内容へ

目次へ

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

近年,多くの国や地域で自然災害が増加しています。2005奉仕年度も例外ではありませんでした。言うまでもなく,兄弟たちもそうした悲惨な出来事の影響を受けています。しかし,これから示されるとおり,そうした試練はクリスチャン愛を明らかにするものとなり,それによって兄弟関係は強められ,心の正直な人々は真理に引き寄せられています。―マラ 3:18。ヨハ 13:35

災害が増加しているため,多くの人が将来や,生活の中で真に重要な事柄についてもっと真剣に考えるようになっています。ですから,「ずっと見張っていなさい!」のブロシュアーを配布する特別なキャンペーンを行なって,今の時代の意味を理解するようそうした人々を助けることができたのは,何という特権だったのでしょう。そのキャンペーンは,多くの国や地域で2004年10月18日から行なわれ,すばらしい成果が得られました。

「ずっと見張っていなさい!」のキャンペーン

アルゼンチン: 「災害が襲った時に助かるのはどんな人でしょうか。善人? 悪人? それとも警告に注意を払った人でしょうか」。ある姉妹はこう述べて,無関心な人の多い区域で「見張っていなさい!」のブロシュアーを効果的に紹介しました。

フアンという兄弟は,16歳の若者にブロシュアーを配布しました。その若者はブロシュアーを読み,自分が知ったことを父親に興奮して話しました。父親はもっと知りたいと思い,ブロシュアーを読んで聖句を調べました。それだけでなく,非常に感銘を受けたので,ブロシュアーを家族で学び始めました。フアンが再訪問して無料の家庭聖書研究を勧めると,その父親は,「それです。家族で聖書を学ぶ必要があるんです」と答えました。言うまでもなく,研究が始まりました。

フランス: ジョセリーヌは,以前研究していたアリシアという若い女性に「ずっと見張っていなさい!」を提供しました。アリシアは喜んで受け取り,それを使ってジョセリーヌと研究をすることに同意しました。さらに,聖書を定期的に読むことも決意しました。ジョセリーヌはこう述べています。「その2週間後,アリシアは,イエスの生涯に関する聖書の記述を読んで泣いたと話してくれました」。

アリシアはボーイフレンドに,神に喜んでいただくために二人の関係を合法的なものにしたい,そして自分はエホバの証人になりたい,と話しました。意外なことにボーイフレンドは,「分かった。君が神の要求に従うのを邪魔したくないからね」と言いました。その後アリシアは,初めて巡回大会に出席しました。

マダガスカル: ナナは二人の娘を持つ母親です。十代の時に,両親と一緒にクリスチャンの集会に出席していましたが,両親がエホバに仕えるのをやめた時に行かなくなりました。特別キャンペーンの期間中に,ナナは宣教者の姉妹からブロシュアーを受け取り,聖書研究に応じました。今では,二人の娘を連れてすべての集会に出席し,伝道者を目指しています。さらに,両親もそのブロシュアーを使って研究することに同意しました。14歳になる弟のジョシアは,十代の友達との研究を司会することさえしています。現在その友達は,クリスチャンの集会に定期的に出席しています。

ナイジェリア: ある開拓者の兄弟はこう述べています。「キャンペーン期間中に母が亡くなったため,村で証言する機会がありました。葬式の前に,身内の者たちは地面に身を投げ出して泣いていました。わたしは,『なぜそうするのですか。母の死はわたしたち全員にとってつらいことですが,母は死んで眠っているだけで,将来復活してくるんです』と言いました。わたしは自分も泣いていましたが,『見張っていなさい!』のブロシュアーの8ページを開き,復活の場面について説明しました。その結果,45冊の『見張っていなさい!』のブロシュアーを含む,合計195冊のブロシュアーを配布できました。葬式では,他の兄弟たちと共に,『また会うことができますか』という題の,「ものみの塔」誌,2005年5月1日号を100冊配布しました」。

ロシア: ゼレノグラーツクで特別開拓奉仕をしているイリーナは,こう書いています。「ある姉妹とわたしは,家に入れてくれたアラという女性に『見張っていなさい!』のブロシュアーを配布しました。アラは人々がとても冷淡になっているの見て,生きる目的を全く見失っていました。わたしたちは再び会う約束をしました。数日後,同じ姉妹と一緒に歩いていた時,ある女性に呼び止められました。それはアラでした。アラはブロシュアーに感謝してかばんの中から出し,下線を引いた箇所を見せてくれました。今では,『求め』のブロシュアーで定期的に研究を行なっています」。

ロシアの別の場所の話です。ベラと夫のビタリーは,ベラの知り合いのリューダが働いている道路沿いの売店に立ち寄りました。リューダはエホバの証人と聖書について話し合うつもりがないことを示していたので,ベラはブロシュアーを提供することをためらいました。しかし,ビタリーに励まされてブロシュアーを紹介したところ,驚いたことにリューダはそれを受け取りました。2日後,リューダから電話がありました。「この冊子だけでこんなに学べるんだったら,定期的に聖書を勉強したらすごいでしょうね」。親族が反対したにもかかわらず,リューダはすぐに研究を始め,集会に出席するようになりました。息子と娘も研究をしています。ベラはこう述べています。「面白いですね。何年か前に『知識』の本をあげた時には何の関心も示さなかったんですよ。でも,『見張っていなさい!』のブロシュアーは心に響いたんですね」。

