニアのゲレフ,トーゴのロメ,米国のニューヨーク州ニューバーグとフロリダ州ウェスト・パーム・ビーチで,大会ホールが完成し,献堂されました。ニューバーグのプロジェクトについて,地元のあるビジネスマンはこう言いました。「驚くべき組織です! 皆さんのボランティアの人たちは,それぞれ背景も才能も技術も違いますが,みんな一緒に仲良く働きますね。こんな様子は見たことがありません」。地元の建物検査官は,仕事の出来栄えだけでなく,兄弟姉妹たちの様子にも感銘を受け,こう述べました。「ここに来るのを楽しみにしています。皆さんと一緒にいると気持ちが良いので」。

ニューバーグのプロジェクトが完成に近づいた時,火事が起きて建物の約20%が被害を受けました。兄弟たちは落胆するどころか,建物の修復作業に圧倒的な勢いでこたえ応じました。その結果,修復作業は1か月もしないうちに終わり,2002年10月19日に予定どおり献堂式を行なうことができました。その自発奉仕者たちについて,地元の一新聞は次のようにコメントしています。「その燃えるような信仰は,5,600平方㍍の建物の5分の1を焼いた炎より熱い」。神の民の貴重な一致が認められ,兄弟たちは大会ホールに通じる一般道を“ユニティー通り”と名付ける許可を得ました。

支部の献堂式

コートジボワールの兄弟たちは,内戦や政治紛争のただ中で,2003年3月29日に平和裏に集まり,アビジャンの支部の幾つかの新しい建物を献堂しました。献堂されたのは,一つの新しい王国会館,二つの宿舎棟,そして一つのサービス棟です。サービス棟には,大きな食堂,厨房,洗濯室,幾つかの貯蔵室,メンテナンス関係の各部門があります。この新しい施設は,1982年に建てられた最初の支部から道路を隔てた向こう側にあります。15か国から来た自発奉仕者の多くが自費で駆けつけ,110人の地元の建設チームを助けました。地帯監督のセバスチャン・ジョンソンが支部を訪問し,「あなたの心を清い崇拝に定めなさい」という献堂式の話を行ないました。

2003年2月15日,土曜日に,ガイアナで新しい支部の献堂式が行なわれ,332人が出席しました。ドイツ支部から来たリチャード・ケルシーが献堂式の話をしました。兄弟は,エホバが宇宙の偉大な建築者であることに注意を向けました。しかし,兄弟が指摘したとおり,エホバの創造のみ業のうち最も偉大な最初のものは,栄光ある霊の被造物である独り子です。大勢の初期の宣教者たちが献堂式のプログラムのために戻って来ました。その中には数十年ぶりに初めて戻った人たちもいました。ガイアナの良いたよりの伝道者数は2,000人をわずかに上回る程度です。ですから,日曜日の特別プログラムに12の国から来た4,752人が出席したのを見て,だれもが興奮しました。

ハイチで拡張されたベテルが完成した時,年配のジョージ・コーウィンは,ポルトープランスの北60㌔の港町サンマルクを最近訪れた時のことを話しながら声を震わせました。兄弟は40年余り前にサンマルクで宣教者として奉仕し,最初の会衆の設立を助けました。今ではその町に四つの大きな会衆があります。コーウィン兄弟の聖書研究生だった人たちは,証人として長年忠実を保っており,兄弟を迎えて大喜びしました。兄弟がハイチに来た当時,国内の伝道者は900人をわずかに下回り,小さな借家の支部事務所には2人の成員しかいませんでした。

1986年に新しい支部がハイチに建てられましたが,そこも手狭になりました。拡張されて新たに献堂された支部は,1万2,000人以上の伝道者のために奉仕する40人のベテル家族を収容できます。この建設には,オーストラリア,英国,カナダ,デンマーク,ドイツ,米国から来た自発奉仕者が参加しました。それらの人たちは,有用な建設技術を身に着けるようハイチの自発奉仕者たちに訓練も施しました。

重機やほとんどの建設資材は地元になかったため,輸入しなければなりませんでした。そのため工事のペースが落ちることはありましたが,止まることはありませんでした。2002年11月23日,献堂式の日がやって来ました。3,122人の出席者の中には,13か国から来た240人の代表者も含まれていました。統治体のデービッド・スプレーンが献堂式の話を行ないました。翌日には,ポルトープランスのシルビオ・カトル・スタジアムで開かれた特別プログラムに2万人余りが出席しました。

「立ち上がって,ぜひ建てることにしましょう」。(ネヘ 2:18)ネヘミヤの時代に忠実なユダヤ人に向かって語られたこの励ましが,ハンガリーの「王国宣教」2000年6月号の折り込みに載せられました。ブダペストの新しい支部の複合施設の建設に参加するよう,この国のエホバの民すべてに呼びかけがなされました。国内の251の会衆すべてから来た1万3,741人の自発奉仕者がこのプロジェクトに参加しました。2年に及ぶこのプロジェクトには,以前に軍が使っていた施設を改装することも含まれていました。2003年5月10日に行なわれた献堂式のプログラムには,22の国や地域から来た554人のゲストが出席しました。統治体の成員のガイ・ピアースが,「エホバはずっと成長させてくださる」という献堂式の話をしました。