ベネズエラ: ある巡回監督の妻は,玄関先で,一人の男性とその妻,そして4人の子どもたちと話をしました。姉妹は,「見張っていなさい!」のブロシュアーの16,17ページにある楽園の絵を見せて,家族全員が神について学ぶ必要があることを強調しました。そして,木曜日の晩の集会に6人全員で出席するよう勧め,近くのバス停で待ち合わせることにしました。巡回監督夫妻は約束の時間にバス停に行きましたが,そこにはだれも来ませんでした。あとで分かったことですが,その家族は早く来たバスに乗ってすでに王国会館へ行っていたのです。現在,家族のうち5人が定期的に聖書研究を行ない,高いバス代を払って長時間バスに乗る必要があるにもかかわらず,定期的に集会に出席しています。

ある開拓者の姉妹は,戸口で家の人を呼びましたが,だれも出てきませんでした。後に再び訪問すると,ちょうど外に出てきた年配の男性に会うことができました。その男性は,自分はほとんど耳が聞こえないので,ドアをノックする音に気づかないか,出て行くのが遅いため,来た人はもう行ってしまっていると言いました。姉妹は「見張っていなさい!」のブロシュアーを配布し,会衆の集会に招きました。

集会で姉妹がこの経験を話したところ,何と聴衆の中にその男性がいました。その人は現在,兄弟と定期的に聖書研究をしており,すべての集会に出席し,良いたよりを宣べ伝えたいという気持ちを言い表わしています。なぜあの時初めて集会に出席したのですか,と尋ねられたその人は,「ずっと見張っていなさい!」をかざして,「このおかげですよ」と言いました。

聖書翻訳

1800年代後半から,エホバの組織は大量の聖書を購入し,関心を抱く人々に,時には定価の35%の金額で配布していました。1926年から兄弟たちは,「エンファティック・ダイアグロット訳」,「ジェームズ王欽定訳」,「アメリカ標準訳」など,幾つかの聖書を自分たちの施設で印刷し製本するようになりました。そして1961年には,「新世界訳聖書」を1冊にまとめた英語版の聖書を発表しました。

他の言語についてはどうでしょうか。20世紀初頭,各地の支部は様々な出版社から翻訳聖書を購入し,それと同じ金額で配布するようになりました。そうした聖書の中には,エホバという神のみ名を地元の言語で表記した誠実な翻訳者たちによるものもありました。しかし,やがてほとんどの翻訳者は,自分たちの翻訳の中から神のみ名を取り除くようになり,今ではなお悪いことに,地元の神の名と置き換えている聖書さえあります。例えば,マラウイ,モザンビーク,ザンビアで使われている,ブク・ロエラというチェワ語聖書は,テトラグラマトンを「チャウタ」と訳しています。それは,「偉大なる射手」を意味する部族神の名前です。

ほかにも聖書を改ざんする行為が広まっています。例えば,アフリカのある翻訳は,ルカを呪術医としています。ツバル語の聖書は,ユダ 23節を次のように勝手に訳しています。「同性愛者に熱烈な愛を抱きなさい。しかし,その同性愛行為には影響されないように用心しなさい」。しかし原文は,同性愛者にも同性愛行為にも一切言及していないのです。

これまでは,様々な聖書協会が聖書の生産や頒布を率先して行なっていましたが,最近では,聖書の版権をキリスト教世界の教会に譲渡する聖書協会が出てきています。一部の国や地域の教会は,聖書の値段を引き上げるだけでなく,エホバの証人に聖書を販売することを望みません。例えばキルギスタンでは,プロテスタントの一宗派が,現代のキルギス語に訳されたクリスチャン・ギリシャ語聖書の版権を所有しています。兄弟たちが聖書を購入しようとすると,「エホバの証人ですか」とか「神の名前を知っていますか」と,しばしば尋ねられます。肯定の答えをすると,販売を拒否されます。

こうした点など様々な事情を考慮して,統治体は聖書翻訳にいっそうの注意を向けるよう指導してきました。現時点で,「新世界訳」全巻は35の言語で,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」は,さらに20の言語で入手できます。現在,世界じゅうには33の聖書翻訳チームがあり,そのうち19チームがヘブライ語聖書を,11チームがクリスチャン・ギリシャ語聖書を,3チームが「参照資料付き聖書」を翻訳しています。通常,聖書翻訳チームは3人から6人で構成されています。コンピューターを使った翻訳ツールや,改善された翻訳手順のおかげで,幾つかのチームは,「クリスチャン・ギリシャ語聖書」を2年足らずで完成させました。

母語による「新世界訳」を受け取った兄弟たちはどう感じているでしょうか。アルバニアの一開拓者は,多くの人の気持ちを代弁してこう述べています。「涙が出てきました。神の言葉を読んでこんな気持ちになったのは初めてです。一つ一つの節をじっくり味わいたいと思います」。