メキシコでは,定期的に支部が拡張されています。1974年,1985年,そして1989年に献堂された建物に加えて,2003年3月15日には,14の新しい建物が献堂されました。新しい建物の8万平方㍍に及ぶ基礎を据えることには,二つの理由で特別の難しさがありました。一つ目に,その場所はもともと湖だったため,土壌には荷重に耐える力が十分にありませんでした。二つ目に,その地域は地震地帯であるということです。そのため奉仕者たちは,安全でしっかりした基礎を据えるために,長さ24㍍もある杭を3,261本も地中に打ち込まなければなりませんでした。設計と建設には12年を要し,メキシコ国内の2万8,600人の自発奉仕者と国外から来た734人の奉仕者が働きました。

3人の統治体の成員が献堂式のプログラムを扱いました。ガイ・ピアースは,エホバとの親密な関係を持つことによってもたらされる大きな幸福について話しました。セオドア・ジャラズは,神への奉仕における忠実な歩みによってもたらされる祝福が,この終わりの時にクリスチャンの直面する様々な試練をはるかにしのぐものであることを説明しました。そして,ゲリト・レッシュは,「真理の神を崇拝しなさい」という献堂式の話をスペイン語で行ないました。

2002年11月23日には,ペルー支部の幾つかの施設が献堂されました。献堂された施設には,美しい5階建ての事務所と宿舎棟が含まれています。ゲリト・レッシュが,「拡大はエホバへの賛美となる」という献堂式の話をしました。翌日の日曜日には,リマのサン・マルコス・スタジアムに5万9,940人が集まりました。その日の特別プログラムでは,ペルーの王国の業に注がれたエホバの豊かな祝福に焦点が当てられました。その祝福は何と明らかなのでしょう。1946年に最初の宣教者たちが到着して業の先頭に立った時,国内にはほんの一握りの伝道者と関心を持つ人がいるにすぎませんでした。今では,ペルーに8万7,318人の伝道者がおり,916の会衆があります。

2003年5月17日,ロシア支部に600人のゲストと350人のベテル家族 ― 合わせて30の異なる国から来た人々 ― が集まり,新しい宿舎棟,事務所,貯蔵施設が献堂されるのを見守りました。ほんの6年前に献堂式が行なわれたばかりなのに,なぜこれほど早く拡張する必要があったのでしょうか。

サンクトペテルブルク郊外のソーネチノイェにあるロシア支部は,10か国の王国を宣べ伝える業を顧みています。その広大な地域には100を優に上回る言語があり,時間帯も11に分かれています。ですから,翻訳はこの支部を代表する主な仕事の一つであり,その仕事は増大しています。現在,兄弟たちは34の言語で聖書に基づく文書を翻訳しています。それに加えて,以前の献堂式以来,その地域の伝道者数は4万人余り増加しました。年間ほぼ7,000人の増加です。「その上,増加の勢いは衰えていない」と支部は書いています。それで,ロシアの兄弟たちはエホバの豊かな祝福にこたえ応じ,喜びのうちに『自分たちの天幕の綱を長く』したのです。―イザ 54:2

土曜日に行なわれた献堂式には,ソビエト時代に多くの迫害を経験した忠実な年配の人々が大勢出席しました。出席者全員は,ハガイ 2章7節に基づく,「わたしはこの家を栄光で満たす」というデービッド・スプレーンの献堂式の話に注意深く耳を傾けました。兄弟は,新しい建物は美しくて賛美をもたらすものであるとはいえ,エホバの栄光をたたえ,真の崇拝を飾るのは主に,個々のクリスチャンの敬虔な行状や霊的な特質であることを説明しました。日曜日には,冷たい小雨が降っていたにもかかわらず,サンクトペテルブルクのキーロフ・スタジアムに9,800人が集まり,特別プログラムを楽しみました。

世界中で,合計1万9,848人の叙任された奉仕者たちがそのような支部施設で奉仕しています。これらの奉仕者は皆,世界的なエホバの証人の全時間奉仕者団の一員です。

[12,13ページの図表/図版]

2003奉仕年度中の幾つかの出来事

2002年9月1日

9月1日: 「ものみの塔」誌の研究記事がアメリカ手話ビデオ版で入手可能になる。

11月23日: ハイチ支部とペルー支部の献堂式。

2003年1月1日

1月1日: 「神権宣教学校の教育から益を得る」の新しい教科書が会衆で使用開始。

2月15日: ガイアナ支部の献堂式。

3月15日と29日: メキシコ支部とコートジボワール支部の献堂式。

4月16日: エリトリア,アスマラ市警察が記念式に出席した164人を拘束。

2003年5月1日

5月10日と17日: ハンガリー支部とロシア支部の献堂式。

5月20日: コソボ,エホバの証人が法的に認可される。

5月22日: ルーマニア,宗教組織としてのエホバの証人の立場を正式に承認。モスクワのエホバの証人の活動を禁止しようとした裁判が無期延期になる。

8月: 新しいマン・ローランド製リソマン印刷機が英国支部に設置される。

2003年8月31日

8月31日: 発展途上国において1999年以来7,730軒の王国会館が完成。642万9,351人の伝道者が235の国や地域で活動。

[図版]

ハイチ

ペルー

[11ページのグラフ]

(出版物を参照)

言語数の増加:

すべての出版物

「ものみの塔」誌

「目ざめよ!」誌

400

300

200

100

1880 1920 1960 2000

[14ページの図版]

英語理解力強化課程の教訓者と妻たち

[22,23ページの図版]

印刷機とバスとの比較

印刷機に関するデータ:

長さ: 約40㍍

高さ: 約5.5㍍

重さ: 201㌧

[28,29ページの図版]

最近献堂された支部施設。(1)ガイアナ,(2)ハンガリー,(3)コートジボワール