法律上の進展

アルメニア: 2004年10月8日,エホバの証人は15回にわたり申請書を提出した末,ようやく登録されました。しかし,良心上の理由で兵役を拒否した若い兄弟たちは,まだ投獄されています。(イザ 2:4)わたしたちは,今回の登録によって兄弟たちの信教の自由が認められ,文書の輸入や大会の開催が可能になることを今後も希望します。2005年6月には,アルメニアに正式に送られてきた最初の輸入文書が税関を通り,兄弟たちに提供されました。

オーストリア: この国のエホバの証人は,30年以上にわたり,宗教上の全面的な認可を求める法的な闘いをしてきました。その問題に関して,ヨーロッパ人権裁判所に5件の申し立てがなされています。2005年2月1日,同裁判所は,エホバの証人が宗教として認められていないために宗教上の奉仕者としての兵役免除を拒否された兄弟たちに関する二つの事件を受理することに決定しました。そして7月5日には,申し立てを審理することに同意しました。しかし,どんな判決を下すかは述べていません。

エリトリア: 2004年1月24日,政府当局は,アスマラのサバ会衆に交わる男女子ども38人を逮捕しました。6歳から94歳までの人たちで,バプテスマを受けていない人もいました。警察署に三晩拘束された後,年若い子どもたちは解放されました。残った28人は,アスマラ郊外の刑務所に移送され,金属製の運送用コンテナに閉じこめられて,日中の暑さと夜の寒さのもとに置かれました。7か月余りが経過した2004年9月2日,94歳と87歳の高齢の二人の兄弟が解放されました。その後,他の人たちも解放されました。しかし6人が残され,11年間投獄されている3人を含む,すでに投獄されていた16人の兄弟たちと共に現在も拘束されています。どうか祈りの中でそうした愛する兄弟たちのことを思い出してください。―使徒 12:5

フランス: 『2001 年鑑』で伝えられたとおり,当局は兄弟たちの寄付に対して新たに税を課しました。その中には,過去4年分(1993-1996年)の寄付に対する税も含まれています。その税額は,全寄付額の60%という法外なもので,それに追徴金が加わります。兄弟たちは訴訟を起こしましたが,下級審,上訴審,最終審のいずれの段階でも敗訴しました。そのため,2005年2月25日に,宗教上の明らかな差別を理由にヨーロッパ人権裁判所に申し立てを行ないました。

グルジア共和国: 暴力的な迫害はかなり和らいできました。今では出版物を輸入できますし,集会も妨害されることなく開かれています。しかし,過去の多くの虐待行為については,まだ法廷で解決していません。兄弟たちがヨーロッパ人権裁判所に提出した,グルジアに対する四つの申し立ては保留となっています。それらの申し立ては,兄弟たちが経験した暴力的な迫害,法人組織の解散,その後の司法救済の不足に関するものです。2004年7月6日,人権裁判所は,「エホバの証人のグルダニ会衆 対 グルジア」事件を審理のために受理しました。

ドイツ: この国が再統一された時,兄弟たちは「エホバの証人の宗教協会」が持つ,公法に基づく法人の立場が認可されることを求めました。こうして12年に及ぶ法的な闘いが始まりました。2000年に,連邦憲法裁判所はエホバの証人に有利な判決を下し,連邦政府にはクリスチャンの良心を侵害するとしてもある程度の忠節を要求する権利があるという考えを退けました。その後の訴訟により,様々な問題が解決しました。2005年3月24日,ベルリン高等行政裁判所は,ベルリン市当局に対して,公法に基づく法人の権利をエホバの証人に与えるよう命じました。ベルリン市はその決定に対し,上訴しようとしています。

ロシア: 『2005 年鑑』で伝えられたとおり,2004年3月26日,ゴロビンスキー合同地方裁判所はモスクワのエホバの証人の活動をすべて禁止する判決を下しました。それ以来,会衆の集会やより大規模な集まりを開く場所の賃貸契約を結ぶ面で問題が生じています。しかし兄弟たちは,自分たちが所有する,五つのホールがある王国会館を44の会衆と二つの群れで分けて使用しています。モスクワの17の会衆は,かなりの出費と不便を忍びつつ市の外で集まっています。一方,別の31の会衆は,すべての集会またはその一部を,小さなグループに分かれて個人のアパートで開いています。警察によるいやがらせも幾らか生じていますが,兄弟たちの中で逮捕された人はいません。3月26日の判決は,上訴されています。

2004年9月9日,ヨーロッパ人権裁判所で,「クズネツォフほか 対 ロシア連邦」事件の口頭審問が行なわれました。10月4日,同裁判所は全員一致でこの件を審理のために受理しました。この事件は,2000年4月に,ある当局者がチェリャビンスクの手話会衆の集会を中止させるよう警察に命じたことに関するもので,以前の裁判におけるあからさまな不正行為のため複雑になっています。現在,判決を待っています。

トルクメニスタン: 3人の兄弟 ― マンスール・マシャリポフ,アタムラト・スフハノフ,ベパ・ツバコフ ― は,良心上の兵役拒否のために,それぞれ18か月の刑を宣告されて投獄され,4人目の兄弟,ベゲンチ・シャハムラドフは1年の刑を宣告されました。2005年2月16日,エホバの証人の法律事務所はワシントンDCにあるトルクメニスタン大使館に手紙を送り,それら4人の兄弟たちを無条件で釈放するよう要請しました。4月16日,トルクメニスタン大統領によって特別な恩赦が与えられ,兄弟たちは全員釈放されました。この年,警察は多くの兄弟たちを拘束して尋問し,信仰を捨てさせようと圧力をかけましたが,無駄に終わりました。

自然災害の年

2004年には,一部の国や地域で前例のない自然災害が生じました。そうした悲劇は,兄弟たちにどんな影響を及ぼしたでしょうか。

カリアク,グレナダ,プティット・マルティニーク: 2004年9月7日,ハリケーン・アイバンがそれらの島に吹き荒れ,90%以上の家屋が損壊しました。しかし衝撃的だったのは,その後の略奪行為によって,ハリケーンと同じほどの被害が生じたと思われることです。兄弟たちはこの災害で持ち物をほとんど失いました。グレナダの六つの王国会館のうち二つも大きな被害を受けました。しかし,重傷を負った兄弟はいませんでした。

それらの島を援助しているバルバドス支部は,1955年以来ハリケーンがこの地域を襲ったことはなかったにもかかわらず,ハリケーンに備えるプログラムを奉仕会の予定に組み込むよう前もって会衆に指示していました。グレナダのある姉妹は,「もっと大切な事柄があるのに,どうしてハリケーンのことを扱うために時間を無駄遣いする必要があるんですか」と尋ねました。言うまでもなく,アイバンが襲った後,この姉妹は組織の指示に異議を唱えることは二度とするまいと決意しました。支部はすぐに救援委員会を立ち上げ,ガイアナ支部とトリニダード支部も援助に加わりました。カリブ海諸島や米国からも何百人もの兄弟たちがやって来て,復旧作業を手伝いました。

ジャマイカ,ケイマン諸島: ハリケーン・アイバンによって死傷した兄弟たちはいませんでしたが,大勢が家財を失いました。それらの島々にある199の会衆の長老たちは,天気が回復するとすぐに奉仕者たちの安否を確認しました。それを見ていた人々は,「皆さんは本当に互いを気遣っているんですね」と言いました。

ハイチ: 9月中旬に,ハリケーン・ジーンがハイチ北部に洪水をもたらし,その破壊的な水害によって海沿いのゴナイブという町と周辺地域が浸水しました。水は屋根の上に逃げた人のひざまで達しました。「一晩じゅう,家が壊れる音や人の叫び声が聞こえました」と,ある兄弟は述べています。その洪水で亡くなった約2,900人の中には,83歳の姉妹も含まれていました。

ある兄弟は,「財産は失いましたが家族が生き延びたことをエホバに感謝しています」と述べています。数日後,近隣の町々のエホバの証人が食料と水を持って駆けつけ,支部もトラック1台分の救援物資を配りました。兄弟たちは掃除をするかたわら,週の終わりには全員が再び集会に出席し,伝道を行ないました。ある姉妹はこう述べています。「40人の自発奉仕者が4日間わたしの家で働いてくれました。ペンキも塗ってくれたんです! エホバの証人ではないわたしの家族は皆,そうしたことすべてにとても感銘を受け,1人は研究を始めました」。

米国: 2004年8月から9月にかけて,四つのハリケーンがフロリダ州を次々と襲いました。チャーリー,フランシス,アイバン,ジーンです。 * 4,300軒を超える兄弟たちの家と少なくとも10軒の王国会館が被害に遭いました。災害の直後,フロリダ緊急対策委員会の責任者は,委員会が提供した救援物資が適切に用いられているかどうかを調べ,エホバの証人ほどよく組織された団体はないと述べました。また,エホバの証人の救援委員会に,必要な物資は何でも提供しようと言いました。

ある会衆は,1回の集会につき50㌦(約5,500円)を支払って集会場を借りていました。しかしその建物も,最初のハリケーンの被害を受けました。修理のために人が雇われましたが,仕事は終わりませんでした。それで兄弟たちは,自分たちが奉仕することを申し出,許可を得てすばやく終わらせました。建物の所有者は,お礼として使用料を3か月間免除してくれました。

日本: 「[2004年に]日本を直撃した台風の数は,記録が残る1551年以来,過去最多となった」と,ある新聞は伝えました。新潟県と福井県では,7月の豪雨のために,1軒の王国会館と60軒の兄弟たちの家を含む,3万4,000軒を優に超える家屋や他の建物が被害を受けました。近隣の会衆から何百人もの証人たちが援助に駆けつけ,王国会館は2週間もしないうちに完全に修復されました。

兄弟たちは王国会館の近くに住むエホバの証人ではない人々の家も掃除し,消毒しました。ある男性は,それまで王国の音信に反対していましたが,涙を流して感謝しました。地元の自治体は,兄弟たちの働きに対するお礼の気持ちとして,救援委員会に感謝状まで送ってきました。

9月と10月に二つの台風が各地を襲った時,洪水と地滑りによって1人の兄弟と1人の姉妹が亡くなり,100人ほどのエホバの証人が困難な状況に置かれました。兵庫県豊岡市では浸水の被害が生じました。巡回監督は,自分の宿舎も洪水の被害に遭いましたが,救援活動を組織するために働きました。

ある開拓者の姉妹が住むアパートは,1㍍を超える泥水に浸かりましたが,水が引いた後,地元の奉仕者たちがアパートを洗浄してきれいにしました。エホバの証人ではない大家さんは深く感動しました。姉妹はこう述べています。「エホバの組織の救援のことは聞いていましたが,今はこの目で見て体験できました。エホバ神とこの組織を本当に誇りに思います」。

10月には,大きな地震が中越地方を襲い,40人が亡くなり,10万人以上が自宅からの避難を余儀なくされました。兄弟たちの中に死傷者はいませんでしたが,200家族余りが被災し,1軒の王国会館が使用不能になりました。地震が始まった時,その巡回区の兄弟たちは巡回大会の準備のために集まっていました。兄弟たちはどうしたでしょうか。支部事務所と地元の地区建設委員会の指示を仰ぎながら,すぐに救援の組織に取りかかりました。ある長老は,「わたしたちはこうした出来事に対して霊的な見方をするよう思い起こさせられました」と述べています。巡回大会は開かれ,地震で被災した人たちも出席しました。

「地震は主人の心を揺り動かしました」。エホバの証人ではない夫を持つある姉妹はこう述べています。この姉妹の家も被害を受けましたが,救援活動を通して生きたクリスチャン愛を見たその夫は,初めて会衆の集会に出席し,「この組織は信頼でき,裏切らない」と語りました。

フィリピン: 2004年の後半に幾つかの台風がケソン州とアウロラ州に吹き荒れ,4人の子どもを含むエホバの証人の一家族が家ごと泥水にのまれて亡くなりました。巡回監督のフェリモン・マリステラは,ケソン州で洪水に襲われました。こう書いています。「王国会館はあっという間に浸水し,洪水はわたしのジープを流し去りました。わたしたち夫婦は二人の兄弟と共に王国会館の屋根の上で一夜を明かしました。水は屋根まで来ていました。翌日の午後3時に屋根から降りましたが,水はまだ胸までありました」。

危険があったにもかかわらず,マリステラ兄弟は奉仕者たちを捜し出して安否を確認しました。アウロラ州ディンガランのある長老は,ヘリコプターで避難する機会がありましたが,クリスチャンの兄弟姉妹を助けるために現場に残ることを選びました。

史上最悪の津波

2004年12月26日,インドネシアのスマトラ北西岸沖でマグニチュード9.0の地震が起き,史上最も破壊的な津波が生じました。死者と行方不明者の数は,28万人を超えると推定されています。西方の海のかなたにあるアフリカのソマリアでも,津波によって約290人が亡くなりました。

インドネシア: この国では最も多くの人命が奪われましたが,兄弟たちや関心を持つ人の中で亡くなった人はいませんでした。多くのエホバの証人は,それよりも前に起きた暴力事件のために,アチェ州 ― 津波の被害が最も大きかった場所 ― から逃れて内陸部に移動していました。ニアス島も大きな被害を受けましたが,兄弟たちは何とか安全な場所に逃れることができました。

インド: 多くの兄弟が家や家財を失いましたが,亡くなったエホバの証人はいませんでした。ポンディシェリー市にいたラクシュミは,津波について聞いた時,野外奉仕をしていました。姉妹が家に帰ってみると,泥を固めて造った自宅は海岸から3㌔ほど内陸にありましたが,ひどく壊れていました。兄弟たちは,姉妹の家の掃除と修理を手伝いました。

マドラスで,クリケットをしていた13歳のナビンは,巨大な波を見ました。それで,母親と姉に危険を知らせ,一緒に安全な場所に向かって逃げました。とはいえ,様々な家財道具や多くの死体を流し去る激流の中を進まなければなりませんでした。

カンニャクマリの近くの海岸で叔父やいとこと一緒にいた7歳のリニは,津波にのまれて内陸に流され,木の柵に引っかかりました。水はその後もリニの頭上を流れて行きました。叔父といとこは無事でしたが,叔父は眼鏡をなくしてしまいました。そのため,よく見えませんでしたが,必死でリニを捜しました。ほどなくして波間でエホバの名を呼ぶリニの声を聞き,助け出すことができました。リニはみんなに,エホバは祈りを聞いてくださった,と話しています。

アンダマン,ニコバル諸島: メアリーと8歳の息子のアルビンは,親戚の家を訪ねていた時に地震に遭いました。全員,外に飛び出しました。メアリーが海岸に押し寄せる水の壁を見たちょうどその時,バスが来ました。メアリーは息子と一緒にバスに飛び乗って逃げましたが,ほかの人たちは持ち物を取ろうとして家に駆け戻り,波に流されてしまいました。少しバスが進んだ後,乗客全員がまた大きな揺れを感じました。それでバスから降りて高台に逃げましたが,そこには500人ほどが集まっていました。その人々の目の前で,押し寄せる波がバスを流し去り,水は足もとのわずか50㌢下まで迫ってきました。

水が引いた後,メアリーは少し家に戻り,自分の聖書と「日ごとに聖書を調べる」の小冊子を見つけることができました。それらは,その後の日々において力の源になりました。島に船が来て救出してくれる,という話が伝わると,何百人もの人が海岸へと走り,船に乗せてもらおうと海に入って行きました。メアリーと息子は,腰まで来る水の中で,あたりに漂う死体に囲まれて毎日何時間も待ちました。津波から6日後,ようやく船が来て救出してくれました。大勢の人がこの悲劇を神のせいにしていたので,メアリーは優れた証言を行なうことができました。実際,義理の姉は聖書を研究するようになり,クリスチャンの集会に出席しています。

プラサンティと5歳の息子のジェホアシュは,エホバの証人である高齢の父プラサド・ラオを訪ねるためにハット・ベイにいました。そこで3人は地震を感じ,波を見て高い場所に逃げました。水は道路から5㍍の高さに達し,プラサドの家を覆いました。兄弟のベッド,冷蔵庫,テレビ,そして会衆用の「最も偉大な人」の在庫もすべて流されてしまいました。しかしこうした災害の後,この本を見つけて読んだ人もいました。プラサドとプラサンティとジェホアシュは,5日間にわたり,水から引き上げた食べ物を食べ,蚊やハエの大群と闘いました。ボートが来た時,プラサンティとジェホアシュは,ワニが近くを泳いでいたにもかかわらず,他の大勢の人たちと共に胸の深さまである水の中を歩いて救助隊の所に行きました。この時,プラサンティは妊娠6か月でした。後に,父親も二人に合流しました。

テレサ島では,すべての家が波にさらわれました。その島の13人の兄弟姉妹は,カモルタ島に避難するまで,飢えに耐え,虫に刺されながらジャングルで6日間過ごしました。カモルタ島では,高台にあったマーク・ポール兄弟の家に泊めてもらいました。兄弟の家は王国会館にもなっています。通常,そこで行なわれているクリスチャンの集会には10人から12人が出席していますが,津波が襲った日には何と300人が出席しました。エホバの民が愛をもって互いに支え合う様子をじかに見て,それ以来,新たに18人の聖書研究生が集会に定期的に出席するようになっています。

スリランカ: この島では,海岸線の3分の2に津波が押し寄せ,広範囲に及ぶ被害が生じました。津波が襲った日曜日の午前中,兄弟たちのほとんどは会衆の集会に出席していましたが,その場所は危険地域から外れていました。10会衆が被害に遭い,1人の姉妹が家ごと波にさらわれて亡くなりました。兄弟たちはこの立派な姉妹を失って深く悲しんでいます。関心を持つ人も何人か亡くなり,多くの兄弟たちが親族を失いました。27人の家族を奪われた長老もいます。それでも,「兄弟たちは霊的に『落ち込む』ことなくこの悲惨な出来事に対処しています」と支部は報告しています。

ベテルには救援物資が集まり,ベテル家族のほとんどが救援活動に努力を集中しました。車を持つ地元の兄弟たちは,被災地域に救援物資を運びました。4日もしないうちに,すべての兄弟たちの安否が確認され,食料と衣服が配られました。ほかに必要な物がないか尋ねられた兄弟たちは,「聖書と書籍をください。わたしたちの物は流されてしまったので」と言いました。その必要はすぐに満たされました。

巡回監督のジェラード・クックは,津波が来た時にコロンボにいました。兄弟は車に乗り,野生のゾウがいるために暗くなると危険な道を7時間走って現場に向かいました。午後10時半に到着すると,自宅も浸水していた1人の地元の兄弟と共にすぐに各家族を訪ねて物資を配り,明け方まで働きました。

タイ: 地元の兄弟たちの中に死傷者はなく,生活手段を失った人もいませんでした。しかし,外国から休暇で来ていた人の一部が行方不明になっており,亡くなったと思われます。その中には,1人のフィンランド人の兄弟,1組のスウェーデン人の夫婦,1人のオーストリア人の兄弟,ある姉妹の未信者の夫が含まれています。スウェーデンから来た2組の夫婦は,海岸から離れた場所で地元の兄弟たちと野外奉仕をしていました。ホテルに戻ると,そこでは多くの人が亡くなり,すべてが破壊されていました。

地震後の月曜日の朝,プーケット会衆の主宰監督は,タイ支部から電話を受け,フィンランド人の姉妹であるクリスティーナが,1時間半ほど行った所にある病院にいることを知らされました。兄弟はもう一人の兄弟と共にすぐ病院に向かいました。主宰監督はこう書いています。「あれほど痛ましい光景は見たことがありませんでした。配偶者を失った人々,子どもを失った親たち,そして親を失った子どもたちがいました。助けを求めて泣く人もいれば,天井や床をただ見つめている人もいました。あまりにも悲痛な状況だったので,落ち着きを取り戻し,力を求めて祈るために,時々部屋を出なければなりませんでした」。

兄弟たちがクリスティーナを見つけた時,姉妹は骨折した足の手術を受ける準備をしていました。姉妹は重要な書類をすべて失っていました。手術後,2人の地元の兄弟が姉妹と共に祈り,深夜まで付き添いました。数日後,姉妹は飛行機でフィンランドに帰国しました。不幸に見舞われたにもかかわらず,「クリスティーナは気丈で強かった」と兄弟たちは報告しています。しかし残念なことに,夫は津波で亡くなりました。

支部の献堂式

アンゴラ,2005年1月8日: この特別な日は,ほぼ40年に及ぶ内戦にかき乱されてきたこの国における宣べ伝える活動の里程標となりました。スティーブン・レットは二重の特権にあずかりました。アンゴラの支部施設の献堂式の話を行なう特権と,統治体の成員としてこの国を初めて訪問するという特権です。11か国から来た約730人の代表者が献堂式に出席しました。新しい支部の建物群を建設する必要があったのはなぜでしょうか。1975年に支部が報告した伝道者最高数は,3,055人でした。しかしその数は,2004年の終わりまでに,18倍の5万4,000人余りにまで増加したのです。

ブルガリア,2004年10月9日: 3年余りの期間にわたり,150人のインターナショナル・ボランティアと約300人の地元の兄弟たちが,ソフィアの新しい支部施設の建設を援助しました。統治体の成員であるゲリト・レッシュが,24か国から来た364人の出席者に対して献堂式の話を行ないました。

エチオピア,2004年11月20日: 2004年の初めまで,60人のベテル家族は9つの場所に分散していたため,非常に不便な状況でした。立派な新しいベテルは,首都アディスアベバの東端の山の斜面にあります。標高2,400㍍を超える場所です。夜のしじまを破るのは,ハイエナの鳴き声だけという日もあります。ゲリト・レッシュは,29か国から来た200人の代表者を含む2,230人の聴衆に話をしました。インタビューを受けた人の何人かは,信仰のために投獄や拷問さえ耐え忍んだ人たちでした。処刑されたある兄弟の娘は,「父が復活してきたら,わたしが父の模範に倣って敬虔な専心を示し,ベテルで奉仕したことを知って喜ぶと思います」と述べました。

ガーナ,2005年3月5日: ナイジェリア支部のマルコム・J・バイゴーが,3,243人の聴衆に献堂式の話をしました。既存の支部施設の増築部分として新たに献堂された建物には,三つの宿舎棟,50の事務所,一つのメンテナンス棟,王国会館,食堂,厨房,洗濯を行なう施設が含まれています。

グアム,2005年6月25日: ここで献堂式が行なわれるのは,1980年以来,3度目のことです。当時グアムには会衆が一つしかありませんでしたが,今では10の会衆があります。今回のプロジェクトの中には,改修工事のほかに,1棟の新しい王国会館と2階建ての宿舎棟を建てることが含まれていました。オーストラリアと米国から,100人のインターナショナル・ボランティアが自費でやって来ました。地元の建物検査官はそのことを聞き,また質の高い仕事を見て,「信じられないといった様子で首を振りました」と支部は書いています。献堂式の話は,ペルー支部のローレンス・シェップが行ないました。

モーリシャス,2004年11月6日: ゲリト・レッシュは,拡張された支部の献堂式で,話を行なう特権にあずかりました。この増設部分には,翻訳部門のための12の新しい事務所と,メンテナンスのための一つの新しい建物が含まれています。献堂式のために,ヨーロッパ,マダガスカル,マヨット,レユニオン,セーシェル,南アフリカから兄弟たちが訪れました。

ニカラグア,2004年12月4日: 330人余りのインターナショナル・ボランティアと何百人もの地元の兄弟たちが,支部の新しい事務所や宿舎と,座席数2,400の壁のない大会ホールの建設に携わりました。統治体の成員のサミュエル・ハードが献堂式の話を行ないました。出席した代表者の中には,ニカラグアで奉仕していた宣教者も含まれていました。それらの宣教者が,自分たちと研究した人だけでなく,その子どもや,孫にさえ会ってどれほど興奮したか想像してみてください。

パナマ,2005年3月19日: サミュエル・ハードの話を聴いた2,967人のほとんどは,20年以上エホバに仕えてきた人たちでした。この建設が始まった時,兄弟たちは倉庫として使っていた何台かのトレーラーを移動させるために,1台のクレーンを借り,オペレーターを雇いました。オペレーターは現場に来ると,きちんと段取りができていないと言って,作業を拒否しました。兄弟たちは話し合おうとしましたが,無駄でした。しかし,その人は帰り際に,「ところで,あんたたちの宗教は何だい?」と尋ねました。

「エホバの証人です」と,兄弟たちは答えました。

すると,その人は少し考えてから,「分かった。じゃあ,やってあげよう」と言いました。なぜ突然気が変わったのでしょうか。実は,子どもたちが二人の姉妹と研究をしており,その人は姉妹たちの働きに感謝していたのです。

スロバキア,2005年4月16日: 統治体の成員であるセオドア・ジャラズが21の国や地域から来た448人のゲストに対して献堂式の話をしました。翌日,運動競技場で特別集会が開かれ,多くの代表者がバスで到着しました。あるバスの運転手はこう言いました。「皆さんは本当に感じがよくて幸福そうですね。みんなあいさつしてくれます。どうしてか分かりますよ。信仰をお持ちだからですね。わたしは普段,学校の子どもや教師を乗せているんですが,こちらのほうから子どもたちにあいさつしなければなりません。教師でさえ,こんにちとも言わないんです」。

米国ニューヨーク州ウォールキル,2005年5月16日: 「わたしたちは皆,この美しい新たなプリンタリーと,宿舎であるA棟,C棟,D棟を唯一まことの神であるエホバに献堂することを決議します」。統治体の成員のジョン・バーは,献堂式の話の中でそう述べました。新しいプリンタリーの基礎工事が始まったのは2003年5月1日でしたが,わずか8か月後には,既存の輪転機の一つが新しいプレスルームに移されました。

全米の地区建設委員会のうち,おもに近くの州の委員会から技術を持つ兄弟たちが送り込まれました。一部の仕事は外部の業者によって行なわれました。ある業者の人は「うちには皆さんのように働く人はいないですよ。本当に心をこめて仕事をされますね」と言いました。別の責任者は,「ものみの塔で働いた数か月間で,自分の専門技術に関して学校で学んだ5年間より多くのことを学べました」と述べました。コンベヤーを納入した会社の代表者は,こう語っています。「皆さんのおかげで,これまでで一番早く設置できました。ここの人たちは全員とても幸せそうなので,わたしも幸せな気分になります。本当にすばらしい所ですね」。

数年前,米国支部には15台のオフセット輪転機がありました。ブルックリンに11台とウォールキルに4台です。しかし今では,科学技術の進歩によって仕事がより効率的になったことと,リージョナル・プリンティング(地区ごとに行なう印刷)の取り決めによって他の支部に仕事を分散させたため,輪転機は5台になりました。新しいプリンタリーには,輪転機室や製本で出た断裁くずを,天井の吸引ダクトを通して自動圧縮機に送る,紙の回収システムも含まれています。集められた断裁くずは外部の業者によってリサイクルされるため,支部は年間20万㌦(約2,200万円)を節約できます。

ザンビア,2004年12月25日: 拡張された施設の献堂式に出席した700人近い人々のうち,374人は40年以上エホバに仕えてきた人たちでした。スティーブン・レットは献堂式の話の中で,建設プロジェクトに参加した人たちはイエスのたとえ話の一つに出てくる僕たちのようだと述べました。「よくやった」という心からの褒め言葉を受けるに値するのです。―マタ 25:23

兄弟たちは建設をしながら立派な証言も行ないました。ある業者の人はこう言いました。「皆さんはパラダイスにいますね」。

「文字どおりにですか,霊的にですか」。

「両方です!」

[脚注]

^ 40節 ハリケーン・カトリーナに関する情報は,追ってお伝えします。

[29ページの囲み記事/図版]

「敬虔な従順」大会

「敬虔な従順」地域大会で説明されたとおり,エホバの報復の日を生き残るのは,『神を知る』人と『良いたよりに従う』人だけです。(テサ二 1:6-9)ですからわたしたちは,神に関する見方が混乱している人や,世界に見られる苦しみのために神に対して苦々しい気持ちをさえ抱いている人を助けるために,できる限りのことをしたいと思います。そうするうえで役立つ優れた新しい備えは,「すべての苦しみはまもなく終わる!」というパンフレットと,「聖書は実際に何を教えていますか」という本です。

この新しいパンフレットは,戦争,貧困,災害,不公正,病気に苦しんでいる多くの人にとって慰めとなるに違いありません。そうした事柄は神によってもたらされているのではない,ということを理解できるからです。同様に,新しい本も,霊的な真理を切実に求める人の心に訴えることでしょう。この本の書き方は温かく,簡潔で,明快です。かぎとなる点は,挿絵と例えの両方を使ってよく説明されています。この本を用いて研究を司会する前に,付録にある補足的な14の論題にも目を通してください。

[12,13ページの図表/図版]

2005奉仕年度の出来事

2004年9月1日

10月8日: アルメニアでエホバの証人が法的に登録される。

10月9日: ブルガリア支部の献堂式。

10月18日: 「見張っていなさい!」のブロシュアーのキャンペーンが始まる。

11月6日: モーリシャス支部の献堂式。

11月20日: エチオピア支部の献堂式。

12月4日: ニカラグア支部の献堂式。

12月25日: ザンビア支部の献堂式。

12月26日: インドネシアのスマトラ付近で生じたマグニチュード9.0の地震により,歴史上最も破壊的な津波が起きる。

2005年1月1日

1月8日: アンゴラ支部の献堂式。

3月5日: ガーナ支部の献堂式。

3月19日: パナマ支部の献堂式。

3月24日: ベルリン高等行政裁判所が,ベルリンのエホバの証人に法人の権利を与えるよう命じる。

4月16日: スロバキア支部の献堂式。

2005年5月1日

5月16日: ニューヨーク州ウォールキルのプリンタリーと宿舎棟の献堂式。

6月25日: グアム支部の献堂式。

2005年8月31日

[20ページの図版]

洪水の被害を受けた王国会館を掃除する。新潟県

[24ページの図版]

救援物資を扱う。スリランカ